碁盤斬りのレビュー・感想・評価
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想像の範疇を出なかった。
タイトル回収するシーンがそのまんますぎて何のカタルシスもなかったです。
あと萬屋の息子の行動の数々があまりにもアホすぎてイライラしました。
そのくせバカ息子に愛想を尽かしていたはずの娘さんが最後にはくっついていてなんだかなぁと思いました。
武士の生き様ってこうなんだなぁ、という事は伝わりましたがそれ以外は微妙だったかなあ。
これぞ武士道😤
TVドラマの時代劇が衰退して久しい
あんなに夢中になって見ていたのに
いつ頃からか全然面白くなくなった。
低迷する視聴率のためか、実力のない(ここ大切w)
人気若手俳優を起用したり
元来の時代劇には似つかわしくない演出や
奇をてらった構成が目立つようになり
時代劇ファンはがっかりして離れただろうし
新規客は見てもつまらなかったんだろうと思う。
そんな感じだから、役者陣も育たず
かつての名優たちを思わせるような演技ができる役者はもちろん、名バイプレイヤーもいない。
あぁ、嘆かわしや時代劇😭
ところが昨今の映画事情に変化が見えてきた。
本来の時代劇の良さが
(武士道、美しい日本の風景、人情、所作まだまだある)
たくさん詰まった作品がどんどん生まれている。
梅安や鬼平、今回の碁盤斬りもそれ🖐
もう決してアイドルとは言わせない草彅剛の
圧巻の演技力は本当に素晴らしかった。
清廉潔白であり続ける姿、実直さ、忠誠心、
復讐に燃え漲った目力、お見事👏
娘役の清原果耶も良かった。
敵役、斎藤工のクズっぷりも良かったけれど
顔が良すぎるのも難点だなと思ってしまった。
わかりやすい勧善懲悪に、腐っても武士であり続ける誇り。
気持ちのいい時代劇だった。多くの人に観て欲しい。
清廉潔白
囲碁が分からなくても楽しめる作品。
古典落語+オリジナル復讐劇を演出。
緊迫する中に落語の風情、情緒を実感
出来る演出と脚本。
江戸時代の人情味や吉原ならではの光
と影も上手に表現されていた。
武士ならではの娘の所作は綺麗。凛とした佇まいの清原果耶さんはまた観たい。お庚さんの人柄も
印象的。
何より柳田格之進の草彅剛さんは
清廉潔白で格好良かった。
刀で碁盤を斬るから、碁盤斬りなんだね。
また落語の柳田格之進が聴きたくなりました。
カッコイイ時代劇!
映像が綺麗でカッコよかった!その映像とともに流れる音楽も最初から最後まで良い!
白石和彌監督は死刑にいたる病でトラウマを植え付けられたのでかなりグロくてウッ…ってなるかと思いながら観ましたが、グロいシーンはあったけどそこまででもなかった印象でした。
序盤から多くある囲碁を打つシーン。
ただうってるだけなんだけど草彅剛の表情もよくめちゃくちゃカッコいい!
ストーリー的にも大満足!
退屈することなく観れました!
何らかの突き抜けた感と丁寧さ(納得感)が足りない
映画館で観るだけの何らかの突き抜けた感が不足していると感じました。
少々厳しいがTVで年末時代劇スペシャルのレベルに留まります。
あとは、もう少し丁寧な演出であってほしかった。
原作ありにて、主人公の行動は原作通りなのだと思うが、映画のなかでは何か納得感に欠けるように見えてしまった。ということで★は3つまで。
映像 ★★★ (可もなく不可もなく)
音 ★★★ (こちらも可もなく不可もなく)
物語 ★★★
役者 ★★★ (期待したほどには・・・)
・草薙の演技は各シーンで本当に素晴らしいが何か全体としては繋がらない
編集 ★★ (編集というか演出に納得感が得られない)
粗さ ★★★
総合 3.0
私の勝手な憶測での解釈(ネタバレ含むかな?)
