ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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◼️「ジョーカーの全否定」ですよね
酷評だと言う事で身構えていたのですが、まあまあ良かったです。
ミュージカル部分も、そんなには気になりません。
前作から監督・役者は同じため方針はブレていません。
一言で言うと「悪のカリスマとしてのジョーカーの全否定」です。
今回はこれを見てジョーカーに成りきる人は現れないと思う。
ですがこの内容を知り自害する人が現れる様な気がします。
ただの社会に馴染めなかった、哀しい人として惨めに描かれているからです。
この世界線ではバットマンと争うどころか、存在しないかも。
【 酷評の理由 】
前作で大きな誤解が有ったんだと思います。
前作を見た人の多くが、
「これがジョーカーの誕生なんだ…」とか
「ここからあのダークナイトのジョーカーに繋がるのか…」とか
そう思ったに違いありません。
前作は確かにそれを期待させるラストにも見えました。
ですが今回「ダークナイトのジョーカーに繋がらない」ってのが、
はっきりしたため、期待を裏切られたように感じる人が多かったのかなぁと推測します。
結末は現実のようにつまらない
結局、最初からジョーカーなんていなかった。
前作で思いもよらず悪のカリスマに祭り上げられてしまったアーサー。悪のカリスマと崇められても、なぜ崇められてるのか、アーサー自身が全く理解できてないし、興味すらない。
ただジョーカーに興味を持ってくれた一人の女性に好かれたくて、ジョーカーになろうと演じて、本当のアーサーを必死に隠そうとする。
終始、破滅する未来しか見えないが、人々を惹きつける立ち振る舞いや、ジョーカーの妄想、歌の高揚感で、もしかしたら本当に悪のカリスマ•ジョーカーになれたなら、大どんでん返しもあるかもと期待させつつ、結末は現実のようにつまらないものであった。
結局、カリスマなんて蓋を開けてみれば、ただのつまらない一人の人間。崇める人々も彼らが本当に望んでいるのは破壊の代償によるカリスマの破滅。
製作者の「現実なんて至極真っ当でつまらないもの」という正論が垣間見えて、少しイラっとする。映画としては良い映画。エンタメとしては0点。
そりゃ、コケるわな。デートに使わないでね。(「ダンサー・イン・ザ・ダーク」かぁ?)
アメリカでコケたらしいじゃん。そりゃ、そうだ。
全編、妄想の中でのミュージカルで話の盛り上がりの展開無し。
法廷で主人公が(自己肯定の)一隻ぶって場を盛り上げるのかと思いきや不意に主人公が容疑を白状しだして話が尻すぼみ。脱走したと思ったら、女にフラレて刑務所に逆戻り。
最後にゃ、ちょっせー居たのか居なかったのかわかんない奴にブスッとやられて終わり。
結局、主人公の救いのない妄想に観客を付き合わせただけ。また新鮮味の無い話。
これじゃ、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」と同じじゃん。他の観客もそう思っていたんじゃないの?
まぁ、制作者も馬鹿じゃないだろうから色々と意図があると思うがこっちはそんなの知ったこっちゃねぇよ。
主人公殺しといてこの先どうすんのよ。3回目作って主人公復活させんの?
復活させないと辻褄合わねぇじゃん。例によって「ホアキン」はギリギリじゃん。さすがに3回目は無ぇぜよ。死んじゃうよ。
「バットマン」は「ワーナー」が社運を掛けるドル箱なんだからコケたら会社潰れるよ。監督はどうオトシマエつけんのよ。知らねぇよ。またデズニーに食われちゃうじゃんよ。
ほんとにどうすんのよ。
「どうでもいいけど。」
That's das◯ku.
