落下の解剖学のレビュー・感想・評価
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自己検閲をせずに真実を明らかにすること
パルムドール受賞映画への期待値が大きすぎたのか、初見では物足りなさを感じたが、繰り返し観ると、実にスルメのように味わい深い作品であった。
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■状況証拠しかない中での判断の危うさ
確定的な目撃情報や物的証拠がない。そのため、様々な状況証拠が集められる。
・「妻による激情殺人」の可能性を裏付けるため、直前の夫婦の会話が怒号だったのか、あるいは会話の延長線上だったのかを立証せんと、ダニエルに聞こえる声の限界を執拗に測る場面は、その微細な差異に固執する様が滑稽に映った。それぐらいしか糸口がないのは解るが。それにしても遠い。。。
・落下の再現テストをおこなった結果、血痕の位置から「突き落とされない限りありえない」と断言する調査官。たった3つの血痕だけで断言するのか。。。
・対して血痕分析の専門家は「窓から落ち、屋根に当たって頭を損傷したのだ。屋根にDNAが残ってないのは雪が洗い流したから。」と調査官の意見に反論する。
・薬を減らしたいと医師に相談していたサミュエルの行動を「自殺衝動」に結び付けたい弁護士と、それなら減らしたいと前向きな相談をしてくるのはおかしいと否定する医師。
・サンドラがゾーエを誘惑しようとしていたことを明らかにすることで「夫婦仲が終わっていたからだ。つまり妻による殺人はあり得る。」にもっていきたい検事。(遠いなあ。)
・前日の夫婦の口論の録音が提出される。生々しいやりとり。録音の後半にサンドラが激高しサミュエルを殴る音も。翌日の予行演習として決定的な証拠のように思うが、弁護士の冷静な一言。「されど、前日の話です。想像を事実と一緒くたにしてはならない。」
・次に検事は数年前にサンドラが書いた小説を引用。その中には泣き言をいう夫を殺そうと考える妻のフレーズが。弁護側はすぐさま「小説と事実は別物だ。S・キングは殺人鬼か。」と反論。(いや、ほんとに。)
・ダニエルがスヌープを病院に連れていくときに父親から言われた言葉を追加証言する。「スヌープはすごい犬だ。とても優れている。お前を危険から守り、お前に何が必要かを常に心を配っている。ただ、そのために疲れているかも。そしていつの日か力尽きる。つらいだろうが覚悟しておけ。それでもお前の人生は続く。。。。今考えると、あれは自分のことだったんだ。」あわてて検事が「過度に主観的でどう考えても証拠にはならない」と釘をさす。しかし、その言葉はブーメランのように自分たちに返ってきている。
検事側も弁護側も細い糸口で「殺人だ」「自殺だ」の主張を各々展開する。まるで悪魔の囁きのように。
混乱するダニエルにベルジェの言葉が響く。「材料が少なくて判断のしょうがなくても、決めるしかない。たとえ疑いがあっても一方に決めるのよ。1つを選ばないと。心を決めるの。」
そして裁判官の次の言葉も。「裁判の目的は自己検閲をせずに真実を明らかにすること」
(自己検閲とは集団内の同調圧力によって自分の意見を抑制してしまう心理現象や、表現や作品の作者が論議を呼びそうな部分を自分で削除してしまうことを指すこととのこと。)
ダニエルはスヌープの誤飲のことや、車の中での父との会話を証言する。自己検閲を排したのだ。そして心を決める。
「自殺だと思う。なぜならママがパパに飲ませる理由がない。何かが起きてその原因がわからない場合は裁判と同じで状況から考える。証拠を探しても確定的なものがないなら、自分で考える必要があります。」
悪魔の囁きを繰り返す検事は後ずさりするしかなかった。
しかし、証言の度にこうも推理が混じってくると裁判官は大変だな。(こりゃ冤罪もでるわ。)
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■いたたまれない夫婦関係
妻のサンドラは、野心家で小説家として成功しており、現実主義で肉食系。見た目からしてザ・ドイツという感じ。
