「映画の斜陽とセックスの意味」花腐し まりまりさんの映画レビュー(感想・評価)
映画の斜陽とセックスの意味
一つ目。
映画の世界は素晴らしく豊かなもので、それに魅了され、監督やシナリオライター、映画女優として生きて行く可能性を見出せるのはピンク映画しかなかった時代。しかも、そのピンク映画さえ、斜陽になり、生き甲斐のある行き場を失う若者達。その共感が土台になっている恋愛関係も行き場を失い、破綻してしまう。
彼らが映画の黄金期に生まれていれば、このような憂き目に遭うことはなかったのに、と、低賃金、結婚難、子産み育て難の現代に生きる若者達への「大変だねえ。頑張ってね」と、高度経済成長期に子供から青春期を送った世代としては切ない気持ちになる。
二つ目。
セックスは、その人となり、その人の生き方、そして、関わり合う二人の関係を雄弁に語っているもの、である。
この映画の中に頻繁に描かれるセックスシーンでは、それがちゃんと表現されているところが素晴らしい。
「お兄さん、遊ばない?」という日本の売春婦の伝統的な言葉が象徴するように、セックスを単なる享楽としか捉えられない人には、この理解は難しい。
映画への夢を共有する二人のセックスは、人生のかけがえのない伴侶との、ファンタジックで奥深い交歓であることが、ちゃんと描かれている。そして、それが、夢が壊れて行き、諦めざるを得ない男と、尚も夢を追い続けようとする女の心のギャップから、ダメになっていく。
最後の方の乱交シーンは、もはや、愛もへったくれもない、単なるセックス依存症の行為であり、夢も恋人も失った二人の男の自分への不甲斐なさ、自暴自棄の腐った現状が浮き彫りにされる。
それでも、この男二人は、未だに映画への夢と それを共有して愛し合った一人の女性を愛し続けている。
何という切なさ。美しさ。
それを描いてこの映画を世に出した映画人の快挙こそ、未来への希望だと、私は思う。