映画 窓ぎわのトットちゃんのレビュー・感想・評価
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「あなたはあなたのままそれでいい」
私は黒柳徹子さんが好きだ。人として好きというよりも、なにか天然記念物をみるような興味深さに近いといった方が適当かもしれない。年齢を感じさせず、いつまでもパワフルで活動的。決して人に媚びないストレートな物言いがまた潔い。テレビが白黒の時代からスマホで見れるようになった現在までの歴史を全て知る人。そんな黒柳さんが、書いた自叙伝が満を辞して映画になった。
これは、観るしかないでしょ。
恥ずかしながら原作本は読んだことはなかったので、真っ白な気持ちでスクリーンに向かう。観終わって感じたのは、この映画は子育てに奮闘する世代のお父さんお母さんに観て欲しい、子育てバイブル的映画なのだということ。
「あなたはあなたのままそれでいい」と優しく背中を押してもらえる映画です。
人と違うのは悪いことじゃない、違いを個性として受け止めて、その個性を輝きにまで昇華させるには、多くの周り人たちの理解と応援が必要だ。そういう意味では、黒柳さんはとても周りに恵まれた人であったに違いない。今の黒柳さんの活躍があるのは、トモエ学園の校長先生との出会い、小児麻痺の泰明ちゃんとの出会い、そして何よりいつもありのままのトットちゃんを受け入れてくれたご両親の愛があったからだと思えます。
SNSなどの発達により、ひと昔前より人とは違う個性を持った人が生きやすい時代にはなってきたのかもしれない。けれど、まだまだ現実社会においては、人と違うことは生きづらさの原因にもなる。
今そんな生きづらさで苦しんでいる人たちにこの映画を是非おすすめします。
「あなたはあなたのままで十分いいのです。」
「わたしはトットちゃんなのに」
始まって10分以内だと思うが、「どうしてみんな私を困った子っていうの?わたしはトットちゃんなのに」というセリフが出てきて、心から猛烈に素晴らしいと思った。予告編にも使われていた有名な「君は本当はいい子なんだよ」というセリフは実は好きじゃなくて、それも子供頃に原作を読んだ時からひっかかっていた。あの校長先生の言葉で黒柳徹子は救われたというのだから、そのことにケチをつける気はさらさらない。ただ、「いい子」という言葉は、他人がの評価軸によって規定される言葉に思えて、幼児だったころから苦手だという個人的な事情がある。しかし、それに比べて「わたしはトットちゃんなのに」に込められた、子供のやるせなさ、悲しみ、表現の限界、それでいて自分というのもがしっかりある感じ、そんなものが全部このひとことに詰まっている。子供映画として完璧なセリフに感動して、原作を読み返してみたが、特にこのセリフは出てこない。マジか、これ映画のオリジナルなのか。予告編では気持ち悪く見えたほっぺの赤いキャラデザも、作品で見れば違和感もなく意図が伝わってきたし、丹念に書き込まれた作画のクオリティも凄まじく、忍び寄る戦争の描写も容赦ない。実にいいものを観させていただきました。
今年の最重要作
これはすごい。内容レイヤーでも映像や芝居のレイヤーでも圧倒的なものがある。とにかくモブの一人ひとりにいたるまできちんと芝居させていて、誰一人「背景」になってしまっていない。非常に労力がかかっていることは間違いない。子どもたち1人ひとりの動きにも個性があって、描き分けられているのがすごい。
戦前から戦時へと移り変わる様が日常描写の中に挟まれていき、いつの間にか日本は戦火となる。子どもの視点で描かれる市井の変化を捉えている。
