「誇りや綺麗事なんて知ったことか」首 ハッカ飴1/2さんの映画レビュー(感想・評価)
誇りや綺麗事なんて知ったことか
久々のレビュー。
たけし監督のメッセージは拙レビューのタイトルにこそあるように思う。
この映画には3人の卑しい者、羽柴秀吉・曽呂利新左衛門、そして難波茂助…………ではなく、弥助による「武士(=上流階級)の誇りへのアンチテーゼ」から込められている。
まずは秀吉。言わずと知れた戦国一の出世者である彼は終盤、清水宗治が切腹にあたり儀礼として能を舞い、辞世の句を詠むのを見て「早く死ね」とぼやき黒田官兵衛に「ああいうのが武士としての誇りなので…」と弁解されても納得のいかない様子(小便から戻った弟・秀長も『まだやってるの?』と呆れる始末)。一旦、新左衛門に話題を移す。噺家であり抜け忍の彼は官兵衛と宗治、安国寺恵瓊の「武士の誇り」「仏の道」「主君への忠誠」「兵士への想い」といったテーマが飛び交う会談を見て「みんなアホか」と呟き秀吉と明智光秀の決戦・山崎の戦いを五分五分と見立てるや、勝った方につくつもりで戦線離脱する。
そして弥助。宣教師の従者である解放奴隷(諸説あり)の黒人(当時の黒人の立場がどんなに弱く、どんなに弥助が恵まれていたかは言うまでもないだろう)で織田信長に武士の身分・私邸・刀を与えられたりと可愛がられていた彼だが、本能寺の変において信長に「介錯してやる(=ここで俺と一緒に死ね)」と言われるや否や「黄色いクソ野郎!!」と叫びその首をとる(ここで首を持ち去り、愛知県瀬戸市の西山自然歴史博物館に展示されている『信長のデスマスク』に繋がる)。
百姓出身の秀吉が天下を取り、弥助が信長を殺す。そんな下剋上、誇りなき卑しい者が誇り高き武士を倒す、卑が尊に勝るという構図はクライマックスで盛大に我々へ突きつけられる。
終始品があってかっこいい光秀(西島秀俊は最高)が敗走し野盗が竹林に仕掛けた罠によって息も絶え絶えになるシーン。自らの首をとろうと現れた茂助(侍大将に憧れて親友・為やんを殺し、家族が死んでも『邪魔者がいなくなってせいせいした』と喜ぶほど、愚かだが上昇意識が高い)に、
「下郎!俺の首が欲しいか?くれてやる、持っていけ!!」
と笑いながら語り、自刃する。
新左衛門と出会って最底辺の兵士として「尊」への仲間入りを果たし、光秀の首を片手に狂喜する茂助だが追ってきた「卑」である野盗に滅多刺しされ、その中に紛れて恨めしげに見つめる為やんの幻覚を見て死ぬ。その後秀吉(卑)の元に持ってこられた2人の首は茂助(卑)は綺麗であるものの、光秀(尊)は野盗に傷つけられて(腐敗のせいでもある?)汚れ、なかなか気づかれなかった。
そして光秀の首は「バカヤロー!!俺は光秀が死んだのがわかれば首なんてどうでもいいんだよ!!」と蹴り飛ばされる。
長々と書いてきたが、要はある意味卑しい者は尊き者より勝る、ということだ。世の中には卑しい者の方が多いし、現実の厳しさも卑しい者の方が知っている。武士道=尊き者達の綺麗事に唾を吐く映画だったんだよ!!!!!(伝わってほしい)
流血が多いのと当時衆道と呼ばれた男色文化の描写が多いので苦手な方は注意。
ビートたけしが要所要所でバカヤローというので秀吉に見えず、安国寺を演じた六平直政の怒鳴りが錦鯉の長谷川に見えてシリアスさが崩れたので減点。