ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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That’s life です。
アーサーという男の人生の物語。夢だったコメディアン。人を笑わせて幸せにし、喝采を浴びてごくありきたりな人生を過ごしていたいと思っていたが、抑圧された人生の心の吐け口として生み出されたジョーカーが、自分から離れ独り歩きをし注目されてしまう。過激になればなるほど関心され、盛り上がる大衆が増えていく。真面目で気弱な自分自身とはかけ離れていく。心惹かれたリーに全てをさらけ出し自分自身を認めて欲しく愛情を注いでいくが、リーも大衆と同じで、民意の象徴となったジョーカーに心酔していて、アーサー自身には興味も持っていない。抑圧された人生でずっと孤独と不安に苛まれたアーサーの哀しくも儚い物語。ラストは面会に来てくれた人に会うこともできず最期を迎えてしまう。泣けてくるくらい切ない終わり方でした。また、ここからジョーカーという面を被った沢山の犯罪者が生まれてくる予告になったのかと感慨深いものがありました。
盛者必衰 諸行無常なんて言葉が思い浮かぶ映画でしたね。
フランクシナトラのThat’s life が良かった。何故かDavid Lee Rothが歌っているのが浮かんでしまいました。
前作は善人が狂人へ、本作は狂人が善人に。異なる物語
前作では育った環境や理不尽な扱いにより、心優しきアーサーが狂気と化して怒りと悲しみをジョーカーとなり爆発させます。彼の行為は多くの人から賛同され悪の教祖となりました。本作はその後となります。5人を殺害したアーサーは精神鑑定の為警察病院に収監され、裁判を待つ状態にいます。今のアーサーは狂人の面影はいっさいなく模範的に生活をしています。世間はジョーカーへの熱狂は続いており、病院内で出会う謎の女性リーもその一人です。
本作品は、怒りと悲しみからの行動は突発的なものかなのか、狂気によりジョーカーとなってしまったのかという展開となります。弁護士は二重人格を訴え、リーは狂気のジョーカーへと導いていきます。
前作とは異なる演出としてミュージカル要素を組み込んでいます。謎の女性リーをレディーガガが演じていることもあり抜群の歌唱力ではあります。リーの怪しさを演出するには効果がありますが、歌でアーサーの苦悩を見せてもあまり効果はないと思います。
愛されたいアーサーが突如愛された、その愛に応える為にジョーカーを演じることでより愛された。しかし、愛に目覚めたジョーカーでなくアーサーとして愛されたい。その行動は期待を裏切ることになっていることに彼は気が付かなった。冒頭のアニメ「俺と俺の影」の意味が理解できました。
本作は賛否が分かれています。これも前作に陶酔した鑑賞者としては、更なる狂気の振る舞いを求めていたがまったく異なる展開だったことへの不満にあると思います。
前作の続編ではあるもののまったく異なる切り口となった作品と考えれば、これはこれで評価できる作品と思います。
あの世界はどこへ行ったのか
「バットマン」に悪役として登場するジョーカーを描いた作品として前作は、その誕生の経過から衝撃のシーンなどラストまで納得の行く作品で非常に良かったです。
で、続編の今作はどうなのか?
どうもジョーカー誕生秘話の続きと言うより全く違う路線になってしまっていると感じました。
確かに前作の続きで、その複数の殺人事件を振り返り、現在のアーサーの状態を内面を含め描いています。でもその映像は収容施設と裁判所での出来事が主で、あとは妄想世界でのものだけです。
悪のカリスマ誕生の世界を描いた前作と今作ではその世界観が異なっていて、今回は現実世界のアーサーを描いただけで、ジョーカーの世界ではありませんでした。
ただ自動車爆弾で爆破した裁判所から逃げ出した時はなるほどここから先に繋がるのかと期待しましたが、また捕まって逆戻りしてのあのラスト。これではジョーカーの世界が繋がりません。フォリ・ア・ドゥでは無かったのでは。
ただ一つ、謎の女リーを演じたレディ・ガガは魅力に溢れていて見応えありました。
リーの出てくるシーンは唯一ジョーカーの世界に希望が見えました。
彼女の妖艶な姿が今作ジョーカーをジョーカーとして描ききれた最大の功労者だったのではないでしょうか。彼女を見れて本当に良かった。
いい映画を見ました
「フォリ・ア・ドゥ」二人の障害者を描いた映画で
アーサー獄中恋愛ミュージカル
誰もが信じ崇めてるまさに最強で無敵のジョーカーなんて存在しない
本作で描かれるのはアイドル化したジョーカーの中の人のお話。
人間の皮膚の下には誰も彼も狂気が眠っていて、誰しもがジョーカーになり得る。
