関心領域のレビュー・感想・評価
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映画館で鑑賞すべし
スマホの小さな画面でなく
リビングで日々の雑音に紛れてとかでもなく
ノイズが極力無い映画館で鑑賞するべき映画
映像と音響、加えて没入感が揃うことで、製作者の意図が伝わることでしょう
『ヒトラーのための虐殺会議』をU-NEXTで見てからこちらを鑑賞しました
『虐殺会議』でナチスは戦時において貴重な輸送手段を振替えてまで、ユダヤ人を絶滅収容所に送り、予算をさいて画期的な焼却炉を作ったのかが何となく理解しました
そして本作で、この“作戦”を実行する人と周囲の人々、その時代を生きた一般人の姿を見ることが出来ます
ストーリーはあるようで殆ど無い。その映像前後の説明も、時間経過の表現もなく、切れ切れに撮影されたよその家のホームビデオを淡々と観るような…。子どもたちが5人も登場するが、映像が遠くからのショットなので、見ている私達は顔も識別出来ないし名前もよく分からない
(後日談、末っ子の女児の赤ちゃんは出生届の出生地が“アウシュヴィッツ”と記載されて、一生逃れられない焼印のようになってしまった、とか)
『ヒトラー暗殺、13分間の誤算』で暗殺犯を演じたクリスティアン・フリーデルが、今回はヘス所長を演じてるとか
『落下の解剖学』のザンドラ・ヒュラーが、ヘス所長の妻役で、より一層憎々しげに役になりきってるとか、これも見どころ
所長の妻が丹精を込めて育てている庭に咲き誇る花がアップになり、その際の音響が物凄い重低音で椅子に縛り付けられたような圧と共に恐怖を感じ、かなりあとでその花々の意味するものをサラッと映像で見せられて、心底ゾッとする
エンディングの曲が、これまた死ぬほど怖い。上映が終わり、立ち去る人々全てが言葉少なになっていた。私も映画後、食事の予定だったのに、30分くらい経たないと食欲が戻ってこなかったほど
この映画が意味する寓意も分かるが、あのエンディングの曲だけは、製作者の悪意を感じた。ベタだけど鎮魂歌のような曲に出来なかったのか
この映画の見えない場所で命を落とした大勢の人々、現代においても迫害され命を脅かされている人々、またこの映画で加害者として描かれた人々もまた、現世からの激しい指弾と非難を受けてあの世で苦しんでいるのだろうから。
殺す側の視点
映画は、先に僕もレビューを書き、星2つにした「オッペンハイマー」と同様、殺す側の視点で貫かれている。
立ち上る煙、時に叫び声めいたものが聞こえるが、アウシュビッツ所長・ルドルフ・ヘスの家族や仕事との関わりを中心に、淡々とした描写で物語は進む。
見る意義がある映画だとは思う。われらが「パーフェクト・デイズ」にオスカーを取らせなかった作品であり、評価も高いのはわかる。
しかし、心を揺さぶられるような内容ではなく、退屈と言っていい映画なのだ。
これをきっかけに、ナチスが犯したホロコーストについて知ろうとしたり、戦争、軍という機構に取り込まれてしまえば個人などというものはまったく見向きもされない…ということに気づくことは大切だろう。
そうしたきっかけづくりになる映画だとは思うが、僕自身は面白いとは思わなかった。他人に見ることを勧めたいとも思わない。
殺される側のことを一切描かない、という作法で際立たせているのは結果的、商業的には成功したのだろうが、僕にはどうでもいいと思った。
公開から2週間を過ぎ、上映館も結構に多いのだが都心のシネコンでは平日昼間にもかかわらず7割くらいは入っていたろうか。映画ファンにこの作品が届いているのはそれはそれで結構なことである。
現実から目を逸らすな
アウシュビッツ収容所の隣に住む収容所所長とその家族の話。塀の向こうで行われてるユダヤ人虐殺に無関心な生活ぶりが坦々と描かれている。暴力描写は無く、悲鳴や銃声の音が生活音かのように自然に散りばめられている。中でも妻が特に無関心のように描かれているので、一番人間性が無いように感じるが、都会を離れて暮らしたい、庭に花や野菜を植えて豊かな暮らしがしたいという夢を持ち、それを実現した、本来は感受性豊かで裕福な女性だったはず。世の中の出来事よりも自分達の幸せが大事というのは現代でも共通しているだろう。
所長含め、登場人物全員が時代の被害者でもある。人は見たいもの、聞きたい音しか聞かないものだ。
そして、エンディングロールの音楽はもう二度と聴きたくない。不穏な変拍子に叫び声のような音が使われ、逃げ出そうとした者に「目を開けて現実を見ろ」と彼らに言われているようだった。映画であることを忘れさせるくらいなリアリティで、圧巻の作品である。
全ては慣れ。
アンダースキンが苦手だったので、そんな気はしていたが めっちゃくち...
