「停車した汽車の暗闇で 彼らはその現実に居た」関心領域 humさんの映画レビュー(感想・評価)
停車した汽車の暗闇で 彼らはその現実に居た
長い暗闇と音。
そこにあるものを〝見る〟ために聞く。
皆、神経を集中させ不穏な闇に入っていく。
アウシュビッツを見学した時にそれと似た感覚になったのを思い出す。
感情が血の巡りにのり駆け出しぎゅうぎゅうと心を絞めるようで、ガイドの横で歩きながらずっと鼻水がたれるほど泣いていた。
汽車がもうもうと煙をたなびかせるカットは、その夜もアウシュビッツに到着した人々がいることを示した。
あの暗闇と音のなかで彼らはその〝現実〟に置かれたのだ。
その心情は私のこのくらいの想像では全く追いつかない恐怖だろう。
ぎゅうぎゅう詰めの「荷」にされた彼らも、セス一家となんら変わりない家族たち。
それなのに彼らだけは、人間による人間の「差別」と「選別」を逃れることもできず、即抹消されたり使い捨てにされた。
ホロコーストが今まさに行われている隣地との境は高い壁一枚。
そこで営まれるヘス一家の贅沢と活気に満ちた毎日。
すでに異常が漂うフライヤーに呑み込まれてからみる映像は嫌なくらいに淡々と違和感をみせる。
幼児の際どい独り言。
あのベンチで仲睦まじくできる若いカップル。
何かを感じ寝つけず外へ出てすをみている子。
泣く赤ちゃんにかまわず酒をあおるシッター。
搾取に慣れ「平気」を着て、塗る妻。
整った寝室で赤い火の粉をバックにけたたましく笑う女王。
「荷」の効率の良い片付け方について勇ましく指揮を取る家族思いのやさしき父。
緊張する背筋の内側に胃液が何度も押し上げられるのに、この家族たちは全く気にも止めずにいる。
この普通に慣れているのか、そうあろうとしているというのか。
よく手入れされた美しい家や庭を褒められ、咲き誇る花のように満足そうにみせた妻の一瞬の優しい顔。
そんな時その天国は隣りの地獄がつくってることを本当に忘れさせたのかもしれない。
ヘス家には「選別」で労働力にされた使用人がたくさんいた。
映画「ソフィーの選択」にもあったが、彼らには生き延びた苦悩もつきまとってしまう。
隣接するヘス家の状況下ではストレスもひどかっただろう。
眼差しの無感情さは生きながら失ったものを覗かせた。
またその作品の回想シーンで、収容所幹部の男性のもとに(性的搾取として)送り込まれていた捕虜の存在もヘスと重ねて思い出した。
職務のなかで彼も確かに体に不調をきたしていた。
壁の向こうで人間性を自分から切り離す日々に我が身を蝕むストレスがあったように、壁のこちら側にも平凡化した異常性とストレスがあったということをみせつけらながら戦争や迫害の愚かさを思った。
そして、現代のアウシュビッツの博物館で掃除するスタッフのカットが映ったとき、私は鏡を覗き込んだのだ。
痛ましさの痕跡を前にあれだけうちひしがれた体験があったとしても、繰り返されている理不尽な死と人類の懲りない愚かさをたくさんの情報で得ていても、悲劇の証拠を横で何ら変わりなく暮らしのルーティンをこなしていく、あれは自分だ。
自分自身を認識することがもしかしたら一番の怖さだった「関心領域」。
鑑賞後に知った、実在したりんごを差し入れる少女の命懸けの正義に心を動かされながら複雑な思いを感じている。
こんにちは♪コメントいただきましてありがとうございます😊
hum humさまに恐縮されてしまうと、私なぞは穴掘って入らねばなりません。
まあ、結構涼しいかも?
僭越ながら掃除の係の方は労働ですので展示物を見ていてはクビになるかと思いましたので。でも、掃除の方も最初に入られた時は心中驚かれていると思います。
やはり、humhumさまは、アウシュビッツに行かれているので、私や失礼ながら多数の方々とはスタート地点で違っていますので、同じ考えであっても思いは微妙に違ってくるのではと。
①ポーランド迄行こうと思い立つ。
②ツアーであっても個人であっても計画
⓷出発、到着、疲れ。
④実際に訪れる。
⑤ショックショックショックショック
⑥思いを引きずり帰国。
⑦日が経っても更に、
⑧本作鑑賞
⑨レビューを考えしたためる。
⓾読み直したり悶々と。
勝手に書いてしまいましてすみません。
心が違うと思います。貴重なご経験されて凄いなぁと共に羨ましくもあります。
またレビュー等で教えていただければ感謝です。
共感ありがとうございます😊
よくお考えいただいて書いてくださり少しずつ噛み締めていきたいと思います。実際に行かれているので感情等比べ物にならないかと思いますが、
ラストの掃除する人は、無表情でも仕方ないと解釈しております。初めて目にされた方なら驚き目を見張りつぶさに見てしまうと思いますが。
hum様
共感ならびにコメントをいただきまして誠にありがとうございます。
hum様がおっしゃられますように、人間の慣れというものはこんなにも恐ろしさを孕んでいるのだと感じ入りました(特にラストの博物館にてユダヤ人の方々の靴の入ったガラスケースを拭くシーン)。もちろん人間、慣れるということは大事です、それは否定しませんが善悪の判断(これも難しい…)がわからなくなるのは戦時下だけの事ではないと思います。戦後捕らえられた多くのドイツ人の方々は『ホロコーストの事はなにも知らなかった』と供述されていました…
共感とコメントありがとうございます。
アウシュヴィッツに行かれたのですね。
画面で観るのと実際に見て体感されるのは大違いですよね。
私もこの作品で「無関心」を考えさせられました。
リンゴの少女になる勇気を持てる人がどれだけいるのでしょう。
ヘスの娘さんのインタビューを読んだのですが、彼は家族思いで誠実な人柄だったそうですね。終盤で彼が嘔吐するシーンがありましたが彼は当時でもかなりつらかったようですね。
humさん、コメントありがとうございます。実際に足を運ぶのはとても大事だと思います。ダークツーリズムに対して日本は関心が薄いし、過去に目を閉ざしているから現在も何も見えていないように思います。グローバル化以降なのか、どの国も政治家の劣化が激しい印象がありますが、普通の私達は少なくとも目をつぶったり、無関心の中に身を潜めないよう意識化するだけでずいぶんと世の中、変わるんじゃんないかなあと、か細い希望を持つようにしてます、りんごを埋めてた女の子のように。
コメントありがとうございます。本当にアウシュビッツに行ったことがあるんですね! やはり本当に足を運ぶことって重要だと思います。これは他人事でない形で見ることが必要な映画だろうし、そうして観ることで当時の状況に対する理解や施策も格段に深まるわけですから。自分の場合、欧州に行ってももっぱら美術めぐりに特化していて、もう少し世界と向き合うべきなんだろうなあと。