前作はジョーカーの復讐劇に勝手に「自分も社会の被害者だ」と思わせ、観客自身に「俺もジョーカーだ」と自己投影させたところが面白かったし、ブラックユーモアも満載にあり、"鬱"娯楽大作として大変良い作品だった。
しかし今作はというと、、、
なぜか急にやりだしたミュージカル。意味わからん。レディー・◯ガの宣伝のために無理くりに捩じ込んだとしか思えない。
なぜならミュージカル描写が、この映画に必然だとする根拠が劇中明示されたようには思えないからだ。
また前作(期待し過ぎた私も悪いが)は哀れな男の鬱憤がたまりに溜まって徐々に徐々に爆発していき、最後の最後で大爆発するというエンターテイメント性があったが、今作では途中「お?とうとう来るか?狂気爆発か?」と思わせる描写はあったものの、最後の最後まで不発に終わり、私と同じように今作を"つまらない"と下した観客のように「報いを受けろ」とアーサーを刺してお終い。
特に裁判は何回も開かれ、ジョーカー爆発のチャンスが幾度となくあったのにもかかわらず、これまたそれほど変化は起こらず。
申し訳ない言い方だが、今作を個人的に一言でまとめると、
「いつ面白くなる(前作のような狂乱爆発)かな?と思って見ていたら、特にこれといって何も起こらず2時間半が過ぎていた。」
という感想になった。
確かに現実(ジョーカーはただの人間であり、それを発言したアーサーに失望した人々=今作を駄作という観客)を見せられた我々もまたジョーカーに踊らされた、あるいはジョーカーの一部なのかもしれないし、制作側もそれが狙いだったのかもしれない。
しかし少なくとも私は、制作側の
「この映画を駄作という者もまたジョーカーに期待し過ぎた劇中に出てきた傍聴人や群衆ジョーカーと同じなんだよ。はは笑。やっぱり僕たちの狙い通り、前作のジョーカーに期待し、落胆してくれたね。読み通りだ。」.....といった彼らの自己満足のためにお金を払ったのではないのだが(それにしてもIMAXで見るとかなり高くつくのは初めて知った。ぶっちゃけそこまで違いが分からなかっただけ尚更金がもったいなかった).....
なぜこの映画は賛否が分かれるのか
私はこの作品に⭐︎4と付けた。
しかし、自分自身でもこの評価に納得はいっていない。
なぜなら、この映画は評価を与えるのが非常に難しい...いや無理だと感じているからだ。
ドルビーシネマで10/11の公開日に鑑賞。
>まず分かっていただきたいのは、⭐︎4とはいっても全ての項目が⭐︎4前後というわけではない。
満点に近いと感じた部分も多く存在する。
それは“俳優の演技”と“映像美”、“世界観”だ。
前作同様のクオリティを期待して問題ない。
加えて、今作は歌のシーンが多く登場する。
その部分に関しても、世界観にマッチしていて、それにレディーガガの活躍も相まって、非常に満足できる出来であった。
(ホアキンフェニックスの歌唱力については、是非劇場で確認して欲しい)
>さて、今作で議論になるのはストーリーだろう。
正直なところ、面白かったかと言われれば、素直にハイとは言えない。
というのも、前作とはジャンルがだいぶ違うからだ。
前作は内容的にはどちらかと言えばヒューマンドラマになるだろう。
起承転結もそれなりにあったし、小説にしても成り立つストーリーの構造だったと思う。
しかし、今作は個人的には一種の芸術作品という印象を受けた。
しっかりした物語、起承転結があるわけではない。そして、映画でしかできない表現で、人によって多くの解釈ができるようになっている。
私は2作目というより『スピンオフ』という方がしっくり来た。
もちろん、話は続きでで間違いないのだが、とはいえ続編というにはジャンルや話の構成がが違いすぎる。
>なぜ賛否が分かれているのか。
JOKER(前作)にどのような面白さを見出していたか、が大きな理由の一つだと私は感じている。
まず楽しめた人。
その人たちは前作に“俳優や独特な撮影技法を含めた世界観”や“人間の心理描写を含むヒューマンドラマ“に魅力を見出せたのだろう。
一方、楽しめなかった人。
それは上記で書いたような魅力よりも、”悪役としてのかっこよさ“や”純粋なストーリーとしての面白さ“。
詰まるところ、ダークなアメコミとしての魅力を感じていたのではないだろうか。
つまり、
(タクシードライバーのような)『ダークなヒューマンドラマ』として見ていたか、
