ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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芸達者2人が組んで面白くない訳がない
スクリーン全体が暗くて重くて眠気との闘いでもあります。(笑)
もうミュージカルです!って言っても良いくらい歌唱シーン多いです。
嫌いじゃない。
2人とも自らの世界を築くのが上手すぎる。
歌響くしね。
ただこの作品の重さからしたら長い。
刑務所のシーンも法廷のシーンも削れないんだろうなとは思うけど。
ガガ様に捨てられるホワキンとラスト瞬きすら忘れたホワキンの顔が捨てられる男の哀しさを表しているのか…⁈
さよならだけが人生だ(爆)
ミュージカル風は賛否が分かれるかも。
まさかのミュージカル映画
悪のカリスマ復活
今日は5年前に社会現象にもなったジョーカーの続編ジョーカー:フォリ・ア・ドゥを観てきました。
本作は海外では10月4日に公開されており海外ではもちろん映画ランキングは1位を獲得しております。海外では何故かめっちゃ酷評されており正直謎でした。あんなに最高な映画の続編が海外の映画評論家がめっちゃボコボコに言っているのを観て信じられませんでした。
僕は最高の映画だと信じて公開初日で観てきました。
僕はこの作品は素晴らしい作品だと思います。
ホォホアキンフェニックスに素晴らしい演技とレディー・ガガの素晴らしい歌声にめっちゃ共感しました✨
(でも俺は前作の方が好きだなぁ~)
しかもScreenXで観てきました!
しかしScreenXで見たけど一つ不満点があり270度のスクリーンになる場面が少なすぎて追加料金+700円払った意味あんまりないと思った。せめてもうちょっと270度の画面を映してよー
本作で一番最高なシーンはジョーカーとハーレークインが演奏するシーンが最高過ぎました!(あれはカラーパープル超えたな〜)
あと僕が期待してたのは階段ダンスです!
2作目あるよな〜と思ってたけど結局なかっです😥 せめて階段ダンスシーンがあれば少しは人気が出てたと思います。
あと一つ興奮したシーンが看守たちに引っ張られながらジョーカー(アーサー)が笑ってたシーンが凄い興奮しました✨
あと見た人ならわかるんですけどジョーカー:フォリ・ア・ドゥが始まった時急にトムとジェリーが始まって驚きました(笑)
ラストのシーンはめっちゃ驚きました! まさか悪のカリスマがあんなことになるなんて…
僕はこの作品は素晴らしい作品だと思います! 皆さんもぜひこの秋悪のカリスマの復活の物語を映画館にでご覧下さい!
モダンタイムス、シェルブールの雨傘
本作は、観客の理性的な思考を解放、
感情での判断を問うor誘う、
実験的な映画であると言えなくもないだろう。
従来のヒーロー映画orヴィラン映画が、
明確な善悪の対立や,
壮大なアクションシーンを通じて観客を満足させるのに対し、
本作は、
論理的な因果関係や道徳的な判断を曖昧にし、
観客の感情に主観に短調の音楽も用いて、オマエが唄うんかーい!
と、直接訴えかけている。
「シナリオの整合性」や「キャラクターの機能」といった、
従来の映画評価の基準は、本作においてはあまり意味をなさない。
これこそが
DCEU、
ジョーカーそのものの狙いであり、
成立している理由、人気の根拠そのものだ。
むしろ、観客が作品からどのような感情を引き出すのか、
どのような問いを投げかけられるのか、
という点が重要視されているのかもしれない。
ジョーカーとアーサーの差は何か、
何を期待し何を求めているのか、
観客自身が問われていると言ってもいいだろう。
冒頭で、
労働者の疎外を描いた、
チャップリンの「モダン・タイムス」
(今回はポスター)、
「シェルブールの雨傘」が真俯瞰からカラフルなビジュアルで、
低調の日常の繰り返しを描いたように、
それらの作品等々へのオマージュも駆使しながら
現代社会における孤独や疎外感を、
観客とアーサーとをシンクロさせながら
ジョーカーとアーサー、
ハーレイ・クインとリーを乖離させ始める。
アーサーとリーも同様だ。
リーは疎外感とは少し違い、
トリックスターとしてのアーサーの陰で、
「ザッツ・エンターテインメント」
「ショーほど素敵なビジネスはない」
リーに関しては解放の逆の疎外・・・
スティグマ解放と罪を天秤にかける、
ここにシンクロ可能な観客も多いだろう。
カーペンターズの、
「Top of the World」
じゃなくて、
「Close to You」(邦題は「遥かなる影」)
ビリー・ジョエルの
「We Didn't Start the Fire」
でもなくて
「my life」
その意味で良しとしておこう・・・
という観客も多いだろう。
そして、
それ、どうするの?
