「クラブゼロは間違っていると言い切れない恐怖を描く秀作」クラブゼロ ふくすけさんの映画レビュー(感想・評価)
クラブゼロは間違っていると言い切れない恐怖を描く秀作
舞台は私立のエリート養成高校。
少人数を対象のクラス編成で、講義内容は「意識的食事法(Conscious eating)」。
食事は「意識的」に行い、今食べているものに意識を集中し、食べ過ぎないように、ということから講義が始まります。
ヴィパッサナー瞑想を連想させます。
・少食で身体は活性化
↓
・過食は地球環境の破壊
↓
・プラーナ(光)からエネルギーを取り入れ、実は人は食事なしに生きていける。
↓
あなたたちは、来たるべき人類の危機に際して救われる極少人数のエリートである。
と話は進みます。
食事をしなくても生きていけるはずはないのですが、その当たり前のことに、
・古い価値観を捨てられない親や社会から決別しなくてはならない。
・あなたはあなた自身でなくてはならない。
・親の期待というプレッシャーのままに従って生きてはならない。
となっていきます。
異変に気づいた親たちは何とか子供たちを引き戻そうとしますが、時すでに遅し。
「あなたのことを思ってのことなのよ」
これは、いまや、親が子を虐待するときの言葉に過ぎません。
親は自分のエゴを子に投影してはならない…。
かくして本来説明する必要のない当たり前のことから子供たちは引き剥がされていきます。
教師は全く悪意がなく本気で子供たちを正しく導こうとしているのです。
この映画の恐ろしいところは、子どもたちは、最後に本当にどこか別の世界に旅立ってしまい、そのドグマが間違いであることが明示されないことです。
食べないで生きていける、は、もしかして本当かも…という余韻を残します。
子供たちは特に瘦せることなく、メークで顔色は悪く描かれるが、トランポリンやダンス、数学のパフォーマンスはむしろ本当に上がっているように見えます。
クラブゼロの主張は正しいのかも、を連想させる伏線のようで私にはかえって不気味に感じられました。
最後に「最後の晩餐」を彷彿させるシーンで映画は終わります。
食べることはもはや「最後」になるのだというメタファーでしょうが、
キリスト教は、このクラブゼロとは違うんでしょうね。
という問いを含んでいるとしたら強烈です。
教師は政治的に正しい言葉のみを使い、リベラルは彼女の言葉を否定しきれない。
子供たちは資本主義の成功者としてオリエンタルの雰囲気に吞まれながら、美しさと豊かさの中で薄く表層的な膜から逃れるように旅立ってしまいます。
リベラルは単一の思想で世界を覆い尽くそうとする営為です。(更新されるとは言え)
言わなくてもわかる、はもはや通じない。
もちろんこの映画は洗脳の過程を描いています。
リベラルを自称する人。そして宗教家には必見の映画だと思います。