『アメコミの映画』として見ていたかが大きな分かれ目だったのではないかということだ。
>いろいろ書かせていただいたが、続編としては一つの正解だと感じている。
前作の出来は素晴らしく、そのまま続編を作ったところで2番煎じで終わっていただろう。
だが、あえて方向性をずらすことで、別の作品としての地位を確立している。
とはいっても、個人的には続編を作らないのがベストだったとは思う。
しかし、続編を作らないといけなかった以上、こういう内容にしたのはベターだったのではなかろうか。
>見るかどうか迷っている人へ。
結論としては、前作で世界観や映像表現を好きになれた人は迷うことなくいって欲しい。
きっと満足できるだろう。
しかし、前作で満足しており続きを見たくない、また解釈が分かれる芸術的な作品が好きではない人。
それに前作を見ていない人だ。
※おすすめの映画館
ドルビーシネマ≧imax gt>>その他imax>4dx
長くなってしまったが、最後に、私個人としてはこの作品を見て良かったと強く感じている。
この文を読んでくれた人が見に行くかは分からない。
しかしもし見に行くのだとしたら、私のようにこの映画に浸り、そして自分なりの解釈を持って欲しい。
それがこの映画の正しい楽しみ方だろうと私は信じている。
期待はずれ
美しく残酷なロマンス
全て持っていて、安全圏から危険を求めていたハーレイ。全て持たずに、ただ自分を見てくれる理解者が欲しかったアーサー。
出会った瞬間から2人は破綻していた。
それでも縋ったアーサーと、気付いても彼をジョーカーに染め上げようとした残酷なハーレイ。対比が美しく儚い。人は何故夢を見るのだろう。ハーレイはジョーカーに夢を見せて欲しかった。アーサーは2人で夢を見たかった。
アーサーにとって本当にハーレイ以外はどうでも良かった。多少嘘でも構わなかった。
でもハーレイにとって、少しでも嘘であればジョーカーではない。全てが無意味と化してしまう。あまりにも非対称なロマンスだ。
演出も素晴らしい。2人がショーをするシーンでアーサーがハーレイに言った「なぜ僕の方を見ないで歌うの?」というシーンから暗雲が立ちこめる。
穴倉のシーンで素のまま愛し合おうとしたアーサーを拒否し、「本当のあなた」を見せてとハーレイ自らアーサーにメイクを施してジョーカーに染め上げる所もゾッとした。面会の口紅にアーサーの笑顔を重ねるのも、やっぱりハーレイの理想とするジョーカーの笑顔を無理矢理作らせているみたいで苦しかった。煙草の煙を口移しするシーンもそう。ハーレイが見ているのはジョーカーだけで、吐き出したアーサーの内面はハーレイが口だけで吸い込んで受け止める。
とても皮肉でロマンチックな魅せ方だと思う。
民衆もそうだった。
爆破から目覚めたアーサーを見つけるなり、本人の意思も聞かずに、自らが祭り上げる「ジョーカー」として車に乗せて走り出した。行き先も考えずに。結局そこで待っていたのは渋滞と、アーサーにとって苦しみの記憶の過去の街。アーサーが景色に気づいてから脇目をふらずに下車して走り出すシーンは見ていて本当に辛かった。あの時、彼にはハーレイという希望しか見えてなかったんだと思う。今まで辛い時、ずっとトボトボと登ってきた階段を、ジョーカーと化して笑顔で駆け降りた階段を、ハーレイに会う為にまたトボトボと登っていく。とても勇気が必要だったと思う。
例え暗い過去だったとしても、アーサーは再び自分の足で歩いて階段を登った。その背中はとても優しく、アーサーとしてハーレイに会いに行ったんだと思う。
でも駄目だった。
「ジョーカーはいない。どこにも行けない」
そう言ってアーサーに背を向けて階段を登って去っていくハーレイを、やっぱりアーサーは追えなかった。その先を登るのがどんなに苦しい事か、知っているから。
結局アーサーは弱かった。でもその弱さを受け入れてくれる場所はどこにもなかった。
その意味で、最後に彼は誰でもない奴の受け皿になった。法で裁かれるよりはよっぽど良かったのかもしれない。切ないけど、ラストシーンはあれで良かったと思う。
そして結局、僕らはジョーカーという狂気を見たくて仕方がないだけの、狂ったあの民衆と同じだ。
それを悟った時、本当に寂しい気持ちになった。とても残酷で美しい、儚い映画だった。
終わってしまった‥
ハーレーと最強コンビでヒャッハー展開全開!!
