ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
全749件中、661~680件目を表示
人生で一番期待外れだった。
「ジョーカー」を観に行ったのにずーっとミュージカル映画を観せられて、めちゃくちゃラーメン食いたくてラーメン屋入ったのにカレーラーメンしか置いてなかったというくらいコレジャナイ感しかない映画だった。
ジョーカーが全然ジョーカーしてなくて
ジョーカーよりも看守の方が人殺してたのも「は?」って感じ。
前作がジョーカーが誕生して終わったので
さらに悪のカリスマになっていく様を期待していたら
全然観たいものではなかった。
とにかく歌ばっかで
歌声はめちゃくちゃ良かったけど
別に歌を聴きにきてるわけじゃない
「ジョーカー2」という企画が立ち上がって何かしら作らなきゃいけなくなっちゃったけど
社会的影響を考慮して監督が日和ったという印象しかない。
「カメラを止めるな」みたいに最初我慢してれば
後半メチャクチャどんでん返しで良くなると思ったら終わった。
「ジョーカー2」という気持ちで見るのではなく
全く別物として観るならまだ良かったかもしれない。
スターウォーズ8を思い出した。
ジョーカーよりアーサーの生い立ちや心情が中心か
結構面白かったよ!
前作と比較してはいけない
続編となる今作「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」は、予想以上にリー(ハーレイクイン)パートが長い。『ミュージカルでありラブストーリー』という事前評の通り、めちゃくちゃガガの歌唱シーンが多いのです。勿論素晴らしいパフォーマンスですし、アーサー(ジョーカー)の独特のパフォーマンススタイルは健在で、見応えがありました。ですが、ミュージカルパートの多くは“アーサーの脳内妄想”であり、何度も同じように繰り返すため、少し飽きてくる。一つ一つは素晴らしいのですよ。でも長いんだよなぁ…。前作はアーサーの妄想と現実の境界線が曖昧で、観ている側も翻弄されるのもまた見事な特徴の一つでしたが、今作は【ミュージカル=現実ではない】という線引きがハッキリしているのもまた、ミュージカルパートを食傷気味に感じてしまった要因かもしれません。
法廷でのやり取りは、狂気と冷静さとが混在するアーサーの振る舞いによる緊迫感が終始続き、また、ジョーカーに感化されていく人々の姿も印象的。一方で、ジョーカーではなくアーサーを知る人々が証言台に立つ様は、その証言に対するアーサーの反応も相まって、苦しくて観ていられなかった。
また、通してビジュアル面が素晴らしく、ワンカットワンカットが物凄く画力があるし、ライティングやカラーリング、衣装、美術、俳優陣が体現するキャラクター像どれもが最高でした。
不満がないわけではないし、現時点だと続編を作った意味を正直あまり感じられていませんが、個人的にあらゆる面で完璧な作品だと思っている前作とは切り離して考えないとですかね。ただ、アーサーに対してはやはり同情の気持ちが強く、悪のカリスマとして大衆に受け入れられるある種の幸せの形を得られた前作のラストをハッピーエンドとも感じていたので、今作によってそれが打ち砕かれてしまったことは物凄く辛く哀しいのです。
まだまだ理解を深めていきたい要素がたくさんあるので、今後また感じ方が変わっていくかもしれませんが、今の率直な感想でした。
圧巻だった…良かった!84点
率直な感想は前回の作品よりも悲しいなぁ…レディ・ガガが喋る度にミュージカルが始まって、ん〜なんだかなぁと思ったけど圧巻されました…!いや凄かった…!ホアキン・フェニックスも歌上手いんだ!って思っちゃいました!
とにかく音楽に力入れました!みたいな情報あったんですがほんとその通り。まるでミュージカル見てる感じ!(生のミュージカル見たことないですw)
そうそう、この表現の仕方すげぇ!と思ったのが、面会するときにレディ・ガガさんがガラスに口紅を書くシーンがあるんですが、ホアキンさんがすっとガラスに書いてある口紅に合わせるところが鳥肌立ちました…!表現の仕方かっこいいだろ…!
