関心領域のレビュー・感想・評価
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好きにはなれませんが、すごい作品だと思います
音がとにかく不穏であり、虐殺の場面は一切描かずに恐ろしさを表現していることに、感服しました。
映画館で見ることにより、身に迫る恐怖を感るので、劇場での鑑賞を強くおすすめしたいです。
決して楽しい気持ちにはなれませんし、好きにもなれませんが、いい作品でした。
そして、厳しい現実であっても知ることが大切だと感じました。
壁1枚挟んでっていうのは流石にないと思うけど
真っ暗な画像と不穏な音響から始まりただならぬ雰囲気を感じさせつつ、家族の楽しそうなレジャーの映像が映り、ああこの映画は終始こんな感じで話が進んで行くんだなと思わせる。
田舎での子育てや生活しやすそうな環境に大満足の奥さんは塀の向こうでは日がな銃声や叫び声がうっすらと聞こえるが、赤ちゃんや犬の鳴き声と同じくらいにしか感じていない。
大規模な焼却が始まり(義理の?)母親は耐えられなくなり家を出るが、塀の向こうで起こっている事への関心がなく、旦那の浮気にも気づかない鈍感力が際立ち、家政婦に悪態をつくこの滑稽な奥さんの姿を観客にはナ◯ス幹部の家族の象徴の様に思わせる製作側のやり口には嫌悪感しかなかった。
近年のエンタメに昇華させないドイツの過去の所業を題材にした映画は話題性や賞狙いとしか感じられず、個人的には大の苦手なので評価は遠慮させていただく。
※個人の見解ですごめんなさい。
不協和音
より酷くなる直前までを聴く
「音」がすごい
観るより「音」で感じる作品
途中途中何も映らなくてただ居心地悪い音だけの時間、この作品にすごく効果的だったと思います
この居心地悪い音が終始続きます
塀の向こう側の様子を観る事はなく、ひたすら音で感じる塀の向こう側
だけど塀のこちら側で暮らす人達はごく普通
それどころか「理想の家」という主人公の妻
広い庭に咲き乱れるきれいなお花、野菜も植え、プールまであって、確かに理想の家だけど、あそこまで無関心になれるのか
川のせせらぎや鳥のさえずりなどの心地良い音と地鳴りのような「塀の向こう側」を感じさせる居心地悪い音
音をこんなに効果的に使った作品はこれが一番かもと思いました
エンドクレジットに流れる音楽もとっても居心地悪くて、早く終われーっとずっと思ってました
作品としては良いものだと思うけど、私には合わなかったので☆2です
『過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる』
淡々としてて苦手だが考えさせられる
毎年何本も作られるナチス映画。あの手この手で作る制作側のアイデアにいつも驚かされるが、本作も結構な衝撃だった。アウシュヴィッツ強制収容所の外側で幸せに暮らすナチスの家族を描いた物語。
壁の向こうで行われていたユダヤ人の虐殺は全く描かれない。あくまで収容所の所長家族の日々を淡々と描く。収容所の中で何が行われているのかは、壁の上から見える煙や聞こえてくる声と音でしか感じることができない。このおぞましさ。壁で隔たれた向こう側で何が行われているのかを想像したらあんなに幸せそうに生活はできない(個人的にはそう思う)。あの家族は収容所のことを知らないでいるのかと思っていたが、ちゃんと理解していることが後半示される。夫の権力を傘に怒鳴り散らす妻の態度もかなりおぞましかった。ちゃんと知ってんのか。そりゃそうだろうけど。気持ち悪い。
それなりに小さな出来事は起こるし、夫婦のお互いの不貞を匂わせるシーンもあったり(夫のはほぼ決定的だけど)。他にも些細なことであの環境の異常性がわかるシーンもあった。そう、スクリーンからは伝わらない匂いの問題だ。だからこそあそこにとどまりたいと考えることの異常性が際立つんだよな。また収容所の所長として、いかにユダヤ人を「効率的に」殺して灰にしていくのかを検討するシーンも印象的だった。「ヒトラーのための虐殺会議」に通じるビジネス感覚だ。
