「何も起こらないが、何かが起こっている。」関心領域 ガッキーさんの映画レビュー(感想・評価)
何も起こらないが、何かが起こっている。
映画において、“見せない”手法は、時として絶大な効果を発揮する。
「セブン」の例の箱の中身や、「レザボア・ドッグス」の耳のシーンのように、
“見せない”ことによって、そのおぞましいであろう実態のシーンを、観客の脳内で補完させるような巧みな演出である。
同じくホロコースト映画の「サウルの息子」でも、敢えてピンぼけを活用した独特の撮影手法で、
「ヒトラーのための虐殺会議」も、全編がただの会話劇なのに、その内容は外道の所業に満ちている。
直接的な殺戮シーンは全く出てこないが、独特の撮影や会話劇によって、観客に想起を委ねるような作りになっていた。
そして本作は、環境音に徹底的に重点を置き、“音”が最重要ポイントだということを示す手法を取っている。
恐らく全観客の意表を突いたであろう、開始早々のとある仕掛けがその証明だ。しかも約3分間も。
表現手法において、まだこんな切り口があったのかと唸らされた。
アカデミー賞では、あの「オッペンハイマー」を退けて音響賞を受賞したのも頷ける。
恐らく全観客が映画館の機材トラブルを疑ったであろうオープニング。
ズーンズーンと異音と共に、知らず知らずのうちに、聴覚に集中するよう促す秀逸な導入だ。
空は青く、自然に囲まれた場所、広々とした庭の豪邸に住む、幸せな家族。
すぐ隣には、有刺鉄線で囲まれた建物がある。
ここは、アウシュビッツー
この映画の中には、初見では拾いきれないくらいの、“狂気”が散りばめられている。
有刺鉄線、怒号、悲鳴、銃声、子供がコレクションしていたもの、毛皮のコート、植木に撒かれる灰、軍靴についていた血、煙突の煙、列車、濁った川の水、川の底に落ちていた物。
ルドルフの設計図は何の計画のものなのか、“荷”とは何のことを指しているのか。
リンゴを埋める少女とは。
終始、けたたましく泣く赤ちゃん。
弟を閉じ込めていじめる兄。
使用人を冷遇する母親。
「夫に頼んで灰にして一面に撒き散らしてやろうか」
こんな言葉をさも平然と吐ける事に戦慄する。
全てがヒントになっている。
豪邸と、ユダヤ人収容所。
一枚に隔てられた、狂気と日常の隣り合わせ。
基本的には、何も起こらない映画なのだが、しかし、確実に何かが起こっている。
このコントラストがあまりにも強烈だ。
一方で、あくまでよくあるホームドラマとしても成立しているのが、異常な普遍性を際立たせている。
よく分からなかった、つまらなかったと言っている人も多いが、
確かにホロコーストに関してある程度は予習が必要で、その知識が皆無で本作を観るのはハードルが高いかもしれない。
なので予め別のホロコースト映画を観ておくのをおすすめする。
「シンドラーのリスト」が有名だが、「サウルの息子」などでもいいかもしれない。