映画 窓ぎわのトットちゃんのレビュー・感想・評価
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「あなたはあなたのままそれでいい」
私は黒柳徹子さんが好きだ。人として好きというよりも、なにか天然記念物をみるような興味深さに近いといった方が適当かもしれない。年齢を感じさせず、いつまでもパワフルで活動的。決して人に媚びないストレートな物言いがまた潔い。テレビが白黒の時代からスマホで見れるようになった現在までの歴史を全て知る人。そんな黒柳さんが、書いた自叙伝が満を辞して映画になった。 これは、観るしかないでしょ。 恥ずかしながら原作本は読んだことはなかったので、真っ白な気持ちでスクリーンに向かう。観終わって感じたのは、この映画は子育てに奮闘する世代のお父さんお母さんに観て欲しい、子育てバイブル的映画なのだということ。 「あなたはあなたのままそれでいい」と優しく背中を押してもらえる映画です。 人と違うのは悪いことじゃない、違いを個性として受け止めて、その個性を輝きにまで昇華させるには、多くの周り人たちの理解と応援が必要だ。そういう意味では、黒柳さんはとても周りに恵まれた人であったに違いない。今の黒柳さんの活躍があるのは、トモエ学園の校長先生との出会い、小児麻痺の泰明ちゃんとの出会い、そして何よりいつもありのままのトットちゃんを受け入れてくれたご両親の愛があったからだと思えます。 SNSなどの発達により、ひと昔前より人とは違う個性を持った人が生きやすい時代にはなってきたのかもしれない。けれど、まだまだ現実社会においては、人と違うことは生きづらさの原因にもなる。 今そんな生きづらさで苦しんでいる人たちにこの映画を是非おすすめします。 「あなたはあなたのままで十分いいのです。」
「わたしはトットちゃんなのに」
始まって10分以内だと思うが、「どうしてみんな私を困った子っていうの?わたしはトットちゃんなのに」というセリフが出てきて、心から猛烈に素晴らしいと思った。予告編にも使われていた有名な「君は本当はいい子なんだよ」というセリフは実は好きじゃなくて、それも子供頃に原作を読んだ時からひっかかっていた。あの校長先生の言葉で黒柳徹子は救われたというのだから、そのことにケチをつける気はさらさらない。ただ、「いい子」という言葉は、他人がの評価軸によって規定される言葉に思えて、幼児だったころから苦手だという個人的な事情がある。しかし、それに比べて「わたしはトットちゃんなのに」に込められた、子供のやるせなさ、悲しみ、表現の限界、それでいて自分というのもがしっかりある感じ、そんなものが全部このひとことに詰まっている。子供映画として完璧なセリフに感動して、原作を読み返してみたが、特にこのセリフは出てこない。マジか、これ映画のオリジナルなのか。予告編では気持ち悪く見えたほっぺの赤いキャラデザも、作品で見れば違和感もなく意図が伝わってきたし、丹念に書き込まれた作画のクオリティも凄まじく、忍び寄る戦争の描写も容赦ない。実にいいものを観させていただきました。
今年の最重要作
これはすごい。内容レイヤーでも映像や芝居のレイヤーでも圧倒的なものがある。とにかくモブの一人ひとりにいたるまできちんと芝居させていて、誰一人「背景」になってしまっていない。非常に労力がかかっていることは間違いない。子どもたち1人ひとりの動きにも個性があって、描き分けられているのがすごい。 戦前から戦時へと移り変わる様が日常描写の中に挟まれていき、いつの間にか日本は戦火となる。子どもの視点で描かれる市井の変化を捉えている。 「へいたいのうた」を最後まで歌わせないで騒ぎだしてしまうトットちゃんのシーンが序盤にある。とても示唆的だ。戦争プロパガンダが小学校教育に入り込んでいるが、トットちゃんはそれを遮ってしまう。そういうものには与したくないという制作の意思が強くでている。終盤、出征していく兵士たちと真逆に駆け抜けていくトットちゃん。言葉よりも動きで伝える姿勢が徹底されている。小林先生のキャラクターも非常に奥深い。あの狂気の時代に教育を守るためには、ある種の狂気を宿さなければいけなかったのか。 冒頭と最後に、夢の光景のように出てくるちんどん屋だけがそうした戦争の狂気から隔絶された、特権的なものとして登場する。人を楽しませるちんどん屋だけは戦争に侵されずに住んでいる。これも強烈なメッセージだ。 2023年の最重要作だと思う。後年に残すべき一本だ。
明るく純粋なトットちゃんが愛らしい
観始めて2分過ぎた所で私は泣き出した。
「お宅のお嬢さんがいると学校の迷惑になります!」
私が1番言われたくない言葉だ。
溜めていた感情が溢れて酷く泣いてしまった。
今まさに、個性が強い自分の子供の事で
悩んでいたからだ。
クラスのみんなと同じ行動ができない。
興味のある方へ行ってしまう。
トットちゃんがまるで自分の子供のように思えた。
「どうしてみんな私の事を困った子というの?
