ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
全289件中、181~200件目を表示
アーサーが可哀そうすぎて…。
暗いなりに不思議とカタルシスがあり、そこが怖いところでもあった前作ですが、続編のこちらは前作以上に暗い。「何見せられたんだろう…」という鬱状態になる映画でした。
前作が悲惨な境遇の男がダークヒーローにのし上がる話なら、こちらはダークヒーローが悲惨な境遇の男に戻る話。ミュージカル仕立てで、お祭り騒ぎのような場面が随所に挟まれている分、現実に戻った時の落差がえぐい。ラストシーン付近で、「歌はもういい」というセリフがありましたが、視聴しているこっちの気分がまさにそれ。
ジョーカーから逃げようとしても逃げようとしても、逃げられず、最後はあっけなく殺されてしまうところからの、「これが人生」と歌い上げるアップ調のミュージックとエンドロール。自分の人生から逃げず、チャレンジを促すような明るい歌詞が、ストーリーに対する皮肉っぽく聞こえて本当にしんどかった。アーサーのような境遇だと、チャレンジもできない、人生に立ち向かうこともできないと思うので…。
夢と虚構、現実がまじりあうストーリー構成は悪くないと思ったのですが、支援の手を伸ばしてくれた人がいるにもかかわらず、大衆にそそのかされるようにジョーカー像にしがみついたあげく、結局耐え切れなくなって味方が誰もいなくなってしまうアーサーがひたすら可哀そうな映画でした。旧作の証言してくれた同僚があいかわらず素直ないい人で、唯一の癒しだったかも。
※話はやや脱線するけど、Xシリーズのパールなんかは、異常性まるごと愛してくれるパートナーと添い遂げているので、周りがジョーカーしか見てくれなかったアーサーと比べれば割と幸せな生涯だったんだなと思った。
音楽と妄想
映画冒頭ホアキン・フェニックスのガリガリの身体を見て役作りのためにこんなに痩せて命懸けで演じたアーサー役をしっかり見なくては…と背筋が伸びる。
1.映画開始30分後くらいに黒のスカンクのアニメを観てるシーンからミュージカル要素が出てくる。ミュージカルの場面を見た瞬間「ああ、これはアーサーの妄想だな」と感じる。
2.その後のミュージカルや音楽が流れるシーンは全てアーサーの都合のいい妄想。現実逃避と解釈。
3.後半の長い階段のシーンでレディーガガ演じるリーが歌い出すシーンでアーサーは「もう歌いたくない、歌わないでくれ」と言う。その言葉の意味は「君を妄想にしたくない。妄想じゃない現実の君と話したい」という意味なのかなと思い少し切なくなる。
4.その後、警察に連行され留置所に戻ったシーンで1の場面と同じ黒いスカンクのアニメを観ているシーンに。映画を見た私は「もしかして今まで見せられていたものって全て妄想?」と思う。本当は1の場面から時間は進んでいなくて今まで見ていたものはアーサーの頭の中で自分が幸せになるための妄想だったのかと。
アーサーは自分の頭の中で妄想した世界の中でも幸せになることはできずにいたのか。自分が幸せになる想像ができなかったのか。幸せになるためのやり方が分からなかったのか。自分はジョーカーではなく社会的弱者で頭が悪くて誰にも好かれないと言うことを心のどこかで理解していたから妄想の中でもその要素が出てきてしまったのか。
私には難解すぎて分からない要素がとても多かった映画でした。
最後の絶命したアーサーの顔は笑っているように見えてジョーカーのメイクをしていないのにジョーカーに見えたのが怖かった。
1を観返そうかな
日曜日にイオンシネマで
朝9時35分始まり
公開すぐに観ないと変な時間で組まれてしまう
もちろんover55 シニア料金
ありがとうございます
5年前の今頃に前作を鑑賞し絶賛
その後世の中はコロナで大変なことになった
監督は続編を作るつもりはなかったが
ガガ様がハーレイ役ということで翻意したとか
ガガ様はいい役が続くなぁ
アニメスタートでどうなることかと思いきや
前作のテイストに戻った いやぁ重厚だった
アニメの楽屋の壁のデニーロ肖像画はチト笑えた
アメコミとかティムバートンの世界とは異なる
現世と地続きのジョーカー
徹底的にカッコ悪くて惨め
ファムファタールにいいように翻弄される
こっちが断然いい
アカペラで歌い出して音楽が重なるのがたまらない
こういうナチュラルミュージカルもありだなと
タップダンスのシーンが一番好きだ
あいつは最初から後ろの方で異常な目つきしてたな
なんかしでかすとは思っていたんだ
実はこの2時間半は彼がいまわの際で観た走馬燈だった
という解釈もできるかと
あえて復習はしていなかったのだが
1を観返そうかなという気になった
1のオラのレビュー再録しとこ
絶賛で結構いっぱい書いていたんだな
ほぼちょうど5年前で改めてびっくり
imaxで観たらしい 全然覚えていなかった…
----------------------------------------------------
20191014
映画館でおひとりさま
トーフォー(14)の日と祝日が重なりラッキー
この映画館 なんだかんだで結構観ているので
シネマイレージカードをついに導入
クレジットで買い物すると年会費は無料になると…