アンダースキンが苦手だったので、そんな気はしていたが
めっちゃくちゃメッセージ性や作品の意義は共感するけど、ジョナサン・グレイザー監督が合わないので映画自体が面白く観れないってゆうか音響の音楽性のコンテンポラリー味があるのと硬質で暗くてアーティスティックな絵づらが苦手。
お庭や家のシーンは一見観やすそうだけど、人物全体が薄ぼんやりしたベールの向こうにいるような分かりづらさがずっとある。
ただ、今世界情勢の中、普通に生活し
目先の楽しみを普通に享受し、戦禍の人々をみても何もできずに、心の奥底では自分たちがこうゆう状況に見舞われなくてよかったと思っている自分が
このアウシュビッツの収容所の隣で、理想の生活に勤しむ家族と何も違わないと痛感できる映画なのは間違いない。
でも、ジョナサン・グレイザーの映画は苦手なのでもう観ないかな、、、、。
映画館で鑑賞
思っていたのとは違った
そっちの手法かと。予告だけ見て関心を持ち、見てみたが、他の方も言ってる人がいたが、予告が全てな感じ。常に何かしらが起こっている、それは死に直結する音な事もわかるが。
無関心な住民は、ここに住み続けたいという。色々な音がする。どういう音かは住民もわかっている。臭いもする。窓を閉めてやり過ごす。無関心というテーマを、全く映像で出さない(最後の方の靴くらいか)手法で表す。私には残念ながらそこまで受け付けられなかった。正直しんどい。このままなのだろうなと思って何回か途中退場も考えた。私はそこまで映画人ではない。自分の感性では、みていて辛く、そして、この映画が示したい事はあまりわからなかったのだと思う。
最近、人に希望を持ってない。そんな自分の心理も、この映画に引っ掛からなかった理由かもしれない
ザワザワする映画
「関心領域」は役所広司が主演した「パーフェクトデイズ」と2024年のアカデミー国際長編映画賞を競った上、音響賞と併せ2部門を受賞した作品です。
この映画は第二次大戦中にナチス・ドイツがユダヤ人を大量に虐殺したアウシュビッツ収容所が舞台となっています。
アウシュビッツと言っても収容所の中のシーンとかは一つも無くて、収容所から壁一つを隔てた屋敷に住む収容所長とその家族が描かれていきます。
家族の毎日は本当に平和で大きなプール付きの屋敷に住む家族は幸せな生活を送っているように見えます。とは言え映画が進むとともにその幸せそうな毎日が異常なものであることも見えてきます。例えば所長の奥さんに届いた毛皮のコートがユダヤ人から没収したものであったり収容所から聞こえる音や声、煙突からの煙であったり。
そんな毎日が淡々と描かれる映画です。
実は先程あげた「パーフェクトデイズ」と「関心領域」は似ています。
主人公の生活を淡々と描き、しかしその淡々とした生活がちょっとやそっとでは得られるようなものではない事、そして一見世間から切り離された生活が、実は社会と密接に関わっていることがわかる。
という意味でよく似た映画です。
しかし前者は過去に主人公が過去に経験したのであろう、何か大変なことを乗り越えて現在の生活にたどり着いたんだろうと理解します。そして映画を観ている人も主人公の生活が愛おしくなり、映画を見終わってからも何かしら心に温かい物を感じました。
しかし、後者はこの幸せな生活のすぐ近くで行われてる事の違和感を感じ続け、特にラストシーンでこの違和感が現在の我々の生活にも繋がっていると知らされてしまい胸のザワザワが止まらなくなってしまいます。
最後になりますがこの映画、あまり心配事とか抱えている人は観ないほうが良いと思います。
私、その日一日中、ザワザワしてました。
共感できちゃう怖さ
つまらない。
スクリーンと対峙している間、ずっと不安・不快
冒頭のたスクリーンをただただ黒いスクリーンを見つめる時から不安感がスタートします。
その後の音楽・壁の向こうから聞こえる悲鳴、怒号、銃声。そして視界の上部に立ち上る煙、どれもこれもが怖くて、恐ろし過ぎて体全体に震えが走り、黒板にたてた爪が鳴らす音を耳にした時のように身がすくんでしまいました。
妻は夫に想いを吐露します「やっと手に入れた理想の生活、転属するならあなた独りで行けばいいじゃない」
本当に理想の生活なのでしょうか?子供たちの行動にはどこか正常(通常)な判断をつかさどる機能が一部欠落しているのではないか?と思わせる節がありました。
だからこそ訪ねてきた母親は環境に耐え切れず不調をきたし、突然姿を消してしまったのでしょう。
昨年観た「ヒトラーのための虐殺会議」にここから繋がっていくのですね。
人の命とはこんなに軽く扱われるものなのでしょうか?