夫のサミュエルは、妻への嫉妬や焦燥感を抱いていたところに、ダニエルの事故の責任(妻からの暗黙の責めも)という十字架をさらに背負ってしまった。打開しようと山奥に引っ越ししてペンションをはじめようとするが、改装工事もうまく進まず空回りするばかり。
サンドラがサミュエルに言い放った下記の言葉。自分に言われているようで刺さった。。。
「今のあなたと話し合うのは時間のムダだと思う。グチグチ言って時間が経つだけ。
その時間を使って何だろうとやりたいことやったら?書けないのを私のせいにしないで。」
「(俺にも時間をくれという夫に対し)正気で言ってるの?私は何も奪ってない。 あなたは息子との関係悪化を恐れ、今の状態に陥った。ここに引っ越すと決めたのはあなた。自分で作った罠よ。私のせいにしないで。あなたが自分で、、、。」
録音テープを聞いている間、傍聴席の人たちと同じようにいたたまれない気持ちであった。
ダニエルの事故がなければ、この二人の関係はどうだったのだろうか。。
※父親の死、母親の過去の不倫、父親の焦燥。自分の事故が夫婦間を険悪なものにしてしまった一要因であること、赤裸々な内容をすべて聞いてしまったダニエル。「ママが帰ってくるのが怖かった。」 「ママも帰るのが怖かった。」 もう裁判前の親子間には戻れない。これからのダニエルが心配だ。
※スヌープ(飼い犬)の演技が凄い。本当に演技なのか?そりゃ賞獲るわ。
※夫がスピーカーから鳴らす爆音の「P・I・M・P」、息子がかき弾くピアノ。どちらも癇に障る。そういう心象を表現しているのだろう。
※サンドラの顔が苦手だ。これぞドイツという感じ。『関心領域』の印象もあると思うが。ただこういう「強く複雑な女性」を演じられる稀有な俳優であることには間違いない。
※2つの録音は、ちょっと都合良すぎかと。
※ラッパーみたいな検事が新鮮。さすがフランス。
冤罪はこうやって生まれるのかも
冤罪はこうやって生まれるのかも、と思った。
物的証拠がなく、証言だけで殺人か否かを決めなけれ ばならない。誰かを有罪にするか無罪にするか、人生を左右する重大な決定を、証言を根拠に決めなければならない。
往々にして人の記憶はあいまいだし、自分の都合や思 い込みや、信じたいことで改変されている。し、裁判での証言なんて、自分が世間からどうみられるか、なんて計算まできっと入るから、記憶からの証言の信ぴょう性なんてあってなきがごとき。裁判官らは信じたい方を信じ、有罪/無罪に票を入れる。その意味で、盲目の息子ダニエルが「子供(11歳)」つまり「ピュア」であり、「盲目=他者が見えない」つまり「他者からどう見られるかを気にしないでいい人」という意味で、打算的な記憶の改変が少ない、信頼できる人として描かれている気がしてならない。その彼の 証言がキーとなっただろうことには、鼻白む。
加えて、検察側が露悪的で印象操作に思えてならな かった。例えば、サンドラ(被告人)のセクシャリティを暴きたてて、学生との会話を誘惑だと言い立てる姿。 夫が無断で録音していた口論から、「サンドラ=悪」 を植え付けようとする姿(会話を密かに録音する是非は問わない)。たとえ、サンドラがいかに「世間的に」奔放で不道徳な人間だったとしても、それを殺人に結び付けようとする態度には違和感しかなく、とても不愉快で嫌悪しか持てなかった。
確かに私は女性で、同性であるサンドラに無意識に肩入れしている部分はあるにしても。
最後に、この夫婦の関係が「世間」と逆転していて、おわゆる男性側を妻・サンドラが、女性側を夫が担っている。仕事に集中し、 子育てや家事をしない方を女性が、家事や子育て、自分の時間が持てずストレスをため込む方を男性が担っている。この逆転に裁判官や裁判員がどう見るか。男性は「女のくせに」、女性は嫉妬に近い反感を持つのではないか。
こうやって証言から作り上げられた「被告人像」か ら、真相はどうであれ「有罪/無罪」が決まる。真相と判決が合致していればいいけど、違えば冤罪/無罪放免。
私の「被告人像」は「無罪」だったから、こうやって冤罪が生まれるんだろう、と思いながら見ていた。彼女を「有罪」だと思う人からしたら、この映画はどう 見えているんだろうか、と思う。
家族の内側を解剖する法廷劇で試される、私たちの曖昧さを抱えておく力
