劇場公開日 2024年5月17日

「軽味と清潔感を感じさせる前半部分は楽しく美しい。復讐にテーマが移る後半はやや陰惨で結末は明らかに蛇足。」碁盤斬り あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5軽味と清潔感を感じさせる前半部分は楽しく美しい。復讐にテーマが移る後半はやや陰惨で結末は明らかに蛇足。

2024年5月19日
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鑑賞方法:映画館

五十両をなくすとか拾うとかいった噺はたくさんある。「芝浜」とか「文七元結」とか。でも本作の原典となる「碁盤斬り」ないしは「柳田格之進」は武士が主人公である点、古典落語のなかでは異色の存在である。多分、この噺は、武士の一分というか意地のために娘を女郎に売り飛ばしてしまう堅物ぶりを戯画化して、落語の主な聞き手である町民が思いきり笑い飛ばす、そういった趣きの滑稽話だったのだと思う。だって金が出てきたら首をもらい受けるだなんて真面目に取り合える話じゃありませんよ。
でも滑稽話のニュアンスを演者が伝えていたのは志ん生(五代目)、馬生ぐらいまでで、志ん朝が演じる頃にはもう自然に父と娘の人情噺に変性していたのだと思う。だから談志は、こんな深刻な噺はやんねえよ、といったのでしょう。
映画の前半部分、つまり五十両がなくなる十五夜の宴席までは、江戸世界が精緻に表現されていて楽しい。草彅剛という人は面白い俳優であって、たたずまいが美しく、でも独特の軽みがある。そして滑舌とセリフのリズムがよい。武家の娘らしい品の良さをきちんと演じている清原果耶さんと合わせて清潔感あふれる父娘の姿は実に気持ちが良いのである。
ところが、十五夜の宴席以降、柳田に萬屋の五十両を盗んだ嫌疑がかかり、同時に彦根藩を離れた時の遺恨の相手が現れて事態は緊迫化する。
柴田兵庫のくだりは映画としての創作部分であるのだが、ここがどうもいただけない。一つには狩野探幽の画を売ったとかまだ持っているとかいうなんだかよく分からない設定もあるし、斎藤工が彼だけは現代劇を演じているとしかみえないところもある。でもやっぱり復讐というものは本質的に陰惨なものであって、「碁さむらい」という落語に由来するモチーフの軽みとよく釣り合わない。だから映画としての全体のバランスが崩れてしまったのだと思う。
そして結末部分は、いわば観客サービスのようなものであって、明らかに蛇足である。碁盤を斬り捨てるところで映画としては決着はついているんだからあとは皆幸せになったんだろうなと想像させればいいんですよ。

あんちゃん