映画 窓ぎわのトットちゃんのレビュー・感想・評価
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トットちゃんと泰明ちゃん 二つの「個性」の輝き
この作品を反戦映画として捉えるのはちょっと違うと思っている。
戦争はあくまでメインテーマではなく、トットちゃんと泰明ちゃんの交流・成長が主軸となっている。
この二人の個性の描写が徹底的で素晴らしい。
落ち着きがなく、空気を読まず相手を巻き込む天真爛漫なトットちゃん。
小児麻痺で足が不自由、その為に引っ込み思案で消極的な泰明ちゃん。
そんな二人の喋り方、歩き方。
現代の物差しなら「障害」とカテゴライズされ、可哀想な子たちとされるところだろうが、「個性」として認めるトモエ学園、それぞれの短所がお互いの成長につながる描写。
ともすれば感動ポルノに堕しかねない内容を緻密で丁寧なアニメーション・演出・構成で見事に表現している。
二人の声の演技も上手く、木登りと腕相撲のシーンは子役声優二人の熱演がより感動を深めていたと思う。
こうした丁寧な日常描写の積み重ねが戦争・全体主義・同調圧力に踏みにじられていき、クライマックスへと繋がっていく。
最初と最後の小林校長のセリフの回収もお見事。
「本当はいい子」→「本当にいい子」
戦時下でも、どんな状況でも、子どもの豊かな発想力は力強く負けない。そう確信させてくれた。(特に雨に唄えばシーン。初見時の衝撃・感動をもう一度味わいたい・・・)
全体的に語らない・余白を残す演出が光るこの映画。高畑勲イズムを引き継いでいるという論評にも納得だが(走るシーンとか完全にかぐや姫)、高畑勲本人がこの作品を手掛けていたらどうなっていただろう?そんな妄想をさせてくれるくらいには心に残るマイベスト映画となった。
あえて映像として映し出さないものの”重さ”が伝わってくる一作
テレビ番組の草創期から活躍している黒柳徹子(「トットちゃん」)の自伝的小説『窓際のトットちゃん』(1981出版)のアニメーション映画化作品です。
前半部はトットちゃんの視点で描くトモエ学園の日常の描写に力点を置いており、画面は彩りと生命力にあふれていて、仲の良い友達とのちょっとした冒険すら、つい手に汗握る一大ドラマと化します。優しい両親と自由闊達な先生、級友たちに囲まれた生活はしかし、後半部に差し掛かるにつれ、戦時色が濃くなり徐々にその輝きに翳りがさすようになります。
本作はトットちゃんの物語であると同時に、戦前から戦時期に生きた人々の物語でもあります。そのため、トットちゃんの目線で生活がどのように変化していくのか、だけでなく、それまで当たり前に存在していた人が姿を見せなくなったり、街の景観が変化していく様を通じて、意識は否応なくトットちゃんたちを取り囲む重い背景事情に向くことになります。
このように、一見トットちゃんという天真爛漫な主人公に、物語の展開をすべて託しているようで、実は本当に重たい事実については説明もなく、描写もしない、という語りに徹しており、この「語らなさ」がむしろ、物語をより一層忘れがたいものにしています。
親しみやすさを覚えるような人物造形でありながら、チョークの筆致のかすれ具合、傷だらけの机の表面の手触りまで緻密に表現した美術は全編にわたって密度が濃く、また強い現実感を与える音響の出来栄えも特筆に値します。おそらく当時の絵本の絵柄を取り入れたトットちゃんの空想シーンも、場面それぞれに特徴があり、また躍動感に満ちています。
物語も映像も、そして現代のアニメーション作品としても、きわめて高い完成度の作品でした!
母親になってから、母親初心者の内に見られて良かった
涙腺バカになってしまって「はい!ここ泣くとこです!」シーンまでにゴンゴン泣きましたわ。今泣き止んだとこだから泣かせないで…を繰り返してました。二人三脚しているのを見る母親を見るだけで泣くんだからもうどうしようもありませんわね。転ぼうが勝とうが喧嘩しようが完走しようがどうでも良いのよ。子供たちを見る母親が存在するだけで泣くのよ。私を泣かせずにいられるならやってみろってーのよ。
間違ったやり方や解釈する人が多く、そのせいで批判の多い「叱らない育児」の見本を見ました。叱らないというのは、子供が間違ったことをしても何も言わない、ではなく、大人の都合で子供のしていることを止めない、なんですね。
気が済むまで話して良い、大人が飽きても止めずに打ち切らない。
あとで片付けるなら汚したって良い。汚してる途中でやめさせる必要はない。
難しいのよ。
だって6時には帰りたいじゃない。
公園で遊びたくても真っ暗になるじゃない。
あなた何時にご飯食べて何時に寝るのよ。
帰ろーって言っちゃうじゃない。
難しいのよ!