1,首を切らず碁盤を斜めに切ったこと
・正方形のマス目をもつ碁盤 ⇔ 草薙の生真面目さ
・首を切らず碁盤を斜めに切る → 生真面目一遍からの脱却の象徴
2,殿様の絵を自ら詭弁を言って譲受けること
・生真面目一辺倒からの気持ちの上での完全な生まれ変わり
そう、この1と2の流れに私は納得感を得られなかった。
1では愛する碁の碁盤を切ることへの断腸の思いが感じられなかった。
単に首を切る代わりに、碁盤を切ったような演出となってしまった。
2では自ら絵の譲受を申し出るのではなく、もう一人の武士側からの提案を受け入れるほうが良かった。
まぁ、私の勝手な思いなんですけどね。
思ったよりも本格的な碁打ち時代劇、プロ棋士探しはウォーリーよりも簡単?
2024.5.22 T・JOY京都
2024年の日本映画
古典落語「柳田格之進」を時代劇風にアレンジした作品
濡れ衣を着せられた浪人が自身の過去と向き合う様子を描いた時代劇
監督は白石和彌
脚本は加藤正人
物語の舞台は江戸の吉原近辺
郊外の貧乏長屋に住んでいる格之進(草彅剛)は、かつて彦根藩の役人として働いていたが、ある事件によって藩を離れることになった
一人娘のお絹(清原果耶)と共に暮らし、印鑑を彫ってわずかな金を稼いでいるが、家賃も払えぬ状況に陥っていた
ある日、近くの碁会所に立ち寄った格之進は、そこで乱暴な碁を打つという萬屋源兵衛(國村隼)と対戦することになった
1両を賭けての賭け碁をすることになったのだが、格之進は勝利寸前で手を止め、「このような碁を打ちたくはありませんな」と言って、勝ちを萬屋に譲った
その後、心を入れ替えた源兵衛は、格之進に碁を学び、良き碁打ち友達となった
源兵衛は萬屋の亭主をしているが、引き取った弥吉(中川大志)を後継者にしようと考えていた
番頭の徳次郎(音尾琢真)も彼を支えるつもりでいたが、当の弥吉はちっとも成長する気配を見せないのである
物語は、中秋の名月の夜の夜会にて、碁を打っていた源兵衛のところに、男が金を返しにきたところから動き出す
碁打ちに夢中になっている源兵衛の代わりにお金を受け取った弥吉は、源兵衛にそれを渡しに部屋へと向かった
弥吉は源兵衛にお金を渡すものの、翌朝、そのお金が無くなっていることに気づく
あの部屋には源兵衛と格之進しかおらず、そこで格之進に盗難の嫌疑がかかってしまうのである
また、萬屋がお金の紛失で揺れている頃、格之進の元に彦根から左門(奥野瑛太)がやってきて、妻・志乃(中村優子)の死の真相を聞かされてしまう
格之進は仇である元彦根藩の浪人・柴田兵庫(斎藤工)を探し出して、復讐を果たそうと考える
その矢先に弥吉からあらぬ嫌疑をかけられ、格之進はお絹を半蔵松葉の大女将・お庚(小泉今日子)に預けることでお金を用立ててもらうことになった
格之進は大晦日までに「復讐を果たす」と誓い、弥吉に「もし、無くなった金が見つかったら切腹してもらう」と息巻くのである
映画は、後半に怒涛の展開になってしまうのだが、あまりにも畳みかけ過ぎていて、「復讐に行く、戻って切腹、娘に止められるの流れ」がテンポを削いでいる
復讐に消えた格之進が旅先で自分の嫌疑について知るという流れで、復讐の旅を続けるか、嫌疑を晴らすかを迷うという流れでも良かったように思う
10両紛失騒動は後半の「碁盤斬り」に必要なのだが、どの碁盤を斬るかと考えれば、兵庫の切腹の代わりに碁盤を切っても良かったと思う
切腹もできず、生き恥を晒すというのが兵庫にとっては最も過酷な仕打ちなので、そこまで鬼になっても良かったと思う
嫌疑をかけられたとして、弥吉の出まかせで源兵衛を巻き込むのも無茶な話で、そこは言い出しっぺの徳次郎が斬られれば丸く収まったのではないかと思った
いずれにせよ、時代劇っぽい勧善懲悪の流れで、英題が「Bushido(武士道)」というのも面白い
碁盤があんなにスパッと切れるとは思わないが、あの効果音だと刀が折れたように聞こえるので、なんだかなあと思ってしまった
かなり碁の話が出てくるので、最低限のルールを知らないと、定石を外して打つ兵庫であるとか、乱暴な碁を打つ源兵衛などの碁はわかりにくいかもしれない
プロの棋士が5人ほど登場していたが、このあたりは囲碁ファン向けのサプライズ演出なのかな、と感じた
