関心領域のレビュー・感想・評価
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何も起こらない。
このテーマにつまらなかったと言いにくいムード
音響の良さが普通の映画館では再現できていない可能性
冒0頭で音響へのこだわりを感じられるが、鑑賞した映画館の設備が悪いのか正面からの音しか感じられなかった。少し残念。BD出たら4ch環境で楽しもうと思う。
人の声、銃声、環境音で主人公の家庭の異常性をそれらでわかりやすく伝えている。
最近、日本ではオッペンハイマー、DUNE PART2といった音響映像ともに今世紀最高クラスの映画が公開された中、本作はこの違和感と恐怖感を音響の中で効果的に用いて異彩を放っている。
それを考えるとこの作品の音響の使い方は上記2作を超える部分もあった。
全体的にキューブリック的な演出が目立ったように思える。冒頭とエンドロールは2001年だし、シャイニングのような演出もある。花がクローズアップされるシーンはスターゲートのようにシンボルだけを写し続けていた。
しかし、キューブリックの猿真似をしているわけではない。
剥製や煙、花といったシンボル、赤外線映像、上でも触れた音響それらの演出上でスパイスのような使い方をしているだけだ。
現代稀に見る良い演出が連続している作品だろう。
作品中盤以降では主人公と妻の異常性が少しづつ垣間見える。たとえば妻は機嫌が悪くなれば家政婦に辛く当たるし、主人公は買収を日常的にしているのだろう。また、馬を溺愛している割に妻言いにくいことは言わないし、機嫌を損ねられると逃げてほとんど慰めない。
人間としての不完全さが目立つ。
そんな環境で育った子供は家の立地もあってか、少しおかしい。
全体として一貫しているのが自然な環境音に紛れる異音とそこで暮らす狂った家族。そして昼夜関係なく煙を出し続ける収容所。
主人公はこうした違和感に疑問を持たない、そして殺人をしている自覚があるのかわからない演出になっている。
印象的なのが、初めは川で泳いでいたのに自分の行いで泳げなくなることに疑問も感じない主人公。異常者そのものでしょう。
恐らく主人公たちナチスは事務作業的に薪切るように殺し、薪を焚べるように焼却しています。それも24時間その上で出てくるのが収容所へ向かう汽車の煙と焼却炉の煙なんでしょうね。
ラストは観客を見つめる演出で終わる。
これはキラーズオブフラワームーンのラストを思わせる。
あの映画でも観客に間接的な罪の意識を植え付ける演出ではありましたが、この映画はどストレートにきますね。
同じ建物の中のドアの穴を主人公が見ると、現代のアウシュビッツが映る。そしてその中ではなんの感情もなく掃除をするおばさん。もちろんガラスの向こうには遺品。憎い演出です。
最後に撮影に関して、ちゃけ絞りがおかしいと思う時があったので残念。引きでパンフォーカスでとって欲しい時に謎に絞りむのは少しイラついた。まぁでもクオリティは高めの映像です。
色々書いてとっ散らかってますが、見る価値ありの映画です。
100人に見せたらそれぞれが違う感想を持つタイプの映画でしょう。
ある程度勝手に解釈していいタイプの映画だと思います。かなり解釈に余地がある。
そんな感じでキューブリックが肌に合う人は絶対に見た方がいい!