ケチケチのオラが動いた
で本作 絶対観たかった一作
この間のタラ作同様IMAXでしかも同じ席をインターネット予約
映画秘宝特集号を購入したのも同じ
ハングオーバーの監督だし
タクシードライバーとかキングオブコメディを
敷きにしているというし ロバートデニーロが出てるし
見ない理由がない
あとマーベルより好きなDC絡みだし
ホアキンフェニックスはリバーフェニックスの弟
町山レビューで初めて知った
今や兄貴を知らないヒト忘れたヒトも多かろう
スタンドバイミーの主役じゃ
で これ 最高
この間のタラ映画とどっこい 短い分こっちに軍配か
好きな世界 ダークだが描かれるのはコメディ
超長い階段
よれよれのブリーフ
妄想と現実が適当に混じっている
・シングルマザーとのロマンス
・デニーロ番組出演
お洒落なのは
設定が70~80年代なのに 現在の社会状況にリンクさせつつ
なおDCの世界にピタッとはめこめるところ
続編がダークナイトでも不自然でないと思う
ジャックニコルソンほど明るくなく
ジャレッドレトほどポップでない マーゴットロビーに惚れられない
クリストファーノーランのヒースレジャージョーカーの誕生譚
ジョーカービギニング ブルースウェインとの邂逅
(あら ノーランバットマンは過去ブログに書いていない)
これがアカデミー賞を獲ったら
同じダークヒーローが複数回受賞なんていう珍事だ
助演と主演で さすがにそれはないか
監督とホアキンフェニックス素晴らしい
同年代 うれしい
松本人志が笑いは悲しみと表裏みたいなことを言っていたなぁ
貧乏とかいじめとかリストラとか失恋とか…あとカウンセリングも
映画館を出たら自分がジョーカーになった気分になった
いい映画を観たあとの傾向だ
追記
酔っぱらったら さらにジョーカー度が増した
フニャフニャしたDance 自分に重ねてしまう
あと ジョーカー=冗談いう人なんだな
----------------------------------------------------
(ここから映画と無関係)
終了後は映画と真逆の青空
公園ベンチで家から持参の缶ビール
自作弁当でhappy
等身大
鑑賞前から全米から異様に評価が低かったので逆に気になって見たくなりました(笑)
評価の別れる理由はこれがDCコミックのジョーカーとして見ると物足りなくて役不足で幻滅してしまいます。ただアーサー・フレックの等身大の物語として視点を変えて見ると面白いかなっと思いました。
アーカムで知り合ったハーレーの影響でアーサーら自分はとてもカリスマ性があって影響力があって偉大な人物だと思い込みます。
現に裁判のシーンでは裁判官やデントや弁護士をおちょくり混沌としていきます。
ただ証人喚問でアーサーの過去を知る隣人のソフィーや同僚のゲイリーの登場で少しずつジョーカーからアーサーに戻り始め、調子乗ったアーサーを看守が3人かがり暴行しリンチされた時はもう元のアーサーに戻ってしまい罪を認めてしまい信者やハーレーを幻滅させて、しまいには最後、盲信していた若い囚人にめった刺しにされて息を引き取ります。
個人的な見所はゲーリーの証人喚問のシーンで「みんな馬鹿にしたけどアーサーだけは優しくしてくれた」と言ってアーサーが正気に戻るシーンが印象的で虚勢でジョーカーを演じて罪悪感があったんだなって思いした。
見た人の評価がかなり分かれる作品なので興味ある人は是非
代弁者だったのに。
女に弱い、ただのオジサン。そんな印象しかなかった。俺を丸ごと受け止めてくれると
喜んでいたアーサー。でも、リーも私と同じように、アーサーではなくジョーカーを求めていたように思う。そんなレディガガも、どこかのインタビューで、ファンの代弁者でいる、と言っていた。そう、私も負け組中の負け組だった。理不尽な世の中で微々たる力でやってきた私としては、弱々しいアーサーが狂気の最中としても、ジョーカーとして産声を上げるあの瞬間、私は心の中で歓喜の声をあげたのだ。大袈裟ではなく。私たちの代弁者としてジョーカーに狂気の沙汰で大いに暴れて欲しかった。
映画だけでも。映画だけでも、弱い奴がヒーローになってもいいじゃないかと。
でもアーサーは、最後はアーサーでしかなかった。痩せ細った、疲れ切ったオジサン。
まるで負け組は負け組で終わっとけよといいたげに作られたこの映画。
こんな映画を作るために、頑張った監督さん、お疲れ様。
カウンターカルチャーとしてのミュージカル
「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」、とても良かった。傑作。アイデンティティーの確立に失敗した「ハウルの動く城」みたいな話だった。よく出来ていた。
想像以上に誠実な作りでびっくりした。ジョーカーによる表面的な破壊はあまり見られない作品だろう。だがジョーカーは破壊している。何を?常識、それにまつわる社会や世界を。それも示唆による破壊である。つまりこの映画はジョーカー(=アーサー)の話を聞く作品である。
「ダークナイト」や「ジョーカー(1)」よりも僕は好きな作品である。この作品に〝ジョーカー〟を求める事はアーサー自身のアイデンティティーを認めない事に繋がる。アーサー=ジョーカーの話を聞きたい人には満点の映画である。