本作はミステリーにカテゴライズされる作品なのだろうが、一般的なミステリーのイメージとひと味違うのは、最後まで「絶対的な真実」が提示されないことだ。
法廷での証言により、主人公夫婦の間に過去に起こったことが徐々に明らかになるにつれ、観客の目に映る主人公の印象が変遷してゆく。私たちの人を見る目のあやふやさ、不確かさを本作は暗に語りかけ、真実を見せないことでエンドロール後にもその余韻を残す。
冒頭、取材に来た女子学生に対応するサンドラの態度に不審な気配はほとんどない。ただ少し、取材を受ける側なのに女子学生に質問しがちなくらいだが、その時点ではそういう性格の人なのかな、くらいな印象だ。上の階では夫が音楽を大音量で流して取材に支障が出るほどだが、その事情も序盤ではわからない。
ところが、裁判で事件前の夫婦間のやり取りが明らかになるにつれ、最初の場面の印象がどんどん変わってくる。検察官が「女子学生を誘惑していたのでは」と言い出した時は邪推だなと思ったが、その後サンドラの隠していたこと(浮気の回数)や嘘(腕のあざ)が見えてくると、彼女を信頼出来なくなり、改めて冒頭のシーンを振り返ると、誘惑のニュアンスが入っていたようにも思えてくる。
(夫に通達した浮気はノーカンというのは特に酷いなと思ったけどフランスではアリなのか?と思ったら後で世論からも批判されててちょっと安堵)
そんな調子で、当初は気にならなかった裁判前のサンドラのなにげない振る舞いまでもが、法廷であからさまになった夫婦の内実を踏まえると全く見え方が変わってくる。ザンドラ・ヒュラーの演技の匙加減にうなった。万華鏡のように移り変わるサンドラの印象は、ヒュラーの演技のバランスがあってこそ成立する。
息子のダニエルの視力障害の程度がわかりづらかったり、母親をかばっているかのように証言を変遷させたり、弁護士ヴァンサンとの関係が微妙に思わせぶりだったり、といったことも見る側の憶測を呼び、惑わせる。サンドラは有罪か否か、という天秤が観客の胸中で不安定に揺れ動く中で、彼女の証言の変化が不審を誘い、あの壮絶な夫婦喧嘩の音声がとどめを刺す。
聞いてみれば、移住や息子のホームスクーリングはサミュエルの希望に沿ったものだ。ダニエルの面倒を見ることと教師の仕事で、作家としての創作の時間が取れなくなっているのも本人の行動の結果のように思える。作家として成功しているサンドラに対する不満には、嫉妬も混じっているのではという邪推も湧く。冒頭の大音量の音楽に、悪意の気配が醸し出される。
しかし、サンドラが夫のアイディアを横取りしていたこと(サンドラ自身は夫の許諾を得たと主張しているが、夫は奪われたという意識であり、認識のズレがあることもまた憶測の元)、言い争いの末サンドラが暴力をふるったこと、隠していた浮気のことなど、彼女の身勝手さも見えてくると、それまで見せられた曖昧な状況についてもことごとく天秤が振れ、彼女の有罪をほのめかすもののように思えてくる。
この流れなら、普通のミステリーであればサンドラが有罪になるか、あるいは判決自体は無罪になっても、内心の描写などにより彼女による犯行であるという「真実」が暗示されたりする、というのがパターンだろう。そういった「真実」の提示によって、観客の心中でも事件が終結する。エンタメ的には座りがいいはずだ。
だが本作では、サンドラは無罪判決を得るものの、観客にとってそれが「真実」であるという手応えはない。しかも判決後のシーンがしばらく続き、打ち上げの後でサンドラとヴァンサンが寸止め的な雰囲気になったりし、犬のスヌープが横たわるサンドラにぴたりと寄り添う場面で終わる。
パンフレットの評論家のレビューには、ラストで突然スヌープがサンドラに懐く様子を見せることから、序盤のスヌープとダニエルの散歩も、実はサンドラの意図(犯行のための人払い)が働いているのではという推測もあった。これもまた真偽は不明だが、ラストシーンが思わせぶりであることは確かだ。
(余談だが、スヌープがアスピリンで倒れた場面はどうやって撮影したのだろう。今時動物愛護的に薬物で眠らせたりすると批判されそうだが。ボーダーコリーはかなり賢いらしいが、まさかの演技だったらすごい)
観客はグレーな描写にあれこれ憶測をし、話が進むにつれその憶測のいい加減さも自覚する。私たちは主観で捉えられる情報だけで誰かをジャッジしたくなる。ひいては、その情報さえ無自覚に選別する。しかし、そのジャッジがいかにあやふやなものであるかについては得てして無自覚になりがちだ。