一度被ってしまった道化のメイク(ジョーカーの虚像)を落とせば、骨と皮しかない普通の妄想癖の男性が転がっているだけだ。
映画を観に行く観客が観たかったのもジョーカーだった。
アイドル化されたジョーカーの心の闇を自分も感じて悦に浸りたかったのに、「貴方の憧れのアイドルはうんこするよ」と冒頭から見せつけられる。
現実社会でも「ジョーカー」はバッドマン最大の敵役として映画に登場する大人気のヴィランなのはご存じの通りですが、キャラクターの背景は作品によって異なる。
まさに「ジョーカー」とはこんな人物が相応しい。これこそ「ジョーカー」だ!と大衆が思うことで「ジョーカー」は誕生するといった現象が見られる。
本作が本国アメリカで賛否両論巻き起こっているのもそれぞれが思い描く虚像の姿が違うからだと思う。
それは神の姿や声をハッキリとこれがオリジナルだ!と言えないのと同じような物だ。
所詮は人の妄想が生み出したキャラクターに大衆の解釈が乗っかって「神とはこういうものだ」と勝手に定義されていく現象だ。
リーことハーレクインも初めからアーサーではなくジョーカーに恋焦がれていましたね。
SEXを求められた時にメイクをするって描写があって笑ってしまった。私の理想は貴方でなくジョーカー。自分の望む姿になりきれない貴方には魅力を感じないわと突き離される場面は最高に残酷でしたね。
アーサーが感じた幸福感も虚無感も全てジョーカーというキャラクターを介してしか感じることのできない他者との繋がり。
本当の自分は、母親の言うような「馬鹿で笑いも取れないハッピー」だ。
役が一人歩きしてコントロール出来なくなったジョーカーというキャラクターから1人の人間(アーサー)に戻った時、生みの親としての役割は終わる。
ジョーカーを殺した青年は自ら口を裂き、ジョーカーの物語がまた始まる。
誰でも良いんだ。
道化を演じる人が重要なのではない。
ジョーカーと言う概念が引き継がれていくと言う幕切れはアーサー版ジョーカーにとって何というかあっさりし過ぎている。もっと理不尽からの解放と言うカタルシスを浴びたかったと言う思いが正直ある。
看守も裁判官も陪審員も傍聴席も皆殺しにして悪のカリスマとして法廷を出ていくくらいの社会がひっくり返される瞬間を感じたかった。
いや、そんな馬鹿げた妄想は現実社会では起こらない。
奇跡も救いもないよ。神は偶像だからね!ってまざまざと見せつけられる映画だった。
映画の中でくらい神を描ききってよと思う時点で自分も虚像に踊らされる観客の1人にすぎないと思い知らされる。
きっとアメリカで受け入れられないのも宗教的な解釈では神の実態なんてこんな物だよーと言われているような映画だからだと思う。
主演のホアキンの演技あってこその2時間だっと思う。それでなきゃ飽きてしまって、間延びしてしまって眠くなる。
レディガガのハーレクインはミーハー過ぎて好きになれなかった。貴方は私の神様よ!と心酔しているけど、自分が望む奇跡を起こせなかったら離れていくって信仰心が薄いんじゃない?アイドルも神もジョーカーも信者がいてこそ大物になるんでしょうが。
前作のようなカタルシスを感じようとこの映画を観にいくのはお勧めしません。
楽しめる人もいるし、もうやめてあげてよとなる人もいる作品です。
私は楽しめませんでした。
ジョーカーと名乗る作品ならやっぱり観客が観たいのはジョーカーなんだよな。
ゴッサム版 敏江・玲児と思いきや……
アーサーとリーのど突き漫才の場面が、妙にツボにはまるというか、気に入ってしまいました。
それはさておき。
私はミュージカルが好きで、全編せりふが歌の歌合戦以外は、歌ったり踊ったりする場面は妄想、頭の中の世界なんだろうなと思っていつもミュージカルを見ていました。
なので、今回も歌のシーンは、アーサーの妄想かな、くらいに思い見ていたのですが、傘の場面で、歌のシーン以外も妄想、または現実かどうか分からない世界なのかもと思いはじめました。気づくの遅いけど。
横から見ると黒い傘が上から見るとカラフル。
ニューヨークと言ってみたり、ゴッサムと言ってみたり。
アーカムのこととか(ゴッサムの設定はあるのかないのか)。
メイクも落としたはずなのに、次のシーンでは、繋がっていると思えるのについていたり。
もしかして、そういうことなんだと。「そういうこと」を上手く言葉にできないけど。
そして、映画館からの帰り道。
自転車を漕ぎながら、無意識に「Close To You」を歌っていました。深夜だから、周りに人もいなくて、結構、堂々と。
そして「あ!こういうことなんだ」と納得。
歌が多かったことも納得。
Just like me They long to be close to you.