「へいたいのうた」を最後まで歌わせないで騒ぎだしてしまうトットちゃんのシーンが序盤にある。とても示唆的だ。戦争プロパガンダが小学校教育に入り込んでいるが、トットちゃんはそれを遮ってしまう。そういうものには与したくないという制作の意思が強くでている。終盤、出征していく兵士たちと真逆に駆け抜けていくトットちゃん。言葉よりも動きで伝える姿勢が徹底されている。小林先生のキャラクターも非常に奥深い。あの狂気の時代に教育を守るためには、ある種の狂気を宿さなければいけなかったのか。
冒頭と最後に、夢の光景のように出てくるちんどん屋だけがそうした戦争の狂気から隔絶された、特権的なものとして登場する。人を楽しませるちんどん屋だけは戦争に侵されずに住んでいる。これも強烈なメッセージだ。
2023年の最重要作だと思う。後年に残すべき一本だ。
最高の作品
原作は発刊当時に読了。
当時小学生で読書はそこまで好きでなく人並みだったが、テレビ等で馴染みのあった人物ということで読んでみた。
それまでテレビの人だった徹子が身近に感じられ、巻末の徹子の幼少時の写真に恋した。
その後も原作本は大切に保管。
お陰でいわさきちひろを知りこちらもファンに。
今回それがアニメ化で一も二もなく鑑賞することにした。
映画など年に1本観るか観ないかの小生が。
しかし本作を観ようという同志が周囲におらず劇場に足を運ぶのを躊躇していた矢先、職場の30代部下女子が観たいと言うので遅れ馳せながら年明けに鑑賞。
原作未読という部下には小生のを貸して事前勉強してもらった。
エンディングで目の前がボヤけるも、隣の部下は涙ぐむどころか鼻水垂れ流して号泣。
外に出てもしばらく泣き止まないほどだった。
ともかくも良作との評価をしたい。
作品の寸評だが、既存の寸評・感想に反論めく記述があることをお許しいただきたい。
■周囲の評判
小生の周囲では残念なことに話題にも上っておらず評判もなにもない。
小生の職場には前述の部下の他にパート従業員が30名ほどおり、しかも多くが原作世代で徹子本人や著作のことを知らない筈はない。
中には原作は読んで感銘したという40代や映画好きを自称する30代がいるが、興味は示すものの作品は結局観ていないようだ。
小生が分析するに、やはり宣伝の方向がよろしくなかったのではないか。
原作を読んだにしてもほとんどが数十年前のことであり、内容に関してよく憶えていない者も多かろう。
そしてそれがアニメ化となるも、黒柳徹子というタレントのおてんばな幼少期を描いたコメディとでも捉えられてしまったのではないか。
そしてそれは子供向けであろうとの憶測を生む。
加えて、その子供ら若者には原作を読んでいる者が少ないため、そもそも興味を惹かない。
つまり、大人は子供向けと思い、子供は大人向けと認識、結局鑑賞したのは原作に特に思い入れを持つ一部の大人と、その薦めで観た者に限られてしまったのではないか。
聞けば興行成績は10億に届かなかったとのこと。
その割に評価は高いことがこの作品の立ち位置を如実に物語っている。
非常に残念ではある。
■絵柄のこと
今更述べるまでもないが、賛否両論あった本作のキャラデザイン。
これに抵抗感を覚えて観なかった者も少なくないのではないか。
小生は何をおいてもそもそも観るつもりであった訳だが、客観的に見て違和感があるのは否めない。
しかし本来、人間を描くのに唇がないのはおかしいのである。
戦後日本でアニメやイラストが盛んになる際に写実的な部分(鼻の穴や口唇や爪など)が省略され、それに慣れてしまった我々の感覚が間違っているのだ。
小生としてはキャラデザインも含めてこれほど美しいビジュアルは観たことがないと称賛せざるを得ない。
観れば観るほど愛らしく思える、大変魅力的なキャラデザインと評価したい。
■反戦映画か?
本作は反戦映画なのだろうか?