欲を言えば、アーサーにもう少し分が有っても良いと思う。そんなに神様は理不尽なものなのだろうか…。そういう点では一作目でのシナリオ構造上の問題が二作目で露呈しているとも言える。それに対して二作目はより誠実に(過度に真面目に)なったと思われる。僕は誠意のある映画が好きなので評価する。
「誰の中にもジョーカーがいる」というよりも、「誰の中にもアーサーがいる」と思った方が良いと感じる。
レディー・ガガさんが過度にハーレクインを演じていないところも演出として正解だったと思う。ハーレクインという存在にガガさん自身の近い部分を寄せていった印象。
ミュージカルもよかった。カウンターカルチャーとしてのミュージカルとしてよく出来ていた。
比率として、
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」度:3
「ショーシャンクの空に」度:1
「カッコーの巣の上で」度:1
「カラマーゾフの兄弟」度:1
「新約聖書」度:3
「マクロス」度:1
アメリカンニューシネマで始まり、アメリカンニューシネマで終えたような作品だった。
(そういう意味では)至極真っ当な作品だったと思う。
今作には隠れたテーマとして紛争、戦争の事も入っていると感じた。
1人の人間の心の平安の無さが、世界にどれだけの不安定を齎すのかというメッセージを想う。
余談を書けば、「ジョーカー2」はつまり「1」と「2」で綴られた〝ジョーカー〟の話で無くても良いという事だと思う。つまりは、ホアキン・フェニックス版〝ジョーカー〟の話であって、〝ジョーカー〟という存在は、街や世界で認められなかったアイデンティティーの集積値の存在なのだと思う。
冒頭のアニメーションも分かりやすく表現されていた。(影を無くした)ピーターパン症候群であり、アダルトチルドレンの問題から暴走した影によって自身が翻弄されている(されていた)表現であり、この問題はアーシュラ・K・ル=グィンの「ゲド戦記」などに見られる〝自己確立〟の課題と重なります。
余談の余談になるものの「ハウルの動く城」で宮崎駿さんがやりたかったのは男女の恋愛を介しての「ゲド戦記」だったのだと思う。ハウルは大きな魔力を手に入れる為に心臓と自己を二分させながら行先の見えない戦いをしています。ソフィーという存在がハウルの自己認識の根源を見つけることで癒します。
(おそらく)宮崎駿さんの中には〝一人の人間の中の呪解がもたらす世界の平和〟という考えがあります。
それは僕も最もな考えだと思います。
「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」に於いては、一人の人間の呪解は…、という形です。
これは東洋的思想かもしれませんが、「ハウルの動く城」を超えた作品では無かったのは、監督に力量が無かった為では無いと思います。宮崎駿さんが異次元に行っているだけだと思います。
寄り添うように誠実に作られていました。
あとあのキスは何だったのかという事ですね。あれは自己統一性が保てないまま愛を持って生きようとしたアーサーの影の暴走ですね。人との境界が分からないまま愛を大事にしようとしたアーサーの影による行動です。
それは序盤のオープニングアニメでも描かれていますね。
終盤の階段を登るシーンはゴルゴダの丘なのでしょう。
贖罪の物語でしたね。
ハーレクインについて。彼女がアーサー、ジョーカーに求めたのは彼の持つエンターテイメントです。なのでアーサー自身がジョーカーをやめる、ピエロをやめるという事に絶望した訳です。アーサーはエンターテイメントよりも自己のアイデンティティーを優先しました。(それ自体は)正しい判断でした。
これは編集による為なのか、元々の脚本や撮影が多かった為なのか分からないのですが、ハーレクインは逆にアーサーのどこに可能性を感じていたのでしょうか。生き延びる可能性です。あのまま影の暴走を願っていたのでしょうか。それにはアーサーは強過ぎました。
リー、つまりハーレクインがアーサーにジョーカーのメイクをするシーンでは映画「ブレイブハート」のような革命戦士を思わせます。彼女が望んでいたのはジョーカーが世界に伝染することだったのでしょう。しかしアーサーはそれを拒みました。傷ついた幾人ものジョーカーを生み出す事はしませんでした。
この物語ははっきり言って悲劇です。
終わり(結末)には悲しみがあります。
しかし何故悲しみがあるのかの理由は、アーサーが二作目において英雄的決断(と言ってもいい)をしているからです。それは罪を認め、自己のアイデンティティーに向き合う事を選んだからなのです。物語の中の唯一の希望です。
ジョーカーが助かる方法がひとつだけありました。それは「アイドル」になることです。無責任の象徴であるピエロに対して責任的象徴として人を楽しませる存在、それは「アイドル」です。仮にジョーカーの逆転劇、生存戦略として可能性があった方法としては自分自身のアイドル化です。そこにはアイデンティティーの回復に伴った形で支援を募る状態でありつつ、自身だけに収まらない世の理不尽を利他の精神で訴えながら愛される戦略です。
ただひとつの方法です。
僕はその可能性が作品内に残されていたことを示唆します。
〝ジョーカー〟は何処へ?