というシークエンスが残っているが、
あのシークエンスをオミットしなかった、
残したという事は、
ジョーカーライジング、ジョーカー誕生のシナリオも、
試していたのかもしれない。
【蛇足】
ミュージカル映画の多くは、
長調の明るい音楽で構成され、
暗い短調の音楽で展開される作品は多くない。
「モダン・タイムス」はチャップリンの、
笑わせて笑わせて泣かせる作品群の一作なので、
短調とは言い切れない、
「シェルブールの雨傘」も珍しい名作だ。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は
短調のみ、で成立させた手腕は驚きの一作、
三池監督の、
「カタクリ家の幸福」も傑作だろう。
ジョーカーorアーサーが、
例えばロッキーホラーショーくらいまで、
振り切って、
世界中のオールジャンルスティグマ解放or粉砕、または相対的なズラし等を、
やってくれていれば、
おそらく、
マイオールタイムベスト10に入っていたかもしれない。
踊れ、唄え、陪審員、
飛べ!裁判長(そのためのカールじいさんのようなロメロ黒メガネだろ)と、
期待もしたが、、、
観客を信じて、
シビル・ウォーのような作品(マーベルのじゃない方)の効果を信じて、
1000歩譲って、
せめて、つまらなさ過ぎだけど、
罪を憎んで人を憎まず、
くらいに落とし込む、
あるいは、
「Blowin' in the Wind」級の曲で、
鎮魂してあげないと、
ヒース・ノーラン・ジョーカー、
に、
Why so serious?
って高笑いされるよ。
ラストは!なるほど!って感じ。
神話が打ち砕かれる!感染していたのは自分だった。
「二人で山をつくるの」
▼感想
Xの公式アカウントに試写会に招待頂きました!ありがとうございました!
賛否両論割れるのも納得な一作で、自分はかなり楽しめた!
社会で苦しむ弱者の抑圧された気持ちが爆発し、悪のカリスマ「ジョーカー」になってしまう...神話のような前作「JOKER」を打ち砕く作品だった!
ジョーカーを生み出したのは誰か?それはアーサーだけではなく、社会であり群衆、そして私たち観客ではないだろうか?「フォリ・ア・ドゥ」とは妄想が感染して共有される精神障害を意味する。ハーレイクインを始めとした様々な人物が弱者のアーサーではなく、ジョーカーを望む妄想に感染していた。自分もその一人であり、前作「JOKER」を観た時に既に感染していたのかもしれない。
ミュージカルのシーンはアーサーだけの妄想でなく、ジョーカーを望む自分たち観客の妄想とも思えた。ピエロのメイクをバッチリきめて、派手なスーツをビシッと着こなし、ガベルで人を殴りつける...そんな悪のカリスマがアーサーの中にいると思いたかった。
私たちは自分達が望むように物事を見て、都合の良いように解釈をする。
でもそれも良いと思う。この世界はただの舞台なのだから。
▼お気に入りのシーン
ジョーカーが裁判所で最終弁論をするシーン!
観たら賛否両論のわけがわかりました。
前作に共感したならば観る価値がある
かなりの酷評だがそんな事は無かった。
映画を観入る際、批評家の最もらしいご意見に惑わされてはいけないという典型だろう。
ヒールが法廷という絶対的現実な場で丸裸にされることは、アメコミフィルム史上類をみないだろうが、描き切れなかった着地点をパート2では素直に表現したかっただけなのでは?と個人的には理解できた。監督は否定しているが、表現上理解し易いのであえて“ミュージカル”と記すが、悲劇と喜劇とを接着させる心理描写としてはミュージカル仕立ては有効な手法だったのでは、とも思えた。
私ならば…ラストシーンの殺害者を第二のジョーカー誕生と仕立ててエンディングとするだろう。象徴は神格化され、イデオロギーは受け継がれるのもまたリアリティがあるためだ。それでも、この現実的な着地点には良い意味で驚かされた。エンドロール後の“DC”ロゴがここまで不釣り合いなDC作品も、あの高笑いが聞こえてくる様で良いではないか。
酷評の理由
海外では「マダム・ウェブ」よりも低評価で大酷評されていると聞き、それなりに覚悟を決めて観に行った。
一言で言うなら「メッチャ良くはないけど酷評する程は悪くない」って感じ。個人的感想としてはエメリッヒ版ゴジラに似ていて、僕らファンが望む「ジョーカー」ではないが“そういうもの”として観れば決して悪くないというか、むしろ前作とセットで芸術点はかなり高め。
酷評の理由の大部分を占める「なぜミュージカルにしたのか」も、前作からの繋がりで考えればそんなに不自然ではないと思うし、レディーガガとホアキン・フェニックスの歌がいいので観ていられる。
前作からして“DCユニバースのジョーカー”とは別アースの作品として制作されてたし、DC作品オマージュではあるが、完全に別物と切り離して観れば評価も変わるんじゃないかなとは思う。
賛否の理由が分かった。
賛否両論だというので、期待と不安が入り交じる気持ちで鑑賞。
賛否の理由が分かった。
衝撃のラスト…
そりゃ、そうだわなと(笑)
まあ分からんけどね(笑)
心配されたミュージカル具合は『ラ・ラ・ランド』よりも少し多い?
