白鍵と黒鍵の間にのレビュー・感想・評価
全87件中、41~60件目を表示
なんだか不思議な世界観で、ゼロ情報で観に行ったので、少し分からない...
なんだか不思議な世界観で、ゼロ情報で観に行ったので、少し分からないところもあったが、映画として面白かった。演出が面白いと思った。
池松壮亮の挑戦 観客は置いてけぼり・・・かな
キャバレーのピアニストという特殊なシチュエーションの話なので、あまり共感は出来ないですよ
疑似体験にも限界がありすからね
原作は読んでいませんが、もっとシンプルな自伝的な話のようなのに、池松壮亮の二役でややこしいし、観念的で一般受けしない演出です
そう、まるで観客を選ぶインディーズ映画のよう
と調べてみると、やっぱりインディーズ出身
”ローリング”でちょっと評判になりましたね
それにしても、あの映画以上に尖って前衛的
悪く言えば、自己満
ごみ溜めで3人つっ立っての舞台的な演出は、もう学芸会
どうしようもなくて、目に花くっつけたり
どこぞのお笑い芸人のギャグみたいだった
あ、松尾貴史は元芸人かあ
森田剛はジャニーズだし
こんなのロードショーするかねえ
昔、こういう映画が増えて映画が廃れたんだよ
なので
作るなとは言いません
ミニシアターで、コアなファンだけ観ればいい
じっさい今回も貸し切りかと思いましたが、池松壮亮ファンとおぼしき女性が3人だけ入ってきましたよ
池松壮亮はピアノを練習して自分で弾いたそうです
頑張りましたね、えらいです、とても上手いです
でも、そんなの観客には関係ない
”斬、”で殺陣を頑張ったのとはわけが違う
ピアノはプロにまかせて、演技を頑張って欲しかった
もっとオーバーな演技でもいいんやで
こういう映画は
母親役のオバサン、だれ?
と思ったら、な、な、なんと洞口依子だった
あの色っぽかった洞口依子の成れの果てとは
これこそ、わが青春残酷物語
1988年、年の瀬近い銀座。 昭和で言えば63年、もう昭和も終わろ...
1988年、年の瀬近い銀座。
昭和で言えば63年、もう昭和も終わろうとしている頃。
銀座のキャバレーで法被にお面姿でピアノを弾いていた博(池松壮亮)は、謎の男(森田剛)から「ゴッドファーザー 愛のテーマ」のリクエストを受ける。
これまで銀座で働いたことのなかった博はその曲をリクエストしていいのは界隈を牛耳るヤクザの会長だけで、弾くことが許されているのも、会長お気に入りのピアニスト・南(池松壮亮(二役))だけということを知らなかった。
ので、博がくだんの曲を弾いてしまったがために銀座界隈は大混乱・・・
といった物語。
ポスターデザインや予告編から「かなり格好つけたジャズ映画」といった先入観があるのだけれど、映画が進むうち、「ありゃりゃ、これ、そんな格好つけ映画じゃないんじゃない?」「というか、むしろコメディ?」と思い始めました。
まぁ、昭和63年、昭和天皇が病臥に伏していた頃で、そんなときに法被にお面のキャバレーでもなかろうに・・・と思ったのは鑑賞後だとしても、バブルは弾ける前、とはいえ先述の理由で明るくすることもできないという、いま思えば、まことに厄介な時のことで、そんな時代のエアポケットに入ったかのように、劇中の時間軸は歪んで交差する。
お面のピアニスト博は、まだ師匠(佐野史郎)に付いて修行中の身。
ジャズピアニストになりたいという博に対して、「この国にはジャズのズの字もありません。ノンシャラントに弾かねばなりません」といって「ノンシャラント(=平然と無頓着に、のほほんと)」にピアノを弾き、最後は「チャンチャカチャンのチャンチャン」と弾いてオチを付ける。
そして、「ジャズが知りたければキャバレーです。キャバレーでお弾きなさい」と言われたのを真に受けたのが3年前。
で、一夜の騒動があって、南となったわけで、銀座のバンドマンになった南だがジャズピアニストになる夢は捨てきれず・・・と。
いやぁ、後半になればなるほど映画の猥雑さは増し、「ズンドコ節」が出るころには、完全に狂乱状態(あ、このズンドコ節、その後の伏線・暗喩ね)。
この時点では、もう大笑い必至・・・なわけなんだけど、他の観客のみなさんは引いちゃったみたいで、笑い声ひとつ聞こえず。
先に挙げた役者さんたち、いずれもいいが、バンマス役の高橋和也が、ノンシャラントな感じたっぷりでとりわけいい。
観終わって思い出したのは、マーティン・スコセッシ監督『アフター・アワーズ』『救命士』、スタンリー・キューブリック監督『アイズ・ワイド・シャット』。
一夜の混乱、まぁ、これもジャズよ。
JAZZ映画?ヤクザ映画?
