ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
全749件中、641~660件目を表示
ハーレーと最強コンビでヒャッハー展開全開!!
!!!以下ネタバレ注意!!!
↓
↓
↓
↓
、、最後まで全然そんな展開にならず、驚いた。
今回の主役はレディガガ演じるリー。
ファムファタルとして最後までアーサーを翻弄する。
リーが離れたときが彼の運の尽き。。
ミュージカルシーンでのパフォーマンスは流石に圧巻(流石にホアキン部が悪い)。
リーに焚き付けられ、意気揚々と裁判に挑むアーサーだったが、次第に自分の惨めな過去を突きつけられる。
弁護士をクビにした後、裁判の巻き返しがあるのかと思いきや、本当に無策で雲行きが怪しくなる。
看守に尻穴を掘られ、友達も殺され夢から覚めてしまう。最後は悪のカリスマではないと否応なく自覚し、”ジョーカーなどいない”と告白。
魔法は解けてしまい、後は最後まで辛い。
(リーだけでなく)鑑賞者の自分が、最後までカタルシスを期待していた。
自分もアーサーの暗い妄想に感染していたと気づき、よけいに辛くなった。
辛いとしか書いていないが、鑑賞後これだけ悶々とする映画もないので、これは観る価値のある映画だと思う。
以下印象に残ったシーンを羅列。
- WBのOPロゴとバックスバニー風?アニメで驚き。デニーロの絵よ。
- 序盤アーサーの口端の血が、口角の上げ下げ(気分)を表現していて、上手いなーと思った。
- やたらタバコ咥えるシーンが多い。タバコ吸ってるときだけアーサーがかっこよく見える(ジョーカー気分)。リーに煙あげるシーンも良かった。
- 終盤のピアノとタップダンスはかっこいい。IMAXで観たので音が良かった。
そうきたか、という感じ
自分はバットマンの知識がゲームのアーカム・ナイトシリーズと映画も一部しか見てないけど
バットマンがいない世界でジョーカーがどうなるのか?
というのを徹底的に描いたものだったように感じた。
ハーレクインだけではジョーカーをジョーカーたらしめることはできず、結果、彼は一時的にジョーカーのようになるもののアーサー・フレックに戻り、死ぬ。
バットマンがいないことで逆にバットマンとジョーカーを相互依存性が浮かび上がる、ジョーカー2:ジョーカー&ハーレクインを期待して見に行ったら、ジョーカー:マイナス・バットマンをお出しされるのだ。
基本私は見たい映画は一切情報入れずに映画を見るけど結構不評らしいがそりゃ不評も買うよなぁ!?って感じの作りではある、だって前作ジョーカーからこう幕を閉じるとは思わないし自分も見終わった直後はすごい梯子外されたという感じしかなかったもの。
でも見たあとの帰り道で咀嚼してると、エンタメ的にはふざけんなという気持ちもあるけど納得感がひしひしと湧いてくる。
最初のアニメのジョーカーとジョーカーの影のパートもアーサーとジョーカーと見せかけて実はジョーカーとバットマンではなかろうか。
前作と合わせて複数回見たい作品ではないけども、ジョーカーとバットマンを描かないことでこれ以上なくジョーカーとバットマンを描いていた。それこそ光と影のように。
悪趣味。正直、こんなジョーカーは見たくない!
前作で深い悲しみと憎しみの中から生まれたカリスマ的ダークヒーローのジョーカーでしたが、以後目立った実績?を残す前に前作で犯した5人の連続殺人容疑で呆気なく逮捕されています。
彼は重度の精神疾患があるとされ精神病棟みたいな劣悪な施設に収監されてますが、連続殺人容疑の裁判を待ってる間に、ひょんなことからレディー・ガガさん演じる謎の女性リーと出会い混迷を深めつつ法廷闘争+「空想上のジョーカーの活躍??」をメインにストーリーが展開します。
レディー・ガガさんがキャスティングされている時点でなんとなく想像できたのですけど、ミュージカルっぽいシーンが頻発します。その中でのみ上記の「空想上のジョーカーの活躍??」が展開されるのですが、今の彼の環境下では過去の回想でもなく、あり得ない場面設定なので悪逆の限りを尽くしゴッサムを混乱に陥れたい・・・という「悪のカリスマの発露」はまるで感じることが出来ませんでした。
むしろリーに簡単に心奪われて、恋愛で現を抜かす情けないアーサーの側面ばかりが強調されて、対比的になぜかリーの自信漲る演技(歌はさすがに上手い!)ばっかり見せつけられて、これは主役交代の伏線なんでは・・・と邪推さえしたくなる始末でした。
以後もジョーカーのカリスマの剥奪を狙ってるとしか思えない脚本、演出、欠伸が出るつまらんミュージカルシーン(失礼)の雨霰で前作で積み上げた遺産さえ食いつぶしていきます。ゲンナリしながら観てましたら重ねて衝撃のラスト・・・あっけにとられたというのが正直なところ。
鑑賞後、私の中では、ダークナイトの今は亡きヒース・レジャーさん演じたジョーカーの存在感がより大きくなり、確固たる悪のカリスマとして定着したという結果となりました。
また、バットマンが存在しない世界線におけるジョーカーっていうオチなら、なかなかスジが通った作品だとは思います!