あとホアキン・フェニックスまじで体ガリガリに痩せててほんと凄い…(あれはリアル痩せしてると思う)
ジョーカーは居なかった。
終始ピエロに茶化されているような感覚だった。
頼むからもう歌わないでくれ、なんでこうなった。
前作とは別物。
もともとジョーカーは居なかったのかもしれない。
それが狙いならすごい映画だ。
みんなが見たかったのはジョーカーで、これはアーサーの物語。
好きな映画ながら、評価(表現)しづらい作品
私の文才では、ちょっと評価(表現)しづらい作品です。文章を整理して評を書きたいが無理かな。とっちらかった評となるので、興味もって先を読んでくれる人は勘弁ください。
前日観たCIVIL WALに続き、本作も音と映像が私は好き。
少し凝った感じの人物の画への納め方、陰影、表情、音楽の入れ方、シーンの展開、どれも絶妙で良かった。レディガガも画面のなかで陰鬱な輝きを放っていて素晴らしかった。
さて、映画の方向性としては「La・La・Land」に近いかなぁ・・・。
男と女という生き物の生々しさというか、出会った2人が理屈ではなく互いの人生を重ね合わせる妙というのか。でも結局別の道を進むことになるあたりも似てる感じもしなくはない。
映像と音楽のマリアージュはLa・La・Landと同レベル、いや超えていると思えるほどのシーンもあり完成度が高かった。しかし、オリジナルの楽曲の強さでLa・La・Landを超えることはできない。まぁ比べるべきではないのですが・・・
もしくは、レディガガという配役が、Adoが声優を勤めた劇場アニメの「ONE PIECE FILM RED」に近くも思えたりもする。
人々の評価が割れているというのも、恐らく「ONE PIECE FILM RED」のようなところでしょうか。脈々と続く冒険活劇のONE PIECEの流れを期待した人からすると「FILM RED」は異質と感じた人が多く。単発物として捉えた人は、Adoの素晴らしい楽曲をとりこんだ、素晴らしい作品と感じた人が多いのえはないでしょうか。
そんな感じ。どんな感じ?
映像 ★★★★+0.5 アート的で好きな画づくり!
音 ★★★★+0.5 こちらもいい、とても良い!
物語 ★★★
役者 ★★★★ 良いね
編集 ★★★★★ 良いと思う
粗さ ★★★★ バットマンの世界観のなかなので、何でもありかな
総合 4.0
画と音、役者どれも素晴らしかった。本当に良かった。
でも総合評価は★4という矛盾。
なんだろう、そもそもJOKERという作品はBATMANの一部だとすると、もっと非現実的というかマンガ的であってほしい。いや、BATMANの世界ではなく完全に切り離されたJOKERであれば、前作とセットで考えると「La・La・Land」のような陽の楽しくなる空気感は何かモヤッとする。
私的に、かなり好みな映画なのに・・・総合★4と評価するとは・・・駄目だ矛盾してしまう。
虚構を剥がしたジョーカー
「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」
前評判があまり良くなくて、どうなんだろうと思ったけど、これはこれで面白かった。
こちらのジョーカーの世界線では彼が起こした事件は終わっていて、一部の熱狂的なカリスマになってるけど、それを剥がしたただの中年男アーサーとして裁判で裁かれる話。
なので裁判や刑務所の中のメイン話は重苦しい、妄想や自分が思ってる「ジョーカー」の中に逃げる
ジョーカーとして振る舞ってる時はレディガガを相手にきらびやかでイキっててカッコいい。
ガガの役、ジョーカーに熱狂するのも早いけど、ただの中年男だとわかると醒めるのも早い。
エンディングテーマのダニエルジョンストンのTrue Love Will Find You In The Endが物悲しいくてよかった
主役はレディガガ‼️❓ジョーカーは似て非なるもの‼️❓
「高水準な映画で、アーサーの哀しみと絶望を体現した作品だが、前作の予想外の反響に火消し的なアンサーに走ったように見える」
前作のレビューに未だにいいねを頂けるので、やめようと思ったけどアンサー的な感想になりますが、初日に近い時期に見て、予想よりもダウナーで2億ドルかかった大作なのに、内向的なアート映画感が強くてオヤ?となり賛否が分かれているのも納得の作品。
良かった点は、やはりアーサーを演じるホアキン・フェニックスの全てが凄く印象に残り素晴らしい!これだけで、ご飯三杯はいけます!
MGMの『バンド・ワゴン』やフレンチミュージカルの名作『シェブールの雨傘』など往年の名作ミュージカルの曲や映像オマージュの演出も所々あり映像や音楽も上出来で重い雰囲気からすると一瞬夢心地になる。(そのあとの現実との対比はキツいけど)
このミュージカル部分で不満をあげるとやはり往年の本職ダンサー出身の俳優と比べるとダンスパフォーマンスが弱いと感じる。
このへんは『ラ・ラ・ランド』にも当てはまるけどそんなにつつく点ではないのと、本職のレディー・ガガはパフォーマンスをホアキンと兼ね合いで抑えいるらしいけど
悲惨な刑務所生活と中盤から始まる法廷場面は、ある種の怒りと哀しみ満ちた衝動と行動をした事で現実世界でも多くの模倣犯(日本も)を出してしまった前作(ジョーカーとゆう作品)を裁いている構造にも見えて、監督や製作側の決意なのか?火消しなのか?に迷うのと、何度もみた予告編や出回っているビジュアル写真で例の階段でノリノリなジョーカーとクイーンの姿を、みて今回は2倍は暴れてくれるのだろ!と期待した観客(ワシも)に目覚ませ!とばかりに冷や水をぶっかけてくれる。(ちなみにIMAX上映の入場者プレゼントは階段ノリノリのポスターでした)
ネタバレあり!
