ブルックリンでオペラをのレビュー・感想・評価
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所詮は人間、されど人間
所詮は人間、されど人間
自らの思いのまま、私利私欲で動くしかなく、他者とはぶつかり合うしかない、なんともしがない人間模様。それでも互いの幸せを願い、やがては溶け合っていく人々の姿。邦題のオペラはそれほど内容に深い関わりはなかったような。原題「She come to me」→「彼女は私のところにやってくる」? ポスターにある「愛が突然降ってきた」が、もっとも映画の意図するところの意訳でしょうか。
映画が進むにつれ、なんだか上手い具合に問題が雪だるまになっていくのが、もう心配を通り越して笑えてしまう。そして先も読めてくる。ていうか、浮気って結局バレるもんですね。私にはそんな経験ないけれど。いやホントに。浮気以前に本気の経験もないから。
そのビリヤードのように見事にぶつかり合うドタバタ劇が、これまた見事にパズルのピースが重なってみんな幸せになっていく。その例外は法廷速記の父親か。法にしたがってる彼が世間で一番正しい筈なんですが、そこに愛がなくてはダメなんでしょうか。問題だらけの登場人物にまみれて、若い二人のカップルがひときわ輝いてました。末永くお幸せに。
劇中のオペラについてですが、ふと気になったのはヒントを得た現実とは異なる結末にしているのは何故か。これらは私個人の想像ですが、最初の恋愛依存症の彼女、オペラでは首を落として食ってしまうという演出は、それはそのままの意味で恋に落ちたという暗示でしょうか。そして若い二人の結婚をモデルとしたラストのオペラ。そこでは父親に連れ戻されるという筋書きにされていましたが、それは何故だろう。私は想うに、そうすることで現実の二人のアイデンティティーというか、優位性を上げるためだったのでしょうか。現実はもっと幸せな結末だったんだよ、ということか。それが私の解釈なんですが、如何でしょうか。
それにつけても、かのアン・ハサウェイ演ずる奥様のなんと不憫なことか。世の中の汚れに耐えきれずシスターへと身を転ずるお気持ち、判ります。兎に角、相変わらずお美しいですね、アン・ハサウェイ様。昔からずっとスマホのお気に入りの壁紙です。比類なき美しさに加え、写真ごとに別人かと思う、とても不思議なお方です。そんな彼女の最後のオチ。自らプロデューサーしているとはいえ、なんと大胆なことかw
そんなこんなで、コンパクトな作品ながら、私にとってはとても感慨深い映画でした。
ハッピーエンドとアンハッピーエンドが交錯する奇妙な味わい
レベッカ・ミラーは、これまでもロールモデルには絶対になり得ないような「間違ったことをしでかす人間」を描きながら、そこに暗さをあまり感じさせない抜けのよさが持ち味であり、今回も浮気や情事や束縛や妬み嫉みや貧富の格差みたいなヘビーにもなりうるモチーフを軽妙な喜劇に仕立てているのがいい。ミラー自信がインタビューで「ウディ・アレンがさんざん撮ってきたジャンル」と説明していて(その発言自体が昨今のアメリカ映画界では勇気があるといえる)、物語の帰結としてのハッピーエンドと、劇中劇であるオペラのアンハッピーエンドが二重写しになっているのは食えない作家だなあと思うが、それでもやっぱり抜けがよく、ちょっと雑だけどめでたしめでたしな力技も、味わいとして受け入れられてしまう。軽さと重さのバランス感覚の独特さという点でも、ミラーはほかに似た者のいない得難い映画作家。
感動できない
息子ジュリアンの恋人テレザの母の同居人が
異常。
実の母親が二人を認めているのに、
この人がややこしくしてしまっている。
ただただ管理して自分の思い通りにしたいだけ。
車で行くと見つかるので、カトリーナに頼んで
船で脱出、いい考え。
スティープンはこれで面目躍如か⁉️
パトリシアが、なぜあのように信仰して、
傾倒していくのか判然としない。
寄付の様子や行動を見ていると何かあるのか?
