探偵マーロウのレビュー・感想・評価
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せめて10年早く撮ってもらいたかった
リーアム・ニーソンのフィリップ・マーロウ。とても、良い。あの雰囲気が何とも良い。洒脱な台詞をサラリと決めて、孤独な哀愁を漂わせている。ロバート・ミッチャムのマーロウも少し疲れた中年の渋さがあって良かったが、私はリーアム・ニーソンの方が気に入った。ただ歳が食い過ぎているのが観ていて厳しかった。せめて50〜60代、出来れば40代の時のリーアム・ニーソンで見たかった。内容はチャンドラーへのオマージュを込めた原作のようで、フィリップ・マーロウの印象が少し違うように思えた。リーアム・ニーソンの見せ場であるアクションシーンもファンサービス程度の抑え気味で、それはそれで良かったと思う。フィリップ・マーロウはアクションではなく、渋さと哀愁を漂わせるサスペンス・ミステリーの範疇で燻銀のような地味なヒーローなのだ。
23-084
推理小説原作の探偵ものミステリー。
大好物のジャンル、しかも主演はリーアムニーソン、期待値が高まります。
謎めいた依頼、嘘と策謀、虚栄心の間を踏み分けて真実へと近づく。
王道の展開に、ハードボイルドな仕草、丁々発止の会話のやり取り、楽しめました。
次回作はないのかなぁ😊
見応えあり、大人のエンターテイメント!
いきなり公開された感がありますが、原作はレイモンド・チャンドラー「ロング・グッドバイ」の本家公認の続編、ベンジャミン・ブラック「黒い瞳のブロンド」です。
主演はこれが100本目の出演作となるリーアム・ニーソンです。
個人的にこの年代(1930年代)の映画が好きだし、リーアム・ニーソンも好きな方なので、早速見てきました。
評価が割と低めだったので、どうかなと思いましたがよく出来た見応えのある作品です。
レイモンド・チャンドラーのファンの方や、過去の映像作品をご覧の方にはいろいろご不満もあるようですが、事前情報一切無しで見ると、ストーリーに引き込まれていきます。
登場人物それぞれの思惑が交錯し、意外な結末にたどり着きます!
ラストの着地点も意外でしたが、こんな感じも有りだなと思いました。
私立探偵ではあるけど、昔のつながりで結構警察の世話になるし、もう少し若ければロマンスも生まれ一層面白くなったかも。
雰囲気がとても良く、大人向きの作品としてオススメできる映画です。
ジェシカ・ラングに久々にお会いできたのもうれしかったし、クレア役のダイアン・クルーガーという女優さんが魅力的でした。
レイモンド・チャンドラーの世界観
失踪した役者志望の男を捜索する依頼を受けた私立探偵のマーロウだったが、男を追うさまざまな勢力の存在を知り…。
ケジメつけろ派閥としてはこれだけ死人が出てるのにあの終わり方で良いの感はあるが、それも含めて原作の雰囲気がある作品。事件のキーマンは大体クズでした。
黒い瞳のブロンド
リーアム・ニーソンさんの「私立探偵フィリップ・マーロウ」は、とてもマッチしているし、映像の雰囲気も良いと思いますが、「私立探偵フィリップ・マーロウ」を現代的に演出した「ロング・グッドバイ」を超える作品には感じませんでした。
あんたの時代は良かった
爆発もカーチェイスもお色気シーンも「衝撃の真相」も無く、台詞で勝負の古き良きハードボイルド王道でニーソンの渋芸をひたすら楽しむ。
ラストの焚書シーンで「彼らは多くを『ヘイト』している」と言わせたところが現代風か。
キザなセリフがビタビタ決まっていとをかし ( ? )
☆5にした理由はリーアム・ニーソンが出てるというだけである。リーアム・ニーソンの応援団は見てほしい。
1930年代のロスという設定が、なんか渋くて(死語かも)オシャレな感じがした。リーアム兄さん(ジーサン)は、もちろん渋くてカッケーし、ハードボイルドっぽいセリフがビタビタ決まって心地よい。