!!!以下ネタバレ注意!!!
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、、最後まで全然そんな展開にならず、驚いた。
今回の主役はレディガガ演じるリー。
ファムファタルとして最後までアーサーを翻弄する。
リーが離れたときが彼の運の尽き。。
ミュージカルシーンでのパフォーマンスは流石に圧巻(流石にホアキン部が悪い)。
リーに焚き付けられ、意気揚々と裁判に挑むアーサーだったが、次第に自分の惨めな過去を突きつけられる。
弁護士をクビにした後、裁判の巻き返しがあるのかと思いきや、本当に無策で雲行きが怪しくなる。
看守に尻穴を掘られ、友達も殺され夢から覚めてしまう。最後は悪のカリスマではないと否応なく自覚し、”ジョーカーなどいない”と告白。
魔法は解けてしまい、後は最後まで辛い。
(リーだけでなく)鑑賞者の自分が、最後までカタルシスを期待していた。
自分もアーサーの暗い妄想に感染していたと気づき、よけいに辛くなった。
辛いとしか書いていないが、鑑賞後これだけ悶々とする映画もないので、これは観る価値のある映画だと思う。
以下印象に残ったシーンを羅列。
- WBのOPロゴとバックスバニー風?アニメで驚き。デニーロの絵よ。
- 序盤アーサーの口端の血が、口角の上げ下げ(気分)を表現していて、上手いなーと思った。
- やたらタバコ咥えるシーンが多い。タバコ吸ってるときだけアーサーがかっこよく見える(ジョーカー気分)。リーに煙あげるシーンも良かった。
- 終盤のピアノとタップダンスはかっこいい。IMAXで観たので音が良かった。
そうきたか、という感じ
自分はバットマンの知識がゲームのアーカム・ナイトシリーズと映画も一部しか見てないけど
バットマンがいない世界でジョーカーがどうなるのか?
というのを徹底的に描いたものだったように感じた。
ハーレクインだけではジョーカーをジョーカーたらしめることはできず、結果、彼は一時的にジョーカーのようになるもののアーサー・フレックに戻り、死ぬ。
バットマンがいないことで逆にバットマンとジョーカーを相互依存性が浮かび上がる、ジョーカー2:ジョーカー&ハーレクインを期待して見に行ったら、ジョーカー:マイナス・バットマンをお出しされるのだ。
基本私は見たい映画は一切情報入れずに映画を見るけど結構不評らしいがそりゃ不評も買うよなぁ!?って感じの作りではある、だって前作ジョーカーからこう幕を閉じるとは思わないし自分も見終わった直後はすごい梯子外されたという感じしかなかったもの。
でも見たあとの帰り道で咀嚼してると、エンタメ的にはふざけんなという気持ちもあるけど納得感がひしひしと湧いてくる。
最初のアニメのジョーカーとジョーカーの影のパートもアーサーとジョーカーと見せかけて実はジョーカーとバットマンではなかろうか。
前作と合わせて複数回見たい作品ではないけども、ジョーカーとバットマンを描かないことでこれ以上なくジョーカーとバットマンを描いていた。それこそ光と影のように。
悪趣味。正直、こんなジョーカーは見たくない!