追記2回目の感想
実はたばこも煙だしてることに今さら気がつきました。なぜ夫婦でたばこを吸うのか?共犯者だからですよね。
パーティのシーンで鍵十字にタバコの煙がかかるシーンを見て感服してしまいなした。
あと火の付け方もポイントかもしれない。
ライターでタバコに火をつけるシーンは意図的に炎が写されていません。
一方会議のシーンでマッチで火をつけるシーンは明確に炎が描写されています。
これはすぐに消えて、燃えかすが残るからだと思う。ナチスの運命とかそんな感じですかね。BD出たら結論は出そう。
また、冒頭からナチス(主人公家族)が明かりを消すシーンはあります。でもつけるシーンは見当たらない。
これもナチスがもたらしたのを想起させます。
歌詞から考えると。この作品内で明かりを灯せる存在は、炉のなかで魂を燃やしたユダヤ人と正義の行いをしている少女だけなのでしょう。
ピアノのシーンで少女が直接太陽と一緒に写されるシーンがありますが、触接的な太陽の描写あのシーンだけなんですよね多分。
こういった違和感の連続がこの作品を作り上げているのだと改めて実感させられました。
面白かったかなー
道徳がなくなると、周りから人が離れていく
所長さんの奥様の母親が良かった。
見る前は自分の隣で悲惨な出来事が起きていても無関心であること
を描いている映画かと思っていたけど
所長の奥さんは、積極的な加害者側であったり利益を享受している人だと思った。
何が起きているかはっきり知っていて利益を享受している。
クラスでのいじめっ子グループ内で手は出さないけど利益は得る人のような。
ちょっと違うけど、
映画 沈黙を思い出してしまった。
あの映画では、拷問されている人達が出す音が
どうしようもない苦しみとして描かれていた。
実際にこんな状況で無関心でいられるんだろうか。
無関心領域のような状況下では、本当に無関心であることは難しいと思う。
家族のため生きるため民族のためとか正当化する理由を持って積極的に加害者側にまわるか、痛みを感じて逃げ出すか抵抗する側にまわるか選ばざるを得ないと思う。
無関心でいることの罪
物語はこれと言って大きな展開はなく、正直ドラマ的な面白さには欠ける作品である。しかし、この淡泊さが、かえってここで描かれている”コト”の残酷性を際立たせているような気がした。声高らかに訴えるのではなく、こういうやり方もあるのか…と目から鱗である。
ヘスたちは隣の強制収容所から聞こえてくるユダヤ人の悲鳴や、銃声、焼却炉から上がる黒い煙を見聞きしながら、いたって平然とした顔で優雅な日常を送っている。すでに感覚が麻痺しているのか?それとも無関心を装うことで正気を保とうとしているのか?全くもって不気味と言わざるを得ない異常なシチュエーションである。中盤でヘス夫人の母親が家を出て行ってしまったが、彼女はきっとこの異常な環境に耐えられなかったのだろう。普通はこうなるはずである。
これまでにホロコーストを題材にした映画は何本か観てきたが、これほどシュールで不気味な作品は観たことがない。以前観た「サウルの息子」もかなり斬新な作りの映画だったが、それ以来の”映画体験”だった。
そして、本作のヘス家を観ていると、無関心でいることの恐ろしさ、罪深さについても考えさせられた。
話は少し変わるが、目の前で起きた問題に対して見て見ぬふりをするという人は結構いるのではないだろうか。トラブルに巻き込まれたくない。きっと誰かが解決してくれるだろう。そんな他人任せの人は多いと思う。かく言う自分も臆病な人間なので、もしそんな状況に立たされたら自分には関係ないという顔をして、その場をそそくさと離れてしまいそうである。今作を観るとそんな我が身を省みてしまう。本当はそれではいけないのだ…と。
監督、脚本はジョナサン・グレイザー。元々MVを撮っていた人らしく、今作も映像が大変ユニークである。基本的には定点カメラよろしく複数のアングルの固定ショットで各シーンが構成されている。クローズアップや移動ショットといったカメラワークはほとんど見られず、被写体を観察するような視点が徹底されている。これが画面に冷ややかな印象をもたらしている。
ちなみに最も印象に残ったカットは終盤、ナチス高官が集うパーティー会場を俯瞰で捉えたショットである。そこにヘスと妻の電話越しの会話が被さるのだが、その内容が実に皮肉に満ちている。終始換喩的な表現が横溢する作品だが、ここだけはナチスに対するグレイザー監督の憤りのようなものがダイレクトに出ているな気がした。
また、音響も本作の大きな特徴である。収容所の中で行われる虐殺は全て音だけで表現されており、映像では一切見せていない。これは観客にヘス家と同じ状況を疑似体験させようという演出意図だろう。観客の想像に委ねる一連の音響設計は見事であった。
一方、よく理解できないシーンもあった。
一つは、突然出てくるサーモグラフィーで撮影されたようなシーンである。この物語上、これは一体何を意味していたのだろうか?レジスタンス活動のように見えたのだが、ヘス家のドラマとは全く繋がりがない上に、映像に被さるヘンゼルとグレーテルの御伽噺も意味不明だった。
もう一つは、終盤にインサートされる”あるシーン”である。確かに言いたいことは理解できるのだが、本作=寓話として割り切ったとしても余りにも不自然である。
映像を聴いているかのような
観ているというよりは、聴かされていると思うほど音の使い方が場面により、とても突き刺さる。
CMや前評判だけで行くよりも、アウシュビッツ、ホロコースト、ヒトラー、ユダヤ人の当時何があったのかを少しでも入れてから行くといいと思います。そこで一つ…ユダヤ人を目の敵にして、あれだけのことをしたヒトラーもドイツ人ではありません…
大義が正義になってしまうのは恐ろしい。
情報が噂話だった当時だからこそ起こった、とてつもなく大きな詐欺事件だと思います。
おばあちゃんや子供たちを除いた、大人たちの判断基準がおかしくなっている様子に気が付くと映画を見ている途中で印象がガラリと変わりました。見ているだけなのに、これでいいのか?と問われているような…
音に特徴がある映画ですので、配信待ってヘッドフォンもいいかもしれないですね。
映画館で、Bluetooth使えないかなぁ
ヘッドフォンの貸出とかやらないかなぁ
とか、次のサービスを考えてしまいました(笑)
映画館に足を運ぶ機会を増やすため、自宅で配信オンリーの人を巻き込むためにも、いいんじゃないかなぁと希望をこめて。
う〜ん趣味じゃない...
