ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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そっちに行ったらあかん。がっかり。
監督さんが一作目と同じ方だったから、あの世界観をさらにエゲツなく展開いただけるものかと思い、楽しみにしていました。結果、私は完全に裏切られました。ミュージカル仕立てだから、とか、設定がとかではなくて、ジョーカーに一番向かってほしくなかった方向に印象としては結構あっさりと向かわれてしまったから。ここは男女の愛とか云々とか振り切って、どうせなら狂乱の愛憎物語に突っ走ってくれたら、さらに周囲をそのうねりに巻き込んで、ふっとばしてくれたらここまでの評価にはならなかったと思う。一緒に鑑賞した奥様には、私がレディーガガより失望してガッカリしているようだと指摘され、その通りだと思った。
混沌と絶望
「 ジョーカー 」( 2019 )の続編。
州立病院の患者として過ごすアーサーをホアキン・フェニックスが怪演。リバー・フェニックスの弟さんだとは … 。身に纏った悲壮感が半端ない。泣き笑いのように笑う姿が切なさを誘う。
アーサーと院内で出逢う女性リーをレディー・ガガが熱演 👄 レディー・ガガの圧倒的な歌唱力に魅了された。
ガラス越しにアーサーとリーが対面する映像が美しい。
ホアキン・フェニックスの怪演と、銀幕の歌姫レディー・ガガの熱演を是非スクリーンでご覧下さい。
映画館での鑑賞
我々の世界と極めて近い世界線のジョーカー
骨が浮き上がってみえるほどのガリガリの体、走り方を見れば一目瞭然で運動能力の低さがわかる主人公。少年らに暴行をうければ、なすすべなく固まるだけ。正直知能も高いとは言えない。ジョーカー1で彼が見せた残忍な殺人の数々は何の超人的なものでもなく、そんな彼でも実現可能な範疇で描かれていた。正直当時から少し違和感は感じていた。
そして先日ジョーカー2を鑑賞。刑務所に収監され、一度脱獄未遂は起こすものの今作では誰1人として人を殺めることはしなかった主人公(妄想の中ではたくさん殺したが)。当たり前といえば当たり前だが、うちに秘めた凶暴性はあるとはいえ虚弱で前作とは違い武器を所持していない彼が警備や監視も厳しい刑務所や裁判所で何か犯行を起こすことは不可能だし、せざるを得ない状況も強烈な動機もなかった。
これは私の独断だがこの物語はバットマンの物語と同姓同名のキャラクターは登場するものの、その世界とは違う、極めて私達の住む世界に極めて近い世界線のパラレルワールドなんじゃないかと思う。
主人公が以前の人生でいくら渇望しても手に入れられなかったもの。それが暴力によって予期せず手に入れることができた。気分もよかった。世間から浴びせられる無責任な甘い言葉。しかし最後に彼の心の奥底に届いたのは元同僚の一言だったんじゃないかと思う。
宣伝ポスターで階段でハーレークイーンと嬉々として踊るジョーカー。そちらの結末を選ぶこともできた。しかし彼は最後に世の中から求められたジョーカーではなく、何もいいことがなかった以前の自分であること選んだ。アーサーは誰よりも優しいただの人間だった。
ちなみに今作ではミュージカルシーンが多かったが夢想癖のあるアーサーの強烈な恋心をあらわすのにピッタリの演出だと思いました。
ミュージカル映画だけじゃなかった!
アーサーの人生をミュージカル映画にしなかったらきっと映画館出る頃はメンタル急降下でした…虐げられ続けた先にジョーカーが生まれ、愛を知る喜びも束の間だけなんて哀し過ぎるorz アーサーの裁判の判決に集中していたのでゴッサムシティーでの出来事だったのを思い出した衝撃!!
