ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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こっ!これは!!
精神疾患のある個人の妄想が、他者に伝染して同じ妄想を共有していく。。
こっ!これは!!
私の大好きな「パーフェクトブルー」
(今敏監督)でしょうか?!
本作の公開を前に、先月劇場公開された
「ジョーカー」を鑑賞したばかり。
心優しかったアーサーが貧困や差別、母親からの裏切りなどの様々な理由から精神を蝕まれていく。
(それは幼少期から続いた悲劇でもある)
そして衝撃的な殺人事件を起こす。
民衆に煽られ巨大な悪に変貌。。
私は「ジョーカー」でのアーサーの事を、
どーしても"悪のカリスマ"として見れない部分があった。
孤独だが優しかったアーサー。
彼を変えたのは歪んだ社会であり私達だ。
アーサーだからジョーカーになったのではなく、誰でもジョーカーになりうる可能性を秘めていると思えてならない。
だからこそ、彼の意図しない所で勝手に民衆の代弁者として、弱者のカリスマとして崇めたてられたアーサーを、肯定は出来ないのだが、否定も出来ずにいた。
正常な判断が出来なくなるまで追い詰められたアーサーに、むしろ同情してしまう気持ちも大きかった。
そんな
現実と妄想が混在するアーサーの世界を追体験させられた、信じられない語り部であった前作の「ジョーカー」のその後を描いた本作。
冒頭のアーサー(ホアキン)の姿にフリーズした。
痩せこけた、、を通り越す変わりよう。
もう骨と皮だけの背中に涙が出そうになった。
州立病院とは名ばかりの、酷いそこでの生活が想像出来た。
"外"に出れば彼は悪のカリスマだが、
結局は殺人鬼であり、裁判を待つ身。
院内での扱いは酷いものだった。
そんな日々の中リー(ガガ様)と出会い、
愛を知り、止まっていたアーサーとジョーカーの時間が動き出す。。
と、上辺だけすくって観ればあのままなのだが、、違う気がしてならない。。
少し乱暴だが、リーと初めて出会ったシーン。目が合う。
それは現実で、それ以降は全てアーサーの妄想だ!なんて観方も出来る。
(たぶんDTのままだと思う( ; ; )
観客が自分の見たいように都合良く見ているだけで、それは実は自分の内面なのかも、、と思うと怖くなるし、そしてその解釈が実は全てアーサーの妄想なのでは?と思うとかなり戸惑う。
しかし私は、本作は、アーサーが
「ジョーカーなんていない」と言えた事こそに意味があるのだと思った。
注目して欲しいのに!愛して欲しいのに!誰からも注目されず愛されず、底辺で生きてきたアーサー。
殺人鬼ジョーカーとなり神格化されていく過程で皆から注目され崇拝されて
(愛されて)いく皮肉。
正直心踊ったかもしれない。
しかし、アーサー自身がジョーカーと決別出来た事にこそ意味があるのではないか。
(あの彼の証言に泣いた( ; ; )
アーサーだけが僕を馬鹿にしなかった。
その証言の後のアーサーの表情の変化と、より乱暴に振る舞う姿に泣きました。
あれがあったからアーサーは心を取り戻したんじゃないかな)
悪のカリスマとしてのジョーカーが見たかった人からすれば本作は肩透かしだったろう。
だけど、それは少し危険かもしれないなんて思ってしまったのも本音。。
ゴッサムシティのジョーカー信者と同化している?!(否定してません)
SNSを通して良くも悪くも誰しもが、一瞬で世界中から注目される存在になる(なってしまう)世界。
自分の意思とは関係なく勝手に
"造られた自分"が1人歩きしてしまう恐怖。
そんなターゲットになり得る人物の登場を望んでいるのは我々で、そこに勝手に自分の欲求をくっ付けてくっ付けて巨大化させているのではないか。
そして自分の欲求を満たしてくれないのだと分かると一瞬で興味を無くす。
見捨てる。
(いつも見捨てられてきたアーサー。
だから彼の妄想は皆が笑っていても歌っていてもいつも哀しい。。)
それはリーと同様で私達にも当てはまるのではないか。
リーは自身の欲求からアーサーがジョーカーとして"存在し続ける"事を望む。
もはやリーがジョーカーであり、私達もジョーカーなのではないかと、考えると怖くなる。。
所々に差し込まれるアニメーションの意味。
前後のシーンとの関連性ももっと考えたかったのですが、一回だけでは理解及ばずで不甲斐ない( ; ; )
又、ラストの解釈も何通りも考えられる。
私はアーサーは死んだと思う。
それは身も心もアーサーという人物の命が消えたという解釈。
でも気になった事がある。
あの患者はアーサーを刺した後、ナイフを何度も舐めているように見えた。
最初は彼はジョーカー信者だから、ジョーカーの血を舐めているんだと思った。
だけど。ん?ってなって。
口裂けってジョーカーのシンボル?的な意味がありますよね?
