ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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賛否両論もやむなし
本日、見てきました。
率直なところ 「これで終わりなん?」と見終わった直後は
感じましたが、あれだけ大ヒットした前作の続編を
つまらんの一言で終わらせるのもなんだかなあ、と
思い直して、いろいろ考察と言う名のこじつけを
語っていきたいと思います。
まずタイトルのFOLIE A DUEX の意味ですが
Wikipedia によれば
「個人の妄想が別の個人に伝染する」「感応精神病」
との事です。
これは劇中でのアーサーとリーの事でもあり
この映画を見ている観客のダブルミーニングと思われます。
さらに言えば冒頭のアニメで示された
「実在の人物アーサー・フレック」と
「虚像であるジョーカー」の関係ともとれる様に思います。
あくまで本人の影でしか無いジョーカーという存在に
本人であるアーサーが振り回される(乗っ取られると
いってもいいかもしれません)
劇中でも民衆が望んでいるのは「反体制のヒーローたるジョーカー」
であって「精神疾患を抱えたアーサー・フレック」では
ありませんでした。
改めて考えてみると
前作は
「社会的弱者のアーサー・フレックが予期せぬ形で手に入れた
ジョーカーという虚像」の物語で
今作は
「ジョーカーという虚像に振り回された挙句に
破滅してしまうアーサー・フレック」の物語だと
言えると思います。
あくまでも主役は「アーサー・フレック」であって
けっして「ジョーカー」ではなかったという事なのでしょう。
そして観客もまた「ジョーカーという虚像」に翻弄させる事に
なってしまうが故の賛否両論という事でしょうね。
「ジョーカー」のいう言葉の記号性を考えたら無理もないですよね。
まして今作はレディー・ガガの役どころがハーレイ・クインであれば
なおさらですよね。
ただ前作にしろ間にはさまれた「ザ・バットマン」にしろ
単純なアメコミキャラの映画ではなく
現実と虚構が混沌とした世界観ですので
「ジョーカー」「ハーレイ・クイン」の名前が持つ意味も
自ずと異なってきます。
むしろ「今作のヴィランは?」と考えたら
間違いなくリーの方ですよね。
「放火を起こしてアーサーと一緒に脱獄を企てても
独房に入れられるどころか、看守を買収して
アーサーの独房に忍びこむ」
「電気店のTVを堂々と盗む」
「新聞ざたになっても平然と裁判の傍聴席最前列に鎮座する」
よっぽど悪党やん?!
ラストシーンも自らは刺殺され、刺した奴が新たなるジョーカーに
なるのを示唆する感じで終わり。
哀れ極まりないですやん?
まあ6人を殺めたのは事実ですから
「因果応報」なんですけど
娯楽映画としてのカタルシスは得られませんね。
前作の影響力を反映した
ある意味アンチテーゼともとれる作風ですが
前作と今作もまた
FOILIE A DUEXなのでしょうね。
テーマは悪のカリスマなんて所詮は偶像‼️
タランティーノがジョーカー観てコミックオタクと観客とワーナーの株主にクソ喰らえって言ってると発言してるのね🤡更に監督自体がジョーカー🃏だって名言を言ってて👍
評価が分かれて賛否でカオスになるの含めてジョーカーである監督に混乱させられてるとか最高のジョークですよ🤡
ジョーカーに感化されて実際に日本で(つうか全世界で)犯罪を犯したやつとか居たから監督が実際の事件に対する罪を償う為にワザとにリー(観客の心情はリーと全く一緒になる仕掛け)と同じ気分にさせて超カッコいい悪のカリスマジョーカーなんて居ねえからって失望させるまでが監督の狙いって色々厄介な作品内容ですね!(じゃないと所詮映画のはずなのにバカが影響されてジョーカーの模倣犯が実際に人を殺したりするから抑止の為にもこういう作品にするしかないですからね)
1を観て良かったとかホアキンジョーカーカッコいいと思う人を完膚なきまで叩きのめすのが今作の目的だし🙀💀
恋をして人としてやっと少し前進できそうになり希望をもったタイミングが六人殺して精神病院にいて裁判始まる寸前の時だし(しかもリーが好きな相手がアーサーじゃなくてジョーカーっつうのがまた面倒くさい笑)