うーん…なんだろう…
そうですよね
ダークナイトのカリスマはこの世にはいなかった。
前作で生まれた持たざる者、虐げられる者のヒーローは確かにいたけど、本人の器を超えたカリスマはいなかった。
爆破でワクワクした自分と、そんな上手くいくかいとリアリティの破綻に不安になった自分がいたが、どちらかというと今はワクワクをへし折られた感が強め。
ほとんどの人は何者でもないことをわざわざ言わんでも良いのに言われた感じ。
まあそうですよね、という空気に満たされる深夜の映画館なのでした。
◼️「ジョーカーの全否定」ですよね
酷評だと言う事で身構えていたのですが、まあまあ良かったです。
ミュージカル部分も、そんなには気になりません。
前作から監督・役者は同じため方針はブレていません。
一言で言うと「悪のカリスマとしてのジョーカーの全否定」です。
今回はこれを見てジョーカーに成りきる人は現れないと思う。
ですがこの内容を知り自害する人が現れる様な気がします。
ただの社会に馴染めなかった、哀しい人として惨めに描かれているからです。
この世界線ではバットマンと争うどころか、存在しないかも。
【 酷評の理由 】
前作で大きな誤解が有ったんだと思います。
前作を見た人の多くが、
「これがジョーカーの誕生なんだ…」とか
「ここからあのダークナイトのジョーカーに繋がるのか…」とか
そう思ったに違いありません。
前作は確かにそれを期待させるラストにも見えました。
ですが今回「ダークナイトのジョーカーに繋がらない」ってのが、
はっきりしたため、期待を裏切られたように感じる人が多かったのかなぁと推測します。
結末は現実のようにつまらない
結局、最初からジョーカーなんていなかった。
前作で思いもよらず悪のカリスマに祭り上げられてしまったアーサー。悪のカリスマと崇められても、なぜ崇められてるのか、アーサー自身が全く理解できてないし、興味すらない。
ただジョーカーに興味を持ってくれた一人の女性に好かれたくて、ジョーカーになろうと演じて、本当のアーサーを必死に隠そうとする。
終始、破滅する未来しか見えないが、人々を惹きつける立ち振る舞いや、ジョーカーの妄想、歌の高揚感で、もしかしたら本当に悪のカリスマ•ジョーカーになれたなら、大どんでん返しもあるかもと期待させつつ、結末は現実のようにつまらないものであった。
結局、カリスマなんて蓋を開けてみれば、ただのつまらない一人の人間。崇める人々も彼らが本当に望んでいるのは破壊の代償によるカリスマの破滅。
製作者の「現実なんて至極真っ当でつまらないもの」という正論が垣間見えて、少しイラっとする。映画としては良い映画。エンタメとしては0点。
そりゃ、コケるわな。デートに使わないでね。(「ダンサー・イン・ザ・ダーク」かぁ?)
アメリカでコケたらしいじゃん。そりゃ、そうだ。
全編、妄想の中でのミュージカルで話の盛り上がりの展開無し。
法廷で主人公が(自己肯定の)一隻ぶって場を盛り上げるのかと思いきや不意に主人公が容疑を白状しだして話が尻すぼみ。脱走したと思ったら、女にフラレて刑務所に逆戻り。
最後にゃ、ちょっせー居たのか居なかったのかわかんない奴にブスッとやられて終わり。
結局、主人公の救いのない妄想に観客を付き合わせただけ。また新鮮味の無い話。
これじゃ、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」と同じじゃん。他の観客もそう思っていたんじゃないの?
まぁ、制作者も馬鹿じゃないだろうから色々と意図があると思うがこっちはそんなの知ったこっちゃねぇよ。
主人公殺しといてこの先どうすんのよ。3回目作って主人公復活させんの?
復活させないと辻褄合わねぇじゃん。例によって「ホアキン」はギリギリじゃん。さすがに3回目は無ぇぜよ。死んじゃうよ。
「バットマン」は「ワーナー」が社運を掛けるドル箱なんだからコケたら会社潰れるよ。監督はどうオトシマエつけんのよ。知らねぇよ。またデズニーに食われちゃうじゃんよ。
ほんとにどうすんのよ。
「どうでもいいけど。」
That's das◯ku.