個人的には、それっぽい映し方をしていたので「ひょっとして」とは思ったが、判別できるほど打ち込んでいたので勿体なかったかもしれません
碁にも殺陣にも吉原にもどこにも愛が感じられない
あまり悪口を言いたくはないが白石和彌監督が何故この古典落語が原作の凡庸な人情噺を撮ったのか分からない。松竹で京都太秦撮影所とその職人スタッフを使って時代劇をやってみたかったのだろうとは思うが過去に散々作られてきたテレビ時代劇をなぞっているだけにしか見えず物語への愛が感じられないのだ。いくら職人監督に徹したとしても対象への愛が無いのに映画を作るべきではないだろう。心底がっかりである。クライマックスをタイトルで盛大にネタばらしすることに何かメリットがあるだろうか?ストーリーもチャンバラをやりたいために盛り込んだ奥さんのリベンジドラマが中途半端でこれっぽっちもヒリヒリさせてくれないしお絹を吉原に売り飛ばした武士の馬鹿げたモラルを曖昧にしてしまっており不快。弥吉はお絹が吉原に売られたことを知った時点でなぜすぐに見受けしない?正月にお絹が家に帰るのを笑顔で見送る女郎たちにも違和感を覚えた。
石の下
白石監督が作る作品はエログロバイオレンスがメインで、今作のような時代劇は初めてで新鮮でした。
特典は小判ステッカーで洒落が効いていました。
古典落語がベースになっているみたいで、そのおかげもあって耳ざわりも良く、お話がスッと入ってきて見やすい時代劇になっていました。
訳ありそうな浪士の格之進の性格や暮らしが囲碁を通して描かれる前半と、娘を助けるために行う静かな復讐劇が後半と、1つの映画で複数の面白さが詰め込まれていて、表情だったり仕草だったりで伝わってくるものが多く、時代劇ならではの聞き取りづらさというのも全く無くて、それもまた良かったです。
囲碁自体は全く知識無くて、オセロの難解版かなーくらいの知識でしたが、スクリーンの中で淡々と進められる対決に釘付けになって、ルールが分からずとも勝負の進退が分かる作りがお見事でした。
大晦日の期限までに借金返済が間に合わなくて、これはやっちまったーとなったところで、女将さんがとぼけてくれてお絹を返してくれたところは思わず「女将さーん!」ってなってウルっとしました。
役者陣がこれまた本当に素晴らしく、草彅さんの優しい表情と濃い喜怒哀楽がたくさんあって、俳優・草彅剛をこれでもかと堪能できました。
清原果耶さんも「青春18×2」に続いて素晴らしく、立ち振る舞いが丁寧で見惚れていました。
中川大志さんの一歩踏み出せない感じの弥吉には観ている側も揺さぶられ、首を斬られそうになった時の首の血管や震えがとても印象的でした。
脇を固める國村隼さんの飄々とした感じ、キョンキョンの飴と鞭の使い分け、奥野さんの頼りになる部下の感じに斎藤工さんのダーティーな雰囲気とどのシーンを切り取っても隙のない演技合戦に斬られました。
映画全体を通して見るとインパクトには欠ける作りで、時代劇ならではのであえであえ!みたいなシーンはほぼ無いですが、無骨で真っ直ぐな切れ味抜群の面白いドラマが観れて楽しかったです。
格之進は何処へ、そんなラストも余韻たっぷりで良かったです。
鑑賞日 5/19
鑑賞時間 18:00〜20:20
座席 I-14
ヤナギの碁
清原果耶がまた男を虜にしておる。笑
それはともかく、全体的に自分は乗り切れなかった。
序盤はやけにゆったりしてる割に、源兵衛が打ち筋や経営方針を変えるほど格之進に心酔する理由が弱い。
やっとこ仇討ちに出ようとした矢先に嫌疑をかけられ、切腹未遂。
…だったら藩を追われた段階で腹を切るのでは?
何のドラマもなく、碁会を虱潰しただけで兵庫を発見するが、何故そこで頸を賭けて碁を打つ必要があるのか。
源兵衛との十両を巡る賭けも含め、毎回賭けをする理由が見当たらないんですよね。
腕を落とされた途端に潔くなる兵庫もよく分からない。
仇討ちが済むと、それまで娘を想う様子もなかったのに左門の進言でお絹のもとへ。
門が閉じ、弥吉から五十両が出てきたと知らされると、またも娘のことを忘れたように萬屋へ急行。
タイトルでネタバレしてるのに、散々引っ張り碁盤斬り。
最後は何事もなかったように和解し、弥吉とお絹が祝言をあげ、格之進は姿を消す。
旅に出る理由は分かるが、カッコよさ以外で黙って行く理由何かある?
