「事実と虚構の狭間を落下する「真実」」落下の解剖学 なにわさんの映画レビュー(感想・評価)
事実と虚構の狭間を落下する「真実」
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何が起きたかを究明するためには客観的な事実が必要であり、そのために関係者による証言の積み重ねがある。しかし、各々が語る「真実」には主観が含まれる。主観を排することによって削り取られてしまう、感情や想像等のディテールは、この事件の「真実究明」には必要不可欠に思えるが、それが主観的である以上他者には届きにくい。詰まるところ、「真実」なるものは存在せず、ことの全てを記録していた媒体がなければ事実の積み重ねにも限界が生じる。だからこそダニエルが言うように、与えられた状況から考えるしか選択肢はない。
サンドラの小説を検察が追い立てるシーンが面白い。著作には彼女の実体験が含まれているようだが、小説である以上それはあくまでもフィクションである。実体験をもとにしている以上、「彼女自身」が作品にはある程度含まれているが、アイデアによって虚構が多分に含まれたものでもある。小説は主観によって解釈されるものであるから、作者の全てがそこから分かるようでいて、実はそれが全くの嘘である可能性が潜在的に存在する。人をジャッジする材料としては非常に脆い。
夫婦の口論のシーンで、お互いのメッキがぼろぼろ剥がれていく様が目も当てられない。サンドラのほうが容赦なく相手を責め立てているようには見えたが。
ダニエルはかなり追い詰められていた(ように見える)ので、自殺だとしても彼女の日頃の言動は死因の一要素だとは言える。ただ、あくまでもそれは間接的な原因なので「殺した」とは言えない。主観と客観、事実と虚構の間に落下してしまったダニエルの真実は、死んでしまった彼によってでしか真に語られることはないのだろう。
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