〝我々含め、皆がジョーカーの存在を期待する。〟
という仕組みがこの作品の本質だと思う。
悪のカリスマたるジョーカーはとても好きなキャラなので、また彼に劇場で会えることに胸を膨らませて映画館へ向かった。
しかし、前作で誕生した〝ジョーカー〟はこの作品では登場しない。
作中の世界で放送されているというドラマやアーサーの頭の中の妄想に、〝彼の〟片鱗は感じるものの、何かがずっと物足りない。
そうして迎える、アーサーという一人の人間の呆気ない最期。
ああ、アーサーはジョーカーではなかったんだ。
我々はアーサーに、自分の中のジョーカーを投影していただけだったんだ。
リーがジョーカーに恋をしたように、前作でジョーカーに恋をした私のような人間には、酷く期待外れな映画に映るだろう。
しかし、それこそがトッド・フィリップス監督の狙いだとしたら。
「普段、平穏に、当然のように、社会的な生活をしているあなた達も、ジョーカーの誕生、その存在に期待していたんだろう?残念、アーサーは違いました!」
「一杯食わされた、アッパレ!」
私はそう言わざるを得ない。
言いたいことはわかるが……
観客と映画に出てくる「JOKER」に期待する大衆を重ね合わせていることは理解できる。前作の暴力的で華美なJOKERの世界への転身から、アーサーに戻ってくる姿を描写したかったのだろうと感じた。
が、あまりにも盛り上がり所がない。前作にあったアーサーの陰鬱さ、危うさや色気のような部分がとことん削がれており、そこに何か新しい魅力が追加されることは無かった。ひとりのつまらなく悲しい男を描くにしてももう少しやりようがあったのではないだろうか。
シチュエーションがほぼ刑務所と裁判所、あと妄想のステージだけなのも単調さを助長している。前作の昼、路地裏、夜と街灯、シャワー、電車のホーム、のように様々な自然光と人工灯に照らされてクルクル変わる印象的だった雰囲気が、ほとんど屋内の光で完結しており全体的に霧がかっていた。映像作品としても前作と比較してイマイチ。ただ、序盤の煙を吐き出しオレンジに変わるシーンだけは前作を感じられて高揚した。ちなみに予告されていたハーレイとの階段ダンスはない。
期待に応えられないようなつまらない人間には誰も見向きをしない悲しさ。言いたいことはそんな感じだと思うが、まあ、その通りでつまらない。特に見てよかったなとは感じない作品。
鑑賞した人の多くが思うのはゲイリーに幸せになって欲しい、ただそれだけだと思う。
ミュージカル?違うって言っても18曲以上の曲が…
エンディングのロールで挿入曲を数えてみたら、18曲以上の曲が。(最初数え間違えた。2回目では数え損ねたけど、それ以上はあった)しかも、ホアキン・フェニックスにレディー・ガガが結構な曲を歌っていた。
レディー・ガガがキャストに見た時、音楽映画にするのか?と思っていたけど、そのとおりになっていた。
前作と映画の種類が変わったなって感じでした。それはそれで、悪くはなかった。けど、裁判にかけられたり、弁護人解雇して自分で弁護したりと、そんなことより逃げて悪の所業をしてもらった方が楽しめたかなって感じでした。
レディー・ガガが良かったので、もっと二人で外の世界で楽しんで欲しかった。
追記、予告か何かで公開前に見たジョーカーとリーが階段で二人で踊る場面は本編にはなかった(はず、見落としてないはず)のはガッカリというか重要なシーンとして使って欲しかった。何かそんなことが観る者の期待を裏切っていったのかな。
曲は昔聞いたことがある名曲を二人が歌うので、懐かしくて良かったけど、若い観客はどう感じたのだろうか?