画面の質感に統一感がなさすぎたり、あからさまにアテレコのシーンも違和感アリ。
大半のキャストが時代劇の台詞回しがハマッておらず、ツヨポンも棒読み迫力不足。
殺陣もまったく格好よくないし、障子に突っ込んだ際の3カメ演出には笑ってしまった。
五十両には何か謀があるかと思えばただのボケ老人だし、源兵衛は勝手に頸賭けられてるし、これ喜劇だろ。
上司の指示に従っただけで殺されかけた弥吉が不憫。(徳次郎はそれ以降気配を消すし)
硬派なタイトルの割に、中身は豆腐のようでした。
平均点以上だが、時代劇として疑問あり
落語が原案なので、時代考証的に正しいかどうかは、あまり期待していなかった。
とは言っても、「中国の碁の格言」というセリフを聞いたとき、江戸時代に「中国」と呼んでいたのか疑問に思った。また、吉原に身を売った絹が、いくら楼主のお康と一緒だったとはいえ、吉原の大門の外に出られただろうか?落語原案としても、こういった点はもう少し丁寧に考証してほしかった。
脚本については他にも納得できない点が多々ある。例えば、格之進の敵討ちの話。江戸時代でも、許可のない仇討ちは違法行為である。しかも、妻(卑属)の仇討ちは通常許可されない。しかも、この映画の場合、仇討ちの許可を誰にも(旧藩主に江戸の奉行所にも)得ていないのだから、格之進の行為は単なる殺人なのである。侠客の屋敷内のことということで済ませたつもりなのだろうが、それはあくまでも結果なのであって、格之進は他の場所でも柴田を斬っていただろう。というよりも、柴田とのエピソードは必要だっただろうか。絹が身売りする理由をもっともらしくするため、むりやり挿入したように思えてならない。原案である落語の「柳田格之進」では、武士の面目を保つためだけに娘を身売りさせるという描写なので、それでは現代では共感を得られないという判断なのだと思うが、無理矢理という感じが否めない。柴田が柳田を襲った理由も、映画の描写ではよく分からない。柳田の妻を手込めにしたなどというエピソードは入れずに、もっと柴田が柳田を嫌った理由をわかりやすく描くべきだったのではないか。エンディング近くで柴田が、柳田が実直すぎたという批判をしているが、この話をもっと前に持ってきて、丁寧に描いた方が良かったのではないか。
また、弥吉が格之進を疑っているというシーンも、その後の展開を考えると無理がある。落語の通り、格之進を疑っている番頭が格之進を訪ねて50両について訪ねるとした方がしっくりきたのではないか。
格之進が誰にも告げず、旅に出るラストシーンも意味不明である。いい役者が揃っているのに、脚本で勿体ないことになっていると感じる。
あと、長屋の店賃にも苦労していた格之進が、敵を求めて旅をするための旅費(路銀)をどうやって工面したのだろうか?娘を売った金から何両かくすねたとも思えない。そうしたところを丁寧に描写した方が面白かったと思う。
碁盤斬りの意味
武士として約束を違えず、真っ直ぐに向き合った碁に対して、碁盤を切ることでその生き方を少し変えて、柔軟に生きようとすることの表れですよね。
なので、両替商の2人を切る約束も反故にし、掛け軸もお金を工面するために不正に入手しようとした、と…
吉原の女将さんも約束を無かったことにしてくれて、この生き方もアリなんだと感じたんでしょうかね。
光と影の使い方が上手い
キョンキョン(小泉今日子さん)の横顔が、年齢を感じて嬉しくも寂しい。
とてもいい役で、はまってたんだけどあの甘くて少し高い声はNGかなぁと思います。
草薙くんの演技は、とても素晴らしいと思います。
でも、市村正親が出た場面で持ってかれました。
実力の差が映像に見えました。
清廉潔白が正しいのか、これからきっと探しに行くんですね。
落語の面白さを越えられていない
映像は綺麗。美術にもこだわっていて、セットも良い。草彅剛の存在感なども言うことは無い。
反面、登場人物の心の動きがいかにも雑。