私はトットちゃんなのに。」
トットちゃんの言葉はとても素直で純粋だ。
皆んなに優しく、明るく元気。
なんでもチャレンジするし、天真爛漫さが羨ましい。
とてもいい子。
そんな子が「困った子」と言われ、邪険にされる。
そんなトットちゃんが転校したトモエ学園。
教育方針や環境作りがとても素晴らしい。
集団生活でも自主性にまかせ、夜中に来る電車も見せてくれた。校長先生に出会えた子供達が、いきいきと学校に通う姿は微笑ましかった。
多様性を重視されていない時代に、このような学校があったなんて。
トットちゃんは裕福な家庭だが、冷蔵庫やパン焼き器など、当時の暮らしぶりもみえる。
子供たちの両親の在り方も、子供を頭ごなしに叱らず受け入れている姿がとても参考になった。
戦争の最中、兵隊さんを食べさせる為にお腹を空かせる子供達。君たちも一国民なんだから兵隊の為に我慢しろと、定食屋に入る大人。なんと酷い光景。二度とこんな事になってはいけない。
理解できるか、どう感じるのかわからないが、
子供にも観てもらいたい素晴らしい作品だ。
特に昔の電車が好きな子は興味を持ってくれそう。
アニメ版トットちゃん
単行本が出たときは、買って読み、とても面白かった記憶がある。 その後は黒柳徹子のテレビ人生を眺めながら、歳を重ねてきた感じ。 やはりトモエ学園の素晴らしさに拍手、今もこのような学校はあるのだろうか。 何にでも興味を持ち、天衣無縫な少女は、周りからは変な子と思われ、これは今も変わらず、みんなが優しい眼差しで見ていけばいいのだが。 ノスタルジーを除いても、とても感動的なアニメーションだった。
トットちゃんの洗濯、毎日大変そう…(笑)
今朝(2024/12/12)から2日掛けて観ました。
タイトルは知っていましたが、本を読んだ経験はなく、今回はじめてトットちゃんの世界を知ることになりました。
第二次世界大戦前の日本。自由が丘に住む裕福な家庭に生まれたトットちゃんは、天真爛漫を絵に描いたような女の子で、お嬢さまというには程遠いおてんばぶりで、毎日を自由に楽しんでいました。彼女の両親は頭ごなしに叱るようなことは一切せずに、いつも優しく見守っています。
前に通っていた学校を追われ、新しく入学した学校の校長先生も同じようなおおらかな人で、トットちゃんのキャラクターを一切否定せず、包み込むような人。
そんなトットちゃんの周りにいる大人達の姿に、現代の大人である自分は、子供達にどう映っているのかが少し気になってしまいました。黒柳家の両親や、小林校長先生の大人像がとても参考になりました。
年代としては『火垂るの墓』と同時期ですが、舞台が違い、展開が大きく異なります。
前半はユーモアたっぷりで時折笑いながら観ることができますが、第二次大戦が勃発してからのトットちゃんが、トットちゃんらしさを失ってきてしまった展開に胸が苦しくなりました。
トットちゃんがトモエ学園に入って以来ずっと仲良くしていた泰明ちゃんとの別れから、走り抜けるトットちゃんの背後に日本人の暮らしを垣間見せる構成に、アニメーターの情熱、技量を感じました。
原作者である黒柳徹子本人のナレーションは、本作にリアリティと、戦争が生み出す悲しみが感じとられ、御年91を迎える彼女の存命中に本作が完成したことには、制作に関わった関係者の皆さんには感謝しかありません。素晴らしい作品を有難う御座いました。
幼い娘と裸で入浴する父親や、男児女児入り混じって学校のプールではしゃぐ姿には流石に度肝を抜かれましたが、その時代を包み隠さずみせるには、避けては通れない場面かもしれません。
本作は是非ご家族で観て欲しい名作です。この機会に是非どうぞ👋
彼女を変えた小林先生との出会い