だからあれって口裂いてた?!?!
アーサーのジョーカーは死んだけど、悪のジョーカーは絶えない!引き継がれる!って意味なのかなと思うと、嫌なラストだな、だけど、ある意味リアルだな、と、恐ろしくなりました。
でもやっぱり私では一回見ただけでは読めませんでした。
もっと仕掛けがあるのだろうに、たぶん全然わかってなくてごめんなさいw
そしてガガ様やミュージカル、音楽についても何も触れていなくてごめんなさいw
ここまで書いて力つきました( ̄∇ ̄)
スケジュール的にいけたので、エマちゃんと連続鑑賞しようかな〜( ・∇・)とか一瞬でも思っていたバカな私。
いや、頭パンクするわ我慢して正解!
自分のキャパを知る女で良かった。
遅くなったが、エマちゃん。明日観っから♪
賛否あってヨシ!
トッド・フィリップス監督の描いた
「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」
私は好きでした。
大人の事情
1が大好きだったので、2が作られると知ったとき、正直不安だった。でも興行として考えてみれば、2を作れば確実に客が入るのだから、作らない選択肢は無いですよね。結果、不安は的中し、モヤモヤ感たけが残った。監督は、「悪のカリスマなんて居ませんよー、皆さん目を覚ましてー」と仰りたいのでしょうが、なんだかそれって、説教臭く有りません?私たち映画ファンは、説教されるために、時間とお金をかけて映画館に向かうのでは無いのてすよ。ミュージカルも微妙だった。基本、他のミュージカル映画ば大好きなのだけれど、この映画のミュージカルシーンは全然乗れなかった。裁判シーンもカタルシスが無く、全然乗れなかった。ゲイリーの演技が良かったというコメントも見かけるが、私は、なんだかわざとらしい演技に見えた。1で登場した、片思いの彼女が、今作では、実は、あのときはこんな気持ちだったと語るのは、正直、1への冒涜、聞きたくなかった。
というわけで、私としては、2は無かった、1で完結、と思ってこれこら生きていこうと思います。
”ジョーカーが何をするか”にしか興味がない我々に突きつけられた、社会から見捨てられた男の物語
前作は”バットマン最大のヴィラン、ジョーカー”の誕生を描いた物語として見ることが出来たが、2作を一連の作品としてみると、アーサーという哀れな男が狂気と正気の間で振り回され、もがいた様子を映し出した作品であった。現実というメタ視点でもジョーカーはとてつもなく人気のヴィランであるし、とても強力でまばゆい力を持っている。そういうあまりに強力な概念としてのジョーカーにアーサーは殺された被害者のようにも感じた。作品の低評価からもわかるように世間は「ジョーカーらしさ」を求めてるんだろうなあと思う。実際自分も鑑賞直後はなるほどねーくらいの感想しか持たなかったわけだし。
さて、最初のカートゥーンでジョーカーの影が本体をクローゼットに閉じ込めて独り歩きするシーンがあるが、まさにそれが今回の映画のすべてだと思う。アーサーが「ジョーカー」という自らが作り出した幻影にすべてを奪われていく物語だった。
弁護士は「ジョーカーという別人格が起こしたことだといいなさい」といい、取材に来たテレビクルーはジョーカーについてばかり聞きアーサーは「今の私について聞いてくれ」と叫ぶ。ハーレイと惹かれ合うが、ハーレイ側は”素敵なジョーカー”に会うために嘘までつく。
TVショーという非現実の舞台の上ではジョーカーという役回りを演じられても、法廷という現実ではただのアーサーでしか無く精神的にも問題を抱えていて学もない彼は無力であり、見ていて悲しくなるほど滑稽であった。そんななかで裁判の最後にでてきた小人症のゲイリーが「君だけは僕を馬鹿にしなかった」といった相手はアーサーであり、それで重荷を捨ててようやく本人はアーサーとして振る舞えたわけだが、それでも結局一般人やハーレイなど周りが求めているのはジョーカーでしか無いというのが哀れに思う。
ジョーカーの魔力がなくなったアーサーは最後にはあのような結末を迎えて、ただただ悲しい物語だった。弱者男性という言葉が流行ったが、その言葉を想起せずにはいられなかった。
追記:制作側から観客に向けて「君たちはジョーカーが何をしでかすかに興味があるだけで、このアーサーという男には何の興味もないだろう?」と突きつけられているように思う。それが映画内と現実とで二重構造になっており、社会から見捨てられた人間の辛さ、孤独さ、悲しさが一層胸に刺さる。
鑑賞直後から時間をおいて考えれば考えるほどいろんな感情が出てくる作品だと思う。
ラストが意味することとは
まさかこんなミュージカル映画とは思わなかった。
ガガが出演するならいっぱい歌ってもらいたくなる気持ちはわかるけど(笑)
ラストでアーサーが刺されて死ぬのは
刺した男が『ジョーカー』を乗っ取ったってこと?口裂いてたけど。
それともアーサーの『殺されるシリーズ』の妄想オチ?
