関心領域のレビュー・感想・評価
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聴覚を刺激し、想像力を掻き立てる
この映画にストーリーはほぼ無い。
何気ない家族の日常を描いており、時たま家族内のいざこざが描かれているが、壁の向こうで起きていることを常に想像させられているので、家族内の出来事があまりにもどうでもいいことにしか映らない。次第に家庭内の雰囲気がヒリヒリしていくように感じるが、それが壁の向こうで起きていることに影響されているとは思えない。
かなり豪勢で贅沢な日常生活を送っている彼らと、テレビの向こうで起きている戦争を見ながら「ああ、大変だね」と呟いている我々にさほど大差はない気がする。
無関心は罪である、と改めて認識させられる。
遠くの銃声は軽い音に聞こえる
眠くなる
ちゃんとした映像作品だった、、
ひさしぶりの金返せ
全く新しい視点で描くホロコースト
人民を大量虐殺して自国を欲しいままにしていた為政者はスターリンやポル・ポト等もいたが、ユダヤ人という人種・民族をターゲットに集団的殺害(ホロコースト)を行い、さらに障がい者や同性愛者までも排除したヒトラーは鬼畜の度合いが比類なく高いと言える。
そして、そのヒトラーを熱狂的に支持し崇拝し、その思想に洗脳されていた当時のほとんどのドイツ人はヒトラーが示した考えなのだから(自分はユダヤ人でなくドイツ人なのだし)、ユダヤ人がどうなろうと知ったことはない(何処かに連れ去られ強制労働又は虐殺されようと)。のだったと思う。
だとしても、アウシュビッツ内の施設で虐殺するユダヤ人をいかに効率的に焼却するかを業者や部下と話し合う司令官のヘスも、壁の向こうが施設であろうとも自らが作りあげた理想の家に執着しヘスを単身赴任させるヘスの妻(ザンドラ・ヒュラー、落下の解剖学に続きさすがの演技)も、無邪気に遊ぶ子供たち(全く何も知らない訳ないだろうに)も、やっぱり皆んな、ダメだよー神経がおかしくなっているよ!突然家から立ち去った母親のみがまともな神経なんだよ〜
戦後、日本と同じ敗戦国ながら、ベルリンの壁崩壊を経て急速に復興しGDPも3位になったドイツ。ナチスがヒトラーがどれだけの間違いを犯したのかを発信し続けるなか、このような視点で新たな映像を提供してくれた。
明らかに日本より反省度合いは高いし、映像文化の水準も高い。見習うべきである、。
戦争が当たり前の時代に生まれていたとしたら…
靴の上から足を掻く
無関心を超越している無感覚な人間達が恐ろしい
作り手が見る者に挑んでくるきわめて挑戦的な映画である。冒頭真っ黒な画面と音が約二分間続く。まるで見る者を暗黒面に誘うようにだ。ユダヤ人が毒ガスで殺されるアウシュビッツ収容所の壁一枚隔てて瀟洒な豪邸でアウシュビッツ収容所の所長家族が暮らしている。
その家には死にゆくあるいは死んだユダヤ人の衣服や食料が持ち込まれ、衣服を身体に纏い豪華な食事を楽しんでいる。このシーンを見ているだけで何か得体の知れない身の毛がよだつ感覚に襲われ恐怖すら感じた。
その要因の一つ目は、ユダヤ人を「人間」と思っていなことだ。軍人たちはユダヤ人を「荷」と呼ぶし主婦達はユダヤ人は抹殺されて当然な民族と思っていることだ。家族や仲間は、完全にナチスのユダヤ人排斥のプロパガンダに骨の髄まで染み込んでいることだ。
要因の二つ目は、ユダヤ人を一切映さない撮影技法だ。映像にはしないが、この家はアウシュビッツ収容所のすぐ隣である。ユダヤ人の叫び声やパンパンと響く銃声が聞こえているはずだ。加えて隣では、人間を焼却して炎が見えるし映画では感じられないがかなりの臭いもするはずだ。しかしここで暮らす家族は何も感じていない。もはや無感覚に
なっているのだ。無関心を超越した無感覚さが恐ろしいのだ。
