ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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実際の殺人件数は果たして6人...なのか?
前作の補習かつ心酔者への説教という点に関しては、まさに旧エヴァ劇場版を思い出しましたね😅
ただ、どちらもそこに託けて前作への補完を仕込んでいるため、謎が解明してスッキリした快感✨はありました。
↓ネタバレ
【今作で判明したのは、前作から通じて、ほぼ全編アーサーの妄想だということです】
最期に口から流れた血は、明らかに冒頭の髭剃りミスによる乾きかけの血でした。
髭剃り後におばさん弁護士👩が唾を付けて拭き取ってくれましたが、そんなことをするはずもなく、これはアーサーの理想の甘ママ像を妄想している証です。
冒頭でTV📺に映っていた「ペペルピュー」が、最期直前のTV📺にも映っていました。
生中継中裁判所爆破💣→逃亡🏃という大騒動がありながら、最期直前では冒頭と同様に、囚人達がアーサーに無関心です。
つまり、冒頭の髭剃りと最期だけが現実で繋がっていて、後は全て妄想ということでしょう。
これで、前作で謎だった妄想⇔現実の境界は、母親殺し以外は全編妄想だったんだと、個人的に合点が行きました。
アーサーは大量殺人🔫を犯しておらず、世間でジョーカー騒動🤡も起きていなければ、そこから派生する色恋沙汰💘も裁判🔨も、全てが妄想です。
ミュージカル🎵シーンをベタな妄想ぽく見せているのは、その他を現実だと錯覚させるフェイクなのでしょう。
裁判では母親殺し以外を裁かれていましたが、これは逆に、現実では母親殺しのみの裁判が行われていると考えられます。
最後に母親殺しを暴露し、ジョーカーではないと吐露したのは、現実の裁判で母親殺しの責任能力を認めた反映なのでしょう。
げに哀しきは、あの真に迫る😢ゲイリーの証言も、実はアーサーの「本当の自分を見てくれているのは彼だけだ」と思い込みに過ぎないということです。
ところで、原作でハーレイクインはハービー・デント検事補=トゥーフェイスの娘を身籠ります。
爆破💣シーンでもきちっと、検事補の顔半分が焼け爛れていました。
今回リーが身籠ったのも、ジョーカーに会うためにデントを抱き込んだ結果の妊娠でしょう(という妄想でしょう)。
つまり、自分を見ていないと分かりつつも、ジョーカー🤡の仮面をして美女👩に筆おろししてもらったものの、そいつはライバルの子を孕んでいたという...まさにNTR妄想で捗っていたわけです(笑)
結局、アーサーを刺した🔪ヒース・レジャー似のニヤケ顔は2代目ということではなく、彼こそがオリジン🤡ジョーカーであり、アーサーはその快楽殺人の最初の被害者だったというオチになります。
前作でもわざわざブルース🦇とアーサー🤡の世代差を描いていましたから、端から「このジョーカー🤡は全て妄想であり、真のジョーカー🤡オリジンではない」という壮大なジョークだったということでしょうね...
