ミッシングのレビュー・感想・評価
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視聴者目線
自分という型を壊したいと懇願した母親役の石原さとみさん。強い口調、暴力的、イライラ感と
ヒステリー。感情を剥き出しにした熱演だった。
それを支える夫役の青木崇高さん。
奥さんに対しブレーキをかけ、チラシや家計の
やりくり。冷静に動き対応していく。
自分がもし、その立場になったらあのように
出来るのかと不安も感じた。
森優作さんの怪しいコミ障の演技は上手だった。映画内で引き立つ。
テレビ局が視聴者目線で製作しなければならない
局側と記者。嫌な部分もそれが視聴者側が興味を
持てば良いなんて……。
世間の無関心な人々がメディアにより
関心され色々な波紋と亀裂をお越し
人間を蝕んでいく。あんな誘導尋問を
強要される記者も製作人も尋問された方も
同じ人間なんだ。いびつなパズルだ。
極限迄追い詰められた人間の感情を
ギリギリまで出させる吉田監督はある意味凄いし
怖い。
終始重苦しい
吉田恵輔監督の映画は初めてでした。
身動きも出来ない位衝撃的な感銘を受けました。
石原さとみの演技は、見ているこちらの心まで壊れてしまいそうな凄まじさでした。
心が抉られるようでした。
石原さとみだけでなく他の俳優達も演技が素晴らしかったです。
中村倫也さんは目だけで訴えるような名演技、
弟役の森勇作の完璧な演技。
知的障害を疑わせる不審さから
悪いことをしていないのに上手く言葉に出来ず疑われて胸が痛かったです。
そして終盤の青木崇高(旦那)の、まるで暗闇の中に一筋の光を見たかのような嗚咽には魂が揺さぶられ、胸に突き刺さり涙が抑えられませんでした。
本当に重く辛い、苦しい気持ちになりました。
でも最高に素晴らしい大傑作だと思います。
考えることがたくさんありすぎる映画ともいえます。
視聴率至上主義に毒されるマスコミと炎上をエンタメ化するソーシャルメディアの狂気
ある日、街で幼女失踪事件が発生する。両親はあらゆる手段で娘を捜すが、有力な手掛かりを得られぬまま3カ月が経過する。次第に世間の関心も薄れ、焦る母親は次第に正気を失っていく。
そこに追い打ちをかけるように面白おかしく事件を騒ぎ立て、家族を誹謗中傷するソーシャルメディア。それを見てさらに正気を失う母親と、そんな妻を冷静に我慢強く支える夫。この映画では、そんな容赦ない世間の声に苦悩する家族の姿が描かれています。
ソーシャルメディア(SNSや掲示板)を通じ、誰もが自由に意見を発信できる時代となった一方、ひとたび事件が起きればソーシャルメディアにとっては格好の餌場となり、誰か落ち度のある人間を見つければ、たちまち炎上して集中砲火を浴びせられる。
この映画では娘の行方不明が報じられると、被害者家族の傷に塩を塗るかのようにその落ち度を責め立て、さらに『これは自作自演ではないか』『実は両親が殺害したのではないか』など、憶測に基づいた根拠のない誹謗中傷が続々と書き込まれる。
さらに被害者家族が藁にもすがる思いで情報提供を求めると、虚偽の情報提供で被害者家族を振り回し、絶望に追い打ちをかける。
人の不幸をツマミに事件を娯楽化し、被害者家族に集団で石を投げつけるようなソーシャルメディアの鬼畜の所業にはただただ怒りがこみ上げてきます。