息子のジュリアンが弁護士や母パトリシアやテレザの母と話し合うシーン、何調子に乗ってるんだ、後先考えない行動で周りに迷惑かけてながら、デカい態度。二人の恋愛応援しようとは思えなかった。
しかし、スティープン、身近な出来事を作品に仕上げるのは素晴らしい。
歌手の方どなたも美しいお声を聴かせていただきこれは良かった。
この作品自体がオペラなのかも
アン・ハサウェイの出演が本作鑑賞のきっかけです。
ピーター・ディンクレイジ主演作の鑑賞は『シラノ』以来ですね。
主役であるはずのスティーブン(ピーター・ディンクレイジ)の人物深掘りはイマイチな気がしますが、
パトリシア(アン・ハサウェイ)、カトリーナ(マリサ・トメイ)ジュリアン、テレザそれぞれに
ちゃんとスポットが当たっているところに好感が持てました。
また、脚本もスティーブン・パトリシア一家とトレイ・マグダレナ一家をそれぞれ見事につなげていき
素晴らしいラストに持っていっていると感じました。ウェルメイドな作品です。
スティーブンが自分の身の回りに起こっていることをオペラに仕立てるというストーリーは
すごく面白いですね。劇場では笑いが起きるほど面白かったです。
彼氏彼女である、ジュリアンとテレザが二人とも天才という設定も良かったです。ラストに効いていたと思います。
テレザ役のハーロウ・ジェーンは魅力的な女優ですね。今後の活躍に期待したいところです。
ジュリアンを差別的に見るテレザの父親も実際に存在しそうなリアリティがありましたし、
最終的に娘の味方をする母親にも好感が持てました。
アン・ハサウェイ演じるパトリシアもクセのある人物像で、
カウンセリングシーンでの演技は秀逸でした。特に表情の演技が素晴らしかったですね。刹那的に見せる眉間のシワとか最高でした。
ラストはそれぞれのハッピーエンディング的な感じで終わりましたが、ハッピーでありながらもちょっぴり切なさなんかも醸し出す
終わり方はなかなかに秀逸だと思います。
小品ではありますが、実力派の俳優陣で固めた秀逸のラブ・ストーリーだと思います。
幸せな気持ちに
ストーリーの中に浸ることができ、とても気持ちのいい映画だった。
オペラのシーンの音楽、歌、演技、舞台が素敵で、現代のオペラはこんなにも素晴らしいんだと古典しか知らない無知な私は感激した。
見終わった後、色々と考えさせられた。
自分にとっての幸せとは何か、愛とは何か…
夫と娘を比べたら貴方が大事と母が伝えるシーンが印象的。養父なりに娘のことを大事にしたかったのではと想像したが…。
それぞれが大事なものを守ったのだなと納得のラスト。
日本語タイトルに騙されました
日本語タイトルから連想したイメージと全く違っていた。でもそれは良い意味で裏切られた感じだ。特に最後の結末は想像していなかっただけに、どんでん返しとは違う意味でサプライズ感があった。まさか主人公があんな選択する結末になるとは。でも、個人的にはこういう展開の映画好きです。あの女船長、ちょい役かなと思っていたら、主人公の次ぐらいに重要な役柄だったのですね。
人生前向きになる映画なのかもしれない
小さいおじさんの話。
小さいことに関しては作中で一切触れられていない。
おじさんは才能ある音楽家だが自信を無くして引きこもり気味。
このおじさん、なぜか美人の精神科医を妻にしている。
髭もじゃで潔癖症の女が好むようには見えないのだが。
犬の散歩に行って色情船長とセックスして帰ってくるのだが、
それがそのままオペラになる。ここ笑うところ。
その後船長ともめてしまうが、息子がヤバい家の娘と恋仲になって娘の父とトラブルに。
船長とのごたごたもあって妻は離脱。
おじさんと息子たち、船長に船を出してもらって逃走成功。
この逃走劇もオペラになる。ここまた笑うところ。
映画を見終わって、一体何の話だろうと思ったね。
みんなで逃走するところはちょっとワクワクもしたけど、妻は離脱してるしなあ。
ふと思ったのは、妻と結婚した話はオペラにしてないんだなってこと。