真実が明確にならないというありがちな現実をありのまま抱えることができず、急(せ)いて白黒はっきりさせようとする人間の悪癖。サンドラは無罪になったが、「無実」なのか、という疑いをあえて残すことで、本作はその悪癖を観客に自分ごととして突きつけているのではないだろうか。
事実が力を持たない時代の法廷劇
事件の真実を明らかにしないままに終わる法廷劇というのも珍しい。しかし、極めて今の社会のあり方を的確に表出した作品と言える。要は、「人は信じたいものしか信じない」、事実が力を持たない時代になったのだということ。
夫の転落死は事故か、殺人か。決定的な証拠は見つからないまま物語は進んでいく。そして、事件をめぐる世の中の関心は、夫婦仲がどうだったかへと移り、法廷も主人公の女性に殺意を抱くような動機があったかどうかが争点になっていく。しかし、動機は事件性があったのかどうかの補強情報にはなるが、決定的な証拠とは言えない。下世話なスキャンダルのように世の中が騒ぎ立てるなか、目の見えない息子が証人となる。
タイトルには「解剖学」という言葉が使われている。解剖学は人体の構造を明らかにする学問だ。見えない人体の中身を「見える化」するものと言い換えてもいいかもしれない。
その言葉に反して、この映画で描かれる事件(事故)の真相は見えない。真相は見えないままに物語が進行し、観客である我々はそれぞれに「信じたいものだけ信じる」ように誘導される。
そんな、人の「信じたいものしか信じない」心の弱さを「見える化」している作品と言えるかもしれない。
脳の訓練とスリリングなメロドラマの融合
よくもわからない他人ごとなのに、すぐに答えを欲して雑な解釈に飛びついてしまう人間の勝手さ、愚かを「法廷劇」という体裁に置き換えた監督の手腕がみごと。劇中のできごとや登場人物の思惑について、細部を読み取って推理をしたり仮説を立てたりする作業はミステリーの醍醐味だし、その意味でも楽しめる作品になっていると思う。しかしこの映画の場合、どれだけ考えて「◯◯のように見える」「◯◯に違いない」と思ったとしても、結局は監督の手のひらでいいように転がされているともいえる。いずれにせよ、確たる結論が導き出せるわけではない状況に大切なのは、どこまで自分自身が対象を距離を取って、先入観に目を曇らされることなく思考ができるか。これは一種の脳の訓練であり、その訓練がスリリングなメロドラマを兼ねているという、刺激的でとても優れたエンタメだと思っています。
事件と夫婦関係の解剖によって浮かび上がる奥深い人間ドラマ
雪山に建つ山荘で暮らす3人の家族がいる。絵に描いたような幸せな暮らしに見えるものの、そんな中で夫が落下死するという悲劇が発生。捜査の過程で浮上した不審点によって、妻に殺害容疑がかかり・・・と、あらすじだけを見ると、謎解き、捜査、推理といったイメージが湧き上がってきそうだが、しかしこの映画の本質は紛れもなく「家庭ドラマ」だ。あるいは家庭生活という名のサスペンス。その上、この法廷劇によって周到にメスが入れられ一つ一つ明かにされていく状況は、恐らくどの家庭や夫婦でも身に覚えのある切実かつ根源的な問題なのだ。妻であり母であり、成功した作家でもある主人公役のサンドラ・ヒュラーの表情が鮮烈で、彼女が怪しいのか、それとも我々の偏見や先入観なのか、観る者もまた非常に不可解な境地に立たされる。と同時に、盲目の息子が手探りで真相を掴み取ろうとする健気な様が胸を打つ。まさに解剖の名にふさわしい人間ドラマである。
夫婦の愛と信頼が崩れ落ちるさまが、裁判の過程で解き明かされていく傑作サスペンス
転落事故か投身自殺か、それとも殺人か。自宅山荘の窓の下で、夫で父親のサミュエルが不審死を遂げ、その妻で小説家のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)が殺人罪で起訴される。
法廷での証言や証拠で家族のこれまでが次第に明らかになる。作家として成功した妻と、教師の仕事をしながら作家の夢を捨てきれない夫。サミュエルは息子ダニエルが事故で視覚障害になったことの責任を感じ続け、山荘を宿泊施設にリフォームする目論見もうまくいかず、精神的に不安定になることもあった。
