関心領域のレビュー・感想・評価
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きっと自分の事を言われているんだろうなぁ…
予告編を観て興味を引かれました。
表面上はホロコースト、アウシュヴィッツ絶滅収容施設とナチス高官家族の日常の対比がえがかれたおぞましい内容でした。
しかしそれは今現在、歴史上の出来事としてそれらを知っているからそう思うのであって、当時のナチス当人達にとってはどのような気持ちで生活していたのかは、わからない。
それらを淡々とした映像で紡がれているのが本作であると思いました。
それだけに怖かったです。
収容所の中やユダヤの人々が列車で運ばれていく様子などはテレビのドキュメンタリーなんかで目にすることが度々ありますが、その外の事なんて考えもしませんでした。
それは誰も目に触れることない深い森のなかでひっそりと行われているものだと思っていました。でもそれは全く違いました。
主人公の口からヒムラーやアイヒマン名前も出てきていましたけれど、二人とも総統の熱狂的な部下なのです、だから命令に異を唱えることは決してありません。(ゲッペルスは逆らって自殺しましたが)主人公も同様です。
いつの世も当事者が一番状況をわかっていないんですよね。
(皮肉にも「オッペンハイマー」が上映されていましたけれども…)
この映画はヨーロッパの人々向きに創られているのはよくわかりました。
反ナチス、このような歴史を繰り返さないために後世まで語り継がねばならない。
だからこそ私たちは映像を撮る。
そんな思いが溢れているように感じました。
ただ物語の底流に流れる「人間の無知」とそれに伴う「残虐性」の怖さは世界中の人びとの共感を得るものだと思いました。
いまも私達はナチス同様立場で何も知らずにいるのかもしれない。
日本で言えば戦中に東條英機がおこなった戦争戦犯行為や広島・長崎の原爆投下について語り部が減ってきているといいます
どこかの監督が今作のような戦争反対の注目を浴びる映画を創ってくださらないかなぁ思いました。
(あ!「この世界の片隅に」がありますね)
戦争は
ネイバー
こんなところに住めてラッキーね!
え?そんなこと言うの?
ラッキー?
う〜わ〜
倫理観
お隣さんがどんな施設かわかっていて住んでいる幸せな家族。
ピクニック、川遊び、絵本の読み聞かせ。
爆発、銃音、悲痛な叫び声は環境音。
妻の自慢のガーデニング。
壁を覆うように蔦植物を生やしてるの。なんだと?!
花々のアップと叫び声、突然の数秒の赤。
目の中まで洗われる子供達、歯で遊んだり、燃える炉に入れる絵本、何かと不安定な子供、使用人に当たり散らす妻、耐えきれなくなってそっと消える祖母。
予告ではもう少しわかりやすい表現があると思っていたが、考察がいるなぁ。
意地でもアウシュビッツの隣の楽園に住み続けたいとキレる妻。
アウシュビッツを含め、全てが狂った場所
エンドロールがかなりキツかった。
ソフィーの選択?
となりはアウシュビッツです、ということを知らないままこの映画をみて...