前作でジョーカーとして暴動の扇動や悪のカリスマとして多くの人々に支持を集めたアーサーが、自分を信奉する男に殺されるラストもまた自らの起こした事の因果応報を受ける部分で、物語としては非常に理にかなっている。
ハーレイ・“リー”・クインゼル役のレディー・ガガの存在感も良かったが、アーサーが彼女と結ばれる事で、わずかな救いと安堵得てからの絶望感も半端なく辛く、まるで誘惑者メフィスト状態だが、扱いにやや中途半端にも感じる。
自分が見落としているかも知れないが、前作にチラッと存在が提示されたバッドマンことブルース・ウェインの部分はスルーされていて、完全にDC映画との切り離しをされている。(もっともDC作品を製作してるワーナー映画自体が、またも過去の繋がりをリセットすると発表したので…)
全体的に良い面もあり映画としては、ビジュアルも優れており見応えはあるが、報われない男が『時計仕掛けのオレンジ』の様な奔放な暴力の爽快感や絶対悪と化して暴れるのを期待すると、ガッカリだが映画の出来事を超える現実世界の混乱振りを考えると仕方ない部分だと思う。
2019年に前作の『ジョーカー』が公開された後に、あの2021年アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件が起きて間違った観念や方向性をもつカリスマ的トリックスターが、扇動者になる事へのアンサーになっているのだろう。(なんせ民主主義を破壊する選挙否定と扇動や女性レイプで有罪なのに大統領候補になり支持を集めているヤカラがいる国なので、やむ得ないのかな。日本も裏金や脱税しても、のうのうとしてる政治家が、いて変わらんけど😭)
映画でとんでもなくお馬鹿な事や作劇としてのバイオレンスやアクションやちょっとしたお色気などは、映画の作り事として現実とは違う非日常を分けて楽しんでいきたいのに、真似する🎠🦌が後を立たないのはホントに残念です。
ちなみに前回のレビューは以下です。
『ジョーカー』2019年
「全てにおいて悲惨な仕打ちと人生を受けたコメディアン志望の男が、扇動者として悪の道に落ちる。
アーサー(のちのジョーカー)が富裕エリートのやな奴らを、地下鉄内でブッ殺すところは、奇妙な爽快感があり、大富豪のトーマス・ウェイン(バットマンのブルースの父)側もあまり同情出来ないので、貧困層のデモの中でシンボルと化すジョーカーが、悪では無く、今の極端な格差社会に報復を唱える解放者に見える確信犯的な作り。
ホアキン・フェニックスの演技も凄いが、個人的には、舞台となる70年代末風のニューヨークとシカゴを合わせた景観のゴッサムシティを捉えたリアリティーがあり荒廃した雰囲気あるとても美しい撮影が、全編に渡ってともかく素晴らしい。
製作された社会情勢や時代を振り返って語られる傑作誕生だと思う。
もし続編が作られるならブルース・ウェイン役は、製作もしているブラッドリー・クーパーでぜひ。」
ジョーカーじゃない
冒頭の部分はなくてもいいかも
予告を観た時から、レディ・ガガがピッタリだなあと思い、楽しみだった。公開当日朝イチで。
詳しくわからないけど、前作を撮った時に一緒に撮っていたのか?あそこまでガリガリになったホアキン、そんなに何度も痩せられないよね。でも、続編分も撮っていたなら5年も寝かせておくなんて凄いな。
タイトルのフォリ・ア・ドゥ、2人狂いとか妄想が他人に感染するって意味らしいけど、まさにそんな内容で、ジョーカーに憧れたリーがわざわざ施設に入って接近。2人で歌い踊るシーンはほとんどがリーの妄想。それがいつのまにかアーサーの妄想になっていたり。
裁判の最後で、狂気のジョーカーではなく、素のアーサーになって殺人を認めたら、リーは急に冷めてしまって途中で法廷を出てしまう。リーには狂気のジョーカーしかみえてなかった。ちょっとアーサーが気の毒にも思えた。
刑務所の中でもフォリ・ア・ドゥ状態な感じはあったようだし、アーサーを、刺した青年は2人狂いの状態だったのかな。あの最後はまあそうなっちゃうだろうな〜て展開だった。
この映画、賛否両論あるらしいですね。そんな否とは思わないし、面白かった。ただジョーカーの続編というより、ジョーカーのスピンオフ、リーの物語、と感じた。
ジョーカーになり切れないアーサー
ガガ様のメイク真似したい
スーパーヒーローの居ない世界にはスーパーヴィランも居ない。