でも、全体に映画としてどうだったかというと微妙な感想になってしまう。淡々すぎるから。個人的にはあまり得意ではない部類の映画ってこと。リアリティ・ショーを見せられている気分になる。事実に基づくとこういう描き方になるのも仕方ないか。面白かったとは言えないが、かなり考えさせられた映画だった。点数は本来2くらいだが、考えさせられた点を踏まえて3にしておく。
私の関心領域からも外れていたかも。
回数を重ねて何度も観たら印象変わるのかな?初見では『ま、そーなるよね』としか思えなかった。)
人間の適応能力って凄まじいから、自己防衛本能が働いて実際にアノ場所に住んでいたら自然と耳に届く音届かない音が取捨選択されて普通の暮らしを送っていてもなんら不思議ではない。平たく言うと『いちいちあちら側の音に心を痛めていたら自分の身が持たない』。だからぽっと出のお母さんはアジャスト機能がまだ上手く働かず、荷物まとめて退散しちゃったのね。それもまた納得。
大人の都合であの場所で生活することを余儀なくされる子供達は善とか悪とか素養を身に付けている過程でのあの特異な環境はダメだろーなー。全部スポンジのように吸収しちゃうもん。
脳みその自己防衛本能の働きにより『関心領域』が変わるというか閾値が高まることで、第三者から見ていたら違和感を感じるような光景でも、当人にしてみたらただの日常。そう考えたらただの日常風景をひたすら観させられていたこの映画に対して『ま、そーなるよね』しか感じられなかった私は何かが壊れ始めたのかな……。
以下、箇条書き
●ザンドラさん演じるヘートヴィヒに夫が転勤を打ち明けた時の妻のアタオカ行動がヤバし。
●最初と最後の音の重なり合いが印象的。あの音のどの部分を脳が取り込むのかは人によって聞こえ方が違うはず。それこそ『関心領域』によるんだろーなー。
※当たり前のことですが、ホロコーストを容認しているわけでは決してないです。
※結構静かに展開されるので食べ物食べる音には注意が必要な映画。
時代の狂気が認知を歪めたのか、認知を歪めないと正気を保てないのか?
リンゴに隠された真実
ユダヤ系英国人である監督ジョナサン・グレイザーは、本作によるオスカー受賞スピーチの中でこう語った。「過去において誰が何をしたかではなく、むしろ私たちが今何をしているかに目を向けようという意図でこの映画を作りました。。人間性の喪失が最悪の事態に陥るものであること、それがこの映画を通して私たちが描こうとしたものです。ユダヤ人であること、そしてホロコーストの体験は、ハイジャックされてしまいました、多くの罪のない人々を巻き込む紛争を引き起こした占領によって。私たちは、今、それに反論するユダヤ人としてここに立っています。イスラエルでの10月7日の犠牲者であれ、進行中のガザ攻撃の犠牲者であれ、彼らはすべて、この人間性喪失の犠牲者です。私たちは、どうそれに向き合えばよいのでしょうか」
アカデミーのユダヤ人関係者から“反ユダヤ主義”との大批判を受けたらしいのである。アウシュヴィッツ収容所の司令官としてユダヤ人110万人を死に追いやった実在の人物ルドルフ・ヘスの家族が主人公。注目のドイツ人女優ザンドラ・ヒュラーはヘスの奥さん役で登場している。高い壁を隔てたお屋敷でなに不自由ない生活を送っているが、お隣の収容所からはユダヤ人たちの阿鼻叫喚が聞こえてくるし、収容者を毎日収容所に運んでくる汽車ぽっぽの煙だけが印象的に映し出されている。
