劇場公開日 2024年2月23日

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「白黒決着は最初からついている上での不条理劇」落下の解剖学 クニオさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0白黒決着は最初からついている上での不条理劇

2024年2月29日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

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知的

 こんな素材で映画が一本出来上がるなんて、驚きな程に会話中心の作劇、しかも舞台は山荘のような自宅と裁判所のみ、なのにこの緊張感を維持するところが凄く、カンヌでもアカデミー賞でも評価されるだけのことはある。なにしろ徹底的に人物にフォーカス、しかもドキュメンタリー調のカメラで、これはこれで映像としての映画がちゃんと成立している。タイトルが恐ろしいけれど、夫が事故死?した真相をこれでもかの粘着質で追及する。その過程ではあらいざらい事象を解剖するかのように暴いて行く、だから解剖学なのでしょう。

 冒頭からの親子三人の日常の一コマが描かれるが、ここをぼんやり見てたら元も子もない。すべての発端がこの数分の映像に絡んでくる。で、雪中を散歩に出かけた息子と愛犬(老犬)が家へ戻り犬がすぐさま反応して父親の転落死で映画の幕が上がる。家族しかいないこんな山中で何故? と数多のサスペンス劇場では謎解きが始まるパターン通り、警察から弁護士と入れ代わり立ち代わり検証が始まるのもよくある展開。ただし、大きく異なるのは解くべきヒーローがここには不在だと言う事。ヒーローを主役としたエンターテイメントとは違いますよと明確にしている。

 それでは何が主役と言えば、家族三人のこれまでの「わだかまり」を引きずり出し、その見えなかった実態こそが主役と言う事、だから解剖なんですね。であればこそ演ずる役者へのフォーカスは必須要件で、それを担うサンドラ・ヒュラーの演技にクオリティは委ねられる。彼女の演技から明々白々なのは。彼女は完全に「白」だと言う事。図らずも被疑者扱いに陥ったとしても、その困惑と冷静な所作にミリ単位たりとも疑念の余地はない、監督も主演もそのように演じたはず。さて、裁判の行方は・・・、なんて煽る類の映画ではないのです。どんなに不利な状況が暴かれようと、してない事をしていたと誤認されようと、それを跳ね除ける真実の所在を信じている強さこそを観て欲しい。どれほど絶望的な喧嘩をしようと、夫婦だからこその喧嘩であり、根底にある「愛」を見誤ってはいけません。そこに価値があるから本作の出色の傑作ぶりが証されるのです。

 それにしても赤いマントに身を包んだ検察官の妙に若いこと! 執拗に言葉を歪曲し単純化する悪意には辟易させられる程のパワーを見せつける。対する弁護士は加藤雅也にそっくりなイケメンで、彼女の支えとして寄り添う様が温かい。要は視覚障がいを持つ11歳の息子の存在で、目撃とは文字通り見えることだから、ここでは聞こえた事実のみが映画にサスペンスを与える。法廷でUSDに録音された音声で喧嘩の様子をスピーカーで流される際のご本人の辛さたるや、到底自分だったら耐え難いと思わざるを得ない。

 こと左様に本作では「音」が絶大な効果を発するのです。もとより明るいスティールパンが響き渡るカリビアン・ミュージックが事故の根幹に大音量で響き、息子のピアノの音色、そして法廷での録音と、耳を澄ませて聞き入る努力が観客にも要求される。それともう一つ、言語です。本作はフランス資本の映画であるものの、夫がフランス人設定、妻がドイツ人設定、でイギリスでの生活が長く、金銭的問題によりフランスのペンション経営に至った経緯から、家庭内では英語設定、社会すなわち法廷ではフランス語設定。で、彼女はフランス語は苦手のもどかしさが全編を覆う仕掛け。

 ことにも、いよいよの大詰め、息子が最後に証言するシーンが秀逸である。愛犬を病院に運ぶ際の映像が再現されるも、父親の喋る画に息子の声でシンクロのようにセリフが聞こえる。父親の死生観が明らかにされるが、ちょっと息をのむ程に凄いシーンだと私は思う。声質こそ少年のものだが、抑揚から息遣いまで父親の再現です。これをも検察はあくまで主観であり証拠にはならないと声を荒げるものの、陪審員にはそうは聞こえなかったようで。

 「私は殺してません」「いや、それは問題ではない、人の目にどう映るかかだ」に端的に示されるように、客観的判断がつかないからこそ、公共の場で白黒決着をつけようと言う裁判制度。無実の彼女に冤罪を着せるリスクが却って増大してしまうと言うのに、この不条理。実に恐ろしい、社会は個人のミスを一切見逃さない正義感が、却って邪悪に見えてくる。傑作です。

クニオ