ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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バンドワゴン
良くも悪くも熱狂的に支持されすぎた前作。日本でもタバコふかし電車男みたいなもんが現れたりしましたので、その流れで続編なんか作るわけがありません。ハロウィンでキッズが真似しちゃ大変ですから。ジョーカーというキャラクターより、アーサー・フレックという男の物語です。しかも、鍵盤を叩きながら歌うレディー・ガガのショーまで見れる。いい音響の映画館で見ましょう。
エンドロール2曲目、ホアキン自身が歌う「True Love Will Find You in the End」が流れてきた時、涙腺が緩みました。オリジナルは、統合失調症と双極性障害で長く苦しんだシンガーソングライター、ダニエル・ジョンストンの名曲。ホアキンの声にも合っているし、この映画の最後を締めくくるにも持ってこいの美しい曲です。
ブルース・ブラザーズぐらいの気分で見れるかなと思いましたが、悲痛な顔で笑い声を上げるバカ笑いは、何度見ても悲しくなります。
前作からの落差にスカされたと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、フリが効いてていい続編であり完結だと感じました。
ミュージカル映画の駄作
24-108
この人生ではじめて自分を必要としてくれる人に出会った。
◇悪の拡散から悪の凝縮、内向化
前回のインパクトが圧倒的だったホアキン=ジョーカーの二作目。<<一作目の流れ>>都市生活者の孤独→無軌道で出鱈目な暴力被害→報復のつもりが過剰防衛殺人→公開殺人→悪そのものの拡散→市民の暴徒化
二作目ということで、一層エスカレートした悪、大衆化して拡散していく悪が描かれることをどこか期待していたかもしれません。勧善懲悪、正義のヒーローものを見ている時に、悪役を応援したくなる気分が立ち上ってくるような捻くれた感覚です。
そんな期待に反して、この作品のストーリーはより個人的で内向的な方角へと舵を切りました。ジョーカー→アーサー(ホアキン)の煙草🚬🚬の本数に比例して、個人的な内面へと潜行していく奥深さ底なしの暗さが増していくようです。舞台の多くは密閉された監獄であることにも息苦しさを感じます。
どこまでも暗く閉塞感に陥りがちな場面を盛り上げるのがミュージカル仕立てのステージです。もはや現実と妄想の区別も曖昧なまま唐突に挿入されています。
♪♪往年のハリウッド的ビッグバンドジャズの選曲。あまり馴染みがない分、新鮮かもしれません。
♪Slap That Bass / Get Happy / What the World Needs Now Is Love
♪For Once in My Life
♪ If My Friends Could See Me Now
♪ Folie à Deux
♪ Bewitched
♪ That's Entertainment
♪ When You're Smiling (The Whole World Smiles with You)
♪ To Love Somebody
♪ (They Long to Be) Close to You
♪ The Joker
♪ Gonna Build a Mountain
♪ I've Got the World on a String
♪ If You Go Away
♪ That's Life
♪ True Love Will Find You in the End
内面を語るには最適の名優揃いのキャスティングゆえに、演技の化学反応(CHEMISTRY)のような絡みがあっても良かったのに、それぞれが孤独の中に沈んでいくようでした。歌って踊る刹那的なステージの盛り上がり、それさえも主人公アーサーの妄想として解釈できそうで、まるで、現代の仮想空間(スマホとか)の中で各々個人的な喜びに深く埋没していく群像の象徴のようにも感じられて、恐ろしい気分。"アンチヒーロー"というヒーローの存在も否定されるような個人的趣向の寄せ集め世界。
前作とは異なる趣き 引き込まれる2人の表現者
前作は本当に圧倒された。筋書・演出、そしてホアキン・フェニックスの演技。
今作も自ずと期待が膨らんでの観賞。
【物語】
5人の殺人容疑で逮捕されたアーサーは裁判を控え拘留されていた。 世間は彼を理不尽な世の中・社会への反逆者、民衆の代弁者ジョーカーとして祭り上げていたが、アーサーの心の内は孤独だった。そんなある日彼の前にリーという謎めいた女性が現れる。アーサーは彼の心の内に寄り添うリーに惹かれ、生きる希望を見出す。
やがて裁判が始まる。弁護士は彼に責任能力が無いことを主張して無罪を勝ち取ろうとするが、そのために境遇の悪さ、低能ぶりを強調する弁論にアーサーは耐えられなくなり、裁判中に弁護士を解任し、自分の弁護は自分で行うと裁判長に申し立てる。次の回の公判からアーサーはジョーカーの出で立ちで裁判に立つ。