尻すぼみ感が…
ジョーカーことアーサーが精神病院に隔離されたその後の物語。舞台が主に病院(監獄だと思った)と法廷なので、画面は地味で暗め。ミュージカル形式を取り入れたのは、そもそも娯楽映画としてのエンタメ性を高める狙いもあるのだろう。
使用される楽曲はほとんどがスタンダード調で、前作のようなロックテイストがなかったのは、個人的に残念。
ホアキン・フェニックスは、この前の「ボー」では小太りの中年おやじになりきっていたのに、今作ではまたしても肩甲骨を尖らせて、本当に体のことが心配になるくらい。レディ・ガガは、素顔だとあまりオーラを感じない。
展開としては、弁護士を解任してジョーカーの扮装で悪態をつくあたりから一気に振り切れるのかと期待したが、最終弁論で自分はジョーカーではないと吐露したり、リーとの別れ方もずいぶんあっさりしていて、尻すぼみ感がぬぐえなかったのが正直なところ。
ラスト、アーサーを刺した男、もしくは(本当かどうかわからないが)リーが身ごもった子供が、次のジョーカーになるというのもありかな。
そっちに行ったらあかん。がっかり。
監督さんが一作目と同じ方だったから、あの世界観をさらにエゲツなく展開いただけるものかと思い、楽しみにしていました。結果、私は完全に裏切られました。ミュージカル仕立てだから、とか、設定がとかではなくて、ジョーカーに一番向かってほしくなかった方向に印象としては結構あっさりと向かわれてしまったから。ここは男女の愛とか云々とか振り切って、どうせなら狂乱の愛憎物語に突っ走ってくれたら、さらに周囲をそのうねりに巻き込んで、ふっとばしてくれたらここまでの評価にはならなかったと思う。一緒に鑑賞した奥様には、私がレディーガガより失望してガッカリしているようだと指摘され、その通りだと思った。
混沌と絶望
「 ジョーカー 」( 2019 )の続編。
州立病院の患者として過ごすアーサーをホアキン・フェニックスが怪演。リバー・フェニックスの弟さんだとは … 。身に纏った悲壮感が半端ない。泣き笑いのように笑う姿が切なさを誘う。
アーサーと院内で出逢う女性リーをレディー・ガガが熱演 👄 レディー・ガガの圧倒的な歌唱力に魅了された。
ガラス越しにアーサーとリーが対面する映像が美しい。
ホアキン・フェニックスの怪演と、銀幕の歌姫レディー・ガガの熱演を是非スクリーンでご覧下さい。
映画館での鑑賞
我々の世界と極めて近い世界線のジョーカー
骨が浮き上がってみえるほどのガリガリの体、走り方を見れば一目瞭然で運動能力の低さがわかる主人公。少年らに暴行をうければ、なすすべなく固まるだけ。正直知能も高いとは言えない。ジョーカー1で彼が見せた残忍な殺人の数々は何の超人的なものでもなく、そんな彼でも実現可能な範疇で描かれていた。正直当時から少し違和感は感じていた。
そして先日ジョーカー2を鑑賞。刑務所に収監され、一度脱獄未遂は起こすものの今作では誰1人として人を殺めることはしなかった主人公(妄想の中ではたくさん殺したが)。当たり前といえば当たり前だが、うちに秘めた凶暴性はあるとはいえ虚弱で前作とは違い武器を所持していない彼が警備や監視も厳しい刑務所や裁判所で何か犯行を起こすことは不可能だし、せざるを得ない状況も強烈な動機もなかった。
これは私の独断だがこの物語はバットマンの物語と同姓同名のキャラクターは登場するものの、その世界とは違う、極めて私達の住む世界に極めて近い世界線のパラレルワールドなんじゃないかと思う。
主人公が以前の人生でいくら渇望しても手に入れられなかったもの。それが暴力によって予期せず手に入れることができた。気分もよかった。世間から浴びせられる無責任な甘い言葉。しかし最後に彼の心の奥底に届いたのは元同僚の一言だったんじゃないかと思う。
宣伝ポスターで階段でハーレークイーンと嬉々として踊るジョーカー。そちらの結末を選ぶこともできた。しかし彼は最後に世の中から求められたジョーカーではなく、何もいいことがなかった以前の自分であること選んだ。アーサーは誰よりも優しいただの人間だった。
ちなみに今作ではミュージカルシーンが多かったが夢想癖のあるアーサーの強烈な恋心をあらわすのにピッタリの演出だと思いました。
ミュージカル映画だけじゃなかった!
アーサーの人生をミュージカル映画にしなかったらきっと映画館出る頃はメンタル急降下でした…虐げられ続けた先にジョーカーが生まれ、愛を知る喜びも束の間だけなんて哀し過ぎるorz アーサーの裁判の判決に集中していたのでゴッサムシティーでの出来事だったのを思い出した衝撃!!