前作よりは好き嫌いは出る映画。(よっぽど裏切られた内容だったのか終わる10分前くらいに前の方にいた背の高い男性が立ち上がり、かがむ様な後ろの観客を気にする仕草もせずにトイレに行き、帰ってきたらエンドロールが始まったらすぐ連れと3人でやはり後ろは無視で出ていった客がその最たる例だった。)
2回目に観て、劇中最後の曲の歌詞に自分の息子に引き継いでやってもらいたいとあったので、続編あり!レディー・ガガのリーが母親の息子が出て来て、リーが新しいジョーカーに創り上げる話になるかな。
魔法がとけて、本当の自分に戻るやすらぎ。
「ジョーカー」の衝撃は、すごかった。
アーサーの現実と妄想の区別がつかず、その衝動性で次に何が起こるのか分からなくて、ただただ怖かった。
内容が頭に入っている2回目、今年の3回目の鑑賞でも、何回か体がぴょんと跳ねた。
そんなことは夜中にテレビを観れなくなった貞子に出会って以来だ。
今回の「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」は、ジョーカーの仮面を脱いだアーサーの物語。
社会のルールに適応できなくて排除される異物の悲哀に、やるせなさを感じた。
同時に、私は彼と友だちにも、隣人にも、顧問弁護士にもなれないと思った。
今作も、私のダークサイドを根底から揺さぶるという意味で、観た甲斐があった。
母から愛をもらえず、恋をして、ただ一人の人を求め、けれどその人が欲したのはアーサーではなくジョーカーで、振られてしまう。
ジョーカーとして崇拝されるのではなく、アーサーとして愛される経験を持って欲しかった。
「ジョーカー」と同じく、今作もラストのシーンが尾を引く。
最期に、彼は何を想い、何を見ているのだろうか。
魂にひりひりと悲哀を感じさせる音楽は、相変わらずよかったし、全く楽しくなさそうなアーサーの笑顔にも笑い声にも、しびれた。
見納めなのだと思うと、寂しいけれど、これ以上アーサーがしんどい目に遭わなくてよかったとも思う。
「ジョーカー」・「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」は、発火装置な気がする。
本当は、そこここで既に小さな火が燃え始めていて、大きな炎に繋がっていくかもしれない。
怖いと同時にワクワクしている私は、自分の中のジョーカーとうまく付き合っていきたい。
心が元気な時に
心が元気な時に見たほうがいい、ととある芸人さんが言っていたので、体調整えてIMAXで鑑賞。
1作目は私にとってその年のthe best of movie だったので期待しすぎたかもしれない…
世界線が複雑になっていて、アーサーとジョーカーとリーの気持ちや立ち位置が交錯していて、見ていて時々混乱しました。
見応えもあるし、長丁場も飽きることなく見れましたが、肝心の話のつながりがやや浅い感じ…
リーのキャラクラーも曖昧な気もする。
最後、アーサーはああ言う結末になってしまったけど、もしかしたらあれはあれで良かったのかもしれない。死刑をただ待つよりも本望というか。
文章に残すのがとても難しい感情ですが、ホアキン・フェニックスの憑依型演技は見る価値あり。
ジョーカーの結末。。。
始まりが まさかのアニメーション。。意外でした。捕まって収容されたジョーカーには 全く 魅力は感じず 収容監視員 の やられるがままに。。とても痛々しいジョーカーが 描かれていました。。レディガガが キャストであるから どーしても 歌がメインに。ジョーカーと2人 妄想で歌って踊って殺られたりの 繰り返し。ちょっと 飽きてきました。目が覚めたのは 裁判所での 爆破シーン。IMAXで観ていたので とんでもない 重低音の大音響での地響音が 映画館内にも響き渡って 椅子も揺れた気がして これは結構ヤバかったです。。収容されて裁判所での やり取りの内容の映画と言えば 「夏目アラタの結婚」です。さすがにアメリカの裁判は かなり 緩くて自由で ガチガチの裁判ではないみたいで。。ウソの供述なのかホントなのかの 駆け引きのとこは 「夏目アラタの結婚」に似てる感じがしました。。ジョーカーの結末は。。。まぁ 見始めた時から こんな感じの終わりだろーって 予測はしていました。「夏目アラタの結婚」の 品川ピエロ(真珠)も こんな感じの終わりだったら かなり辛く重く のし掛かって 引きずってしまうだろう。さすがに複数回も 観に行く気には ならなかったと 思います。
ジョーカーは 暴れまくって やりたい放題やってる姿が 面白く 捕まって収容先で暴行されたり 裁判で 裁かれるとかって スゴくイメージダウンで 弱々しくて。。 ハチャメチャして 強いイメージで ラストの結末を 望んでいたのに。。最期だけでも。。。
アーサーかジョーカーか。そして歴代ジョーカーへの敬意が溢れてる気がします。
映画『ジョーカー〜フォリ・ア・ドゥ〜』
評価が賛否両論??そんなバカな!
全米で酷評??どういう事??
気になる、気になる!!
