関心領域のレビュー・感想・評価
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完璧に「観る側の感性次第」な映画。 興味がある人は映画館で観ること...
完璧に「観る側の感性次第」な映画。
興味がある人は映画館で観ることをおすすめする、あの音響は家庭では再現出来ない気がします。
怖い、怖すぎる、、、
とても怖い作品でした。
とにかく怖かった。
そして最後の幕引きには戦慄が走りました。
二度と見たくは無い、でもこの恐ろしさは忘れてはならない。
鈍感であってはいけない。
多くの人に長く見続けられて欲しい作品だと思います。
怖い映画を観てしまった
顔のアップが無く、感情が感じられず、たんたんと進んでいく。時々聞こえる銃声や叫び声が怖い。しかし、そんな音を聞いても普通に生活している怖い家族の物語。ウクライナやガザのニュース映像を観ても普通で居られる自分が一番怖い!
微かに、そして確かに聞こえる音の恐怖
覚悟して観たけど、やっぱり重かった関心領域。知らないことも多いから、ちゃんと知りたいという思いもある。でも、本当にそこに時間を割く?割かないような気がする。ネット社会になって距離の壁はなくなってきているはずなのに、自分は距離を言い訳にして今日も無関心領域でぬくぬくと生きる(Xへの投稿コピペ)
アカデミー賞で音響賞を獲ったことにすごーく納得
モキュメンタリーっぽさ
制作ロゴ、タイトルの後、画面は暗転、重苦しい音楽と共に約2分間真っ暗な画面を見せられ、一転して長閑な明るい風景。
ミニシアター系でやりそうな映画をTCXで鑑賞した。音がポイントの映画だから、それは良かった。
淡々とした日常の暮らしを見せられる。平和な、幸せな一家の日常。でも良く見ると、良く聴くと異常なことに気が付く。まるでモキュメンタリー。
家族は、家政婦の存在に気付いてないのかと思った。でもそんなことなかった。
終盤になると異常さに拍車が掛かる。レジスタンス?の少女の行動、ユダヤ人の記録、展示館となった収容所の現在。ユダヤ人が受けてきた迫害を知れというメッセージか?だからといっていまのイスラエルの行動を許せるか?
いまだから「アウシュビッツ」は忌避するけど、当時はまだただの地名。そこに暮らしを築いたら離れがたい日常になるだろう。そう、「フクシマ」も同じ。
「オッペンハイマー」に続いて怖い映画だった。
不穏さをたたえる映像以上に、「音」の恐ろしさが際立つ一作
ホロコーストを描いた映画としては、『SHOAH ショア』(1985)や『シンドラーのリスト』(1993)、『サウルの息子』(2015)など膨大な作品が存在しますが、本作はアウシュビッツ(=ビルケナウ)強制収容所に隣接した邸宅を舞台にしていながら、収容所で何が起きているのか、直接描写していない点が大きな特徴です(周囲の状況をはっきり見せない、という点で『サウルの息子』と共通する作劇法とは言えます)。
収容所内で起きていることからあえて目を逸らして、平穏な日常を享受しようとする収容所所長家族ですが、もちろん視界に入れなければ事態に触れなくて済む、というものではなく、遠くからは絶えず不穏な物音や悲鳴のような声が聞こえてきます。そしてさらに、映像では伝わってきませんが「臭い」も。
作中でたびたび清掃をする場面が登場するのですが、それはこの、臭いの存在を観客に伝えるための表現ではないかと思いました。
『落下の解剖学』でも謎めいた人物を演じたザンドラ・ヒューラーが本作でも収容所所長の妻、ヘートヴィヒ・ヘスを演じていますが、本作の何が恐ろしいかって、自分たちが何をしているのか知りながら、そこから得られる利益を当然の権利のように受け取っている姿です。その本性が現れる後半のあるセリフは背筋が凍り付くほど。
ホロコーストだけでなく、今現在も生じている重大な問題から目をそらして平穏な日常を維持しようとする我々すべてに、もう一度自分自身を見直せ、と迫ってくる本作。鑑賞には予想以上の覚悟が必要でした……。
ずっと不協和音を聴いているような、なんとも言えない不安感、常に漂う...