映像であえて映さない毒ガス室に送られユダヤ人の恐怖や落胆、死を見る者は想像する。それは、映画中盤に画面を真っ赤にしたことによって血流の断絶を想起させるからだ。たった壁一枚隔てて死にゆく者と豪華な生活を送る者の対極を作り手は見せつける。広い庭、温室、色とりどりの花々、滑り台付きのプール、豪華なベッド、部屋の内装を自慢する妻の感覚が恐ろしい。「自分がどこに住んでいるのか」を気にしない無感覚が恐ろしいのだ。
幼い娘が見る夢、モノクロで暗いトーンである。それが一瞬カラーに変わるのは何故か。ピアノを弾き歌うのは誰なのか。ラストシーンも再度真っ黒な画面で覆い重低音の腹の底に響く音楽が流れる。作り手は見る者に挑んでいるのだ。「この家族の未来はわかっているな」と。
#13 理想の棲家は
アウシュビッツは収容されている人たちにとっては地獄のような場所でも、司令官の妻からすれば理想の夢のような棲家だったんだ。
関心領域というか、私には中で起きていることに全く興味がない家族は無関心領域に生きてるようにみえた。
あのリンゴを夜中に運ぶ少女と妻の母が突然家を出て行った理由がわからなかった。
置き手紙には何が書いてあったんだろう?
計算された設定、ラストが見事
ある一時点のための105分。
舞台がアウシュビッツ、ナチスドイツのユダヤ人強制収容所が舞台とあれば、かなり重い映画化かも…と覚悟を決めて観に行った。
延々と、ドイツ家庭のホームドラマを観せられる。
人間の情報収集は、視覚が8割だそうで、「まあ、ドイツ人の看守も、自宅に帰ればただの人なんだな…」と半ば退屈しながら、ぼんやりと観ていた。
何度か、違和感を感じた。
何だろうと自分の中を探ると、それは、音だった。
聴覚からの情報を認識し、その音の出所を理解する。
そして、「関心領域」というタイトルと結びついた瞬間。
ぞわりと鳥肌が立つ。
…そうか、この映画は、この一瞬のための作品なのだ。
分かりやすいホラーより、よほど怖いわ。
仕事なら、ガス室の作動ボタンを押すことも、ルーティンになるのだろうか。
帰り道、そんなことを自問した。
ドイツ人の看守にとって、アウシュビッツ収容所にいるユダヤ人は、生身の人間ではなかったのかもしれない。
単なるモノのように扱い、ただ処理していたのかもしれない。
30年ほど前に、ひとりでドイツ・ミュンヘン郊外のユダヤ人強制収容所を見学した。
人体実験などのいくつかのパネル写真をクリアに思い出し、人間の多面性に改めて身震いした。
灰にして撒いてやる
公開から日が経っていたが、まだ自分の関心領域にあったのでやっとこさ鑑賞。鳥の声などが聞こえるだけのオープニングタイトルのブラックアウトから音に興味をひかせる演出と、フィックスを多用した監視カメラっぽい、のぞき見ふうな映像が特徴的。
アウシュビッツ収容所と隣合わせの生活で、娘は毎夜寝付けない、母親はいたたまれず帰る、ナチ高官の夫でさえ嘔くほどに調子が悪くなったりするというのに、猫背気味にのしのし歩く近ごろ大人気のザンドラ・ヒュラー、自分の幸せな暮らしにしか興味のない、その恐るべき無関心BBAっぷりに震えた。最終盤の夥しい数の靴を見せられるとアウシュビッツを訪問しなければならない気分になるし、マルティン・ニーメラーの詩も頭に浮かんでくる。
赤々と燃える空や黒くたなびく煙突の煙、銃声や人の叫び声、エンドロールも気持ちを不安にさせる音楽が流れ、常に不穏さが伝わってくるものの、惜しむらくは映画では「におい」が感じられないこと。100万人を焼き殺した臭気が漂ってきたらリバースせずにはいられないと思う…。
自分の関心領域
自分は直接手を下していないから当事者では無いと思ってしまうが、この映画はそれを否定する。
映画内では収容所の隣に住む家族は、発砲音や人々の悲鳴、怒号をまるでBGMかのように聞き流している。