ドラマチックな展開であったに違いないのにね。
この映画のテーマは、人生とはオペラだとかオペラになるような人生を楽しもうぜみたいなことなのかなーと思ったりする。
経験したことを最大限に使って次の面白いことを引き寄せよう、というのもあるかな。
前向きでいいんじゃないの。
それで妻の行動原理だけがどうにもよくわからなかったのだが、潔癖症で慈善活動が好き、燃えるようなセックスナイトはお断り、この辺から考えるに、おじさんとの結婚も慈善活動の一環なのかなと思う。
おじさんが一人でやっていけるようになったことで離婚して修道女になりたいと言い出したんだろう。
なるほど妻と離婚する話ならオペラになるかもしれんね。
オペラ作品が直喩なのに、才能があると言えるのかは微妙
2024.4.12 字幕 MOVIX京都
2023年のアメリカ映画(102分、G)
スランプ中の現代オペラ作家が思わぬ出会いに翻弄される様子を描いたヒューマンコメディ映画
監督&脚本はレベッカ・ミラー
原題は『She Came To Me』で、劇中オペラのタイトル「彼女は降りてきた」のこと
物語の舞台は、アメリカ・ニューヨーク
現代オペラ作家として人気を博しているスティーブン・ローデム(ピーター・デインクレイジ)は、潔癖症の精神科医パトリシア(アン・ハサウェイ)と結婚し、彼女の連れ子であるジュリアン(エヴァン・エリソン)と3人で暮らしていた
ジュリアンにはテレザ(ハーロウ・ジェーン)と言う年下の彼女がいて、すでに大人の関係になっていた
テレザの母マグダレナ(ヨアンナ・クーリグ)は法廷速記者のトレイ(ブライアン・ダーシー・ジェームズ)と恋人関係になっていて、結婚はしていないものの、テレザの養父的な存在になっていた
ある日、パトリシアから「行動パターンを変えなさい」と言われたスティーブンは、愛犬リーバイの行くままに町を散策することになった
リーバイは港町の方に向かい、スティーブンは海沿いのバーで一服することになった
バーテンダー(トミー・ブック)と何気ない話をしていたスティーブンだったが、そこにカトリーナ(マリサ・トメイ)が話に入ってきた
彼女は曳き船の船長で、今は休暇を楽しんでいると言う
カトリーナは「船を見に来ないか?」と言い、スティーブンは赴くままに彼女の船に足を入れる
そして、船室の誘惑に耐えきれず、体の関係を持ってしまうのである
物語は、スティーブンとカトリーナ、パトリシアの三角関係と並行して、テレザとジュリアンの許されざる恋を描いていく
テレザは16歳で、ニューヨークでは未成年と性的関係を持つことは犯罪だった
トレイは立腹し、裁判を起こすとイキリだし、そこでスティーブンは「結婚すれば良いのでは」と助言を与える
だが、ニューヨークは16歳の結婚を認めておらず、そこで彼らは「デラウェアなら親の許可があればOK」と言う情報を見つけ、そこに向かうことになった
だが、トレイは法廷速記官として、方々に顔が効く存在で、そこでスティーブンは陸路を行くことを諦め、カトリーナに助けを求めることになるのである
映画は、スティーブンのスランプが「カトリーナとの一夜」「ジュリアンとテレザの恋愛」に触発されて作品を生み出す過程を描き、それによってパトリシアとの関係が破綻する様子を描いていく
パトリシアとの破綻はカトリーナの存在が大きいものの、不倫が問題というよりは、かねてから聖職に興味を示していたパトリシアが目覚めたという感じになっている
この流れが結構雑多な感じがするので、映画的には群像劇だったのかな、と感じた
いずれにせよ、思ってたのと違う系の映画になっていて、もっとオペラが前面に出ている作品なのかと思っていた
オペラは要所を締めるものの、物語の核は「それぞれのキャラが生きたいように生きる」という感じになっていて、一応はハッピーエンドのように結ばれていた
トラブルから着想を得たオペラ2作品はそのまんまという感じで、メタファーなどではないところは何とも言えない部分がある