どっちだろ?どっちでもないのかな?
モヤモヤするー
これは...
やってしまっている。
なぜミュージカル、なぜガガ。
終始ガガが邪魔している。
これはハーレイではなく、ガガ。
ジョーカーの変貌ぶりはさすがだと思うけど、ホンマにガガがいらん過ぎた。
ミュージカルへの耐性をクリアすれば良作と思える(?)
恵まれず弱者として虐げられてきたが、富裕層へ報いを受けさせることで時代の寵児と教祖化したジョーカー(アーサー)、彼の逮捕後を描いた作品。
前作がアーサーから「ジョーカー」という人格が生まれたストーリーとすれば、今作は「ジョーカー」の人格がアーサーを見捨てた作品である。
前作のような陰鬱とした作風からトーンを大きく変えることなく、喫煙シーンを多く入れることでヒリついた雰囲気を維持することに成功している。その雰囲気の合間に清涼剤としてガガとフェニックスのミュージカルシーンを挿入しているわけだが、これは人を選ぶだろう。
歌詞や歌唱中の表情等に当人たちの演技や感情の機微を感じ取ることができるのならいいが、曲が多いため耐性が無い人にとっては途中で飽きてしまうと思う。
ストーリーの展開上ラブロマンスや法廷ものの要素が入るため前回より場面の転換が多く要素が盛り込まれているとわかる。
ゆえにラストシーンのひっくり返された感は唖然としてしまうだろう。
監督が最後にアーサーに報いを受けさせるという決断をしたのは前作で熱狂的なファンになてしまった者たちへのアンチテーゼではないか。みんなは富める者たちへ報復を行ったカルト的教祖の「ジョーカー」が好きなのであって一人のかわいそうで惨めなアーサーが好きなわけではないだろう?そういったメッセージが伝わってくる。だからアーサーは「自分がやった」とうなだれながら法廷で悲哀にあふれた表情で言うし、リーはそんな彼に「愛想が尽きた」と言わんばかりに立ち去っていく。
一時は熱狂的な恋をしていた相手はもういない。だからリーは髪を切りあの階段でアーサーに別れを告げた。ジョーカーの人格がアーサーを見捨てたからリーは離れてしまった。
では、ジョーカーは虚像だったのか、という問いが生じるが、それはラストのC・ストーリー演じる名もなき若い受刑者が答えを見せてくれた。
ジョーカーという人格は虚像ではなく、サブタイトル「フォリ・ア・ドゥ」の通り伝染してアーサーから名もなき受刑者に伝染した。そうした経緯でアーサーがめった刺しにして殺されたら前作のファンはどう思うか。
もはや時代の寵児として神格化された「ジョーカー」ではない哀れで惨めな精神異常者が殺されたところで観客は何も思わないだろう?という挑発に近いものを感じた。
という想像、妄想、憶測を繰り広げることができるだけのスケール感で楽しむことができた。
(デント地方検事補は若すぎたか。ダークナイトのレイチェルが大好きだった彼の印象が強かったので、いつトゥーフェイスになるか、コインは出るか?と期待したが結果には大して落胆はしなかった。)
ダウナーすぎて 楽しくないのが残念。
前作は階段でダンスするシーンにテンションあがり、
ジョーカーの狂気にオオッとなりましたが、
それ以外のシーンが
全体的にダウナーな作風だったので
映画館で見てから
2回目は見ないまま、
「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」
字幕版を鑑賞してきました。
以下ネタバレ
「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」の前半は
