ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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ラスト、"後ろの男"を見ろ。
アーサーがジョーカー?こんな気弱な男が?策士でもなければ大してクレイジーでもない。
『こんなジョーカーは認めない』
そんなジョーカーファンは、今作のラストシーンを注意深く見ていれば膝を打ち納得するだろう。手に持った”それ”で彼が何をするのか、気づければ。
フォリ・ア・ドゥ、まさしくこれは共鳴により生まれる真のジョーカーの誕生秘話である。
おそらくこのシリーズは今作で完結だろう。
何故ならば、続編があるとすればそれはもうバットマンであり、完成されたジョーカーが出てくる作品になるであろうから。
最高の評価を受けた前作の世界観や解釈に囚われず、見事にDCバットマン映画のジョーカーに繋げる落とし前をつけたトッドフィリップス監督に最大の賛辞を捧げたい。そしてあえてお膳立て役を引き受けたホアキンフェニックスにも。
「ボーは恐れている」でのだらしない裸体を観た後だと一層凄みを感じ...
「ボーは恐れている」でのだらしない裸体を観た後だと一層凄みを感じる、ホアキン・フェニックスの痩躯!ジョーカーのメイクよりも、素顔の方がずっと不吉かつ憂愁を湛えて美しくさえあり、その存在感は前作から些かも衰えていない。…それが続編である本作の問題でもあって、ミュージカル・法廷劇・新ヒロインと新規要素のことごとくが、ホアキン・フェニックスが一人で佇んでいる場面より、色褪せてしまっている。特にレディ・ガガはシナリオ上でも主人公を惑わせる装置でしかなく、題名に反してホアキン・フェニックスとまったく釣り合っていない印象。ジョーカーが妄想の中でしか人を殺さないのも物足りないが、ただそこにいるだけで(本人はジョーカーを否定してさえも)暴力と死を誘発する現象としての「ジョーカー」の描き方は悪くない。特に結末は、黒沢清「CURE」味があってスゴク良い。そしてこの世界のブルース・ウェインはコスプレ自警団とかやる前にゴミを拾え!
たばこ吸って歌って、たばこ吸って歌う…
IMAX効果で加点ではあるが…
ジョーカーは『こうでなくてはならん!』とは言わないけれど、個人的ジョーカー像とは離れていたし、続編としてエンディングに掛けての受け入れも少し難しい感じかな。
ただホアキンの演技は文句のつけようがなく素晴らしい。そして、ガガ様の歌が上手すぎて、途中途中の没入感が削がれる。
アイコンの完膚なきまでの抹消
前作で悪のアイコンとなったジョーカーを、この続編で完膚なきまでに抹消してみせた。
レディ・ガガのキャラがいなかったら、陰惨でやりきれない138分だっただろう。
それにしても、なんのためにこの映画を作ったのか。もしかして、ジョーカーの模倣者をこれ以上出さないため?
単純につまらない
ジョーカーのカリスマ性?え?どこにそんなのある?
崇めるほどのキャラクターかな?