スティーブンは人気作曲家ということだが、才能があるのかどうかはわからず、演じた人々の力量に依るという感じがしたので、それで良かったのかも微妙かなあと感じた
Crush
アン・ハサウェイとピーター・ディンクレイジが出ているという情報頼りに鑑賞。
オペラを作る話かな〜くらいで観にいきましたが、嫌がらせなのか寂しがりなのか前日に誰もいないのを確認して取った席のホント隣に爺さんがいてムキーッ!てなりました。もっと席空いてるじゃないっすか…。
モヤっとした気持ちで観ましたが、映画はそのモヤつきを晴らすかのごとくぶっ飛んだ作品になっていました。
オペラがメインかと思いきや、子供たちの婚姻問題に徐々に物語がフォーカスしていき、それをどう解決するかを軸に周りの人物が右往左往していくので、とっ散らかっている感じがずっとありました。
人物関係が浅く掬っただけで進んでいくので母娘関係の市民権がーとか、裁判だーとかが取ってつけただけの様にしか思えず、修道女になりたい理由も突発的なのが訳わからんまま進んでいくのがかなり気になりました。
ただ脱出させるために協力的に動く人物たちや、船の上でのハッピーな雰囲気は好みでした。
序盤のスティーブが船曳きの女性とイチャっとした話からオペラが生まれた過程まではいいコメディだなぁ、この後どういう展開になっていくんだろうなと思っていたのに、重めの話、しかも日本住まいなのもあって州によって結婚できる年齢が違うというのもピンとこなかったのも後半ハマれなかった要因だと思います。
ストーカーのやり方が常習犯のしれだったのは面白かったです。
役者は抜群に良かったと思います。お目当てだったディンクレイジは渋さとコミカルさがうまく噛み合っていて、哀しげな表情とかがたまらなかったです。
アン・ハサウェイは文字通り体を張っていて良かったです。絶叫しまくるシーンはホラー映画の怪物くらい迫力があって笑ってしまいました。
邦題を考えた人はちゃんと本編を観たのか?と疑いたくなりましたし、原題を直訳した方がカッコは悪いですが様になっていたよなぁと思いました。
まだオシャレなコメディに肌は合わないみたいです。
鑑賞日 4/13
鑑賞時間 12:50〜14:45
座席 H-3
米国ニューヨーク、ブルックリン。 現代オペラ作曲家のスティーブン(...
米国ニューヨーク、ブルックリン。
現代オペラ作曲家のスティーブン(ピーター・ディンクレイジ)は、5年も新作が書けていない大スランプの真っ最中。
精神科医で再婚相手のパトリシア(アン・ハサウェイ)は「いつもと違う行動を」と薦め、愛犬とともの散歩に送り出した。
たまたま入った昼間のバーで、曳き船の女船長カトリーナ(マリサ・トメイ)と出逢い、彼女の船を案内してもらうことに。
ところが、彼女は恋愛中毒症候群。
スティーブンをベッドに誘った・・・
といったところからはじまる物語で、この物語と並行して、パトリシアの息子の恋愛模様が描かれる。
パトリシアは医学生時代に大恋愛の末に妊娠、息子を生んだ。
息子は18歳、優秀な学生で大学進学目前。
息子の彼女は16歳。
彼女も優秀で、飛び級で大学進学しようというところ。
彼女の母親も、高校生のときに妊娠、出産をして、結局、離婚。
若い時の恋愛は、人生を棒に振ることになるのが身に染みている。
若気の至りの大恋愛、中年になってからの巻き込まれ型恋愛、さらにさらに「あるお人」との恋愛・・・と米国型恋愛のトライアングル。
レベッカ・ミラーのオリジナル脚本、これがいける。
恋愛シーンはスタンダードサイズ、一般シーンはスコープと画面サイズを変化させる演出は、ちょっとやりすぎな感じがしないでもないけど、まぁ許容の範囲かなぁ。
旧式ハリウッド映画だと、若いふたりの大恋愛はショットガン・マリッジ(女性の父親がショットガンで交際相手の男に結婚を迫るというもの)が定番だったけれど、最近ではそうはいかない。
若気の至りの結婚は、破滅への道・・・
さらには、犯罪者の烙印まで押されかねない・・・
と展開する後半は、かなりのドタバタ感がありますが、まぁ面白いですよ。