でも公園で遊んじゃダメな理由なんてないのよ。大人がついてりゃ夜まで遊んで良いしお腹空いたら勝手に帰るし眠たくなっても勝手に帰るんだから。
子供には子供のタイムスケジュールがあるのよね。大人が子供のそんなん無視するように、子供も大人のタイムスケジュールなんて知らんのよ。夕飯なんて台所から皿だすだけだと思ってるやん。ちゃうやん。子供の気が済むまで遊んで帰ったらパパがもう仕事終えててお風呂とご飯準備して待っててくれるのか???ちゃうやろ!!!!!
でもそんなこと気にしないで良いんだよ、好きなようにしなって育った子供は自分の良きところを思いっきり伸ばしてひとかどの人物になるんだろうなあと考えさせられました。
「大人の都合」で伸ばせるはずの何かを伸ばせなかった子供は、今大人の中に何人いるんだろう。
私は自分の親に抑制されて育ったとは思ってませんが、私にも何か伸ばせるところがあったんだろうか。
私は今我が子の何かを折ってしまっていないだろうか。
たまに見返して何度でも親としてのあり方を見つめ直したくなる名作です。
ほっこり、ウルウル、シャキッ!
戦前から終戦前までの
ともえ学園や、戦時下の理不尽な市民生活での出来事を
小学生時代の徹子さんの素直な目線で書かれた原作のアニメーション。
色彩が美しく、切り絵的な使い方も面白く、
子どもたちの表情や容姿、個性なども、
多種多様に描かれていて、視覚でも楽しめました。
ともえ学園はことさらですが、
やはり、あの時代の子どもたちは、
とても自然に伸び伸びと生きていて良いですね。
今どきの言葉が先走り気味の多様性ではなく、
小林先生は、本当に子どもたちひとりひとりの個性を尊重し、
教え育てる素晴らしい人徳者で、
そんな先生との出会いは、
トットとちゃんのたくさんある宝物のひとつですね。
老若男女に観て欲しい良質な作品。
世界中に観て欲しい作品!
ストーリーはわかっていたが、素晴らしい映像表現に感動しました。
とても芸術的な映像の美しさと、飽きさせないストーリー展開、内容を知っているのに自然と涙がこぼれました。
世界中の人に見てほしい作品でした。
閉塞の中の自由
原作は遠い昔に読んだ。ドラマもリアタイでも再放送でも見た。映画のトットちゃんがとにかく自由奔放!黒柳徹子そのもの。アニメだったせいもあるけれど。そんなトットちゃんでも、ちゃんと気遣いできるのは周りの環境によるもの。やっぱ環境って大事。ドラマの再放送の方が泣いたかな。ドラマの影響強すぎて、あ、校長先生、竹中直人じゃないんだ、とか、お母さん松下奈緒でお父さん山本耕史じゃないんだ、とかね。弟も既にいたような気がする。やすあきちゃんのお葬式でやすあきちゃんのお姉ちゃんが出てきて、手紙かなんかでトットちゃんの話を良くしてたわよ、みたいなことを言っていた。お姉ちゃんは出てこなかったけれど、トットちゃんが駆け出すときに戦死したお骨を抱き締めている女性や片足がない人の描写が心に刺さる。
戦争関係なく普遍的に通じる作品
良いところ
子供ならではの成長と素直な交流を丁寧に描いていて、子供から大人までに伝わるテーマがある
?なところ
下世話な話だが、海外展開はしにくそう
GODZILLA−1.0とかゲゲゲの謎とかと並べて戦前戦後ものみたいなこと言われてるけど、前の2作は第二次世界大戦がないと成り立たない話に対して、今作はそういう並べ方はちょっと主旨から外れた、どの時代でも成立する普遍的な小学生低学年の子どもたちの心の交流と成長を描いた作品。同い年くらいのころの子供達にこそ見せた方が良い作品だと思う。
歴史背景による描写がなくもないが、それは抜いても問題ないし、これだけ広い世代に受け入れられている原作なのだし、むしろ現代に勘案してリメイクするのもありだと思う中、まっすぐにやり切ったのは深い覚悟あったからだと思う。それだけ力の入った絵面だし、作品だった。
ただまあそれだけに子供の描写に過剰反応する海外には展開無理そうなのがなあ、もったいない。いや、これをみられない海外市場がおかしい、としか。
原作力!