予告で気になっていたキャラクターの桃色の頬は見ていく内に慣れていきトットちゃんの世界を現した優しく繊細な作画がとても良かったです。 トモエ学園では児童たちのお弁当の食材「山と海」といった栄養管理を初め、“それぞれの自由”を尊重しながら子供たちの自尊心を傷付けずに自身で気付きを与える教育方法。 小林校長先生が一人一人の子どもたちを我が子のように慈しむ姿が印象的でした。 今や多様性の言葉も馴染んでいるもののコンプライアンスが厳しくなった世の中で小林先生のような方がいらっしゃったこと、トットちゃんが出会えたことは貴重だったと思います。
他の有名戦争アニメと比べると、薄い内容に感じた!!
古い原作が、違和感無く現代のアニメになっていました。主人公を破天荒な性格にして、戦争の悲惨さを少しでも緩和するのかなと思いましたが、それ以前に戦時の日常描写がかなり物足りないです。また比較的お金持ちの庶民が描かれていますが、詳しい生活ぶりの変化や、貧困層とは違う独自性みたいなものは特にありませんでした。黒柳さん監修でストーリーや背景を詳しくしていかないとどうしようもないですが、有名家品にしては内容が薄く、作るのが遅すぎたのではないでしょうが。縁日のヒヨコを買う事を、(最初は)両親がきちんと断ったシーンが良かったです。
大事なこと
戦争に至る少し前から戦中、
父は弦楽器奏者で、両親共に娘の自由な心を
押し潰すことなく人への思いやりを持った人間に育てようと考えていた。
しかし、トットちゃん、独自な考えで行動してしまい、一般の公立では衝突が生じてしまう。
受け入れてくれたトモエ学園は小林校長先生の子供一人一人にたっぷり愛情を注ぎ尊重し大切にする理念のもとにつくられた学園であった。
両親に育まれ学園で思い切りのびのびと育って来た
トットちゃん。
だんだんと物資が少なくなりお昼に持たせてもらったのは
豆の入った袋。
トースター、変わった形だった。
楽しい生活の中、
身体の弱い友達の死が辛くて辛くて、
また前を向けた時、
そこから命の大切さや
生きることの素晴らしさを学んだろうか❓
戦争が押し寄せて来る。
華美な服装も指輪もパーマも駄目。
婦人会?が率先して白い割烹着姿でデモ行進。
“華美な服装はやめましょう❗️”
“指輪も止めましょう❗️”
というスローガン掲げて。
父は信念の人だった。
軍歌の演奏を断った。
やはり、それはできない、と。
赤い屋根の家、建物疎開で取り壊し、
トモエ学園は焼夷弾で燃えてしまった。
しかし、学園再建への意思を告げる
小林校長先生の子供への愛情は、
学校を包む
炎よりも大きかった。
トットちゃんについていろいろ言われていますよね。
そんな言葉で一括りにせず、
トットちゃん自身を観ればいいと思います。
また小林校長先生、子供の為なら教師をきちんと
叱ることも辞さない姿勢、その後子供も教師をも
温かく見守る姿いいなぁと思いました。
観ていたもんだから
落ちつきがなさ過ぎて、小学一年で退学になってしまったトットちゃん。一風変わった方針のトモエ学園へ通うことになるが、トットちゃんは学校も校長先生も大好きに。みんなと楽しく過ごし、小児まひの泰明ちゃんと親しくなる。
電気ではない氷の冷蔵庫が使われていた、戦前の明るい雰囲気に徐々に影が差していく世相。それでも元気いっぱい過ごす子供たち。危なっかしくてハラハラするのも楽しいです。「良い学校~」と歌う児童の声に肩を震わす校長や、泰明の汚れた服に涙する母のシーンは、ジーンときました。トモエ学園には、池内淳子や作中でもモデルとなった少年で物理学者になった人が在籍していたとのこと。泰明ちゃんはその後どうしているかと観ていたもんだから…。
有名な俳優が脇をかため、トットちゃん役の大野りりあなさんは、有名な声優さんなんだろと思ったら、子役さんと知り驚きました。
とても有名だけど原作未読。 黒柳徹子はとってもいいとこのお嬢さん。...