前作でジョーカーになったアーサーは今作では終始囚人でメイキャップしても不快な看守どころか一人も殺さずジョーカーは居ないと宣言した後は散々陶酔されてたリーにも見放された挙げ句に囚人仲間に刺殺されてしまう。
あまりに呆気無い結末に驚いたけど元々ヒーローのバットマンが居ない(ブルースが成長してないからだけど)世界だからヴィランのジョーカーは幻影でアーサーもただの人間でしかないという監督からのドライな答えなのかもしれない。
後ミュージカルシーンは無意味かつやたら多くてノイズでしかない上に前作みたいにやな奴を殺すスカっとするシーンも無いから低評価なのも納得。
【”人生は、全てショーの中で展開される。”優しきコメディアン志望の男が極悪になった後、刑務所に収監され裁判を受ける様を描いた作品。そして、今作がミュージカル風に描かれるシーンが多い意味を考えてみた。】
ー 前作では、優しき心を持っていたコメディアン志望のアーサー(ホアキン・フェニックス)が、不寛容で狂った世の中で悪になって行く様を描いていた。
だが、今作の序盤での刑務所に収監されたアーサーはガリガリに痩せ、ジョークも言わないし、笑顔も浮かべない、一人の哀れな男として描かれている。
だが、そこに収監されていた謎の女リー(レディー・ガガ)が現れ、二人は惹かれ合って行く。ー
◆感想
・故、ヒース・レジャーが演じたジョーカーは極悪そのものだった。物凄かった。善の欠片も無かった。それ故に、ヒース・レジャーに悲劇が訪れてしまった。
・ホアキン・フェニックスが演じたジョーカーは、前作では心優しき男として描かれていた。そこから悪に染まっていく様を、名優ホアキン・フェニックスが見事に演じたからこそ、心に残る新しいジョーカー像が生まれたと、私は思っている。
■今作では、序盤はアーサーは優しき心を取り戻しているのではないか、と思いながら見ていた。刑務所内でも模範囚として暮らしている。
だが、そこに現れたリーが、アーサーの眠っていた悪の部分を揺すり始める。リーはアーサーを誘い、自らもジョーカーの彼女としてメイクをする。
しかし、劇中でも語られている通り、リーは父親は医者で裕福な家庭で育ち、自ら志願して精神科病院へ入っている。
リーは、アーサーを利用し、アーサーを崇めるゴッサムシティの心を病んだ人々の注目を”二人狂い“(フォリア・ドゥ)として、見せたかったのではないかと私は思ったのである。
アーサーは、自らの裁判で、脳内で裁判長を殴り殺すシーンを考えつつも、実際の裁判では、彼を熱心に弁護する女弁護士メリーアン(キャサリン・キーナー)を解雇し、自らが弁護人となる。アーサーはこの時点で、リーを愛しつつ優しき心を持った善性の男の心を完全に取り戻していたのだと思う。
・検事は、あの”ツー・フェイス”ハービー・デントが務めているが、彼に焦点が当たる事は無い。
そんな判事の前で、アーサーは母殺しも含めて6人の殺人を全て認めるのである。動揺する法廷。アーサーに見切りを付けたように、裁判所を後にするリーの姿が印象的だ。
・だが、その直後、裁判所の直ぐ傍で車に仕掛けた爆弾が炸裂する。アーサーは、彼を助けようとする若者達の車に載せられるが、このシーンで車内で流れる音楽が、”ビリー・ジョエル”の名曲”My Life”である。
”もう、君に何を言われてもいい。これが私の人生さ。自分の人生をどうか、ほおって置いてくれ。”
アーサーの気持ちを代弁するように、私には聞こえたよ。
・そして、アーサーは逃げる中、あの急な石段でリーと会うが、彼女は冷たくアーサーを見捨てて何処かに去っていくのである。
彼女にとっては、”善”なるアーサーは何の魅力もないからである。
<再び刑務所に戻ったアーサーは、若き囚人から”ジョークを聞かせてくれよ。”と言われながら、彼に何度も腹部をナイフで刺されて、息絶えるのである。
元々は心優しき男の哀しきショーは観衆が誰も居ない中、刑務所でひっそりと終わるのである。
今作がミュージカル風に描かれているシーンが多い意味を、私は”人生は、全てショーの中で展開される。”という意味で受け止めた。
今作は、優しい心を持っていたアーサーが、一度は極悪になるもリーと出会い、心の平安を得る中、ありのままの自分と他者が求める”自分”との間で揺れ動く彼の心を描いた作品ではないか、と私は思ったのである。>
全749件中、661~680件目を表示