ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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丁寧に冷水を浴びてる気分
前作が熱狂的なシーンや徐々に狂気を帯びていく様子やラストシーンでの考察など熱を感じたが
今作ではバカなマネしたらこうなる、犯罪をしたら最後は碌な事にならないを見せつけて落ち着いてバカな事をするなと熱を冷ます作品に思えた
悲しい男の……
確認ですがバットマンのジョーカーではありません。他の世界のジョーカー。
今回のジョーカーは誰も殺しません。
孤独で切れた男も愛する人が出来、希望を持ちますが、結局、理性を取り戻しおかげて全てが手を離れる。唯一彼のファンだった群衆にも彼は心を委ねる事が出来ず………。
悲しい男のミュージカル映画でした。
自分はのりませんでしたが、確かに、のった人は絶賛するのが解る作品でした。
…ですが忘れられない作品にはなると思います。それが名作と言うものなのでしょうか?
もし、一作目も見ていないひとがいたら、今作がレンタルを始めたらぶっとうしで見るのをオススメします。
そうしたら絶対はまります。
監督の落とし前
先週のシビル・ウォーは楽しくないロードムービー。
今週は、ちっとも楽しくないミュージカル。
前作は、the rest of usの映画でした。
自分がthe restを思った人たちに、共鳴し、世界的に悲惨な事件が起こりました。
その後はさらに歪んだ自称the restな人たちが現れて、一部から熱狂的に支持されたりしています。言うまでもなく、MAGAな人が代表です。我が国でも、真面目にNPOを運営している人を口撃したり、立場の弱い人を排斥したりして喝采を浴び、クラファンで多額の資金を集めてしまったりしています。監督の望んだのはそこじゃなかったんです。
大事なのは愛。愛されなくても、汝の隣人を愛すること。
肥大した承認欲求が満たされても、「誰とも付き合ったことがない、おそらく童貞」は哀れ。そのうち飽きられて、別の誰かに取って代わられ、忘れられてしまう。一番最後の場面で、アーサーの後ろで何が起こっているかよく見ればわかります。
さて、レディーガガはスター誕生は見ているわけですが、歌唱が素晴らしかったです。ボソッと歌い出すだけで、すごく説得力があります。すでに、「ハーレクイン」というアルバムが配信されていますが、ボソッと歌ったアカペラバージョンもリリースして欲しいくらいです。フォアキンもなかなかでした。大体主演の二人の心情は歌詞の通りなので、字幕をちゃんと読みましょう。
アメリカでも賛否分かれているようですが、トッド・フィリップスの「ジョーカー」を正しく理解するには、2本ども鑑賞することが必要です。万人受けはしないと思いますが、素晴らしい出来だと思います。
ロマンス映画として見応えあり
ジョーカーは如何にして誕生したのか?その過程を描いた前作は、現実世界と地続きのようなリアルな世界観だったこともあり、極めて社会風刺性の強い作品だった。アーサーのような社会的弱者が悪の権化ジョーカーに変貌していく姿には、これまで観てきたどのジョーカーよりも生々しさが感じられ夢中になったものである。
ところが、今回の彼は過酷な刑務所の中でまるで死人同然のような暮らしを送っている。どうやら前作の2年後という設定らしいが、この間にアーサーの中で何があったのか?おそらく観客の多くは稀代のヴィランの次なる活躍(?)を期待したに違いない。しかし、そんな期待を大きく裏切るような展開で物語はスタートする。
聞けば、本作は劇場公開直後から賛否両論渦巻いているそうである。確かに続編として考えた場合、違和感を持つ者が多くいるのも分かるような気がする。ただ、これは作り手側も狙ってやっているのだろう。
悪のカリスマに昇りつめたアーサー。そんな彼に感化され混沌としていく世界。その構図を一旦ひっくり返すことによって新たなストーリーを仕切り直す。何なら前作に熱中した自分のようなファンを煙に巻くかのような大胆不敵な”挑戦”のようにも感じられた。