リアリティ番組の隠しカメラを意識したというフレームワーク、収容者のために作業場にこっそりリンゴを埋めてあげる善行少女のシークエンスだけがなぜかネガ(白黒反転のモノクロ画像)で撮られている。ミカ・レヴィが担当したインストルメンタルも観客の不安をかきたてるには十分な効果を発揮しているが、何かが物足りない。実はナチス親衛隊だったギュンター・グラス原作の『ブリキの太鼓』に捧げられたオマージュも、あなたのハートにはさほど刺さらないであろう。
ガザや🇺🇦における民族紛争の影に隠れた“資源争奪”の真相を、グレイザーは多分ご存知なのだろう。知っていながらハッキリと突っ込んではいないもどかしさを、思わず感じてしまう1本なのだ。🇷🇺の🇺🇦侵攻の原因も、元はといえば🇩🇪と🇷🇺を直接海底でつなげたノードストローム2建設により、天然ガス利権から外された🇺🇦の逆恨みといわれている。そしてその🇷🇺の🇺🇦侵攻により、突如としてガザ近海における天然ガス油田開発封鎖を解いた🇮🇱の利権参入狙いの真実を、グレイザーは知っていながら敢えてネガで映し出した“リンゴ”の中に隠したのではないだろうか。
2つとも、環境への影響が少ない天然ガスを是が非でも欲しい🇩🇪やEUのために、どこの国がその利権に絡むのかをめぐって起きた戦争になのである。因みに先日ヘリ墜落によって大統領が亡くなった🇮🇷にも天然ガスが豊富に埋蔵されていることを、この機会に皆さん頭にいれておいた方がよいだろう。要するに、現代における戦争はすべて巨大マネーを生む資源争奪によって起こっているのであり、民族的対立はその隠れ蓑に利用される場合がほとんどなのである。
あえてグレイザーは、本作においてナチス親衛隊によるユダヤ人虐殺の模様を全く描かない演出法をとっている。ハンナ・アーレントが指摘した“悪の凡庸”よりもさらに醜悪な理由で、現在戦争を繰り広げているハゲタカたちの真の狙いはどこにあるのか。無報酬で働かせることができる労働力確保が目的だった時代は遠い昔に過ぎ去り、地中に埋まった“リンゴ=天然ガス”をどこが堀りあてEUに貢つぐのかで争っているのである。門外漢である我々日本人は、ルス一家のようにただ無関心でいるしかないのかもしれない。
壁の向こう側
壁を一枚隔てた二つの世界。壁のこちら側ではごく普通の家族の営みが、そして壁の向こう側では恐ろしいことが行われている。
アウシュビッツ収容所所長のルドルフ・ヘスの家族が暮らす立派な邸宅には広い庭があり、ヘスの妻が手塩にかけた植物が植えられている。温室やプールまでが備えられ、休日には多くの子供たちで賑わう。
子煩悩であり、善き夫でもあるヘス。休日には近くの川でピクニックや乗馬、釣りやボートを楽しむ理想的な家庭の姿。
そんなヘスの一家が暮らす家の壁一枚隔てた向こう側では常に銃声のような音が鳴り響いている。そして遠くの煙突からは定期的に黒い煙が立ち上っている。しかし彼ら一家はそれらの光景に特に関心ないようである。むしろ慣れっこになっており、気にもならないようだ。ヘスの幼い息子などは時折聞こえてくる何かを罵倒する声の口真似をしたりしている。
ただ、娘は敏感に何かを感じ取っているのだろうか、寝付けないそんな娘にヘスは本を読んで聞かせる。
ヘスの邸宅には食料などの物資が定期的に届けられる。中には肌着などの衣類や高価な毛皮のコートまで。肥料となる灰も常に事欠かないため庭の花々も色とりどりに咲き誇っている。これこそがヘスの妻が理想とする暮らし、何不自由のない豊かな暮らしがそこにはあった。何かを犠牲にして。
そんな時、ヘスに移動の命令が下りる。彼の所長としての功績が認められての昇進だった。しかし妻の気持ちを汲んだ彼は家族を残し単身赴任する。離れ離れになってしまう家族。遠く離れた勤務地からヘスは家族を思う。
大きな計画が実行に移される時が来たとき後任の所長には手に余るため、ヘスが所長を復任することとなった。家族はまた同じ屋根の下で暮らせるようになり、作品はそこで終わる。
大きな計画とはヨーロッパ中のユダヤ人を絶滅収容所に送る計画だった。