前作はジョーカーの復讐劇に勝手に「自分も社会の被害者だ」と思わせ、観客自身に「俺もジョーカーだ」と自己投影させたところが面白かったし、ブラックユーモアも満載にあり、"鬱"娯楽大作として大変良い作品だった。
しかし今作はというと、、、
なぜか急にやりだしたミュージカル。意味わからん。レディー・◯ガの宣伝のために無理くりに捩じ込んだとしか思えない。
なぜならミュージカル描写が、この映画に必然だとする根拠が劇中明示されたようには思えないからだ。
また前作(期待し過ぎた私も悪いが)は哀れな男の鬱憤がたまりに溜まって徐々に徐々に爆発していき、最後の最後で大爆発するというエンターテイメント性があったが、今作では途中「お?とうとう来るか?狂気爆発か?」と思わせる描写はあったものの、最後の最後まで不発に終わり、私と同じように今作を"つまらない"と下した観客のように「報いを受けろ」とアーサーを刺してお終い。
特に裁判は何回も開かれ、ジョーカー爆発のチャンスが幾度となくあったのにもかかわらず、これまたそれほど変化は起こらず。
申し訳ない言い方だが、今作を個人的に一言でまとめると、
「いつ面白くなる(前作のような狂乱爆発)かな?と思って見ていたら、特にこれといって何も起こらず2時間半が過ぎていた。」
という感想になった。
確かに現実(ジョーカーはただの人間であり、それを発言したアーサーに失望した人々=今作を駄作という観客)を見せられた我々もまたジョーカーに踊らされた、あるいはジョーカーの一部なのかもしれないし、制作側もそれが狙いだったのかもしれない。
しかし少なくとも私は、制作側の
「この映画を駄作という者もまたジョーカーに期待し過ぎた劇中に出てきた傍聴人や群衆ジョーカーと同じなんだよ。はは笑。やっぱり僕たちの狙い通り、前作のジョーカーに期待し、落胆してくれたね。読み通りだ。」.....といった彼らの自己満足のためにお金を払ったのではないのだが(それにしてもIMAXで見るとかなり高くつくのは初めて知った。ぶっちゃけそこまで違いが分からなかっただけ尚更金がもったいなかった).....
なぜこの映画は賛否が分かれるのか
私はこの作品に⭐︎4と付けた。
しかし、自分自身でもこの評価に納得はいっていない。
なぜなら、この映画は評価を与えるのが非常に難しい...いや無理だと感じているからだ。
ドルビーシネマで10/11の公開日に鑑賞。
>まず分かっていただきたいのは、⭐︎4とはいっても全ての項目が⭐︎4前後というわけではない。
満点に近いと感じた部分も多く存在する。
それは“俳優の演技”と“映像美”、“世界観”だ。
前作同様のクオリティを期待して問題ない。
加えて、今作は歌のシーンが多く登場する。
その部分に関しても、世界観にマッチしていて、それにレディーガガの活躍も相まって、非常に満足できる出来であった。
(ホアキンフェニックスの歌唱力については、是非劇場で確認して欲しい)
>さて、今作で議論になるのはストーリーだろう。
正直なところ、面白かったかと言われれば、素直にハイとは言えない。
というのも、前作とはジャンルがだいぶ違うからだ。
前作は内容的にはどちらかと言えばヒューマンドラマになるだろう。
起承転結もそれなりにあったし、小説にしても成り立つストーリーの構造だったと思う。
しかし、今作は個人的には一種の芸術作品という印象を受けた。
しっかりした物語、起承転結があるわけではない。そして、映画でしかできない表現で、人によって多くの解釈ができるようになっている。
私は2作目というより『スピンオフ』という方がしっくり来た。
もちろん、話は続きでで間違いないのだが、とはいえ続編というにはジャンルや話の構成がが違いすぎる。
>なぜ賛否が分かれているのか。
JOKER(前作)にどのような面白さを見出していたか、が大きな理由の一つだと私は感じている。
まず楽しめた人。
その人たちは前作に“俳優や独特な撮影技法を含めた世界観”や“人間の心理描写を含むヒューマンドラマ“に魅力を見出せたのだろう。
一方、楽しめなかった人。
それは上記で書いたような魅力よりも、”悪役としてのかっこよさ“や”純粋なストーリーとしての面白さ“。
詰まるところ、ダークなアメコミとしての魅力を感じていたのではないだろうか。
つまり、
(タクシードライバーのような)『ダークなヒューマンドラマ』として見ていたか、