アーサーはただのメンヘラ犯罪者。生い立ちは気の毒だけれど、だから殺人が許されるの?おかしい。
ある意味ジョーカーにまで昇華されるのを期待していました。
途中で寝るほどつまらなかった。
ゲイリーがかわいそう。唯一まともなのが、ゲイリーと、弁護士の女性。
リーもいらなかったかな。
ダメ芸人の夢と幻想崩壊裁判劇ミュージカル
賛否分かれてたから自分で確かめに来た。
で、私は高評価ですよ。
まあミュージカル部はもう少し短くても良いと思うけど、2人とも歌いい感じだし、歌詞も凄く話にハマってて良いんだ。短く出来なかったんだろうなぁ。
ジョーカーの話じゃなくてアーサーの話です。
だから悪のトリックスターの活躍を期待するとハズレです。これだけ悪さしてると裁判で争点になるのは病気か?正気か?って事で否応なく自分のトラウマと対峙することになります。さらに悪い事に歌のお姉さんと知り合って恋に落ち、どんどんピュアなアーサーになって行き、、、あ、この辺でやめとこ。
私はこの感じ好きよ、一生懸命に生きていた才能のない芸人が社会に虐げられて怪物に変わって行く感じと、大した事ない自分を自分が一番知っているところ。
見るとわかりますがイカれたカッコいいジョーカーを期待する人が最後のハーレイに被ります。
何だろうなぁ、、陰謀論とか政治家に踊らされて議事堂に凸したアメリカの反省なのかな、知らんけど。
確かに“ジョーカー”の続編で凄い作品なのですが…
まずこの作品の為に体重を削ぎ落としたホアキンの役者魂に驚かされる。
たとえミュージカルな作品に生まれ変わろうと、前作を彷彿させる映像と音楽は紛れもなく“ジョーカー”の続編。
拘り抜かれたカメラアングルと光を巧みに使った映像は非常に美しい。
またアーサーやジョーカーの心境を表現する重厚な音楽も、もちろんレディー・ガガ演じるハーレィの歌声も素晴らしいです。
もの凄い映画だというのはよく解るし、実際私も「凄い作品だ…」という気持ちで観ていました。
……が、やはり論点となるのは問題のラストシーン。
確かに驚愕です。
驚きのあまりに当日は頭の整理が追いつかず、皆さんのレビューを見てようやく「なるほど、そういう事か!」と理解できました。
ある意味でヒース・レジャーへの敬意ともとれる結末にした事については、尊敬はします。
しかし公開前の宣伝に胸を躍らせて観に行った私としては、期待通りの作品…とはなりませんでした。
見えていたはずの未来を覆す
将来の「ジョーカー」を判っている事を逆手に取る
観終わって一層先が見通せなくなり、妄想を誘う
そこに作り手の意図がある
事前の評判ほど酷い映画とは思わないが、ガガの表現を受け手がどう感じるか
虚像と実像
エンディング歌「ザッツ・ライフ」は、前作ではフランク・シナトラ版が使用されたが、今作ではレディー・ガガがカバーしている。「うつむいた日も顔を上げ、私はレースに戻っていくんだ」という歌詞は、レディー・ガガ演じるリーが、ジョーカーという虚像に憧れるようなことはやめ、現実に戻れと訴えかけているようにも聞こえる。
リーは、″ジョーカー″に心酔し、自ら精神病棟に入ることで勾留中のアーサーに接触し、嘘を重ねてその心を掴んでいく。ただ、リーが愛したのは凡人であるアーサーではなく、事件を起こしたカリスマの″ジョーカー″だった。一方、アーサーにとってリーは、はじめて自分を好きになってくれた、もう一人ではないと思わせる女性である。リーとの距離が縮まっていくと、アーサーは生きる活力に満ちていき、自信を取り戻していく。その後の二人の駆け引きはミュージカル仕立てのショーとなって、歌を通した妄想劇が繰り広げられる。
アーサーの起こした殺人事件の裁判が始まると、リーは面会に行き、自分が妊娠したことを告げる。翌日の裁判でアーサーは弁護士を解任し、自分自身で弁護することにした。ジョーカーの扮装をして一人で法廷に立つことにしたアーサーは、裁判をショーに仕立てていくが、唯一の友人に恐怖を与えていたり、慕っていた若者が殺されたりするにつれ、心境に変化が起こる。メイクを取って臨むことになった最後弁論では、陪審員に罪を告白し、ジョーカーはおらずアーサー・フレックしか存在しないと証言する。それを聞いたリーはアーサーの元を離れていく。リーはアーサーが自分の望む存在にはなれないと気付いたのである。