一人二役がどういう設定なのか?理解するのに結構時間がかかる
一人二役にする必要があったのか?と錯覚もする
ヤクザの親分がどれだけ凄いのか?と思ったら、まさかの松尾貴史さんで、これが狙いのか?威厳がない
CMで感じた映画と結果的に大きく違っていてJAZZ映画とは言い切れない出来
池松さんが半年練習して実際弾いていたとのことで、そこが見所
なにやってんだ、おれ
2023年。冨永昌敬監督。バブル真っただ中の1988年。修行のために銀座のキャバレーに入り込んだピアニスト志望の若者は、ある晩、出所したばかりのやくざから受けたリクエスト曲を機にトラブルに巻き込まれる。3年後に銀座のクラブでピアノを弾いている自分自身とすれ違いながら、人生に理想を求めてもがくピアニストの物語。「なにやってんだ、おれ!」が口癖。
実際には、1988年は主人公が銀座に来て3年後ということであり、周囲の世界は3年後の世界なので、冒頭、銀座に初めて足を踏みいれる主人公は1985年のはずであり、それが3年後の世界に迷い込んだ(しかし自分自身とだけは対面しない。すれ違うけど)という形になるようだ。「いつになっても理想を追い求めつつ現実に縛られることへの苦悩」というテーマからすれば、時間設定を綿密にたどっても仕方がないのだが。
描きたいことはわかる。この人生でもっとマシなことができるはずだと思いながら悶々として生きる出口のない息苦しさはよくわかる。出口を見つけて走り出す気持ちも。そうだとするなら、デモテープの場面と走り出す場面はもうちょっと輝いていてもいいのにな、とも思う。でもいい映画だった。
題名、ポスター、予告編のイメージと違いジャズや音楽に比重を置いた話ではない。
題名が「白鍵と黒鍵の間に」。ポスターにはピアノをを弾く池松壮亮とサックスを吹く松丸契。コピーが、「人生の隙間を音楽が埋める」と「人生が交わる”一夜”のジャズ・セッション」。
予告編はジャズ調でおしゃれな雰囲気。
しかしポスターと予告編の印象と違いジャズ、音楽に重きを置いた作品ではなかった。
それでも後半会長が歌いだすまではいい雰囲気だった。
だけど、そこからビルの谷間の話まではまさにノンシャラントって感じだ。
1988年(昭和63年)のある1日に、3年前の南博と現在の南博がいるひねった設定が分かりずらく回想でもいいと思った。
鑑賞する前に予備知識としてレビューと公式サイトの解説動画を見たが、それがなかったら混乱して分からなくってたと思う。
予備知識がなくても集中して見てれば気が付くように作ってあるようにも思えたが、多くの人が途中でこの設定に気付くかどうかは分からない。僕はきっと気付かなかったと思う。
最後の池松壮亮、高橋和也、クリスタル・ケイ、松丸契のセッションは良かったけれど、デモテープ作るために忘年会早めただけなので、物語絡みのセッションで盛り上がって感動という感じではなかった。
「白鍵と黒鍵の間に」 を隠喩と見るなら、白鍵と黒鍵は、未来に夢を見る博と現在の夢を見失った南で、その間には銀座でバンドマンとして過ごすうちに流れた3年の月日が有ると言えるかもしれない。暗喩とするなら、そのほかにも色々いえるかもしれない。
nonchalant
ウッドベースの重低音から始るオープニングは、ラスト前の銀座の"奈落"と対を成すゴミ捨て場の暗い、そしてハードボイルドなノワール映像である
今作も又変化球な構成であり、原作の描いている年数をギュッと夜から朝に掛けての話に凝縮し、主人公の登場と退場を別に分けつつしかし時間軸を同時に進行して演じられるかなりのトリッキーな構造を用いる
