クラブゼロのレビュー・感想・評価
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地獄への道は善意で舗装されている
ジェシカ・ハウスナー監督の前作「リトル・ジョー」は、女性科学者が開発した幸福感をもたらす香りを放つ植物によって、周囲の人々に奇妙な変化が広がっていく話。今作「クラブゼロ」も、熱心な栄養学の教師ノヴァク(ミア・ワシコウスカ)が説く極端な食事法に、疑うことを知らない純粋な生徒たちがのめり込んでいく。どちらの主人公も人を幸せにする目的のため真摯に取り組む理想家だが、彼女らの善意がかえって人々を悪い状況に導いていく皮肉は、「地獄への道は善意で舗装されている」という欧州の古い格言そのものだ。
ハウスナー監督は同じオーストリア出身のミヒャエル・ハネケ監督に師事し、登場人物らが不条理な状況にじわじわと追い込まれるさまをブラックユーモアも交えつつ冷ややかに観察するように描く作風は、確かに師匠の影響を感じさせる。
一方で、「リトル・ジョー」での香り(嗅覚)や本作でのダイエット(味覚)という題材の選択、特徴的な建築を背景にした巧みな構図と服装などの印象的な色使い(視覚)、前作での雅楽のBGMや本作のマントラのような唱和(聴覚)といった五感の鋭さと繊細さからは、独自の作家性を確立しようとする意志がうかがえる。
ただし前作と比較するなら、非現実的な話を観客が受け入れやすくなるような“フィクション=嘘”の提示が弱いのが難点。「リトル・ジョー」では、脳に影響を及ぼす花粉を放出する新種の花を、視覚効果を用いてリアルに描いていた。だが「クラブゼロ」では、絶食が多幸感や高揚感をもたらすと説かれるものの、実践した生徒たちはまったく痩せないし(若い俳優たちの健康に配慮し、メイクだけで表現した)、スポーツやピアノ演奏などでパフォーマンスが落ちることもない。身体と脳の日常的な活動でもカロリーを消費していることが一般常識な昨今、「食べずに健康を維持できる」という大嘘をもっともらしく見せるようなSF的な設定や超自然的な力の存在を描いていたら、納得感が高まった気がする。
メシ喰うな!
妙にお洒落でテンポの悪い寓話。
支配と服従を語る上で、ノヴァクの威を借る思春期連中の描写はわかりやすく丁度良いのだが、いかんせん映画としての驚きに欠ける。
ハイセンス画角にこだわり過ぎて狂気が無い様に思えた。
信仰や依存は、今までの自分を捨てて何者かになれたかの様な高揚感を生む。人間は多幸感の前では余りにも無力。
俺の存在を頭から否定してくれ!
良薬?口に苦し
周囲の無理解への怒り、
批判されると反発してさらに信じ込み、
最後は憐みの優しい眼差しになる、
という洗脳の過程が完璧に辿られます。
また、インテリアや服装など統一された配色、
旋律の希薄な単調なリズムだけの原始的な音楽など、
人間らしさの一部でもある雑然とした感じやムダを排除しつつ、
皮肉な視点の画面構成、グロい食事風景、
もう気持ち悪さ、不快感がすごかったです。
とはいえ、ここまで徹底した描写は、表現の境界を攻められる映画ならではで、
メンタル、生理的にネガティブな揺さぶりをかけられるのも
偶には貴重な鑑賞体験なのかもしれません。
過剰な正しさの追求の弊害、宗教的な幸福とは何か、
人間の生物としての存在意義、とか
いろいろと社会批判的なメッセージを考察したくなる暗示が
単なるブラックホラーに留まらず、映画を魅力的な印象深いものにしていると感じました。
「オートファジー」
今年289本目。
新宿武蔵野館で。オートファジーの作品。空腹だと細胞が活性化する。2016年に大隅良典さんがノーベル生理学、医学賞を受賞した分野。本でよく16時間のプチ断食を推奨していますが普通の人には無理、10時間位ならブラックコーヒーだけで試した事があります。エンドロールどう撮っているんだろう、☆0.5プラスになりました。
ポップコーンは持ち込まない方が…
意識的な食事を指導し生徒達を心酔させて行く栄養学の教師を演じるミア・ワシコウスカ
シュールさ満開なハマり過ぎの表情と演技に意識が集中!
個人的には正直ヤマなしオチなし意味無しの
やっちまった系ジャンルか…な印象でしたし
一週間近く経ってもあの不気味な「むぅ〜むむぅ〜む🎶」が頭から離れないのでございます
ゲ◯シーンは不快感がマックスに押し寄せるわぁだし💧
子供達の不審な変化にすぐに気付かず
心も身体も健康でいられない子供達を育ててしまった親達も胸糞だし
ただ裕福な家庭の子供達の住む家は全てがキチンと整いカラフルな色彩の家具や何だかよく分からないけど😆興味をそそる手の込んだ食事…
肌にフィットする鮮色やパステルカラーのミアの装いや生徒達の制服のオシャレ偏差値は抜群にいい!男子のハイソックスがめちゃキュート!