クリストファーノーラン監督のあのジョーカーに続く為のラストとは…ホアキンは怪優だわ、本当に凄い‼︎監督も尊敬‼︎
アーサーの悲しくせつない物語
自分はミュージカルが大好きなので楽しめました
冒頭でシェルブールの雨傘のオマージュがあり
ワクワクしました
でもミュージカルが苦手な方には酷な作品ですね
急に歌い出すことに違和感を感じられる方もいらっしゃると思います
しかも恋愛要素が強いのもどうでしょうか
自分はとても嬉しかったのですが
ホアキン版ジョーカーは自分的には感情移入しやすくて好きです
ゲイリーの登場も良かったです
悪のカリスマジョーカーを期待していた方には
肩すかし的でかなり残念な作品なのでしょうね
ラストシーンはやばかったです
せつないな
全てが妄想だったのかな
煙草の煙の美しさ
※前作を観る前に
先にフォリアドゥを観ました。
今年観た映画の中で一番考えさせられる点の多い映画だった。
ミュージカルシーンはアーサーの本心が見えるシーンで良かったと思う。
また作中に出てくる煙草の煙が美しく印象に残った。
観る人によって感想はかなり変わる映画だろう。
恐らく自己肯定感が高い人には響かない映画なのでは。
刑務所、裁判などのシーンの連続のため
全体的にトーンは暗いが、
一つ一つで面白くないシーンはなかった。
だが何よりもラストシーンが辛い。
評決後の爆破で思いがけない展開となった所から
リーとの別れは哀しいものの納得できたのに、
あのラストシーンで一気に気持ちが落ち込んでしまった。
「ジョーカー」としてでしか他人に認められず、
幼少期から辛い思いをしてきたアーサーへの救いが
結局なかったため、とても後味が悪く感じてしまった。
殺人は許されることではないものの、
ありのままのアーサーを受け入れてくれる人が見つかって欲しかった。
アーサーはジョーカーとなる事で
抑圧されていた気持ちが解放されるが、
アーサーの場合のメイクのような「何か」が
自分だけの武器となるような気持ちはよく分かる気がする。
自分も(知らぬ間に)他人を見下しているかもしれない。
そういう歪みがジョーカーを生み出し、
そして他者に神格化されてしまった。
ありのままの自分を分かってもらえなかったアーサーの辛さが心に刺さる映画だった。
プロットは面白いと思うんだけど
なんだかイマイチらしいと聞いていましたが、実際観てみればそんなに酷くなかったです。ジョーカーが脱獄して暴れるとかを期待した方は肩透かしを食ったのかもしれませんが、監督はそういう事をしたくなかったんでしょうね。
アーサーは惨めなアーカム暮らしが続く中で、ジョーカーに憧れるリーとの出会いによって活力を得る。
一方でアーサーの裁判ではジョーカーがアーサー自身の願望の発露なのか、幼少期のトラウマへの反発として生まれた別人格なのかが争点となっている。
そんな中アーサーもまたリーを欲してジョーカーとして振る舞う様になり…といったプロット自体は面白いと思います。
個人的には中盤以降に多くの時間を割く裁判における法廷劇としての面白さに欠けたのが良くなかったと感じました。
アーサー/ジョーカー自身が弁護を行うという転換点に加えて、弁護側と検察側のシーソーゲームがあれば長尺も楽しめたかもしれません。
ところで最後にあっさりとアーサーを見放すリーの姿って、作風が変わったら急に叩き出す前作ファンと被る気が…
このジョーカーは悪のカリスマなのか
私は非常に心に残る映画でした。
悪のカリスマであるジョーカーを期待する方は観ないほうがいいと思います。
前作はアーサーがジョーカーになる物語でしたが、今作はそのジョーカーは実はいなかったという物語だったと思います。
ミュージカルについては、アーサーの心象風景をあらわす表現としては最適だと感じました。
ラストはアーサーの不幸な生い立ちや人生を考えると切なく悲しいラストでした。