【感想】
賛否両論と言われているが、観賞して「なるほどそうか」と思った。
前作は世界的大ヒットとなり、ヴェネチア映画祭、アカデミー賞を初めとして多くの賞を受賞。俺自身も心揺さぶられる作品にレビューでは最大の賛辞を書いた。
つまり、多くの人が前作に感動し、今作に大いに期待していたわけだ。俺もその一人。
でも、期待が大きいがために失望する大ヒット作続編あるあるとは少し違う。作風が前作とかなり違うのだ。監督・主演が同じであるから作品の空気は引き継がれているが、アーサーの妄想がミュージカル調で描かれる。(後述するが)そのシーンはそのシーンで素晴らしい。これが初作であればもっと受け容れられたのではないか。しかし、前作が気に入った人が見に来るわけだから、観客の大多数は前作の作風のまま続編を観たかったはず。戸惑うのも無理は無い。 そういう俺も、「前作の方が良かったな」と思った一人。
一方、作り手は二番煎じの続編を作りたくなかったのかも知れない。冷静に考えても5人も殺して捕まったジョーカーが出所して、再び世間で暴れ回るというのは現実的ではない。そう考えたとき、妄想という形で描くことでジョーカーの心だけを、檻の中から外に出し、“夢”かのようにミュージカル風に仕立てるというのは起死回生のアイデアと言えるのかも知れない。振り返ると、前作ではアーサーの母親は妄想障害を抱えており、同じく精神障害を抱えるアーサーが妄想癖が有ったとしても何の不自然さも無い。
ミュージカル仕立てを取り入れた経緯はともかく、前述通り、これはこれで良かった。何が良かったかと言えばレディー・ガガだ。予告編には歌唱シーンが無かったので、今作では演技だけなのかと思っていたが、ガガの歌唱シーンはふんだんにある。また、単に歌が上手いというだけでなく、“表現者”としての才能に感服した。ホアキン・フェニックスも歌が上手いとは思わないが、その表現力は素晴らしく、2人の歌とダンスには胸に響くものが有った。
ホアキン・フェニックスについては、今回もまた普通の芝居も素晴らしく、凄い役者だと改めて思う。
前作ファンが観る場合は、“前作とはちょっと違う”を意識して観ればこれはこれで楽しめると思う。
なんとも悲しいアーサーのお話
ジョーカーの続編であるものの、主役はアーサー
続編ということで
その後のジョーカーがどんな殺戮を繰り返すのか少し怖かったのと、ハーレイ・クインはマーゴット・ロビーのイメージが強すぎて、何故レディ・ガガなのだと少々観る気が失せていた
けれどもこれは あのヒース・レジャーのジョーカーだったり、マーゴット・ロビーのハーレイ・クインだったりとは別物であったことには、鑑賞してすぐに気づく
ジョーカーの続編ではあるもののこれはその後のアーサーだ
ホアキン・フェニックスの衝撃の役作り再び
前作より体重落としてるのではないか
アーサーは本来、虐待されて育った過去がありながらも、ひたむきで心優しく、どれだけ虐げられても、ジョークで人を楽しませることを惜しまない
そんなアーサーだ
今回もそんなアーサーだが、リー(ハーレイ・クイン)に出会い、ジョーカーを崇めるリーの影響から、再びジョーカーな面が現れ出す
そこから、アーサーを虐げたり馬鹿にしたり、アーサーの話しを聞こうとしない
者たちへの空想が狂っている
そしてリーもなかなか狂っていてアーサーを助長させジョーカーへと導く
ジョーカーとして自らを弁護するが、証人として呼ばれたゲイリーの悲しくも辛い思いが心に突き刺さる
いつジョーカーとして、殺戮が始まるのかヒヤヒヤしたが、やはりアーサーはアーサーだった
ジョーカーになり切れなかったアーサーの最後が衝撃
あのサイコ野郎は何かしでかすと思っていたが、衝撃のラストだった
今作のラストもなんとも悲し嘆く最後だった
バットマンのいない世界線で・・・・
気弱で恵まれない社会のLoser『アーサー』であった
2019年アカデミー賞を独占した歴史に残る名作『Joker』。
その続編が『レディーガガ』を巻き込んでどんな凶悪カップルの誕生か?の期待とワクワクが公開まで止まらなかった作品。
結論言えば非常に残念。
でもこの残念さこそがこの作品の意味を成していると考えると非常に深い。あのジョーカーの鮮烈デビューは映画内の大衆のみならず映画を観る我々観衆にも衝撃を与え、凶悪への憧れや期待さえも抱かせ、宗教的に取りつかれた。
でもその終焉はレディガガのみではなく大衆も我々観衆も失望させた。
彼は腐った世の中を破滅、恐怖に陥れる凶悪な大衆・観衆をも魅了した『ジョーカー』ではなく、気弱で恵まれない社会のLoser『アーサー』であったということ。あとミュージカルは無駄(邪魔)と思ったのは自分だけではない気がする。
思ったより
期待は裏切らない
“It's a show time!” by T.P.