うろ覚えだがハードボイルドは文学の文体の話で、客観的描写がどうとかいうことだったと思うが、僕は年に2~3冊しか小説を読まないから文体のことなど分らない。かっこいい探偵が活躍する物語というのが僕の認識だ。
マーロウのことはほとんど知らないが、マーロウ、チャンドラーのファンは楽しめるかもしれない。
「長いお別れ」の続編が有ることを初めて知った。「長いお別れ」は1度だけ読んだがほとんど忘れてしまった。ラストに 「警官とサヨナラする方法は発見されてない」とかいう所で、「ゲッ、警官とは一生サヨナラ出来ないのか?何てこったい」と思ったことはよく覚えている。
それと名セリフで名高い「ギムレットには早すぎるね」。読む前にこのセリフが名セリフと聞いていたので期待していたが、読んでたら突然出てきたので 「えっ、どこが名セリフなんだ ? 」 と戸惑った覚えがある。日本語訳ではセリフの最後に「ね」が付くんだとかトンチンカンな感想を持っただけだ。どこがどう名セリフなのかサッパリ分からなかった。「長いお別れ」がよく分かってる人達の説明を読んで、 「ああそうなんだ」 と思ったが結局よく分からなかった。
そもそも 「長いお別れ」を読んだのも、故・内藤陳さんの本(たまたま本屋で見て、読まないなら2度死ねみたいな題名が面白いと思って買った本)でチャンドラーやハメット、鷲は舞い降りた(ヒギンズ?)を読まないヤツはさっさと死ねとか言ってたからで(ちょっと違うような気もするが)、「長いお別れ」「湖中の女」(清水俊二さん訳)、ハメットも何か1冊読んだが全部内容は忘れてしまった。
今回のマーロウがシリーズ化されたら嬉しいが、僕としてはロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズが映画化&シリーズ化されたほうが嬉しい。小説が映画化されると登場人物がイメージと違うという意見が出るが、ホークは特にダメ出しが多そうだ。ホーク初登場の回を勧められてからファンになり毎年楽しみにしていたのに作者が亡くなってしまってしまい残念。コレステロールが高そうな体型だと思ってた。
リーアム・ニーソン演じるフィリップ・マーロウ
TOHOシネマズ錦糸町にて鑑賞。
探偵フィリップ・マーロウをリーアム・ニーソンが演じる映画…とのことでノワール映画ファンとしては気になる作品。
また、リーアム・ニーソン出演100作目とのことだが、もっと出ているかと思ったものの、おめでとうございます👏
さて、この映画、確かに1930年代のハリウッドの“闇”の一端を追い始めた探偵マーロウが真実に迫っていく映画で、当時の雰囲気たっぷりなあたりグッド!
序盤のストーリーテンポが早くて頭の整理に忙しかった感はあるが、これまた作品全体の面白さにつながる良さだったと思う。
探偵マーロウを演じた俳優はロバート・ミッチャム、ボギーなどなど大勢いるが、リーアム・ニーソンも年齢相応の味が出ていた感あり。背も高いし…。
マーロウへの依頼人の美女をダイアン・クルーガーが演じて、ジェシカ・ラングもデビューは『キングコング』だったもののニコルソンと共演した『郵便配達は二度ベルを鳴らす』をスクリーン鑑賞でのインパクト強烈だったが彼女も本作では年齢相応の悪女っぽさ…。
原作「黒い瞳のブロンド」のタイトルも劇中でお洒落な紹介など含めて、なかなか面白い映画であったと思う。
当時のノワール映画風に「モノクロ版」を作ってもらっても面白いかも知れない。
<映倫No.49668>
マルチバースやポリコレに疲れてしまった。そんな人には効能大です
もう、たまりません😭
カッコイイとは、こういうことさ。
天才・糸井重里さんの『紅の豚』のコピーがピッタリきます。
劇中に散りばめられた、小洒落た会話。
皮肉とユーモア。昔読んだはずなのにすっかり忘れていた感覚が蘇ります。
デカイのがいるな。
あんたもね。
マーロウの出てくる最初の小説ではこんな会話があったそうです(鑑賞後、ネットで検索)。
背が高いのね、と娘が言った。
俺のせいじゃない。
脚本家も少し意識してたのでは?