自分はそうでも無いのに周りがリアルな等身大の自分以上に周りが勝手に騒ぎ立ててカリスマ性だけが一人歩きしていく様を見せつけてくる演出も中々ですねしかし🤔
賛否両論というよりこんなの悪く言われたくて監督が作ってるんだから(カリスマジョーカーを全否定する為の作品なので低評価こそある意味高評価の証だったりするからややこしい☠️)
結局賛否が分かれないと作品として失敗ですから😆
あとホアキンの演技は相変わらずヤベぇのと(ボーは恐れているで丸々と太ったオッサンからの骨ガラジョーカー🃏ってマジかよ🐽🦴😨)ミュージカルで脳内妄想を見せる演出でカオス過ぎるし延々と裁判だと思って無くて多方向に想定外過ぎました👾
オチも含めてホアキンの続編を作る意志も無いし👋(完璧に終わらせたし🪦)
結局低評価をつけた人も含めて監督の思惑通りという事でお互いウィンウィンだったりするんよな🥹
ホアキンジョーカーを作ってしまった監督のケジメを目撃させられましたね🫶👏✊👍👌(自分は嫌いじゃないです❤️🔥) つうかジョーカー監督に惑わされましたね完全に🫣
ジョーカーの勘違いを終わらせる。
悪人は"もしかしたら"を考えない人です。「もしあの時こうしていたら」などという発想なく最初から突っ走れる人間。そういう意味ではアーサーは悪とは対極にいる存在、弱すぎるが故に溜め込んだ鬱憤を爆発させカリスマとして持ち上げられてしまう。それは映画を見た現実世界の人間にまで影響を与えてしまった。日本でも"勘違い"したリアルジョーカーを生むまでに至ってしまった。今の社会状況を鑑みればこのようなストーリーにせざるを得なかったのではないか。アーサー(ジョーカー)よりも刑務所の中、街中に響く嘲笑のような笑い声の方がよっぽど恐ろしい。
「アーサー」
フォリアどう
ボクはこの切ないラブストーリーに酔ったよ
ビージーズの初期のヒット曲 "to love somebody"(爽やかなラブソングなんだけど意外にも Janis Joplin もカバーしている名曲)をジョーカーとリーがstageの上で歌い上げる。さすが Lady Gaga 歌がうまい。ホアキン・フェニックスの歌はうまいとは言えないがいい感じ。そしてLady Gaga演じるリーはカーペンターズの名曲 "close to you"を憧れの恋するジョーカー様に捧げる。"close to you" の歌詩が見事にはまる。リーの乙女心にぴったり。そして"Gonna Build a Mountain" をバックに恋する2人がダンスを踊る。セピア色の画面の中、二人のシルエットが美しい。そして切ない。二人の恋心は完全な妄想のなせる業(恋愛なんて所詮どれもこれも妄想なんだよ)なんだけど分かってるだけに余計に切ない。ジョーカーを主人公にした映画"コレでいいの?"なんて思いながら僕はこの美しくも切ないミュージカルを堪能しました。
擁護してやるよ! 実は「つまらなさ」も狙ってやった演出だ!
この作品の主役はジョーカーという超ヤバイ悪のカリスマを描いているようで、実はアーサーという中年男の生き様を描いている……ようで、本当はそのどちらでもない。
【現実の不条理にうんざりした社会狂気】を描いているのだと思いました。
それはフォリアデュ(フランス語で共狂い)というサブタイトルからも読み取れます。さらにいえば、ドラマ版GOTHAMでもそうだったように、ジョーカーという悪役は別の人間にふつうに代替わりします。そっちもやはり、狂気の感染という方法で。
あとまあ、歴代の映画のジョーカー役でも割とそうですよね。〇代目ジョーカーとか、フィギュアも衣装もきっちり分けられているし、それぞれにコアなファンがいる。
だから『ジョーカー』という概念は、ひとりのキャラクターを示すものではありません。
『ジョーカー』とは『ジョークをこぼす人間』であり、そもそもひとりの人間を指す名詞じゃないんです。だからメイクで変装するキャラなんです。たぶん、ここを納得できるかどうかが、実は解釈の別れるポイントです。
悪のカリスマとして覚醒した「アーサーのクライムアクション」を期待するとガッカリします。