確かに人を殺しているのだから、報いは受けるべきだとは思いますが。。。
ただアーサーとして死ねたのはよかったのかもしれません。
面白いけどちょっとつまらん
前作は、弱者を見ないでいる社会や強者がジョーカーを作るんですよって感じのメッセージだったけど、今回はそれに加えて弱者もジョーカーを作ってるんですよって感じだった。
悪のカリスマを望んでいる人には嫌な展開だろう。この作品では、社会に馴染めない者達の革命と狂気の象徴(夢)がジョーカーであって、カリスマ的なカッコイイ悪役の話では無い。
アーサーはジョーカーという、あぶれ者達の夢を生み出してしまったがために、ジョーカーで居る以外の道は許されなかった。
彼はジョーカーを捨てて、アーサーに戻ろうとしたからジョーカーに殺されてしまった。
ハーレイは、何も無いからナニカに憧れる厨二病的若者。主要人物は惨め。その上、作品は裁判や隔離施設での描写ばかりで、画面も話も暗い。盛り上がりが少ないし、スカッとできなくて、正直、前作の方が好きだ。
劇中でミュージカルをしているやつは夢を見ている(狂ってる)って演出だと思うが、それにしても曲が多すぎて少し疲れてしまった。
曲中にやたらキリスト教系の言葉が多いことが気になった(ハレルヤ、大天使ガブリエル、審判の日etc)
ハーレイと語っていた山って、自由の象徴と捉えてたけど、キリスト教のシオン的な自分たちの聖地って意味もあるのかな?
とにかく、何を伝えたいのかって考えながら見ると面白いんだけど、多すぎる歌と代わり映えのない隔離施設と裁判所の行き来で緩急が少なく、暗い。
ジョーカーの概念化の流れは好きなんだけど、映画の半分は精神異常者同士のラブストーリーで退屈、私個人は浅はかな愛の話を求めていない。
アーサーが好きでした
前作が面白く期待していた続編。
自分はアーサーという人間が好きだった。
巡れぬ生い立ちの中で、社会や周囲の人々からのけ者にされ、結果として虚無的なジョーカーへと堕ち群衆のダークヒーローとなる。
今作でジョーカーになってしまったアーサーがどうなるのかと期待していたが、まさか刑務所で犬死するラストとは…。
彼がもし本当に現実世界の人間であれば、恐らく裁判を通じて生育歴を鑑みて適切な治療を受ける事によって本来の自分を取り戻す為に進むべきだと思う。
でも、あの状況で自分を取り戻したところで何になるのだろうか?その結果が好きだった人から突き放され信奉者に惨めに殺されるという結果だった。
だからこそ、彼には本当の自分=アーサーに戻るのではなく、ジョーカーという空洞として存在して欲しかった。アーサーアレックスとして生きるのであれば、支持者や好きな人から見放されても安息に日々を過ごす姿が見たかったです。
『犯罪を犯したんだから惨めに死ぬべき』
この映画のメッセージは自分にはこう聞こえた。
そんな正論聞きたいが為に映画館に行ってねぇんだよ
セリフが刺さる
もう歌うのはやめて
君が主役じゃないか
誰が出るかくらいの情報は入れておくんだった
通常シアターの上映が1本とかで
音響いいシアターばかりで上映するのは
そういうことだったか!って感じ
殺されなかった彼の証言はよかったけど
他は1作目の総集編みたい
情報持たずに期待してたとこあるけど
続編って意味では残念かな
どうせならガガがJOKER引き継ぐとかしちゃって
また続編ある?!みたいな遊び心見たかったかな
フォリ・ア・ドゥ = "二人狂い"って
妄想が別の人に感染するって意味みたいだけど
リーは感染したようには見えなかったし
ラストの青年もよくわからなかったし
(中盤で看守に殺された若き青年に見えて
妄想に刺されたのかと思ってたw
この彼、刺した後に首切ってた?)
この映画だと"二人"って意味では
妄想もったアーサーとそれに侵食されて
正気に戻ったジョーカーなのかなって思ったり
すごくね?