なにか探してるのか?
探しもののない人間なんていないさ。
あー、使ってみたい❗️
だけど、コンタクトレンズとか、資料作りで急いでる時に限ってなくなるホチキスの針とかを探してる時には、言いづらいなぁ。
そういえば、今日は『父の日』なんですね。
娘は福岡に旅行だし、妻は学生時代の友達との女子会。
父にこの日を意識させないという意味では完璧な家族‼️
これもある意味、ハードボイルドなのかな…😂
リーアム様
あまりにも上映館数が少なすぎ。
上映数も少なめ…
リーアム兄さんの作品はいつも少ない、何でだろう。
午前中の上映、30人程、年輩の方もいた。
マーロウはテレビドラマの相棒の高橋克実がマーロウ好きの探偵役をやっている程度の知識。
原作も全く知らず。
でも、古き良き時代の雰囲気もあり
最後までなかだるみもなく観れた。
ただ、ラスボスは誰だかわからなかった
アイルランド人の監督&主演コンビが贈る、ウェルメイドだけど捻じれた「偽」ノワール
まずもって、稀代のストーリーテラー、ニール・ジョーダン監督の映画として、ふつうに面白かったし、クオリティも十分高かった。
いわゆる、ウェルメイドで、ノスタルジックなフィルム・ノワールに仕上がっている。
……でも、なんかこれ、えらく奇妙というか、ヘンテコリンな映画だよね??
ちょっと妙な第一印象で恐縮だが、観始めて最初に思ったのは、
「やけに英語の聴き取りやすい映画だな」ということであった。
私立探偵ものなのに、異様にととのった英語をやけにクリアな発音でしゃべってる。
スラングとイデオムと巻き舌で、字幕がないと到底太刀打ちできないのがこの手の映画じゃ普通なのに、結構何を話しているか、音だけでわかるのだ。
なんていうのかな? 「イギリスの映画」の香りがぷんぷんする。
それが、冒頭の偽らざる感想。
で、観終わったあとで配役を確認して、得心がいった。
リーアム・ニーソンはアイルランド人。
ダイアン・クルーガーはドイツ人。
このふたり、ぜんぜんアメリカ西海岸の
「ネイティブ・スピーカー」ではないのだ。
ジェシカ・ラングは生粋のアメリカ人だが、運転手セドリック役のアドウェール・アキノエ=アグバエはイギリス系黒人、ヤクザのボス役のアラン・カミングはスコットランド出身、バーニー・オールズ刑事(原作でもおなじみのレギュラーキャラ)のコルム・ミーニイはアイルランド出身。
ついでに監督のニール・ジョーダンはアイルランド生まれでアイルランド在住の生粋のアイルランド人。さらに驚くべきことに、本作のロケ地はスペインのカタロニアで、あとはアイルランドのダブリンのスタジオで撮っているらしい。
要するに、この映画は「ロサンゼルス」とはほとんど関係のないメンツとキャストと場所で撮られた、ほぼ「フェイク」のようなハードボイルドなのだ。
マカロニ・ウェスタンみたいなもんですね。
ニール・ジョーダン曰く、「作品の舞台はレイモンド・チャンドラーがLA(ロサンゼルス)」から構想を得て想像したベイ・シティーと呼ばれる街。彼は自身の作品のためにフィクションの街を一つ、作り上げたんです。私はこれを好機と考え、実在しない街を作ることにしました」(パンフより)。
たしかにおっしゃる通りなのだが、勘違いしないよう付言しておくと、フィリップ・マーロウはロサンゼルスの私立探偵であり、べつに架空都市で活躍するバットマンのようなキャラクターではない。どの作品にもハリウッド他、実在の地名もちゃんと出てくるのだが、『さらば愛しき女よ』『湖中の女』『かわいい女』などでは「ベイ・シティー」というLAの街がメインで話が回る。この街はLAのサンタモニカがモデルだと言われている。
しかし、ニール・ジョーダンの作り上げた「実在しない街」は、そういうレヴェルのものではない。