また、この映画では、被害者家族の苦悩と真摯に向き合い、事件を風化させまいと粘り強く取材を重ねる担当記者と、メディアとしての社会的責務を忘れ、視聴率至上主義に奔るマスコミの姿も描かれています。
事件が視聴者の興味を引くよう面白おかしくドラマ仕立てに編集を加え、ネットが炎上したと見るや、視聴率を稼げるコンテンツとして、せっせと燃料を投下し騒ぎに便乗する。話題性(ネットがどれだけ騒いでいるか)で取り扱うニュースを決め、視聴者が飽きると取り上げなくなる。
さらに酷いのは、無実である母親の弟を『挙動不審で怪しい』というだけの理由で、証拠もなく、まるで犯人かのように取り上げ、視聴者の誤認を誘って冤罪を作り出す。それがひとりの人生を狂わせてしまうかもしれないのに。
映画はこうした報道のエンタメ化や視聴率至上主義、大衆迎合に奔るメディアの姿勢にも一石を投じたかったのでしょう。
この映画では事件の担当記者である砂田だけが唯一、そんな報道姿勢に疑問を持ち、幾度となく『これはおかしいのでは?』と上層部に声を上げるも、そんな砂田の声は組織の都合が優先され掻き消されます。この映画では砂田の良心との対比により、マスコミの異常性がより際立つ形で描かれています。
また、この映画には事件の結末(行方不明になった子供の顛末)は描かれていません。それにより観客はどこかモヤモヤしたまま映画を見終えることになるのですが、あえて事件の結末を描かないことで、この映画の主題である『ソーシャルメディアの狂気と大衆迎合的なマスコミの姿勢』により目を向けさせたかったのかもしれません。
余談ですが、この映画は自分には『山梨キャンプ場女児失踪事件』と重なって見えました。事件は2019年にキャンプ場で女児が失踪し、16日後に捜索が打ち切られ、それから2年間、家族はチラシを配り、ネットで情報提供を呼びかけたものの音沙汰なく、家族はソーシャルメディアで誹謗中傷に晒され、そのうち何人かは名誉棄損などで有罪となりました。残念ながらこの事件は3年後に女児の遺体発見という結末を迎えてしまうわけですが、『あの家族もこんな状態、こんな気持ちで何年も過ごしていたのかな』と思うと、やるせない気持ちになりました。
悲しみに押しつぶされると人は…
姉弟
弟は最初のインタビューの時から涙を浮かべてた。
弟は姪のことをとても可愛がっていた。あの日もお家まで送ればよかったとずっと後悔していたのだろう。
うまく言葉にできないけれど、姪を亡くした悲しみは伝わってきていた。受け取る側によるのかな。
言葉にするのが苦手だったりうまく表現したりするのが苦手、コミュニケーションが苦手な人もいる。悪いことしてなのに勘違いされてしまう。
車の中で弟が姉に謝るシーンに涙した。
みうちゃんと遊んでる動画も良かった。涙が出た。とても可愛がってたんだね。
夫
感情を押し殺して奥さんを支えている。
常に冷静、おかしいと思ったり違和感を感じることはちゃんと伝えられる。
ホテルの外の喫煙コーナーで親子3人を観ながら涙を流す場面が切なかった。
映画終盤、行方不明になって保護された女の子とお母さんに声をかけられた時、堪えられなくて流した涙が本当の顔なのかな。
さおり
とらぶゆーはカメラマンのツッコミより先に思った。きっと観客はみんなそう。
弟への態度がすごい。家族だからって許されるのだろうか?
言葉が汚くてびっくりしたが悲しみの極限に立たされたり、精神的に辛すぎるとあぁなるのかな?
