ミッシングのレビュー・感想・評価
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何を無くし、何を失ったのか
主人公(石原さとみ)は幼い娘が突然、行方不明になり、夫(青木崇高)と探し続けているが、精神がまいってきた。
テレビ局のディレクターも協力してくれているが、満足していない。
主人公の弟(森優作)はあまり協力的ではない。
自分の子供が突然消えてしまう、これに耐えるには憎しみの感情しか無いのか。
“伝える”ことに焦点を当てている
「何でもないようなことが幸せだったと...」虎舞竜の歌詞を口にした沙織里(石原さとみ)の失禁や嗚咽、発狂など迫真の演技に魅せられました。
沙織里だけでなく、いろんな立場の人の氣持ちを描いていて、ツッコミどころも登場人物がしっかりツッコミを入れてくれて、痒い所に手が届いていました。
序盤は怪しい人をピックアップします。
報道の裏側やネットに書き込まれる憶測、番組を見た人たちの思い込みについても描いていて、情報操作についても考えさせられました。
伝えるということの深さについては、言葉では伝えきれません。
ビラの印刷をオマケして持ってきてくれたシーンから、行方不明の子が保護されるシーン、壁の絵に虹がかかるシーン、保護された子を連れた母親が路上で声をかけてくれたシーン、弟の圭吾(森優作)と二人でクルマの中で泣くシーンなど、闇に差し込む光が徐々に増えてくる感じがたまらなく素敵で泣けました。
ラストは自分の子を愛するように人の子を愛する沙織里の中に人類愛のようなものも感じ、とても素晴らしい作品だと思いました。
「過剰を演じる」事と「過剰な演技」
石原さとみ、渾身の熱演
失踪した娘を探し続ける母親役の石原さとみの、折々に感情が迸る熱演が強烈な印象を残します。終始冷静な立ち位置で寄り添う夫役の青木崇高との、動と静の好対照が、単純なストーリーの本作にも関わらず、観客を身につまされる思いにさせていたように思います。
それは、カメラの視点が夫婦ではなく、地元テレビ局記者・砂田に扮する中村倫也の目線であり、従いニュースに対するマスコミ・テレビ局の、やや岡目八目的な姿勢・行動原理が曝け出されたように思います。
本作は、吉田恵補監督の前作『空白』同様に、BGMが少なく、手持ちカメラで常に画面が微妙に揺れ続け、フィックスでは撮られません。人物は正面アップが殆どないけれど横顔を寄せて撮り、対話の片方を映していました。
凝ったカットではないので、『空白』と同じようにドキュメンタリーフィルムのような仕上がりです。
前半は幼女の突然の失踪事件、その時の当事者である母親の弟の不審な行動、事件発生時の母親の所在、それに対する世間SNSのバッシングというエキセントリックな事実が起き、本作のいわば事情背景が尖鋭的に、刺激的に早いテンポで展開します。
これが伏線となり、後半は犯人を追及する、ややミステリー仕立てで進み、しかし膠着した状況が延々と展開されますが、終始記者・砂田の視点で描かれるので、その時々の母親の喜怒哀楽の抑揚が客観的に眺められたように思います。
登場人物は少なく、ドキュメンタリー風なので物語そのものはシンプルであり、起承転結も明確ではありません。プロローグとエピローグで、実は事実関係は何も変わりません。その点でのフラストレーションが大いに残り、ドキュメンタリーゆえにハッピーエンドでもバッドエンドでもないため、観賞後の不完全燃焼感、モヤモヤ感は払拭しきれません。
ただラストで、それまで沈着冷静で妻に献身的だった夫が、堰を切ったように慟哭し咽び泣く、このシーンの崇高な重厚さとカタルシスに幾分救われた気がしました。
フィクションで良かったと心から思った
みかんの「きれい」
世界にある「きれい」、自分の中にある「きれい」
を見つけていく彼女の心に気づいた時に感動した
「わたしたちは心を失くしてしまったのか」
「失くしたのは、心でした」
心を見つけていく映画でした
川で自分の好きな石を手に入れたこととか、
友達にあの日の一言の意味を尋ねることとか。
きっと、
一つ手に入れることは全てを手に入れることで、
一つの謎を解くことは全ての謎を解くということ。
それに気づいた私の過去を思い出しました。
みかんの「きれい」は、あなたの「きれい」であり、
世界の「きれい」なんだろうと。
生きてるうちは、否応なしに、自分の正しい在り方を葛藤させられるし、
1番欲しいものは手に入らないけど、
みかんを「きれい」と思える心を忘れないでいたいとか
どうにもならないそれぞれの葛藤が痛い
どの役の方も、素晴らしい演技。
いや、演技なのか?