そう見ることもできるが、小生は反戦映画ではないと捉えている。
原作を読めば解るが、著者は作中で反戦を訴えてはいない。
戦争を生きた者として徹子にも反戦の意思は勿論あろうが、原作に関しては少なくとも反戦を意図して著したのではないだろう。
原作に記した著者の幼少期がたまたま戦時と重なったまでのことであり、戦争に関する記述も著者に関係する事柄以外はことさらない。
従って、それをアニメ化した本作も反戦映画ではないと小生は考える。
しかし、トットが過ごした幼少期の背景としては戦争を外しては語れない事柄であり、中盤以降の戦争に関する描写はある程度必要で、「戦争の描写は不要」・「もっと必要だった」などの賛否があるが、「トットの知らないところで忍び寄る戦争」という視点から、この程度が適切ではなかったか。
もしこれ以上多く、さらに解説など付けようものならたちまち反戦色を帯びてしまうし、なければないで作中の背景描写が薄くなってしまう。
しかし、「火垂るの~」のような深刻な反戦映画を期待して観ると今一つに感じるとの意見も散見されるが、それも無理はない。
主人公は確かに戦争の影響を知らず知らずとはいえ受けたり疎開したり思い出の学校が焼けたりを経験するが、空襲で焼け出されたり両親が死んだり飢えに苦しんだりと自らが悲惨な経験をするわけでもない。
本作では戦争はあくまで背景でしかないことの理解が必要ではなかろうか。
このあたりも原作を読んでいないと伝わりにくい嫌いはあるかも知れない。
■説明のない描写の妙
本作には説明がされていない描写というかシーンが幾つか存在する。
これも原作を読んでいないと理解できない、または伏線として後の下りと併せて理解する必要があろう。
駅の改札口の男性やロッキーがいなくなったことなどは解りやすいが、他にも小生が気になったのは、トットの弟が誕生した経緯である。
弟は誕生した描写がなく終盤で突如登場するが、実はこれには伏線があったと小生は捉えている。
それは、トットが初めてトモエに登校する日の朝、トットの両親が寝室で目覚めるシーンである。
両親がただ眠っている(いた)描写であるが、これがなぜか横楕円の鏡に映されている。
両親を囲んで引き立てるように映す鏡を通してその姿を見ると、その夜に弟が生を受けたのではないかと捉えることができると思うのだが、小生の下衆な深読みだろうか(弟が実際に産まれたのはその数年後であり実際には違うのだがそれを象徴することとして描かれているのではないか)。
それはともかく、作中であえて説明をしない場面は、親子で鑑賞しながら親が子に教えてやることを製作側が意図していたのではないだろうか。
そう言えば筆者も幼少時に戦時を過ごした祖父に当時のことを色々と聞いたものである。
■原作はハッピーエンドだが本作はどうなのか?
原作を読めば解るが、時代背景が戦時中であるにも関わらず、登場人物で戦争に関連して死んだ者はいない。
泰明は不幸にして旅立ったが戦争とは関係がないし、トットの周囲では両親も小林校長も戦後に名を残すほどの人生を各々送ってさえいる。
まして主人公のトットは現在も存命の誰もが知る著名人である。
終盤で産まれた弟は幼くして他界した可能性はあるが、その描写は少なくとも作中にはない。
つまり、戦争がここまで背景にありながら、戦争によっては誰も死んでいないのである(クラスメイトに関してのその後は判らないが…)。
従って、原作を知る我々にとってはハッピーエンドと捉えることができる(否、著者本人は元気で活躍中なのでエンドにもなっていないか)。
しかし、本作だけを観れば、ハッピーエンドというには余りにも悲しむべき結末に終わっている。
ラストではトットが成長した姿が描かれており、そこはこれからを期待させる部分であろう。
ただ、終盤では泰明の死、忍び寄る戦争、そして疎開により先の見えない明日…ハッピーエンドと捉える方が無理だ。
だからこそ、原作やその続編を事前に読んでいていただきたかったし、本作のその後を描いた続編(主人公の年齢的にもアニメでなく実写の領域となろう)を期待したい。
ともかくも、小生にとっては生涯忘れ得ぬ良作となったことは事実である。
前述の通り世間の評判が少ない(評価が低いのではなく観た者が少ない)のが残念でならないが、地上波でテレビ放映でもされれば多くが観るところとなり再評価されるのではないか。
地上波での早期の放映が待たれる。
それにしても、本作のDVDを早速予約して手に入れたは良いが、観るとまた号泣確実なため封を未だに開けられないでいる小生である。