ちょっと怖かった。
他の女の子の行方不明事件でビラを配ったり自治会を巻きこんで行動したりすごい。
見つかった時も本当に喜んでて、ブラックな部分が消えてきた。
小学生のために安全を守るボランティアをはじめたり。
行動がすばらしい。癒えることも忘れることもないけれど、少しずつ受け止めてられるようになって行くのかな。
健全なネット文化のために、本作こそ文部省推薦の教育映像映画になってほしい
「一縷の望みを託す」といいますが、一縷とは「細糸一本のように今にも絶えそうな。かすかな。」という意味だそうです。いっぽうでインターネット関係の用語「ウェブ」とは蜘蛛の巣のこと。藁にも縋る思いは、デメリットのほうが多いと判りつつもネット情報を読み、案の定こころ搔き乱されるだけに。
ネットを悪者にするのは何かにつけ昨今の流れですが、悪い面がこれほど強調されても遠ざける向きにならないのは、原発と同じで必要悪の位置付けに収まっているからでしょう。
弟がらみのあやしい事情も結局はなんでもなく、振り返ってみればこの映画では登場人物に悪い人間はいませんでした。いたずら電話の声、石を投げた者、誹謗中傷の訴えでの逮捕者、かれらは影も写されません。
そのあたりから私は、子供の失踪に加えてもうひとつの焦点をこの映画に見出しました。捉えにくい表現しか思いつきませんが、それは「実像を現わさないでいる人間の悪意のほど」です。
wwwww と並べたり、……じゃね?という言葉遣いを選んだり、ググレカスといったネットスラングに通じることがネットを使えている人だと錯覚している人が少なくありません。かくいう私もそのひとりでしたがさすがに卒業しました。そして今思いますのは、ネット越しであってもリアルに対面している状態と同じ心境で他者と接することができてはじめてネット1年生だということです。ハンドルネームを使っていても。
しかし世の中はまだまだネットを特別視していて、特別視しないといけない限り未熟の域を脱せないジレンマから抜け出せそうにありません。
かつての2ちゃんねるが育んだ感のある、なにかにつけディスって楽しむ悪習や、邪推先行のレスポンス、それらの書き手は姿を現さないのではなく、視点を引いてみればそういう世界を容認している自分たち自身の罪でもあると受け取りたい。そして、いささか衝撃は強いですが、いや強い衝撃だからこそ伝わると期待して、こういったネット越しの倫理観を啓蒙してくれる本作のような映画作品をこそ、文部省推薦の教育映像映画として、学校をはじめとした教育機関での上映をおこなってほしいと思いました。
憑依的演技を目の当たりにし、他者の絶望的不幸が親身に重なる、その洗脳級の衝撃を受けたのですが、そのレビューは書いてみれば自分でも意外に、ネット文化の啓蒙に一石投じたい云々の、こんなところに落ち着きました。
熱演=名演ではない・・。 悲話=感動でもない・・。(途中からネタバレ)
目が潤むシーンが多いが、"悲話"="感動"とはならず。
石原さとみの熱演は認めるも、私的にはそれほど感情移入出来ず、私平均を僅かに上回るぐらいの評価に・・。
(感涙というより、もらい泣きしてる場合も多いかと・・)
まず序盤は、娘が行方不明になった親、それを取材するジャーナリスト、最後に会った弟、を状況描写ですんなり説明して、引き込みが巧いと感じる。
が、それ以後が "枝" ばかりが横に広がり、本筋は全く進展しない・・。
まあ今作はサスペンスではなく、"葛藤する夫婦"の物語なので、それ当然かもしれないが、苦悩する夫婦ばかり描写されても素晴らしいとは感じ得ない。
石原さとみの演技が素晴らしい、との事前情報は勿論、熟知していたが、"熱演で"あって"名演"ではないのでは・・と観る前から邪推していたが、鑑賞後にやはり当たってしまったと感じる。
車に乗り込んだ記者に顔を崩して訴えるシーンや、偽電話に泣き崩れるシーン等、「綺麗なお姉さん」のイメージをかなぐり捨てての熱演は誰の目にも訴える。 が、感情が直ぐに言葉になっている描写が多く、もっと目で訴えるというシーンを与えていれば、果たしてそれを巧く表現出来たか・・という気もする。
彼女は確かに"熱演"したが、エマ・ストーンは「哀れなるものたち」で"大"熱演した。 ハリウッドでも指折り絶世美女のシャーリーズ・セロンは「モンスター」では、ハンバーガーを日に20個近く食し、自らを醜く激太りさせ、凶悪犯を熱演して主演女優賞に。 そう、上には上がいる・・。