40~50年代のノワール/ハードボイルドに登場する「アメリカ」「LA」「ハリウッド」の漠然としたノスタルジックな「イメージ」をもとに、スペインやアイルランドの景観や非アメリカ人のキャストを組み立てて作り上げた完全な「フェイク・タウン」――異邦人(=アイルランド人監督)の目から観た「ノワーリッシュなアメリカ」のパスティーシュとして再構築された街。それが、本作のベイ・シティーなのだ。
そもそも「フィルム・ノワール」というジャンル自体、もとはヨーロッパ(とくにフランス)で「見出された」概念だった。ハリウッドとしてはふつうに「犯罪映画」を撮っていたつもりだったのだが、40~50年代の作品に一貫したテーマ、手法、雰囲気があることに気づいたヨーロッパの映画マニアが、それに「ノワール」という言葉を当てはめたのだ。
この『探偵マーロウ』も、ヨーロッパの人々が海を挟んで「夢想」するハードボイルドを、非アメリカ的なキャスティングと非アメリカ的なセッティングで撮った映画という意味では、むしろ日本でいえば、林海象の『濱マイク』シリーズや、原尞の沢崎シリーズと近い試みと言えるのかもしれない。
要するに『探偵マーロウ』は、ハリウッドが懐古的に作り上げた「懐かし映画」ではない。
アイルランド周辺の映画人が長年憧れてきた「探偵マーロウ」を実作してみせた、「ヨーロッパの愛したノワールの再生産作品」なのだ。キャストにジョン・ヒューストンの息子を起用しているのも、ノワール・オマージュの一環だろう。
ただし、そこには“大いなる”「正統性」もある。
肝心のレイモンド・チャンドラーが、母方がアイルランド系移民で、本人もイギリスのパブリックスクール育ちで、アイルランドに住む叔父の支援を受けていた、バリバリに「地縁のある」作家だからだ。
彼は生まれはシカゴだが、父親の出奔後、12歳には母に連れられて渡英して英才教育を受けている。海軍本部で働いたり、記者や書評子をやったりしていたのもイギリスでのことだ。
彼がアメリカに渡ったのは、23歳になってからだが、のちに作家として大成してからも、英国の作家と頻繁に交流し、英国作家に関する書評も精力的に行っている。
チャンドラーには、はっきりとしたアイルランドと英国とのつながりがあり、アイルランド人の監督が彼に私淑し、彼の創造した探偵の映画を撮りたいと考えるのはまったくおかしなことではないのだ。
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この映画の面白さは、ニール・ジョーダンが仕掛けた「いかにも40~50年代ノワール」らしい懐古的でノスタルジックで正統的な「外見」と、非ハリウッド的なプロダクションで作られたフェイク・ノワールとしての「本質」との「ズレ」にこそあると思う。
とにかく、全体のつくりは丁寧で、ノスタルジックだ。
シックな色彩設定と、いかにもノワーリッシュな撮影。
39年の様子を完コピした、ファッションと車と小道具。
洒落のきいた会話が繰り返される、ハードボイルド調。
いかにもチャンドラーが書きそうな設定と事件と展開。
まさにオーセンティック。これぞ王道といっていい。
原作は、ブッカー賞作家ジョン・バンヴィルがベンジャミン・ブラック名義で書いた『黒い瞳のブロンド』という「本家公認」の『長いお別れ』の続編らしい(未読)。
この原作自体が、チャンドラーを愛してやまない作家によってつくられた「パスティーシュ(模倣作)」なわけだが、重要なのは、原作者のジョン・バンヴィルもまた「アイルランド人」だということだ。