たった壁一枚の隔たり、その向こう側で行われていることに関心を持たない人々の姿。これはまさに今の社会を象徴しているのだろうか。
内戦や貧困から逃れ助けを求める難民、紛争が続く中東で繰り返される虐殺にどれだけの人が関心を寄せているだろうか。日々の生活に追われてそんな余裕もないのが私を含めて実際のところではないだろうか。
いま現在もウクライナやパレスチナでは日々虐殺が行われている。確かに日本に住む我々にとっては壁一枚というには距離があり遠い国での出来事とも思える。しかしそこでの出来事が日々テレビやSNSによってタイムリーに情報が得られるという点では壁一枚向こう側の出来事とも言える。
それら情報を手にして、その悲惨な現地の映像を目の当たりにして心を痛める。しかし次の瞬間には自分の明日の仕事のことや、生活のことを考えている。壁の向こう側の出来事への関心は長くは続かない。結局できることは限られてしまう。アクティブな人なら抗議活動などしたりするのだろうが、私は所詮募金止まりだ。
その点、世界中でZ世代の若者たちが声を上げてることには実に頭が下がる。彼らはロシアやイスラエルに対して抗議の声を上げている。
ナチスのホロコーストはもはや過去の歴史上の出来事だが、ウクライナやパレスチナはまさに今起きている進行形のホロコーストだ。ナチスの時代、声をあげれなかったからこそ、今声を上げなければという使命感のような思いがあってのことだろう。
もし無関心のままだったら、結末はアウシュビッツビルケナウ博物館のような光景が待っている。おびただしい数の靴や衣服がそこには展示されている。
本作のラストでは現在のビルケナウ博物館がフラッシュバックされる。そして嘔吐するヘスの姿。自分たちの行っている行為が、無関心でいることがどれほど恐ろしいことなのか本作は自覚しろと訴える。
ただ淡々とヘスの家族の日常を描いただけの作品。壁の向こう側で行われている虐殺はけして描かない。監督は観客の想像に委ねる。だからこそ本作は恐ろしい。視覚でとらえてしまうと想像の余地は狭まる、見せないことであえて観客に想像させる。想像は膨らみ、想像すればするほど怖くなる。想像が作り出した残酷な光景が頭からこびりついて離れなくなる。もはや無関心ではいられなくなる。そんな効果を監督は狙ったのだとしたら本作は大成功だといえるだろう。観客の関心を最大限高めた作品だった。ただ、関心がわかない人にとってはつまらない映画だと思う。
実は本作はヘスの家族以外にもう一つの家族が描かれている。レジスタンスの少女の家族だ。彼女は夜ごと強制労働の現場に足を運びリンゴを忍ばせる。そんな彼女にユダヤ人はメッセージを託す。曲にカモフラージュしたメッセージを。
サーモグラフィーで描かれる彼女の姿は冷酷なナチスとは対照的にぬくもりを感じさせるものであり、本作で唯一の救いとなるものだった。
本作を見て「ヒトラーのための虐殺会議」を思い出した。本作はあの作品と似ている。同じホロコーストを扱っていながら一切虐殺のシーンは描かれない。あの作品は会議出席者たちが淡々とユダヤ人をいかに効率的に虐殺できるかを議論する作品だった。そこには自分たちがいかに残虐な行為を計画しているか自覚してる人間は一人もいなかった。
人類史上、虐殺はホロコーストに限らずいつの時代でもいたるところで行われてきた。十字軍の遠征、広島長崎、クメールルージュ等々。
なぜ人はこうも残酷になれるのか。なぜ人が人に対してかようにも残酷になれるのか。先述のようにこれはナチに限らない。歴史上人は残虐であり続けた。しかし一方でそのような残虐なことができる人間たちも家に帰れば優しい父であったり、親孝行の息子だったりする。本作のヘスもそうだ。善き父であり善き夫なのだ。そんな人がなぜこうも残虐になれるのか。