とても有名だけど原作未読。 黒柳徹子はとってもいいとこのお嬢さん。 可愛らしい洋服を着せてもらえて、だからおしゃれなのかなと思ったり。 トットちゃんはとっても自由でのびのびした女の子。 変な子扱いされていたトットちゃんを温かく迎えてくれた学園は素敵だなと思ったり、心優しいトットちゃんのやすあきちゃんに対して接し方も。本人はきっと自然にやっていることだろうけど、なんて素敵な育て方をしたんだろうと両親にも感心した。 昔の子供たちは今みたいに便利な時代ではないけれど、伸び伸びして子供らしい。 時代が戦時中でもあるので、いろいろ考えさせられる部分もあり。 良作でした。
生き生きとした子どもの力を感じる映画
トモエ学園みたいなところがあればどれだけの子どもが自由に生きられるか。今の社会はどれだけ規則に縛られているか。子どもにも大人にも、寛容さや相手を認め信じる心を持てるようにしたい。子どもたち自身の判断に任せるから出てくる発想がある。校長先生の言動にびっくりしてしまううちはまだまだなのだろう。全てが正解かはわからないけれど、縛らなくても子どもは育つ。
トットちゃんの想いに涙
普通の学校だと個性的なトットちゃんは浮いちゃうだろうけど、トモエ学園は温かく受け入れる。 戦中の東急大井町線の風情がいい。 使われなくなった電車の車両の校舎。なんて粋なんだろう。 校長先生が生徒に、家から持ってきたお弁当のおかずが、海のものなのか山のものなのかを あてさせるシーンがいい。戦争がはじまって、おかずが梅干しだけになっても、このひとときをやめない学校のぬくもりに感動した。 トットちゃんの足の不自由な男との交流は、とても素敵なシーンだ。 学校にも、自分の子供にも、他人の子供にも、なんの偏見もないとっとちゃんの両親にも感動した。 トットちゃんは、こんな素敵な両親に育てられたから、今の黒柳徹子さんがあるのだ、と実感した。 戦争によって学校も、トットちゃんも、家族にも変化が起こる。でもそんな変化が起ころうともけっして失ってはいけないものがある。必死で守らなければならないものがある。 その幼いながらも沸き起こるトットちゃんの想いが、映像にさりげなく散りばめられ、自然と涙が止まらなくなる。
食べ物よく噛んで何が悪いのか
前評判で聞いてた富裕層の「この世界の片隅に」という側面は確かにあった(かまどの代わりにガスコンロとか)けど、そこは本筋ではなかった。
とにかくよく動く。トットちゃんの動きが驚くほど細やかで見てるだけで天真爛漫さが伝わってくる。駅の改札で雨を気にしながら走って出ていく男とか、エクストラがちゃんと演技している。トットちゃんが初めて電車の教室に登校した時の、クレヨン画のような極彩色のシーンは出色だ。これから素敵なことがたくさん起こるんだろうなというトットちゃんの期待が画面から伝わってきた。
戦時下に質素倹約が銃後の務めとかしょうもないこと言いよるやつ今でもいそうやなー(警吏でもないのに)と嫌な気分になったが、直後に団体さんで出てきたわ、まるでカルトの行列だけど、当時の東京の市民感覚がこんなんだったのだろうか。呉にはおらんかったな。世に連れこれをだんだんと異様だと思わなくなっていくんかな。うんざりやな。