で、観に行っちゃいました。
行ってよかった!確かに賛否分かれそうだ。でも
私個人的には好きです。
前作ジョーカーもダークナイトも、また観たくなりました。
(以下ネタバレとダラダラ感想書いてます)
◆<ネタバレ含みます>◆
前作好評だった『ジョーカー』の続編です。
前作ラストは、「ジョーカー爆誕??」てところで終わってます。
そして今作。なるほどねぇ〜。そうきたか。
酷評の理由は2つかな。
▪️続編にジョーカー誕生を期待していたか、アーサーの物語を期待していたか?
ジョーカー誕生物語を期待していくと期待ハズレかも。
でも私もジョーカー誕生物語を期待していた一人でしたが、観ていくうちにアーサーの物語として納得していきました。この結末しかないように思うし、今までのジョーカーに対しての監督の敬意の表れな気がします。
▪️ミュージカル挿入を受け入れられるか?
ジョーカーファンとミュージカル。
相当相性悪そう。でもこれはマーベル作品ではないし、アーサーの物語だからアリだと思う。アーサーの頭の中をリアルと同時に表現するにはこれがベターなんじゃないかと思うなぁ。ミュージカルでなければ辛すぎるし、余計にわけわからなくなっていた気もする。
アーサーはジョーカーではない、という結論がとてもわかりやすいし、一番良い結論だなぁと感じました。トッド・フィリップス監督すごい!レディー・ガガの使い方も上手い!
マーベル映画ではジョーカーの彼女(ハーレー・クイン)を思わせるリー役で登場するレディー・ガガ。実在しているのかアーサーの妄想なのかと思わせる演技と圧巻のパフォーマンス姿が最高でした。
そしてアーサーを演じたホアキン・フェニックス!
色気がすごい!
感情を押し殺した演技がすごい!
ジョーカー演じている豹変ぶりがすごい!
とにかくすごい!大好きです。
「ジョーカー爆誕」を匂わせる前作ラストだったので、かっこいいジョーカーが観れると期待していましたが、監督の「いやいや、アーサーはジョーカーじゃないでしょ」というメッセージに共感してます。ジョーカーを期待する事は劇中登場するジョーカー狂信者となんら変わらないような気もするし。リーやジョーカー狂信者に担がれ利用されようとするアーサーに「君は違うよ!いい奴じゃん!」ってアーサーに肩入れしながら観てました。
アーサーはジョーカーになれなかった。いや、ならなくてよかったと思う。本物のジョーカーは人間の心なんて持ち合わせていないもっと悪い奴なんだと思う。
前作ジョーカー観た時に、「ジョーカー爆誕はかっこよかったけど、トラウマ抱えているアーサーはジョーカーじゃない気がするんだよなぁ」って思っていたのですっきりしました😊
レディー・ガガである理由がよくわかるミュージカル仕立て
基本的に2シチュエーションで、刑務所と法廷を行き来する展開です。
冒頭、刑務所でのアーサーの体を見た時に、その異形さにギョッとしましたが
ホアキン・フェニックスの役づくりに圧倒されました。
割りかし早い段階でレディー・ガガ演じるリーと出会い、相思相愛になっていくのですが
ラストでリーが愛していたのはジョーカーとの2面性を持っているアーサーであり、
アーサーがそれを捨てた時点でリーとの関係性が終わったことは、なんとも切ない感じでした。
アーサーよりもジョーカーへ憧れていたのでしょうね。
それはジョーカーへの憧憬のある囚人にも同じことが言え、結末はなんとも寂しいものがありました。
クレイジーなジョーカーが恐ろしい反面、アーサーは実に純粋な人間だったのではないかと思いますし、
そのアーサーが結局は報われないことに、何とも言えない悲しみを感じましたね。
そこが描きたいがためにつくった本作ではないかと思います。
したがい、1作目とはかなり趣が違うことから、賛否分かれても当然かなと感じますね。
宇野惟政さんのMovie Driverによると、レディー・ガガは、あえて下手な歌い方をしているそうです。
なるほど、聴いてみて納得・・というか、歌い上げる歌唱法はとっていないですね。
ソロで歌うときは本気で歌っているなと感じる場面はありましたけれど。
ただ、この役を演じられるのはレディー・ガガがベストだと思いました。素晴らしかったです。
というわけで、私はこのつくりあがりには満足ですし、面白く鑑賞することができました。
機会があれば1作目と続けて観るとより味わい深いように思います。
想像していた物語ではなかったが・・・
フォリ・ア・ドゥの意味を知ってから鑑賞しても良かったかも。
前作で誕生したジョーカーが人々を恐怖の世界に引きずり込むような内容と思っていた。
実際にはアーサーが生み出した「ジョーカー」という妄想に社会に不満を持つ民衆が感染していく。
もっともジョーカーを崇拝するのがリー(レディー・ガガ)である。
アーサーとジョーカーが対峙し、新たなクラウンのリーがジョーカーを煽る構図。
派手なアクションがあるのかと思っていたけれど、物語は地味に暗く進んでいく。
まぁ、想像していたシナリオではなかったので、落胆し評価が低くなるのもわかる。
地味だし、暗いし・・・
冒頭のアニメーションが全てで、これを丁寧にアーサーの心情とともに描いていく。
ジョーカが登場しての裁判所でのシーンが切ない。
ここにアーサーの心情が全て現れているのではないこと思う。
もうホントに可愛そう。精神を削られた。
ジョーカーは何か?ということを描きたかったのかということでは私は好きな映画。
最後に
前作でアーサーとブルース・ウェインの年齢差が気になっていた。
バットマン登場時にジョーカーはおじいちゃんになってない?