要するに、遠くアイルランドの地から、同じアイルランド系のチャンドラーに憧れ、フィリップ・マーロウを偏愛してきた人間が、ニール・ジョーダン以外にもいたというわけだ。
まさに「ご同慶の至り」というやつで、ニール・ジョーダンがジョン・バンヴィルの試みに大いに共感したことは、容易に想像できる。
それに、ニール・ジョーダンとしては自らの「フェイク」をつくるにあたって、パスティーシュ作のほうが敵もつくりづらいし、いじりやすいし、気楽につくれるということで、ちょうどお手頃の原作だったというのもありそうだ。
全体の仕上がりを観れば、非常に神経を使って「40~50年代のフィルム・ノワールとして撮られたフィリップ・マーロウもの」の再現を試みているのが、よく伝わってくる。
なにより、台詞まわしがいかにもチャンドラーの書きそうなまぜっかえしが多くて、どこまでが原作由来でどこからがオリジナルかはわからないまでも、とても雰囲気をつかんでいると思った。
事件の真の首謀者のラストの豹変ぶりなども、ちょっと『大いなる眠り』のあのキャラとあのキャラをまとめて思い出させるところもあり、「フェイク」としては実によく考えられている。
しかもニール・ジョーダンは映画の語り口がうまいから、複雑なプロットをそれなりにきれいにまとめて、きちんと呈示することに成功している。最初にいった「ウェルメイド」というのは、そういうことだ。
ふつうのフィルム・ノワール/ハードボイルド映画として観ても、十分面白いクオリティに達しているというのが、僕の率直な感想だ。
その一方で、先ほどから言っているとおり、ニール・ジョーダンは本作の「フェイク」性を、敢えて隠そうとしない。
あえてアイルランド人の別作家が書いたパスティーシュを原作に据え、あえて非アメリカ系の俳優をキャスティングし、あえてアメリカの外で撮影し、あえてこれが「アイルランド人が憧れを込めてつくった模造品」であることを強調してくる。
とくにそのへんが如実に出ているのが、音楽だ。
なぜジャズを最初から使わないのか。なぜノワールっぽい映画音楽にしないのか。
この映画で冒頭からかかっているのは、なんと「ラテン」なのだ。
パンフの菊池成孔氏によれば、エンド・クレジットでかかる「いかにもジャズのスタンダード」といった感じの曲も、音楽担当のデイヴッド・ホームス周辺でつくられた新曲らしい。
映像はバリバリに復古的なのに、音楽は敢えて「異化効果」のほうを強調している。
さりげに「こいつぁ変化球だぞ」との自己主張がけっこう強い。
そもそもなぜ、マーロウがリーアム・ニーソンなのか??
これこそ、「フェイク」としての最大の「異化効果」だろう。
リーアム・ニーソンは御齢70歳。もう、おじいちゃんである。
原作のマーロウは『長いお別れ』の時点で、自称42くらい。
かつてマーロウを演じたとき、ハンフリー・ボガートは40代後半、ロバート・ミッチャムはだいぶ高齢だったが50代後半から60代頭、エリオット・グールドは30代。
それをなぜ、わざわざ70歳のリーアムにオファーするのか。
このへん、リーアム・ニーソンが50を過ぎてから「アクション・スター」として再生したこと自体を「ネタ」にしている部分もあるのだろうと思う。
最近の映画じゃ概ね無双状態だったリーアムが、この映画に限っては何度もノサれてるし(笑)。
クリント・イーストウッドやハリソン・フォードといった、オーバー80のヒーローが活躍し始めた映画界への風刺も若干はこめられているのかもしれない。
ともあれ、「ノワールとしてものすごくまともに作ってある」のに「明らかにフェイクだと誰が見てもわかるように撮る」というニール・ジョーダンの両にらみ作戦の一環として、「老齢のマーロウ」というネタも組み込まれているのは間違いない。