クリストファーノーラン監督のあのジョーカーに続く為のラストとは…ホアキンは怪優だわ、本当に凄い‼︎監督も尊敬‼︎
アーサーの悲しくせつない物語
自分はミュージカルが大好きなので楽しめました
冒頭でシェルブールの雨傘のオマージュがあり
ワクワクしました
でもミュージカルが苦手な方には酷な作品ですね
急に歌い出すことに違和感を感じられる方もいらっしゃると思います
しかも恋愛要素が強いのもどうでしょうか
自分はとても嬉しかったのですが
ホアキン版ジョーカーは自分的には感情移入しやすくて好きです
ゲイリーの登場も良かったです
悪のカリスマジョーカーを期待していた方には
肩すかし的でかなり残念な作品なのでしょうね
ラストシーンはやばかったです
せつないな
全てが妄想だったのかな
煙草の煙の美しさ
※前作を観る前に
先にフォリアドゥを観ました。
今年観た映画の中で一番考えさせられる点の多い映画だった。
ミュージカルシーンはアーサーの本心が見えるシーンで良かったと思う。
また作中に出てくる煙草の煙が美しく印象に残った。
観る人によって感想はかなり変わる映画だろう。
恐らく自己肯定感が高い人には響かない映画なのでは。
刑務所、裁判などのシーンの連続のため
全体的にトーンは暗いが、
一つ一つで面白くないシーンはなかった。
だが何よりもラストシーンが辛い。
評決後の爆破で思いがけない展開となった所から
リーとの別れは哀しいものの納得できたのに、
あのラストシーンで一気に気持ちが落ち込んでしまった。
「ジョーカー」としてでしか他人に認められず、
幼少期から辛い思いをしてきたアーサーへの救いが
結局なかったため、とても後味が悪く感じてしまった。
殺人は許されることではないものの、
ありのままのアーサーを受け入れてくれる人が見つかって欲しかった。
アーサーはジョーカーとなる事で
抑圧されていた気持ちが解放されるが、
アーサーの場合のメイクのような「何か」が
自分だけの武器となるような気持ちはよく分かる気がする。
自分も(知らぬ間に)他人を見下しているかもしれない。
そういう歪みがジョーカーを生み出し、
そして他者に神格化されてしまった。
ありのままの自分を分かってもらえなかったアーサーの辛さが心に刺さる映画だった。
プロットは面白いと思うんだけど
なんだかイマイチらしいと聞いていましたが、実際観てみればそんなに酷くなかったです。ジョーカーが脱獄して暴れるとかを期待した方は肩透かしを食ったのかもしれませんが、監督はそういう事をしたくなかったんでしょうね。
アーサーは惨めなアーカム暮らしが続く中で、ジョーカーに憧れるリーとの出会いによって活力を得る。
一方でアーサーの裁判ではジョーカーがアーサー自身の願望の発露なのか、幼少期のトラウマへの反発として生まれた別人格なのかが争点となっている。
そんな中アーサーもまたリーを欲してジョーカーとして振る舞う様になり…といったプロット自体は面白いと思います。
個人的には中盤以降に多くの時間を割く裁判における法廷劇としての面白さに欠けたのが良くなかったと感じました。
アーサー/ジョーカー自身が弁護を行うという転換点に加えて、弁護側と検察側のシーソーゲームがあれば長尺も楽しめたかもしれません。
ところで最後にあっさりとアーサーを見放すリーの姿って、作風が変わったら急に叩き出す前作ファンと被る気が…
このジョーカーは悪のカリスマなのか
私は非常に心に残る映画でした。
悪のカリスマであるジョーカーを期待する方は観ないほうがいいと思います。
前作はアーサーがジョーカーになる物語でしたが、今作はそのジョーカーは実はいなかったという物語だったと思います。
ミュージカルについては、アーサーの心象風景をあらわす表現としては最適だと感じました。
ラストはアーサーの不幸な生い立ちや人生を考えると切なく悲しいラストでした。
確かに人を殺しているのだから、報いは受けるべきだとは思いますが。。。
ただアーサーとして死ねたのはよかったのかもしれません。
面白いけどちょっとつまらん
前作は、弱者を見ないでいる社会や強者がジョーカーを作るんですよって感じのメッセージだったけど、今回はそれに加えて弱者もジョーカーを作ってるんですよって感じだった。
悪のカリスマを望んでいる人には嫌な展開だろう。この作品では、社会に馴染めない者達の革命と狂気の象徴(夢)がジョーカーであって、カリスマ的なカッコイイ悪役の話では無い。
アーサーはジョーカーという、あぶれ者達の夢を生み出してしまったがために、ジョーカーで居る以外の道は許されなかった。
彼はジョーカーを捨てて、アーサーに戻ろうとしたからジョーカーに殺されてしまった。
ハーレイは、何も無いからナニカに憧れる厨二病的若者。主要人物は惨め。その上、作品は裁判や隔離施設での描写ばかりで、画面も話も暗い。盛り上がりが少ないし、スカッとできなくて、正直、前作の方が好きだ。
劇中でミュージカルをしているやつは夢を見ている(狂ってる)って演出だと思うが、それにしても曲が多すぎて少し疲れてしまった。
曲中にやたらキリスト教系の言葉が多いことが気になった(ハレルヤ、大天使ガブリエル、審判の日etc)
ハーレイと語っていた山って、自由の象徴と捉えてたけど、キリスト教のシオン的な自分たちの聖地って意味もあるのかな?
