劇場公開日 2024年5月24日

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「悪魔の所業も個々は私達と何も変わらない」関心領域 クニオさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0悪魔の所業も個々は私達と何も変わらない

2024年5月24日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

怖い

興奮

知的

 今年のアカデミー賞に多数ノミネートされた本作、国際長編映画賞の受賞は当然で、さらに並み居るハリウッド大作を押しのけての「音響賞」を本作に与えたアカデミー会員達は、けだし慧眼であった。左様に本作は「音で観る」革新的な映画でありました。その音で観客の想像力を刺激し、魂の沈殿する深いところで人間の意識の有り様のリアルを突きつける。

 オープニングから漆黒の画面が延々と続き。複雑なもっと正確に言えばノイジーな音だけが聞こえる。やがて小鳥のさえずりがメインとなり、豊かな水量を湛えた河辺で一家の夏のピクニックの様子を捉える。印象派の名画の趣で、限りなく豊穣を感じさせ、さらに車で帰宅してからのその邸宅の有り様の美しさ、まるでこの世の天国のような造りに驚かされる。ただし、隣接する塀は延々と長く、その向こうからは諸々の「音」が聞こえてくるが・・・。

 そこはアウシュビッツ強制収容所であり、絶望の嘆息・悲鳴・銃撃音・破裂音・そして焼却炉の音などであり、だからこの邸宅はこの収容所の所長であるルドルフ・ヘス一家の邸宅と言うか一種の社宅のようなものでした。この前提条件だけで、一家の日常を覗き見る感覚で描きます。室内でも殆ど撮影の為の照明を全く感じさせず、自然光だけの中で見せられる仔細な日常がポイントでしょう。彼らの意識と私達の意識との違いを観客に問うてくる構造です。

 新しい焼却炉は一度に500体の「荷」を焼却できます、なんてセリフが、画面の中の人はごく事務的に、聞かされる観客は凍り付くような恐ろしさに聞こえる仕掛け。ゴージャスな毛皮のコートは無論、塀の向うで裕福なユダヤ人が着用していたもので、幾ばくかの服は使用人達に分け与えている。3~4人いる家政婦達も多分ここに送り込まれたユダヤ人からチョイスしたのでしょう、使用人に対する物言いの冷徹さにそれが判る。

 起きうるトピックスは妻の母親の来訪と夫の転勤くらいなもの。サンドラ・ヒュラー扮する妻はもちろん、母親も隣で起こっているコトは百も承知で、それは夫の重大な仕事である事も承知している。けれど母親は深夜にも耳に入る「騒音」への違和感を抑えられず翌朝早々に家を出てしまう。しかし、ヘス所長は塀の向うへ出勤し、帰って凝れば子煩悩な父親でもあり、その一方でユダヤの女を犯すことすらしてしまう、実に下衆な野郎でもある。同様に妻ヘートヴィヒは夫の転勤が分かっても、折角のこの天国のような暮らしを最優先する凡人ぶりを見せつける。なにしろ母親とて、以前掃除婦として働いていたリッチなユダヤ人邸宅の素晴らしいカーテンが欲しかったのに、別の人が持って行ってしまったと愚痴る、そのユダヤ人が塀の向うで虫けら以下の扱いだと言うのに。

 まさに塀の向うの悪魔の所業ではなく、塀のこちら側である関心領域内においては実に私達と何ら変わらぬ俗物根性の持ち主であることが分かる。関心領域外に思いを馳せたところで、第三帝国の組織下において役割を履行しているだけであり、良心の介在する余地はないはず。ユダヤ人があまりに可哀そうだから、こんな暮らしは嫌、なんて言えますか? ここに本作最大の恐ろしさが仕込まれているのです。

 無関心を続け、気が付いたら取り返しのつかないとこまで来てしまった。ナチスSSの奴等とて、私達と何ら変わらぬ俗物なんです。関心を持たなかったツケが自らに跳ね返り、人間性を捨てなくてはならないはめに。私達だって追い込まれれば人間をきっと捨ててしまうでしょう。こんなナチスドイツを例に挙げなくとも、この日本で、このアジアで、私達のご祖先様が過去に辿った記録があると言うのに。政治は政治家のものだけではありません、全国民ひとり一人の生活であり、声を挙げるべきものなのです。手遅れになる前に一票で意志を表しましょう。

 本作を難解だとか退屈だとか、観る人を選ぶなんて決めつけないで下さい。退屈なのは私達の日常と同じだからなのです、関心を放棄した挙句の様を馬鹿な奴等とせせら笑ってくれれいいのです。ラストに登場するアウシュビッツは(まだ行ったことはありませんが)多分、現在の博物館の様子でしょう。記憶も薄れる程に時間が経ちますが、決して関心を捨ててはならない決意のために本作はここに輝くのです。

 原題の「The Zone of Interest」を「アウシュビッツの隣で」とか「隣で起きている事」なんて凡庸な邦題でなく、ストレートに「関心領域」と堅く無機質に表現した事はお見事です。

クニオ
Mさんのコメント
2024年5月25日

とても印象に残るレビューでした。ありがとうございました。

M