しかして、その新しい物語とはズバリ、ロマンスである。
アーサーは彼を信奉する女性リーと出会うことで徐々に生きる希望、つまり再びジョーカーというペルソナを被ることでカリスマ性を蘇らせていくようになる。
普通であれば、早速二人で脱獄か!と相成るわけだが、ここでも物語は観客の望む方向へとは向かわない。しかも、二人の関係は決して諸手を挙げてハッピーエンドとはならない。前作同様、ダウナーなトーンが横溢する。
確かに前作のような狂気性、社会風刺的な面白みは後退してしまった感じはする。しかし、前作と一旦切り離して本作単体として観れば大変切ないメロドラマになっていて、個人的には十分に楽しむことが出来た。
また、今回はミュージカル仕立ての作りになっており、これも前作と大きくテイストを異にしている。歌やダンスはアーサーの妄想の中や、音楽療法中のリーが主に担当している。周囲の人間が一斉に歌い踊るような群舞や、セリフを無理やり歌詞に乗せて歌うといったミュージカル映画のお約束は出てこない。したがって、本作は厳密に言えばミュージカル映画とは言えないのかもしれない。自分はミュージカルというよりもドラマに近い感覚で違和感なく観ることが出来た。
楽曲は往年のハリウッド・ミュージカルのスタンダードナンバーや、割と最近のポップスまで幅広い。歌詞の内容がアーサーやリーの心情を表現しているので自然と聴くことが出来た。
とりわけ、二人の面会シーンは白眉だと思った。
但し、ミュージカルシーンはもう少しケレンミがあっても良かったように思う。豪華絢爛とまではいかないにしても、アーサーの妄想の中だけでも、目を見張るようなスペクタクルが欲しい所である。聞けば製作費は前作の約4倍、2億ドルということである。一体どこにこれだけのお金がかかったのか。
アーサーを演じたホアキン・フェニックスの鬼気迫る怪演は今回も素晴らしかった。冒頭で激ヤセした姿が披露されるが、すでにこの時点で引き込まれてしまった。一方、歌とダンスは今一つ。かすれたような悲しげな歌声は味わい深いが、上手いかと言われると正直微妙な所である。
特に、リーを演じたレディ・ガガが見事な歌声を披露しているので、二人のデュエットシーンになると力量の差がはっきりと出てしまう。
That’s life です。
アーサーという男の人生の物語。夢だったコメディアン。人を笑わせて幸せにし、喝采を浴びてごくありきたりな人生を過ごしていたいと思っていたが、抑圧された人生の心の吐け口として生み出されたジョーカーが、自分から離れ独り歩きをし注目されてしまう。過激になればなるほど関心され、盛り上がる大衆が増えていく。真面目で気弱な自分自身とはかけ離れていく。心惹かれたリーに全てをさらけ出し自分自身を認めて欲しく愛情を注いでいくが、リーも大衆と同じで、民意の象徴となったジョーカーに心酔していて、アーサー自身には興味も持っていない。抑圧された人生でずっと孤独と不安に苛まれたアーサーの哀しくも儚い物語。ラストは面会に来てくれた人に会うこともできず最期を迎えてしまう。泣けてくるくらい切ない終わり方でした。また、ここからジョーカーという面を被った沢山の犯罪者が生まれてくる予告になったのかと感慨深いものがありました。
盛者必衰 諸行無常なんて言葉が思い浮かぶ映画でしたね。
フランクシナトラのThat’s life が良かった。何故かDavid Lee Rothが歌っているのが浮かんでしまいました。
前作は善人が狂人へ、本作は狂人が善人に。異なる物語
前作では育った環境や理不尽な扱いにより、心優しきアーサーが狂気と化して怒りと悲しみをジョーカーとなり爆発させます。彼の行為は多くの人から賛同され悪の教祖となりました。本作はその後となります。5人を殺害したアーサーは精神鑑定の為警察病院に収監され、裁判を待つ状態にいます。今のアーサーは狂人の面影はいっさいなく模範的に生活をしています。世間はジョーカーへの熱狂は続いており、病院内で出会う謎の女性リーもその一人です。
