「エンタメとしてホロコーストを"消費"することは許されるのか。」関心領域 武田さんの映画レビュー(感想・評価)
エンタメとしてホロコーストを"消費"することは許されるのか。
スティーブン・スピルバーグ監督は「シンドラーのリスト」で得た利益を全て寄付したと知り、彼がホロコーストでの出来事を映画産業におけるいち商品にしたくない揺るがぬ証拠だと思った。ホロコーストに限らず、映画によってショックを受けたり、忘れててはいけないよね、後世に伝え続けないといけないよね、他人事にしてはいけないよね、と我々は幾度も言ってきたであろう。その気持ち、いつまで続けられる?3歩歩けば明日の夕飯どうしよう、あの子にメールしようかななんて切り替えちゃってるかも。関心領域はそうはいかなかった。まさに核心をついていると思った。ここ最近、立て続けにナチス関係の映画を観ていたからちょうど興味があって、公開日に心待ちにしてた映画。ホロコーストを語るに欠かせない名作を観ずに観ていたら、いまいち味わえなかったと思う。収容所の設計図?について会議するシーン。「荷」というワードが出てきたから分かった。映画でよく出てきたので。
追記
第二次世界大戦のさなか、人はあんなにも異常が普通になってしまうものか?ユダヤ人に対する虐殺があんなにも、まるで「当たり前の儀式」みたいになっちゃう、させてしまう戦争の恐ろしさ。戦争の恐ろしさというよりかは指導者という存在の恐ろしさかな。確実にエスカレートしていたはずのヒトラーの主張に流れていくかのように賛同する民衆。徐々に、ゆっくりとそして着実に変化していく時代の流れ、その中に存在する「違和感」に我々は敏感でいないといけないと思う。戦争とまでは行かなくとも、少なからず形を変えて、必ず歴史は繰り返すと思う。
ココから作中のあるシーンについて言及。(ネタバレも何も無いけど予告以外の情報走りたくない方は以下、読まないでください)
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冒頭はながーい真っ暗な画面がしばらく続くシーンで始まる本作品だがそれに添えられたBGMが何とも不気味で斬新。。。A24らしさなのか…?とも思ったり。だが、そうでもしないと観客は惹き付けられないという監督の虚しい仮説からなのでしょうか。はたまた、ヒトラーの用いていた「沈黙」のメタファー的な要素を持っているのでしょうか。アカデミー賞音響部門を受賞しているのも疑問の余地はありませんね。