(あまりに石原さんが絶賛されているので、つい冷めた内容を書いてしまう事に・・)
私は記者役の"中村倫也" の方が目に留まった。 "動"の演技をしている石原とは真逆で、"静"の演技。 彼には無言で見つめるという(僅かな時間だが)シーンが何度もあったが、常にその"目"で演技していた。
台詞がなくとも、「ちゃんと見守っていますよ・・」「間違いないんですか!」などの胸中の言葉が聞こえる様な目をしていた。
全般的に辛いシーンが多く、チラシを余分に印刷してくれた業者のおじさんなど、じわっとくる物が伝わるが、あの様な演出がもっと随所にほしかったとも感じる。
ラストネタバレ ↓
★平均も高い今作だが、今作の最大の欠点は行方不明事件が、一歩も進展しないでラストを迎えてしまう点。
SNSバッシング、弟の賭博など横道に広がるばかりで、
誘拐とも事故ともなんの情報も無く、ずっと益なき労働をしている両親の辛さを訴えてのエンディング・・。
上映終了後、映画館通路で見終わった70代ぐらいの夫婦の奥さんが「弟が子供見つけた時、やっと解決かと思たのにな~・・。 結局不明なままなんやろ・・。」とポツンと夫に。 まあ作品に満足してないのは確かな言葉・・。
今作の様に曖昧エンディングが最近多く、私的には好きでないが、日本人は欧米人よりサッドストーリーが好きと言われるのが、今作平均★の高さがそれを物語っているかと。
諦めろという何らかの圧力が課せられて、それに反する両親の努力後、解決になんらかの光が見えてのエンディング・・ という様な作品なら
私の★ももっと上がったかと
評価高いけど、、良さがわからなかった
家族との幸せなシーンは最初の流れる映像だけ。
あとはひたすら、娘が行方不明になったことに憔悴して、マスコミに叩かれながらも必死に1%の手がかりに縋り付こうとする沙織里と、それを少し冷静に見守る豊の夫婦を描いている。
豊は最初冷たいなーとは思った。同じ娘を失ったのに熱が違いすぎて、沙織里がイライラするのもわかる。
でも確かに2人して取り乱していてはダメなんだろうな。
沙織里の弟がまたひどい、なんでこんなに無責任なんだろうとか、非協力的なんだろうとか思う。でもこれもあとから理由はわかる。姪の命より自分の身の方が大切だという、残酷さも感じる。
行方不明になっている子の捜索ニュースはたまにあるが、どこかそれを見ているような気分になって、どちらかというと映画というよりドキュメンタリーを見ている感じがした。これをあえて映画にする意味がわからなかった。
なりふり構わず演じている石原さとみはすごいが、どこか作りものっぽくて冷めて見てしまった。
最後の最後で、豊がほろっと堪えきれずに泣くシーンは良かった。
最後、解決することもなく、そのまま終わってしまったので、え?終わりなの?このまま続くの?と特に感動もなく不完全燃焼だった。
生きるための道標
吉田恵輔監督の映画は初めてでしたが、実に身動きも出来ない位衝撃的な感銘を受けました。
事件そのものは背景であり、ほとんど展開することもありませんが、その状況の中で人間が何を考え行動し、どうやって歩んで行けるのか、大変深いテーマを描いています。
石原さとみは おそらくは命を削りながら臨んでいるような演技で、見ているこちらの心まで壊れてしまいそうな凄まじさでした。
警察署の場面、沙織里の目の光が失われ、眼前が真っ暗な闇になったのがはっきりと分かり心が抉られるようでした。
さくらちゃんの無事を知った時の、喜びと絶望が相反していながらどちらも嘘の無い真実の思いに震えました。
(確かに撮影後日常に戻るのも大変だったかも知れません。)
しかも石原さとみだけでなく他の俳優達もとんでもない。
中村倫也はあまり表情を表さないのに心の葛藤や内面の矛盾などの複雑な感情を表現して見事でした。
また大変難しい役であったろう森勇作の完璧な演技。
序盤の知的障害を疑わせる不審さから姉に胸の内をはきだす終盤まで実に濃いキャラでした。
そして終盤の青木崇高の、まるで暗闇の中に一筋の光を見たかのような嗚咽には魂が揺さぶられ、胸に突き刺さり涙が抑えられませんでした。
きれいごとでも絶望でもないあのエンディングもこれ以外無いと思います。
こうでなかったら物語はずっと薄いものになっていたでしょう。
この世界には理不尽で残酷な事もあるけれど、それでも生きてゆく道標(みちしるべ)を示す終結は深い余韻をいつまでも残してくれました。
本当に重くつらい、でも最高に素晴らしい大傑作だと思います。
ドキュメンタリー