でもこれは実際に文明や科学を掌に入れた人間が起こしたことなのですよね。
ガラス窓の向こうにうず高く積まれた靴たちの無念の叫びが聞こえてくるようでした。
今も世界のあちこちで起こされている悲劇、目を背けてはいけないと思わされる問題作でした。
あんまり面白くない
意義深い作品なのだろうけど、ドラマとしては起伏に乏しく、スケッチ的な描写ばかりで展開を期待させるフックがない。見ていて飽きる。
ただ奥さんが怒ってるところは非常に身につまされて、つらい。「私を連れていきたければ、首に縄をつけて引きずり回すしかない」みたいな事を言われて、あーあ、やだやだとげんなりする。別居してむしろ気が楽になったのではないだろうか。しかしそれは、塀をへだてた向こうはそれどころではない地獄であるという話なのだ。
何を伝えたかったのか
何を伝えたかったのかよく分からない映画だった。
いや、伝えたいことは分かる、メタ的には。「アウシュヴィッツ収容所の塀1枚へだてた隣で裕福に優雅に平穏に暮らすドイツ人将校(アウシュヴィッツ所長)一家の日常を描く映画」という情報を得た時点で、映画を観る前から、『ホロコーストの残虐性と無関心の恐ろしさ』を描きたい・伝えたい映画なのだと分かる。一通りの歴史の知識さえ持っていれば。
ただ、そのテーマが、映画そのものから・映画単体から伝わってくるかといえば、いまいち伝わってこないとしか言いようがない。(受け手がそのつもりで観れば受け取れなくもない…としか。)
この映画から得られる感情はすべて映画外の知識をもとに引き起こされているものである。果たしてそれは映画の完成度としてどうなのだろう? 私がもっと無知であれば、いったい塀の向こうで何が起こっているのか一切分からないし、なぜ子供たちがああも不安定なのかも想像がつかない。
投げっぱなしの伏線、意味有りげながら説明不足で伝わらない描写。
川に何かが流れてきて慌てて水から上がり風呂で全身ゴシゴシ擦る。もちろん知識を元にすれば(たぶんこういうことだろうな…)と分かるが、映画の中での情報だけでは確証は持てない。なんだ、あえて説明しないのがそんなに格好いいのか? あんな重要な事実でさえ?
りんごの少女もとても重要なエッセンスだが、その重要性は鑑賞後にネタバレ考察を読んで初めて分かった。誰もが知る有名なエピソードならまだしも、監督が個人的に知った実話を取り上げパンフレットだかインタビューで話しているだけのもの。それって映画としてどうなの? さすがに映画内でもう少し情報を提示すべきでは? せっかくの深遠なエピソードが、鑑賞後積極的に調べた人にしかその深みが分からないなんて、意味があるのか?