でもですね、よく見ると、冒頭のアニメに出てきたあのヤバいジョーカーの「影」は作品中の画面内の空気中にずっといるんですよ。それは看守に暴力を振るわせて囚人を絞殺させたり、リーに虚妄的な愛を芽生えさせたり、最後の囚人を凶行にはしらせたりしている。まるで悪のウイルスみたいに、この鬱屈した現実世界のなかにずっと漂っている。
つまり、主役は「悪の影」です。冒頭のアニメのあいつです。
それゆえ、映画の最終幕では新しくジョーカーが誕生したのでしょう。それも、アーサーのように人間的な弱さを持たない、ミーハーで純粋な暴力性だけを持つ最悪のヴィランの卵として。あっちがたぶん(繋がるなら)ダークナイトのジョーカーだと思います。
ミュージカル仕立てである点については、正直いうと、とにかくテンポが悪いのでエンタメ映画としてはハッキリと面白くありません。私も見ていて「また音楽かよ」とうんざりしました。それでもこの映画は超傑作だと思います。
なぜかというと、たぶんこれ、狙って「退屈する演出」にしているんじゃないかと思うからです。作中で、さんざんエンタメ♪エンタメ♪ってからかってますしね。「エンタメとしてつまらないことなんてわかってるよ」という製作者の皮肉であり、比喩で、ジョークでしょう。
なによりも決定的なのが、作中で、リーがアーサーの「ジョーカーなんていない発言」にガッカリしたこと。それと、いま酷評している視聴者たちの「なにこのジョーカーの続編映画、面白くない」というのが、精密に計算されてシンクロしていると思うからです。
正直、トッド監督なら「ハングオーバー」でやっていたように、構成のテンポを良くすることでエンタメらしい大興奮映画にまとめることなんて、たぶん楽勝でできるはずです。
でもこの作品はそれをやらなかった。ジョーカーという「ふわっとした悪の魂」に焦がれている人間を失望させることで、よりそのふわっとした悪の魂を、浮き彫りにさせている。
だからこそ、この「敢えて退屈させる演出」ってとてつもない表現手法だと思うし、ハリウッド映画で実行した度胸が凄すぎると思うのです。
私はこれ、メチャクチャすごい作品だと思います。大好きです。
書ききれないくらい、色々なサブテーマが隠されてる。
どう見ても恋心を育てる過程が足らなすぎる初めから薄っぺらな恋愛なのに、心酔しちゃう童貞アーサーの弱者男性ぶりだとか。最後の面会は誰だったのか?とか。自動車自爆テロは誰が仕組んだのか?とか、なぜリーはあの階段で都合よくあのタイミングで待っていたのかとかね。
まあ、たぶん、思うに爆破テロはリーの仕業だったのだとわたしは思います。ハーレークインぐらいでしょう、ジョーカーのためにあんな過激なことするの。でもわざわざ作中で描写してしまうとチープになってしまうから、敢えて省いたのかなと。
最後の面会は、「それでもアーサーに会いたいと思ってくれている誰かにさえ、結局会えない悲劇」の演出でしょうかね。
マジで傑作。でも二度と観たくねえ。
けどこの傑作が低評価で終わるのはとても残念です。
タイトルなし(ネタバレ)
'That's Life' と言ってもこれでは悲し過ぎる結末 でもやはり世の中は不条理 ってことか
カンソウ 色々色々あれど
もちろん主演 助演とも素晴らしかったので
ストーリー的には続編だけど展開は別物の様
冒頭のアニメが全て暗示してる様だけど全てでは無いと思いたい
精神心理学的にPTSD コンプレックスなどに目を向けさせながら
都度つど妄想狂喜のミュージカルでほぐれさせ
ナルホドね
世の中ヤッパリ不条理だよねと言う終わりは分からなくもないが
賛否のピはその辺もあるのかな
いや個人的にはそういう終わり方なんだと言う悲しみかな
ちょっと気を持たせつつも
でも世の中は概ね不条理、、、が勝つのか
ところでハーリィ クインは打算的か フォリ ア ドゥってくらいだから妄想教信者か
と今はこのくらい また巡るつもりで
やるせ無ければ That 's Life ♫を口ずさんで
いや 実はアーサーは死んでないんだ とかね
Send in the Clowns♫はハマり過ぎな感じ
アレッ? エンディングで救われてる?
ハッハハハハ
オーマイガー
見たいものは見せてくれないかも。だけど・・・
もしかするとこの映画はあなたの見たいものは見せてくれないかもしれない
だけど、言いたい。観てくれ!!