涙は出なかった。
絶対泣くとハンカチを握りしめて鑑賞したが、そうじゃなかった。
テレビドラマだと、展開や結末が求められるが、映画とはこういうもんだと。
子供が失踪し、その裏側を淡々と描いている。家族、マスコミ、ネット社会。期待するようなことは何も起こらない。それが現実。現実とは良くも悪くもただ時間だけが過ぎ去り、時間が何かを癒してくれる。
それでも救いは、夫婦仲が壊れなかったこと。
映画の世界に没頭するというより、もし自分の身に降りかかったらどうだろうと、映画を見ながら客観視しているとこがあった。
きっとうちの夫婦は崩壊してただろうな。夫婦が同じ気持ちだからビラ配り続けられるんだろうな。一人だったら、ビラ配り続けられないな。
そして、現実に起きた過去のニュースも思い出していた。あのお母さん頑張ったな。何十年たってもビラ配りを続けてる家族すごいな。毎年必ず報道される短いニュースの裏側には、寄り添う記者がいるのかな。
最後に思うのは、うちの子は無事に成長してくれて、今日も毎日家に帰ってきてくれることに感謝。
全ての人が観るべき映画。
すぐに不適切だ、不謹慎だ、誰が悪い彼が悪いとネットで誹謗中傷、非難、炎上する今の時代に、全ての人が観るべき映画。
その炎上コメントを書き込む前に、この映画を観てほしい。
世の中いつからこんなに狂ってしまったの?という石原さとみの台詞が重たい。
そして石原さとみの演技が本当に本当に素晴らしい。
かなり辛い内容だが、一度観る価値はある。
娘が突然行方不明になってしまった家族が精神的に衰弱していく様子をひたすら描いているので、鑑賞には体力と覚悟が要求される。
しかも、最後まで失踪した娘は見つからず、話にも救いは全くない。
この内容だけだったら、きっと二時間もたずに鑑賞を止めていたかもしれない。
それくらい観るのがしんどい映画。
しかし、夫婦の視点とは別にマスコミ側の視点が描かれていたことがこの鬱映画の良い緩和材になっている。
基本的に、マスコミは他人に起きた不幸を傍観している立場である。したがって、当事者の夫婦の視点から見る絶望的な世界からマスコミの傍観者としての世界へと視点が度々切り替わることにより、観客はこの悲劇が自分に起きた出来事ではないと感じることができるため、一時的に安心感を得られるのだ。二時間の上映を最後までしっかり観られたのは、この視点の切り替えによる精神的緩和が効いていると思った。(一種のシャーデンフロイデのような人の嫌な部分を感じさせもするが…)
シリアスな話ゆえに全体的に見ごたえがあり、観賞後に良い作品だったと思えるのである。
ただし、話が重すぎてもう一度観たいとはあまり思えなかったため星4以上は付けられないが、星3.5の佳作として十分評価できる映画。
あらゆる感情をみごとに表現
救いのない結末に暗い気持ちで帰途につきました。
これは日々、どこかで実際に起きていることなのだと、その当事者の方にも思いを馳せながら。
この悲劇が自分に降りかかったら、どう行動できるのか?正常でいらるのか?と自問しながら。
石原さとみさんの感情の動きに合わせて苦しくなる場面の連続でした。
家族でさえ思いを共有しきれない不安や焦り、勝手な憶測で傷つけてくる他人。
堪えきれず漏れでる呻き声を思い出すと、今も苦しくなります。
石原さとみが心身全てを投じた作品「Missing」 誰が見てもその境地を感じる作品です。
産後間もない石原さとみが、自ら新たなるスタートだと言いきる。全く新しい境地となる作品「missing」。。
間違いなく実話を元にしているわけで(当事者に直接話を聞いている?)ラストに、着信があり「もしもし?え?娘が保護されたんですか!?」という含みを持たせたハッピーエンドかバッドエンドかわからないような、、そんな終わり方にしてくれるんだろうなと勝手ながら思っていましたが、現実はそんなには甘くはない。。
案の定、嫌だここで終わらないでくれ、、、嫌だ、、というところで終わるという胸糞。。。
しかし、考えた事があるだろうか。。
自分の愛おしい娘息子が当たり前にいることが当然当たり前であり、成人を迎えるのが当たり前という中で、突然消えてしまう娘息子。。
果たしてあなたはそのとき、石原さとみの演技を映画の中でのただの演技だと終わらすことができるのか、、自分ならどれほど心が壊れる程苦しいか考えてみてほしい作品です。
あなたの子供は、目が合えばいつでもあなたのことが大好きだよって笑顔も見せてくれますよ?