“解剖学”というと学問の語感が強くなるが、フランス語の原題Anatomie d'une chute、英題はAnatomy of a Fallはいずれもニュアンス的には「落下(転落)の解剖」が妥当だろう。第一義はもちろんサミュエルを死に至らしめた転落の真相を裁判で解き明かすことにある。だがそれだけでなく、愛と信頼で築かれていたはずの夫婦の関係が、社会的成功の差、家事育児の負担、息子が抱える障害などさまざまな要因によって崩れ落ちていったさまが裁判を通じてあらわになることも示唆するダブルミーニングになっている。
1978年に東ドイツで生まれたザンドラ・ヒュラーは、国際的な知名度を高めたドイツ・オーストリア合作「ありがとう、トニ・エルドマン」(2016)で、変人の父親に翻弄される真面目で少し不器用なキャリアウーマンを愛らしく体現。打って変わって本作では、複雑で陰のある主人公を繊細に演じ切った。昨年のカンヌ国際映画祭ではフランス製作の本作が最高賞パルムドール、さらにキャストの2番手にクレジットされた米英ポーランド合作「関心領域」(日本では5月24日公開予定)も第2席のグランプリを受賞するなど、国際派女優としての円熟期を迎えつつある。5部門にノミネートされた今年のアカデミー賞の結果も楽しみだ。
法廷物の形式であるがゆえ当然ながら裁定は下されるが、揺るぎない真実が明らかになってすっきり解決、という映画ではない。むしろ解釈の揺らぎや余白を観客側が想像で補うタイプの作品であり、いつまでも落ち続けているような、落ち着かない“もやもや”を堪能していただければと思う。
詳らかにする
感情が揺さぶられ、色んな思いが去来する
言葉にするのが難しい。
自分の性質は死んだ夫氏に近しいので、夫に感情移入しながら観ていました。なので終盤ダニエルの証言を聞く前から彼が自殺であると、思いました。本当の真実かどうかは別として。(視聴者にそう思わせる脚本?演技?すごい、素晴らしい)
エンタメ作品とは真逆で、つらくてしんどいしかない映画でしたが、観て良かった。
上手く言語化できない、とにかく凄い作品を観た。
あとスヌープの演技素晴らしかった!
アスピリン飲まされた後体調を崩すシーンで本当に犬に何がけしからんをしたのかと心配になる程でした。
視聴後に検索したらあの子がなんかすごい賞をとっていたのを知りました。納得です。
某か受賞というのは映画詳しい人に刺さったということなだけで
たまにしか映画みない一般人にはわからないです。
検察が嫌なやつで裁判官が裁判に無関心で決だけ下す感じの人で、映画は7割法廷のシーン。法廷映画。ドラマ「リーガル・ハイ」からテンポのいい台詞回しや勧善懲悪の爽快さを無くした映画好きが好きそうな映画。展開がゆっくりすぎて、オチは伝家の宝刀「わからずじまい」。結局なんなだったの?という感じ。
「他人からどう見えているか」を問うてる映画だとしたら、犯人は、弁護士だし、息子ふぁし、妻だし、インタビュアーの学生だし、犬がぶつかってどーんで落ちたもあるし、鑑賞者に委ねられる!的な……いやいやある程度は示してよ。
頭の殴られたあとの説明がないってことは、他殺の匂いを残すけど、下にぶつかったかもしれないし、もしかしたら不倫を知ってインタビュアー来て(またか!?)と無茶苦茶苛立って自傷して、妻に罪を着せようと夫が自殺したかもしれないし。無限のオチが考えられる。
人の形を暴く解剖学って当てにならないね。「落下の解剖学」、人生が落ちていくその様を解剖したのかな?哲学チックですね。インテリジェンスに振り切った映画で、だったら予告編もサスペンスサスペンスして煽らなくてもいいのにと思いました。予告編が悪いかも。
韓国版ポスターに犯人はこれだ!的な印象を抱くなら、このジャケットも「犯人はこいつらだ」という映画のコンセプトには乗っかってて見事なのだと想う。
賞を獲った事で完成に至った映画。これは賞を与えないと(難解な映画だーで終わるぞ)と、賞を与えたことで(何があるの?)という私みたいに深読みする一般人が増えていく。良質は良質、とても良質です。
疑わしくは被告人の利益に
カタルシスねぇ〜映画NO1
他殺には無理がない??