サブタイトルの「フォリ・ア・ドゥとは、フランス語で″二人狂い″という意味で、一人の妄想が複数人に感染していく様を指す。実際、ジョーカーに感染したのはリーだけではない。多くの群衆もアーサーを偶像化し、ジョーカーの解放と再来を求めた。しかし、ジョーカーというのはあくまで虚像であった。実像は孤独ではあるが純粋で心優しきアーサーという人間であった。
人間誰しも多面性を持っている。虚像と実像の違いに悩まされるということは、普通に生活していてもよく起こりうることだ。ザッツ・ライフ、つまり、世の中そんなもんだと思うことにしたい。
ちょっと作り込み過ぎかな・・・・
ホアキン・フェニックスが演じるジョーカーの続編が公開されたので見てきました。
まず、正直な事を言えば、とても内容は作り込まれて大変に良かったです。
前作からホアキン・フェニックスのジョーカー役は本当に板についてきたし、それをレディー・ガガ煽るようにいい演技で攻めています。
しかし、本作品って、「バッドマン」に出て来る敵役のジョーカーだよね、「バッドマン」のスピンオフなんだよね・・・
ちょっと作り込まれ過ぎと言うか、ジョーカーに対して、これじゃ、その後ジョーカーが想像できないような・・・
例えば、ヒース・レジャー、ジャック・ニコルソンのどの役のジョーカーと繋げていけばいいのか・・・・
ちょっと作り過ぎてしまって、本質と違っていないかな・・・・
最後なんて、日本のヤクザ映画みたいで・・・・何とも勘違いのような気がするな・・・・
勿論、1本の映画としては、良く出来ているんだけどね、あのバッドマンの敵役になるジョーカーと想定すると・・・
何とも、イメージしていたジョーカーやこれまで見てきたジョーカーとは異なるかな・・・印象が・・・こうなると、これからバットマンと戦うジョーカーのイメージがね・・・・・成立しないと言うか・・・・
最後のシーンは要らない気がするけどね、あの階段のシーンで終わると、何とか、無理やりでも、バッドマンのジョーカーが想像出来るんだけどね・・・
しかし、レディー・ガガはいいね、歌も歌えて、ハーリーン・クインゼルをしっかり演じていたね、もっとはっちゃけても良かったけどね。
しっこいですが、1本の映画としては大変に素晴らしいですが、「ジョーカー」として、バットマンのスピンオフとしてみたら、どうなんだろう・・・・
美しい音楽、そして映像の映画だった
美しい映画だった。映像も音楽も美しい。
賛否両論ある映画という前評判は見ていたので、自分はどちらなのだろうと思いながら見ていたのだけれど、案外引き込まれていると感じていた。
ミュージカル映画として批判している向きもあったけれど、その音楽、特にガガの歌が美しかった。また、その音楽をバックではなく、前面に出した映像は美しかった。炎、闇、光、そういったものの組み合わせ、描き方が美しかった。また、歌に重なり合う重厚な不協和音とのアンバランスさも良かった。
物語とすると、やはり現実の世界で起こってきたJOKER模倣犯の存在が横たわっていたように、そして、それに対するリアクションという側面はあったように思う。
彼は悪魔そのものではなく、悪魔に囁かれた人間なのだと。
There is no JOKER
そして、人間を堕落させた後、悪魔はその人を離れ、そこにはただその人間だけがいる。
I can’t live without you...
なんて笑えないジョークしか残っていない。
そういった道徳とは言わないまでも、教条的なところはあったように思った。
そういったものを見たいわけではない、そう思った人には不評だったのかもしれない。
ただ、この映画の音楽と映像の美しさは破壊と混乱とカオスの耽美的な美しさを讃えていた。
そこは十分すぎるほど評価できるものだったと思うのだけれど。
「歌わないで」というセリフに共感してしまった笑
前評判の賛否が分かれる、という理由が明確でした。私は否側でした。
劇中アーサーが歌わないで!と言ってましたがまさにその通り。
正直歌ってないでもっと暴れろ!と劇中ずっと思ってました。
前作の狂気に満ちたジョーカー誕生!からの続きなので、どれだけ暴れてくれるのか、そりゃ期待しちゃいますよね。で、これだからかなり期待外れ。
全然駄作というわけでもないんです、ただもっと違う結末が見たかったなというのが感想です。
少し退屈な映画でした。
ハーレイ・クインと同じく、"狂気"をアーサーに求めながら観ている事に気付く。
あの衝撃から気が付けば5年が経ち、その続編である本作は酷評の嵐。だがこの映画、決してつまらない訳ではない。前作からちゃんと引き継がれた、圧倒的な『作品』。