彼らが日ごろから残虐行為を繰り返す野蛮人なら安心できたが、彼らは我々と同じごく普通の人間だ。そんなごく普通の人間がなぜこのような虐殺行為をできるのか。
それは思考を停止させているからだろう、残虐を残虐とは思わないからだ。牛を殺して食べることを残虐だと考える人間がいないように、ユダヤ人を人間と考えなければ自分たちの行為を残虐だと思うこともない。思考を停止することで人は優しいままでいくらでも残虐になれるとは「福田村事件」の森達也監督の言葉だ。
優しい父、優しい夫のままで、彼らはなんの躊躇もなくおびただしい数のユダヤ人をガス室に送れる。彼らが残虐なのではなく単に思考停止しているだけ。ならば誰もが思考停止すればどんな残虐な行為も行えるのだろう。
私自身戦場に送られれば思考停止して相手を平気で殺せるようになるかもしれない。だからこそ戦争はけしてしてはいけないのだとつくづく思う。戦争が思考停止を生み、思考停止が戦争を生むのだ。
タイトルなし(ネタバレ)
箇条書きで書く
(徐々にネタバレっぽくなる、警告有り)
・本物の家を使って実在の人物ルドルフ・フェルナンド・ヘス(1901〜1947年)とその家族を隠しカメラ風に撮る。
・所長ルドルフは子供の様な声だが奥さんの声は違う。
・鑑賞中「このまま不穏な背景音の中で奥さんの庭自慢で終わったらどうしようか?」と不安になってた。
・カンヌ国際映画祭でグランプリ、アカデミーで国際長編映画賞と音響賞を受賞。
・アカデミー賞の国際長編映画賞受賞の瞬間ザンドラ・ヒュラーが泣いてたのは「あの場所」での撮影がドイツ人として辛かったのだろうか?
・劇中出てくる「カナダ」とは強制終了所のガス室で死亡したユダヤ人の荷物の格納倉庫の事。
↓ネタバレ
・母親に「地元の人よ」と言ってた使用人に「主人に焼いてもらって灰にして撒く」で実はユダヤ人だと気づいた。
・家に残りたい妻の為に所長がアウシュビッツで引き受けた事と、当時の苦悩が後のルドルフの手記に語られてたのか?
・ものすごい煙で凄まじい匂いがしてたのだろう。気づいて耐えれない人が酒の力でも駄目で逃げ出す。
・果物を渡せないので工夫するシーンが『アトランティス』(2019年 ウクライナ映画)とシンクロした。
・今現在進行中の戦争に関心を持ってもらいたいのは間違いない。
・最近映画館で観た、もっとも眠たくなったオープニングだった。この前の『悪は存在しない』よりも。
音や蒸気機関車の水蒸気からリアルに想像が出来るのは『シンドラーのリスト』、『戦場のピアニスト』等のおかげでもある。
沢山あるホロコースト映画やドラマ、本に携われば携わってる方ほど想い描くシーンが出てくるだろう。当事者のユダヤ人の気持ちは計り知れない。
前衛的なアウシュビッツもの
無関心という残酷さ。
実際どうだったのかは別として、無視や見て見ぬふりでもなく、そこには何もない、透明なものだから関心の持ちようもないくらいの無関心さが描かれていた気がする。
作品として表現したいことはわかる気がしたけど、細部のあれこれを理解するには自分にはあまりにもナチスやアウシュヴィッツの知識が無さすぎた気がする。ちょっと知ってる程度だとよくわからないところが多かった気がする。
「冒頭」
かなりの長尺(そう感じただけかも)何も映されない、音だけのシーンから始まる。
あれ?映像だけ映ってないけど??と思うくらい。
音に注目しろよー!って事かなと思うけどなかなか印象的なはじまり方だった。
「なんだか気持ちの悪い映像と音」
どう言う意図かわからなかったけど、なんかドキッ!!とするような音が鳴ったり(気持ちとしてはWindowsのエラー音のような嫌さだったなぁ)
真っ赤に染まる映像や暗視スコープ??みたいな映像か入ったり、ちょいちょい気味の悪い感じの表現が差し込まれていた。
ラストなど含めこのあたりは誰かの解説とかで補完したい!
