「家族は生涯を掛けて探し続ける」ミッシング ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)
家族は生涯を掛けて探し続ける
日本国内で一年間に行方不明の届け出がされる児童の数は
毎年千人前後と聞く。
ただその大部分は間もなく見つかり、
公開捜査に切り替わるのはさほど多くはない、とも。
とは言え、ここ三十年で十五年を経過しても
行方が分からない子供は十人を超えると言う。
長期にわたり不安に苛まれる家族の心情はいかばかりか。
考えるだけで心がずしりと重くなる。
無事保護されたとの報はいつ届くかもしれず、
片時も神経が休まることはなかろう、と。
しかし当初は大々的に報じたマスコミも
熱量は次第に低くなる。
思い出したように節目の報道はあるものの。
以降に起きた、よりセンセーショナルな事件にかき消され
人々の記憶からも薄れる流れ。
視聴率を追う企業体としては、無理からぬ側面はあるものの、
他方で公器としての役割も持ち合わせるわけで、
職務に携わる側は忸怩とした思いがあるのかもしれぬ。
また最近の傾向として
被害者家族への誹謗中傷も激しいものが。
根拠の無い噂や、勝手な思い込みを基に
匿名を良いことに攻撃的になれるのは傍からしても腹立たしいもの。
法に訴える対抗措置により、懲罰効果はあるのだろうか。
中には有罪となっても反省の色すら見られない者も居るよう。
本作では、そうした被害者家族の典型例を示して見せる。
自分たちに落ち度はないのに、ひたすら周囲に頭を下げて回る日々。
一縷の望みを繋ぐため毎日の時間を削り、
暮らし向きさえ落として、
捜査協力のビラ配りやマスコミにも真摯に向き合う。
それでも時として愉快犯のような者もおり、
度毎に家族の心情は切り裂かれるように傷つけられ
精神の均衡を保つことさえ危うくなるほど。
家庭そのものが崩壊するケースも耳にする。
とりわけ、誰のせいで居なくなってしまったかの
直接的な責務の負い目によるもの、
或いは、子供を想う心情に軽重はないはずなのに、
互いの心に隙間が生じ次第に拡大することで。
家族の中では誰か一人でも冷静に判断をくだせる人間の存在は
必要不可欠だろうに、
それを温度差として感じてしまうことにより。
観ている側もきりきりと胃が痛むシチュエーションが終始展開される。
この責め苦から早く解放して欲しい、
救済が欲しいとの思いにとらわれるほどのリアルさで。
母親を演じた『石原さとみ』の演技は特筆もの。
多くは泣き、怒り、苛立っている場面。
時として、狂気にとらわれているようにも見え。
その感情の起伏を、ほぼ等身大の女性として表現。
〔シン・ゴジラ(2016年)〕 のようなうさん臭さとは
対極のリアルさ。
地元テレビ局の記者役の『中村倫也』もまた上出来。
マスコミの本分を踏まえながら、不幸に見舞われた夫婦に感情移入し、
少しでも助けになればと奮闘。
時として賽は逆目に出ることはあれど、
その心根は常に一貫、
一本筋の通った青年像を好演。
監督の『吉田恵輔』は役者の下地を掬い上げ、
開かせることが本当に上手いと感心する。