では。
わかる、わかるけどさあ、、、
ジョーカーは道化であって、歌って踊ってっていうのはわかる!わかるけどさ、その、ミュージカル仕立ては、悪手だよぉ!
歌が効果的だったのは、生放送のインタビューの時に歌って、それをテレビ越しにハーレイが見てるシーンと、ラストらへんでアーサーが電話して、留守電に歌を吹き込むところくらい。逆に歌パート激選しとけば、効果的な演出になったかも。ハーレイが面会に来てる時に歌った歌、カーペンターズだっけ?いい曲だよなあ。
現実と妄想の狭間で揺れるジョーカー、を描きたかったのかもだけど、凶暴さを出してるのは妄想の中だけ。今回誰も殺めてはいないよね。
リアルパートの方が断然面白い。ジョーカーのカッコしての裁判のシーンとかね、すごく良かった!
結局、ジョーカーという、アーサーという、存在をどう描きたかったのがね、ブレちゃったかも。カリスマ性が消えかけてたよ。
決定的なのは、ジョーカー否定発言。なんで?なんでもうムリなの?ここが分からない。さらに、ハーレイの心変わり。心酔してたんじゃないの?あそこで引くの?確かにハーレイが離れることで、とんでもない悲しみに包まれるけどさ。あれで結局ハーレイの立ち位置が見えなくなった。そもそも、出会えるか分からないのに入院してきたりと、整合性が取れてないとこもあったよね。爆発から逃げる時、車から降りて逃げるのは何で?ここもよく分からない。前作は確かにあの走るシーンが印象的だったけど、今回はただ走らせたかっただけのような、、、
ラストは、まあ、予想外。3作目に繋がらないラストは肯定します。
リアルパートが良かっただけに妄想パートと歌パートはいらなかったかも。あっても「少々」だと思うけどなあ。レディガガが出るからってあんなに歌わせなくていいと思いました、、、
観客の反応までが映画の内容かも?
作中で人々やハーレイはジョーカー対しては熱狂し応援する反応、そしてジョーカーではないアーサーに対しては興味のない反応を見せている。
最後ジョーカーではなくなりアーサーとなった彼に対してハーレイは見向きもせずそのまま終わってしまうが、これはまさに観客がジョーカー1作目と2作目で抱いた感情と似ているのではないだろうか。
1作目で観客はジョーカーの雰囲気や性格の狂気ぶりに見惚れ、熱狂し、高く評価していた。2作目で観客がつまらなく感じたのはジョーカーではなくアーサーになってしまう彼に興味を示さなくなったからだ。
映画の中の人々の反応と映画を見た観客の反応、そこまでがセットで考えられていたら監督の思い通りなのかなーとも
だとしてもつまらないものはつまらないので1作目で終わってよかったのではと思う。
作品への評価が結末と結びついている皮肉
世界での評価でも賛か否かに分かれている。
大衆の期待を裏切ったアーサーを助ける者もいれば死の報いを与える者もいるとでもいった感じで、
前作の期待を裏切った評価はまさにこの映画の風刺の様である。
個人的な評価はどちらかというと否に入るだろう。
結末がどうこうでは無く、ミュージカルに振り切るというのも脚本制作時から監督が言っていた事なので問題はない。
役者の演技も素晴らしい。
ただ、全てが単調でどちらに振り切る事もなく二人の山を創りたいと言っていたリーのセリフかの様に山が無い。
ガガというプロフェッショナルを起用していながらミュージカルシーンはとても退屈でオリジナルソングは印象に残らない。エンディングソングは素晴らしいのでそれくらいの力量で全てに取り組んで欲しかった。これはガガの問題では無く、ミュージカルの演出が出来ていないのだろう。
また、リーのシーンばかりである。リーがジョーカーに惹かれた理由もふわっとしており、一方的に求愛をして捨てていくという事でもあるのだろうか。
一方的で対話の無いミュージカルはMVの様であり、掛け合いのあるミュージカルをもっと導入して欲しかったと思う。
アーサーの妄想としてのミュージカルはもっとぶっ飛んだ内容でも良かったのでは無いだろうか。ただそれも前作で生放送に一度しか出ていないアーサーの想像の乏しさなのかもしれない。
結末についてはリーがジョーカーを愛してアーサーを愛さなかった。大衆もジョーカーを愛し、アーサーだけが受け入れる事ができなかったのならば、結果的にこの結末なのだろう。
メタな事を言ってしまうとザ・バットマンでのバリー・コーガンのジョーカーも控えているのであの結末にするしかなかったのかもしれない。
ゴメンナサイ。自分には受け入れられませんでした・・・
公開されてから、全世界で賛否が真っ二つに割れているという本作。
前作が非常に良かっただけに、果たして自分にはどう映るのか興味津々でした。
で、鑑賞した結果・・・
何故こうなった???と困惑の嵐😅
前作からの正規な続編にも関わらず、恐ろしいくらい作風が変わってしまっている。