紹介文では、池松壮亮一人二役という文言だが、これが却って観客に混乱を来たす元凶になっていると思う あくまで一人分の役(オルターエゴというらしい)なのだ 銀座で未だ燻っていた頃、そして銀座から足を洗い本格的に海外に飛び立つ決意を持った日、それが昭和63年の暮れも押し迫った一夜に交差する設定なのである しかし、その他の登場人物はそれぞれの主人公を切り分けて対応しているという摩訶不思議な交わりになっているため、回想シーンとは違う、強烈な惑いの演出として進行していくのだ
主役の姉弟子の各対応は、多分その時代をシームレスに描いているのであろう かなり混乱したのだが、しかし段々と終盤になるにつれ、観方のコツを掴んできた
自分が成人の年の銀座界隈はバブルで酔っていた時代であり、とはいえ、昔のような雑多さは落ち着き、シックでモダンなクラブが沢山軒を並べていたのだろう ビルの地下から最上階迄ビッシリと収まっていた飲み屋はそのクラス分けによってピンキリである 勿論、自分が暖簾を潜った事も無いので伝聞だ
前半の『バード』の台詞と、呼応するように『チャーリーパーカー』のジャズ話 物語のキーワードは題名の通り"ノンシャラント"の謎の用語 これを会得しなければ師匠から指摘された"足りないモノ"を埋められない そんなマスターピースを探す為の"銀座"なのである
出演者がどれだけ楽器や歌を実際やっているのかは不明だが、池松のピアノ、クリスタル・ケイや川瀬陽太の歌等は実際奏でていたであろう 折角、男闘呼組でギターやっていたのだから、高橋和也は弾いていたのか何方か教えて欲しい
さて、話の筋はどんどんカオス化していくし、ジャズなのか、歌謡曲なのか、はたまたヤンキー車のサイレンの代名詞『ゴッドファーザーのテーマ』なのか、そんな坩堝が渦を巻いて登場人物達を翻弄していくシナリオも、それこそ主人公の口癖じゃないけど「一体何を観せられているのだ・・・」的なクエスチョンの渦が脳を支配し始める 勿論、今作の白眉である、デモテープ作成のスタンダードジャズ『Nobody Knows You When You're Down And Out』のアンサンブル演奏は、あのバブル期に"花瓶"だった自分達の存在が初めて檜舞台に登ったシーンだ そしてそこから怒濤の困惑の流れと堕とされる そして凶器のカセットレコーダーと死体と共に奈落へ突き落とされる主人公 マジックリアリズム的演出は観客を二分する 自分はこの混沌が大好物だがw 死体まで説教され、その奈落から外に這い上がれない主人公は、そこで未来を掴めなかった側の自分と対峙する そして乞食である自分が藻掻きながらブレイクスルーする先は母親とワクチン証明書代わりの母子健康手帳 晴れて喫茶店ではない"ボストン"バークリーに留学に挑む主人公の手にはデモテープ
次の日の、もう1人の自分は銀座でキャバレーからクラブへ戦場を替えてスタートを挑む姿が晴れ晴れしく銀幕を彩る
奇妙でしかし挑戦的、まさにアート作品と称賛したい作品であった
PS.別批評で、ギャグの間が悪いということが指摘されていたが、コントではなく映画なので、ポンポンとリズミカルに演出しないよう敢えて"ノンシャラント"の様でのスピードの緩急を恣意的に色付けしたのだろう それも立派な個性である
Smorzando
音響の良い劇場で鑑賞。3連休最終日とはいえ、まさかのお客さん0のところに自分が飛び込むという初週では珍しいなと思いながら鑑賞。
いやー…絶望的に合わなかったです。演奏&歌唱シーンは良かったんですが、それ以外はもう本当にダメダメ
