「正々堂々と」碁盤斬り 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
正々堂々と
私ゃオセロは分かるが、チェスや将棋は全くと言っていいほどルールすら知らない。ましてや囲碁など。
さらに本作は落語の演目がベース。落語もほとんど縁が無い。
そんなんで本作を見れるのか躊躇したが、作品的には正統派のヒューマン時代劇であった。
一応原作ナシのオリジナル脚本時代劇となっているが、話はベースの落語『柳田格之進』にかなり沿っている。
妻と死に別れ、娘のお絹と共に長屋で貧乏暮らしの柳田格之進。落ちぶれたものの、誇り高い武士の精神は失っていない。
囲碁打ちが好きで、囲碁を通じて商人の萬屋源兵衛と知り合い、囲碁を打つのが何よりの楽しみ。
ある月見の宴の席で、途中厠に立った源兵衛の五十両が紛失。その場に唯一居た格之進が疑われるが、身の潔白を訴える。
源兵衛は格之進を信じるが、手代の弥吉は疑う。
辱しめを受けた格之進は自害しようとするが、お絹が思い留め、吉原でお金を工面。
五十両は用意立てが、もし消えた五十両が見つかった場合、首を差し出せと格之進は約束させる。
格之進が長屋を立ち去った後、源兵衛が厠の最中に無意識の内に隠し置いた五十両が見つかり…。
ここに、本作のオリジナル要素を追加。
格之進父娘が長屋貧乏暮らしなのは格之進の真面目過ぎる性格が災いして…が元の落語演目の設定だが、本作では、
元彦根藩士であった格之進だが、囲碁でもライバルであった柴田兵庫によって身に覚えない罪を着せられ、藩を追われる。浪人になったのも妻の死(柴田に関係を無理強いされ)もこれが原因で…。
ある時旧知の藩士と再会し、濡れ衣が証明され、格之進は柴田に復讐する為旅立つ。
それが五十両事件とほぼ時同じく。
格之進はかつての冤罪事件と五十両紛失嫌疑、武士の誇りを懸けて毅然と立ち向かう。
これによりドラマチックな物語に深みが増した。
訳あり浪人は時代劇の王道。
主人公像もそれに相応しくあってこそ。
実直。穏やか。
その性格は囲碁にも表れ、嘘偽りの無い正々堂々とした対局を心掛けている。
格之進の囲碁はケチ商人だった源兵衛を真っ当な商人に変えたほど。
人情味もあり。度が過ぎるほどの囲碁馬鹿っぷりはよくよく考えたらユーモラスでもある。その一方…
不名誉や納得いかない事に見舞われたら非情にもなる。
真っ直ぐで正々堂々だからこそ、曲がった事は許せない。
嫌疑を掛けた弥吉への憤り。自分をハメた柴田への憎しみと執念。恐ろしさと凄みすら感じた。
世の中にはいるではないか。絶対に怒らせてはいけない人って。
穏やか物静かな雰囲気から、目付きも口調も佇まいも変わる。草彅剛は映画で『ミッドナイトスワン』に続き新たな代表作と名演を魅せた。
囲碁馬鹿の父に呆れながらも責めはしない。不器用な父をしっかり支え、金の工面の為に吉原へ行く意志。善き娘は復讐しようとする父を止めるものだが、私の仇でもある。凛とした美しさと強さ。清原果耶はますます魅力的な女優になっていく。
囲碁を通じて親交を深める國村隼、図らずも嫌疑を描けてしまう中川大志も好助演。
斎藤工が仇で憎々しさを放つ中、ある的を射た一言に唸らされもした。それは嘘ではあったが、格之進の最後のある行動を押す事となり…。
見る順番が逆になってしまったが、白石和彌監督の時代劇としては『十一人の賊軍』よりずっと好み。
撮影・美術・音楽も一級。
確かに話の盛り上がりや見せ場に欠け、少々退屈に思える作風でもあるかもしれないが、本作はチャンバラ時代劇ではない。ヒューマンドラマ時代劇なのである。
しかししっかりと、仇討ちや武士の本懐も貫き、囲碁や落語に通じていなくとも見れる、ツボを抑えた時代劇となっている。
仇を討ち、嫌疑も晴れた。
落語の演目では庇い合う源兵衛と弥吉に打たれ、碁盤を斬って罪を憎んで人を憎まず。高らかに笑うとあるが、映画では晴れ晴れしさを感じ得なかった。
碁盤を斬ったのは、格之進の中で何かを絶ち切ったかのよう。
その後お絹と弥吉の結納の席には出るが、それはあくまで父として娘の幸せを見届ける為。源兵衛が持ち越しの対局をしようとするが、姿を消す。
築いた新たな人間関係も斬り捨て、自身の総てであった囲碁の碁盤を斬ったのがその証し。
あらぬ疑いを掛けられ、自身に罪なくとも失ったものはもう取り戻せない。
自分自身へのけじめ。嘘偽りなく、正々堂々と。