原作は1981年(昭和56年)にリリースされた大ベストセラー小説。この本は信じられないくらい売れましたね。たしか日本で一番売れた本ですよね。世界一?まあ統計の取り方は色々ありますが…。私も子供の頃に読みましたよ。名著だと思います。内容もかなり記憶に残っています。
そして原作者は黒柳徹子さん。
紹介する必要はありませんね。おそらく日本人のほぼ全ての人が知ってる人です。年齢、実績、人気、影響力、社会的貢献度などすべてひっくるめて、今となっては最も大物の芸能人と言って良いでしょう。テレビ・映画・演劇・お笑い等のエンターテイメントのみならず、音楽家や文筆家、画家などの芸術家も含めて、さらに大抵の政治家も、この人に敬語を使わない人はいないでしょう。事実上日本で一番偉い人の1人です。
異論は認めますが、要するにこの原作は、日本で一番偉い人が書いた、日本で一番面白い物語なんです。そんな原作が満を辞してようやく映画化されたのですから、面白くない訳がない!
ただ個人的な期待値は超えていませんでした。
非常に評判が良いので見てみたのですが、予想通りの面白さでした。見ていて何度もウンウン、知ってる、これ知ってるヤツって思いました。
でもさ、この原作なら映画としてもっともっと面白く出来たでしょ。
今は昭和も終わって、平成も終わって、令和ですよ。もうとっくに21世紀ですよ。なのにまーだ昭和コンテンツ!
一周回って逆に新しいってヤツなの???
本作と近い時代を描いて、テーマも少なからず重なっているアニメ映画に『火垂るの墓』(1988)や『この世界の片隅に』(2016)という大名作がありますが、両作とも本作に比べ、原作の知名度は高くありませんでした。それでも映画作品として圧倒的な出来栄えでした。映画が原作に負けてないというか、映画としての評価の方が原作の評価を超えてます。
でも本作は、原作の方が良作!(あくまで個人的見解)
そもそも絵柄が微妙でしよ。いわさきちひろの挿し絵は原作の大きな魅力なのに、それをブッチしてあのデザイン?もうちょっと何とかならなかったの?黒柳徹子の力を使えば権利的な都合など如何様にもなったでしょ。ていうか黒柳徹子の力を使えば、大抵のことがOKですよ。かなり何でもアリの状態で、あえてこの絵柄?誰得???
大変に評判の良い映画ではありますが、その評価は「原作力」に由来すると思います。いや、声のお芝居は相当に良かったですよ?表現的にかなり踏み込んだ部分もありましたよ?でも肝心の絵柄が…。
そして戦争映画アピールは要らなくない?
原作ではむしろ行間に読み取るべき反戦精神だと思うんですが、映画ではもっと強くアピールされてます。令和の今となっては、ここまで分かりやすくアピールしないと伝わらないのかな…。原作ではそれをいわさきちひろの挿し絵で上手にカバーしていたのに。
ここは是非、原作を読んで下さい。ネットの評判を読んでると、多くの人が映画を褒めてますけど、それ原作の魅力ですから!もう40年以上も前、とっくに大ブームになりましたから!
だいたいこの作品は、原作でも上手にボヤかしてますが、空気の読めないお嬢様が贅沢な私立の特別支援学校で、当時の常識や厳しい差別、偏見から守られて育ちましたっていうお話です。物不足の時代にお腹を空かせていたのは、むしろ非生産階級…というか、貴族階級に属していたからであって、地方のドン百姓(差別用語ならごめんなさい)はそこまで飢えてなかったと聞いています。あるいは戦争とか物不足など関係なく貧しかったかもしれませんけど…。でもまあ、当時は都市部で現金収入の比率の高い世帯ほど食料が入手しづらい感覚はあったようです。タケノコ生活のエピソードは有名ですし。
いずれにせよ、トットちゃんたちトモエ学園の生徒たちがお腹を空かせていたのは、食料の生産・流通をないがしろにしてまで軍事力を優先させるというクレイジーな体制だったからであって、かなりのお金持ちでも食べ物を買うことができない特殊な時期だったということです。