前作の後、逮捕されていたアーサー
入れられた病院でハーレイ・リー・クインゼルと出会い、二人は急接近する
同時に世間の関心は裁判の行方に向けられていた
争点は「ジョーカーは別人格なのか」になる様子だ
今作は続編であり対をなす存在として作られている
物語は前作を逆行するように進んでいく
コメディアン・アーサーがいかにジョーカーと呼ばれる存在になるかを描いた前作
ジョーカーと呼ばれた男がその後どうなるかを描いたのが今作
物語をストレートに受け取るなら、トリアー監督のあの作品を思い出すようなとんでもない鬱映画だ
ジョーカーが好きな人。前作が好きな人の中には「見たいのはこれじゃなかった」と思う人もいるのかもしれない
だけど、見たいものを見せてくれないから・・・なんてのはまさに・・・
これから観る人に間違いなく言えるのは、想像するよりかなりミュージカル映画ってことくらいですかね
レディーガガ登場…歌は良いんだけど
アーサーがジョーカーの始まりでありバットマンに登場するジョーカーに続くものなのは確かなのではないか?
たしか前回のジョーカーで制作者側が映画ジョーカーとバットマンの繋がりはないような話を聞きましたが (間違っていたらすいません)ブルース・ウェインの子供の頃と父親のトーマス・ウェインが出ていましたし今回もハービー・デント(検事)が出ていましたしかなり繋がりがあるのではないかと思いました。しかしアーサーのジョーカーがバットマンと戦うときには歳を取りすぎているのでもしかしてその子ども(リーがアーサーの子どもを身籠る)があとを引き継いでジョーカーになるとも思いましたがブルース・ウェインのバットマンと戦うときには少し年上っぽい感じがしましたのでもしかして留置場の中でアーサージョーカーに熱狂的な若者がおりこの若者がバットマンに登場したジョーカーではないかと。アーサーに対する最後の行動を見ればまさにジョーカーそのものではないかと思った次第です。こんかいのジョーカー賛否がありますがたしかに映画全体を通すと正直退屈なものでしたが最後の展開は面白かったですね。最後まで退屈な展開だったら2か3程度の評価でしたが最後の急展開は面白かったですね。
カリスマ
暗闇の色彩と雨のシーンが綺麗。
アーサーのタバコを吸う姿は格好いい。
ただ、頭の妄想の中が急にミュージカルに
なってしまうので集中力と緊張感が途切れて
しまう。
ゲイリーの『君だけは優しかった』が印象的。
だが社会はアーサーを愛してくれなかった。
そこから生まれのがジョーカー。
カリスマとして大衆にの熱狂された
ジョーカー。社会的排除を受けたアーサー。
狂言者リー。傍聴席に集まる人々。
異常な大衆の軍団。
自分はどの視点で見てたのだろうかと
問われる。
今回はジョーカーというより、アーサーと
いう人物が知れて良かった。
ああこういう変更ね。前作のテイストは残しつつ メロディアス コレは前作経験則あった方が良い その方面好きか嫌いで評価割れるかな❓
俺 レビュー無いけど 前作オリジナル 初老になって映画館再び毎週通うきっかけとなった
前作はそれ程衝撃的で 観れば観る程、新発見あって 映画館で④回観て 初回オリジナル特典付きDVD📀も予約購入した
【2019 5年前の前作について:周知の事実】本来は 善人が 悪に その瞬間❗️ が共感作品。ターゲット🎯も特にテレビの司会者というより
申し訳無い,架空のフィクションという当たり前の前提で言うと
物語内で『勝ち組大企業の調子こいた大卒若造エリート』が『圧倒的な負け組ジョーカー誕生』で成敗されるのは
ものすごいスカッとした❗️❗️『史上最高のスッキリスカッと❗️』そもそも 調子こいて電車内で絡んできたのエリート若造だし、すごいスッキリ❗️プラス作りが簡単に見えて複雑 ただならぬ雰囲気も良かった。
悪人には悪人になるの理由があるのだ 造反有理。
ホームページやフライヤー 事前予告編で 今回で・・的な触れ込み だったので
ワシも力入ったがな 『室井慎次 敗れざる者』『踊る大捜査戦』 のスピンオフ 知らんがな ガン無視 申し訳ない
そもそも 踊る大捜査線 はレインボーブリッジ封鎖以前にテレビも1回も見ていない 織田裕二のキャラも知らんがな
そもそも事件は 机の上で起きてるのだよ コレホント
と言うことで イザ出陣❗️
何と 本作 午前:吹き替え 午後:字幕 で 鑑賞 今週はコレ1本2回だけ 少しだけ🤏長尺だからな❗️
ただし,正解だった 相変わらず1回では 見落とし箇所があり 2回目で 全部理解した。