まあ、そのためにブロンドのヒロインを敢えて「枯れ専」設定にするのも、さすがにどうなんだろうかとも思うけど(笑)。
この「一見まっとう、じつはフェイク」という狙い目は、「どうみてもフェイクだが、実はまっとう」というロバート・アルトマンの『ロング・グッドバイ』の裏を狙っているともいえる。
アルトマンは、70年代(製作当時の現代)のLAにマーロウを召喚し、原作とはだいぶ様相の異なる、くたびれてファンキーなよくしゃべるマーロウ像を打ち立てたが、チャンドラーの「核」の部分は実に巧く映画に落とし込んでみせている。
ニール・ジョーダンはパンフのインタビューで、チャンドラー関連の映画は全部観たけど、アルトマンの『ロング・グッドバイ』が一番気に入っていると言及している。で、この作品に影響を受けて「私も軸となる素材は大事にしつつも、思い切って好きなように表現しようと思いました」と。
アラン・カミングが演じるヤクザの親玉ルー・ヘンドリックスの奇矯な振る舞いや暴力性は、容易に『ロング・グッドバイ』のマーク・ライデルを想起させるし、しきりにマーロウが喫っている紙巻煙草を路上に捨てる描写が出てくるのも、ちょっとアルトマン版のグールドを意識しているかもしれない。
あと、原作通りなのかもしれないが、概ね落ち着いた空気感のある本作のなかで異彩を放っているのが、黒人の相棒セドリックの存在だろう。
これって、チャンドラーの補作を行ったロバート・B・パーカーつながりで、スペンサーの相棒ホークをちょっとは意識したりしてるのかなあ?
最後に書き忘れてましたが、ジェシカ・ラングの老女優演技はマジで素晴らしかった。
ハコフグみたいな顎のシルエットは健在だけど、ホント齢を寄せていい女優さんになられました。総じて、観て損はない映画かと。
ドップリ1930年代風情マシマシ
派手なアクションシーンは、有りませんの探偵ムービー❗️
謎の追求を、じっくりと楽しめる作品に久々に出会いました。
かつて、イギリスメイドの薫りぷんぷんの作品で楽しませて貰った、あの監督にこんな形で出会うとは・・・
「チャイナタウン」「黄昏のチャイナタウン」等々の1930年代のノスタルジックでまるで暑い夏の午後の様なちょいと茹だる感じがスクリーンからよう漂って来て、この雰囲気たまらん‼️
こんな味を持った作品も、今後創って行くのも、難しい様に思えます。
ステレオタイプに描かれがちな私立探偵、今回のリーアムはきっちり真面目なマーロです・・・が、これが又イイ。
ラスト、キャスティングが母娘が美人で無ければいけない理由と共に、思わずニャリとせずには居られないエピソード有りっと、おまけにエンドロールのフォントまでもノスタルジック❗️
更にバックに流れる曲が、又作品の余韻を引っ張り、込み劇場の扉の向こうに1930年頃のアメリカが広がって・・・
なんて、考えてしまう様な・・・
余韻の引っ張り具合。
これは是非、劇場で堪能して欲しい作品❗️
恐ろしく難易度が高すぎる…。ゾロゾロ脱落されていた方がいたのも納得…。
今年200本目(合計851本目/今月(2023年6月度)25本目)。
※ もともと生まれつきの病気もちでコロナ事情もあり趣味が激減していたところに(コロナ事情の初期に)映画館が活発に動き出し、病気との関係で映画館が一つの趣味になってしまいました。
今年は6月末をまたずに200本の大台に乗りました。つたないレビューですが読んでいただければ幸いです。
さて、前置きはこのくらいにして。
まず結論からいうと、この映画は「見る見ないがきわめてはっきり分かれる、そもそも日本で見ることすら想定されていない」映画のように思えます。