予告でも少し流れていた演奏シーンは本当に素晴らしくて、池松さんのピアノの手捌きは凄いですし、Crystal keyさんの伸びやかな美しい歌もとても心地良く、それまでの微妙な雰囲気をガラッと変えてくれました。これが聴きたかったんだよなというのが詰まっていました。
ただその後会長が歌い出して一気に萎えました。きっとピアニストもシンガーも客も全員萎えてたと思うので、このシーンの共感性は抜群だと思います。
突っ込んだら終わりだと思いますが、ゴッドファーザーをリクエストしたら殺されるってどんな界隈のヤクザなんだ?と疑問を持ってしまったのが最後でした。
会長と出所直後のヤクザがリクエストの有無で揉めるしょうもないシーンでのガチガチしながら刺して叩いて刺して叩いての構図はもはやギャグであってほしいと思うぐらい滑稽でした。
ラストでファンタジーな世界にしたのもこれまた意味不明で、良い方向には一切傾かず、悪い方悪い方へと進んでいってしまい、目から花が咲いてもこっちからしたら困るだけでした。地面に突き落として蘇りが何だか分からないシーンもほんとノイズでした。
池松さんが一人二役を演じる必要性も全く感じられず、むしろ物語をややこしくしてしまっていて頭の中はグチャグチャでした。
東京テアトルの作品とはどうもここ一年相性が悪く、今作も例に漏れずって感じでした。音響を売りにするにはとても拙いです。残念でした。
鑑賞日 10/9
鑑賞時間 20:55〜22:35
座席 A-8
青春と旅立ちの狭間
1988年代銀座のキャバレーとクラブの3年間
ジャズピアニストを目指す南博。
時空をかなり織り混ぜている演出。
上京仕立ての3年前の博、明日からアメリカに
旅立つ前夜の南のミックス。
途中で分からなくなるが、頭で整理。
当時クラシックからジャズを学びたい博は
銀座のキャバレーで不思議な服装とお面で
ピアノの弾く。演奏者の曲なんて誰も聴いてない有り様。歌謡曲を弾くように言われ、仕方なく弾く。ヤクザの親分登場と退場の時もゴッドファーザー~愛のテーマも弾かされる。
キャバレーでは絵描き、他ジャンルの演奏家など
様々な事情で働いている。
理想の働き口と現実と葛藤、アメリカへの憧れ。
博も南も『俺は一体何をやってるんだ、ここから抜け出し、もっと良い所に行く』ずっと呟いてたね。
出発前の3年間の錯綜されたドタバタ感の真情
が効果音と共に伝わってくる。
色々な間に挟まれ、目の前にある扉を出入り
しなくてはならない状態。
森田剛さんの渋い声と不気味な怖さと松丸契の
サックスは好かった。クリスタル・ケイさんの
歌声はずっと聴きたくなるよね。
アメリカに渡り、少し硬かった南博さんは
ノンシャランな演奏と気持ちを学んだ事でしょう。
悪くなかった
初見だとチープな印象を受けると思う。
東京テアトルの作品ということもあり、制作費が潤沢でないからか、街中を当時の車両が走る画が出てくるわけでもないし、衣装もポーターくらいしか当時を思わせるものはない。
内容的にも、コミカルなやりとりが中途半端に散りばめられていて、タイトルや時代背景から想像する感じからは少し拍子抜け。
ただ、鑑賞後しばらくすると、じわじわっと「そんなに悪い映画じゃないかも」と思わせる絶妙なシュール感で掴みどころのない不思議な作品。
夜の銀座に響く鍵盤の音にちょっとノンシャラントが過ぎた感じがしなくもない作品です。
ジャズが好きなので楽しみにしていた作品を鑑賞しました。
で、感想はと言うと…ちょっと思ってたのと違うかな。
惜しいと言えば、惜しい。