アン・ハサウェイ、マリサ・トメイ、ピーター・ディンクレイジと俳優陣も好演。
特に、マリサ・トメイの上手さが光ります。
軽快な語り口が楽しい映画 こういう映画をたくさん観たい 俳優たちによって活き活きと演じられる魅力的な人々が織り成す人生劇 特にアン・ハサウェイ、ピーター・ディンクレイジ、マリサ・トメイがいい
軽快な語り口が楽しい映画でした。
こういう映画をたくさん観たい。
個性的な登場人物たちが織り成す、ハッピーな大騒動。
様々な立場の人々が反応し合って、パズルのようにはまっていく展開が面白い。
「スクリューボール・コメディ」というらしいが、笑わせようとするようなコメディでは全くない。
「スクリューボール・ラブストーリー」とでもいいたい。
いや恋愛だけではない、人生模様のようなもの。
そのキャラクターたちが魅力的で、演じる俳優も、特にアン・ハサウェイ、ピーター・ディンクレイジ、マリサ・トメイがいい。
完璧に思える女性が、潔癖症で、修道女になりたかったりする。
今風の家具やキッチンに囲まれたハイソな生活。
しかし、部屋を隅々まで掃除しないと気が済まない。
それがやがて、ミニマルな生活に憧れるようになる。
煩わしい日常の様々な雑多な事柄をすべて捨てて、一つの世界に没頭したい。
その気持ちは、とってもわかる。
身に染みる。
オペラ作家の男は、5年のスランプの最中で、人づきあいがうまくいかない。
偶然知り合った女性は、ストーカーのようだったが、実は理解されにくく実は傷つきやすくつらい過去を経験している。
厳格な父親は、法廷速記者で、趣味は南北戦争の再現劇。
聡明な若い二人の恋は、互いにしっかりした考えを持っていて、自然と応援したくなる。
親に応援されて、駆け落ち同然で結婚式を挙げるのも楽しくてハッピーになれる。
こういう恋を日本映画で観てみたい。
邦画だと、妊娠して親に反対されて悲劇的な展開になる映画ばっかりで嫌になる。
なんと、ブルース・スプリングスティーンが主題歌を書き下ろしたのも凄い。
期待度○鑑賞後の満足度○ 配給会社の人は邦題の付け方に悩んだのじゃないかしら。曳き船を舞台の一つにしたのは大変宜しい。
①最後に全て伏線回収されるけれども、それまでがとっ散らかっている。
群像劇だからとっ散らかっているのは当然、ではなくて群像劇でも統一感は必要。
最初はエピソードがあっちこっちを行ったり来たりするが、面白い!というより困惑させられる。コメディタッチのシーンも散見されるがさして面白くない。
②登場人物の殆どは病んでいる人たちだが、それが映画の面白さに繋がっていないのが惜しい。
アン・ハサウェイ(年齢を感じさせるようになってきましたねェ)は、病んでいる人を治療する精神科医の筈が自分も病んでいて、潔癖症が高じて尼さんになる、という美味しい役ながら哀しさと可笑しさがあまり出ていないのも惜しい。最後にぶちギレちゃうシーンが可笑しかったくらい。
ピーター・ディングレイジも上手い俳優さんだが、彼でなくてはならない、という役でもないし。
アン・ハサウェイの息子の彼女のお母さんはこの映画では病んでいない普通の人だが、ヨーロッパからの移民にする必然性があったのかよくわからない。
アン・ハサウェイの奥さんが尼さんになる道を選んだ心の揺れとか、ピーター・ディングレイジの旦那がいつからマリサ・トメイに愛を感じ始めたかも一つわからない(最後のプロポーズはお決まりの展開だが、やや突然すぎる感あり)とか、総じて各キャラクターの心の動きの描き方が物足りない。
ということで、やはりここはマリサ・トメイの役者としての達者さが作品の要というところかな。
【”様々な出会いと夫々の新たなる人生。”恋愛依存症の人達が巻き起こす、心地良くコミカルな恋愛群像劇。それにしても、ヤッパリ自由恋愛が良いよね。今作は人間の善性溢れる作品でもある。】
■スランプになったオペラ作家スティーブン(ピーター・ディンクレイジ)は精神科医の妻パトリシア(アン・ハサウェイ)の勧めで犬の散歩に出かける。