これはある意味、階級に関係なく金持ちも貧乏人も平等に飢え、平等に徴兵された瞬間だった訳です。奇しくも、こういうネガティブな面では、小林先生の理念どおり「みんな一緒」だったという皮肉な話で…。しかもこれは見方によっては生活力に応じて飯が食えた完全な実力主義が実現した稀有な時期でもあった訳で…。
ま、当時の日本は国際的には悪の枢軸国で、今の北朝鮮ポジションだったのですから。
そんな時代、そんな世相なのに、トットちゃんの家は現代でも滅多にないくらいの洋風建築で、朝食にトースターでパンを焼いてコーヒーを啜っていたんですよ?座敷犬のシェパードですよ?いわば特権階級みたいなものです。子供がお腹を空かせていたと言っても、軍歌を演奏する仕事を蹴るくらいのことは出来る程度の生活水準なんですよ?まだまだ仕事を選べるお立場だったんです。
これでもし、お父さんが実は涙を堪えて軍歌の演奏をしていたとか、ヒヨコ食べたとか、ロッキー食べたって匂わすような表現でもあれば、原作超えだったのに。
いずれにせよ、こうやって育ったトットちゃんがどんな人になるのか知りたければ、本人は今でも毎日のようにTVに出ているので一目瞭然です。パンダを保護したりもしてますが、庶民感覚のタレントさんとはしばしば話が噛み合わず、若手芸人にムチャ振りもするし、ゲストに気を遣わせる超大御所の司会者です。
この映画、それこそ今時ならむしろダイバーシティをアピールすれば良かったのに。性別とかLGBTとか肌の色と同等の頻度や熱量で、身体的、知的、精神的な障害についても社会的な受容をアピールすれば良いのです。
豊かな時代になったのだから、窓際でお外ばっかり見てるような子もADHDとか診断して多くの生徒たちから排除するように育てるのではなく、みんな一緒に同じように育てましょうってアピールをすればよかったのに、そこは行間を読ませるんですね…。
個人的には、本作ヒットの流れで次はベストセラー自叙伝映画化シリーズ『五体不満足』も制作して、ヒットさせてほしいと思います。
ま、私のような凡人が夢想する展開などどうでも良いのですが『窓際のトットちゃん』ならブックオフで100円で手に入ると思うんで、断然原作の方をオススメします。この映画が理解できるくらいの年の子供なら充分読めるくらい分かりやすい文章なので、子供にも原作はオススメです。
そして映画に関しては、例えば高畑勲なら、例えば片渕須直ならば、この原作をどう映画化していたかを考えずにはいられません。
子供たちの世界
大人になるにつれて自分の型や過剰な気遣い・臆病さが定着してきてしまう。
小学校低学年くらいのこどもたちは、世界の色々なものが新しく見えて色々なものに興味を持ち、物おじせずに世界に触れていく。そんな子供たちの様をしっかりと魅力的に時には痛々しく描いた作品だった
ただ通学しただけなのに空想的な色鉛筆のタッチで想像が描かれたり、暗い帰り道をカラフルな照明が彩ったり見せ方も良かった
小児麻痺の泰明ちゃんとの交流は多岐に渡り痛々しい部分もあった。こどもだから乗り越えられた部分(プールにつれていくシーンや木に登るシーン)も見えたし、大人になるにつれて出てきてしまった気遣いも見れた、それに対して正直に泰明ちゃんが感じたことを発しているのも沁みた
泰明ちゃんが服を泥だらけにして帰った時のお母さんとか、トモエ学園いい学校♪の時の校長先生とか涙腺に染み渡るポイントもたくさんあったなあ
縁日のひよこを欲しがるトットちゃんをおとうさんが叱ったり、下水に財布を落として探すとっとちゃんを校長先生が全く手伝わず放っておいたり、高橋くんのしっぽの件で校長先生がむちゃくちゃ怒るシーン・あるいはとっとちゃんがそれを見るシーンなんかは教育的に貴重だ、子供を持つ人が見たらより貴重な体験になりそうだ
戦前〜終戦の雰囲気が丁寧に描かれた傑作!
言わずと知れた黒柳徹子氏の同名小説のアニメ化作品ですが、鑑賞前は若干否定的だった。
・ドラマや映画(実写)で幾度も映像化されている。なぜ今更…?