前作の、何が妄想で何が現実なのか分からなくなる狂った世界観。とことん堕ちていくジョーカーのヤバさ加減に魅了されたものだが、今作ではそんな刺激は全く無くなっている。
レデイー・ガガ扮するハーレイ・クインとの恋愛模様。
何かといえば歌を歌いだすふたり。
ミュージカル映画は好きだが、この作品にミュージカル要素は求めていない。
とにかく想定外の作風に戸惑うばかりでした。
せっかくのハーレイ・クインも、あれだけの頻度で歌ってたら、レデイー・ガガの為の映画か?と思ってしまう。
ラストも如何なものかと思いました。
バットマンの宿敵ジョーカーの誕生秘話のはずなのに、この結末をどう捉えたらいいものか・・・。
ただ、冷静に考えると、アーサー・フリックって名前はこの作品にのみ使われているジョーカーの名前。
原作のジョーカーは、ジャック・ホワイトが本名だし。
バットマンの宿敵のジョーカーとは別人で・・・
って事であれば、本作の結末も筋が通るのか?
いずれにしても、自分にとっては受け入れがたい作品でした。
今作を観ちゃうと、バットマンのジョーカーって設定なんて無かった方が良かったんじゃないかと思えてしまいます。
相変わらずの観客を巻き込む映画
たぶんこれは、「こんなのジョーカーじゃない!クソつまんない!」って言うのが正解の感想な気がする。
映画の中でも皆が求めていたジョーカーが、最後の法廷でアーサーに戻り、ジョーカーになったことを後悔し、罪を認めるシーンでブーイングが起こっていたように、ハーレイが愛していたのはアーサーではなくジョーカーだったように、我々観客のほとんども前作の様な"ジョーカー"を期待して今作を見に行ったのだと思う。
前作もラストの群衆の視点が我々観客の視点と重なったように、今作もそこが上手く劇中の群衆の心情と重なるように作られていて、確かに見た感想としては、なんだこれ、ジョーカーじゃないじゃんとしか思わなかった。
正直クソつまんなかったし、曲多すぎて最後はもう歌うなとか思ってた。
でもこれもジョーカーを求める劇中のジョーカー信者達にリンクするように作られているとなったらまた見方は変わってくる。前作同様、作品に踊らされてた感が強い。してやられた。
アーサーはアーサーでしかなく、悪のカリスマ=ジョーカーでなはいし、アーサーもそんなことは望んでいなかったのに皆(我々観客含め)が求めるのはジョーカーというジレンマ。非常に評価が難しい作品だと思った。
ジョーカーもアーサー
アーサーを綺麗に残酷に映していてとても良かった、報われないところも素晴らしい。
映画内の民衆はおろか我々観客さえも、彼に求めていたのはジョーカーであってアーサーじゃないという雰囲気が感じられてとても悲しくなった。
人に初めて知られ、認められる偶像ジョーカーと、アーサーにとってのジョーカーには違いがある。彼は世界をぶっ壊してやろうっていう報復者なんかじゃなく、目の前で起きてるありえないだろってことがどうしても許せなくてみんなに知ってほしかった優しい被害者。だから全部ぶっ壊してやるっていう社会の偶像崇拝ジョーカーとはほんの少しのギャップがあった、その小さなギャップをどう飲み込んでいくのかが今回の主題だと感じた。
収監生活、カウンセリング、裁判、愛を通して本当の自分に触れた、ひょうきんを演じてみても、革命家を気取ってみても、根底にあるのは”幸せになりたかった”。彼が欲しかったのはアーサーを見てくれる純な愛だったんだと思う。
最後の、歌はもういいに関しては同感、ジョーカー(コメディアン)として幸せになる妄想をミュージカルに重ねてたのかな。アーサーにとっての幸せはそこにはなかったんだろうね。
最後まで、喜劇でした。
みんなは嫌いだしがっかりしたかもしれないが
結論から言えば、ボク的には最高だった。何もかもが。
ただ、衝撃のラストは思わず「あー!」と声が出てしまったしショッキングだったし
一瞬、ああもうこれは酷評されるわけだと思ったけれど
最後のエンドロールを見ながら、既視感がどうしても拭えない理由を頭の中で模索。
そして思ったのには「ジョンとヨーコだ!」と。
また、自分がアーサー版のジョーカーが好きすぎ脳であるからだとも思うけれど
まさにジョーカーらしいラストだったと思う。心から。
ジョンに心酔しすぎたあまりにジョンを殺害した人がいたように
ジョーカーの人気の質は、まさにあの感じだと、確信。
そして何より、ミュージカルであったこととラブストーリーであるところが
みんなの思うところの「ジョーカー」とは違う!てなっちゃうのもわかるけど
ボクは、真面目に、真剣に、本気でアーサーが大好きなので
リーと恋に落ちる瞬間だとか、すっごく良かったし
完全にアーサーに感情移入して見ていたこともあって
