ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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所詮敗者は敗者でしかない
カリスマジョーカーが“躁”だとしたら、囚人アーサーは“鬱”。“躁”と“鬱”の振り幅が大きい作品だと思いましたが、“鬱”が9割を占めてました。興行が悪いのも皆さんがトリッキーな“躁”ジョーカーを見たいからではないでしょうか。だって、ほとんどの人が貧しくて惨めでしみったれた“鬱”状態で生きていますよね?映画くらい“躁”になって現実逃避させてくれよ?みたいな。
アメリカは“ジョーカー”公開時の5年前より、さらにカオスになってきて、アーサーやリーみたいな人がキャラクターではなくリアルになってしまった。社会が貧困化してテロもありうるかもしれないし、全体的に理解ができない状況。ジョーカーという存在がジョークではなくなってしまった。
リーはアーサーがジョーカーになれば歓喜し求めてくれましたが、アーサーがアーサーのままだと失望し去ってしまいます。つまり、ジョーカーを求めるリーは私たち観客の象徴であり、本作でそれを断固拒否したアーサーは監督の心情そのものに思えました。ジョーカーは単なるアメコミのキャラクター。それがひとり歩きしただけ。
あのギャグ映画“ボラット”や“ハングオーバー”を撮った監督とは思えないくらい大きな不安感を作品から感じましたが、これも監督流のジョークなのでしょうか?
“所詮敗者は敗者でしかない”のか?
この続編の作り方しかない
前作「ジョーカー」は70年代アメリカンニューシネマらしくマーティン・スコセッシ監督の「タクシードライバー」、「キング・オブ・コメディ」の系譜であり、
その続編である本作もやはりスコセッシ監督のミュージカル映画「ニューヨーク・ニューヨーク」に通じるものがある。興行的に失敗しているところまで同じ笑
私は前作「ジョーカー」ではラストで全てがジョークだった(ジョーカーという存在から今までの展開が全て妄想で、最後の精神病院みたいなところこそが現実)という解釈で観ておりました。そういう捉え方になる映画だと思っていましたが、本作は真逆のスタートをしていて前作の妄想部分だと思っていたジョーカーによる5人の殺害事件の罪を問われるアーサーの法廷劇というカタチをとっている。
これはあの「ジョーカー」が社会現象にまでなってしまい、模倣犯やらハロウィンの仮装で凶行に走る人間が実際に生まれてしまったということに対して、改めて製作側から前作のジョークが通じなかった悪のカリスマ信奉者達を現実に叩き落として"ジョーカーなんていない"と言いきる作品になっていたと思う。(看守がやたらと「ジョーク言ってみろよ(前作のあれやってみろよ)」とアーサーに絡むのも、前作はジョークだったんだと再確認する描写である。
ジョークの通じない人達に向ける映画として本作はレディ・ガガとアーサーのピカレスクロマンのカタチを取った。悪のカリスマに恋する人達を代表するハーレイクインとのロマンスに、ジョーカーではなく自分自身を見て欲しいというアーサーの声は届かない。
アニメーションや画角の違いなど映像的にも様々な工夫を凝らしていて、さらに最後はあの階段にて幕を閉じる綺麗な構成になっていた。確かにこれといった見せ場もなく、面白い映画ではないのだが、ラストであの若者がジョークを言いジョーカーのように笑いながらアーサーを刺し殺したことで、ジョーカーというは誰にでも生まれてくる可能性がある人格であるかのような不気味なラストは一作目の清々しさとは真逆でこれはこれで良いと思った。
個人的にはガガ様のハーレイクインをもっとしっかり描いて欲しかったのと、少し成長したブルース・ウェインとの対決という前作よりコミック寄りな描写も観たかったと思う。
タイトルなし(ネタバレ)
前作はアーサーのやったことに妄想の疑問符がついていてそこが良かったが、今作は犯罪したことになっている設定があんま好きじゃないが中々楽しかった
なんかジョーカーって前作も含めて最初から居なかったんじゃ?
リーも含めて皆、最初のアニメのように影しか見てない
アーサーをアーサーとしてみてくれる人がいなかった映画の中も外も
二人狂いって誰?