私の読解力が足りないせいで理解しきれなかったかもしれないのは重々承知の上で、しかし私の読解力や知識量はごく一般的なものだと思われるので、つまり観た人の多くは分からないということではないか。
大衆が観るメッセージ性の高いエンターテイメント映画としてはあまりに不親切すぎる。たとえば平均的な10代半ばの若者が見たらほとんど理解できないのではないか。そういう世代にこそ知ってほしい歴史なのに。
もちろん高尚な芸術映画としては『描きすぎない、説明的でない、難解である』という美学に基づいていて名作なのだと思うが、それなら知る人ぞ知る名作としてミニシアターとかでひっそり上映してくれていたらこちらもそのつもりで観るので感じ方も違ったかもしれない。
しかし、本作が扱っているのは、後世に残さねばならない重大な歴史的事実だ。本当に重要なテーマだからこそ、こんな説明不足で解釈を委ねすぎな映画にするべきではないのではないか。
こう言ってはなんだが、ホロコーストという残酷な歴史的題材を、「『クリエイターの斬新なアイディアと芸術的センスを見せつける格好いい高尚な映画』を作るための材料」として都合よく使っているようにしか思えなくて、不快だった。
そういうしゃらくさい芸術映画は、オリジナルストーリーのフィクションで作ればいい。あまりに多くの命が理不尽に奪われた実在の悲劇を、承認欲求のために使わないでほしい。
まあ、私のような一般的大衆的な教養と文化的素養と解釈力しか持ち得ない、娯楽寄りの分かりやすい映画ばかり観ているような観客はそもそもお呼びでないのだろう。何千何万の芸術的映画を観てきて一から十を知る(読み取る)造詣の深いホンモノの映画好きの観客に向けて作られているのだろう。
それは分かったが、それならイオンシネマなんかで上映しないでくれ…心構えから間違ってしまった。
…というわけでストーリーや演出に関しては私としては完全に合わなくて星1だけど、ただ映像や音響の素晴らしさは間違いなかったので星2にしました。
メタファー
絶対予備知識がないと普通の軍人一家の日常風景で終わってしまうやつです。
ところどころ、あれ?という場面がありますが虐殺でどういうことが行われていたかがわかっていないと理解のしようがないです。
虐殺前に脱がせた服をもらっていたり亡くなった方の歯を遊び道具にしたり人を燃やした灰で花壇を育てたり、まだまだ一杯あるのでしょう。
調べさせるという作戦なら当たりですがオッペンハイマーといい娯楽作品としては難解過ぎませんか。
「関心」も「領域」も無い、反応したら負けw
死に行く銃弾の音、発狂の声、叫び、遺骸を燃される煙。
ガーデニング・野菜栽培に励むヘスの妻。
咳き込む祖母・川を流れる毒・嘔吐するヘス、必要のない人は要らない。
ガスで殺された、死んだ人は他にもいる。
という物語だね。全く「関心」も「領域」も見つけることは出来なかった。
分かりづらく難解を装う映画が昨今の賞レースで取り上げられるが、クソみたいな審査の審美眼は要らないよw
「評価」は「関心」の「領域」に反応したら、負けだよw
無人という圧倒的なフィックス
アウシュビッツ収容所の隣で暮らすルドルフ・ヘス所長一家の日常を描く作品なのだが当時この一帯のことをナチ内部で隠語的にこう呼んでいたそうでそれが一家の塀の向こうに対する意識的な「無関心」あるいはドイツ国民の・・あるいは現代のわれわれ自身のに・・ぐさりと突き刺さる優れたタイトルとなった。まず冒頭の3分に及ぶ暗闇と音の問題。アカデミー「音響賞」を獲ったと、蛮行は描かずに音で表現したのだというのだけれど私にはあまりピンとこず小鳥さえずる川辺のピクニックにつなげるには1分で十分。映画を「観に」来た一般庶民にはやりすぎでしょでと思ってしまう(今年は「ファースト・カウ」に始まり「悪は存在しない」と似たような試練的導入が多くてまいる、流行りなの?)。それにしてもピクリとも動かないフィックスショットとシンメトリーの連続には恐れ入ったが鑑賞後に(無人固定カメラを複数台配置して遠隔で撮影)したと知って驚いたというか呆れた。SONYのデジカメをロケセット内にあちこち仕込んで監督もカメラマンもトレーラーの中にいてモニターしてるなんてテレビのバラエティー番組じゃあるまいし。どうりでみんながはしゃいでいる庭のプールで滑り台から滑り降りる少女を真逆からのショットに切り替えて奥に収容所の塀が見える「アクションつなぎ」があまりにも見事に決まっていることよ!メイキング動画を見て驚いたのは旦那の転勤が決まって奥さんと川辺で語り合うシーンでさえ複数のリモートカメラを使って撮っていたこと。そりゃあ微動だにしない安定のフィックスが撮れるわけだわ人間はどうしてもカメラワークしたくなるからカメラマンいない方が良いということか。後付けの感想で申し訳ないが無人の複数カメラの目を意識してサンドラ・ヒュラーが毛皮コートを着てポーズ取ったり、赤ちゃんを抱っこしてお花の名前を教えたりしていたのかと思うとあまりにも芝居があざとくてやるせない。嗚呼映画よどこへ行く?