囚人の生活を見せられ、
囚人の生活は不衛生で嫌だなーという気分と
看守の仕事も大変だなーという気分になり
ダウナーな気分になる序盤だなーと思いました。
ダウナーな演出だったので
ミュージカルシーンによる
ジョーカーの心情説明に
気持ちがついていかず、、
ハーレクインにときめくシーンが
体験でなく、
観察になってしまい、
ジョーカーの歌に共感することもなく
ダウナーな気分のままで鑑賞。
かつて喫煙者だったけれど、
禁煙してからは
タバコの煙が嫌いな立場としては、
「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」
の喫煙シーンは臭そうと思うだけで
かっこよく思えず、
ダウナーな煙の演出の映像を見て
ダウナーな気分のままで鑑賞。
ハーレクインは
マーゴット・ロビーの
テンション高いキャラの印象が強いため、
「ハウス・オブ・グッチ」の中年女性演技に
インパクトがあったレディ・ガガが
ハーレクインを演じる事を知った時点で
キュートな方向でないハーレクイン演技を
予測&覚悟はしてはいたものの、
「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」の
ハーレクインは
ジョーカーの妄想以外では
化粧控えめでポップさはない、
ハーレクインでダウナーだったので、
ダウナーな気分のままで鑑賞。
裁判所から
ジョーカーファンによる脱出シーンは
少しワクワク感があったものの、
ジョーカーがすぐに囚人になってしまい、
「ダークナイト」のジョーカーと
似たような車の窓にもたれかかるシーンは
何狙ってんのかなと思いつつ、
TBSドラマでかつて見たような
チンピラにやられる終幕シーンは、
前作のジョーカーを肯定しないように
フィクションだけど
「おとしまえ」つけましたよアピール感があり、
予想通りダウナーな映画だったなな
映画でした。
ジョーカーは狂気で
社会をびびらせるキャラクターという印象だったため
今回のジョーカーは
妄想シーンだけで狂気を披露して
さらにジョーカーの存在を否定する展開は、
前作のもっていた
ジョーカーの狂気の後日談としては
金かえせとまでは思わないまでも
ダウナーすぎて
楽しくない映画だなと思いました。
ジョーカーはひとりじゃない
北米での不評を横目に鑑賞してきました。
1作目の「ジョーカー」をどのように捉えていたかによって、評価がハッキリ別れる作品だと思います。
アメコミの「ジョーカー」として観たら、こんなにつまらない映画はないでしょう。
一方、ジョーカーではなく「アーサー」の物語として観れば、救いがない内容ではあるものの、満足できる出来だったと感じました。
「ジョーカー」はあくまでも象徴であり、アーサー以外にもジョーカーはいるのだと考えれば、また違った見方が出来ると思います。
最後のコナー・ストーリーに刺されたシーンで、コナーもジョーカーだと匂わす表現もありましたし。
ミュージカルシーンを入れることで、狂気に走るアーサーと、罪の意識に苛まれるアーサーの葛藤がよく表現されていたと思います。
なお、あまり評判のよくないフェニックスの歌声ですが、ガガと共にもっと評価されるべきだと思っています。オペラ歌手並みに上手かったら、逆に違和感があったのではないでしょうか。フェニックスはとても歌の上手い俳優だと思ってはいますが。
「ジョーカー」ではなく「アーサー」として鑑賞すること強くお勧めします。
ジョーカーという虚像を打ち砕いた映画!