塀の向こう
ナチスの恐ろしさではなく、人間の恐ろしさ
戦時中というと、戦場やそれに準ずるような修羅場や緊張状態が想像されるが、この映画が映し出しているのはなんとも幸せそうな家庭の姿。父の誕生日を祝い、ケーキを食べ、休日に子どもと川に遊びに行き、友人や母が訪れては楽しく談笑する。ヘス一家のみならず、どの国にもこういう日常を過ごした家庭はあったのだろう。
一般的には、映画に登場するナチス(というか主人公の敵国兵士全般)というのは、明確な悪役として登場し、信じられないような非道をおこなう。それらの大半はもちろん事実に違いないが、糾弾する表現目的を持っているがゆえに、まるで悪魔や鬼の所業のように受け止められる。実際には、誰かには慈愛を注ぐような人間が史実としておこなったものであるという事実をなかなか実感できない。そこを解決した映画だと思う。
この作品にはテンポチェンジがほぼ無く、淡々と日常が描かれている。
史実を知った上で注意深く見なければ、普通の営業マンがただ普通にマジメに仕事をしに来た、子どもが珍しいものを手に入れて興味深く観察している、仕事のストレスを抱えた父親が娼婦を呼んで妻にバレないように入念に陰茎を拭いた、奥さんがヒステリーで家政婦に八つ当たりをした、ちょっとイライラすることもあるが、いたってノーマルな日常である。
史実を知っているからこそ、営業マンがいかに死体を効率よく焼けるかという信じられない話をしていることや、子どもが虐殺されたユダヤ人の遺品をオモチャにしていることや、ヘスがポーランド人に一定の差別感情がありながら手軽にセックスを済ませたことや、奥さんがポーランド人家政婦に対して塀の向こう側にぶち込むぞと言ったことがいかに恐ろしいことか、といった事を理解・想像できる。
僕らが博識だからではない。ただ遠い未来の人間だからこういった想像で補完ができ、批判的な立場を取れるのであって、当時のドイツに生まれ住んでいたらやはり淡々とした日常としてなんとも思わなかったのだろう。
僕は焼肉を食べる時に、大量の牛が屠殺される目的で生まれ、屠殺され、皮を剥がれ、全身をバラバラにされるのを想像したりはしない。自分が食べてるのはカウではなくビーフだと思っている。知らないわけではなく、想像しない。無意識に関心を持たないようにしていると思う。
ナチスにとってホロコーストがそういうものだったというのを、擁護するでもなく、過剰に糾弾するでもなく、フェアな視点でリアリティを追求して描いた作品だと思う。
ここで表現されているのは、ナチスの恐ろしさではなく、人間の恐ろしさだ。
楽しそうに笑う彼らを許せない。
どうかこの罰当たりな人達に破滅が訪れますように。
楽しそうに笑う彼らを許せない。
上映中に私が考えていたのはこんなことばかりでした。
皆さんどんな感想を書かれておられるのかと気になって見てみたら、やはりと言うべきか冷静な論評ばかりで、いやはやさすがと感心しきり。
彼らが何の変哲もない普通のドイツ人であったことにこそ脅威を感じるべきなのでしょう。また、いかにも日本人が陥りそうなリスクなだけに、深刻に受け止める必要が大いにあると感じます。
この映画から受け取ったものに満足していますが、イスラエルを擁護する人達は放っておいても高いレーティングを付けるでしょうから、バランスを取るために敢えて低めに設定します。
ちなみにヒトラーがオーストリア人だったことをオール讀物のコラムで最近知り驚きました。
現実に繋がる
序盤の展開、なかなかついていけず。
悲劇の史実をサプライズ的に用いてるのでは、
と疑問に思った。
”いたずら”に使われてるのではないかと。
しかし、壮絶な現実を目にした母の姿、
近所に住む少女のある行動で、我々はわずかな光を見る。
そのお返しである「音楽」という芸術が、
どれだけ意味のあるものであったかを物語る。
本来、あるべき姿でようやく出てきた芸術である。
人を救う、音楽である。希望である、音楽である。
そして、ラスト。
ド直球に地続きであると見せられる。
観客は、思い切り関心を向かせられることとなる。
というかやっぱり、これを忘れちゃいけないよ
人間の罪の歴史。歴史の中に置かれた布石。
アウシュビッツ。いつか行かなければいけない。
おぞましい
慣れって怖い
広告で大まかな内容は知っていたけれど、物語としてどう展開されていくのかはわからず、最後まで観れるかなと思って鑑賞。
結局あっという間の2時間でした。
ただ物語を楽しんで、というよりはただただある家族の日常を観てるだけ、本当にただそれだけ。
それなのに何故こんなに退屈せず鑑賞できたのかというとその日常が一般人からしたら非日常であって、この家族がなかなかに狂気じみてるからだと思う。
人を殺してるわけでも何か悪さをしてるわけでもなく、ただただ平然と暮らしてるだけ。それがこの映画では一番異質。
これこそ映画館で、特に夜観るべきだと思う。
というか日中観たらその日が台無しになる、それくらい気持ちが複雑にで、もやもやした気持ちにさせてくる。
気になってる人はぜひ映画館で。あまり人にお勧めできない、ちょっと暗い気持ちになる映画でした。
この生活に耐えられる?
