劇場公開日 2023年5月27日

「ルイス・キャロルからバズ・ラーマンへ。アイリッシュ魂が受け継がれたドキュメンタリー」ぼくたちの哲学教室 高橋直樹さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5ルイス・キャロルからバズ・ラーマンへ。アイリッシュ魂が受け継がれたドキュメンタリー

2023年6月11日
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鑑賞方法:映画館

アイルランドのダブリン市街地にあるその男子小学校には校長が直接教える特別な授業がある。
エルヴィス・プレスリーをこよなく愛するスキンヘッドの先生は、子どもたち一人ひとりの瞳を見つめながら哲学を教えている。
では、哲学とは何か。
それは自分に対して問い続けること。正解もなければ結論もない。しばしの思索の過程で子どもたちには気づきがもたらされる。

その行為は是か、非か。
急ぐことなく、慌てることなく、心に問いかけてみる。間を置くと言っても良いかも知れない。湧き上がる怒りの感情に任せて即断せずに、しばしの間考える。殴りかかることは是なのか非なのか。相手を捻じ伏せることで満たされるのは、ちっぽけな自尊心だけではないのか。

キャロル・リード監督の名作『邪魔者は殺せ(けせ)』(1947)では、ベルファストの街を舞台にIRAの男の長い一日が描かれる。アジトでの会合の後、銀行強盗でしくじった男は、銃弾を受けて防空壕に逃げ込む。その後、居場所を求めて右往左往する。ベルファストの街を陰影深い映像に収め、行き場を失った男の心象を見事に掬い取った傑作だ。

「ここには人生のすべてがある」…だから離れたくない。
ケネス・プラナーの『ベルファスト』(2021)で最も心に突き刺さったセリフは、愛してやまない故郷を離れたくないと願う母の願いだった。アイルランド出身のカトリーナ・バルフが演じた母は、子どもたちの未来のためにロンドンへの引っ越しを決意する。諍いで問題が解決することはない。頭では解っていても心は理解しない。今もその連鎖は続いている。

みんなで手を取り合って歩ける世界を夢見ることができれば、それは叶う。
なのに、僕の夢は叶わない。
『僕たちの哲学教室』の前にバズ・ラーマンの『エルヴィス』(2022)を観ておいて本当に良かったと思った。何故ならば、この作品の冒頭と結びに、アイリッシュの血を汲んだエルヴィス・プレスリーの名曲『If I Can Dream』が流れるからだ。

夢見る強い力を持ち、心を解き放てば、僕たちは羽ばたけるはずだ。
目の前で起こる諍いに対して、エルヴィスは初めて自分の言葉を歌った。校長が愛するエルヴィス、その出自は1775年に移民したウィリアム・プレスリーの血を汲む。

人と人がつながり、映画がかくも人をつなぐ。このドキュメンタリーはとても素敵なことを教えてくれる。

高橋直樹