これで真実が他殺だったらあっと驚くひねりの効いた結末になるんだけど、自殺(或いは事故?)とにかくサンドラが無実とわかった今はなおさらこれを他殺というにはあまりにも無理と悪意があるし逆に落下説をもっと強力に押しだせないものかとちょっとモヤモヤ。こうして冤罪は作られる、というテーマならわからなくもないが。。。それにしても無実を証明するのにとことん私生活暴露はたまらないね。2人の口喧嘩、ウチも似た場面あるなあ、彼女の言い分キツイけどあれくらい私も言い返してみたいと思った (私情w)
役者の息使いを伝える演出〜「娯楽」の対極
2023(日本は2024)年公開、フランス映画。
【監督】:ジュスティーヌ・トリエ
【脚本】:ジュスティーヌ・トリエ、アルチュール・アラリ
主な配役
【サンドラ】:ザンドラ・ヒュラー
【弁護士ヴァンサン・レンツィ】:スワン・アルロー
【ダニエル】:ミロ・マシャド・グラネール
1.ジュスティーヌ・トリエ監督
◆史上3人目の女性監督によるパルムドール受賞
◆アカデミー賞脚本賞受賞
(ノミネートは、作品賞、監督賞、主演女優賞、編集賞)
今後の作品は常に注目を集めることになるだろう。
確かに脚本は良く練られていた。
法廷ミステリーとも言えるが、法廷以外の場面に様々な「仕掛け」が施されていて、目を離せない。
2.ザンドラ・ヒュラー
『関心領域』の演技も素晴らしかった。
本作も彼女の自然な演技に惹き込まれた。
ドイツ人だが、多言語を難なくこなしてみせている。
3.まとめ〜46歳パワー
監督も主演女優も、共に46歳。
表情やセリフだけでなく、息使いまでが計算されている。
ドキュメンタリーを見るような、いや、現実より現実らしい作品だ。
「娯楽作品」というカテゴリーの対極にあるような映画だ。ゆえに、観ていて疲れてしまう側面もあった。
☆3.5
夫の気持ちを探るー母と息子熱演
階上からボリュームいっぱいに音楽を鳴らす。
妻は下で大学生と話していたがやかましく帰る。
息子は犬🐶を連れて散歩。
戻ると父が頭から血を出し倒れていた。
すぐ母を呼ぶ。警察に連絡。
友人の弁護士ヴァンサムに依頼。
頭に致命傷となる傷があり、
硬い物で殴られたか落下の際に傷ついたか?
それにより自殺か事故か他殺か⁉️
家に居たのは妻一人。
他殺ならば妻が起訴される。
夫は屋根裏を改装し民宿を始める気だった。(妻)
音楽🎵をかけると自分の世界に入り込む。(妻)
弁護士と予想される話を照らし合わせる。
妻の腕のアザがついた理由。
不審死❗️
半年前、睡眠薬と思われる錠剤を吐き出した(妻)
息子が警察に聴取される。
夫婦喧嘩知らない、と。
妻が流行りの作家である為人々の関心を買う。
外にいた、と息子。
警察、実地検証、音楽🎵鳴らして、
息子の供述二転三転。
息子の監視役が付く。
家宅捜査に人形使っての実験、
弁護士と供述内容の照らし合わせ、
専門の弁護士の指示はなかなか厳しい❗️
息子が視覚障害になった原因の事故の話、
気にしていた夫、自分のせいと。
一年後、裁判、妻にとって不得意な🇫🇷語で、
妻がバイセクシャル⁉️いらん事聞かれる。
息子は必死に意見供述。いじわるな検察官❗️
夫は教師を辞めて作家になりたかった、
妻は夫を恨んでいる。
夫が前日の夫婦喧嘩を録音したUSBが見つかり、
妻の不倫に喧嘩したことやそれにより妻の嘘
もバレる。
信用されない妻を責め立てる検察。
無実を主張する妻。
裁判まで母を避ける息子にショックを受ける母。
息子の実験、🐶可哀想。
息子の証言。
いなくなるから辛いけど‥‥
結局息子に助けられた母。
ザンドラがサンドラ
この映画は公開時は題名の意味が分からず観に行きませんでした。その後観に行くきっかけとなったのが「関心領域」に収容所長の妻ヘートヴィヒ役を演じていたザンドラ・ヒューラーに興味を持ったからです。役柄では夫の出世しか興味が無く外の世界は見ようとしないし,収容所から持ち込まれた毛皮を躊躇なく試着する。
とても共感できないキャラなのですが、
「落下の解剖学」では、どんな役柄なのか気になりました。完全犯罪を目論む悪い妻・・・
なのかな?