レディー・ガガの歌を含めて、演出、演技は最高。この映画はやはり『娯楽』として観てはいけない。
アーサーからジョーカーに変わっていく前作、
ジョーカーからアーサーに戻されていく今作。
自らメイクをしてジョーカーになっていった前作に対し、リー(ハーレイ・クイン)にピエロのメイク(好意)を施されてジョーカーになり、刑務所ではピエロのメイク(虚構)を落とされる。
鑑賞者はジョーカーに魅せられ心酔したまま5年(作中では2年という設定)。リーや民衆と同じくジョーカーを求め、アーサーの行く末とこれから起こるであろう狂気を期待しつつ、刑務所と裁判、そしてアーサーの妄想を通して"現実"を嫌という程に意識させられる。
リーのジョーカーへの恋と憧れは、正に鑑賞者と同じ視点。だがこの世界線のジョーカーは、バットマンとは戦わないアーサー。
ガリガリでジョークも面白くなく、カリスマ性など本来皆無の精神を病んだオッサンである。
裁判でのアーサーの変化、ジョーカーとしての自覚。垣間見える狂気にワクワクしている自分は、『正常なのか?』と自問自答してしまう。
期待MAXで観ると、淡々とゆっくり進む展開に苛立ちと退屈さが押し寄せてくる。音楽が"人生"と"心の安定"に重要というのはわかるが、少し過剰な押し付けにも感じてしまう。ここに何処まで耐えて、アーサーを理解出来るか。
冒頭のアニメシーン、わざと鑑賞者の記憶に残る様に実写にしなかったんだと思う。
フィリップス監督がこれで『作品』として完結させ、この世界線でさらにもう一つの『娯楽版JOKER』を隠し玉でサプライズ発表してくれたら、心の底から最大級の拍手と称賛を贈りたい。
現実と妄想の垣根を越える映像のシュールな夢幻性が特徴となる本作には、思考をまひさせる不条理な展開が多々つづき、とてもアーサーに感情移入する暇を与えてくれません。但し…
2019年の第76回ベネチア国際映画祭で金獅子賞、第92回アカデミー賞で主演男優賞を受賞するなど高い評価を得たサスペンスエンターテインメント映画『ジョーカー』の続編。 前作に続いてトッド・フィリップスが監督し、ホアキン・フェニックスがジョーカーを演じるほか、ジョーカーが出会う謎の女リー役でレディー・ガガが出演します。ガガが参戦し、ミュージカルシーンもあると聞けば、期待のハードルが天高く上がってしまうのも無理はないでしょう。
●ストーリー
理不尽な世の中で社会への反逆者、理不尽な世の中の民衆の代弁者として祭り上げられたアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、ピエロ姿のジョーカーとなって殺人を犯し、逮捕されました。
そして本作は、その2年後。精神鑑定のためアーカム州立病院で、5人を殺害した罪で裁判が行われるかどうか結論を待っている状況にいました。病院の外ではジョーカーを巡る不穏な騒動が続いていましたが、アーサーは従順でおとなしく、非人道的な扱いにも抵抗しません。
そんな日々の中、看取の勧めでアーサーは病院内の合唱サークルに出向いたところ、そこには放火で捕らえられた囚人リー・クインゼル(レディー・ガガ)も参加していたのです。彼女はジョーカーに心酔していて、一瞬でふたりは意気投合します。そんなリーと恋に落ちたアーサーは、求められるままに法廷でもショーカーとして振る舞うようになるのでした。
注目の集まった裁判でも、リーの熱いまなさしに支えられ、彼はジョーカーとして法廷を攬乱します。しかしジョーカーが世間に及ぼす影響と、本来のアーサーの狭間で人格は次第に引き裂かれていきます。一方ジョーカーの信奉者たちは彼を解放するための運動を始めます。
ジョーカーの狂気はリーへ、そして群衆へと伝播し、拡散していきます。やがてジョーカーの信奉者の狂気は膨張してゆき、彼を奪還しようとする大事件が起こるのです。
●解説
原作コミックや過去の映画で描かれてきたジョーカーは、裏社会の犯罪王にしてバットマンの宿敵です。“負け組”のコメディアン志望のアーサーは、悪のヒーロー“ジョーカー”として祭り上げられました。格差社会に蓄積した鬱屈が暴力として噴出するまでの物語が現実と重なり、アメコミ原作ものとは思えぬ衝撃作だったのです。
前作が“序章”なら、その続編だから今回のジョーカーはとことん大暴れし、悪の限りを尽くすのでは?そんな、さらなる暴力と混沌を予想された人も多かったのではないでしょうか。でもトッド・フィリップス監督は全く別方向にかじを切ったのです。
