関心領域のレビュー・感想・評価
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そのまんま
この作品のメッセージ性は至極真っ当だとは思った。テーマがテーマなだけにそこに議論の余地はない。
まずそこは大前提。
なんですがって事で…
自分はタイトルと映画館での予告編で大体どんな作品かはわかっていて観に来ていたが、メッセージ性は置いといて1つの作品としては以上でも以下でもないって印象を持った。
タイトルが出て邦題はそのままの同じ意味。
映像は美しく、そこに暮らす一家はそこそこ幸せな様でいても、それは上辺だけであって何処かギクシャクした人間関係。
映画が始まってから最後まで鳴り響く工場の稼働音。
時折、怒鳴ったり叫び声や銃声の様な音も聞こえ不穏さを煽る。
嫌な雰囲気から段々と嫌な事が起こり始める。
陰影が反転した映像で労働者にこっそり食べものを忍ばす女の子、お伽話、歌。
奥様の二面性が少しづつエグ味が増す。
川を流れてくるアレ、美しいガーデニングの肥料になるアレとか。働き詰めの旦那は"見せてる"とこでは家族を大切にしてる人の親だけど、やはりやる事はやってるとか。"見せない"から少しづつ見せていって、観客の想像がつく程度の描写に留めてる。
でもハッキリ言って個人的にはわかり易過ぎた。
これは無関心とかではなく、全員が知ってて見ない様にしてるが正しいと思う。
そんなだから特に身体が悪い訳でも無いのに心が嘘をつけなくてえずいてしまう。
離ればなれになった家族がまた元に戻れるかも知れない…そんな物語上の"興味"の誘導に流されそうになると、突然、現代の絵が入る。
忘れてんじゃねーよ!
って。
それはわかるけど、自分の印象としてはメッセージ性は置いといて作品の作りとして意地の悪い演出だと思った。また予告編から想像するものを超えてくる様な事は特になかった。エンタメじゃねんだよ!って事なのかも知れないが…いや見た人に関心を持たせる為かも知れない。
演出が空回りしているようナ......
年頭のアカデミー賞候補で興味があったので鑑賞しました。
ユダヤ人迫害の反戦映画ですが、迫害される側の映像はなく音だけで今までにない演出でした。
しかし演出の意図は理解できますが、何となく映画全体が空回りしているような感じを受けました。作品に対する感想や意見は鑑賞者にゆだねていると感じましたがもう少し着地に落とし所があったのではないでしょうか?
役者さんですが、やはりサンドラ・ヒュラーさんの妻役が印象に残っています。2019年の作品で「希望の灯り」で知りました。何となくクールな所がケイト・ブランシェットさんと重なります。私的には前作の「落下の解剖学」の方がこの役者さんの良いところが出ている様な気がしました。
ニワカには辛すぎる平凡な日常
壁のこちら側にいるのは私達だ。壁の向こう側にいるのも私達だ。
ルドルフ・フェルディナント・ヘスは結局、終戦までアウシュビッツ収容所長の任にあった。1947年、絞首刑。(ナチ副総統のルドルフ・ヘスとは別人。そちらは長生きした)家族がどうなったかわからないが生きながらえたとしても日陰の人生だったろう。
もちろんこの映画はヘス一家を糾弾するものではない。彼らの映像は多くは長距離もしくは中距離のカメラで撮影されアップのシーンはほとんどない。妻のヘートヴィヒは上昇志向が強く、またサンドラ・ヒュラーが憎々しく演じているのでやや負の感情移入をしてしまうが、壁のこちら側が彼らである必要はない。個人の人格は関係ないのである。収容所長なんて中間管理職だから生産性が低ければすぐクビを切られる(現にヘスの後任者はすぐ更迭されヘスが再任することとなった)だから誰でも同じだったという一般性を持たせるためにそのような撮影方法、演出をしているのである。
壁の向こう側は、一方的に虐殺される人生。
壁のこちら側は、殺すことと死体を処理する効率をもとめられ、殺した成績によって出世と豊かな生活を与えられる人生。殺される側への思いは全くない。
この見事なまでの非対称性が人間の歴史でありひょっとしたら本質なんですよと本作は静かに語る。
なんて不気味な…こんな表現は赦されますか
煙突からもくもくと流れ出る黒い煙、どこからともなく聞こえる小さな呻き声と悲鳴、不協和音。そして壁のこちら側にはドイツの幸せそうな家族が。可愛い子供たち、手入れされた庭には綺麗な花が咲き乱れ、小さなプールまである。そんな収容所の所長の邸宅には友達も集まり、楽しそうな語らいと笑顔。壁の中の人たちから没収した服やら装飾品やらの品定めまで行われる。お気に入りを手に入れようと物色する妻やその友人たちの楽し気な様子。彼女にとって、ここは絵に描いたような幸せを実現する夢の邸宅なのだ。壁の向こうで何が行われているのか、少なくとも彼女は詳しいことは知らないんだと僕は思っていた。
収容所の所長のいかに効率良く塀の中の人たちを処分していくのかという同僚と交わされる仕事の話と、それが認められて収納所の所長という立場から栄転することになるという自慢話がなされる。そして妻は何もかも知っているのだということがわかるにつれ、この映画の不気味さ、恐ろしさは最高潮に達する。この妻はこの壁の隣の邸宅を心の底から気に入っていて夫の栄転と共に出ていかなくては行けないという事態に酷く動揺し、挙げ句にそれを拒否してしまう。夢の邸宅に彼女はしがみつく。夫の仕事での有能さが認められたのか、妻の願いは叶えられる。夫は単身赴任となり、妻の幸せは続行する。
最後に、映像には、壁の向こう側で処分された人たちの夥しい数の靴の山が写し出される。そしてどこからともなく聞こえてくる不気味な不協和音でこの映画は終わる。
冒頭から凝ってます!不気味すぎて固まってしまいました。 これは収容...