本作品は、怒りと悲しみからの行動は突発的なものかなのか、狂気によりジョーカーとなってしまったのかという展開となります。弁護士は二重人格を訴え、リーは狂気のジョーカーへと導いていきます。
前作とは異なる演出としてミュージカル要素を組み込んでいます。謎の女性リーをレディーガガが演じていることもあり抜群の歌唱力ではあります。リーの怪しさを演出するには効果がありますが、歌でアーサーの苦悩を見せてもあまり効果はないと思います。
愛されたいアーサーが突如愛された、その愛に応える為にジョーカーを演じることでより愛された。しかし、愛に目覚めたジョーカーでなくアーサーとして愛されたい。その行動は期待を裏切ることになっていることに彼は気が付かなった。冒頭のアニメ「俺と俺の影」の意味が理解できました。
本作は賛否が分かれています。これも前作に陶酔した鑑賞者としては、更なる狂気の振る舞いを求めていたがまったく異なる展開だったことへの不満にあると思います。
前作の続編ではあるもののまったく異なる切り口となった作品と考えれば、これはこれで評価できる作品と思います。
あの世界はどこへ行ったのか
「バットマン」に悪役として登場するジョーカーを描いた作品として前作は、その誕生の経過から衝撃のシーンなどラストまで納得の行く作品で非常に良かったです。
で、続編の今作はどうなのか?
どうもジョーカー誕生秘話の続きと言うより全く違う路線になってしまっていると感じました。
確かに前作の続きで、その複数の殺人事件を振り返り、現在のアーサーの状態を内面を含め描いています。でもその映像は収容施設と裁判所での出来事が主で、あとは妄想世界でのものだけです。
悪のカリスマ誕生の世界を描いた前作と今作ではその世界観が異なっていて、今回は現実世界のアーサーを描いただけで、ジョーカーの世界ではありませんでした。
ただ自動車爆弾で爆破した裁判所から逃げ出した時はなるほどここから先に繋がるのかと期待しましたが、また捕まって逆戻りしてのあのラスト。これではジョーカーの世界が繋がりません。フォリ・ア・ドゥでは無かったのでは。
ただ一つ、謎の女リーを演じたレディ・ガガは魅力に溢れていて見応えありました。
リーの出てくるシーンは唯一ジョーカーの世界に希望が見えました。
彼女の妖艶な姿が今作ジョーカーをジョーカーとして描ききれた最大の功労者だったのではないでしょうか。彼女を見れて本当に良かった。
いい映画を見ました
「フォリ・ア・ドゥ」二人の障害者を描いた映画で
アーサー獄中恋愛ミュージカル
誰もが信じ崇めてるまさに最強で無敵のジョーカーなんて存在しない
本作で描かれるのはアイドル化したジョーカーの中の人のお話。
人間の皮膚の下には誰も彼も狂気が眠っていて、誰しもがジョーカーになり得る。
一度被ってしまった道化のメイク(ジョーカーの虚像)を落とせば、骨と皮しかない普通の妄想癖の男性が転がっているだけだ。
映画を観に行く観客が観たかったのもジョーカーだった。
アイドル化されたジョーカーの心の闇を自分も感じて悦に浸りたかったのに、「貴方の憧れのアイドルはうんこするよ」と冒頭から見せつけられる。
現実社会でも「ジョーカー」はバッドマン最大の敵役として映画に登場する大人気のヴィランなのはご存じの通りですが、キャラクターの背景は作品によって異なる。
まさに「ジョーカー」とはこんな人物が相応しい。これこそ「ジョーカー」だ!と大衆が思うことで「ジョーカー」は誕生するといった現象が見られる。
本作が本国アメリカで賛否両論巻き起こっているのもそれぞれが思い描く虚像の姿が違うからだと思う。
それは神の姿や声をハッキリとこれがオリジナルだ!と言えないのと同じような物だ。
所詮は人の妄想が生み出したキャラクターに大衆の解釈が乗っかって「神とはこういうものだ」と勝手に定義されていく現象だ。
リーことハーレクインも初めからアーサーではなくジョーカーに恋焦がれていましたね。
SEXを求められた時にメイクをするって描写があって笑ってしまった。私の理想は貴方でなくジョーカー。自分の望む姿になりきれない貴方には魅力を感じないわと突き離される場面は最高に残酷でしたね。