聞き流しながらも、1番下の男の子が収容所から聞こえてくるセリフを発する辺り、頭の中では流し聞きしていたBGMが記憶されてしまい、教育に問題が生じているとも考えられる。
まるでそれらを当たり前のようにしているのが洗脳の結果であり、1度当たり前を脱したルドルフはその異常さに気づいて吐いたのでは無いのだろうか。
収容所を保存した現代の博物館が映し出され、その後ルドルフと私たちが目が合った時、ルドルフと私たちが壁を越えて繋がってしまった瞬間なのではないだろうか。
ルドルフが私たちを見つめた時、この映画を見ている私達もまた当事者であるということを示唆しているように見える。過去だからと見逃すことは出来ない。
これは子孫に責任を転換しているのではなく、また同じような事象が現れた時のための映画なのではないだろうか。
不快感ばかり
ユダヤ人への残虐行為が行われている場所から塀一枚のこちら側、優雅な生活を送っている家族の日常をただただ見せられます。しかも銃声や叫び声がBGM。
隣で行われていることに無関心でいれば自分達の生活は守られる、この家族にも不快感だしBGMも常に不快。
でも目を逸らせないんです。
自分もきっと、この時代でこの状況なら同じように生きていたかもしれません。(でも夫の地位や権力を自分の物だと勘違いしている奥様は1番嫌い!)
戦争は人の心をなくしちゃう、だから理不尽な事を平然とやってのける、最近のニュースにまで思いを馳せて、途中から何が正義なのか分からなくなりました。
ところで、ずっーと泣いている末っ子の赤ちゃん、夢遊病みたいに廊下にいる娘、不穏な空気から何かを感じとってるのか?敗戦国となった彼らのその後も気になります。
そういえば、エンドロールが怖かったです。しばらく耳にハウリングのように残ってました。
これはつまらない
関心領域は何ですか
妻に誘われ久しぶりに映画館に足を運びましたがアカデミー賞候補になったので題名は知ってはいたものの訳のわからない映画を見て寝てしまうんだろうなと思ってました
予想通り始まった途端に何もない画面に訳のわからない音だけ、やっぱり訳のわからない映画だと思いながら数分後に鳥のさえずりがら川で遊ぶ家族の場面、そして家に帰宅するどこにでもある昔の風景
それからは他の方のレビューにある様なストーリーで、なんと最後まで眠ることはなく見続け、理解できることは少なかったものの目をしかめながらのエンディングロールでした。
しかし各場面を思い返してみると、自分の関心事以外は気にならない、それどころか自分の関心事を保つためには他のことはどうでもいいという人間の性とも言えるべき事を思い知らされるものであったんだなと感じたのです。
戦争という大事でなくても、人が死ぬということについては自分が関心ある人以外はニュースで報じられてもあまり気にならないものですよね。ましてや自分の生活に直接関係のない、例えば世の中を良くすることなんかにはほとんどの人が無関心であり気にもならないことなのでしょう。
ナチスドイツがしたこととは比較にはならないものの、今の世の中、特に政治で起きていることは酷いものです。
それはどれもこれも全て国民と言われる人の関心領域ではないので起きている、起き続けているのだと再認識しました。それはまさに投票率に表れているし、理不尽さがあってもなんの社会的制裁も受けない、誰かたちを見ればわかります。
1人の大人として自分が生きている社会に起こっていること何にでも関心を持つこと、怒ること、それについて意見を持つことの大切さをしみじみと思いました。
もう人生も終盤になってきた私ですが今一度、関心領域を広げてみようと思いました。
私にとっては政治は関心領域なのですけれどね。
あなたも是非政治を関心領域にして下さい。
最後に誘ってくれた妻に感謝です。
どうしてこんなにヒットしてるの?
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