心の動きの描写が良いだけに、そこが際立つ。
元々の柳田格之進を聞けば、番頭の描写など
もっと表現できるポイントはあったし、
吉原の人間の論理、武士の矜持など
どの登場人物にも芯が無いように見える。
前言を翻しすぎている様に感じた。
これは原作の問題なのかもしれない。
あと"中国"の一言はさすがに気になった。
そこは清でしょう。江戸時代に中国はありません。
素晴らしかった
浪人で貧乏しながらも侍としての矜持を持ち、誠実な草彅剛がかっこいい。お話も演出も美術も素晴らしい。囲碁でなんでも解決するのは、麻雀漫画で基準がすべて麻雀になっている世界のようだ。囲碁は小学校の時に習おうとしたけどちんぷんかんぷんですぐ諦めたのだけど、ルールが分からなくても雰囲気で伝わる。
小泉今日子に鬼と粋な感じが共存している。きれいごとだけじゃない世界を体現しているようだ。
仇が斎藤工で、顔がかわいらしい。もっと憎々しい感じでないと憎めない。それとタイトルでネタバレしているのが残念だ。
役も話もきれいすぎてしらける
役も話もきれいすぎることが根源となり、ツッコミどころが満載でしらけました。
例えば
冒頭の「勝負に勝ったらお金受け取らなくて済む」て意味わからん。
100歩譲ってお金に興味がない侍キャラ設定として、最後は苦労を共にした相方を裏切り返さなければいけない掛け軸を売って金にに変えるってどういうこと?
あんなに囲碁を愛してやまないのに、高級な碁盤を真っ二つしないでください。
あの侍はジキルとハイド的な二重人格なの?
あと真剣な時代劇でダチョウ倶楽部の俺も俺ものくだりもやめてくださいよ。
面白そうな外観、雰囲気、期待感はあったが中身が薄い。
最近の映画は撮影の技法にばかりにこだわる悪い癖があると思う。
中身を大事にしてほしいと思いました。
碁盤に表れる武士の心
久々の時代劇映画鑑賞となった。
古典落語「柳田格之進」が原案ではあるが、ストーリーは変えられている。
冤罪で彦根藩という大藩を追われ、江戸の長屋で娘お絹(清原果耶)とその日暮らしの浪人柳田(草彅剛)。囲碁がめっぽう強いが清廉潔白で賭け碁はしない。碁会所で会った両替商萬屋の主人源兵衛(國村隼)と囲碁を通じて交流が始まり、源兵衛は、柳田の誠実な人柄に徐々に影響され、利を追い求め強欲と揶揄されていた商売も「嘘偽りない商い」に徐々に変わっていく。
ある日、萬屋が客から受け取った50両を紛失し、柳田は再び無実の罪を着せられてしまう・・・。
序盤はひたすら静かな碁打ちの場面が続き、柳田と源兵衛の交流を中心に話が展開する。中盤から物語は一気に動き出す。冤罪や妻の死の真相を知った柳田はそれまでの静かな佇まいから豹変し、50両の濡れ衣に対しても、自分が無実がわかれば萬屋の2人の首を切ると凄む。そして父の覚悟を知ったお絹は自ら吉原へ・・・。
碁を打つ静の場面。大声で凄み、斬り合う動の場面。このコントラストが見事。
仇の兵庫(斎藤工)との命を賭けた碁では、話がどう展開するか、画面の役者達と一緒に固唾を飲んで見入っていると、突如殺陣に変わる。兵庫の最後の死に様は、白石監督ならではの画。また、この対決の碁では背景がリアルを排した昔の時代劇的「絵」であった。これは、時代劇と落語へのリスペクトではないか。
そういえば、彦根藩時代の回想シーンもあえてざらついた昔のフィルム映像のように編集していた。この演出もよかったが、これも過去の時代劇へのリスペクトかもしれない。
私は、お絹が吉原大門へ入っていく後ろ姿のシーンが印象に残った。煌びやかな極楽の世界の裏側は地獄。そこへ身を投げる武士の娘の覚悟・・・思わず涙が出そうになった。
この映画は、時代劇ではあるが、人情話であるのでどこか落語的、講談的なテイストが感じられる。それは、萬屋や長屋、碁会所の面々から感じられる。
一方で、草彅剛の静と動の演じ分け、凄みのある出で立ちと表情、声には驚かされる。特に、怒りの表情と声には何かが乗り移ったかのような力が宿っていた。碁盤を斬る場面の迫力はもの凄いものだった。