レビュータイトルは、見てて一番腹が立ったシーンから。一番ハラハラしたシーンは、疎開先へ向かうトットちゃんが、赤ん坊を抱えながら列車のドアを開けて、チンドン屋の幻を見るところ。赤ん坊を落っことしやしないかとハラハラした。わたしのハラハラをよそに、何も起こらなかった。トモエ学園で学んでトットちゃんはお姉さんにちゃんと成長したのだった。
昭和の国民的ベストセラーのアニメ化作品
原作を読んだのは、出版された当時だから、もう40年以上前か。買ってきたのは姉だったと思う。黒柳徹子と言えば、『ザ・ベストテン』という歌番組の司会の、早口でお喋りな、玉ねぎ頭のおばさん、というイメージ。その人の幼少期の、少々現実離れした学園生活が、本人のキャラクターも相まって、非常に印象に残った。
アニメでは、当時としては、大分モダンでブルジョワなトットちゃん一家の生活が、きれいで滑らかなアニメーションで表現される。そこだけ、『奥様は魔女』とかのアメリカのテレビドラマで見ているような気分にさせられた。両親にトモエ学園の校長先生に、学友たち。トットちゃんは、大分恵まれて育ったんだな、という印象を持つ。ただ、そこに羨望ほとんど感じない。黒柳徹子という、フィクションの主役のような強烈なキャラクターの背景としては、とても相応しい。
トットちゃんの普段の生活、電車の車両の教室、その中で学ぶ生徒たち、水彩画のような背景と、落ち着きのない子供らしい動きで動きまくる子供たちの動画は素晴らしい。
キャラクターデザインは、特に私の好みということもないが、映画の世界に馴染んでいて、違和感を感じない。いわさきちひろの絵柄でキャラクターデザインされていれば、という人もいるようだが、原作の表紙や挿絵に使われていたからと言って、トットちゃんには、いわさきちひろの絵のイメージは無い。いわさきちひろの描く子供たちは、どこか儚げで、妖精のような印象だが、トットちゃんは小鬼のごとくエネルギッシュで、文章のイメージと合わないな、と原作を読んだ当時から思っていた。
アニメは、小児麻痺の少年、泰明ちゃんとの交流に多く割かれているが、原作だと一エピソードだったので、あまり印象には残っていなかった。アニメ化にあたってのドラマ演出として、感動を与えているのは確か。私はわかっていても涙が出てしまった。
この泰明ちゃんのエピソードと、戦争の最中、世間からはみ出した子供のアジールといっていい場所、トモエ学園が灰塵に帰してしまうのは悲しい。
トモエ学園が燃えてしまった後も、校長先生は再起を誓うのだが、戦後の教育の現場でも、トモエ学園のような学校は特殊な存在のままだ。
トモエ学園はあまりにも理想過ぎて、フィクションだと言われても出来すぎなくらいに思えた。そんな学園が戦前に存在したというのに、戦後数十年経っても学校教育がSMLの3サイズくらいの服を適当にお仕着せるような型にはまった教育しかしないのは何故なのか? なんて、原作を読んだ当時の子供の私は変に憤ったりもしたものだが、子供一人ひとりを丁寧に採寸して、その子供にあった服を仕立てる、なんて面倒なことをする熱意のある人物が、全ての子供に対応できるほど国は用意できないし、そもそも存在していなことは今では分かっている。それが可能なのは、一部の限られた人たち向けだけなのだろう。
トモエ学園のことを馬鹿にするほかの学校の少年たちと言い合いになるシーンが、ブルジョワとプロレタリアートのプチ闘争のように見えるというのは、言い過ぎか。