ザンドラ・ヒューラーはベストセラー作家
サンドラの役で夫サミュエル殺しの疑いをかけられる・・・法廷での証言シーンがメインで
回想シーンで亡くなった夫とのやりとりが再現されますが、それはどこまで真実なのか?
サンドラの弁護を任される知り合いの
ヴァンサンとの微妙な距離感。
とりあえず話は長いです。
たまたま音響の良い映画館だったせいか
TVでは没入できない世界を体感できました。
OPも良かったしショパンの前奏曲が、こんなに染み入るなんて・・・たまに挿入される息子ダニエルの弾くピアノが、いい感じです。
母親サンドラと、さりげなく連弾するシーンもあります。彼は視覚障害らしいが全く見えない訳では無いのかな?第一発見者でもあるから。
スヌープ役のワンちゃんは名演技ですね、途中ヒヤヒヤするシーンがありましたが。
物語はサンドラ目線で語られます。こちらの役の方がリアルに作られており観てる方も彼女と同化していきます。
そして判決は観てのお楽しみです・・・🤫
子供さんには、夫婦には
細かい
裁判で暴かれる女流作家の私生活を残酷に描いたミステリー法廷劇
フランス人監督ジュスティーヌ・トリエがパートナーのアルチュール・アラリと共作したオリジナル脚本の謎解きの面白さが特徴の、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した法廷ミステリー映画。タイトルの意味は、山小屋の4階部分にあたる屋根裏部屋から転落したと想定される夫の死因を巡る裁判劇を通して、事故か自殺か他殺かの考察の解剖を指すが、実体はある家族の壊れた夫婦関係の裏の顔を暴き出しています。 それは国際結婚が珍しくないヨーロッパの夫婦が直面するコミュニケーションにおける言語の壁、不慮の事故で身障者になった子供への取り返せない後悔、同じ作家としての職業を持つ夫婦の成功と嫉妬、妻の浮気から生じる軋轢の心理変化と、多くの問題を抱えていたことが分かります。しかも、そのまだ11歳のダニエル少年が殺人容疑の母サンドラの証人として法廷に駆り出されることで、知る由も無い両親の不和を聴かされる過酷さまであります。それでも、この人物設定の創作を客観的にみれば、ダニエル少年を弱視の視覚障害者にしたことで謎が深まるストーリー展開の物語でした。非業の死を遂げた父サミュエルの本意を探り、ベストセラー作家として成功した母サンドラの日常の会話には表せない満たされぬ胸中を知ろうとする少年の心理には、父を失った悲しみに対峙する子供ながらの好奇心と両親への愛を感じます。今知って置かなければ、これから自分は人格を持って生きて行けない(成長できない)と考えたに違いないからです。このダニエル少年をひとりの人間として扱っている脚本の成熟度は、フランス映画の特長のひとつと言っていい。
これら複雑にして特殊な家族の問題を落とし込んだ脚本の構築度は高く、女性監督の視点も冷酷で厳しいものがあります。ただミステリーの脚本としての完結した物語の徐々に解き明かされる面白さに対して、映画としての演出の鋭さや技巧の高さはありません。映画的な演出で光るのは、サミュエルが録音した事件前日に交わした夫婦の言い争いが法廷に流れるシーンです。私生活の会話を記録するのは、サミュエルが小説のモチーフに活かすことを考えての習慣だったのか。それとも、既に決意があって妻に復讐する深層心理を持っていたのか、色々と想像できます。その日の場面として描写して見せて、生前のサミュエルがサンドラに不満をぶつけるシーン。それを泣き言と受け付けないサンドラ。お互いが犠牲を払っている自負のぶつかり合いで歯車が嚙み合わない夫婦の会話は性的な内容に及び、遂には物を投げる音と共に修羅場を向えます。その前に現在の法廷シーンに戻る演出はとても映画的でした。もう一つは、再び証人に立つダニエルの中立性を保つために同室を禁じられ、家を出てホテルに移動する車中で堪えきれず泣き出すサンドラの姿です。プロローグで女子学生のインタビューに対応する、自信に溢れて感情をコントロールする余裕をみせる女流作家の冷静さからは想像できないものです。裁判の行方に対する不安と、息子の証言に疑念を持たざるを得ない状況に追い詰められたサンドラの子供まで失ってしまうのかの恐怖。取り乱して当然の立場にあるサンドラが気丈に振る舞う中で、唯一弱さを見せるシーンでした。
