「日々の暮らしに恵まれない男女の、出会いから共に生きようと歩き出すまでを描いた人間ドラマです。もの悲しさの中にも光を感じられる作品です。」枯れ葉 もりのいぶきさんの映画レビュー(感想・評価)
日々の暮らしに恵まれない男女の、出会いから共に生きようと歩き出すまでを描いた人間ドラマです。もの悲しさの中にも光を感じられる作品です。
ポスターに惹かれて、何か良さそうと思って鑑賞することにした
作品です。フィンランドの作品というのも鑑賞のきっかけでした。
今年最初の劇場鑑賞です。
作品紹介で、監督のアキ・カウリスマキという方を名匠と解説され
ていたのですが、不勉強にて全く存じあげませんでした。@_@;;
「労働者3部作に連なる作品」とも紹介されているのですが、当然
どんな作品なのかが分かりません。・_・;;
そんな訳で、" 楽しめるかな? " と不安半分で鑑賞したのですが
根本的に「楽しい」作品では無く、フィンランドの労働者の現状を
描いた話でした。どちらかといえば「薄暗い」雰囲気が漂っている
ように感じました。 @_@;;
◇
主な登場人物は、主人公の男女ふたり。
男の名はホラッパ。
アル中予備軍。溶接工(?)の仕事の途中に隠れて飲酒している
のがバレて、職場をクビに。 …う~ん。これはダメでしょ。
女の名はアーサ。
スーパーで働いていた。消費期限切れの食品(本来は廃棄する)を
持ち帰っていたのがバレて解雇される。 …う~ん。ダメ…なのか?
そんな二人がカラオケバーで出会う。
ささやかな出会いなのだが、互いに心に響くものがあったらしい。
女の家に食事に招かれた男は友人から上着を借り、一輪の花を求め
女の家に向かう。女は客用の食器と、食前酒の小さな瓶を買い求め
男の訪問を待つ。
ぎこちない会話と、たどたどしい雰囲気での食事。
緊張の中、男は酒のおかわりを求める。
だが、最初の一本しか用意は無い。そう答えると
男は自分の持ち込んだ酒瓶を口にし始める。
” ここはパブではないのよ? ” と女。
” 俺は指図されるのがキライだ ” と男。
男は女の家を出て行く。終わった。
客用の食器をごみ箱に放り込む女。 (あの…分別は?)
これで終わり。何もかも元のまま。何も残らない…
…という訳ではなかった。
今のままではダメだ。変わらなければダメだ。
やがて男は酒を断つ決心をする。
酒のボトルをゴミ箱に放り込む。 (あの…分別…)
禁酒。断酒。 …そして
女の電話が鳴る。…誰だろう。 電話に出る。
” 俺だ ”
” … ?”
” 酒は止めた ” しばしの沈黙。そして
” ウチに来る? ”
” いいのか? ”
出会いは偶然。
継続は人の意志と努力。
このままハッピーエンドへと向かうのかと思われたのだが…
◇
この監督の作品全般がそうなのかは全く分からないのですが
・フレームに収めたような構図で (きちっとした感じ)
・静かに落ち着いた場面展開の中に (穏やかな雰囲気)
・ゆったり流れるような場面を撮る (スローテンポ)
そんな特徴のある作風のなのだろうか と感じた次第です。・-・
※ 的外れならゴメンなさい。
反論しません(できません) @_@;; デス
◇あれこれ
■この作品の時代背景
がいつなのだろうかと、まだ悩んでいます。
今から50年くらい前の社会を描いているのかと思って
観始めたのですが、ラジオから流れてくるニュースは
ロシアのウクライナ侵攻でした。@_@;ビックリ
あれ? もしかして現代?
そう思ったのですが、アンサが部屋のラジオを選局する動作
を見ていると、” アナログ ダイヤル式 ” なのです。
日本なら1980年代のラジカセまではそんな感じだったかと
思うのですが、フィンランドでは違うのでしょうか?
う~ん。そんな訳でいつのお話なのかが掴めておりません。
作品の本質とは異なる箇所で悩んでいる気がします… ×_×
■「信仰上の妹」って?
病院に入院したホラッパを見舞うアンサ。
病院の窓口でホラッパの病室を尋ね、患者との関係を聞かれて
「兄です。信仰上の」
信仰上の兄(兄弟姉妹?)とはいったい…??
一種の義兄弟みたいなモノなのか
それともキリスト教的な特殊な関係なのか
(もしくはアンサの冗談なのか…)
こんなところも頭に引っかかって悩んでいます。@_@
◇最後に
この作品が「薄暗い」印象とレビュー冒頭に書いたのですが
ラストシーンから感じたのは「希望」でした。
男と女,そして女が飼い始めた犬。
その二人と一匹が、広々とした通りを歩いていくシーン。
ただそれだけの場面なのに、二人の行く末に希望を感じさせる
終わり方のように思えました。不思議です。
それが、この監督の思惑通りだったのなら 脱帽です。・_・;
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。