池松壮亮さんが一人二役で時間軸の違うそれぞれの役を演じてますがちょっとややこしいので、鑑賞前に前情報が無いと頭が追い付かなくなる。
変化球でもあるし、ファンタジーテイストがある不条理劇でもあるのでそこをどう受け止めるかによるかと。
個人的には予備知識無しのポスタービジュアルだけのイメージだけで鑑賞して、結構ハードルを上げて観たからなんですが、もっとハードボイルドな感じで、1986年に公開された角川映画の「キャバレー」のようなイメージかなと思っていたら全然違いましたw
銀座らしからぬ場末感漂うキャバレーでの懐メロの生演奏から始まるスタートは期待感満載で自身が求める演奏のチャンスをひたむきに求める博と夜の銀座界隈でピアニストとして顔になりつつある南。それぞれのジャズの入り口と出口が夜の街、銀座に垣間見得る。良い感じで進んでいくんですよね。
銀座と言えば高級クラブが軒を連ねる街でジャズのスポットも沢山ありますし、近くには「コットンクラブ」なんかもありますが、どちらかと言うと銀座より西側の方が東京はジャズ色が強く感じて、銀座はジャズに関しては些か「硬い」イメージ。
ただ、東京を代表する夜の街で屈指の高級繁華街。様々な権力者が闊歩し、ジャズの色を変えられていくには相応しい街でもあるかと。
様々な癖のありつつも味のある面子が織り成す銀座のジャズナイトは時間を追うごとに深みに入っていくんですが中盤辺りからコミカル要素も入りつつ、まあこれもジャズとしてはアリアリと思いながら、だんだん脱線していく感じ。
途中から“…これって脚本は三谷幸喜さんじゃないよね…”と思ってしまうくらいに群像劇にコミカル要素が強く感じていくんですよね。
もちろん、締めるところは確りと締めているので完全コメディにはならないんですが、それが逆に中途半端にも映ってしまう。
もう少し、ジャズの持つビシッとしたイメージを醸し出しても個人的には良かったのではないかと。
そうしないと森田剛さん演じる“あいつ”がコメディリリーフになってしまうんですよね。
様々な個性豊かな顔ぶれの中でも個人的には三木役の高橋和也さんが良い感じ♪
あと、クリスタル・ケイさんが出演していだけでジャズの薫りが漂うのは流石です。
中盤からのコメディ感はまだ良いとしても個人的には劇中でキーとなる「ゴッドファーザー 愛のテーマ」を許可なく演奏したと言うことで南が銀座の顔役、熊野に詰められるところから、どうも終わり所を間違えた気がするんですよね。
変にいろんな意味や意図を孕んで伸ばした感があり、ちょっと欲張り過ぎたのでは?と。
例えて、言うと煮込み過ぎたカレーに必要以上に隠し味を足してしまったと言うんでしょうか。
これをノンシャラントと言えば、そうなんだけど、ここにノンシャラントを詰め込み過ぎたかな…
日本ではジャズは大人なイメージが強いんですが、アメリカなんかだともっとアバウトと言うか、悪く言うと胡散臭いと言うイメージなんだとか。
なので、劇中で何度か出た「ノンシャラント」は「無頓着」と言う意味だけど、他にもいろんな意味があって、「落ち着いて」や「動じないで」と言う意味も孕んでいて、作品の本筋での意味や意図は無頓着と言うイメージだったらしいんですが、仲里依紗さん演じる千香子が南に何度も発したノンシャラントは「落ち着いて。それでいて拘らないで行こう」と言う意味も含まれていると思うんですよね。
ジャズは本来、自由と言うか即興性を重要視されるんですが、ただ単に自由なのではなく、決められた枠の中で最大限に自由に行こうと言うのがジャズのルールであり、そこが面白さかと。
