「 タカハタ秀太監督の演出は、涙を誘う場面も大仰にならないよう徹底して行き届いているのです。多用されるフェイドアウトは心地よい余韻を残し、けっしてアナログ価値感の押しつけになりませんでした。」アナログ 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
タカハタ秀太監督の演出は、涙を誘う場面も大仰にならないよう徹底して行き届いているのです。多用されるフェイドアウトは心地よい余韻を残し、けっしてアナログ価値感の押しつけになりませんでした。
映画『アナログ』作品レビュー
昭和世代と令和の若者との違いをネタにしたテレビ番組企画が目立つようになってきた昨今。要は昭和はアナログ世代、令和はデジタル世代と分ければ、その違いが鮮明で番組のネタにしやすいのでしょう。しかし、本当にアナログは時代遅れなのでしょうか?
本作はビートだけしの恋愛小説が原作。たけし自身はもちろん昭和の人。刊行は2017年で令和になる直前ですが、アナログ的なるものへの一般の見方は、令和の今とさほど変わらないと思います。
本作は、ドラマ「赤めだか」でも二宮とタッグを組んだ「鳩の撃退法」「ホテル ビーナス」のタカハタ秀太監督が映画化。連絡手段を持たない2人が都会のエアポケットのような場所で心を通わせていく過程にはもどかしさよりも心地よさが漂い、海辺の糸電話での会話シーンなど“アナログ”な美しさも忘れがたいものとなりました。
■ストーリー
手作り模型や手描きのイラストにこだわる店装デザイナーの水島悟(二宮和也)は、自分が内装を手がけた喫茶店「PIANO」で、美春みゆきと名乗る女性(波瑠)と出会います。みゆきからお店のデザインが気にいったと言われた悟は、自分の価値観に共感してくれたみゆきにひかれ、意を決して連絡先を聞きだそうとします。でも彼女は携帯電話を持っていないというのです。そこで2人は連絡先を交換する代わりに、毎週木曜日に「ピアノ」で会う約束を交わすのでした。週に1度の出会いのために、悟は毎週木曜日に店を訪ねることになるのです。
会える時間を大切にして丁寧に関係を紡いでいく悟とみゆき。悟はみゆきの素性を何も知らぬまま、プロポーズすることを決意。けれども悟がプロポーズをしようとした日から、彼女は店に姿を現さなくなってしまったのです。その翌週も、翌月も……。
なぜみゆきは突然姿を消したのか。彼女が隠していた過去、そして秘められた想いとは。
■解説
手作り模型にこだわる悟、クラシック音楽や落語が趣味のみゆき、アンティークな雰囲気の喫茶店。まさに、アナログ的な世界がスクリーンに広がるのですが、これみよがしな感じ、押しつけがましさをほとんど感じさせませんでした。そひが本作の好感の持てるところ。
悟が律義に木曜日に店に行くのは、みゆきが携帯電話を持っていないため。携帯で連絡できないのだから、彼女に会うには、その場所に行くしかありません。今時スマホを持っていないなんて、と観客に笑われたら、この映画は失敗したことになってしまいます。アナログ的な設定が旧世代の自画自賛になってしまったら、「ありえねぇー!」とデジタル世代にそっぽを向かれることでしょう。
でも本作はそうなりませんでした。好きな人と会えるかどうか。不安と期待が交錯しなどきどき感と出会えたときの高揚感が、すっと心に入ってくるのです。ベタな物語のはずなのにべ夕つかないのは、みゆきが店に現れなくなってからの展開や、悟の母親である玲子(高橋恵子)の闘病の描写に至っても変りません。
タカハタ秀太監督の演出は、涙を誘う場面も大仰にならないよう徹底して行き届いているのです。多用されるフェイドアウトは心地よい余韻を残し、悟とみゆきがコンサート会場を去る時のスローモーションに、はっとさせらました。どちらもアナログ的な映画手法です。
■感想
原作者のたけしの監督作なら、「あの夏、いちばん静かな海。」(1991年)が近いと思います。
バブル末期のにぎにぎしさに背を向けたかのような、耳の不自由な男女の恋は、アナログ的な価値観の普遍性を強く印象づけたものです。恋愛映画の名作と比較するのはおおげさかもしれませんけれど、映画「アナログ」の魅力もデジタル世代に受け入れられるといいなと思います。
それにしても来月『首』の公開を控える原作者の頭の中に、あんな詩情溢れる感性を秘めていたなんて驚きでした。たけしのイメージが変わる作品です。そして三木孝浩監督『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』のように、劇中ラストでヒロインの気持ちがネタバレされ、物語がリフレインされる構造は、感動してしまう恋愛映画の必勝パターン。
このみゆきの過去が明かされる、やや駆け足で劇的な終盤の展開はファンタジー色が強いかもしれません。そのバランスを取る役割を果たしているのが悟の悪人を演じた桐谷健太と浜野謙太。長回しで撮影された気の置けない男友達同士のおしゃべりが、この映画に程よいユーモアと現実感を吹き込んでくれました。
糸電話の懐かしさ、そば打ちの粋、焼き鳥屋の和み。若者から中高年まで琴線に触れそうな映像が、クラシックなラブストーリーと共鳴し、じわじわと心に沁みてくるのです。港岳彦の脚本は、純度の高い恋心の芽生えから愛情を育んでいく流れを、よどみなく確かな感触で包んでくれます。気恥ずかしさは軽々と越えてしまうことでしょう。
二宮と波瑠は、控えめで自然体な演技で、アナログ的なキャラクターに自然と馴染んでいました。