妄想してるのはアーサーとこの映画を見てる人。他は皆現実見てるリーも含めてジョーカーに熱狂してる人は基本社会に不満ある人だと思うし
見てる人は前作のジョーカーの影を引きずって妄想してる
PVにあったリーと背中合わせで踊るシーンも、あんな犯罪犯して勝訴すんのかな?って妄想してた自分に対するカウンターパンチのような気さえする(まあ普通にカットされただけだと思うが)
結末から共有する精神病ってジョーカーってことなの?
小物の末路って感じもするが妄想のおかげ?で好きな人にヤラれるっていう願望というか救いなのかこれ
山ってなんだろ?犯罪の山でも築くつもりだったのかな?
妄想と現実のシーンが分かりにくい
ミュージカルってとこと、そのシーンが多め(と感じた)で好みが別れると思う
これはミュージカル映画?
ジョーカーの続編ということで鑑賞!
5人を殺害し勾留中のアーサー・フレック
ある日、音楽療法のプログラムを受けていた彼は、そこで謎めいた女性リーと出会う
彼女との交流をきっかけに、アーサーの中で抑え込まれていた狂気が再び暴走を始める
というのがあらすじ!
最初はアニメーションから始まり観る映画を間違ったかなと思っちゃいました
そしてミュージカル映画かと思うくらい歌ってた笑
みんなアーサーではなくジョーカーしか見てなかったですね
ハーレイ・クイーンもそうでしたしだからあっさり切り捨てられた…
見てて悲しくなりましたね
あと妊娠したのはほんとってことでいいんですよね?
いろいろ嘘ばっかりだったし…
そして最後はまさか刺されるとは思わなかった!
看守全然来ないしグルかなと思っちゃってます笑
あれでほんとに死んじゃったんですよね?
アーサーが救われなさすぎてかわいそうでした…
あといろんな人の感想を読んでジョーカーは概念でジョーカーは止まらない
アーサーは概念を作り出しただけで今後は違う誰かジョーカーになる…
なるほどなと思いました🤔
これから話は広がりそうだけど続編があるのかは気になるところ
だけどなさそう…笑
面白い映画をありがとうございました😊
ホアキンはすごい
見る前はジュークボックス型のミュージカルにする意味が前作から距離感がありすぎる気がしていたのだけれど、見てみると納得度がとても高い。
どんなシーンでもミュージカル化する事でエンタメになる。高揚感でありえない主張や悪がより正当化されて見えてくる演出にしびれます。
そして知っている歌なのにこの映画で歌われる事で意味合いが違って聞こえる事に意味がある。ジュークボックス型でないと出来ない心理効果でオリジナル曲にしない意味も強く感じました。時計仕掛けのオレンジで雨に唄えばを歌っているのを全編でやってる感じ。
ポジティブな肯定感が悪の背中をぐいぐい押してくる。
あのジョーカー化した時の魅力とカリスマ性のオンオフが素晴らしかった。やはりエモく良く見える事は恐い。
裁判所が壊れて法が機能しない街ゴッサムがジョーカーと共に完成したか!と興奮したのでやりたい様にやってイチャイチャしてハッピーに行きてたまにバットマン殴られる日々こそ幸せなハッピーエンドをおくってほしい気持ちはありつつ、アーサーが周囲の期待に応えずにアーサーとしてある事を選択したのは救いがないと同時に一番救いのある終わり方のような気もしました。ジョーカーを選択してアーサーを捨て切る事は内面的にも世間的にもアーサーの存在が無くなる事で、影響が大きくなりすぎたジョーカーになる選択はオーディエンスの期待に応え続ける事でもありもはや自分がないのではとも思えて、そうなるとアーサーというつまらない自分を残すことも世の中への反抗だよなとか思ったり。どちらに落ちても救いがないなぁ
最初のアニメで示唆していたけど、アーサーとジョーカーの二面性が別人格かただのプッツンした状態なのかは最後まで判別がつかなかった。台に立つ人は常に光の中の自分は造りもので普通の人間である自分は表に見せない存在なのだし気持ちなんてのは状況で変わるものだし。
しっかし歌がうまかった。レディガガの我欲の凄キャラもハマってた。タバコのシーンがカッコいい映画も久しぶりでそれも良かった。ホアキンのつくる存在感ほんと素晴らしい。
コメディアンよりシンガーを目指してたらアーサーの未来ももうちょっと違ったのかも。
ペルソナに呑まれるな
前作のラスト→自分のしたことを嬉々として話すアーサー・フレック。そこはアーカム州立病院の一室だった…。この描き方によって、「ジョーカーは存在するのか?そして人を殺したのか?アーサーの妄想ではないのか?」と観客に考えさせる余地を残していたのでいい余韻になっていました。
が、しかし、本作では「アーサー(ジョーカー)が人を殺した」ことを前提とし、それが裁判に発展するのでなんだかなぁ…となったのが観始めてからの正直な感想です。
よかった点:ホアキン・フェニックスの演技。アーサーとジョーカーの演じ分けがすぐに分かるほど、磨きがかかってました!特に法廷でかつての仲間のゲイリーに畳みかける時は必見。
悪かった点:ミュージカル仕立ての場面が多すぎる。アーサーの妄想の表現なのはわかりますけど、著しくテンポが落ちてました。レディー・ガガは上手です(あたりまえ)。
"衝撃のラスト"と喧伝されてましたが、確かに。アーサーが殺されるとは…。今度はアーサーを殺した囚人が「ジョーカー」を名乗るのか?ジョーカーの存在だけが一人歩きして続いていくのか?