散歩途中でバーに寄り、ウィスキーを飲んでいると、引き船の船長カトリーヌ(マリサ・トメイ)と出会った事で、彼女の引き船を見に行くことになる。
すると、恋愛依存症のカトリーヌに、寝室で迫られて・・。
◆感想
・登場人物達の関係性が、徐々に明らかになる過程が巧く描かれている。
1.カトリーヌを恋愛依存症と診断したのは、パトリシア
2.パトリシア家の家政婦マグダレナ(ヨアンナ・クーリグ)の16歳の娘テレザとパトリシアの18歳息子ジュリアンは恋人。
で、テレザの父トレイはジュリアンを訴えると息巻く。
・スティーブンがカトリーヌとの間の出来事をオペラにしてしまった事から、それを見たパトリシアはお冠。カトリーヌはマタマタ恋愛依存症一直線。
オタオタするスティーブン。
ー 幾ら、スランプだからと言って、カトリーヌとの関係をオペラにしちゃうってどーなのよ!で、再びカトリーヌに迫られ、劇場のWCの非情口から逃げ出すスティーブン。
因みに後半にもオペラが一本描かれるが、それはジュリアンとテレザの恋愛を描いたものである。-
・パトリシアは息子ジュリアンを守るために、16歳で結婚できる(裁判所の許可は必要)デラウェア州へ、テレザと共に逃がそうとするが、陸路はトレイが見張っている。
ー で、スティーブンが思いついたのが、カトリーヌの引き船。ジュリアン、テレザ、マグダレナ、スティーブンは、引き船に乗ってデラウェア州へ向かうのである。
そして、スティーブンはカトリーヌにプロポーズする。-
■そして、夫々の新しい人生が拓けていくのである。
ー パトリシアは精神科医を辞め、修道女になるのである。パトリシアが激怒しながら患者の前で次々に衣服を脱いでいくシーンは笑えたなあ。-
<今作は、随所でクスクス笑える”様々な出会いと夫々の新たなる人生”を描いたコミカルな恋愛群像劇である。
ヤッパリ、自由恋愛が一番良いよな、と思った作品でもある。>
感動のハッピーストーリーか否かは?
予告動画の最後のフレーズは、観る人によって変わるかも?
ただ、劇中の台詞と同様に、「劇的に人生が変わる」ことはあるのかも?
いや、そういう期待をもって生きると、いろんなものが違って見えてくるんだろうな…と。
それで良いの?と思わなくもなかったけど、まあ、これはこれ(結局2つのカップルがなくなって、2つのカップルが生まれる)でアリかな…と。
親世代の群像劇
行き詰まっているオペラ作家、信心深くて潔癖症なカウンセラーのその妻、前夫との18歳の息子、その16歳の彼女、彼女を20歳で産んだ移民の母親、法廷速記者で警察にコネがあるその夫、そして船長をしている恋愛依存症の女性。
スランプに陥ったオペラ作家が犬の散歩中にたまたま入ったバーで船乗りの女性に出会い、気圧されていたすが、それは気の迷いと彼女から逃げ帰る。しかしこの経験をオペラにするのだった。
カウセリング中にクライアントからヌードを想像していると告げられ困惑する妻。潔癖症なので家政婦を雇うが、それが息子の彼女の母親だった。
娘の付き合っている相手を全く知らなかった女性は、娘の部屋から相手が撮った半裸の大量のポラロイド写真を見つけ、ショックで夫に相談する。2人を別れさせるために、18歳と16歳の関係は法的に認められないことを利用して父親は相手を訴えようと考える。前科がついてしまうので阻止しなければならない。若い2人は16歳でも結婚できるデラウェア州で婚姻届を出すことにするが、陸路では警官にコネがある父親が先回りするので、男の子側の父親が船長の女性に頼んで船で移動することにする。
一方潔癖症の妻は教会に通ううち今の豊かで恵まれた生活よりもっとシンプルな暮らしを望み、尼僧に憧れるようになる。いつものクライアントに対して嫌いな物の克服法の話から自分の全裸を晒し、体調を崩し、尼僧になることを決心する。
息子と娘の恋愛をオペラに書き、絶賛されるオペラ作家。その劇場には尼僧になった元妻も含め、全員がいるのだった。