あの面会のシーンなんかはほぼ号泣。
歌も選曲も素晴らしかったし、見に行って本当に良かった。
ジョーカーになって初めて皆に注目され脚光を浴びて救われた前作のアーサーと
ジョーカーでなければ愛されないアーサーの悲哀と絶望を徹底的に描いた今作で完結。
アーサー版のジョーカーの最後は、アレでよい。ボクはそう思いました。
細かいこといっぱいいいたいけど、きりがない気がするのでここで終えますが
アーサーの心の動き、リーの「ハーレイ・クインたる」言動など
どこまでも果てしなく心揺さぶられる良作だと思います。
劇中歌は良かったです
格好つけたな
お題:こんなジョーカーは嫌だ
思ってた通り蛇足になった
カッコつけて解った風な事は言いません 素直に「最高につまらなかった」
IMAXカメラで撮ったという事なのでIMAXで鑑賞、前作同様にサスペンスフルで緊張感漂う重厚な映像とチェロがベースのサウンドは素晴らしかった
そして前作から5年ぐらい経っているのに全く変わらずヤバすぎるホアキン・フェニックスさんの風貌と演技も素晴らしかった
でも、ミュージカル調はダメだ。
さらに後半は法廷劇の様相。
なんかいろいろブッ込みすぎて全編中途半端になってしまったという印象
一足先に公開されている本国アメリカを筆頭に諸外国で酷評に晒されているのも納得
突然 歌が入るので、せっかくの緊張感と没入感がブチブチに切られて乗れなさすぎる、いちいち自分の意思に反してブレーキをかけられる車の運転の様でメチャクチャ不快でしかなかった(ちなみにミュージカルが苦手なわけではなく、どちらかというと好きな方ではあります)
勿論、歌詞とシーンがリンクしているんだろうし、歌うことが前作に引き続きチャールズ・チャップリンさんの『モダンタイムス(1938)』へのオマージュとなっているのは解りますが、とにかくダメだった
前作が大好きなだけに非常に残念
サプライズよりも失望の方が大きい
映画を観る前は、やがてバットマンの最大の敵となるジョーカーが、パートナーのハーレイ・クインと出逢い、「悪」の純度を高めていく物語に違いないと思い込んでいた。
ジョーカーが二重人格であることを匂わせる冒頭のアニメーションとか、ガリガリに痩せたみすぼらしいアーサーの裸身とか、黒い雨傘が上から見るとカラフルな色になっていたりとか、出だしは快調で物語に引き込まれる。
ところが、いつまでたっても刑務所の中の話や裁判の話が続くばかりで、ジョーカーが巨大な「悪」になっていく気配が一向にしてこない。
しかも、刑務所における看守による虐待も大したことがないし、アーサーが二重人格かどうかが争われる裁判もさほど盛り上がらないし、時折挿入されるミュージカルシーンも、アーサーの心象風景として、必ずしも効果を上げているとは思えない。
何よりも、リーは、始めからジョーカーに恋をしており、彼女が、徐々にアーサーに感化され、惹かれていくという過程が描かれないのは、犯罪ドラマとしても、ラブストーリーとしても、物足りないとしか言いようがない。
仮に、裁判で、アーサーが二重人格であると認められても、精神科の医療刑務所に収監されるのだろうし、アーサーが弁護士を解雇して自分で弁護を始めた時点で、裁判に勝つ見込みもなくなったので、彼がバットマンの敵となるために残された道は、「脱獄」しかないと予想できてしまう。
実際、終盤になって、そうした予想は的中するのだが、「さあ、いよいよ悪のカリスマの活躍が始まるぞ!」と期待していると、それを見事に裏切るラストの展開が訪れて、愕然としてしまった。
結局、民衆も、リーも、若い受刑者も、誰もがジョーカーを求めていて、その分、ジョーカーを捨てたアーサーに失望してしまったということなのだろうが、その失望は、観客にとってもまったく同じであったと思わざるを得ない。
本当の自分を誰にも必要とされなかったアーサーの悲しみは身につまされるものの、その一方で、「カリスマに扇動されるな」という、特にSNSの時代には重みのある教訓が感じ取れるエンディングは、何だか優等生的過ぎて、予想を覆すサプライズよりも、期待を裏切る「ガッカリ感」の方が大きかった。
前作と異なる作風を持ち出した挑戦心はすごいと思った。
前作から割とそんなに時間の経過していない続きのお話。
囚われのアーサーが謎めいた女性リーと出会って、夢のままに2人で世界を生きようとする中で、現実と妄想が交錯しつつも物語が進行する感じ。
前作のバイオレンスさだったりショッキングさというものは今作にはそれほどなく、それよりもミュージカル的な要素に振り切ってた印象。
クラシカルな曲で優しい感じの歌詞が多かったが、歌うのが危険な2人だから常に「次の瞬間何が起こるんだろう」という目で観てた。
前作の衝撃が大きかった余り、世界中に続編を望むファンが多数いるにも関わらず、ここまで違う作風に振り切る挑戦心がすごいと思った。