前作で深い悲しみと憎しみの中から生まれたカリスマ的ダークヒーローのジョーカーでしたが、以後目立った実績?を残す前に前作で犯した5人の連続殺人容疑で呆気なく逮捕されています。
彼は重度の精神疾患があるとされ精神病棟みたいな劣悪な施設に収監されてますが、連続殺人容疑の裁判を待ってる間に、ひょんなことからレディー・ガガさん演じる謎の女性リーと出会い混迷を深めつつ法廷闘争+「空想上のジョーカーの活躍??」をメインにストーリーが展開します。
レディー・ガガさんがキャスティングされている時点でなんとなく想像できたのですけど、ミュージカルっぽいシーンが頻発します。その中でのみ上記の「空想上のジョーカーの活躍??」が展開されるのですが、今の彼の環境下では過去の回想でもなく、あり得ない場面設定なので悪逆の限りを尽くしゴッサムを混乱に陥れたい・・・という「悪のカリスマの発露」はまるで感じることが出来ませんでした。
むしろリーに簡単に心奪われて、恋愛で現を抜かす情けないアーサーの側面ばかりが強調されて、対比的になぜかリーの自信漲る演技(歌はさすがに上手い!)ばっかり見せつけられて、これは主役交代の伏線なんでは・・・と邪推さえしたくなる始末でした。
以後もジョーカーのカリスマの剥奪を狙ってるとしか思えない脚本、演出、欠伸が出るつまらんミュージカルシーン(失礼)の雨霰で前作で積み上げた遺産さえ食いつぶしていきます。ゲンナリしながら観てましたら重ねて衝撃のラスト・・・あっけにとられたというのが正直なところ。
鑑賞後、私の中では、ダークナイトの今は亡きヒース・レジャーさん演じたジョーカーの存在感がより大きくなり、確固たる悪のカリスマとして定着したという結果となりました。
また、バットマンが存在しない世界線におけるジョーカーっていうオチなら、なかなかスジが通った作品だとは思います!
では。
わかる、わかるけどさあ、、、
ジョーカーは道化であって、歌って踊ってっていうのはわかる!わかるけどさ、その、ミュージカル仕立ては、悪手だよぉ!
歌が効果的だったのは、生放送のインタビューの時に歌って、それをテレビ越しにハーレイが見てるシーンと、ラストらへんでアーサーが電話して、留守電に歌を吹き込むところくらい。逆に歌パート激選しとけば、効果的な演出になったかも。ハーレイが面会に来てる時に歌った歌、カーペンターズだっけ?いい曲だよなあ。
現実と妄想の狭間で揺れるジョーカー、を描きたかったのかもだけど、凶暴さを出してるのは妄想の中だけ。今回誰も殺めてはいないよね。
リアルパートの方が断然面白い。ジョーカーのカッコしての裁判のシーンとかね、すごく良かった!
結局、ジョーカーという、アーサーという、存在をどう描きたかったのがね、ブレちゃったかも。カリスマ性が消えかけてたよ。
決定的なのは、ジョーカー否定発言。なんで?なんでもうムリなの?ここが分からない。さらに、ハーレイの心変わり。心酔してたんじゃないの?あそこで引くの?確かにハーレイが離れることで、とんでもない悲しみに包まれるけどさ。あれで結局ハーレイの立ち位置が見えなくなった。そもそも、出会えるか分からないのに入院してきたりと、整合性が取れてないとこもあったよね。爆発から逃げる時、車から降りて逃げるのは何で?ここもよく分からない。前作は確かにあの走るシーンが印象的だったけど、今回はただ走らせたかっただけのような、、、
ラストは、まあ、予想外。3作目に繋がらないラストは肯定します。
リアルパートが良かっただけに妄想パートと歌パートはいらなかったかも。あっても「少々」だと思うけどなあ。レディガガが出るからってあんなに歌わせなくていいと思いました、、、
観客の反応までが映画の内容かも?