最後にアーサーに面会に来たのは誰なのか?リーは絶縁されたので考えにくいし…まさかブルース・ウェイン?
…ラストはなんだかんだで余韻がありましたね笑
みんなジョーカーになろうよ
前評判が最悪だった本作
自分の目で確かめるべく鑑賞したが、いやはやこれはどうなんだと…
前作と比べてスケールは小さく、ミュージカルシーンばっかりでこれはないわーと映画館をあとに
だが、シネマトゥデイのネタバレレビューを読んで、評価が変わった
そもそも前作と本作はジョーカーのオリジンを描く物語である
サイコパスなジョーカーが暴れ回る映画なら既にダークナイトがある、あれは超えられない
ならば、とことんジョーカーのオリジンに向き合おうとしたのが本作なのだろう
敢えて暗く陰湿な監獄だけの舞台と時折挟むミュージカルによって、アーサー個人に強烈に焦点を当て、ジョーカーの思想や振る舞いに共感する人間たち、最後にアーサーを殺し、次なるジョーカーとなり得る人物を描写する
冒頭のアニメーションで語られるジョーカーの影が暴走するのは比喩表現で、アーサーの死が真のジョーカーの始まりを示しているとも言えるのではないだろうか
哀れな1人の男がジョーカーを生み出したのである
王道を外したトッド・フィリップス監督の度胸に拍手を送りたい(但し、ハングオーバー2、お前は駄目だ)
ただ、ストーリーは単調で面白いとは言い難い
不評のレビューが吹き荒れるのも納得な傑作まで紙一重の作品
アーサーの話し
歌パートは確かに多い。だが、セリフを歌にして会話しているわけでも無く、その時のキャラクターの心情や裏テーマ的なことを表現する手段として歌が使われているだけで、アーサーの妄想癖をうまく使った演出として観ることが出来た。
妄想だけでは無く、実際に登場人物達が歌っている場面も多くあったが、そこには必然性を感じたし、シーンと演出で矛盾があったようには感じなかった。
でもまあ、こんだけ歌ってたらミュージカルって言われても仕方ないか。
副題であるフォリアドゥ。パッと見ではアーサーとリーが共感者のようにみえるが、その実、リーはアーサーからジョーカーを引き出すイタコのような存在だったように思う。
裁判の最後、ジョーカーを演じる事をやめアーサーでしか無いことを告白し、自分の罪を認めた。前作、わたしの評価は決して高くはなかった。なぜなら自分の不幸を理由に様々なことを社会や他人のせいにして自分の罪を認めない行為が好きになれなかったからだ。今回、しっかりと自分自身の罪を認めたことに人間的な成長を感じた。
期待していただけに
当方レディガガの単独ライブに行くほどにファンだった者ですが、嫌な予感はしていました。的中しました。これはミュージカルですよ。
レディガガの歌はライブで聴けばいいんですよ。私からするとライブとかミュージックビデオとかだいぶ観てたもんだからレディガガ出てくるともうレディガガなんですよ。映画に入り込めないんですよ笑
私は”ジョーカー”を観たかったんです。ミュージカルの要素も取り入れてアーサーの妄想シーンを描くなど演出に色をつけていくのかな?なんて思っていたらだいぶミュージカル引っ張るもんだから途中から冷めてました。
全くの前情報を入れずに望んだのですが、もともと賛否分かれる作品だったみたいですね。
前名作の時でもずぶずぶと作品に没入していく感覚が好きだったので、今回もそれを期待して、期待して期待してたら終わっちゃった感じです。ほぼ監獄と歌と裁判所で終わってしまいました。
しばしばホアキンフェニックスお馴染みのジョーカーっぷりは出てたのでその演技力はさすがと言ったところですが、また一作目を観ることになりそうです。
ありがとうございました。
悪のカリスマじゃなかったのか?