・ポスターなどで見たトットちゃんのキャラが可愛らしすぎて時代設定にそぐわないと思った。
・主人公の声優が子役(良い場合もあるが、失敗も多い)
などが主な理由だったが、公開後に良い評判が多く、ならばと正月休みに映画館へ。
観終わってみれば、当初の懸念点は全て杞憂で、非常に丁寧につくられた良質なアニメ映画だった。
戦前〜終戦までの東京郊外の風景・風俗が非常に丁寧に描かれている。
背景の美術に嘘がないので物語に没入できることが素晴らしい。
また、数箇所ある感情やイマジネーションを描いたシークエンスがそれぞれ作画担当が違って競う様に描かれ、それぞれ素晴らしかった。個人的にはトットと泰明がプールに入るエピソードの、鉛筆のタッチで描かれた二人が空に舞い上がるシーンが良かった。
その簡略化されたり、デフォルメされたアニメ表現は、本編の背景に至るまで緻密に描かれた世界があるからこそ最大の効果を生んでいる。
そのアプローチは手書きアニメでしか表現し得ないものだ。
なんとなく観るのを躊躇している方には一言「観るべき!」
本当によい子
2024年初泣きでした。信じられないくらい大泣きしました。
メインキャラクターたちを観てるだけでも戦争がいかに当時の家庭に、子供達に影響を与えていたかは分かるのですが、それだけじゃないディテールが本当に丁寧に描かれていました。
物語もとても素晴らしく、そのメインストリームの方でも涙腺決壊させられっぱなしでしたが、確かに「生きていた」ということを総じて刻みつけていました。「生きること」に貪欲でなければいけないのかもしれないと感じました。
長く生きているからこその、伝えなければならないこと、伝えられることがあるという思いが映画という形になったこと。多くの人に伝えられる形として残ったことに感動しました。
トットちゃんの周りの大人が素敵です
窓際のトットちゃん
誰もが耳ししたことがあるだろうし、原作は多くの人に愛されている黒柳徹子さんによるご自身の幼少期の物語。
私はその書籍は未読でしたが、映画化は初めてとのことでとても気になりました。
トットちゃんはかなり突飛で変わった子。好奇心旺盛で目まぐるしい。しばしば周りを混乱に巻き込み、みんなから困った子と言われる。
そのため前の学校を辞めることになり新しい学校に転校することに。
新しい学校のトモエ学園の小林校長先生はすごく優しく、子どもたちの個性を尊重し、自主性を育てる先生。
きっと他の生徒たちも前の学校では馴染めなかった子どもたちで、トモエ学園では皆が生き生きしている。
トットちゃんの突拍子もない取り止めの無い話も全部受け止めて
ちょっと悲しげに「みんな私のこと困った子って言うの」
と言うトットちゃんに、
「君は本当はいい子なんだよ」と小林先生。すごく温かみのある優しい言葉で、トットちゃんを安心させる。
トットちゃんのパパとママもそんな天真爛漫なトットちゃんを優しく見守っていて、だからなお素直で個性あふれ、のびのびとしてる様子。
お友達のやすあきちゃんとはとてもいい関係を築けてたけど、亡くなってしまって残念でしたね。そんな葛藤も後のトットちゃんの成長を促すきっかけとなったのでしょう。
最後のお別れの時に、校長先生がトットちゃんを抱きしめて「君は本当にいい子だね」と言った時、変わらぬその優しさに包まれました。
PERFECT DAYSを観たあとだったのですが、役所さんて、声だけでも素晴らしい演技なのだなと思いました。
学校とは
「火垂るの墓」「この世界の片隅に」と「ガラスのうさぎ」、無論他にもあるが其れ等と並べておきたい一本。はるか昔に原作は読んだ気がするのだがあまり記憶にはなく。人はやはり"出会い"なんだなぁなんて思いつつ、忍び寄る感情なき悪意に恐怖と怒りを禁じ得ない。この世代の方々がご存命のうちに、この様な作品が色々な角度で残されていくと良いなと強く感じました。トットちゃん、最高に愛らしい。
おおらかさで包むための執念
現実はパステルカラー、
空想は原色レインボー等、
切り絵の動き、
衣装飾品などなど、
全アイデア、全技術を、
トットちゃんを見守る、
耳を傾ける、
気持ちを寄せる、
に、
全てを注ぎ込むぞ!
というおとなのこどもに対するおおらかな視点、
世の中に対するスタンス、
泣き虫大石先生、雨に唄う・・・。
大阪地下鉄大国町駅の、
笛吹少年を思い出した。
車掌の代わりに、
出発進行の笛をプロに負けない吹き方で地下鉄構内に響き渡らせる小学生。
周りの大人もおおらかだった。
廃キップを回収箱に入れる音。
あの音、またどこかで聞けないかなー。
おおらかなすばらしい作品であり、
絵、音、技術はおおらかには進行しなかっただろう執念の作品でもあった。
大人だって泣くんだよ
ただし、そっとね笑。
絵コンテを担当した人の力を感じる。切り取り方の上手い作品。言葉というよりは行動の先にある語らない部分の描き方が秀逸。
己がいい学校だと思えたら、それで良い!他人の言葉に騙されてはいけない。
それでも、言葉の持つ力は大きい。だから安易な言葉で傷ついたりもするんです。
優しさの質に時代なんて無い。
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