これが解決されたことにすっきりした。
舞台も主役たちも整っている、あとは緊張感と脇役たち
序盤のアーサーの表情と、背中、所作を観て、「あっ、これは好きな映画かも」と感じ、
さらにリーの目をみて確信めいたものにかわる。
賛否両論と言われていたが、
刑務所と裁判所のシーンだけでも構わない、
ミュージカルであっても気にならない、そこはマイナス要素にならない。
でも...好きな映画かもと思わせておいて少々、裏切られた
なぜかと、帰り道に考えて、なかなか答えが見つからなかったけど、
自分から見て足りなかったものを見つけた。
1つ目は緊張感。
最初にアーサーを観ていたときの緊張感がなくなり、
何が起きても、妄想の範囲。現実世界でもアーサーの行動に特段、ドキドキするようなことは無い。だんだんあくびが出てくる。
2つ目は脇役たち。
検事も、弁護士も、囚人たちも何か記号のよう。キャラクターが立っておらず
いてもいなくてもいい感じ。
思わせぶりのようで、何も起きず。最後の出来事もとってつけたよう。
1~2人の証人が多少は存在感を示していたけど。
んー、舞台もホアキンもガガも音楽も空気感も好きだったんだけどね...
現実はこんなもんだ!(苦笑)
米国で、酷評全開で興行成績も悪いとネットで騒がれ、逆に興味惹かれ鑑賞。
感想・・・全然悪く無いんですが。(笑)寧ろ正統続編の良作では?
まず個人的に1作目と観た感想と評価が、ほぼ一緒です。「バットマンのジョーカー」では無いんですよ。
1作目を観た感想が、「障害持った社会の底辺のオッサンが、ブチギレて馬鹿にしたヤツブッ殺す話です。(笑)」
2作目が、「悪のカリスマ演じてたけど、スンマセンでした、罪認めます。で、信者に殺される話です。(笑)」
米国で、評価悪いのは、「さあ、ジョーカーの活躍が観れるぜ。」と思ってた所に、活躍なく罪認めて、しかもアッサリ殺されたからでは?
この監督は、(トッド・フィリップス監督)は、実にしっかりと「ジョーカー」ではなく、アーサーと言う冴えない男の結末を描いていると思います。周り(囚人達)に崇えられ、カリスマにしようとする民衆やマスコミに振り回される(女も出来たし(笑))しかし、かつての同僚の言葉で、正気に戻り罪を認めたら、周りが勝手に白けて(女も去り)収容所で刺される。
裁判所での言葉「誰も俺を見ていない、見ているのはジョーカーだ!」だったかな?
あの言葉が全てで、社会の歪さ(ハーレー・クインの身勝手さ(笑))をしっかりと描いているかと。
自分で言葉にしているのにジョーカーを演じてしまうアーサーの脆弱さ?とか。
とは言え、「う〜む」と思う所も。
まず話が、進んでないんですよ。1作目の犯罪の裁判がメイン、なので収容所と裁判所を行ったり来たり、そこに妄想ミュージカル挟むから、ややこしくやり、しっかり観ていないと分からなくなります。で、そこにしっかり上映時間全部使うから、少し冗長に感じるかも?
要は人物を描く事に注力しているので、(しかも冴えないオッサンの人物像に(笑))話の展開が無いのです、しかし、そこはハーレー出したりして(若干くどいが。)上手く纏めているので個人的には、問題なかったです。
とまあ、色々書いてますが、個人的には、先に書いた通り、質の高い続編だとは思うんですが、な~んで評判悪いのかな?活躍しないから?
ジョーカーと言うキャラクターからすれば、確かに全否定している作品だとは思いますが、周りが勝手に作り上げた虚像に付き合わされた哀れな男、アーサーと言う人物の物語ならば、見事な着地点かと。(救いは無い話ですが。)
ただただ退屈な二時間半
前作視聴済み。
そもそもあの名作の続編は蛇足にしかならないのでは?