とにかく、何を伝えたいのかって考えながら見ると面白いんだけど、多すぎる歌と代わり映えのない隔離施設と裁判所の行き来で緩急が少なく、暗い。
ジョーカーの概念化の流れは好きなんだけど、映画の半分は精神異常者同士のラブストーリーで退屈、私個人は浅はかな愛の話を求めていない。
アーサーが好きでした
前作が面白く期待していた続編。
自分はアーサーという人間が好きだった。
巡れぬ生い立ちの中で、社会や周囲の人々からのけ者にされ、結果として虚無的なジョーカーへと堕ち群衆のダークヒーローとなる。
今作でジョーカーになってしまったアーサーがどうなるのかと期待していたが、まさか刑務所で犬死するラストとは…。
彼がもし本当に現実世界の人間であれば、恐らく裁判を通じて生育歴を鑑みて適切な治療を受ける事によって本来の自分を取り戻す為に進むべきだと思う。
でも、あの状況で自分を取り戻したところで何になるのだろうか?その結果が好きだった人から突き放され信奉者に惨めに殺されるという結果だった。
だからこそ、彼には本当の自分=アーサーに戻るのではなく、ジョーカーという空洞として存在して欲しかった。アーサーアレックスとして生きるのであれば、支持者や好きな人から見放されても安息に日々を過ごす姿が見たかったです。
『犯罪を犯したんだから惨めに死ぬべき』
この映画のメッセージは自分にはこう聞こえた。
そんな正論聞きたいが為に映画館に行ってねぇんだよ
セリフが刺さる
もう歌うのはやめて
君が主役じゃないか
誰が出るかくらいの情報は入れておくんだった
通常シアターの上映が1本とかで
音響いいシアターばかりで上映するのは
そういうことだったか!って感じ
殺されなかった彼の証言はよかったけど
他は1作目の総集編みたい
情報持たずに期待してたとこあるけど
続編って意味では残念かな
どうせならガガがJOKER引き継ぐとかしちゃって
また続編ある?!みたいな遊び心見たかったかな
フォリ・ア・ドゥ = "二人狂い"って
妄想が別の人に感染するって意味みたいだけど
リーは感染したようには見えなかったし
ラストの青年もよくわからなかったし
(中盤で看守に殺された若き青年に見えて
妄想に刺されたのかと思ってたw
この彼、刺した後に首切ってた?)
この映画だと"二人"って意味では
妄想もったアーサーとそれに侵食されて
正気に戻ったジョーカーなのかなって思ったり
すごくね?
悪になりきれなかったジョーカー。
大衆はそれを望まず。
全てを失って呆気なく終わる。
全部がつまらないただのジョークだった。
エンタメ界とこの映画自体のメタファーともとれるし、悪の虚しい最後にもなってて、すごくね!?
内容の賛否は分かれると思うけど、
演者も音楽も構成もストーリーも妥協点一切なし。本気のジョーカー2である事は間違いないっしょ!
