劇場公開日 2024年5月24日

「観客の関心領域」関心領域 シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5観客の関心領域

2024年5月26日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

私見ですが、少し前に見た『悪は存在しない』も同じで、本作もある意味“実験映画”だと思いました。
では、何を実験したのか?という事ですが、本作の時代から80年以上経過した今の時代の人々が、本作に対してどのような反応(関心)を示すのかという事が、作り手にとってはまず第一の関心事であったように思えます。
そしてまた自論ですが、実験映画というのは鑑賞後に観客が、面白い面白くないとか、共感したしないとか、感動したしないとか、それらの感想は作り手にとってはあまり重要ではなく、提供した映像に対して興味(関心)を持てたか持てなかったのかが一番重要な関心事の様な気がします。

本作のタイトルの“関心領域”の意味が最初分らなくて、タイトルと予告を見た限りは物語の主人公(家族)に対しての言葉だと思い込んで見始めたのですが、あの一家が収容所の所長の家族であるのだから一番の当事者であって、当事者対してに関心が有る無しなどの問いかけなど無意味だし、冷静に考えると彼等に使うべき表現である筈がないのです。
そして鑑賞者の色々なレビューを読んでも、彼ら一家の善悪に対する関心だと解釈している人が多くいるのに驚きました。だとしたらこのタイトル自体が観客を完全にミスリードしている様にも思えます。

そして、あの定点(防犯)カメラの様なズームアップもなく彼ら家族を覗き見ている(若しくは神視点)映像は、まさに観客に対しての“関心領域”を測る為の視点なのだと捉えることで私は本作を理解しました。
なので、レビューで単純に本作をつまらないとか退屈だとか意味分らんなどいう発言を、冷静に統計的に関心度を眺めている人がいるのだろうと思います。
本作の場合、既に審判が下された歴史的な出来事であっても、ある側面だけを見せられると事の善悪など忘れてしまい、もっと目の前にある家族の日常の出来事だけに目を奪われてしまい、それぞれの(観客の)個人的関心領域でしかこの作品を捉えられず、収容所との壁と同様に80年という時の壁が本質を見えなくするという事を、観客の反応で確かめられていた様な気がする。

あと細かな疑問は省き、何点か特に意味が分からなかった部分を箇条書きにしておくと
・ヘンゼルとグレーテルの話とその時のネガ映像部分の寓意的な意味
・主人公の母親の失踪の意味
・ラストの主人公の嘔吐の意味

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シューテツ