ずっと不協和音を聴いているような、なんとも言えない不安感、常に漂う不穏な空気。キューブリックやウェス・アンダーソンも思い出させるような、完璧な構図の定点カメラが映し出す美しく家庭的な日常と、鳴り止むことのない凄惨な雑音との違和感。贅沢な暮らしに溶け込む収容者たちの遺品。本当に恐ろしい。アカデミー賞国際長編映画賞と音響賞、カンヌ映画祭グランプリを受賞。
死角
人間の五感は優れていると言いますが、私たちが関心をもって見ているものはかなり限られているんだろうな、と改めて考えさせられました。
ましてカメラを通して記録された歴史的記録映像、ドキュメンタリーから見て取れるものはごく一部なんでしょうね。
登場する家族も、家の隣で起きていることばかりか、家のなかのことも無関係であるかのように見えました。そこも、モデルになった実在の家族も実際は、隣で起きていたことをもう少し気にしていた可能性もあるよな、と期待してみたくもなりました(目や耳は塞げても匂いは避けられなかった気がしますし)。
関心すら寄せられていないもの、関心を持っていながら目を向けられていないものも多いですが、見えているのに無関心というのが危ういものをもたらすんだと実感させられました。
とはいえ、リンゴを配ってみるような想像力や行動力を持つことは難しいですね。
音だけでなく臭いも感じる
映像の背後に絶え間なく聞こえる音。画面に写っていることより、音で察せられる画面に写っていないことの方に気持ちが向いてしまう。これは確かに、拡張された映画体験と言えるものだろう。
ドキュメンタリー調とも違う、自然でありながら無機質で表層的な映像は、無数の隠しカメラで撮った断片を繋ぎ合わせたものとのこと。登場人物たちの感情を読み取ることが難しい。
壁の向こうから立ち上る煙や、闇の中の炎を見ていると、音と相まって臭いも迫ってくるように感じられて、気分は悪くなってくる。
直訳のタイトルが深い。制作時には意識していなかっただろうが、今は期せずして、パレスチナの現況を思い起こさずにはいられない。
最も映画的と言えるのが、ヘンゼルとグレーテルの読み聞かせでの反転映像の少女のシーンだが、観ているときは意味がわからなかった。後で公式サイトで確認して理解はできたが、効果を上げていたとは言いづらい。
エンドロールの不協和音のような音楽もあり、後味は悪い。映画館を出たあと、目に入る街の灯りが不穏なものに見えた。
アクトオブキリングを思い出した
命令されてやると罪悪感が薄くなるって、自分もやってしまいそうで本当に本当に怖い。
観たあとも怖くてエンドロールの音楽が夢に出そう。
最後のえづきはアクトオブキリングを思い出した(同じくらい怖かった)
抽象化しすぎてないだろうか?
『関心領域』(原題:The Zone of Interest)。
マーティン・エイミス原作、ジョナサン・グレイザー脚本・監督の米・英・ポーランド共同製作。
2023(日本は2024)年公開。
アカデミー賞国際長編映画賞、音響賞。
冒頭、タイトルバックに不穏な音(音楽?)が鳴り始めスクリーンが体感3分ほどブラックアウトする。
テレビなら放送事故だ(笑)。
その後、川のほとりに楽しむ家族のシーンに切り替わる。
アウシュビッツ強制収容所に隣接した豪邸に住むルドルフ・ヘス一家の日常を描く。
※Wikipediaでは、副総統のヘスと区別するため
「ルドルフ・フェルディナント・ヘス」で表記されている。
ほとんどすべての挿話が、
◆婉曲表現
◆暗示や暗喩
で構成されていて、スッキリとは入ってこない。
人類の歴史に残る愚行は、
具体的に描写できるようなスケールでないことは理解しているつもりだが、ここまで抽象化されると、
もう「前衛芸術」のように感じてしまう。
確かに、本作はアートだろう。
だが、狂気の表現としては
『ヒトラーのための虐殺会議』
には及ばないと感じてしまった。
ヘスの妻ヘートヴィヒ役のザンドラ・ヒュラーの演技には脱帽しつつ、☆2.5
前知識が必要
学生時代のどこかで習ったんだろうけど、勉強しなかったので、新たに前知識として、予習しました。
アウシュビッツ強制収容所で罪なく亡くなったのが、110万人と言われてるが、110万人って??