監督は八鍬新之介、制作が『クレヨンしんちゃん』のシンエイ動画。ちょっと癖のあるキャラクターデザインを金子志津枝。トットちゃん役の子(大野りりあな)の演技も良いし、脇もベテランの俳優が固めていて、声優が主要なキャラクターを演じてはいないが、特に不満に思うこともない。
アニメ好きなら、このアニメーションのすばらしさを劇場で味わっておきべきだと思うが、Youtubeのアニメ評論をするようなユーチューバーには、名作劇場的な子供向けととらえられているから受けが悪いのか、ほとんど話題にすらなっていない。
一般の人にも、『窓ぎわのトットちゃん』がベストセラーとなったのは、40年以上も前の話で、なぜ今更アニメ映画化されるのか?といった感じなのかもしれない。私がそうだったように。
黒柳徹子も最近よくテレビで過去のテレビ黎明期のテレビ番組などによく出演している。トットちゃんのアニメ化も、黒柳徹子という人の、一種の終活の一環なのかもしれない。
今も元気なトットちゃんはここから
日本芸能界の長と言っても過言ではない黒柳徹子。
日本でTV放送が開始したその日からTVに出演。芸能歴は今年で71年。日本芸能界/TV界の生きた証人。
『紅白歌合戦』や『ザ・ベストテン』など数々の名番組を司会。ギネスにも認定された『徹子の部屋』は今も続く。
TVタレントのみならず、女優、著者、ユニセフ親善大使などマルチに活躍。
交遊関係も広く、今は亡き名優や大御所タレント、海外の著名人、若い世代とも交流。YouTubeも開設。
TVタレントとして、日本女性として、一人の人間として、その存在を切り拓いた。…いや、今も切り拓き続けている。
その生い立ちや経歴はさぞかしドラマチック。語っても語り尽くせないほど。
それは知られている。自ら執筆した自伝小説『窓ぎわのトットちゃん』で。国内だけに留まらず世界中でもベストセラー。
故に映像化のオファーは数知れず。黒柳徹子自身冗談交じりで曰く、黒澤明監督以外の監督たちからオファーを頂いた。
エピソードを抜粋したTVドラマはあったが、しかと映像化されるのはこれが初めて。
映像化を断り続けた理由は、どんな名優が演じようとも恩師や同級生のイメージが沸かないから。それほど思い入れがあり、自身にとって大切な思い出。
しかしそんな黒柳徹子の考えを変えたのが、アニメーションでの表現。
アニメーションならファンタスティックに、イマジネーション豊かに、幼い頃の思い出を描けるかもしれない。
『ドラえもん』の映画で手腕を発揮し、映像化を熱望した八鍬新之介監督とシンエイ動画の尽力。イメージボードの画が黒柳徹子の心を動かしたとも。
小説発表から40年以上。アニメ映画の企画も7年。
満を持して語られる、黒柳徹子=トットちゃんの物語。
徹子だけど、トットちゃん。父親が“トット助”と呼ぶ。
黒柳徹子の父親は名高いヴァイオリニストとして知られ、伊福部昭の下、『ゴジラ』第1作目の演奏にも参加。(というのをその昔、伊福部昭が『徹子の部屋』に出演した時黒柳徹子が話していた)
そんな芸術家肌の父親と優しい母親に育てられたトットちゃんは…
お転婆、好奇心旺盛、お喋りの三拍子で、絵に描いたような元気ハツラツ女の子。
もっとよく言うと、元気過ぎる女の子。通っていた小学校の担任が懇願するほど。「別の学校に転校して下さいッ!」
今も圧倒的存在感を放つ黒柳徹子は、子供の頃からもそうであった。
しかし困ったのは、受け入れてくれる学校がある…?