と思ったら蛇足になった、そんななんとも言えない作品。
前作はストレスを受けていつ爆発するか分からないアーサーが
作品に緊張感をもたらしてくれて最初から最後まで飽きずに見られた。
しかし、今回そういうギミックはなくひたすら単調な、
「アーサーが刑務所に入って裁判やるならまあこうなるだろうね」
という予定調和のストーリーが冗長に展開されて時折低クオリティのミュージカルが差し挟まれる。
前作はアーサーが自己の気持ちを表に出さない為
感情を推し量るのが楽しい作品でもあったのだが今回はかなり分かりやすい為そういうのもない。
よくジョーカーを期待するとガッカリかも知れないと言われるが、
ジョーカーなど微塵も期待せずアーサーの物語を期待した自分でも
退屈で仕方ない辛いと思ったのでこれは相当なものだと思う。
退屈なストーリーはわざとしているような節もあるしそこに込められた意図もうっすら読み取れなくもないが
そんなことをやってなんになる。
つまらないものをつまらなく描いたらつまらないものになった。
というだけの駄作ができあがっただけだ。
何よりも二時間半の映画が最初の冒頭アニメ5分でほぼ要約されている徒労感!
不満点は二つ。
・アーサーにジョーカーやらせたらこうなるよねという意外性のない話
(衝撃のラストと言われるが前作公開時に今後の予想でよく言われた定番のひとつである)
・それらをただダラダラと単調かつ冗長に描いている
ジョーカーという神格化された存在に振り回される社会やアーサー、
というテーマは面白そうなだけに非常に残念だった。
とりあえず前作の虚実入り交じってるが故に色々と考察・妄想したくなる作品の
虚実のメッキを全て剥がして丸裸にするというマイナスを越えてまでやるべき話だったかというとはなはだ疑問
名作すぎる前作からの続編という高すぎるハードルを越えられるか? と思ったら無理でした。そんな映画である。
・・口汚いことを言えば、高尚な映画で、意図が、意味が、メッセージがと考えたくなるが
正直そういう「あの前作の監督ならすごいものを作るんじゃ?」という期待感を抜きにして素直に映画だけを見た感覚を思い返して考えると
もうあんまりやる話なんてない中無理やり二作目をでっち上げることになって
少ないやるべき話をミュージカルとかで水増ししたスカスカの作品でしかないんじゃないの?
という思いがぬぐえない。つまりそれくらい話が何も動かない作品である、ということである。
あとよく前作のヒットでジョーカーに憧れるジョーカー予備軍を産んでしまったので
彼らに対するアンサー作品、ジョーカーになどなっても不幸になるぞと言ってる作品である、
という話がされるがそんなメッセージは込められてないと思う。
それならアーサーを殺したジョーカー予備軍が真のジョーカーになっちゃいけないし、
作中のジョーカー予備軍が裁判所爆破とかやりたい放題で報いを受けるシーンがないのも駄目だし、
何よりジョーカーになれ(るなら)ば幸せになれる、なんてジョーカーを肯定する話は絶対してはいけない。
むしろ不幸な生い立ちでも健気に生きる前作前半のアーサーを肯定したり応援すべきなのにそんな話は一切ない。
「熱狂して偶像を作り上げて実態を無視する無責任な大衆よくない」という
前作のヒットを受けてのことかシンプルな注意は受け取れるのでそういう話ではないかな。
後は前作で虚実入り交じるアーサーを丸裸にすることそのものが目的なのかなとも。
ただし終盤の旧友ゲイリーとの会話、
ジョーカーを捨てたただのアーサーが僕を見て欲しいという切なる吐露、
この辺りはジョーカー映画ではなくアーサー映画として楽しかった。
こういうシーンがもっとあれば……。素直にエンタメして欲しかったなと思わずにいられない。
観たかったのはこれじゃないガッカリ感
裁判とミュージカルが大半を占める2時間18分。ジョーカーのさらなる暴走を期待して劇場に足を運んだので、盛大な肩透かしにがっかりした。
マッドマッククスフュリオサが全編クライマックスで期待以上の興奮をもたらしてくれたのと、つい比べてしまう。
ジョーカーは精神異常なのか正常なのか? この評価で量刑が大きく変わる。本作の主軸はここ。ただ、裁判だけで一本の映画はもたないから、ジョーカーとレディーガガの妄想ミュージカルで隙間を埋めたように感じた。
そして結論は、ジョーカーは悪のカリスマじゃなくて、どこにでもいる小心なおやじだった。失望したハーレクイン(レディーガガ)に愛想を尽かされ、ジョーカーに憧れていた受刑者から滅多刺しにされて死んでしまう。
クライマックスの前に、とってつけたような裁判所爆破シーンがあるが、そこに至る伏線もなく唐突すぎるし、結局、ジョーカーは再び捕まり収監される。
現実はそうだとしても、エンタメを期待して見に来た客に「妄想はやめて現実に目を向けろ」と言わんばかりの展開に唖然とした。
考察好きな映画ファンにはしばらく味がする作品だろうけど、単にエンタメを楽しみたい僕のような客層には不向き。
ただし、ジョーカーの続編じゃなくて、いち連続猟奇殺人鬼の妄想と現実という映画だとしたら、それなりに楽しめたと思う。
全289件中、181~200件目を表示