「バットマン」に悪役として登場したジョーカーの誕生秘話なのに、バッドマンの重要人物二人が死んじゃったらダメじゃん。誕生秘話じゃなくなっちゃう。とモヤモヤが残った。ガガ様に忖度があったのか?
色メガネを外して見るべき傑作!
もしも自分が重度疾患あるいはハンディキャップ持ってたら、あるいはマイノリティでもなんでもいい、そういう人たちだったら。
そして世界に馴染めずにいたら。
頑張って何かを達成出来るかもしれない。そういう人達はガーディアンズ・オブ・ギャラクシーみたいな事が起こるかもしれない。
そうでない人たちは、、、。
今作は理解してもらえず、抵抗出来ず、逃げることも出来ない人間の物語。その末路。
誰だって仮面を持っいる。本当の自分なんて自分でもわからない。
前作、妄想にしか居場所がなかったアーサーは世界で上手くやっていけるジョーカーという仮面を手に入れた。
今作では、なぜそうなったかの話しも聞かずに勝手に二重人格にさせられる。
影としてのジョーカー?
光を当てているのは誰か?
アーサーではなく、ジョーカーはこうあるべきという信者。
共同妄想の信者たちはアーサーという人間はジョーカーではないと言う。
笑いという悲鳴を上げるが、誰にも届かない。
逃げ込む妄想。そこだけは綺麗でピュア。
そんなアーサーを信者たちが破壊する。
そして壊れたアーサーは嘘をつく。自分を否定する嘘を。
前作を通して初めてつく嘘。
ジョーカーは実在しないと。
自殺行為。
ラスト、信者に殺されるが、アーサーは死ねて嬉しかったのか、それとももっと生きたかったのか。カメラは静止したまま死んだアーサー を映すだけ。
批判的な意見の多くは望んだ映画(望んだジョーカー)とは違うというのが多数で、しかもラストのシーンはルーニー・テューンズ的な画面がしぼんでいくホールで終われと言う。セリフで言ってたから尚更だと。あんな死に方をしたのに。(私にはどのセリフかは分からなかったけど)
人はどこまで無慈悲になれるんだろう。
たかだか映画だけど、私は主人公が生き残る映画が好きだ。
(どんな人でも)
あなたの周りの人は本当に笑ってますか?
ジョーカーとは何だったのか
【ジョーカーとは何だったのか】
『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』は期待外れの映画だった。
社会的弱者が悪のカリスマに変身して更なる大暴れをしてくれるのを多分世界中の人が期待していたのだが、それは裏切られた。
ではジョーカーとは何だったのか?
ネットでいろいろな人の考察や感想を聞いて、そこそこ腑に落ちた。
有識者の考えを自分なりにまとめてみる。
『ジョーカー』
心優しい頭の弱い男が社会に追い詰められ凶悪犯罪を犯し、神として世間に祭り上げられる話。
『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』
神に祭り上げられた頭の弱い男が、一生懸命神を演じようとするがやっぱり無理で自滅する話。
ミュージカルシーンにも理由があって、現実が苦しいアーサーにはミュージカルの妄想しか救いがなかった。
可哀そうなアーサー。(;_;
『ダークナイト』
数年後アーサー信者の誰かがジョーカーになり、そのころには成長したブルース・ウェインがバットマンになっていたという流れ。
こう考えると、ジョーカー二作品はバットマンの前日譚として、とても良くできた物語であったと思える。
アーサーとジョーカーを演じ分けたホアキン・フェニックスの演技力が物凄かったらしいが僕にはよくわからなかった。
2回目を観るといろいろわかるのだろうが、そこまではしなくていいだろう。
レディー・ガガが美しかったのでALL OK!ってことで。
(^_^
そもそもジョーカーという存在を知らなかったら
作品中に出てくる「ドラマ」がもし私たちの知る前作なら?