わたしは広島人なので、原爆で亡くなった人は15万人ぐらいらしい。
110万人とは、現在の広島市の人口に等しい。
と、思うと…
そのアウシュビッツ強制収容所の司令官が、塀の外のすぐ隣で悠々自適に暮らしてる様を描く。
収容所の残虐なシーンは一切出てこないが、セリフが心ない言葉で残虐だったり、何より音楽がとても恐い❗
今から規模が大きくなり、効率良く大量虐殺が行われるんだろう所で終わる。
現代の観光になってる、アウシュビッツ強制収容所のシーンもあるので、是非 YouTubeとかで、予習して見て欲しい。
個人的には、パーフェクトデイズ推しだったけど、世界的にはそうだな。。
納得の、アカデミー外国作品賞である。
装う無関心の闇深さ
アウシュヴィッツ収容所長の妻を中心に描かれる何気ない幸せそうな一家の日常でした。淡々とした映像でしたが一方訴えるような音響効果(音)が印象的です。収容所からは間断なくほとんど上映中を通しておぞましい音が聴こえてきます。とあることで怒った所長の妻が家政婦に発した「あなたも焼かれて灰になるのよ」の言葉が私欲の為に敢えて本質をとらえず無知無関心を装ってるようでした。ただ一緒に住むために来た妻の母親が収容所からの音に耐えきれず夜逃げ同然に出ていった姿に僅かばかりの良心を感じました。不都合なこと不利益なことにも本質を知ることが必要かと。結末には触れず一人一人に考えてもらうことがテーマかなと思いました。
関心
ちょっと見る側の知識と想像力に委ねられまくってて「これわかんない奴ヤバいよ?」という圧しか感じられない映画だった。
本当に心の底からこの映画面白いと思ってる人いるんかと。
印象的なのは綺麗なお花とエンディングのキモい曲のみ。
確かに、今の世界情勢の関心無関心をミクロ的に表現しているというのはそうなんだろうけど。
本当に淡々と、家族の日常が流れていきます。私は、映像そのものよりも...
本当に淡々と、家族の日常が流れていきます。私は、映像そのものよりも、そこに漂っているだろう「臭い」を想像して気持ち悪く感じました。だって、隣では・・・・。賛否両論の音については、わざとらしく、かつ映画の流れを分断させているだけの印象であまり好きではありません。
観る人を試す映画
まず、ドラマの基本構造の起承転結に従っていないので、監督が伝えたいことが分かりやすくダイレクトに表現されていない。延々と続く小エピソードの果てにエンドロールが出てくるので観る側が意識しないと伝えたいことがわからないのでないだろうか。また、登場人物のアップ映像が少ないので各シーンで何を思っているのかが伝わりづらく、観る側の想像に委ねられている。さらには、説明的シーンが削ぎ落とされているので、各シーンが何を表しているのかは事前の知識がないと把握しにくい。
この映画の一家の主人はルドルフ・ヘスなのだが、私はエンドロールが出るまでわからなかった。映画の前半に夫を部下の兵士が「司令官」と呼称している段階で気がつくべきだったが不肖にも知識不足で気がつかないまま、終わりを迎えてしまった。もし、このことに気付いていれば各エピソードの捉え方は相当に違っていたような気がする。
その意味で、私にとってアウシュビッツは関心領域外だという事実を突きつけられた。この映画はこんな感覚を持たせる映画ではないだろうか。
なお、この映画の紹介に「アウシュビッツの隣に住んでいるにも関わらず壁の向こう側に関心を持たない家族」という文脈が使われることがあるが、この一家がルドルフ・ヘスである事実を踏まえるとそういうぬるい表現ではすまされないかもしれない。彼が何を行い、研究者によってどう評価されているのかを踏まえたときヘスの夫人を単なる無関心者としてとらえていいのかどうか改めて考えたほうがいいのではないだろうか。
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