悪になりきれなかったジョーカー。
大衆はそれを望まず。
全てを失って呆気なく終わる。
全部がつまらないただのジョークだった。
エンタメ界とこの映画自体のメタファーともとれるし、悪の虚しい最後にもなってて、すごくね!?
内容の賛否は分かれると思うけど、
演者も音楽も構成もストーリーも妥協点一切なし。本気のジョーカー2である事は間違いないっしょ!
ハードルの高さが…
ディズニー映画もびっくりのミュージカル。これに尽きる。
歌が終わったと思ったらちょっと話してまた歌。そのせいで非常にストーリー進行が遅くなり、上映時間の半分はミュージカル成分でかさ増ししてる印象。
前作で燃え上がった視聴層には決して刺さらない映画だと思えるが、ジョーカーというカリスマ的ヴィランの重圧に勝てなかった一人の男が辿る結末として皮肉の効いたストーリーは一考の価値はあると思う。
自分は好きではなかったが、監督が意識して忍ばせたメッセージ性とかを考察するのが好きな人には刺さるかもしれないので絶対に見るなとは言い切れない作品だと思った。
これはこれで良い映画でした
バットマンに繋がるジョーカー誕生の話だと思ってたけど違った
違うとわかって見たらこれはこれで良い映画
でした
妄想シーン多用されてたけど、あれはアーサーが「こうであって欲しい」という気持ちを表したものであって、
現実では出来ないのだからそこを表現するには妄想のミュージカル調にするしかなかったのでしょう
現にアーサーが裁判で「自分はジョーカーではない」と発言してから妄想シーンはなかった
(最後ちょっとあったけどあれは刺された伏線みたいな感じだし)
悪のカリスマジョーカーなる存在がいたとしても、そのジョーカー自身にも様々な葛藤が有りジョーカーになりたくてなったわけではないし、ジョーカーを真似る群衆を見てもジョーカー自身「いやいやそんな持ち上げられてもオレそんな器じゃないし...勝手にカリスマ扱いされても...」という負い目のような感情があったのだと思う
なんだかアーサーの気持ちがスゴい伝わってきました
最後「もう歌は聴きたくないオレと話してくれ」と階段でリーに懇願してたアーサーの気持ちがよくわかる(´;ω;`)
ジョーカー2はジョーカーが悪のボスになり暴れ回る続編だと世界中の人が期待してた(無論、自分もそう期待してました)からこその低評価なのでしょうけど、まさにそこのイメージこそアーサーが危惧したというか不満に思っていた部分であって
この映画はそこを表現した映画であってバットマンに繋がりはしないけれど、これはこれでジョーカー1の正統な続編で公開されて良かった作品だと思いました
ジョーカー真似る犯罪者が増えるから意図的にカオス部分を抑制した、という意見もあるようですが、そうではないと自分は思いました
ひとつ言うならPVで流れたシーンカットされてたのは残念でした.....
そこは残念でした....w
アーサー(ジョーカー)
ミュージカルではない部分の圧迫感や恐怖感はさすがの迫力。
ミュージカル部分で緊張感は緩む
ラストは、新しいジョーカーが生まれたって理解でいいのかな
発生し続ける的な?
可愛そおじの話
結局のところだれもアーサー自身のことを愛してくれてなくて、ジョーカーを求めてたって話。
前作のヒットで、作中・現実世界共々でジョーカーは祭り上げられたけど、振り返ってみれば誰もアーサー自身は求めてなくてアーサーがジョーカーになってぶっ壊すのが世間にウケた。
で今作は裁判の議論の大きな軸としてジョーカーという別人格がいるかどうかという話になってたけど、最後にアーサーがジョーカーは居ませんっていうからガガ様からも振られるし、アサイラムの中で信者に刺されて死ぬしで、ぶっ壊したとしたら前作を観て「またハチャメチャみれるぞ!」と期待してた観客の心だけ。
でもそこが現実世界の映画の評価とマッチしてたからとても面白く感じた。作中でも映画を見てる人たちからもアーサーは求められていなかったみたいです……🥺
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