映画史に残るmaster piece “Joker” 第一作を盤石のbaseにして、Todd Phillips が仕掛けたentertainment show。歌姫Lady Gagaを迎えての今作、musical show としては、極めて中途半端、監督も想定内だろう。
だが、やはり圧巻のホアキン・フェニックスの演技、やや暑苦しいLeeの存在感ではあるが、流石の歌唱力で観る者を黙らせるレディ・ガガ。秀作である事に異論は無い。
導入パートのcartoon animeで、Jokerが自身のshadowに呑み込まれてしまう展開は、今作の全ての伏線となっている。
アーサーの骨の浮き出た悲しい背中を見つめ、“Comon Comon”で、でっぷりと中年太りのおじさんだったホアキンは、一体どれだけストイックに減量したんだろう、と目を見張る。
話題になっている、切り取られたアーサーの大笑いのシーン。私は、“この胸にヒリヒリと痛む哀しい笑いを、まとめて大売り出ししないで!” と心で叫んでいた。
裁判で証言台に座るゲイリーが、見て辛い。それまで、アーサーを被害者目線で見ていた我々も、まさにアーサーも、彼もまた、非力な弱者を力で威嚇する加害者であったことにハッとする。
第一作Jokerを10回観て尚、ホアキンの一挙手一投足、貧乏ゆすりにさえ、その度色褪せしない深い感動を覚える私だが、さて、今作では如何なものか?
胸のつっかえが晴れやかに解き放たれたような前作とは異なり、今回は胸にモヤモヤが残るending。
LeeとJokerの幻想的シーンは、確かに美しい。
監督トッド・フィリップスは、今回は、不条理社会へのアンチテーゼなどではなく、観て聴いて、心昂り、心乱され、心奪われるentertainment作品を意図したのだろう。
誰かの期待通りじゃ無くても、とても良い映画です。
細かい箇所は、もう既に他レビューにたくさんあるので割愛させてもらいます。
ジョーカーが悪の権化として数々の悪業を行うさまは、
それぞれがカタルシスを感じるには充分過ぎる対象なのでしょう。
しかしこの映画は、歌の歌詞や監督、俳優の意図として、
そのようなものは存在しない。
愛や平和こそが大切な全てなんだ。
と分かり難いながらも、伝えて来る。
劇場での他映画の予告編を観れば、どの映画も戦いや戦争、
悪の存在や、果ては学校での殺し合いなど、
こんな映画の数々を観て快感を得て、
果たしてこの世界は良くなるんだろうか?
といつも疑問に思ってしまう。
実際にJOKER1を観て、世界で、この日本でも、
様々な模倣した事件が起こった。
もしあなたがその事件の被害者家族、遺族だったとしても、
同じようにこのJOKER2に悪業の限りを求めるだろうか。
その「快感」を、期待するだろうか?
映画と現実は違う。
だけど私は、だからこそ映画には、
今の現実にはまだ無いような素晴らしい世界や、
暖かい世界が描かれていて、
それに憧れて、いつしか本当に自分のまわりが、
映画みたいに素晴らしい世界になったら良いな、
と思っています。
Joker Folie à Deux、で明かされるのは、
JOKERは存在しない、もうこの世界には必要無い。
というメッセージかも知れない。
だけど、アーサーは今も存在していて、
同じような気持ち、境遇の人もたくさんいる。
だからと言って、
誰かを傷付けて良い訳では無い。
誹謗中傷して快楽を得て良い訳では無い。
この映画は、観る人を、私たちを試しているような、
私たちが観られているような、
そんな不思議な感覚がありました。
最後になりますが、
アメリカでたくさんの否があろうとも、
私には関係ありません。
ホアキンフェニックスの演技も、
レディガガの歌も、
映像も、音楽も、本当に素晴らしい。
また来週もIMAXでもう一度観に行きます。
【追記】
早速、グランドシネマサンシャイン池袋にて、
IMAX レーザーGTの超大画面にて2回目を観覧しました。
まず大画面になった事で、表情が巨大なビルくらい迫って来るので圧が凄かったですが、それに耐え得る主演2人の表情に見応えを感じました。
また1回目はJOKERを期待して観に行ったのですが、
2回目はどちらかというと「アーサー」を観に行った感覚に近く、その感覚で観た時の、後半の知人のくだりなどはより名シーンに感じました。
シーンの動きこそ少ない本作ですが、やはりその狭いシチュエーションの中での細かな演技が随所に光っており、その表情の細かさは大画面で観るに限る!といった所でした。
そして結局2回観ても、
私は本作が好きな事に、なんら変わりはありませんでした。
前評判など気にせず、是非劇場で観る事をオススメします。
美しく儚い名作
ラスト、"後ろの男"を見ろ。
アーサーがジョーカー?こんな気弱な男が?策士でもなければ大してクレイジーでもない。
『こんなジョーカーは認めない』
そんなジョーカーファンは、今作のラストシーンを注意深く見ていれば膝を打ち納得するだろう。手に持った”それ”で彼が何をするのか、気づければ。
フォリ・ア・ドゥ、まさしくこれは共鳴により生まれる真のジョーカーの誕生秘話である。
おそらくこのシリーズは今作で完結だろう。
何故ならば、続編があるとすればそれはもうバットマンであり、完成されたジョーカーが出てくる作品になるであろうから。
最高の評価を受けた前作の世界観や解釈に囚われず、見事にDCバットマン映画のジョーカーに繋げる落とし前をつけたトッドフィリップス監督に最大の賛辞を捧げたい。そしてあえてお膳立て役を引き受けたホアキンフェニックスにも。
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