もう少しミュージカル部分が少ない方がベストでは?
当たり前だけど、ガガはメチャクチャ歌が上手い!!
ホアキンも頑張ってます。
1に出てきた人物も再登場します。
これから、このシリーズを観る方には、1を先に観るのをオススメします。
コッチを先に観ると、豪快に1のネタバレになるし、あまり理解できないのでは?
時間が経つほどネタバレが転がるので、あまり調べずに早めに観て下さい。
映画スコアは、70点ぐらい。
※IMAXで鑑賞
本当のジョーカーは監督
米国のレビューは当てにしなくていいですよ。
画家になりたかったのに、映画監督になった黒澤明。画家になりたかったのに、独裁者になったヒトラー。
コメディアンになりたかったのに、万歳者になったアーサー。
冒頭で物語のメッセージ性と世界観がかなり強調されてます。
各々がもつジョーカー像や、前作のジョーカーがめちゃくちゃ好きな人は好きになれないかも。
レディーガガのハーレイは台詞よりも歌が多い。
好みが分かれるポイントではあるが、物語のキーパーソンになるから必要。
ボクは最高でしたよ!!
新感覚、どんよりするミュージカル
見る価値がある続編。酷評されるほどでは全くない。
DC物である必要は全く無いがアーサー・フレックの物語を追っていた人ならこの映画は見る価値がある。私は最初からアーサーの物語にしか興味がなかったので個人的にはこれで正解。
ミュージカルとしての出来も全然悪くない。音楽好きであればあるほど楽しめる映画です。「ジョーカー」がタップダンスするシーン(ホアキンが実際に踊っているがなかなかキレがあって素晴らしい)やアーサーとリーが踊り出すシーンは動きも派手で最高。それからインタビューで知りましたが実際に撮影しながら歌った生歌を使っているらしいのでミュージカルとしてもかなり真面目にやってます。ホアキン・フェニックスはワザと不器用に歌ってる。でもかつてジョニー・キャッシュを演じた経験があるのでやっぱり歌は上手いです。世界の歌姫レディー・ガガは圧倒的で技術的なことは彼女の歌が全てカバーしてくれます。ヒドュル・グドナドッティルのスコアは今回も美しくてダークです。ニック・ケイヴがカバーしたバート・バカラックの名曲もCMや本編冒頭のアニメで使われていたけどこの辺りも素晴らしいです。
このジョーカーシリーズは良い曲を発掘できる毎回選曲が素晴らしい映画。例えば前作の「JOKER」では哀しい運命を辿ったシンガーソングライターのジャクソン・フランクの隠れた名曲「my name is carnival」が使用されていました。今回も「ジョーカー」が裁判所でブチギレる盛り上がりの場面で「The Joker」という60年代のブロードウェイ物の曲が使われていました。Bobby Rydellという歌手が歌ったバージョンに近いけれど今時知ってる人は少ないと思われるこの曲をよく見つけてきたなと感心しました。歌詞も映画にぴったりで泣けます。ジョーカーとなったアーサーの心境を表す極めて重要な場面に登場してミュージカルに詳しい私としてはめちゃくちゃ嬉しかった。
音楽の要素が無ければダメなぐらいダークなトーンで進んでいく映画なので今回ミュージカルで良かったと思った。これから歌を抜いてしまったら本当に救いが無くなってしまう。
アクションの見せ場というものは特に無いし全体的にドラマ仕立てです。意図的にそうなっているから派手なアクションには期待しないように。
殺人を犯して囚われの身となったアーサーが裁判にかけられて裁かれるというのが大体の話の流れです。そこで次々と明かされるアーサーの哀しいバックグラウンド、そして証言するかつての知り合いや友達。。。自分の犯した罪と向き合うことになったアーサー。アーサーは明らかに知能障害も精神障害もありますが誰もがそこを無視していきます。。。中にはいち早くアーサーの知能障害に気づきそれを利用しようとする人まで。。。果たしてアーサーは自分を本当に気遣ってくれる人々に気づくことができるのでしょうか?