「無関心な感じのカメラワーク」
本作割と単調だなぁとも思うのには、まぁこれと言ったドラマ性があるわけでもなく、ただただある一家の日常を映すだけで、だからこその関心、無関心が描けているとは思うけど、カメラもどことなく引いた目線で見ているような感じがした。
「エンドロール」
エンドロールで流れる曲がまたなかなかの気味悪さで、こんなのずっと聞かされてたらどうかなりそう…
でもそう感じられたのは本作においてずっと音に注目させられ関心を持たされたからなのかもしれない。
本筋とか言いたいことはわかった気がするんだけど、とにかく色々わかるにはもう少しお勉強が必要だと感じる作品だったなぁという印象。
しっかりとした知識があれば、もっとこの作品の細部や人の怖さを感じられたのかも知れないけど、今の自分には合わない部分が多かった…
環境が人を作る
母親はユダヤ人から奪った毛皮のコートを試着し、ふとポケットに入っていた華やかな色の口紅に気付く
それを何の躊躇もなく手の甲に塗ってみて
気に入ったのか唇につけてみる
満足したのか引き出しに仕舞う
観客は毛皮の持ち主がその華やかな色の口紅をつけて毛皮のコートを着て出かけた思い出を想像し、それを取り上げられたことを想像して嫌な気分になる
母親はそんなことは微塵も想像しないんだろう
自慢の家に美しい花々や野菜やハーブを育てている自慢の庭
壁を隔てて、すぐ隣の地面にたくさんの血が流れ、灰が撒かれているのに
毎日聞こえてくる銃声を太鼓で真似する子供
この地で子育てをしたいという強い言葉に絶句する
無関心ってなんてグロいんだろう
ノー天気な奥さん
第2次世界大戦中、ナチスがポーランドのアウシュビッツ強制収容所を取り囲む40平方キロメートルの地域を「関心領域」と呼び、多くのユダヤ人が殺されたその強制収容所と壁一枚隔てた豪華な邸宅に住むドイツ人の所長とその家族の暮らしを描いた話。
アウシュビッツ強制収容所の中は映さないが、銃声が聞こえたり、不気味な煙が煙突から出ていたりで、殺人が行われていたことは家族も知っていたのかもしれない。
ノー天気な奥さんがちょっとイラッとしたが、当時の特権階級の人を夫に持つと自分がさも偉くなったような錯覚をするものなんだろう。
たぶん、日本が中国や朝鮮でも同様な事をしていたのだろうとは思うが、壁一つ隔てただけの場所に、流石に家族は住まわせてはいないと思い、少し違うのかな、なんて観てた。
邦題が関心領域で、隣に無関心な家族を描いているのが反戦のメッセージなのかも。
難しくて面白くもなく眠くなるが、無関心に対する問題提起作品だと思った。
公開初日、レイトショーにて。 アウシュヴィッツ収容所の隣りで暮らす...
公開初日、レイトショーにて。
アウシュヴィッツ収容所の隣りで暮らす家族の話であることは予告編を観て知っていましたが、
2時間弱、それをどうやって描くのか…?
あまり期待すると、期待したほどでは無かった…と思いがちなので、
とにかくそれだけを期待して観ました。
エンドロールが始まるやいなや席を立つ人、多数…とか、
上映中にあちこちで寝息が聴こえた…とか
そんなレビューもあるなかで、
いやいや、こんなに恐ろしい映画を観たのは初めて。
それも敢えて恐ろしいものを見せずに。
皆、その恐ろしいものが何なのかは
映画やドキュメンタリーで知っている…という前提です。
そしてそれは、
「あるもの」で描かれています。
ネタバレになるので書けませんが、
それによって全て想像できてしまう。
また、
自分の中にも確実に存在する、
見て見ぬふりとか、無関心とか、
考えようとしない…という
悪の恐ろしさも突きつけられる。
今年のアカデミー賞で、
「PERFECT DAYS」とともに
国際長編映画賞にノミネートされていて、
PERFECTDAYSの受賞を願っていましたが、これは負けても仕方が無い…。
ある意味、対極にある作品、と言えます。
「落下の解剖学」で妻役を演じた女優が、今作でもまたまた妻役を。
今作でも主役は彼女かもしれません。
それも、いかにもインテリ風な作家役の前作とは全く違って、
収容所所長の妻になりきっての演技、
女優さんってすごいな、とあらためて思ったのでした。
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