大人のこんがらがった人間関係と、十代の2人の純粋な恋愛が対照的。何か明確なメッセージがあるというより、人生いろいろだよね、という感じ。
映画館でなくても良いかなー。
物語が多軸
映画「ブルックリンでオペラを」
# 原題
SHE CAME TO ME が原題。「彼女が降ってきた」的な。
# 内容
「ブルックリンでオペラを」といういかにもオシャレっぽい邦題からはカジュアルな作品をイメージしていたが中身は全然違った。
むしろオペラはアクセントであって人間ドラマが主演だったように思う。
# 多軸の物語
なかなか意図がつかめない映画というものがある。物語が何のテーマでどこに向かっているのか分からない映画。悪い意味ではなくそういう映画。これもそんな映画のひとつだ。
物語中、多くの軸が同時に進んで行くので本筋を捉えることができない。というより本筋なんていうものはないのかも。
そんな映画は好きだ。Marvelとかヒーローものの映画ならまあ話の大筋はだいたい観客にも分かり安心して楽しめるのだが、決して親切ではなく、観客が考えながら観なければいけない映画の方が見応えがある。
# 物語
既婚者で作曲者の男は新曲ができずに悩んでいるが、ある日BARで出会った女船長と不倫をする。そして天啓を得て新しいオペラを書き、それがヒットを飛ばす。
だが話は終わっていなかった。偶然そのオペラ公演に来ていた女船長は男を追いかける。彼女は恋愛依存症だ。
男に「治療した方が良い」と忠告された女は精神科医を訪ねるが、その精神科医は偶然にも男の妻であり、そこで不倫が発覚する。
それと同時にもうひとつの物語が進んでおり、精神科医である妻は家にお手伝いを呼んでいるのだが、そのお手伝いの女性の娘と、自分の息子が恋人同士であることを知ってしまう。
精神科医の妻の息子と、そのお手伝いの娘は18歳と16歳であり、もし性的な関係を持ったのであれば法に違反する。そのことを知ったお手伝いの女性の夫的な人物は、娘のボーイフレンドを告発しようとするのだ。
そのことを知った作曲家の男は二人が罪を免れるため、他の州で二人を結婚させようとするのだが、そこで助けを求めたのがかつての不倫相手の女船長であり、一向は希望のための船出をするのであった。
全体を見るとなんとも複雑な関係性が出来ながら物語が進んでいく。
# 不倫
作曲家の男の妻は美しい。だがそれほど美しくない女と不倫関係に落ちる。ここが普通の筋書きとは逆だと思った。
# オペラ
作中では絶賛されているオペラだがオペラに合わせて「私は恋愛依存症なの」とか言うのでギリギリコメディにも見えた。
# 16歳と18歳
16歳の女と18歳の男。
この年齢の男女が結婚すると統計上はものすごく離婚率が高いらしい。
だが16歳の彼女は言う。
「統計上は少しはうまくいく可能性がある」と。
男は女に永遠の愛を告白する。しかもオンラインビデオをしながら。とても良いシーンだった。
# 脱出劇
さっきも書いた通り最後には女船長の船に乗って、16歳と18歳のカップルを救うためにアメリカの他の州まで脱出をするのだ。
多くの軸を持つ物語が、後半集約されず、1本筋にならないままで終わってしまう作品も世の中にはあるが、本作はなんとか物語が1本の道に集まるのだった。
どういう話なのかよく分からなかったが、つまらなくはない。
アン・ハサウェイを見に行った。アン・ハサウェイは主役ではなかったような気がする。かといって他の誰かが主役という事でもない気がした。
前半は小さいおじさんスティーブンにまつわる物語、後半は若い2人にまつわる物語。
アメリカ映画で子連れの再婚夫婦が2組出てるのに家族の再生がなかった。意外に思ったが無くて良かった。
テレサの養父がテレサの恋人ジュリアンにやろうとしたことの理由が不明で、何となくそれ以後乗れなかった。養父は何がやりたかったんだ? 人種差別? 法律を厳密に運用するのが趣味?
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