「様式美と靴の生々しさ」関心領域 REXさんの映画レビュー(感想・評価)
様式美と靴の生々しさ
ホロコーストをアートに描くことの是非はあるが、その様式美との対比で、最後の靴の生々しさが際だった。
庭園、家庭菜園、壁紙一つとっても、ドイツの一般的な美しい家庭はこうあらねばならないという硬直した強迫観念が感じられる。
関心を持つことが危険で、なんの得にもならないと思えば、人間は簡単に無関心でいられる。口では人権がなんだのといいながら、町のホームレスのことは“自業自得”だと簡単に切り捨ててしまうし、移民を犯罪に結びつけて排除しようとする。
それはこの当時のドイツ人が、ユダヤ人は劣等民族であったから排除しても仕方がないと考えていたことと、なんらかわらない。
この当時の一般的なドイツ国民の多くは、大量虐殺が行われているのを知らなかったという。それを知ったときは驚いたものです。当時のナチがヨーロッパの地の下にユダヤ人そのものの歴史と存在を封じ込めようとしていたのだなと…。そんなことはできやしないのに。
ヘス一家の多くは、塀の中に無関心でいるようで、影響は受けている。息子たちには暴力的な一面があるし、赤ん坊は泣きやまない。意識にあがってくる死や殺戮というおぞましいものを、意識的に無関心の領域に押し込めている。その強いストレスの中にいてさえ、自分の夢見た家庭だけが全てで、夫の心にさえ寄り添わない妻が一番強烈な自意識を持っている。なぜなら夢を叶えてくれたのはユダヤ人の死体だから、彼らの死に同情などするわけがない。
私の視力ではよく見えない席に座ってしまい痛恨のミスだったが、真夜中に長女はなにを置いていたのだろう。一回目のリンゴはわかりました。二回目がよくわからず。とにかく一家の中では長女が正面から「事実」に向き合った人間だったことはわかった。事実、のちにレジスタンス活動に加わったという。
実際に収容所とナチ将校の家が同じ壁を共有していたことは流石にないだろうけど、あえて狭い画(え)の空間に押し込めることで、舞台のような演出に感じられた。
見て見ぬ振りは誰でもできる。国がそういったから、仕事だから、みんなそうだったから、と責任転嫁できる。ヘス一家は特別残虐なのではない。
最後のルドルフは画面の中からお前もだぞ、とこちら側に問いかけている。