アーサーが感じた幸福感も虚無感も全てジョーカーというキャラクターを介してしか感じることのできない他者との繋がり。
本当の自分は、母親の言うような「馬鹿で笑いも取れないハッピー」だ。
役が一人歩きしてコントロール出来なくなったジョーカーというキャラクターから1人の人間(アーサー)に戻った時、生みの親としての役割は終わる。
ジョーカーを殺した青年は自ら口を裂き、ジョーカーの物語がまた始まる。
誰でも良いんだ。
道化を演じる人が重要なのではない。
ジョーカーと言う概念が引き継がれていくと言う幕切れはアーサー版ジョーカーにとって何というかあっさりし過ぎている。もっと理不尽からの解放と言うカタルシスを浴びたかったと言う思いが正直ある。
看守も裁判官も陪審員も傍聴席も皆殺しにして悪のカリスマとして法廷を出ていくくらいの社会がひっくり返される瞬間を感じたかった。
いや、そんな馬鹿げた妄想は現実社会では起こらない。
奇跡も救いもないよ。神は偶像だからね!ってまざまざと見せつけられる映画だった。
映画の中でくらい神を描ききってよと思う時点で自分も虚像に踊らされる観客の1人にすぎないと思い知らされる。
きっとアメリカで受け入れられないのも宗教的な解釈では神の実態なんてこんな物だよーと言われているような映画だからだと思う。
主演のホアキンの演技あってこその2時間だっと思う。それでなきゃ飽きてしまって、間延びしてしまって眠くなる。
レディガガのハーレクインはミーハー過ぎて好きになれなかった。貴方は私の神様よ!と心酔しているけど、自分が望む奇跡を起こせなかったら離れていくって信仰心が薄いんじゃない?アイドルも神もジョーカーも信者がいてこそ大物になるんでしょうが。
前作のようなカタルシスを感じようとこの映画を観にいくのはお勧めしません。
楽しめる人もいるし、もうやめてあげてよとなる人もいる作品です。
私は楽しめませんでした。
ジョーカーと名乗る作品ならやっぱり観客が観たいのはジョーカーなんだよな。
ゴッサム版 敏江・玲児と思いきや……
アーサーとリーのど突き漫才の場面が、妙にツボにはまるというか、気に入ってしまいました。
それはさておき。
私はミュージカルが好きで、全編せりふが歌の歌合戦以外は、歌ったり踊ったりする場面は妄想、頭の中の世界なんだろうなと思っていつもミュージカルを見ていました。
なので、今回も歌のシーンは、アーサーの妄想かな、くらいに思い見ていたのですが、傘の場面で、歌のシーン以外も妄想、または現実かどうか分からない世界なのかもと思いはじめました。気づくの遅いけど。
横から見ると黒い傘が上から見るとカラフル。
ニューヨークと言ってみたり、ゴッサムと言ってみたり。
アーカムのこととか(ゴッサムの設定はあるのかないのか)。
メイクも落としたはずなのに、次のシーンでは、繋がっていると思えるのについていたり。
もしかして、そういうことなんだと。「そういうこと」を上手く言葉にできないけど。
そして、映画館からの帰り道。
自転車を漕ぎながら、無意識に「Close To You」を歌っていました。深夜だから、周りに人もいなくて、結構、堂々と。
そして「あ!こういうことなんだ」と納得。
歌が多かったことも納得。
Just like me They long to be close to you.
うーん…なんだろう…
そうですよね
ダークナイトのカリスマはこの世にはいなかった。
前作で生まれた持たざる者、虐げられる者のヒーローは確かにいたけど、本人の器を超えたカリスマはいなかった。
爆破でワクワクした自分と、そんな上手くいくかいとリアリティの破綻に不安になった自分がいたが、どちらかというと今はワクワクをへし折られた感が強め。
ほとんどの人は何者でもないことをわざわざ言わんでも良いのに言われた感じ。
まあそうですよね、という空気に満たされる深夜の映画館なのでした。
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