一方でレビューサイトなのにレビューがしにくい映画です。結局マーロウでもポワロシリーズでも何でも、この手の探偵ものは「誰が犯人でしょう?」「どうやって?」というWho/Howの論点が多数を占めるところ、それを語り始めると一発アウトだからです。「ネタバレあり」にしても一クリックで間違ってクリックされる方もいますしね(この点は公式も何かガイドラインが欲しいです)。
多くの方が書かれている通り、「きわめて字幕が読みづらい」です。また、映画の背景は第二次世界大戦突入直前のアメリカで、この部分は史実なので、ドイツのナチスドイツの台頭や、第一次世界大戦がアメリカに及ぼしたこと等は常識扱いされています(高校世界史でかなり補えます)。
問題はここからで、時代をそこにするのは理解できる(そもそも原作小説がそこを舞台にしている)ものの、妙なまでに読みづらい日本語字幕で、正直センター試験の国語(現代文)でもやってるのか??というほどのマニアさです。この映画の趣旨的に小学生の子は来ないと思いますが、中学3年生くらいではちょっと厳しいです(あるいは外国人の方も。日本語検定1級合格とかなら何とかなるか、くらいで、日本語ネイティブでさえもきつい…)。
いわゆる「カタカナワード」もあまり出てこないので、英単語から類推することも許してくれずにひたすら妙なまでの古典的な字幕な上に(まぁ、大正か昭和初期くらいの有名な文豪の小説の字幕がそのまま出ている、くらいに考えるとわかりやすいと思います)、この映画、もともとはアメリカが舞台のため、突如「分詞構文では意味上の主語を明記しなければならない」といった謎の字幕が登場し、大半の方はここ(始まって50%ほど)で力尽きるんじゃないか…と思えます。この「分詞構文~」の話はそのあとタクシー?か何かに入った後延々と続くのもつらいです(ただ、出るだけでストーリーや犯人当て等には関係しないのが唯一の救い。これすら影響していると「採点拒否」レベル)。
個人的には「この時代のアメリカの人・ものの考え方(外国の諸事情)」、あるいは「当時の小説文化の在り方」という観点でみましたが、いきなり「分詞構文では意味上の主語~」という摩訶不思議な字幕が出るなど???がすごく(映画館がバグっているのかとすら思った)、かなり人を選びそうな気がします。
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(減点0.8/明確に日本で見ることが想定されていない(「分詞構文~」などの字幕))
・ 日本では今では小学校でも基礎英語を学習するようですが、それでもメインは中高の6年で、より深く勉強したいなら英文学科等に行かないと無理です。そして就職すると英検よりTOEICよりの学習がメインになるところ、そのメインの学習ではこの「分詞構文~」の意味がまるでわからず???になってしまいます(こういうときに持ってよかった英検準1級…。英検はどちらかというと学術的なアプローチが強いです)。
なお、この字幕が言うのは結局「懸垂分詞」の話です。
この懸垂分詞の話は、2022年にも突如現れて混乱させた「フレンチ・ディスパッチ」以来かな…と思います。
以下、参考までに当時のレビューで参考までにと私が記載したものを一部わかりやすく(こちらの映画の表現にあうように)コピペします。
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● 懸垂分詞
・ 分詞構文で、分詞節の意味上の主語が、主節の文の主語と同一ではないのに省略する書き方を「懸垂分詞」構文といい、アメリカ英語(=アメリカ国内では、「国語」)では非文法的とされます。
>> Looking for a theme, a good idea occurred to me.