「あのね」をおいそれと聴けないのもまた同じ。
GHQ前の學校
じんわりとくる温かさと悲しみ
小さい頃にトットちゃん国語の学習教材で読んだなぁと懐かしみながら見た。
絵のタッチは柔らかくて可愛くて繊細で綺麗で見入ってしまった。
まずは、黒柳徹子さんの家庭の上流階級ぶりに驚く。お家は洋風で綺麗で広いし、服装もいつもとっても可愛い。そして、お父さんはバイオリン奏者。温かい家庭で育ったんだなぁ。
最初の学校では、トットちゃんは少々おてんばで違う学校、トモエ学園に移る。そこでの校長先生は初対面時には、お母さんだけ帰し、四時間もトットちゃんの一方的なお話をじっくり聞いてくれたとか。
今でこそ、発達障害だ、ADHDだの一般の方と少し行動が外れてたら悪い揶揄があるけれども、トモエ学園はそういった個性を尊重してあるがままを認め、個性を伸ばそうとしてくれる学習方針。今の時代にもこういったあり方もいいのではないかな。最先端だよねと思った。
ここからネタバレだが、戦争をメインテーマにしてる印象があったけれど、ヤスアキちゃんとの友情、別れがメインだった。急に校長から亡くなりましたと告げられたいへん驚いたが、この時代では医療技術もそこまで発達してないし、すくすく順当に育つのも今よりずっと難しいよなと。
小さい頃に大事な友との別れ、戦争、芸能界で女性として活躍していく等、書ききれないほどの数多の衝突があったからこそ黒柳徹子さんは強くて逞しくて丁寧で包み込むような優しさがあって、このような素敵すぎる人格形成に影響しているのかなと思った。
子供の戦争映画NO1
明るく純粋なトットちゃんが愛らしい
観始めて2分過ぎた所で私は泣き出した。
「お宅のお嬢さんがいると学校の迷惑になります!」
私が1番言われたくない言葉だ。
溜めていた感情が溢れて酷く泣いてしまった。
今まさに、個性が強い自分の子供の事で
悩んでいたからだ。
クラスのみんなと同じ行動ができない。
興味のある方へ行ってしまう。
トットちゃんがまるで自分の子供のように思えた。
「どうしてみんな私の事を困った子というの?
私はトットちゃんなのに。」
トットちゃんの言葉はとても素直で純粋だ。
皆んなに優しく、明るく元気。
なんでもチャレンジするし、天真爛漫さが羨ましい。
とてもいい子。
そんな子が「困った子」と言われ、邪険にされる。
そんなトットちゃんが転校したトモエ学園。
教育方針や環境作りがとても素晴らしい。
集団生活でも自主性にまかせ、夜中に来る電車も見せてくれた。校長先生に出会えた子供達が、いきいきと学校に通う姿は微笑ましかった。
多様性を重視されていない時代に、このような学校があったなんて。
トットちゃんは裕福な家庭だが、冷蔵庫やパン焼き器など、当時の暮らしぶりもみえる。
子供たちの両親の在り方も、子供を頭ごなしに叱らず受け入れている姿がとても参考になった。
戦争の最中、兵隊さんを食べさせる為にお腹を空かせる子供達。君たちも一国民なんだから兵隊の為に我慢しろと、定食屋に入る大人。なんと酷い光景。二度とこんな事になってはいけない。
理解できるか、どう感じるのかわからないが、
子供にも観てもらいたい素晴らしい作品だ。
特に昔の電車が好きな子は興味を持ってくれそう。
アニメ版トットちゃん
単行本が出たときは、買って読み、とても面白かった記憶がある。
その後は黒柳徹子のテレビ人生を眺めながら、歳を重ねてきた感じ。
やはりトモエ学園の素晴らしさに拍手、今もこのような学校はあるのだろうか。
何にでも興味を持ち、天衣無縫な少女は、周りからは変な子と思われ、これは今も変わらず、みんなが優しい眼差しで見ていけばいいのだが。
ノスタルジーを除いても、とても感動的なアニメーションだった。
トットちゃんの洗濯、毎日大変そう…(笑)
今朝(2024/12/12)から2日掛けて観ました。
タイトルは知っていましたが、本を読んだ経験はなく、今回はじめてトットちゃんの世界を知ることになりました。
第二次世界大戦前の日本。自由が丘に住む裕福な家庭に生まれたトットちゃんは、天真爛漫を絵に描いたような女の子で、お嬢さまというには程遠いおてんばぶりで、毎日を自由に楽しんでいました。彼女の両親は頭ごなしに叱るようなことは一切せずに、いつも優しく見守っています。
前に通っていた学校を追われ、新しく入学した学校の校長先生も同じようなおおらかな人で、トットちゃんのキャラクターを一切否定せず、包み込むような人。