柳田は藩に戻る道を自ら閉ざし、娘の祝言を見届けると静かに旅に出る。かつて自分が「正義」を貫いたことが仇となり、藩を追われた仲間への贖罪の旅に出たのであろう。
それは、嘘偽りのない碁と同じように、たとえ苦しい道であっても、今の自分に嘘偽りのない生き方をしたいという彼の正義心の表れであるように思えた。
久々に、よい時代劇を映画館で観た。この作品に触発されてもっとよい時代劇が作られることを期待したい。そしてそんな時代劇をもっと観たい(2024年映画館鑑賞14作目)。
勿体ない
とても感動的なストーリーに加え、役者さん達の演技も皆さん良かったです。
ただ、残念ながら脚本と演出がイマイチで折角の感動的なシーンや演技を台無しにしているように思えました。随所に残念なシーンが見受けられたのですが、特に気になったのが、嫁の仇ともいえる柴田との立ち回りのシーンや、源兵衛と与吉の首の代わりに碁盤を切るシーン、娘を取り戻すため吉原へ五十両を返しにいくシーン等、作中の中でも特にここが見せ所というシーンがお粗末で、碁盤を切るシーンでは源兵衛と与吉のやり取りがコントのようで笑ってしまいました。
ストーリーと演技は良かっただけにとても残念です。
【新解釈】柳田格之進+文七元結
真面目な時代劇で清原果耶の花魁道中がみられると思ってました。脇役の俳優さんたち(とくに徳兵衛の音尾琢真)が真面目ないい演技なんだもん。
でもなんか落語みたいだ。
斎藤工のチョンマゲの似合わなさ加減が半端ない。そこで気づかなければいけなかった。それと中川大志も。代金50両の集金に行ったついでに囲碁の相手をさせられて時間を忘れ、慌てて金をおいてきてスリにすられたと思ってしまう奉公人の噺があったなぁ·····
小泉今日子(遊郭の女将)の台詞(大晦日の吉原大門の大引け)でなんだこれは文七元結の変化球じゃないかと気付く。
あそこはひょっこり小泉今日子が萬屋に来て、柳田に待ったをかけるのだろうと今か今かと首をなが~くして待ってましたが···
小泉今日子は岩下志麻にみえたり、最後は森光子にみえたり😄
さすがだねぇ。
清原果耶ちゃんの町娘姿をみられるだけでありがたや~ナンマイダ〜
あの掛軸はいくらになったのか気になる。一部は祝言費用に化けたに違いない。さすが元〇〇役の柳田格之進。融通のきかないバカ正直のストレート勝負とみせかけて最後は変化球で落としてきた。
「柳田格之進」という演目があったんですね。別名が碁盤割り。もともとは講談の演目だったらしい。それに歌舞伎でも有名な文七元結の要素を加えて、新たに斎藤工の役柄を加えて、仇討ちのストーリーにしたわけか。うーん。お見事。
天国の志ん朝と彦六師匠にみせてあげたい。
碁は全然わかりません。わかっていればより楽しめたはず。江戸時代の娯楽や宿場の元締が開催する賭け碁もなんだか新鮮。丁半博打だけじゃない。斎藤工の刀は仕込み杖⁇座頭市の要素もか。市村正親はミュージカルだけじゃなかった。大親分の貫禄。中山道の塩尻宿出てきました。東座で掛けなければいけませんね。
木下グループのCEOが落語好きなのは間違いない。脚本の人もワルノリ大好きなのでしょうね。
楽しめました
エンタメ性、話題性がありストーリーも理解しやすく何と言っても今一番旬の俳優と言ってもいい草彅剛が主演。脇役の俳優さんたちも皆さん演技派揃いで楽しめました。
一方で清廉潔白で真面目な格之進は無実であるのに娘を吉原に売りお金を工面する、又折角稼いだ生活費を全て賭けてしまうなど、たとえ理由はあっても人間性の本質が理解し難い部分もある。その暗になって行く過程をもう少し知りたかった。
オーソドックスな時代劇ストーリーも素晴らしかったが白石監督には現代の感覚とリンクするような時代劇も是非撮って欲しいと感じました。
次回作も楽しみです。
全111件中、61~80件目を表示