途中退場されていた方もいらっしゃいましたが
奇妙な感情ががひと回りして蘇ってくる様な
クセ強で異色なスリラーでございました
…ただこんな作品の後でもしっかりお腹は空いてデッカいドーナツを美味しく頬張りました!
BRAINWASHER‼️
キモキモグログロ🤮キモキモゲロゲロ🤮🤮🤮
(初めて観るタイプのグロに目を背けるほかなかった……)
映画鑑賞直後の印象は、★3.4。
自分もEXTREMEな食生活に走った経験があるから気持ちはわかる。でも今の学生たちはあたしの頃と比べて情報過多というかフェイクも含まれる過剰情報の世の中で何が正しく、何が誤りで 、また何が自分に合うのか合わないのかを判別するのが難しくなってると思うから生きるのが大変だと思う。
結局この映画があれこれ考える触媒となってるからただの気持ち悪いスリラーではない問題提起作だったんだなー、と考え改め、★3.8に。
『食べ方の異常』を大人たちがアレコレ言うけど、ベンのお母さんが外出する時は黄色を身にまとう『謎のこだわり』とか先生と生徒が一緒にいるところをみたという事実が一人歩きして『風評被害の温床』となっていたり、世の中にはよくわからないけど何かおかしいが溢れてるのに自分に都合の悪いことには蓋をする。
表向きはconsious eatingの必要性を謳ったヤバいクラブの話。
でもよくよく考えると、クラブの内部と取り巻く外部環境は一般的な政治/社会の縮図のようなものに思える。
いずれにせよ気持ち悪っ😅
分かるけどねえ
ストーリーはわかるんだけどねえ、といった感じ。
初期設定で生徒の皆さん痩せてるし、先生はがりがりじゃないし。
絶食って、リアルにきついしぼっとするしで、そこは表現してもらわないとね。
それでも、これ日本のホラーでとったらすごく面白くなったんだろうなあとか思った。
後味の悪さが堪らない魅力
持続可能な社会を目指し、健康的な生活をするためにも、食生活を変えなければいけないというのはある意味で事実。しかし、それも突き詰めすぎれば、健康的な生活を阻害するし、生きていくことの喜びもおかしな方向に行ってしまう。
寮で暮らす子供たちに、「意識的に食べる」ことを推奨し、やがて「食べないこと」にエスカレートさせ、社会や家族から引きはがし、現代社会や親こそが間違っていると刷り込むことで、生徒から信者に変えていきます。
この物語に明確な解決はありません。正しいことと正しくないことのグラデーションの中で生きていく人間にとって、どこで立ち止まるべきか判断することはなかなか難しい。
本作でノヴァク先生が主張する内容を嘲笑することも可能でしょう。しかし、その態度がまた地球や子供たちの将来をより悲惨なことに繋げかねないわけで、我々は決して目をそらしてはいけない作品の一つだと思います。
ハネケより意思は明快
ノヴァク先生は、
生徒たちを巧妙に統率し、
洗脳的な手法でその心を操る。
ハムハム
彼女の「教育」とは、単なる指導に留まらず、
心理的な操作を含んだ支配的な側面を持っている。
ハウスナー監督は、
映像によって観客の視覚と感情を巧みに操作し、
その心を徐々に統率していく。
圧倒的に多用されるズームアップ、ズームバック、
今までのハウスナー作品で,
多用されていたドリーアップ、バックのカメラワークは、
本作では数カットのみである。
その技術的な選択に強い意図を感じさせる。
ハムハム
登場人物たちの心情を神のように俯瞰し、
また悪魔的に一瞬でヨリ、ヒキ、
切り替えることで、観客を不安定な状態に追いやる。
ズームによるヨリ、ヒキの使い方は、
特に大きなスクリーンで観ると映像がチープに感じられる。
スクリーンが大きければ大きいほど、
ズームアップ、ズームバックはその効果が過度に目立つ、
映画では多用されない理由のひとつだ。
(アルトマンは逆手に取る、効果的に使う事に長けている。
マネをする監督、カメラマンもたまにお見掛けするが・・・)
しかし、ハウスナーはあえてその手法を選んだ。
この選択は、ハネケやオストルンドとは違い、
観客を不安にさせ、
感情的に揺さぶることだけを狙っているのではなく、
その映像的意図を明確に伝えようとしているように思える。
ハムハム
また、本作における色彩の使い方は、
特に前作『リトル・ジョー』から一層明確に表れている。
学校や家庭の壁、床に至るまで、
さらには登場人物の衣装にも一貫した配色が施されており、
その色調は単なる視覚的な装飾にとどまらない。
ウェス・アンダーソン作品に見られるような、
色彩の単なる遊び心とは異なり、
ここではそれぞれの色が物語や登場人物の心情、
さらには社会的なメッセージを強調するために用いられている。
一方で、音楽もまたこの映画の重要な要素だ。
奇抜な弦楽器の音や、不意に鳴り響く打楽器の音が、
物語の進行に合わせて奇妙に響く。
その音の使い方には、
