「これは作中だけで終わりではない」関心領域 nazionaleさんの映画レビュー(感想・評価)
これは作中だけで終わりではない
考えさせられる映画というのは幾多もある。
だが今作は考えさせられる に留まるのではなく、知る必要がある という衝動に駆られた。
思えば考えさせられる というのはどこかその実態と距離を置き安全圏から眺め自己満足に浸っているに過ぎないんだろう。
そこで起きた事柄、引き起こされたこと、そこにいた人々、発端、契機
様々なことを知り見つめ、直視しなきゃいけない。
そういった強迫的にも思える衝動に支配される。
収容所の隣で平和に暮らす一家
子供たちの笑い声が響き、妻は家事をこなし、和気あいあいとした会話が繰り広げられ
そこには家庭の何の変哲もない幸せな光景が広がっている。
しかし柵を隔てればその先では人を人と思わず、ただ流れ作業の様に処理されていく人々が焼身した煙が煙突から立ち込める。
今作ではそこを一切描かず、ただ日常に紛れる音のみで表現している。
関心の領域 まさにその点をその一線を引くことにより、作中に落とし込んでいる。
今作で描かれる関心というものの線引き
だがこれは決して映画の中の他人事ではない。
平和を享受し日々を快適に過ごす人間がいる一方では、何の罪もなく虐げられ命を奪われる人々が確かにいる という現実が横たわる。
だがそれらに対し無関心を装い、何も考えなければそれらは現実としてすら曖昧になってしまう。
そしてそれらを直視せず、視野の範囲外として放置すれば人間は日々を何の問題もなく過ごせてしまう。
今作で描かれるそういった無常な残酷さは、今この瞬間我々が行っていることとそう違わない。
ラストでカットインする現代のアウシュビッツ収容所
そのワンシーン、ワンシークエンスで映画の世界から現実の世界へ引き戻され、我々観衆に対してもその事実が現実として突き付けられる。
そしてそれまで作品を無自覚に映画というエンタメとして消化しようとしていた自分自身に作中で描かれる人間と同じようなおぞましさを覚えた。
今もまだそのどうしようもない感情の行く先が定まらず、あの場面が脳裏に焼き付いている。
Zone of interestという原題は作中で描かれる人々のみならず、遠い場所で昔あったことと思い込んでしまえる人間をも指しているのかもしれない。
立ち止まるのではなく、関心を持ち、知り、見つめる必要がある。
これは映画の中の話ではなく、過去に起こった出来事でもなく、今この瞬間も起こっている。
少なくとも自分はこの作品を通し、そういった一つの一つの事実を自らの目や耳をもって明確なものとして受け止めたいと感じたし、そうしなければいけないんじゃないか という意識を突き付けられた。