そう考えると監督とこちら側(少なくとも自分には)に枠のズレがあったような感じがして、そこにノンシャラントが入ってしまったかとw
観る側の思い違いと言えばそれまでなんですが、もう少しジャズの心地好さと少し背伸びをしたような雰囲気を醸し出しても良かったかなと。
だから、冒頭の「二人でお酒を」は良いとしても、他にもいろんな渋い曲があるのに、酔っ払ったからといって何故顔役が「アキラのズンドコ節」なんすかとw どうもアレもアカンのですよね。
ちょっとノンシャラントが過ぎた感じがすると言うのが個人的な一意見として捉えて頂ければ幸いです。
ジャズな映画
面白かった。
あまり期待していなかったのですが、かなり楽しく鑑賞できました(期待していなかったから楽しめた、というところも大きいかも)。
ちょっとわかりにくい構成だけど、映画のトーンが自分の好みにあっていた。
でも、この作品をどういうふうに評したらいいのだろう。うーん、むずかしいなぁ。
分析して言葉をならべても、仕方がないような……。
とにかく、『BLUE GIANT』より、ずっとジャズな映画だった。
というか、この作品そのものがズージャのような気がした。あらゆる意味で、ね。
どういうことかというと、それは文章では説明しづらいし、説明するのも面倒なので、こんど飲み屋で話します♡
監督の才能を感じた逸品。
フリージャズ・ムービー
予備知識なく鑑賞したので最初は時間軸に混乱。
夢を追いはじめた三年前と現実を受け入れた三年後を行ったり来たりしているのかと最初は思いましたが、三年前と三年後が一晩で同じ世界で同時に進行しているという構造がわかってからはその不思議な世界観を楽しみました。
クリスタル・ケイさんの唄声、ジャズ演奏シーンも楽しめました。それに個人的にキャバレーとかクラブとかの華やかな夜の世界って惹かれるのです 笑。
コメディでもありカタルシスも得られて、型にはまらないフリージャズのような作品で面白かったです。
タララ タララララ〜♪
池松君のピアノ演奏が見たくて鑑賞。
予告から想像していた作品とはかなり違いましたが、私の知らない世界、銀座のキャバレーという場所とジャズが合っていて素敵な作品でした。
限られた大人の夜の遊び場。
毎晩賑わったであろうその場所も、
今はほぼ消えてしまいましたね。
景気が良かった日本、その裏にしっかりと存在していたヤ○ザの雰囲気も感じ取れました。
=昭和63年の年の瀬=
夜の銀座でジャズピアニスト志願の
博(池松君)が場末のキャバレーでピアノを弾いていた。
そこに、ジャズを愛する出所したてのヤクザ・あいつ(森田君)が現れ、リクエストされた
「ゴッドファーザー 愛のテーマ」
を演奏する。
しかしこの曲は、銀座を牛耳る熊野会長
(松尾さん)が自分のテーマ曲と決めており、演奏を許されるのは会長のお気に入りの南
(池松君)だけであった。
そのルールを博が破ってしまった事がきっかけとなり、南と博の運命が狂い出していく。。というお話し。
本作は、ジャズミュージシャンで
エッセイストでもある
南博先生の青春の回想録
「白鍵と黒鍵の間に ジャズピアニスト・エレジー銀座編」を元に、冨永監督が大胆にアレンジをした作品だそうです。
若き日の先生の3年間の青春を、年の瀬の銀座の一夜の物語として作り変えているそうで、主人公の南博先生を
「南」と「博」という2人の人物に置き換えているとのこと。
しかし、この2人は同一人物で?
彼の?3年前と現在を?
時間軸の操作により?
地続きで?時間が戻ったり進んだり?
交わったりしていて?
"一夜"として描いている??
と理解したのだが、、さて??