そんなトットちゃんの周りにいる大人達の姿に、現代の大人である自分は、子供達にどう映っているのかが少し気になってしまいました。黒柳家の両親や、小林校長先生の大人像がとても参考になりました。
年代としては『火垂るの墓』と同時期ですが、舞台が違い、展開が大きく異なります。
前半はユーモアたっぷりで時折笑いながら観ることができますが、第二次大戦が勃発してからのトットちゃんが、トットちゃんらしさを失ってきてしまった展開に胸が苦しくなりました。
トットちゃんがトモエ学園に入って以来ずっと仲良くしていた泰明ちゃんとの別れから、走り抜けるトットちゃんの背後に日本人の暮らしを垣間見せる構成に、アニメーターの情熱、技量を感じました。
原作者である黒柳徹子本人のナレーションは、本作にリアリティと、戦争が生み出す悲しみが感じとられ、御年91を迎える彼女の存命中に本作が完成したことには、制作に関わった関係者の皆さんには感謝しかありません。素晴らしい作品を有難う御座いました。
幼い娘と裸で入浴する父親や、男児女児入り混じって学校のプールではしゃぐ姿には流石に度肝を抜かれましたが、その時代を包み隠さずみせるには、避けては通れない場面かもしれません。
本作は是非ご家族で観て欲しい名作です。この機会に是非どうぞ👋
彼女を変えた小林先生との出会い
他の有名戦争アニメと比べると、薄い内容に感じた!!
古い原作が、違和感無く現代のアニメになっていました。主人公を破天荒な性格にして、戦争の悲惨さを少しでも緩和するのかなと思いましたが、それ以前に戦時の日常描写がかなり物足りないです。また比較的お金持ちの庶民が描かれていますが、詳しい生活ぶりの変化や、貧困層とは違う独自性みたいなものは特にありませんでした。黒柳さん監修でストーリーや背景を詳しくしていかないとどうしようもないですが、有名家品にしては内容が薄く、作るのが遅すぎたのではないでしょうが。縁日のヒヨコを買う事を、(最初は)両親がきちんと断ったシーンが良かったです。
大事なこと
戦争に至る少し前から戦中、
父は弦楽器奏者で、両親共に娘の自由な心を
押し潰すことなく人への思いやりを持った人間に育てようと考えていた。
しかし、トットちゃん、独自な考えで行動してしまい、一般の公立では衝突が生じてしまう。
受け入れてくれたトモエ学園は小林校長先生の子供一人一人にたっぷり愛情を注ぎ尊重し大切にする理念のもとにつくられた学園であった。
両親に育まれ学園で思い切りのびのびと育って来た
トットちゃん。
だんだんと物資が少なくなりお昼に持たせてもらったのは
豆の入った袋。
トースター、変わった形だった。
楽しい生活の中、
身体の弱い友達の死が辛くて辛くて、
また前を向けた時、
そこから命の大切さや
生きることの素晴らしさを学んだろうか❓
戦争が押し寄せて来る。
華美な服装も指輪もパーマも駄目。
婦人会?が率先して白い割烹着姿でデモ行進。
“華美な服装はやめましょう❗️”
“指輪も止めましょう❗️”
というスローガン掲げて。
父は信念の人だった。
軍歌の演奏を断った。
やはり、それはできない、と。
赤い屋根の家、建物疎開で取り壊し、
トモエ学園は焼夷弾で燃えてしまった。
しかし、学園再建への意思を告げる
小林校長先生の子供への愛情は、
学校を包む
炎よりも大きかった。
トットちゃんについていろいろ言われていますよね。
そんな言葉で一括りにせず、
トットちゃん自身を観ればいいと思います。
また小林校長先生、子供の為なら教師をきちんと
叱ることも辞さない姿勢、その後子供も教師をも
温かく見守る姿いいなぁと思いました。
観ていたもんだから
落ちつきがなさ過ぎて、小学一年で退学になってしまったトットちゃん。一風変わった方針のトモエ学園へ通うことになるが、トットちゃんは学校も校長先生も大好きに。みんなと楽しく過ごし、小児まひの泰明ちゃんと親しくなる。
電気ではない氷の冷蔵庫が使われていた、戦前の明るい雰囲気に徐々に影が差していく世相。それでも元気いっぱい過ごす子供たち。危なっかしくてハラハラするのも楽しいです。「良い学校~」と歌う児童の声に肩を震わす校長や、泰明の汚れた服に涙する母のシーンは、ジーンときました。トモエ学園には、池内淳子や作中でもモデルとなった少年で物理学者になった人が在籍していたとのこと。泰明ちゃんはその後どうしているかと観ていたもんだから…。
有名な俳優が脇をかため、トットちゃん役の大野りりあなさんは、有名な声優さんなんだろと思ったら、子役さんと知り驚きました。
とても有名だけど原作未読。 黒柳徹子はとってもいいとこのお嬢さん。...