そう思ってしまう程、前作との視点の変化に少し戸惑いを感じる部分はある
前作がジョーカーという崇拝される存在の誕生を描いたものであるならば
今作はアーサーという1人の男を描いていた
随所に描かれる、子供のように裸にされ、髭は伸び、排泄や性欲もある人間としての日常が、彼をただのアーサーに引き戻していく
それが重なるたびに、彼がただの1人の人間だというギャップが私たちの知る「ジョーカー」というキャラクターの間に生まれていく
ただ本当に作品としての徹底した細やかさに感動してしまう
最初に描かれる印象的な肩甲骨
前作の流れを引き継ぐのであれば、タバコを吸う際に使うのが右手ならばアーサー、左手はジョーカーということになる
となれば、最初のカットから歪んだ左側の肩甲骨がこれから始まるアーサーの中になあったジョーカーの崩落を意味しているようにも見えるのだ
前作でゴッサムで生まれたものは、ジョーカーという概念であって
アーサーという人間ではなかった
彼は自分という存在を世間に認知して欲しいだけだったのに、人々はジョーカーしか求めていない
アーサーの最後まで他人を想う心は確かにあって
今まで見せることのなかった笑顔が本当のアーサーだった
今作で何よりも恐ろしいのは、ジョーカーへ変貌する姿を今か今かと待ち侘びる私たちが誰よりもアーサーにジョーカーを求めていたという事だ
前作とセットで完結
ミュージカルシーンが多いだの、期待するようなジョーカーのシーンがないだの、という本当に前作を観たのかと首を傾げたくなる様な批判的なレビューが散見されますが、前作がアーサー→ジョーカーだったのに対し、ジョーカーになりきれずにアーサー自身に戻る、そしてアーサー自身が欲しがった息子が、真のジョーカー誕生につながっているように思え、作品の出来に感嘆しています。
おそらく本作の大部分はアーサーの妄想シーンと思われます。
元々続編はつくるつもりはない、と監督は述べていた記憶あり、前作の完成度の高さから、続編は蛇足になるのでは?という不安はありましたが、見事な続編に脱帽です。そして、アーサー≠ジョーカー であることは前作でも描かれていましたが、きちんと、バットマンにつながる様な要素もあちこちに散りばめてくれています。
最後に面会にきたのは、きっと黒人のカウンセラーなのかなと想像しています。
ラブコメミュージカル映画。前作は見た方がいい。
とりあえずこの作品は前作のジョーカーの続編。前作を見ていないとついて行くのは難しいかもしれない、、、。
前回は、ジョーカーの狂い具合やジョーカーになるまでの物語等々が上手く作られていてとても良かった。
今回のは、、、。
まず、ミュージカルというか歌が多い。それも感情が昂った時の音楽、ストーリーの中での音楽というよりは常に歌っている感じ。あんまり求めていない方のミュージカル映画で少し残念。ストーリー展開はそこまでは悪くはないんだけど終わり方辺りがなんだかなぁって。求めているジョーカーではなくてすごい残念。今回はただの彼女?に振られたヤツやん、、、。
超がつく悪役、でも惹かれる何かがある。そんなジョーカーが今回はあまり感じられなかった。どういう風に進みたいのかがよく分からないし、急に妄想の中で歌い出すから分かりづらいし、終わり方もこんな感じかって。終わり方に関してはまぁそこまで悪くはないんだけど。
ホントに、レディーガガの歌を聴いたって感想。ジョーカーの続編って気持ちで見ると足りない。
賛否両論なのかな?個人的には前作だけでいいなって思ってしまった。ただ、レディーガガの歌が聴けたっていうのと、アーサーの様々な葛藤が見れたのは良かったかな。
思ったより、普通の人間すぎて少し興醒め。あんだけ色々あったんだから狂っていて欲しかった、、、
ミュージカル?
監督のインタビューにもあったんだけど、ミュージカル作品であって、ミュージカルではない仕上がりだそうです。
そのインタビューを読まずに見たため、最初のあらすじがアニメ調で始まった所から「あれ?」と感じつつ、いくつかの場面でジョーカーの妄想、回想シーンがミュージカルになっていて、そのシーンの切り替えが唐突すぎてみてて私は違和感を感じました。
ホアキンやレディガガの歌はとても良いんですが、映画全体としては、うーんって感じで星3つにしました。
看守4人組こそこの映画の肝
一個人を苛み続ける社会機能を刑務所に象徴させ、ひたすらミニマルに個人を服従させるための暴力を描く。暴力こそが支配の肝であるというメッセージは、イスラエルの虐殺を放置し続けたアメリカの2024年に相応しい。傑作!