そんなときあなたはどんな顔を返してあげますか?
最後の旦那さんが泣くところ
子どもの居なくなった悲しみを知る母親…という気持ちがわかる味方が奥さんに出来たのが嬉しかったのかな…と思いました。
無事に見つかった子供に嫉妬ではなく、心から良かったと言っているのが好印象でした。
“映像の見せ方”に困惑
人間のリアルな心情を描くヒューマンドラマ映画が好きなので見に行ったが正直、期待はずれ。
終わりのない不安、自己嫌悪、周囲への怒り、いたずら行為の実態が描かれていたが、正直それらを全て含ませて何を伝えたいのかが分からなかった。
さおり(石原さとみ)が前へと進む結末をゴールとするならば、“2年後”みたいに変化の起こる期間をすっ飛ばして良いはずがないと思うのだが。執拗に弟に焦点をあてる必要もなかったのでは?
この監督の作品が初というのもあるかもしれないが、演出や設定、設定に対する脚本がどうも受け入れられなかった。
商店街の喧嘩話やスーパーでの顧客対応、ホテル従業員の言葉遣い、誹謗中傷しかない書き込み、警察からと勘違いしたいたずら電話、砂田さん(中村倫也)の愚痴をこぼすシーン、景色をただズームアウトするだけのカット、逆光を利用するためだけのヌルッとしたカメラの動き。
気になりすぎて内容が全然入ってこなかった。
序盤から手ブレが酷い時点で、嫌な予感はしていたが…。
行方不明事件から何ヶ月経っていて、警察とのやりとりや事件の成り行きなどが不明瞭な点と、怪しさ全開の弟の素振りは、見る側を困惑させる要素でしかなく、モヤモヤした。
さおりの心が崩壊していく様子はよく描かれていて、体験し得ない話であるだけに心が痛かった
お気持ちは分かるって、どのくらい分かる気持ちで言ってます?
行方不明になった娘を探し日々憔悴していく母親を、石原さとみが演じる。ネットの書き込みを見て、世間の辛辣なる暴言と冷たさに削られていく精神状態が痛々しい。というか、役作りが真に迫りすぎていて、言葉を失うほどスクリーンに見入った。髪はボサボサ、服装にさえ気を配れず、目は血走っている。口の端が荒れるほど役に没頭する石原さとみの凄み。
子探しの母と父の温度差が伝わってくるが、それは見た目。父親がけして無関心なわけではなく、母親の暴走を冷静に見極めようとして、むしろ落ち着かざるを得ない。たいてい、こういう経過をたどった夫婦は離婚しがちだけど、しなくよかった。それだけでも父親青木崇高が母親石原さとみに寄り添ってあげていた証左だ。
その夫婦の熱量に、どの立ち位置で接していいのか悩むテレビマン。夫婦に寄り添うか、視聴率を取れる"面白い"番組にするか。人は概して、その出来事がわが身のことにならないと本当の痛みはわからないものだ。だからたとえ小さなことでもわが身のことになればすぐに痛みを感じてしまう。それが世の中なのに、他人であるテレビマン中村倫也に折れない良心があったことが救いだった。
そして数年経ち、なんの希望も見いだせない母親は、緑のオバサンを始める。子供たちに寄り添うことで自分の気持ちを癒すのではなくて、少しでも子供たちを守る側に立ちたいって気持ちからだろうか。その姿を見た時、ああこれはこのまま未解決となるのだな、と察した。そしてその通りだった。その終わり方は辛いのだけど、むやみにハッピーに終わらせるよりもリアリティがあっていいと思った。
先日、映画『正義の行方』を見た。こちらはドキュメンタリで、女児二人殺人容疑で死刑確定し執行された死刑囚が冤罪ではないかとして再審請求をいまだ弁護側は続けているのだが、もし冤罪が晴れたとして、じゃあ本当は誰が犯人なのかモヤモヤは晴れない。そんな事件をはじめとして、世間では、失踪や誘拐を含めて子供が絡んだ未解決の様々な事件がたくさんあるのだろうな。そして、当事者のほかはそんなニュースを聞いても、また新しいニュースに流されて忘れていくのだろうな。
生き地獄
子供を持ったことがあるヒトは多分見ていられない。キツすぎる。