観たことは後悔していない
面白いかというとうーん。
オススメするには責任持てない。
ただすごく興味深い映画ではある。
想像力を掻き立てられ、ずっと心がザワザワ。
あの状況下で大人はともかく、子供もフツーに生活できてるのが全く理解できないし、あそこに残りたいなど、狂気の沙汰。
収容所と親衛隊の自宅という状況で、トラウマ映画の代表格『縞模様のパジャマの少年』を思い出してしまう。
ルドルフのバストショットに煙と悲鳴。あそこに子供の声を使うことで、いかに残酷な所業だったかが窺える。
不穏な気持ちのまま、中盤すぎにアイヒマンの名前。ヤツはいつも忘れた頃に『アイヒマン・ショー』のブルドーザーを思い出させる。
『ヒトラー暗殺、13分の誤算』でヒトラー暗殺を企てた男が、今度は親衛隊、なんだか変な気分。
ザンドラ・ヒュラーは『落下の解剖学』『関心領域』と、怪作に連続主演とはなかなか持ってる。
ラストの階段シーンは雰囲気が良くて好きだけど、エンドクレジットの悲鳴をサンプリングしたような音楽がうすら寒くて嫌い。
あと白黒反転のネガみたいな映像は気持ち悪くて嫌い。
戦争は
ネイバー
こんなところに住めてラッキーね!
え?そんなこと言うの?
ラッキー?
う〜わ〜
倫理観
お隣さんがどんな施設かわかっていて住んでいる幸せな家族。
ピクニック、川遊び、絵本の読み聞かせ。
爆発、銃音、悲痛な叫び声は環境音。
妻の自慢のガーデニング。
壁を覆うように蔦植物を生やしてるの。なんだと?!
花々のアップと叫び声、突然の数秒の赤。
目の中まで洗われる子供達、歯で遊んだり、燃える炉に入れる絵本、何かと不安定な子供、使用人に当たり散らす妻、耐えきれなくなってそっと消える祖母。
予告ではもう少しわかりやすい表現があると思っていたが、考察がいるなぁ。
意地でもアウシュビッツの隣の楽園に住み続けたいとキレる妻。
アウシュビッツを含め、全てが狂った場所
エンドロールがかなりキツかった。
ソフィーの選択?
となりはアウシュビッツです、ということを知らないままこの映画をみて...
塀の向こう
楽しそうに笑う彼らを許せない。
どうかこの罰当たりな人達に破滅が訪れますように。
楽しそうに笑う彼らを許せない。
上映中に私が考えていたのはこんなことばかりでした。
皆さんどんな感想を書かれておられるのかと気になって見てみたら、やはりと言うべきか冷静な論評ばかりで、いやはやさすがと感心しきり。
彼らが何の変哲もない普通のドイツ人であったことにこそ脅威を感じるべきなのでしょう。また、いかにも日本人が陥りそうなリスクなだけに、深刻に受け止める必要が大いにあると感じます。
この映画から受け取ったものに満足していますが、イスラエルを擁護する人達は放っておいても高いレーティングを付けるでしょうから、バランスを取るために敢えて低めに設定します。
ちなみにヒトラーがオーストリア人だったことをオール讀物のコラムで最近知り驚きました。
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