賛否両論もわかるし、前作の感じを期待しているとハズレというのもわかる。
ただ、クリエイターの映画作りに対する気概みたいなものを感じた。
映画による治療 Therapy through film
前作は観た。
で今作を観ながら、
前作が社会に与えた影響が
本当に洒落にならなかったんだな
とジワジワ思い至った。
ここ最近のハリウッドのコミック実写化は
リアル思考、リアルにしたらどうなるか
という傾向が強く、
映像技術の高度化と相まって、
現実との区別がつかなくなってきている。
故に、前作の描き方は、
ヤバかった。
多くの人が「ジョーカーは私だ」
と思っても不思議はない。
日本では、そこまでではなかったのは
社会状況が違うし、アーサーは英語話してたし。
そこでジョーカーに共感した人が
抜けられなくなるほどに、
リアルさの度合いが高過ぎた。
虚構は虚構、
現実は現実、
ジョーカーはいない、
と目を覚まさせる必要がある。
観る前は、
ジョーカーが、よく知っているジョーカーになって
あわよくばこの世界のバットマンとか出てくるのか
と思っていたが、
そんな事したら現実に勘違いした
どこかの富豪が
押しかけバッドマンやって
さらに混乱するだろう。
今作を観ながら
これは治療だ、と思った。
映画を観ているのか、
リアルに中継を観ているのか、
外に出たら、
ジョーカーを支持する群衆が居るんじゃ
と錯覚してきた。
これは、夢から覚めるための治療だ。
I watched the previous film.
And while watching the latest one,
I gradually realized just how much of an impact
the previous film had on society.
Recent Hollywood adaptations of comic books
tend to lean heavily towards realism—
what would happen if it were real?
This trend, combined with advancements in visual effects,
is making it harder to distinguish between reality and fiction.
That’s why the way the previous film was portrayed
was intense.
It’s not surprising that many people thought,
“I am the Joker.”
In Japan, it didn’t go that far,
because the social situation is different, and Arthur was speaking English.
The level of realism was so high that it trapped people
who resonated with the Joker.
Fiction is fiction,
reality is reality,
the Joker doesn’t exist,
and people need to wake up.
Before watching the latest film,
I thought the Joker might become the Joker I know well,
and maybe Batman from this world would show up.
But if that happened, some wealthy person misunderstanding the situation
might rush in to play Batman, causing even more confusion.
As I watched the latest film,
I felt like this was a form of therapy.
I wasn’t sure if I was watching a movie
or a live broadcast.
I even started to imagine that when I step outside,
there might be a crowd of people supporting the Joker.
This film is therapy to wake us from that dream.
全749件中、641~660件目を表示