そうして辿り着いたのが、“トモエ学園”。
廃電車を教室にしている変わった学校。
電車に乗れる!…とすっかり気に入ったトットちゃん。「ここに通いたい!」
まずは校長先生とお話。保護者とではなく、校長先生とトットちゃんで直に。
トットちゃんの他愛ないいっぱいいっぱいのお喋りに耳を傾けてくれる校長先生。
そして忘れられない事を言う。
「君は本当は、とってもいい子なんだよ」
無邪気に見えて、転校させられたのはひょっとして自分が悪い子だから?…と内心思っていたトットちゃん。その一言に救われる。
晴れて転入。
新しい学校、新しい先生、新しい友達。
トモエ学園は電車型教室だけじゃなく、校風も風変わり。
子供の自主性を尊重した自由教育。
子供自ら選んで学び、リズミカルに体感する音楽教育の手法=“リトミック教育”を初めて取り入れた学校。
授業らしい授業もあるが、教科に囚われず、子供たちが自分の好きな事、興味ある事、学びたい事を自分で学ぶ。
今となってそういう校風も珍しくはないが、当時としては異例中の異例だったろう。
校長先生自らピアノを弾く。子供たちと直に接する。
この校長先生もタレントがよくTVなんかで言うただの恩師ではなく、非常に有名な人らしい。
小林宗作。日本に於けるリトミック教育の先駆者で、Wikipediaにも載っているほど。教え子には黒柳徹子以外にも著名人が。
黒柳徹子が映像化を断り続けた理由の一つに、この小林先生を演じられる人がいないから。
大切な思い出の中の大恩師で、実在の人物の代わりになれる人なんて確かにいない。が、名優・役所広司は名声優でもあり、さすがなほど魅了させる。
小林先生は子供たちの言う事を頭ごなしに否定しない。ダメもノーも言わない。
学校に新しい教室=廃電車が来る。子供たちはどうやって来るのかを見たい。しかし来るのは夜遅く。普通の学校や先生だったらダメと言う所を、小林先生は、皆で寝間着を持って学校に泊まりに来なさい。来たら起こしてあげるから。
そんな小林先生が語気を強めた場面が。担任の先生がついつい、生徒を傷付けてしまうような事を。この時も何より子供の事を思って。担任の先生も猛省し、ある場面でその生徒の奮闘を称える。小林先生は温かく、優しく見守る。
「君は本当はとってもいい子なんだよ」
そのたった一言。その存在。
もし、こんな先生と出会っていたら…と、ついつい思ってしまう。
私の子供時代にもいい先生いたけどね。
学友たちも実名で登場。
中でもやはり特別な存在になっているのが、泰明ちゃん。
田園調布に住むいいとこのお坊ちゃんで、とっても穏やかで大人しい。でも…
小児麻痺で身体が弱い。片腕片足にもあまり力入らないほど。
子供は時に残酷。こういう子がいたらいじめの対象になる事も…。
トットちゃんは一切色眼鏡で見る事なく、普通に接する。
身体が弱い泰明ちゃんを木登りに誘う。オイオイ!…と異論もあるだろうが、泰明ちゃんだって本当は木登りして遊びたいのだ。
二人で頑張った木登り。忘れる事はないだろう。
泰明ちゃんの母親は我が子をずっと案じていた。木登りした事、汚れた服を見て、ひっそりと涙を流す…。
さすがに相撲は取れないが、腕相撲。が、トットちゃんがわざと負けた。大人しい泰明ちゃんが珍しく怒った。差別されるのが嫌。
黒人奴隷の本を貸してくれた。“テレビジョン”というのを教えてくれた。
今の黒柳徹子があるのも、この出会いがあったからだろう。TVの世界に入ったのも、恵まれぬ子供たちの為にユニセフ親善大使になったのも。
今もこう話し掛けているに違いない。
泰明ちゃん、私、泰明ちゃんが教えてくれたテレビジョンの世界にいるんだよ。
泰明ちゃん、私、泰明ちゃんみたいに身体の弱い子たちの為に頑張ってるんだよ。
その泰明ちゃんはほどなくして…。
原作小説は黒柳徹子が大切な大切な今は亡き友達に捧げた思いでもあるのだ。
学校、先生、友達…。
両親との事も。
ヴァイオリン演奏が上手なパパと、綺麗なお弁当を作ってくれるママ。愛犬ロッキーも。
トットちゃんもいいとこのお嬢ちゃん。素敵な赤い屋根のお家に住んで、当時で言う所のブルジョア階級。