大量虐殺が行われている近くで
楽園を築ける
根性?はどこから??
司令官より、司令官の奥様が怖くて
奥様のお母さんも
アウシュビッツ敷地にある豪邸を
殺戮が繰り返されている事がわかっているのに
良いところねと褒め称えた
えっ?
叫び声と銃声が聞こえる生活を?
子供の幸せって?
こんな環境で子供が真っ直ぐ育つとでも?
司令官の部屋に入ってきた女性は娼婦?
ユダヤ系に見えたんですが
その女性は殺されてないだろうかとか
色々考えを張り巡らす
奥様のお母さんはこの環境に耐えられず、黙って出て行ったと推測
手紙にはなんて書いてあったのか
司令官が昇進して
ここを離れないと行けないとわかって怒りまくる奥様
そんなにここ良い?
自分が育てた庭や素敵な部屋があるから?
お手伝いの方も身体に支障が出てきて
子供達の遊びも戦争にまつわる遊び
夜はちゃんと寝れてなさそう
女の子はいつもベッドじゃないところにいる
実はどんどんこの環境に、生活に蝕まれている
司令官も身体の調子が悪い。
やったことは全て自分に返ってくる
因果応報
そして、エンドロールの音楽めっちゃ怖い。
本当にあった怖い話
ふざけたタイトル名ですが、こんなタイトルじゃないとあなたはこの駄文に関心を示すこともなかったでしょう?これもある意味で関心領域です。
ごめんなさいふざけました。でもタイトル名は本心です。今も昔も当然のように戦争があり、民族憎悪があり、人が人を殺す。誰もこれらに対して見て見ぬふりは出来ない。でも出来ないはずなのに無意識的にやってしまうのが私達人間です。
要はこの映画は単純なホロコースト映画ではないと言いたいんです。ユダヤ人がどうこうナチスがどうこうの話ではなく人間が自分自身で自覚できない穢れを戦争を通して描いている映画だ、と言いたい。
ですが戦争には勝者と敗者がいて、勝てば官軍負ければ賊軍という言葉がまさに当てはまる事になります。被害者・加害者に分かれます。義と悪にラベリングされる訳です。そんな状況で"人間誰しも持つ"無自覚な穢れの話が通用する訳がありません。「お前は被害者を悪く言うのか、加害者の肩を持つのか」って奴です。勝者敗者を曖昧にしようとしてもそれぞれに対するイメージは固定されます。我々日本人だってそう。3か月前に日本公開の伝記映画オッペンハイマーを観てすべてをすんなり受け入れた人はいないでしょう。バーベンハイマ―を知っていたらなおさら。日本って敗戦国なんだなと時空を超えて思わされましたよ。でも他方で日本が植民地支配した国々の人たちは今でも良くない印象を持ってることも少なくないでしょう。
ドイツも日本もアメリカも、そしてユダヤ人とイスラエルも誰かによって苦しんだし誰かを苦しませた。戦争が終わり勝者敗者の立ち位置が出来て、良いやつ悪いやつといった固定されたイメージは80年後の今でも変わらないまま。こんな環境で無自覚な穢れの話は出来ないですよ。すぐにアイツが悪いこっちは正しいなんて言い始めるでしょうから。
そして私はどうしてもこの映画を人間の悪としてではなくユダヤ人、ナチスといったラベリングで見てしまう。だから本当にあった怖い話であり、現在進行形で怖い話なんです。民族の問題ではなく人類の問題なんです。ナチスは良い事もしたとか、そんなことを書くつもりは全くないですよ。でもユダヤ人可哀そうナチスひどいみたいな典型的な視点で観るなら別の映画を観た方がいいんじゃないかとさえ思います
予習が必須の映画だった
オッペンハイマーに続き予習必須の映画だった。