どう評価すれば良いのか
境界
確実に寝ます
ドイツ第二次大戦中のまあまあ偉い将校家庭の生活をそのままずっと見せられます。鉄砲の音?とか微妙な叫び声?とかは時折聞こえますけど、そこからユダヤ人が虐殺されてる横で、よくもまあのうのうと暮らせるなと怒りやら恐怖を感じるって、どんだけ感情豊かなのよと思う。普通の人は寝ます。それがこの映画の怖さであることを、最後あたり、アウシュビッツ資料館を淡々と掃除するおばさん達の映像が挟まれるところで気付かされます。自分自身がもつ慣れの愚かさや怖さ。クレジット中流れる音楽、これ、人の叫び声のサンプリングだけで作られてます?映画見て寝るとこまで計算されてるという稀有な作品。見るべし。
長い余韻
どう思えばいいのか、を問う
とにかく徹底して強制収容所の隣の家に住む家族の話。
ただ、BGMが人の悲鳴・銃声・叫び声・人を焼く音。効果音はあるけど音楽は無く、ひたすら人が死んでいく声や音が響き渡る。
起こっているのは「基本的に」ホームドラマです。両親がいて子供がいて、お父さんが転勤になってお母さんがそれに反発する、子供とお父さんがボートで遊ぶ、とか。ただ、その夫婦喧嘩に出てくるのがヒトラーとかヒムラーとかナチスの人間の名前ですが。
異常な環境にあって人がまともでいられるはずはなく、お手伝いさんはアル中だしおばあちゃんは荷物を持って逃げ出します。そして、あのラスト。
どこまでも観る人間の想像力を試す映画です。登場人物から一歩引いたカメラワークは「撮っている」というより「観察している」という印象だった。監督のインタビューで事実を描写することに注力した、という言葉があったが事に納得した。確かに家族の話だけど家族の心情とか行動に寄った所が全くない。「こうだったけど、あなたはどう思う?」という投げかけ型の映画の極致だと思う。
あと、冒頭数分間が音だけで映像が真っ暗だったので映写事故か? と昔映画館でバイトしていた経験からハラハラしてしまった。個人的にはあの演出は「この映画は音にもメッセージがある」という意味だと解釈した。
隣のお客さんが開始早々に眠っていた。まあ、こういう姿も映画のメッセージの一つなのかな。
他人事と思えてしまう怖さ
予告編を観て、何となく「観なくてはいけない」という感じがして観賞。
【物語】
舞台は1945年のポーランド、アウシュビッツ。
ナチスドイツの強制収容所に隣接する住宅には所長を務めるルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)の家族が暮らしていた。妻のヘドウィグ(ザンドラ・ヒュラー)や子供達は収容所と壁を隔てたすぐ隣で物質的にも恵まれ、満ち足りた日常を送っているのだった。
【感想】
上述したあらすじがネタバレになってしまうような作品。
となりの家の生活が淡々と描かれるのみ。
予告編からある程度は想像できたが、思った以上にそれだけだった。あまりに淡々と描かれているので俺は正直退屈してしまった。加えて描いていることは重いから、気分は晴れない。さらに冒頭長い時間(恐らく1分くらい?)真っ黒なスクリーンに不快なおとだけが流れる、みたいな不穏さを煽る演出もあり、段々観続けることが苦痛になってしまった。
残念ながら、俺は期待したような“響き”をビンビン味わうことはできなかった。ただそれでも、何も感じなかったわけではないので少しだけ書いてみる。
予告編から想像していたことと違ったことが1つ。強制収容所のとなりで何食わぬ顔で暮らしていた家族はとなりで何が行われているか知らない人々なのだと思っていた。タイトルは知ろうともしない人の無関心さを問うているのかと。が、そうではなく収容所の所長の家族だった。と言うことは、子供はともかく、妻はとなりで何が行われているか、夫のミッションは何なのか聞いていたはず。 それで平然と暮らせるどころか、妻は引っ越すことを拒むほどそこでの暮らしに“幸せ”を感じているとは・・・