楽しみにしていた「ジョーカー」の続編。
キャストに新たにハーレイ・“リー”・クインゼル役でレディー・ガガ登場。
はっきり言って、思ってたのと全然違う映画でした。
前作がジョーカーの誕生を描いた映画だとすれば、今作はそれを見事に打ち消した映画となっている。
レディー・ガガを配したからではないだろうが、ミュージカルのようにリーとアーサーが歌う場面が多々あり、その演出には疑問が残る。(ミュージカルは苦手なほうなので^^;)
刑務所で服役するアーサーは毎日精神安定剤を飲まされ落ち着いた模範囚となっている。
ある時合唱の練習でリーに出会い、一瞬にしてお互いに惹かれ合う存在となる。
愛によって希望を見出し、自信を取り戻すアーサー。
リーに薬を飲まないように頼まれ、その影響で気分が高揚し突然笑いだす発作も出てリーが愛するジョーカーに変身してしまうアーサー。
裁判で親身になってくれていた弁護士を首にしてしまい、アーサー自らが弁護することになる。
しかし、ジョーカーメイクでスター気取りのアーサーをテレビで見ていた看守たちはアーサーをボコボコに痛めつけアーサーは意気消沈してしまう。
そして裁判で“ジョーカーなどいない”と証言するアーサー。
その瞬間、傍聴席にいたリーやファンは失望し席を立ち離れていく。
折しも裁判の途中で突然裁判所が爆破され、ファンの助けを借りて逃げるアーサー。
階段でリーに出会うが、もはやリーには愛はなかった。
彼女はジョーカーを愛していたのであって、アーサーには何の魅力もなかったのだ。
愛に希望を見出していたアーサーだが愛に裏切られ、もはや逃げる気力を失い警察に捕まる。
再び模範囚の頃のアーサーに戻ったが、彼を慕っていた若者に刺殺されてしまう。
彼もまたジョーカーの崇拝者だったのだ。
個人的にはこれはこれで面白かったが、前作で誕生した悪のヒーローの活躍(?)を見たかったファンにはがっかりの作品だろう。
逆に前作で悪人であるジョーカーがヒーロー扱いされることに嫌悪感を抱いた人にとって今作は納得できる結末となっているのではないだろうか。
ただし、今作は物語の起伏に乏しく、大半が刑務所と裁判所のシーンなので、それで敢えてミュージカル風にしたりアーサーの空想シーンを挿入したりしているのかもしれないが、裁判所の大爆発シーン以外は人間ドラマがメインとなっている。
北斗の拳のラオウのように愛に敗れても愛などいらぬわ!というくらいの強さがアーサーにあれば不死身のジョーカーが誕生していたことでしょうが、これ以上社会を混乱させてはならないという良心が製作者に働いたのかどうか。
貧しく精神病を患っていた弱い人間だったアーサー・フレックが罪を犯し、ジョーカーとして祭りあげられ、やがてその虚像のせいで愛に裏切られ、殺されてしまうという哀しい物語が今作において見事に完結したのである。
若干退屈だったが、最後の演技には衝撃を受けた
「ダークナイト」と「ジョーカー」、どちらもすごい映画だと思ったが世間ほど絶賛はできなかった。これは完全に好みの問題。でも「ジョーカー」の続編なら観ておきたい。あのジョーカーの物語ではなく、アーサーという男の物語の続編として興味があった。
(後半若干のネタバレがあります)
本作にはレディ・ガガ演じるリーという女性が登場する。アーサーと共感しあい愛しあうことになる女性。彼女とアーサーが歌い踊るシーンが多い。これはもうミュージカルと言っても過言ではない。歌も選曲も文句はないのだが、ジョーカーの映画として観てしまうとどうしても違和感を覚えずにはいられない。アーサーが妄想をこじらせた結果と納得させるしかないのだろうか。
前作同様、アーサーは自分の思いとは別のところでジョーカーとして熱狂的な支持を得てしまう。勝手に心酔して、英雄視し、勝手に幻滅する、現実社会でもあり得る現象だ。結局、ジョーカーという悪のヒーローが誕生する物語ではなく、あくまで6人を殺害したアーサーという男の物語で終わった。
前作でバットマンとなるブルースが登場していたが本作では全く出番なし。DCのバットマンとは違うということらしいが、子どものブルースとアーサーが戦うことに違和感があったのもたしか。ところが、本作でアーサーの子どもがリーのお腹に宿ってしまった。彼の息子がリーによってジョーカーとして育てられ、ブルースと戦うことになるという未来を妄想してしまった。他にもフォロワーが生まれ、ジョーカーという存在が生き残っていくことが示唆された。ジョーカーのフォロワーたちが生まれた物語でもあるということだ。
正直、中盤は退屈してしまった本作。でも、裁判が始まってからはかなり引き込まれたし、最後のホアキン・フェニックスの演技には衝撃を受けた。やはりこの人はすごい。これを観るだけでも意味のある映画だと思う。
ラストシーンが………
収監されていたアーサーが、リーという魅惑的な女性との交流により、再度ジョーカーとして覚醒していく物語
覚醒する過程や覚醒したあと裁判所の中で