理解不十分かも知れません( ; ; )
時空を超えて一つに繋がっているような不思議な作品でした。
銀座に来たばかりで希望に胸を膨らませ、夢を叶えたい初々しい博。
演奏なんて聞かない客を前に、自分の本意ではない演奏を繰り返し続け、会長の機嫌取りをし、夜の街に取り込まれていく南。
2人の対比と、ループする過去、現在、そして未来。
私には難解な演出だった為、戸惑ったのだが、南と博の人生の焦燥感、混乱を表現していたのかなと思い、体感できた気がしました。
ラストはややファンタジーであり、又また難解な演出だったが、未来へ向かう「彼」には明るい光が待っているように見えました。
池松君のピアノ演奏は素晴らしかったです。せっかく本人が弾いているのだから、個人的にはもっとそれが分かるようなカットが欲しかったです。
サックス奏者の松丸契さん!
素敵でしたね。
デモテープを撮っている時の飛び入り参加。降りて来て欲しいよぉと思っていましたが、演奏後に池松君から松丸さんへの投げキッス!
ヤラレました♡
あの場面はジャズっぽい即興感が心地よかったです。
そしてあの場の雰囲気をグッと盛り上げたのはクリスタルケイちゃんの歌声!
彼女も、松丸さんも、本物の存在感はやはり違いますね♪
洞口さんお久しぶり。とても貫禄が出ておられ、お着物姿、艶っぽかったです。
里依紗ちゃんファンですが、演技も良かったですが、本作のあの役所は何故かミスマッチ?に感じてしまいました。
なぜだろーーー(棒)
私自身が読み取る力不足の為、本作のメッセージの受け取りが不十分だと自覚していますが、それでも雰囲気が好みで楽しめた作品でした。
正にジャズ!!ジャズな映画!
みなさんのレビューで補完したいです。
今回のクリちゃん
この作品の予告編を初めて観たとき、確かテアトル新宿だったと記憶しますが、その時の第一印象は「公開日が意外に先だな」と思いつつ、ただ、「これはテアトル新宿さんの自慢のodessa(音響システム)のPR映画では?」という訝しみもあったことは事実です。とは言え、その雰囲気といい、題名といい、そして予告編に次々と登場するキャスト達に期待は膨れるばかり。要するに私も作品を鑑賞して気が付く「騙された口」なのですが、それほどネガティブな印象はありません。いわゆる「シットコム」ですね。野暮を言えば、案外序盤から設定は「こういうことでは?」と気づく人も多い気がします。まあそれだって別にマイナス評価ではありません。
特に期待を裏切らないキャスト達の演技は素晴らしく、ちゃんと面白くてほぼ全部においてスベってません。
何と言っても三木役の高橋和也さんですね。私、この人が演じる「品のない」人物が大好きなんですが、今回も間違いなく鉄板です。ちゃんと「昭和の杜撰(ずさん)さ」が演じられていて、当時を生きていた私たちを掛け値なく納得させてくれます。
そしてクリちゃんことクリスタル・ケイさん。歌がサイコーなことは言うまでもなく、予告編でも流れるシーンは聴きごたえ十分で、まさにodessaで聴くとまた「一味も二味も違う」のだろうと想像できます。ただ、侮るなかれ。今回のクリちゃんは単なる「歌うま要員」ではありません。「シンガー」として米国から鳴り物入りの“つもり”で来日したリサを演じる彼女はセリフは基本英語ですが、南(池松壮亮)の「なかなかな英語」を相手の掛け合いが絶妙に面白く、さらに、ヨッパライとの絡みは爆笑です。そのほか、例を挙げればきりがないので省略しますが、皆さんいい味出していると思います。
では、総じて面白いのか?と問われれば「それなりに」と言った印象ですかね。かなり大胆に脚色してるようですが、原作(未読)とそのモデル(原作者)がいる話なのですが、決定的な瞬間はやはりふんわり感が否めない印象で、むしろ、見ている方はその表しがたい何かを自分に投影しながら観ていていると、結局、肩透かしな印象で「共感」止まり。ベタになっても、そのふんわり感をもう少し具体的に明示してくれた方がコメディとしてもメリハリが出来たような気がして少々惜しいと思いました。あと一歩!