子持ちにとって考えうる最悪の事態で、観たくないと思いながら映画ファンの性で観てしまった。
モデルになったのは、山梨のあの事件だろうと容易に想像がつく
顔を知っている個人的に関わりのある人達は概ね、夫婦に同情的で協力的だが、ネット上ではバッシングの嵐。プライバシーは暴かれ、根拠ない憶測からとんでもない決めつけと、誹謗中傷が横行する。ネット上の顔の見えない相手はただのアイコンでしかなく、送信する側も匿名なのでお手軽お気楽に蜜の味の他人の不幸を楽しむことができる。うさばらしや、正義の押しつけ、顔を知っている人達にはとてもできないことができてしまうのだ
ネットを見ないのが一番と思うが、そうできないのが人間だ
報道は、影響の大きさからあくまでも公平であるべきで、憶測や根拠の少ない決めつけにそった編集をしてはいけないのは「正論」だが、所詮視聴率あってのものなので、良心的報道を心がける記者にはジレンマを生む。砂田のような良心的記者がどれくらいいるのだろう。
石原さとみが圧巻。
娘を取り戻したい一心しかない、取り戻すためなら何でもする
時に愚かですぐに取り乱す、キレて暴言を吐き、当たり散らす。かと思えばすがれる相手には土下座せんばかりに行動を謝罪して身も蓋もなく協力を要請する。
ちょっと地方のヤンキー入ってる、し◯むらのトレーナーやTシャツ着てそうな普通の若い母親を、演技とは思えないくらいリアルに演じる。キレイな可愛い子ちゃんなところが微塵もない
そして、夫・豊役の青木崇高が素晴らしい
黙って諸事万端切り回す。実は細かいところにも気を配っている
大抵の夫婦なら、この二人の夫婦喧嘩の様子にリアルを感じると思う。
胸が張り裂けて普通でいられない妻を支え続ける。暴言吐かれても一緒にキレることなく、控えめに宥めて妻を刺激しないように、落ち着かせようとする、そして、自分としては反対でも最終的には妻の意志に沿ってできる限り付き合う。彼は暴言吐かれても振り回されても妻を一切責めない。妻の辛さが十分分かっているからだろうと思うし、自分まで壊れたらおしまい、と、頑張って冷静に踏みとどまっているよう。
救いがないこの映画の中で、このふたりの夫婦愛だけが、若干の救いだった
沙織里の弟圭吾は、多分知的にボーダーか発達障害だと思う
騙されやすかったたり変人や怪しげに見えたり生きにくいタイプだと思う。
姪の失踪で一番傷つけられ救われないのは彼だ。
テレビ局は明らかに視聴率狙いで彼のインタビューを撮ったのは明白、事実反響は大きく。
そもそも番組作成側に彼が犯人というバイアスがかかっていなかったか。
決めつけは冤罪を生むことに繋がると分かっていながら。
娘が保護されたという電話に、私も眼の前が明るくなった。ドキドキして嬉しかった。
希望の絶頂からどん底へ。そんなイタ電するか、それ、面白いのか
ヒトの悪意の底知れなさに胸が詰まった。
新たに行方不明になった女児が無事保護されたとき、沙織里は本当に「よかった」と思ったのか。なんでうちの娘じゃないのか、とか、うちと同様に見つからなければよかったのに、と思わなかったか
この失踪女児の母親が、駅前でビラ配りをする夫婦のもとに現れて、できることをさせてくれ、というところ、彼女も犯人が元彼で、相当バッシングされたと思う。それでも申し出る。そこで今まで堪えていた豊が堰を切ったように嗚咽する。
心が抉られるようでもらい泣きしてしまった。
こういう繋がり方ができるのが、本来のヒトではないのか
幼い娘が失踪した夫婦に起きうる事態を網羅したようで、エピソードが多く、尺が長いが、省略しても良いと思われるものが一つもなく、始終重たい心で最後まで観ました。
誹謗中傷に豊が立ち上がり、弁護士に相談、泣き寝入りしない行動を起こしたことで投稿者が検挙される。やりたい放題は許されず法も無力ではないことを示したのは良かったと思う
見終えて、重苦しく苦い思いで胸が塞がる。
夫婦の苦しみには終りが見えない
延々と、いつまで続くのか
生き地獄だと思う
結局他人事だよね