何不自由ない暮らしだが、両親もただ優しく甘やかして育てている訳じゃない。
お祭りでヒヨコを飼いたいと言った時、反対。世話云々じゃなく、死んだ時、トットちゃんが悲しむのが分かっているから。
こちらも子供に出来る/出来ないじゃなく、子供の気持ちを考えて。
だから、優しい。
実生活で親でもある小栗旬と杏が体現。
終始子供目線。
エピソードの一つ一つも特別なものではなく、他愛ないエピソードばかり。
見た事、聞いた事、感じた事、楽しかった事、嬉しい事、悲しい事…。
でもそれらがトットちゃんたちにとっては特別なもの。
悪ガキたちが「トモエ学園はヘンな学校~」と嫌がらせしてくる。トットちゃんたちは喧嘩で立ち向かうんじゃなくて、「トモエ学園はいい学校~」と言い返す。暴力反対。自由な教えからそれを学んでいた。それを見ていた校長先生。背中が泣いていた…。
現実からファンタジーにだってなる。
ファンタスティックなシーンのイマジネーション豊かさは、本当に子供の視点。
現実世界はリアル。
トットちゃん=大野りりあなちゃんのナチュラルな演技。
丁寧な演出、美しい映像、温かい作風…アニメーションで映像化されて良かったと思うほど魅せられる。
のびのびと成長。やがて子供の視点だから見えてくる。
大人のエゴ、世の中の不条理…。
戦争の影が子供心でも分かるほど身近に。
生活が苦しくなっていく。
お弁当がどんどん質素に。
ママはお洒落な格好をしただけでお巡りさんに注意される。
パパは軍歌の為のヴァイオリンを弾きたくない。
英語だから“パパ”“ママ”とも言ってはいけない。(そんなに厳しかったのかと驚かされたシーンの一つ)
大人は皆、国や偉い人に従う。お国の為に命を捧げる。
それって立派な事なの…?
トットちゃんの友達は、病気で子供のまま死んだんだよ。
納得いかない事ばかり。分からない事ばかり。難しい事ばかり。
素敵なお家も壊されて、遠い田舎に引っ越す事になって、何もかも変わって…。
だけど私はトットちゃん。元気だけは失わないよ。
トモエ学園も焼失。校長先生もめげない。次はどんな学校を作ろうか?
子供時代のほんのちょっとのエピソード。
これからたくさん。女性初や誰にも経験出来ない事を。
生涯全てを語るなら、後10作は作らないと。
でも、見てみたい
本当に映画のような、それほど魅せられるのだ。
トットちゃんに。
アダルト・トットちゃんの話を少しだけ!!
元気過ぎて、小学一年で退学になったトットちゃん。
電車が教室で自由な校風のトモエ学園に入学。
元気発剌と個性を伸ばすトットちゃん。
だけど戦争が日に日に厳しくなり、トモエ学園も全焼して、
大好きなお友達の小児麻痺で脚の悪いヤスユキ君は死んでしまう。
有名なお話なので、本は読んでいます。
それで黒柳徹子さんについて記憶に残るエピソードを2~3、
勝手ながら書かせて頂きます。
①大食い伝説。
徹子さんは会食中、誰よりもお喋りで機関銃のように
話してるのに何故か、目の前のお皿の食べ物が、空っぽになっている。
(ほぼ、飲み込んでいる)
地方で演劇の公演があり、差し入れのお饅頭が毎日一箱届くのだった。
飽きた共演者は食べなくなり、徹子さんが毎日一箱20個のお饅頭を、
「勿体無い」と一人でぜんぶ食べていた。
②アランドロン熱愛事件。
日本のテレビ番組にゲスト出演したアラン・ドロンは徹子さんを
一目で好きになりメロメロになる。
手を握って離さず「もっと早く会いたかった」と住所と
電話番号を渡して名残り惜しげに帰った件。
③徹子さんのトレードマークの玉葱頭の中には、多数の飴が
隠されていてゲストに渡す件。
④私の引退は「マッチ(近藤真彦)に決めてもらう」発言は
マッチの不倫スキャンダルと共に消えてしまった。
④パンダ大好き
⑤ユニセフ親善大使として活躍して生涯に45億円の募金を集めた。
《愛される偉大な巨人!!》
面白くて大好き!!
(みんな知ってる話だったらごめんなさい🙏)
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