私は賢者じゃなかったです。
とにかく雰囲気作りが上手い映画!
多分凄い名作で、映画館で鑑賞する価値あり!
でも後味が悪すぎる為、人に勧める気は全く起きません!
アウシュビッツも原爆も、恐ろしいことは思えばいつも、塀の向こうのことだった。
賢者は歴史で学ぶという。
それが本当なら、賢者って凄いんだな。
以下はコミュ障すぎて全文蛇足!
自分は、自分の言葉(人生?)に囚われているのだった。
いや、何をしようとそれは自分の言葉なので、どうしようもないけれども。
問題なのは、基本自分の言葉に対して無批判ということだ。
一時の悩みや思想に重ね合わせて映画を観るから、観終わってから次々と感想が変わっていってしまう。
一種の防衛本能といえば可愛らしくも見えるのだが。
書いては消し、書いては消しの繰り返しだ。
映画の内容がホロコーストと非常に重大であることで、自分の鑑賞方法が軽薄であることに気づいてしまって辛い。
映画や小説、勉強や現実は、頭の外に触れるものの筈なのに。
一時の悩みに関連して映画を観た自分自身が、関心領域というタイトルによって映し出されてしまったように思える。
そして結局、私の中にアウシュビッツは現れていなかったのだ。
こう言うと金閣寺みたいになってしまうな。
アウシュビッツは、"予想外にも"、遠い塀の、さらに遠い塀の向こうにあったのだった。
思えば原爆だって、原爆ドームに訪れたにも関わらず、私は知らないのかもしれない。
物事を考えているようで、それは驕りであり、実は考えていない。
それは最早、映画に登場した人物たちより劣る精神性なのかもしれない。
今回の映画で描かれたのは、現実を直視した、狡賢く、どこか空虚に生きる大人達の姿であったと、私はいま感じている。
そのように生きることは道徳的に間違いかもしれないが、自分はもはや非難できなくなってしまった。
この映画は、自分には早すぎた。
いや、分からない、自分が遅すぎるのかもしれない。
この映画の人物と対等に向き合えるように生きていきたい。
とにかく、自分の中に無いものは無いし、今の場合、語る術や、それ以前に観る術も持たないのだ。
この映画の存在を自分が忘却しないように願うばかりだ。
でも円盤を買いたくはないかな。
パッケージを見るたびに、劣等感と無力感に囚われるのは精神衛生上よくないし、第一そもそも気分が悪くなる映画だ。
なんて、また、いつもの日常に戻るのを自分は最優先する。
関心領域を観て、少しは日常に新たな気持ちで臨めるだろうか。
惨状を知っていれば知っているほど恐ろしさが増す
アウシュビッツの隣で暮らす、所長ルドルフ・ヘスの一家の日常を描く。
壁の向こうは映し出されないが、ユダヤ人の惨状を知れば知るほど想像して恐ろしさが増す。
寝付けない娘、落ち着かない息子、泣き止まない赤ん坊、耐えられずに出て行った義母。親族や子どもたちはその場所で行われていることの不穏さを敏感に感じ取っている様子がある。ルドルフもどことなく不安定な印象を受けるが、彼の妻だけは、得られた裕福な生活を楽しんでいる。
終盤に現代のアウシュビッツの様子に切り替わり、押収された収容者たちの持ち物や脱がされた大量の靴が映る。悲劇の象徴であるそれらは、今のガザ地区の惨状を知るとまた違った意味合いに見えてくる。
不穏な音楽がさらに恐ろしさを増加させている。
アウシュビッツ強制収容所で何が起きていたのか知識が必要。犠牲の上で...
アウシュビッツ強制収容所で何が起きていたのか知識が必要。犠牲の上でしか成り立っていないドイツ人家族の幸せそうな(幸せであると信じ込んでいる)日常の描写の隅々に、眉間にシワを寄せてしまう表現が多く混ざっている。
映画館で見るべき作品。家では見たくない。
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