『アメコミの映画』として見ていたかが大きな分かれ目だったのではないかということだ。
>いろいろ書かせていただいたが、続編としては一つの正解だと感じている。
前作の出来は素晴らしく、そのまま続編を作ったところで2番煎じで終わっていただろう。
だが、あえて方向性をずらすことで、別の作品としての地位を確立している。
とはいっても、個人的には続編を作らないのがベストだったとは思う。
しかし、続編を作らないといけなかった以上、こういう内容にしたのはベターだったのではなかろうか。
>見るかどうか迷っている人へ。
結論としては、前作で世界観や映像表現を好きになれた人は迷うことなくいって欲しい。
きっと満足できるだろう。
しかし、前作で満足しており続きを見たくない、また解釈が分かれる芸術的な作品が好きではない人。
それに前作を見ていない人だ。
※おすすめの映画館
ドルビーシネマ≧imax gt>>その他imax>4dx
長くなってしまったが、最後に、私個人としてはこの作品を見て良かったと強く感じている。
この文を読んでくれた人が見に行くかは分からない。
しかしもし見に行くのだとしたら、私のようにこの映画に浸り、そして自分なりの解釈を持って欲しい。
それがこの映画の正しい楽しみ方だろうと私は信じている。
期待はずれ
美しく残酷なロマンス
全て持っていて、安全圏から危険を求めていたハーレイ。全て持たずに、ただ自分を見てくれる理解者が欲しかったアーサー。
出会った瞬間から2人は破綻していた。
それでも縋ったアーサーと、気付いても彼をジョーカーに染め上げようとした残酷なハーレイ。対比が美しく儚い。人は何故夢を見るのだろう。ハーレイはジョーカーに夢を見せて欲しかった。アーサーは2人で夢を見たかった。
アーサーにとって本当にハーレイ以外はどうでも良かった。多少嘘でも構わなかった。
でもハーレイにとって、少しでも嘘であればジョーカーではない。全てが無意味と化してしまう。あまりにも非対称なロマンスだ。
演出も素晴らしい。2人がショーをするシーンでアーサーがハーレイに言った「なぜ僕の方を見ないで歌うの?」というシーンから暗雲が立ちこめる。
穴倉のシーンで素のまま愛し合おうとしたアーサーを拒否し、「本当のあなた」を見せてとハーレイ自らアーサーにメイクを施してジョーカーに染め上げる所もゾッとした。面会の口紅にアーサーの笑顔を重ねるのも、やっぱりハーレイの理想とするジョーカーの笑顔を無理矢理作らせているみたいで苦しかった。煙草の煙を口移しするシーンもそう。ハーレイが見ているのはジョーカーだけで、吐き出したアーサーの内面はハーレイが口だけで吸い込んで受け止める。
とても皮肉でロマンチックな魅せ方だと思う。
民衆もそうだった。
爆破から目覚めたアーサーを見つけるなり、本人の意思も聞かずに、自らが祭り上げる「ジョーカー」として車に乗せて走り出した。行き先も考えずに。結局そこで待っていたのは渋滞と、アーサーにとって苦しみの記憶の過去の街。アーサーが景色に気づいてから脇目をふらずに下車して走り出すシーンは見ていて本当に辛かった。あの時、彼にはハーレイという希望しか見えてなかったんだと思う。今まで辛い時、ずっとトボトボと登ってきた階段を、ジョーカーと化して笑顔で駆け降りた階段を、ハーレイに会う為にまたトボトボと登っていく。とても勇気が必要だったと思う。
例え暗い過去だったとしても、アーサーは再び自分の足で歩いて階段を登った。その背中はとても優しく、アーサーとしてハーレイに会いに行ったんだと思う。
でも駄目だった。
「ジョーカーはいない。どこにも行けない」
そう言ってアーサーに背を向けて階段を登って去っていくハーレイを、やっぱりアーサーは追えなかった。その先を登るのがどんなに苦しい事か、知っているから。
結局アーサーは弱かった。でもその弱さを受け入れてくれる場所はどこにもなかった。
その意味で、最後に彼は誰でもない奴の受け皿になった。法で裁かれるよりはよっぽど良かったのかもしれない。切ないけど、ラストシーンはあれで良かったと思う。
そして結局、僕らはジョーカーという狂気を見たくて仕方がないだけの、狂ったあの民衆と同じだ。
それを悟った時、本当に寂しい気持ちになった。とても残酷で美しい、儚い映画だった。
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