「☆☆☆★ ※ 〝 友の居る者は人生の敗残者ではない 〟 『素晴らし...」碁盤斬り 松井の天井直撃ホームランさんの映画レビュー(感想・評価)
☆☆☆★ ※ 〝 友の居る者は人生の敗残者ではない 〟 『素晴らし...
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※ 〝 友の居る者は人生の敗残者ではない 〟
『素晴らしき哉、人生!』より
原作読了済み。元ネタは古典落語による人情話。
原作自体は、元ネタの古典落語の世界観を巧く広げ纏めており。更にはとても読みやすい。
※ が、、、しかし!
落語、そしてそれを下書きとした原作共に。主人公である柳田格之進とゆう男は、周りの人や、自分に対して厳しい面と併せて。優しさと、少しばかりのユーモアを携える男として描かれていたのでは?と思う。
【鬼の形相】
だが、映画で描かれていた柳田格之進は。ただひたすらに、自分に対し《武士としての尊厳》を踏みにじる者に対して、物凄い形相で《プライド》を剥き出しにする。
そこには、元ネタ(原作)には有る(と思われる)武士・商人・平民・乞食等に対する階級意識はなく。全ての人々に対して別け隔てなく接する優しい男…とゆう図式は、映画を観終えた今、残念ながら感じられなかった。
もう一つ言わせて貰うと。(原作では)左門と再会した時に。映画後半に、不正・賄賂の横行を正す為に。自分の陳情によって国を追われた家族を憂いて、最後に旅へと出る姿が描かれていた。
映画の最後には何の説明もなく、観客には、何となく分かる雰囲気によって描いている。
この場面は、(原作を)読みながら。「流石にそこは要らないだろう!」…と思い。映画でも、最初の再会の場面での会話には登場してはいなかったので、安心していたのだが、、、
まさか、最後の最後にやっぱりそこを描くのかよ〜と。
まるで、階級制度に縛られた男が…「僕の事悪く思わないでね!」と言って嘆願しているかの如くに、、、
※ それどころか、お絹は狐に捕まらないのだった。
余談にはなるが、【鬼の形相】で言うと。廓屋の女将である小泉今日子のお庚もまた同じ。
自身が女郎でも有った事から、時には鬼の形相となる。
そこにもやはり、或る種の【階級意識】が存在していた。
だがこの女の心の隅には、どこか人に対する思いやりが有った。
思えばこの監督では、以前の作品で『狼浪の血』に於ける江口洋介が演じた、一ノ瀬とゆうキャラクターもまた同じだった。
原作では、今はまだ中堅どころでは有るが。いずれは、その度量の大きさから。全国に名前を轟かせるであろう男…として書かれていたのに。映画化では【単なる血の気の多いチンピラ】、、、でしかなかったとゆう悲しさ。
『狼浪の血』に関しては、色々と「違うんじゃないだろうか?」との意見を、レビューにて書いてはいるのですが。このレビューを含め、あくまでも個人的な意見として言わせて貰うと。話の奥底に有る人情話の意味は理解出来ているのだろうか?…と。
但し、(おそらくは蝋燭の灯りだけ?過去の映像はひょっとして16㎜のフイルム撮影なのだろうか?)照明であったり。美術セット・衣装。また画角を色々と変え、観客へ対するあらゆる意識付け等。中盤までは、なかなか魅せる内容の作品では有ったとは思うのですが。↑に記した様に、自分の中では。後半に至り、〓(例えば、場を荒らしたのに長次郎に対する恩がほんの少しだけ(台詞一つ)でも描かれてはいない等)どうにも納得行かない事が多かったのです。
2024年5月23日 TOHOシネマズ錦糸町楽天地/スクリーン12
※ 結局、お絹は狐には捕まらなかった。
だから子供も生まれては来なかった。
それゆえに、最後に感動的な《台詞》は映画化では聞こえて来る事はなかった。
〝 友の居る者は人生の敗残者ではない 〟
この人情話の奥底に有るモノをこの監督・脚本家共に共有し、救い取る事は出来なかったのだ!
〓 「映画なんだから(そこは)省略しても良いだろ!」って言われて仕舞えば「まあ〜ねえ〜!」と言うしか有りませんが、、、