ハードルの高さが…
ディズニー映画もびっくりのミュージカル。これに尽きる。
歌が終わったと思ったらちょっと話してまた歌。そのせいで非常にストーリー進行が遅くなり、上映時間の半分はミュージカル成分でかさ増ししてる印象。
前作で燃え上がった視聴層には決して刺さらない映画だと思えるが、ジョーカーというカリスマ的ヴィランの重圧に勝てなかった一人の男が辿る結末として皮肉の効いたストーリーは一考の価値はあると思う。
自分は好きではなかったが、監督が意識して忍ばせたメッセージ性とかを考察するのが好きな人には刺さるかもしれないので絶対に見るなとは言い切れない作品だと思った。
これはこれで良い映画でした
バットマンに繋がるジョーカー誕生の話だと思ってたけど違った
違うとわかって見たらこれはこれで良い映画
でした
妄想シーン多用されてたけど、あれはアーサーが「こうであって欲しい」という気持ちを表したものであって、
現実では出来ないのだからそこを表現するには妄想のミュージカル調にするしかなかったのでしょう
現にアーサーが裁判で「自分はジョーカーではない」と発言してから妄想シーンはなかった
(最後ちょっとあったけどあれは刺された伏線みたいな感じだし)
悪のカリスマジョーカーなる存在がいたとしても、そのジョーカー自身にも様々な葛藤が有りジョーカーになりたくてなったわけではないし、ジョーカーを真似る群衆を見てもジョーカー自身「いやいやそんな持ち上げられてもオレそんな器じゃないし...勝手にカリスマ扱いされても...」という負い目のような感情があったのだと思う
なんだかアーサーの気持ちがスゴい伝わってきました
最後「もう歌は聴きたくないオレと話してくれ」と階段でリーに懇願してたアーサーの気持ちがよくわかる(´;ω;`)
ジョーカー2はジョーカーが悪のボスになり暴れ回る続編だと世界中の人が期待してた(無論、自分もそう期待してました)からこその低評価なのでしょうけど、まさにそこのイメージこそアーサーが危惧したというか不満に思っていた部分であって
この映画はそこを表現した映画であってバットマンに繋がりはしないけれど、これはこれでジョーカー1の正統な続編で公開されて良かった作品だと思いました
ジョーカー真似る犯罪者が増えるから意図的にカオス部分を抑制した、という意見もあるようですが、そうではないと自分は思いました
ひとつ言うならPVで流れたシーンカットされてたのは残念でした.....
そこは残念でした....w
アーサー(ジョーカー)
ミュージカルではない部分の圧迫感や恐怖感はさすがの迫力。
ミュージカル部分で緊張感は緩む
ラストは、新しいジョーカーが生まれたって理解でいいのかな
発生し続ける的な?
可愛そおじの話
結局のところだれもアーサー自身のことを愛してくれてなくて、ジョーカーを求めてたって話。
前作のヒットで、作中・現実世界共々でジョーカーは祭り上げられたけど、振り返ってみれば誰もアーサー自身は求めてなくてアーサーがジョーカーになってぶっ壊すのが世間にウケた。
で今作は裁判の議論の大きな軸としてジョーカーという別人格がいるかどうかという話になってたけど、最後にアーサーがジョーカーは居ませんっていうからガガ様からも振られるし、アサイラムの中で信者に刺されて死ぬしで、ぶっ壊したとしたら前作を観て「またハチャメチャみれるぞ!」と期待してた観客の心だけ。
でもそこが現実世界の映画の評価とマッチしてたからとても面白く感じた。作中でも映画を見てる人たちからもアーサーは求められていなかったみたいです……🥺
悪の向けどころ
続編の知識も入れず見に行った(ガガが出ることも知らなかった)が、一作目よりジョーカーでなくアーサーの物語として見えていた自分には特に違和感もなく、むしろしかるべき内容、結末だった。
徹底して情けない男に描かれていた。
彼はジョーカーではない、ジョーカーにはなれない。
アーサーの罪状は初作で描かれたもので全てで、すべて個人の遺恨で完結していた。
仮に彼が捕まらなくてもその後の余罪は小さなものか、大きくてもムーブメント化してファンに祭り上げられた結果だったように思う。
アーサーはただ自身の耐えきれない物に突発的に爆発しただけで、大衆が望むいわゆるアンチヒーローでは無かった。