看守の中で1番キャラクター豊かに描かれる歌の上手いやつはナチものでよくある芸術に通じてワーグナー好きでなんならピアノも上手に弾きこなすナチ高官と同様の効果をもたらす。
最悪度合いを引き立てる演出だけどわかっていてもコレが効く。
本作は「ジョーカー・ビギンズ」
本作の評判はあまり良くないが、レビューを読むとこれまでのジョーカー像や前作のジョーカー像と本作のアーサーのイメージが乖離していることと、唐突なミュージカルシーンが原因のようである。しかし自分としては前作でのジョーカー像に大きな違和感を抱いていたんで、本作のストーリーやラストがとても腑に落ちた。
まず、前作での違和感であるが、ジョーカーの本質は「知性」と「狂気」である。しかし前作のアーサーには「知性」を感じることはできなかった。それに「狂気」も反射的なそれであり、"本能的"なそれには程遠かった。なので当時はアーサーがジョーカーにつながるなんて、なかなか想像できなかった。
そして本作。オープニングのアニメで、アーサーが影(ジョーカー)に振り回されてて、その時点で前作の違和感が解消されるかもという期待を持って観始めることができた。それは法廷ラストの「俺はジョーカーじゃない」というセリフで完全に腑に落ちた。
また、タイトルの「フォリ・ア・ドゥ」も、もしかしたら多くの人が誤解しているのではないだろうか。これは「二人狂い」を意味し、「妄想を持った人物と親密な関係になる健常者が、外界からの影響を受けずに過ごすことで、妄想が感染して共有される精神障害」であるらしい。ここで多くの人は前者をアーサー、後者をリーだと思ってるような気がする。しかし自分は逆だと解釈した。アーサーは健常者とは言えないが外界から隔離されているし、リーはまさしくサイコである。ミュージカルシーンはアーサーの妄想だけど、それはリーから感染した妄想だといえる。ミュージカルシーンではリーに主導権がある。リーは同じ妄想を持てるパートナーとしてアーサーに狙いを定め、わざわざアーカムアサイラムに出向いてアーサーを見つけて全愛情を注いだのである。しかし「俺はジョーカーじゃない」と言ったアーサーに幻滅し、法廷を退席するし、階段で再会したアーサーを冷たく突き放した。「蛙化現象」である。
しかしアーサーが表れたことで真のジョーカーの出現の下地は作られた。もしかしたらリーのおなかの子供が真・ジョーカーかもしれないが、だとするとべたすぎるし、ブルースとの年齢差も矛盾してくる。次作があるとしたら面白いかもしれない。
納得
前作を観ていなかったので公開から暫く経っても未鑑賞でした。
その間にSNS等で様々な考察がされていました。
自分はネタバレとか気にしないのでそれらに目を通した上で前作、今作を鑑賞しました。
それほど前作に思い入れがあるわけではないので、今作は割と好きです。
「好き」か「嫌い」かで言うなら、「好き」というだけで何度も鑑賞したい!とか、人に勧めたい!という訳ではないです。
正直アーサーが痛々しくて見ていられなかったです。
彼の弁護士は、「事件当時、犯行に及んだのはアーサーではなく別人格の『ジョーカー』であり、アーサー本人の意思ではない」といった感じに話を持っていこうとするわけです。
その裁判前に出会った女性、リーと恋仲になるわけですが良くも悪くもアーサーは滅茶苦茶影響を受けます。
彼女やジョーカーを支持する群衆は、アーサーではなくジョーカーを求めている…
アーサーも罪を犯した罪人なので、彼を可哀想というのは可笑しいとは思います。
ただ、どうしても彼に感情移入してしまって見ていて辛かったです。
最期、アーサーが面会室に向かうために看守のあとをついて行く際、彼と少し距離が空くと「はやくしろ!」と怒るのに、なんであんなことになっていても引き返して来ないの???!ってなりました。笑
いや、他にも気になる点はいろいろあるんですけどね!
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