作中で人々やハーレイはジョーカー対しては熱狂し応援する反応、そしてジョーカーではないアーサーに対しては興味のない反応を見せている。
最後ジョーカーではなくなりアーサーとなった彼に対してハーレイは見向きもせずそのまま終わってしまうが、これはまさに観客がジョーカー1作目と2作目で抱いた感情と似ているのではないだろうか。
1作目で観客はジョーカーの雰囲気や性格の狂気ぶりに見惚れ、熱狂し、高く評価していた。2作目で観客がつまらなく感じたのはジョーカーではなくアーサーになってしまう彼に興味を示さなくなったからだ。
映画の中の人々の反応と映画を見た観客の反応、そこまでがセットで考えられていたら監督の思い通りなのかなーとも
だとしてもつまらないものはつまらないので1作目で終わってよかったのではと思う。
作品への評価が結末と結びついている皮肉
世界での評価でも賛か否かに分かれている。
大衆の期待を裏切ったアーサーを助ける者もいれば死の報いを与える者もいるとでもいった感じで、
前作の期待を裏切った評価はまさにこの映画の風刺の様である。
個人的な評価はどちらかというと否に入るだろう。
結末がどうこうでは無く、ミュージカルに振り切るというのも脚本制作時から監督が言っていた事なので問題はない。
役者の演技も素晴らしい。
ただ、全てが単調でどちらに振り切る事もなく二人の山を創りたいと言っていたリーのセリフかの様に山が無い。
ガガというプロフェッショナルを起用していながらミュージカルシーンはとても退屈でオリジナルソングは印象に残らない。エンディングソングは素晴らしいのでそれくらいの力量で全てに取り組んで欲しかった。これはガガの問題では無く、ミュージカルの演出が出来ていないのだろう。
また、リーのシーンばかりである。リーがジョーカーに惹かれた理由もふわっとしており、一方的に求愛をして捨てていくという事でもあるのだろうか。
一方的で対話の無いミュージカルはMVの様であり、掛け合いのあるミュージカルをもっと導入して欲しかったと思う。
アーサーの妄想としてのミュージカルはもっとぶっ飛んだ内容でも良かったのでは無いだろうか。ただそれも前作で生放送に一度しか出ていないアーサーの想像の乏しさなのかもしれない。
結末についてはリーがジョーカーを愛してアーサーを愛さなかった。大衆もジョーカーを愛し、アーサーだけが受け入れる事ができなかったのならば、結果的にこの結末なのだろう。
メタな事を言ってしまうとザ・バットマンでのバリー・コーガンのジョーカーも控えているのであの結末にするしかなかったのかもしれない。
ゴメンナサイ。自分には受け入れられませんでした・・・
公開されてから、全世界で賛否が真っ二つに割れているという本作。
前作が非常に良かっただけに、果たして自分にはどう映るのか興味津々でした。
で、鑑賞した結果・・・
何故こうなった???と困惑の嵐😅
前作からの正規な続編にも関わらず、恐ろしいくらい作風が変わってしまっている。
前作の、何が妄想で何が現実なのか分からなくなる狂った世界観。とことん堕ちていくジョーカーのヤバさ加減に魅了されたものだが、今作ではそんな刺激は全く無くなっている。
レデイー・ガガ扮するハーレイ・クインとの恋愛模様。
何かといえば歌を歌いだすふたり。
ミュージカル映画は好きだが、この作品にミュージカル要素は求めていない。
とにかく想定外の作風に戸惑うばかりでした。
せっかくのハーレイ・クインも、あれだけの頻度で歌ってたら、レデイー・ガガの為の映画か?と思ってしまう。
ラストも如何なものかと思いました。
バットマンの宿敵ジョーカーの誕生秘話のはずなのに、この結末をどう捉えたらいいものか・・・。
ただ、冷静に考えると、アーサー・フリックって名前はこの作品にのみ使われているジョーカーの名前。
原作のジョーカーは、ジャック・ホワイトが本名だし。
バットマンの宿敵のジョーカーとは別人で・・・
って事であれば、本作の結末も筋が通るのか?