ラストシーンでアーサーを刺し自らの口を裂いた青年は、「憧れのジョーカー」を宿すことで個人から少し反れた悪へと進化する。
そうやって何代も個人の遺恨から反れた「憧れのジョーカー」のみを宿した実態の無い悪が作り上げられた先に、ジョーカーはいるのかなと感じた。
青年のたどたどしい言葉を立ち止まり聞くアーサーの優しい表情がハイライトだった。
ジョーカーという映画の"ジョーカー"を観に行ったらタコ殴りにされた。
畳み掛けられる残酷な真実に、鑑賞直後は
「あんな後日談、知らんでも、観なくても良かった!」と思ったが
時間が経ち「あぁ、"ジョーカー"を観に行ったら頭から殴られたんだ」と思った。
いうなれば、映画の中の登場人物は皆"ジョーカー"しか見てなかった。
アーサー自身を見る人は誰一人いなかった。
それは映画を観に行った観客もそうだ。
ジョーカーという映画の"ジョーカー"を観に行って、監督にタコ殴りにされた。
リー含む、映画の内の登場人物は、観客と同じである。
なんとも皮肉。監督め…(2回目)なんて嫌な奴なんだ。
結果アーサーはジョーカーではなかった。
元々優しい人間だったから、真の悪にはなりきれなかった。
最後の最後まで、優しい孤独なおじさんだった。
初めて自分を好きになってくれた(嘘)女性のため、意図的にジョーカーを演じてみたが結果は散々。
自分を慕ってくれた若い囚人は殺され、自分は裸に剥かれ暴行され、心が折れた。
「ジョーカーはいない」
アーサー自身をみてくれた人物は、小さなお友達だけ。
アーサーが優しい人だ。という事はゲイリーだけが知っている。
2人寄り添い合い、語り合っていれば、こんな結末にならなかったかもしれない。
悲惨さでいうと、1よりも遥かに残酷。母親の件に関しても、あんな真実知りたくなかった。
負け犬になるな。やられたらやり返せ。
↑これが1で、期待して2を見たとしたら……。そりゃあ低評価になるわ。
賛否あるだろうとは思いますが、監督の、精一杯の皮肉が詰まった作品だと解釈しました。
ただやはり、ミュージカル演出のたびに、映画への集中がぶつぶつ切れてしまったので-1です。
あと、こんな悲惨な続編見んでも良かったわ!で-0.5。
思い返して、考えれば考えるほど、残酷な映画だった。
メンタル弱ってる時には観ないほうが精神衛生上良いと思う。
ぼくとぼくの影
あの頻発するアーサーの夢想が本当に厄介で、こちらが没入して見ようとする気分をいちいち削いでくる印象でした。
ガガが出演してる訳だし本来なら嬉しい限りですが、これが映画のいちキャラクターとなると話はべつな気がします。
役柄を越えて高らかに心境を歌われると説明過多だし、なぜかどんどんこちらの気持ちが引いてしまい…
ミュージカルや歌謡ショーをすることが、前作からの魅力の継承だったのでしょうか?
殉教者?として崇められ収監されたアーサー。
思えば、、彼は房内(~病棟)の重なるいじめで同情を誘うものの、何かを成すでもなく何もしてなかった印象でした。
リーとの出逢いからの進展、中盤の脱走(未遂)も性交に至るまで主導はリーだったのが残念です。
そんなマグロのアーサーは冒頭のまんが映画よろしく、別人格の「影」の愚行を信じ(ようとし)て終始虚ろです。
たとえ作品の狙いだったにしろ、魂抜きされたアーサーに魅力はありませんでした。
唯一白眉だったのは、弁護士を解雇して自身を弁護し出したところからでしょうか。
ジョーカーはいない…
そう告白したところでした、あのメイクを施して。
(人権派弁護士が吹聴し続けた)精神疾患の(影の)せいにすることなく、全ての罪を認めたところは唯一作品の頂きでした。
別人(と信じていた)だった影とその僕とが、ようやく一体になったように見えました。
その主体を持ったアーサーがジョーカーを否定した瞬間、本来のジョーカーが立ち現れてくる…、
その派生した逆説というか、パラドックスめいた演出が非常に興味深かったです。
以降の展開も棚ぼた過ぎて、というかずっと二人ともグダグダなのですが、
きっと彼一流のジョークを映画にしたんでしょう。
まあ、前向きに捉えるようにして、、
前作から続く長い長いエピローグとして鑑賞すれば、コレもまた愛おしい作品でした。
子を宿したハーレイクイン、、
断然次回に期待が高まります。
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