まるで観客の神経を逆撫でするかのような不穏さと、
変な心地よさが漂い、
観客はそのリズムに引き寄せられていく。
ハムハム
音楽と映像、色彩が一体となり、
子供たちがエクストリームな異物に引き込まれていく様子が描かれる。
これこそが、
ハウスナー監督なりの観客に現実を突きつける方法なんだろう。
映画全体を通して、統制と調整が繰り返し行われ、
その中で登場人物たちと観客自身が少しずつ「洗脳」されていく。
しかし、それが単なる精神的な支配を意味するだけではなく、
むしろ現代社会のさまざまな問題に対する洞察を提示している。
最後の晩餐のようなラストカット、
静止画のような動画では、
そのすべてが集約され、
観客は自らが「ゼロだったクラブ」のメンバーに入信する、
あるいは、
拒否する、
または、
家族が入るとどうなるんだろう・・・
そこから何を思い、
どう感じるかは、観客一人ひとりの問題として残されるのだ。
ハムハムハム
『クラブゼロ』は、ただのサスペンス映画ではない。
それは、視覚的、音響的、そして色彩的に観客を巧みに誘導し、
心理的に揺さぶりをかけることで、
現代社会の深層(or浅層)に迫る作品となっている。
モヤモヤ映画
コンセプトは分かるし、洗脳怖いなーって感じるんだが、そこに説得力ない。食べる欲求がもっとあった方が良いし、禁を破って仲間からの仕打ち、侮辱、諦め等のキャラクターいないのはおかしいし。みんないい子に直ぐに洗脳されすぎ。
撮り方も前半はズームアウト、インを多用して面白かったがけっこう何回も出てきて飽きてしまう。
ファーストカットのグルっと回るカメラは期待を持たせた感じ。
ラストカットもエンディングの長回しも最後の晩餐的な感じなのか?
もう少し面白く出来たのではないかって惜しい作品。
ベンが可哀想だった
食べ物に向き合い、小さく切って、見つめて、口に入れて、よく噛む
量はともかく、この食べ方を真似したらダイエットできるかも?
なんか変な宗教みたいで怖かった
途中で抜けた二人みたいに、何かおかしいぞと気付ける人でありたい
生徒が持ってるトートバッグのマークが自民党(統一協会)に似ていたのは偶然でしょうか
生徒たちの家庭がまあまあ訳あり。そこで孤独やプレッシャーを感じてい...
生徒たちの家庭がまあまあ訳あり。そこで孤独やプレッシャーを感じているがゆえに、ノヴァクの教えを実践することで褒められ認められることで、自分の価値を形成しており、非常に危うい。裕福な家庭の子も数名おり、過剰消費を批判したり環境保護を口にしているのを見るとシラけてしまう。思想的にもう陰謀論の方向へと進み、取り返しのつかないところまでいくのもなんだかかわいそうだった。ベンのとこだけでも救われてほしかった笑 先生はなんで健康そうなの?
ここ1、2を争うくらい不快な映画だった。
茶葉の栽培も農家です。
名門校の生徒たちが赴任してきた栄養学の教師に洗脳され食べなくなる話。
自制心がーとか、健康的にーとか、環境がーとか、様々な理由から教師の宣う意識的な食事がなんちゃらという理論に生徒たちが洗脳されて行くストーリー…断食茶に秘密がなければあり得ないお話しだけどねw
何のデータも根拠も示されないのに洗脳され、どんどん視野が狭くなるアホな生徒たちと心配する家族達をみせていくけれど、先生あんたクラブ・ゼロのなんなのさw
そして何がしたいのさ???
風刺であったり問題提起であったりを孕んだブラックユーモアなのはわかるけれど、これだけの尺を使ってこれがオチ?という何の捻りもないヌメ〜ッとした終わり方だし、エンドロールも思わせぶりなだけだし、何だコレ?という感じで締まらなかった。
CLUB ZERO(映画の記憶2024/12/8)
洗脳ホラー降臨。
グロとか精神攻撃型的なホラーではありません。
子を持つ親にとっては脅威に感じる内容かな。普通にちゃんとした親子関係気づけてればいいだけなんだが、、、
やり口が怪しい通販、新興宗教の勧誘、嘘臭い投資話と一緒w
心の隙間を狙うタイミングを良く心得てらっしゃる。ある意味気持ち悪いホラーですわ。
最初9月公開予定(館内予告は6月くらいからやってた記憶)だったのが後ろ倒しになって今のタイミングになったのはなんとなく理解。映倫さん悩んだよねwカットシーンも多そうだからディレクターズカット出たら観てみたいな。
間接タイプの映画だから万人受けはしないでしょう。個人的評価から0.5〜1低めが一般的な評価かな?
(個人的評価6点/10点中)
24-142
少なからず人間は悩みや不安を抱えて生きている。心の強い人は前向きに生きられるが、弱い人や若者は何かを拠り所としようとする。
信頼できるか、善き者なのかは、
いつしか頼りた存在に変わり、
妄信的に縋りついていく。
カルト的な存在を見抜く力がないものが不幸になる。その家族も。
全36件中、1~20件目を表示