アウシュビッツやナチスドイツに詳しい人が観ればわかるかもしれないけど漠然としか知らない者からすると音声だけで自宅の隣のアウシュビッツの惨状を想像させるという狙いもそこまで効果は発揮していないかも・・・
正直観終わって詳細な情報を書いているコラムを読むまでほぼ何も分からなかった。
かなり音にこだわったという記事を読んだけれど、それもそこまでこだわって作ったにしては少し弱い気もする。
ただ、1つの映画としてあらゆる手法で新しい試みをしているなと観ながら感じたのでその辺はこれからの映画界においていい挑戦なのでは、と思った。
隠語等の意味も分かって観るとまた違う気がするのでサブスクに入ったらもう一度観たいと思う。
アウシュビッツ強制収容所の見学を疑似体験
タイトルなし(ネタバレ)
第二次世界大戦中、アウシュビッツ収容所。
所長のルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)は、妻のヘドウィグ(ザンドラ・ヒュラー)や子供たちと、収容所に隣接する豪華な邸宅で暮らしていた。
整備された庭、広い室内、使用人も多く穏やかな日々が続いていく。
ただし、塀の向こうでは銃声や叫び声が微かに聞こえ、煙突からは煙も上がり、近くの川へボートを浮かべて遊ぶと、突然、大量の灰が流れてきたりはするが、まぁ、それはそんなものだ・・・
といったところからはじまる物語で、おおよそのところ予告編などから想定できる内容。
ヘドウィグの元には街の方から女友だちなども遊びに来、その際には「ユダヤ人たちは宝石を塩壺の中に隠してたりするのよ。頭いいわぁ、はははは」みたいな会話も、何気なく繰り広げられる。
前半で、いちばん恐ろしかったのは、ここ。
で、夫のヘスは収容所運営の手腕を評価されて栄転、収容所を離れざるを得なくなる。
すると、妻ヘドウィグは、「やっと手に入れた理想の生活。行くのはあなた一人、単身赴任して頂戴。上司に掛け合って。なんなら総督にお願いして」という。
うわぁ、怖。
かくしてヘスは単身赴任することになるのだが・・・
個人的には、ここからあとの後半が残念だった。
前半、引いた画面で抑制の効いた演出。
これが後半、動き出す・・・ と期待したが、そうはならず。
単身赴任のヘス中心に描かれ、ヘドウィグと子どもたちの様子は描かれない。
ヘスたちが静かに「最終結論」へと導きながら、ヘドウィグたちは穏やかな(できればホームドラマのようなコミカルさも加えて)生活をしている。
それのクロスカット。
なんとなれば、ヘドウィグは夫ヘスが戻って来るのを待ちわびているのだ。
この、非人間的行為と隣り合わせながらも、それを察知することなく日常に埋没してしまう恐怖を描いてほしかった。
最終盤、「最終結論」を導き出した後にヘスは嘔吐するが、嘔吐シーンの間に、現在のアウシュビッツに様子が挟み込まれる。
ヘスの嘔吐は、劇中のヘスの人間性からの結論ではなく、現在の人々(つまり観客)の嘔吐を誘引するための演出だろうが、それはちょっとずるい演出のように思われる。
映画の締まりとしても収まりが悪く、ラストカットは戻って来たヘドウィグの満面笑みが相応しかったのではないかしらん。
モンスターが現れないモンスター映画。
そのモンスターをヘドウィグに代表させる、という意味で。
関心度の高い意欲作だが、あまり感心できませんでした。
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