生き生きとした子どもの力を感じる映画
トモエ学園みたいなところがあればどれだけの子どもが自由に生きられるか。今の社会はどれだけ規則に縛られているか。子どもにも大人にも、寛容さや相手を認め信じる心を持てるようにしたい。子どもたち自身の判断に任せるから出てくる発想がある。校長先生の言動にびっくりしてしまううちはまだまだなのだろう。全てが正解かはわからないけれど、縛らなくても子どもは育つ。
トットちゃんの想いに涙
普通の学校だと個性的なトットちゃんは浮いちゃうだろうけど、トモエ学園は温かく受け入れる。
戦中の東急大井町線の風情がいい。
使われなくなった電車の車両の校舎。なんて粋なんだろう。
校長先生が生徒に、家から持ってきたお弁当のおかずが、海のものなのか山のものなのかを
あてさせるシーンがいい。戦争がはじまって、おかずが梅干しだけになっても、このひとときをやめない学校のぬくもりに感動した。
トットちゃんの足の不自由な男との交流は、とても素敵なシーンだ。
学校にも、自分の子供にも、他人の子供にも、なんの偏見もないとっとちゃんの両親にも感動した。
トットちゃんは、こんな素敵な両親に育てられたから、今の黒柳徹子さんがあるのだ、と実感した。
戦争によって学校も、トットちゃんも、家族にも変化が起こる。でもそんな変化が起ころうともけっして失ってはいけないものがある。必死で守らなければならないものがある。
その幼いながらも沸き起こるトットちゃんの想いが、映像にさりげなく散りばめられ、自然と涙が止まらなくなる。
食べ物よく噛んで何が悪いのか
前評判で聞いてた富裕層の「この世界の片隅に」という側面は確かにあった(かまどの代わりにガスコンロとか)けど、そこは本筋ではなかった。
とにかくよく動く。トットちゃんの動きが驚くほど細やかで見てるだけで天真爛漫さが伝わってくる。駅の改札で雨を気にしながら走って出ていく男とか、エクストラがちゃんと演技している。トットちゃんが初めて電車の教室に登校した時の、クレヨン画のような極彩色のシーンは出色だ。これから素敵なことがたくさん起こるんだろうなというトットちゃんの期待が画面から伝わってきた。
戦時下に質素倹約が銃後の務めとかしょうもないこと言いよるやつ今でもいそうやなー(警吏でもないのに)と嫌な気分になったが、直後に団体さんで出てきたわ、まるでカルトの行列だけど、当時の東京の市民感覚がこんなんだったのだろうか。呉にはおらんかったな。世に連れこれをだんだんと異様だと思わなくなっていくんかな。うんざりやな。
レビュータイトルは、見てて一番腹が立ったシーンから。一番ハラハラしたシーンは、疎開先へ向かうトットちゃんが、赤ん坊を抱えながら列車のドアを開けて、チンドン屋の幻を見るところ。赤ん坊を落っことしやしないかとハラハラした。わたしのハラハラをよそに、何も起こらなかった。トモエ学園で学んでトットちゃんはお姉さんにちゃんと成長したのだった。
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