いずれにしても、自分にとっては受け入れがたい作品でした。
今作を観ちゃうと、バットマンのジョーカーって設定なんて無かった方が良かったんじゃないかと思えてしまいます。
相変わらずの観客を巻き込む映画
たぶんこれは、「こんなのジョーカーじゃない!クソつまんない!」って言うのが正解の感想な気がする。
映画の中でも皆が求めていたジョーカーが、最後の法廷でアーサーに戻り、ジョーカーになったことを後悔し、罪を認めるシーンでブーイングが起こっていたように、ハーレイが愛していたのはアーサーではなくジョーカーだったように、我々観客のほとんども前作の様な"ジョーカー"を期待して今作を見に行ったのだと思う。
前作もラストの群衆の視点が我々観客の視点と重なったように、今作もそこが上手く劇中の群衆の心情と重なるように作られていて、確かに見た感想としては、なんだこれ、ジョーカーじゃないじゃんとしか思わなかった。
正直クソつまんなかったし、曲多すぎて最後はもう歌うなとか思ってた。
でもこれもジョーカーを求める劇中のジョーカー信者達にリンクするように作られているとなったらまた見方は変わってくる。前作同様、作品に踊らされてた感が強い。してやられた。
アーサーはアーサーでしかなく、悪のカリスマ=ジョーカーでなはいし、アーサーもそんなことは望んでいなかったのに皆(我々観客含め)が求めるのはジョーカーというジレンマ。非常に評価が難しい作品だと思った。
ジョーカーもアーサー
アーサーを綺麗に残酷に映していてとても良かった、報われないところも素晴らしい。
映画内の民衆はおろか我々観客さえも、彼に求めていたのはジョーカーであってアーサーじゃないという雰囲気が感じられてとても悲しくなった。
人に初めて知られ、認められる偶像ジョーカーと、アーサーにとってのジョーカーには違いがある。彼は世界をぶっ壊してやろうっていう報復者なんかじゃなく、目の前で起きてるありえないだろってことがどうしても許せなくてみんなに知ってほしかった優しい被害者。だから全部ぶっ壊してやるっていう社会の偶像崇拝ジョーカーとはほんの少しのギャップがあった、その小さなギャップをどう飲み込んでいくのかが今回の主題だと感じた。
収監生活、カウンセリング、裁判、愛を通して本当の自分に触れた、ひょうきんを演じてみても、革命家を気取ってみても、根底にあるのは”幸せになりたかった”。彼が欲しかったのはアーサーを見てくれる純な愛だったんだと思う。
最後の、歌はもういいに関しては同感、ジョーカー(コメディアン)として幸せになる妄想をミュージカルに重ねてたのかな。アーサーにとっての幸せはそこにはなかったんだろうね。
最後まで、喜劇でした。
みんなは嫌いだしがっかりしたかもしれないが
結論から言えば、ボク的には最高だった。何もかもが。
ただ、衝撃のラストは思わず「あー!」と声が出てしまったしショッキングだったし
一瞬、ああもうこれは酷評されるわけだと思ったけれど
最後のエンドロールを見ながら、既視感がどうしても拭えない理由を頭の中で模索。
そして思ったのには「ジョンとヨーコだ!」と。
また、自分がアーサー版のジョーカーが好きすぎ脳であるからだとも思うけれど
まさにジョーカーらしいラストだったと思う。心から。
ジョンに心酔しすぎたあまりにジョンを殺害した人がいたように
ジョーカーの人気の質は、まさにあの感じだと、確信。
そして何より、ミュージカルであったこととラブストーリーであるところが
みんなの思うところの「ジョーカー」とは違う!てなっちゃうのもわかるけど
ボクは、真面目に、真剣に、本気でアーサーが大好きなので
リーと恋に落ちる瞬間だとか、すっごく良かったし
完全にアーサーに感情移入して見ていたこともあって
あの面会のシーンなんかはほぼ号泣。
歌も選曲も素晴らしかったし、見に行って本当に良かった。
ジョーカーになって初めて皆に注目され脚光を浴びて救われた前作のアーサーと
ジョーカーでなければ愛されないアーサーの悲哀と絶望を徹底的に描いた今作で完結。
アーサー版のジョーカーの最後は、アレでよい。ボクはそう思いました。
細かいこといっぱいいいたいけど、きりがない気がするのでここで終えますが
アーサーの心の動き、リーの「ハーレイ・クインたる」言動など
どこまでも果てしなく心揺さぶられる良作だと思います。
劇中歌は良かったです
全737件中、621~640件目を表示