本作はそんな予想を根こそぎ覆し、ジョーカーとして覚醒したはずのアーサーの精神的混乱をさらに掘り下げました。
映画は意外な方向へと進んでゆきます。一つはミュージカル。集会室で自分のニュースを見ていたアーサーは妄想の中で歌い出すのです。リーが現れてからはデュエットとなり、2人は生き生きと愛を歌い上げ、舞い、アーサーとリーの結びつきの強さを示します。
とはいえ多幸感とはまったく無縁です。死刑を恐れるアーサーの恐怖と焦燥は募り、リーとの関係に逃避して妄想と現実の境目がぼやけてゆきます。寒色系の色調と病的に痩せたフェニックスの鬼気迫る姿で、前作同様、画面は沈鬱で重苦しいままなのです。
そしてミュージカルのシーンはアーサーの、そして彼の狂気に感応したリーの妄想内の出来事にすぎません。彼らの歌や交わされるかすれ声の会話は、狂気を分かつ二人の間にしか共有されないものだったのです。そしてジョーカーを熱烈に信奉するリーに対し、ロマンチックなアーサーという微妙な差異のように、曲の導入部や曲の終わりのアレンジは、不協和音によって言い難い不穏さを醸し出していたのでした。
タイトルにつけられた「フォリ・ア・ドゥ」は、妄想や幻覚を共有する精神障害の一つだそうです。フランス語で「二人狂い」という意味で、一人の妄想がもう一人に感染し、複数人で同じ妄想を共有する精神障害のことではありますが、それを現実世界とわざと区別せずシームレスに一体化してしまう演出は、本作を難解なものにしています。
なので、本作はおそらく非常に観客を選び、賛否両論が激しいものとなることでしょう。
●感想
現実と妄想の垣根を越える映像のシュールな夢幻性が特徴となる本作には、思考をまひさせる不条理な展開が多々つづき、とてもアーサーに感情移入する暇を与えてくれません。但しそれでも視覚的な愉楽と、ガガの佗しい存在感とフェニックスの魂を賭した演技、そして観客の感情をうねりに巻き込んでいく音楽が、ラストの一点めがけて集約されていくところは圧巻です。極めつけは、それまでのモヤモヤさせる消化不良な妄想シーンを吹き飛ばす驚愕の出来事が続けて用意されていました。ジョーカーシリーズを締めくくるのに相応しいラストシーンには、ビックリ仰天するしか内でしょう。刑務所と法廷を舞台にした室内劇でありながらも圧巻です。
そして2作目の中心を成すのはジョーカーの周囲の群衆でしょう。高揚感と息詰まる歌唱シーンの連打に苦しさを感じましたが、アーサーの存在が次第に希薄になっていく展開こそが、続編の核心ではでしょうか。)
ところでホアキン・フェニックスのジョーカーは、これまでこの役を演じてきた誰よりも、痛々しさを感じさせてくれました。フェニックスは役作りで前作以上に減量したとみえ、骨の浮き出た身体には恐ろしさすら感じたのです。
●最後にひと言
本作の冒頭には、まるでディズニー映画かと思うアニメ版のジョーカーがおまけ映像としてつけられています。ジョーカーの影と本人が「ジョーカー」の座を競い合うもので、至って軽いギャグの応酬の中に、哲学的な深いものを感じました。
全然悪くない!!個人的には好きだった
ジョーカーフォリアドゥはなかなかの酷評だと言われていますが、恐らくアメコミのなかのジョーカーやヒース・レジャーのジョーカーを求めていたからだと思います。このジョーカーの世界線にはハービー・デントはいてもバットマンはいませんでした。(一作目のジョーカーでブルースはまだ幼かったため次回作があれば登場するかもしれませんが…)このことからもアメコミやこれまでのバットマンシリーズのジョーカーと比較したり、ジョーカーとはこういうものだっ!という先入観を持って観るのは少し違うような気がします。作中でもアーサーは悪のカリスマという感じではなかったですしね。そういう意味ではトッドフィリップス監督のジョーカーは今までのジョーカーを知らないほうが楽しめるかもしれません。総括として、ジョーカーフォリアドゥはストーリーとして
はドロドロのミュージカルですが前作さえ観ていれば一定以上は楽しめる作品だと思いますし、ガガ様の歌唱シーンはとても見応え聞き応えがありますし、ホアキン・フェニックスの演技の素晴らしさからちょっとした仕草でジョーカーとアーサーの中で複雑に絡まる感情を感じることができます。
酷評されているから観に行こうか迷っているというのであれば絶対に観ることをお勧めします。観たあとの世界の見え方が変わります。
最高によかった!!!