まるでショーのように振る舞うジョーカーのあたりはとても面白かったし、最後それでもやっぱりアーサーに戻ってしまうところも良かった
その後リーにも見捨てられるとこも別に良かったのだけど、最後、衝撃のラストにしちゃうよ!って感じで、誰やねんっていう囚人に殺害されてしまったのでラストが「雑」と感じてしまいました
評価が難しい作品
好きではあるけど、今ひとつ腑に落ちない作品でした。
アーサーは人生の負け組で凶悪犯罪者でありながらも、一部の熱狂的な信者からはカリスマと崇められて、リーという彼女はどんな悪行も認めてくれる。
ダークナイトのジョーカーは息を吸うように悪事を働き、悪人からも尊敬されている純粋な悪というのが私の認識ですが、このシリーズのジョーカーは人生で負けまくっている人が吹っ切れて、社会の秩序をひっくり返す事で、逆転して勝ち組になるというキャラクターだと思っています。
前作のラストでは悪意が町中に伝播して都市が大混乱に陥るが、それは現実だったのか?妄想だったのか?という内容で、ジョーカーの活躍を描きつつも、現実味のある展開で納得できたのですが、今作はジョーカー側に救いがなさすぎた点が不満でした。
裁判の終盤で、アーサーは過去の過ちを反省して後悔するのですが、そこからは罪は重いわ、彼女には見捨てられるわ、最後には刺されるわでいいとこなしで終わります。
あの終わり方なら、逃げるチャンスがあった場面で、最後までジョーカーに成り切れば良かった。
日本的な考え方ですが、一度決めてジョーカーになったなら戻ろうとして欲しくなかったな。
救いのない終わり方が社会へのメッセージかもしれませんが、せっかくのハーレイクインもいるし、妄想オチでもいいからもっと狂気を魅せて欲しかった。
それでも前作も込みで星4つ。
違和感
大好評で受賞も数々の前作。
その続編を作ると言うことから、
元はバットマンの敵役であるからにして、
行く行くはバットマンと対峙するのでは❓
という妄想を抱きながら、
何故にフライヤーにデカデカと○○様が載ってるんだ❓
と違和感を感じて不安多めで鑑賞。
前作ってそんなに歌ってましたか❓
てくらい終始アーサーとリーが歌いまくる。
ミュージカルなの❓
いやそれにしては周りは全然歌わない。
監督もミュージカルでは無いと言い切っている。
ならばコレは何だろう❓
アニメでは偶に観る事があるな。
ん、アニメ❓
冒頭のアニメがフリだったのか❓
オレはアニメを観ていたのか⁉️
ジョーカーになって裁判やってる時点で、
もうコレはアニメだな‼️
アーサーの時々発作的に出る笑い。
こちらまであの笑いが出てしまうくらい、
脳内バグったまま終わり、
結局バットマンも出て来ず、
(ハービーデントはちょっと嬉しい)
「white room」も流れない、
○○様が高らかに歌い上げるかと言うと
そうでもない。
物議を醸して次作に繋ぐのか❓
でもあのラストは・・・
次作こそ
ダークナイト登場をお願いしたい。
ゴードンレビットあたりで🙏
◆追記
「アリー スター誕生」に
トッドフィリップスがスタッフにいた😱
そーゆーことか😳
残酷な現実
結末も含めて前作は完璧だった。
それだけに続編が必要なのか疑問だったし、続編をどう作るのか興味もあった。
結果的に、今作は長々と語って元の場所に戻って来たなという感じ。
本作では序盤からアーサーの人物像に違和感を感じた。そして終盤、その違和感は制作者の意図したものであり、そのメッキが剥がされるまでを描いたのが、本作だったことに気づく。
結局アーサーは我々が知ってる前作のアーサーと変わっていなかった。
ある意味それは残酷な現実で、観客にとっても、アーサーに感情移入していればなおのことその現実は受け入れがたいものになった。
バットマンに出てくる"後のジョーカー"の誕生を期待し、そのカタルシスを待ち望んでいたら、突然冴えない現実に放り出されてしまった気分だ。
ジョーカーはいない。本作でも言われたメッセージ。前作ではジョーカーは生まれてしまった(かのように描かれた)。生まれたまま放置されて終わってしまった。
その危険な状態に一区切りをつける必要があったのだろう。それが続編を作った意味なのだと解釈した。
ある意味エヴァンゲリオンの「まごころを、君に」に似たものを感じる。
観客の姿をスクリーンに映して見せ、最後に「気持ち悪い」の一言で熱狂を沈静化させようとしたあの感じだ。
夢で逢いましょう
ジョーカー フォリ・ア・ドゥ。社会現象を引き起こし俺はジョーカーだ!と感化されたバカまで生み出した前作。今回はミュージカルサスペンス。監督のジョーカーといかアーサーへのスタンスは変わらず。妄想部分はミュージカルにし現実との違和感は無し。ガガはハーレークイーンと思いきや全く関係なし。病んでる系。
監督自らが、もう続編は無い!と言わんばかりな悲しいラスト。そりゃ冷静に考えたら6人殺し精神疾患がなく自らを省みる能力があれば、ヴィラン誕生や悪のカリスマなんて無理な話。賛否両論だけど自分は夢が覚めた続編でアーサーなホアキン・フェニックスを堪能出来た!
