「モラルがなさすぎて何がなんだか…」幸せのイタリアーノ yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)
モラルがなさすぎて何がなんだか…
今年281本目(合計1,373本目/今月(2024年8月度)6本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
(前の作品 「デューン 砂の惑星」→この作品「幸せのイタリアーノ」→次の作品「時々、私は考える」)
イタリア映画でここまで何というかアレなのはちょっとなぁ…といったところです。
結局のところ他人(女性)の気をひくために車いすにのって身体障害者になったふりをして気をひくとか引かないとかという話なんですが、そこのモラルが無茶苦茶だし、セリフもモラルがなさすぎるし(この点後述)、何がなんだかといったところです。
まぁ日本は表現の自由が憲法の中では最優先されるほどの国なので、ある程度は理解もしなくもないですが、このタイトル(ちなみに、原題タイトルは「君の元に走る」程度の意味でしかない)で障がい者ネタを延々をやったりセリフはむっちゃくちゃだったり、さすがに当時者は激怒レベルなんじゃないかと思いますが…。
イタリア映画ってイタリアの国の性質上、こう笑ってなんぼみたいな陽気な映画が一定数あるのは確かですが、だからって「何にでもネタにしてよい」わけではありませんから。
採点に関しては以下まで考慮しています。
なお、当方はそもそも内部障害も含めて身障手帳2級です。
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(減点0.5/「障がい者は靴を履かないだろう」)
※ 映画内の字幕ではすべて「障がい」になっている。まぁこれもひと悶着ありそうですがまぁそこはもう…)
そりゃ寝たきりに近い状況で、実質的に動ける範囲が病室程度に限られる状況になればそれも起きるでしょうが(手帳でいえば1級が確定で、実際には1級までしかないが、実態を見て1級を超えるようなケース)、そんな特殊なケースを想定するんでしょうか…。
むしろ歩行障害、内部障害者は特にリアル現在の日本ではテレワーク化が進んだ事情のもとで自宅で勤務するとどうしても運動量は減る一方で標準摂取カロリーは当然健常者と同じものになるため、体重が気になります。しかし激しい運動はできないし一般的なスポーツセンターにも行けないので(←体力がついていけない)、この7月8月、猛暑の中は別としても涼しい時間帯になればとにかく歩く、地下鉄でも一駅くらいなら歩くくらいを徹底しないと体重が適正にならず、その意味で「靴・靴下の消耗」はむしろ健常者の方より多いくらいです。
むしろその「靴を履かない」という考え方でいえば(認知症による)寝たきりや100歳を超える高齢者などもかかる趣旨が妥当するところ、そのように言われることは当然ないわけであって(かかる趣旨で述べるなら認知症などを引き合いに出さないとつり合いが取れない)、どういう障害者像が監督の中に存在するのかきわめて謎です(全員が全員寝たきりレベルの人っていう解釈なんでしょうか?)。
※ 映画内で描かれるのは車いすの方ですが(日本なら下肢2級程度か)、自宅内やマンションほかのすぐ近くにある自販機にちょっと行く程度なら靴を履かないことはありえましょうが、これだけ社会進出が進んだ中において靴を履かずに外にでる(映画館に行くことも含む)ことがおよそ考えられず(下肢障害の方では実際に「靴が履けない」という方もいますが(くるぶし等の障害の場合は起こりうる)、たとえ義足の場合でも靴というものはあります)、何をどうするとこの発言になるのかも不明です(ざっと調べた限り、イタリアが特に障害者福祉について極端な後進国であるという記述は見当たらず)。
(減点0.3/原題タイトルと大きな差がありすぎ)
原題タイトル Corro da te は「君の元へ走る」程度の意味です(イタリア語 correre 「走る」(参考:フランス語 courir 「走る」) の直説法現在の1人称単数に対する活用)。ここから「幸せの~」には飛びにくいのが気になります。
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