総評としては、映画としての面白さよりミステリー小説の面白さが勝る作品でした。脚本が優れている反面、演出と撮影の絶賛にはならなかった。それと興味深かったのは、検察が殺人容疑で立件する前提に証拠不足ではないかと思われる点です。もし凶器による外傷なら証拠になるものを徹底的に探し出すものではないでしょうか。日本と比較して、捜査に対する段取りが違うようです。警察側の台詞の中に、凶器はどうにでも分から無くさせられるから調べても無理、の内容のものがありました。
俳優の演技に関しては、不足は有りません。特に主演のサンドラ・ヒュラーの演技は素晴しい。この作品は彼女の演技で映画らしさを保持しています。続いてダニエルを演じたミロ・マシャド・グラネールの演技と犬のスヌープの眼の演技が印象に残ります。子役の上手さと動物の使い方の的確さは、欧米映画の優れた特徴です。
登場人物の中でそのポジションが明確でないのが、サンドラを弁護するヴァンサン・レンツィ弁護士でした。旧知の仲の人当たりの優しい男性で、当初からサミュエルの自殺と断定していました。無罪判決の後2人で食事するシーン。かつて男女の仲だったのか、それとも今回の事件を機に仲を深めるのか、微妙なシーンになっています。もし裁判に負ければ人生が終わると怖れたサンドラは、勝てば何か見返りがあると期待したものの、何もなかったと呟きます。作家の仕事とは、凶悪犯人でさえ獄中で自叙伝を執筆すれば成立する不思議で不道徳的な職業とも言えるでしょう。普通の人生を送るとしても、誰もがあまり知らない世界の人間を描かなければなりません。ですから、この裁判を経験したサンドラが小説にすればベストセラーになることは間違いありません。見返りは自分の文才次第と言えるでしょう。身内の死をも題材にする、自ら身を切る思いで創作する厳しい仕事です。
本格的な法廷モノで、検察官の執拗な追い込み方には見応えがあった。 ...
二転三転
フランスの雪山にある家の最上階から、夫が落下した死体を、犬の散歩から帰宅した弱視の息子が発見したことから、ストーリーがゆっくりと進みはじめる。
当初は自殺ではなく事故ではないか?と主張する妻のサンドラだったが、さまざまな状況証拠から、この事件は自殺でも事故でもなく、これは殺人ではないか?、と法廷でサンドラが追いつめられていき、見てるこちら側も最初はそんなことないだろうと優しそうな妻を信じていたにも関わらず、演出によって徐々に妻に疑いの目をかけ始めてしまうのだ。特に事件前日の夫婦喧嘩の録音を公開された際には、もしかしたら殺人かもしれないと確信に至りそうになる。
これらの経緯から、当初は母を信じていた息子のダニエルでさえも信じられなくなってくるのだが、法廷最終日に彼の発言により、全てがひっくり返ってしまう。
過去に飼っていた盲導犬が病気になった際、父親から盲導犬は目が不自由な息子のために、自分を削って生きていて、疲れているかもしれない。だからいついかなる時も病気で死んでしまうこともあるということを覚悟しておけと言われた事を思い出し、それは犬がいなくなるということを伝えたかったわけではなく、自分(父)がいなくなる可能性を暗喩していたに違いない、と発言したのだ。これによって殺人の疑いが薄れていき、最後の最後に、妻は無罪放免となる。
しかしながら夫婦関係が悪化していたことや、息子の面倒を夫に押しつけ、自分は作家として成功を収めていたという事実が消えるわけではないため、それぞれの登場人物が悩みを抱えながら、お互いに支えあって生きていくしかないという、なんともモヤモヤした、しかし「これこそが人間なんだ」と受け入れざるを得ない、ハリウッドの法廷物とは一線を画した独特のサスペンス映画であった。
夫の落下から始まり、妻の落下、息子の落下、そして見ている観客側の落下など、この映画だけでなく、人間にはさまざまな落下があるけれど、それさえも受け入れることによって、前を向いて生きていけるんだなぁと、しみじみ考えさせられた佳作であった。
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