夫の所長もヒットラーの命令でしているとは言え、平気な顔をして妻子と接し、そこに葛藤等は見られない。ナチス関係者(幹部?)が所長宅を訪れて収容所施設改修計画の話をする場面もあるのだが、そこでも彼らに‟苦渋”は見られない。 あたかも工場設備の画期的改良を上司に提案をしているかのように、誇らしく、あるいは“喜々として”説明している。
人は他人の不幸にここまで無関心、他人事でいられるのか・・・
あるいは麻痺してしまっているのか。
ここまで行くと、ホラー以上に怖い。
ドキュメンタリーではなく、原作は小説らしいので、実際の所長家族がどう暮らしていたかは分からないが、現実がこれに近かったのなら本当に恐ろしい。所長家族が極悪人ということではなく、人間はある状況下に置かれればこうなれてしまうことが。
また、観終わって自分に残念に思ったことがひとつ。演出・表現を十分受け取るには、自分がこの強制収容所に関する知識が乏しいことだ。もちろんアウシュビッツを知らないわけではないが、知っているはここで多くのユダヤ人が殺されたという漠然とした事実のみ。所長家族の生活描写の背景には収容所から聞こえて来る音や、塀の向こうに立ち上る煙などが常に挿入されているのだが、強制収容所で何がどのような手段で行われたことをもっと詳細に、具体的に知っていたら、音や映像ひとつひとつがもっと胸に刺さり続け、退屈することは無かったのかも知れない。
鑑賞動機:音響賞9割、とてもイヤな話らしい1割
あらすじだけみると、そんな音響に特徴出せるような話に思えない。それにもかかわらずオスカー取ってるということは、よっぽど何かやらかしているのでは。ということで通常座らない劇場中心付近で『クワイアット・プレイス Day 1』の予告を見つつ、無音待機。
最初からそれ? 真っ黒な画面は誰か(死体とか)の視点かと身構えたが、「よーく聞いててね」ということなのね。
通常場面ではBGMはほぼ無いので、一家の団欒の裏であんな音こんな音がよく聞こえる。そしてそれがすでに環境音のようになっていて、むしろここにいたいとさえ思うようになっていること、その事が恐ろしい。母親は耐えられなくなって出ていった…ということか。
映像は、配置された固定カメラを切り替えるような場面が多い。基本的に一家の日常なのでのどか(おい)で単調にも思える。そんな日常風景として服(下着?)やブーツや歯やリンゴやお金や川の変色とか、意味がわかると怖いネタが大量に投入されてて、集中して観るほどダメージを受けるという。最後の現代場面の靴でダメ押しされる。
ああ、この人『落下の解剖学』の人だった。
赤ちゃんの呻き声
う、ウソだろ...。酷い、酷すぎるぞ...。
何故、こんな映画がアカデミー国際長編映画賞を受賞してしまったのだろうか。何故、「PERFECT DAYS」はこの映画に賞を譲ってしまったのか。国際長編映画賞の座を返してくれよ。どうかしてるぞ全く...。
これまでにない、斬新なテーマ。それが、この映画の賞賛に値する、唯一の要素。とある家族は、平和な日々を送っていた。アウシュヴィッツ収容所の隣で。。。もう、予告で全てが完結している。なんなら予告の方が面白い。ハッキリ言う。こんなのは映画じゃない。
私たち観客は、何も印象画コンテストを見に来たんじゃない。当たり前だが、映画を見に来たんだ。それなのに、面白いとも楽しいとも、悲しいとも辛いとも、1ミリたりとも感情も湧き上がってこない。銃声や悲鳴じゃ物足りなくなったのか、不気味な音を付け加えまくる始末。そんなことをしてしまったら、事実をねじ曲げていることになる。これではホンモノの恐怖では無い。リアリティなんか無くなってしまう。雰囲気だけいっちょ前にしても、心は何も動かされない。この視点でアウシュヴィッツ収容所を描くのであれば、演出を加えてはいけないでしょ??