最後になるほど「?」になるが思えば最初から「?」だった
2023年劇場鑑賞236本目。
ファンタジーアニメだと勘違いしていったら全然違ったぜ!
学生ピアニストの池松壮亮と、ヤクザお抱えのピアニストの池松壮亮がいて、片方が博で片方が南と呼ばれていたら二人の関係性はよほど鈍い人でないとわかると思うのですが、時系列をいじっているにしては辻褄が合わず、なんとかこちらで落とし所を見つけようとしても新情報でひっくり返されてしまう、という感じを繰り返しているうちにファンタジーな展開になってますます混乱する、といった感じでした。眠たくはなりませんでしたが面白いなぁという感じでもなかったです。
やはり、分かりにくい、、
公開後の三連休明けのお昼上映ですでにガラガラでした。
冒頭は何かを期待させる予感をヒシヒシと感じてました。池松壮亮さんは雰囲気もピアノもとても良かったです。仲里依紗も良かった。クリスタル・ケイさんの歌も最高でした、が、松尾貴史がヤクザの親分役にしては軽すぎるしミスキャストな感じで、高橋和也さん森田剛さんも最初の方は良かったのに、だんだん途中からもったいない使い方だなあと思いました。レビュー見てから鑑賞したのですがやはり主人公の二役設定は分かりにくかったです。大人向けの最高のJAZZ映画を少し期待したのですが最後は何の映画なんだか分からなくなりodessaシアターで+200円は必要なかったかなと感じました。
演奏の演技
ズンドコ前で終わってれば★4個ぐらいいってたな。
別に無理に落とす必要もないし、伏線も回収することもない。
一番いいところで終わればいいのに・・・と
構造だけで不条理ものだと察しがつくので、無理にエンディングつけることもなかったな。
いちばん気持ちいいところで終わればよかったのにと思います。
音楽は台詞より「伝わる」のを実感しました。
僕のJAZZ武者修業@銀座編
ジャズピアニスト『南博』の回想記が原作と聞いている。
オフィシャルサイトに掲載の日記の書籍化、と。
そのものは続編も出版されていることから
それなりの面白い著作なのだろう。
が、それを映像化すると、
ここまでつまらなくなるのかと、
驚いてしまう一本。
監督の『冨永昌敬』は直近で
〔あの頃。(2021年)〕や〔素敵なダイナマイトスキャンダル(2018年)〕を
撮っているわけだが、それよりも数段堕ちる、悲しいほどの出来。
94分尺の小編乍ら、体感は二時間強にも感じてしまい、
全体的に冗長。
一つのエピソードを最初から最後まで引き延ばし活用していることが
余計にそのように感じさせる要因かもしれぬ。
怪しげなバンドマスターやバンド仲間、
銀座の夜を彩るホステスさん達、
そして、組織の親分や幹部、それと曰くがありそうなチンピラ。
登場人物は一見魅力的も、
いずれもが散発的にしか機能せず、
加えてギャグにしたいのかシリアスに使いたいのかも判然とせず、
中途半端な限り。
物語りは、主人公がクラシックピアノで師事する『宅見』から唆され、
銀座のクラブで働き始めるところから始まり、
アメリカへのジャズ留学を決意するところで終わる。
『南博』を演じるのは『池松壮亮』、
入りたての頃と、ある程度年数の経った頃の、ややトリッキーな二役。
それが一晩の出来事で交錯する仕立てはユニークも、
却って人物の役割が見えにくくなる恨みがあり。
また、長じた頃のキャラクター付けも、最初は随分とクールに見えたのが
最後の方ではドタバタを演じる端役にも感じられる一貫性の無さ。
不可解なことこの上なし。
四丁目辺りから一丁目をロングで捉えるシーンは印象的。
夜空を背景に煌々と輝く看板の文字は「Brillia」。
しかし舞台の時代1988年当時なら
ここは「INAX」であるべきではないか。
魂は細部に宿ると言うが、こうした気遣いの無さが、
画面の全てを支配しているように見えてしまう。
全87件中、41~60件目を表示