評価が真っ二つに割れているのは知っていた・・・
料理に喩えると、味が分からないって事と似ているように思う。鋭い刄で部位を計算して削られた繊細な出汁の味がわからない人がいるのと同じだが、悪い事でもなんでもない。
しかし、あまり声高に云われると影響されそうになる。
だから今回は、期待していなかったが、少なくとも3回は観ようと思った!!!
低い評価はその人の勝手だが、その内容には腹が立つのがある。
なんでもそうだが、貶すようなのはよくないと思う。
カートゥーンがメタファーだったのかも
執拗にピエロメイクを求めてくるリー。メイクをした途端に熱狂し、ジョーカーは居ない、で手のひらを返すフォロワーの皆さん。
たぶん世の中のファンはジョーカーとアーサーがジキルとハイド的二重人格かどうかなんてどうでも良くて、いつ何時も数分も違いなくジョーカーであって欲しいわけで。
これってアイドルの推しメンに勝手に自分の理想を押し付けてそこから外れた行動をすると嫌い通り越して憎いになるのと良く似てて、「昨日のTOは今日のアンチ」を地で行く展開にオタクとしてはわかりみが深い部分があったりなかったり。
副題のフォリアドゥって妄想障害って意味だから、下手するとリーも居ないかも知んねえぞ?裁判中のパフォーマンスもラストシーンも実は無いのかも知んねえぞ?って思うと単なる出来損ないのミュージカルを見せられた感じがして腹すら立ってきた。
あ、ちょっと待って!もしかして世の中に対して自分ではできないことをジョーカーにやってもらった気になって溜飲を下げてた人々も妄想障害ってこと?!
とはいえアカペラからの劇伴の音程が合いはじめて段々伴奏が付いていく感じはとても好みの演出だったし、傘のコントラストとか面会場所のガラス越しのスマイルとか素敵なシーンもたくさんあるし(良いシーンは全部予告編でしたねあるある)、歌われてる曲も懐かしの名曲ばかりで、美メロ懐メロ好きにはちょうどいいのかもしれない。
あと、ホアキンの役者魂すごすぎる。信じられるか?これボーとナポレオンと同じ役者さんなんだぜ?体格も生え際も違い過ぎて凄すぎる…でもどれも強迫性障害の役なんですけど。
最後に、映画について何の情報も入れずに見に行くことを常に自分に課してるんだけど、それがこんなに裏目に出てメンタル的に危険だなんて久しぶり過ぎて一緒に行った相方と帰り道に喧嘩になってしまったじゃない…。映画がつまらな過ぎて喧嘩になることってあんまりない(いやわりとある)からマジで責任とって欲しいかも。そもそも何でこの映画の企画が通ったの?ハリウッド不思議すぎるし、こんなことしてるとNETFILEXにマジで潰されちゃうぞ?
とか何とか言いながら映画は映画館のでかいスクリーンで見ないと映画じゃ無いので、気持ち切り替えてこれからもハバナイスムービー!
悲劇なのか喜劇なのか
「ジョーカー」に魅せられた民衆
影響力に恐れる国家
恋い焦がれてどんな手を使っても近づきたかった女
誰も「アーサー」に興味がない。
そこがとてつもなく悲しくて、でもどこかで自分の知っている「悪の権化ジョーカーとして覚醒しろアーサー!」と期待してしまう自分にもまたアーサーに興味がないのかと落胆してしまう。
あぁなんて悲しい男なのだろう、自分は此処に居ると叫べば叫ぶほど「ジョーカー」として神輿に乗せられてしまう。
誰もアーサーには寄り添ってくれないのだ。
ミュージカルパートは昔観た「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を思い出しました。
現実に救いのない主人公が妄想の中でこうありたい、楽しい現実逃避の美しい歌
歌が美しければ美しいほどに現実の残酷さが際立つ。
ジョーカーという喜劇なのか
アーサーという悲劇なのか
私にとって「ジョーカー」とは名前のない怪物なのだと感じる映画でした。
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