(テーマを探しているうちに、よいアイデアが思い浮かんだ)
※ 例文引用:「ロイヤル英文法」
・ Looking for a theme の意味上の主語:「私」か、少なくとも「人」
・ a good idea occurred to me の主語: 当然 a good idea
→ この2つが異なる。このように主語が異なる分詞構文の場合、主語を文中で明示しなければならない。これが映画の字幕の「分詞構文では意味上の主語を明記しなければならない」の話です。
※ ただし、意味内容的に「良いアイデア」が「テーマを探す」ことはありえないため、「好ましくはないが、理解に妨げはなく、誤解を招かない」という扱い。
逆にいえば「テーマを探す」のが、「彼」(He)だったり、リサ(Lisa)だったりするのなら、それは書かないといけないというのは当然のことで、「私」「あなた」のように文脈上一意に決まる場合だけ省略しても構わないということです。
なお、このことが映画内で現れるように、日本語でいえば「ら抜き表現」のようなものであり、「認める立場」と「認めない立場」の争いが激しく、当時のアメリカの一般市民の識字率や文章作成能力には微妙なところがあり、また作家・新聞社でも書き方がバラバラだったので、このように「間違いやすい英語(=要は、国語)」「書き方模範集」というのは一般的に流通していたものです。
ハリウッドの古典芸能のような良作。あと矛盾を推理した。
ハヤカワ・ポケット・ミステリのイメージが強いチャンドラーのハードボイルド探偵小説が、フィリップ・マーロウ主人公の一連の作品だ。舞台は1939年のハリウッド。そそるね。
『大いなる眠り』が1939年の作品。この時マーロウは33歳という設定。ということは、本作のマーロウも33歳かというと、かなり老けている。その秘密は、原作のジョン・バンビル著『黒い瞳のブロンド』が、公式の『ロング・グッドバイ』の続編として書かれたものだからだ。そして『ロング・グッドバイ』の舞台は1949年の秋。マーロウは43歳、そして続編ともなるとさらに年齢を重ねているはず。
1939年が舞台なのにオッサンになってるマーロウのワケはここにあるのだろう。
作品はセピアの色調で、俳優陣も50年代のハリウッド映画のおとなしさ、というか役柄に対しての「しつけの良さ」が心地よい。共感しづらいストーリーだが、雰囲気に酔える。
キャッチコピーが「リーアム・ニーソン出演100本」というのが配給の弱腰に見える。映画の良さでPRしきれば良いのに、リーアムの名前に頼る。古くはアラン・ドロンからある悪習だが、昨今はニコラス・ケイジやブルース・ウィリスが鼻についていた。どうでもいいけど。
キャベンディッシュ・キャベンディッシュ
1939年LAで、行方不明になった愛人を捜して欲しいという女性からの依頼を受けた探偵マーロウのお話。
調査を始めたらあっという間に死んでいたことが発覚?と言いつつもお顔が潰れていたってことで、まあそうでしょうねな流れになっていく。
コルバタ・クラブなる会員制のクラブに集う私欲にまみれた人達のちょっかいを受けつつハードボイルドに調査を進め富裕層の闇に迫っていくストーリーで、これと言った見どころみたいなものはないし、ちょっとゴチャついてはいたけれど、まずまずのサスペンスだったかな。
古き良きアメリカ
有名な小説が原作らしいけど、原作は知りません。
30年代のアメリカLAが舞台で、ウッドベースで渋く始まります。
当時の古き良きアメリカが全開で、ファッションや髪型、車や街並み、など、とにかくオシャレでカッコイイです。
暗すぎず明るすぎず、そんなにハードボイルドじゃないです。
推理モノとしては、まあまあ…
ありがち?な結末かな…
あまり観る人を選ばない映画かと。
檄シブ、ハードボイルドだど!
本作は私立探偵フィリップ・マーロウシリーズ「長いお別れ」の公認続編という位置付けにあたるジョン・バンヴィル作『黒い瞳のブロンド』の映画化。(なのでレイモン・ドチャンドラー作ではない)
フィリップ・マーロウは長身の中年という設定なのだが、リーアム・ニーソンはやはり少し歳をとり過ぎた感はあり、一方設定以上の長身ゆえに当時のスーツやハットが似合い、渋さは半端ない。
聞き込み先ごとにイベントがあり、情報を少しずつ集めながら徐々に核心に迫っていく探偵小説の王道設定だが、謎の美女?ダイアン・クルーガーの妖艶さとお久しぶりのジェシカ・ラングの大物感が事件解決まで道のりを遠回りさせ、ミステリーとしても見応えが十分な作品だったと思う。
全63件中、41~60件目を表示