ストーリーなんてあってないようなもの。映画を作るなら、奇を衒うことよりも面白いと思わせることが先じゃないの?冒頭の上映機器の故障を疑ってしまうほど長い黒幕、ラストの訳の分からない清掃シーン。もう、斬新さだけじゃん。意外性だけじゃん。いい加減、観客に全てを投げかけるのやめようや。アカデミー賞、やっぱり無理だ。。。
地続き。
疲労感を抱えたまま鑑賞したのもあり、少し眠ってしまった。
アウシュビッツを支えた職員(所長?)とその家族の日常。我々の日常生活が、日々大きな波もなく過ぎ去り、繰り返されるのと同じく。彼らの日常もまた、明日も明後日も同じように繰り返され積み重なっていく。
与えられた職責を全うし、その仕事ぶりは讃えられ、羨望の的ですらある。その対価たる報酬で支えられている家族や使用人たちの暮らし。
我々の多くも彼と同じく勤め人であり、その組織や社会の求めていること、需要に応じて、日々職務をこなしている訳だけれど。振り返ったときに、実は倫理的、職責的に許されないものとして、後年批判の対象となることもあるのだ。2024年の今年だと小林製薬の赤麹とか、正月の海上保安庁航空機の事故とか。職務をただただ真面目にこなしているだけなのに、批判されうる可能性は誰にでもある。ミスも含めて。
自分が常に正しい道を歩けているとは限らない。そもそも正しさなんて、時や所が変われば基準も変わる。仮に今中国が台湾を飲み込んだとして、我々にできることはあるのか。本当のところなす術もなく時が流れていくだけなのでは、等思うのだ。
ラストは今のアウシュビッツ。今現在の物事の審判は、歴史が下してくれるし、時間のみが全ての人に公平なものとして存在している。そういうことなのか?
事実を淡々と
アパシーがもたらす社会的危機を警告する映画
感想
人道的アパシー(無関心)は誰にでも、いつでも簡単に起こり得るのだと感じた。
我々日本人も全く他人事ではない。我々もいつ陥ってもおかしくない、ファシズムと共通する無関心の心理を客観的視点から警告し、強く戒しめている映画であると感じる。
ドイツ人は勤勉な国民性であると言われている。勤勉家であるが故、ナチス時代の徹底したアーリア人優生主義に基づく、選民思想教育を好意的に受け入れた事により、人道差別心理が強く多数の国民に浸透した。
人間一人一人が自分自身で、現状に対して常に検証や問題意識を少しでも持ち、疑問や問題を提起、発信出来て、かつ民主的に話し合い、解決策を導く事の出来る社会を創っていく事が重要である。複雑と思われがちな人種問題と多様性の問題は人類史レベルに関わる大問題と捉えるべきだと感じた。
ヘスの奥さんの考え方と行動が超胸くそ悪かった。壁一つ隔てた場所がアウシュビッツと思っただけで頭痛がした。
やはりA24が制作に関わると一筋縄ではいかない、強いインパクトを持った内容の映画が多いように感じる。
脚本・演出◎
ドキュメントタッチで最後まで続くと思いきや最後の階段の場面は現代とのシンクロもあり、ブラックなユーモアを感じた。場面転換の色については意味があるのだろう。自分はよくわからなかった。
効果音はリアルで、
劇中の何気ない生活の場面でも、音は散発的に聞こえる銃と思われる発射音や、ザワザワとした雑踏音、騒音が小さく流れており、夜、建物の2階から見れる焼却施設と思われる建物から出ている炎と煙。毎日定期的に壁の向こうに見える蒸気機関車のものと思われる煙、時代が経過してくると、昼間でも煙が上がるのを目視出来た。川では焼却後のガスの毒着きの灰が流されるなど、想像出来得る迫害の状況はビシビシと感じる。◎
音楽も転調に次ぐ転調で不安定な気持ちを唆り気持ち悪い印象に拍車をかけていた。◎
恥ずかしながら、正直に言うと映画の途中、あまりにもヘスの家族の会話と行動が普通すぎの描写のため、自分の頭が無関心領域を作り出して寝落ちした。それではいけないのだと!、途中から再度戒めモードを徹底させて現代のアウシュビッツの展示室の掃除の場面まではなんとか鑑賞した。
自分も口程にないアパシー野郎なのだと猛反省した。
⭐️4
音響がオスカーとったけど、撮影も素晴らしいなと思って見惚れてたら撮...
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