作品を見終わった時、何を伝えたかったのかわからなかった。ただ、石原さとみの発狂寸前の演技に圧倒されるだけで。
犯人探しでもなく、娘がみつかるわけではなく、母娘の愛情にお涙頂戴でもなく。起きた事実に対して家族の周辺が描かれていて周りの反応を通してただただ不幸なこの出来事を監督は冷めた目線で見つめている。
支援者、マスコミ、警察、SNSどれをとってもどこかで冷ややかである。
1番印象に残った場面は石原さとみの独白の部分。
心からの母親の告白の中で「何でもないようなことが幸せだったと思う」のところ。「虎舞竜?」ってカメラマンが気づいちゃう。そりゃあ観ている観客だって気付いてますよ。だけど言っちゃいけないでしょう、お母さんの心からの声ですよと反射的に思った。撮影は一時中断で場もしらけた感じになっちゃうし。中村倫也ももっと怒るべきなのに軽く咎めるだけだし。
あの場面を採用する監督の意図はいかにと考えた時、思ったのはどんなに不幸があってもどこかで他人は他人事なんだよなって事。
戦争にしても、震災にしても。自分にふりかからない事柄はその苦しみはその当事者にしか分からないんだとこの作品を通して感じました。
いろいろ考えさせられた良い作品だと思います
現実がそうであるように
現実に起きている凄惨な事件がそうであるように、この事件にも色んな要素が絡んできます。
売らんかな主義のマスメディア、誹謗中傷が大好きなインターネットやSNS、母親という属性にのしかかる圧。
作品内では言及されていませんでしたが、森優作くんが演じている弟くんは発達特性のある人をイメージしているように思われました。
姪の面倒を放って先輩に誘われるがままにカジノに出かけてしまうのは、衝動性優位のADHDの人の行動を連想しました。
いろんな要素が詰まっています。現実に起きた事件は、映画のように「テーマは〇〇」とかはないです。
色んな要素が絡まって、人間は信じられないような行動を起こしてしまう。
優しい人や、分別のある人でもみんなおかしくなってしまうことはある。
なので、感想はずばり「ズシーンとくるよ」の一言で終わってしまいます。
考えることがたくさんありすぎる映画ともいえます。
一つ言えるのは、わたしたちは現実に起きている事件にどう向き合っているか、この映画を見た後でふり返ってほしいということです。
マスメディアの人たちも、誹謗中傷をするネット住民も、「物語」を消費するだけ消費して飽きたら忘れてしまう大衆も、すべて「わたし」だと感じました。
椅子から立ち上がるのに時間がかかった。
自分は独身なので、父にも母側の気持ちにも寄り添えず。ディレクターにも感情移入はできず、強いて言うなら弟だけど、後半までは弟が犯人との疑いも拭えず。
旦那が優し過ぎるし、母親も負い目はあるのに感情を出し過ぎるし、ディレクターも悪人になりきれてないし、弟は自殺するんじゃないかってくらい追い詰められてるのに、普通に生活しているし。
現実的すぎるよ、映画なんだからそんなに現実求めなくていいじゃん、旦那はもっとブチギレようよ。記者も局を辞めちゃう同僚にキレようよ。スーパーで絡まれた弟は、不良のガキどもに殴りかかってメチャクチャになろうよ、はっさく畑で、市場で、セメント工場でみんな暴れようよ。
誰が犯人なんよ、みゆちゃんは死体で見つかるんでしょ?生きてて監禁されてる状況で見つかるの?さぁ、ここから後半どうなんのよ、ねえ、ねえって。
この無責任さが、ネット中傷してる奴等と変わらないんだよなって。エンドロールが流れて、劇場の照明がつく手前まで、衝撃的な最期に期待をしてしまった。
そんな、人の心を失った自分。
これがこのタイトルの所為なのかなと。
「リアルが面白いんだよ」
警察が記者に言った台詞。
今回刺ささった言葉はここ。
家族がいたら、もっと違う感想が出るんだろうと思う。やはり吉田恵輔、今回もいい作品でした。
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