この映画最初から最後までめちゃくちゃ暗いです。「衝撃的なエンディング」よりも最後の裁判でのシーンの方が刺さります。アーサーがマイクを握ってある決心をするシーンに思わず涙する人もいるのではないでしょうか。そのシーンがこの映画が現在受けている評価にも重なっていて切ないです。しかしこのシーンがアーサーが見せる「本当の強さ」であり、「最後の悪意に対する抵抗」です。見逃せないラスト10分。
トッド・フィリップス監督がやりたかったことは前作への回答とかではなく、「アーサー・フレック」を最後まで丁寧に描きたかったんだろう。皮肉なことに「ジョーカー」を求める世の中からは完全に叩かれる結果となってしまった。だけどこれで良いと思う。
私はこの映画を「前作に対する落とし前をつける映画だ」という解釈には同意しません。
弱者は大人しく恵まれない環境や運命を受け入れて道を踏み外すなというメッセージになってしまうから。そういう解釈をする人が大量に現れていることも非常に残念に思います。よく見てください。アーサーは人間扱いを受けたいのです。人間になりたい、人間を知りたい、愛されることを知りたい、これがアーサーの強い願望です。人を笑わせたい、幸せにしたい、コメディアンになりたかっただけなのに気づいたら怪物になってしまっていた。。。そんなアーサー・フレックの身に次から次へと降りかかる悲しみの連鎖に浸ることがこのシリーズの正しい楽しみ方です。ゴッサムシティで虐げられることに耐えきれずに犯罪者となったアーサー・フレックというアイデンティティに苦しむキャラクターを知ろうとせずに犯罪者だから虐められて当然と解釈するだけでは何の学びも無い。それでは新たなジョーカーが現実世界に生まれていくだけです。
アーサーは「誰からも求められていない」のだから。
前作があまりに社会現象となってしまった為にトッド・フィリップス監督も世間の目を気にしなければならないところもあったでしょう。
でも監督が前作と真逆にすれば丸く収まると誤ったメッセージを最後残す為にわざわざこの映画を作ったとは思わない。ジョーカーを英雄視する人向けに作ったとかどれだけ限られた人向けに作ってるんだ?って話ですよ。トッド・フィリップスはもっと優しい監督ですよ?
この映画を見て「自分もジョーカーかもしれないと勘違いしてる奴らに冷や水をw」みたいに言ってる人達は無視しましょう。心を病んだアーサーが様々な形で世間に消費されるとみる方がよっぽど納得できる作りになっています。アーサーは虐める側には決してなれなくても世間に対する怒りは最後まで捨てた訳ではないのです。解釈の仕方は人それぞれだと思うけど見下すような態度で見るか自分より弱き立場の人々に対する優しい眼差しで見るかで全く意味が変わる映画です。
監督はちゃんと映画のラストに毎日希望もなく精神ギリギリの状態を生きる全ての人へのメッセージを用意しています。これは不幸で何者にもなれずに苦しむアーサーというキャラの願いでもあるし真に苦しい思いをしながら日々を繋いでいる、「虐める側には絶対なれなかった」全ての弱き者への監督、そしてホアキンからのメッセージです。決して「道を踏み外したらこうなるからな!」というような上から目線の説教とかではありません。エンドロールの最後まで是非見てください。
前作とまでは行かなくても物語もちゃんとしてて編集も良くできてます。ジャンルが少し変わっただけでクオリティは全然落ちてません。求めていた物と違うから感情的になりすぎて低評価にしてる人が多い気がします。酷評されるほど出来の悪いものでは無いです。見る価値は十分にありますよ。
【追加】
2回目見て気になったラストのシーン。
「衝撃的なラスト」シーンで奥に映る人物に是非注目してみてください!
【追加 10月15日】
沢山のイイネありがとうございます。皆さんとこの映画の良さを分かち合えることを幸運に思います。
悪のカリスマを待っていた自分。
試写会にて
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