ホアキン・フェニックスいい役者だな
賛否色々あるのは分かりつつの鑑賞
結論、なんでそんな酷評されるか分かんない
見応えありの良き続編でした
妄想なのか現実なのか、精神疾患なのか正常なのか
アーサーは残忍な罪人だけど、それと同じぐらいクレイジーな世の中
最後の最後、結局一番まともなのはアーサー?
みたいな..
束の間の愛を感じられたアーサーは、ほんのわずかでも幸せだったのか
きれいゴトで終わらないのもありだなと
個人の感想です
アーサーのような悲劇をどう捉える?
メッセージ性?そんな陳腐な投げかけでもないのが
現代的かな..
人生はエンターテイメントじゃない
前作の終わり方だと、みんなが知ってるジョーカーの過去はこんな風だったんだ‥と思ってたけど、今回のであのジョーカーとは全く別なんだ、コレはジョーカーになりきれなかったアーサーの物語なんだ…
最初に出てきたホアキン・フェニックスの背中があまりにも骨ばってて小さくてびっくりしたんだけど、あれってCG?違うよね?
ジョーカーになる事で、世の中への怒り、不満を吐き出すことができてヒーローにさえなれたアーサーだけど、それはアーサーが本当になりたかった姿ではなく、虐げられた人々の作り上げた偶像に過ぎないところが悲しかった…
最愛の人と思っていたレディガガ(ごめんなさい役名忘れちゃった💦)さえも…。
あの終わり方は賛否両論あると思うけど、私はとても人間臭くて好きでした
決して駄作じゃないです
拒否反応起こしてる人は、ミュージカル的な演出のせい?
でも、ダンサーインザダークを彷彿とさせるそれらのシーンは、あくまでも
ジョーカー自身の記憶や憧憬や恋心を表現したものであって、決してミュージカルではなく、一個の人間としての彼の心と同期するには最適な手法だと思います。
かつ、監督が敬愛するワンフロムザハートに於ける音楽の使い方や、色合いや照明の変化も見て取れて、ロマンティックでさえありました。ラスト近くの階段のシーンの街灯なんて、もろそれでした。
とても余談ですが、長い間ワンフロムザハートは自分の中でも最高の映画のひとつだと思いながらも、誰も賛同してくれなかったんだけど、ここにきてようやく報われた気がします。
悲劇は喜劇
ジョーカーとなってしまった男アーサーが堕ちる所まで堕ちる姿が面白かった。
ジョーカーの化粧がみるみる剥がれ落ちていくようにアーサーは終盤になるにつれ心身ともにボロボロ、初めての彼女ができて調子に乗るけどボコボコ、さぁ次はどんな転落が待っているのかと身構えると最期にあの結末、逆張り展開大好き捻くれ野郎の私はいい意味で予想を裏切られ笑ってしまいそうになった。
彼の人生は主観では悲劇そのものであるが、観客から客観的に観たこちらからすれば喜劇の様な映画。
アーサーの人生が道化そのものであったのが皮肉が効いてて楽しかった。
ただこれがジョーカーとしての映画でやる意味があると言われればそうでもないし、かといってジョーカーだからこそ笑えると言う複雑な気持ちはある。
全289件中、121~140件目を表示