と、思えるほどの熱が伝わってくる。
どうにもならないイライラを周りにぶつけてしまう母。そのイラつき方が絶妙。ホントは夫が責めてくれたら。いや、支えてほしい。そのどちらも、すべては自分を責め続けている苦しさにある。
いっそ、消えてしまいたい。でも、そしたらもし、もしも、いつか娘が戻ってきたときに会えないじゃないか。いつか、いつか…いつか……いつだよ…。
切ないほどの葛藤を、石原さとみが演じきっている。
子育てって、そんなブラックポケットを抱えながらの毎日。大丈夫だろう…そんな言葉を何度つぶやき、打ち消し、面倒な手続きを時間を割いて、ようやく当たり前の日常が送れるんだ。当たり前じゃないんだよ。
弟のこと、夫のこと、マスコミのこと。どの視点からも手抜きのない描かれ方のように感じました。
秀作です。
実際に子供の失踪は結構起きている
実際、世界中で結構な数の児童の失踪が発生している。これは事実だ。
幼いやんちゃな男の子を育てている俺は時々思う。遠出した先でこんな自分の家もわからない子が迷子になったらどうなるだろうか? その時の親の気持ちを感じたくてこの映画を観た。
大きな展開の無いストーリーだが、その分所々の母親の狂うシーンが際立って2度涙した。そりゃ狂うだろうさ。映画の中ではあまりフォーカスしていないが、責められるべきはとにかく犯人だろうが。
映画の作りとしてはとにかく主役女優の演技の良さを中心においた作品で、人に近い目線で作った自然な映像だった。エンドロールに向かう風景や光の映像もしんみりとしてよかった。
ありがとう。
最後まで集中して鑑賞できた。
悲しみに飲み込まれた
悲しみに満ちみちた物語。
いなくなった子供を探し心が壊れ掛けた母親。
その過程を描くのではなく、失った子供を探すことへの執着と報道のあり方を模索するテレビマン。
子供を探す親を追う報道のあり方を描き、そのあり方を主体としたいのもわからなくはないのだが。
出来れば子供を失った親がこれからどう新たな扉を開くのか?そこをもっと丁寧に描いた終わりにして欲しかった。
失っている間の悲しみの共感は得られるが、それのみを描かれても物語として満足できなかった。
綺麗・品性を投げ捨てた女優石原さとみを見よ
MISSINGの意味は「行方不明」「抜けている」等の意味がある。この映画では冒頭娘が「行方不明」になったことが描写されるが、この映画のMISSINGは、夫婦のもとから娘が「抜けて落ちてしまって」今までの日常生活が維持できていない様を強烈に描出する。
それは妻沙織里役の石原さとみが、夫に八つ当たりするイライラ感のテンションの高さ、テレビの報道番組の取材に出演した後のSNSの口コミに思わず口走る汚い言葉、何かの衝動に一瞬で衝き動かされる目付きと身体。沙織里の日常は維持できないというより崩壊しているのだ。ただ妻に八つ当たりされる夫も深い悲しみの底にいて沙織里がイライラをかかえて先走るのをなんとかフォローし家族を維持しようとする姿も描出している。
吉田監督は、この映画で報道、SNSのありかたを見る者に提示している。テレビ局の記者砂田とその後輩駒井の報道姿勢をとおしてである。報道の原理原則は「事実をしっかり伝える」ことだ。二人の報道姿勢もこの原理原則から逸脱していない。多くの人が気軽に日常的に使用しているSNSについても夫婦や妻の弟がいわれもない誹謗中傷を受けている実態を描写している。二通りの報道姿勢とSNSの実態を見る者に提示し考えさせているのだ。
夫婦は二度SNSに振り回される。その時のショックな姿が痛々しい。匿名で無責任な発信者。これらのシーンにおいての石原さとみの落胆ぶりは筆舌に尽くしがたい。そこにはテレビでいつも見る綺麗で品性がある石原さとみは存在せず、娘を探し出そうとする一心の母を演じる女優石原さとみが悲しく崩れ落ちているのだ。
同じ町で女児行方不明事件が起きる。沙織里は、我が娘とのかすかな関係性をいだいて懸命にビラを配り事件解決に奔走する。可能性はわずかしかないが、行動していなければ自らのバランスを崩すように必死になる。まさに心の底の感情が描出されている。
哀しみのトーンで描かれた映画のラストにおいて七色に光る虹の光線が浮かび上がった。この光を見て沙織里が微笑する表情が美しかった。
石原さとみの演技力
は良かったと思うんだけど、話の展開が予想を上回らなくて演出も単調。鶴瓶と中居くんがやっている世界仰天ニュースは30分たらずでも見せ場は多いし心に残るもんなぁ。
実際に娘が行方不明になった事件をいくつか知っていますが、鬼畜なマスコミ、容赦ないSNSなど、事件の当事者はこんな大変な目にあっているんだという事はよく伝わりました。でもそれが作品の面白さには繋がっていないと思います。
仰天ニュースの演出家に撮らせれば良かったのにと思いました。
タイトルなし
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