ただ2019オリジナルは『3回で理解 できれば4回』だったけども
五年ぶり本作は 『2回推奨 ただし3回は不要 1回でも可能』作品だった。ミディアムテンポ
2019で 免疫ができた と言うのは勿論だが
細かい人物描写は良い❗️
【特に 法廷で ミニサイズの芸人さんゲイリー・パドルズ【リー・ギルさん❓】】の言動は心の機微で超重要役
ガガ様並みと言って良い重要度❗️❗️】
細かい人物は 前作観てないと理解できない。という 『連続性』の問題がある。
何よりも 本作は 音楽的作品であって 前回より 明るい けど そんなに複雑では無い。でも人によるな❓
物語の起伏も 前回の回収 後日談的 で 2回見りゃ十分 に感じた
でも2回観ると 吹き替えと字幕 ずいぶん訳文が違うなぁ痛感
ガガ様奮闘 音楽は 元はカーペンターズの曲『遥かなる影 CLOSE TO YOU』が一番良かった
マジで ガガ様 ホアキン一部 素晴らしいハーモニーというか『静かなる素朴な 熱唱』
ただ この曲が元々良いという要因もデカい
歌とダンス 病院 法廷 ファンタジー 曇天 雨天 ジョーカーの階段 アーカム州立病院🏥【昔の結核隔離所使用】
有料パンフは コラムとか多いけど 総合的🈶有料パンフ コスパ良し❗️買って損は無いですよただし文字読むの好きな人ね
『脇役の人の顔写真入れて💢』と思った。
どうでもイイけど 監督とガガ様 同じNY大学芸術学部❗️ まあこの程度なら 鼻につかない。
音楽は生録音とのこと 1983を意識した映像 パンフレット最後 @50万円のフィギュア 広告誰が買うのだろう❓
演技なのか妄想なのか 真の人格なのか 誰が本当で 誰が架空なのか 悪のカリスマか人間か 是非映画館で確かめて❗️
ショーの儚さ感じた。
まあ 前作同様良い作品ですよ。 ただ心構えがある分 【前作はレビュー無いけど満点💯星🌟🌟🌟🌟🌟5
だけども】 本作は 少しだけマイナス➖ 触れ込みの 賛否両論というほどでは無い❗️と個人的に思ったよ❗️好き嫌いはあるかもね。
『チャーリー→ウォンカチョコ🍫レート 程の違和感』は無かった。まさに映画館で是非❗️
起承転結全てに触れなくても この長文❗️申し訳ないです。
偶像崇拝
始めに個人の感想としては普通の作品である。前作より、平凡な作品なったなーと。
しかし今回の作品は、自分の主観かもしれないが「非」の評価が多いかなと。
まずは何故ここで「非」の評価が多いのか考えてみた。
①ミュージカル映画でしたっけ?
前作と比べて圧倒的なシーン比率を誇ってたのが、歌唱シーン。それもミュージカル調。
ここの好き嫌いが激しいのだと思う。前作がここまで振り切ってるならともかく(フランク・シナトラの曲は意味をもっていたが)、さらには日本人はあまりミュージカル慣れしておらず、受けれている人は少ないように思う。
また、好きな方から観てもここまで数が必要か?シーンごとの意味のある楽曲になっているのかという点も多い。
近年のミュージカルを舞台にした映画、人気アーティストの伝記ものは楽曲が意味をもつし、それぞれ2つとも転換の時として曲が区切りとして機能し、観る側もそのシーンに期待を寄せる。
ここがこの作品には一つもない。ただ「風」になっているかなと感じた。(この楽曲はこういう作品に使われてて、こういう意味があるかもとかあれば教えてください。)また、曲数ももう少し少ないと思う。
「アリー スター誕生」の時の作品をもう一度と考えたのかもだが…(※トッド・フィリップスが制作に参加してた)
②カタルシスが全くない
こういうダークな作品というのは苦悩、葛藤や非道、残虐さを描き続ける負の画を描き続ける。
または、そのダークヒーローが最期に意味のある死を迎えるかどうかとか、報いや、最期に自分の美学を貫いた、回りまわって人の支えになっていたとか だ。
この2つの作品が個人的に多いと思う。
今回の作品は、上記2つに該当しない。
悪も貫かない、1人の人間、アーサーとしてJOKERはいないと宣言し、そしてハーレークイン(今回の役名はリー)に愛を求めふられる。
そして、刑務所内で囚人aにさされて、死んでしまう。
ハーレークインに殺される、悪を貫き死刑になる、脱獄しジョーカーとして君臨する。
そういう結末はない。スカッとする、かっこいいと思えるような描写はないのだ。
前作はやはり、アーサーがJOKERとして変貌していく様がキレイに描かれていた。
一番は皆、悪のカリスマとしての描写、ハーレークインとの共闘等期待していたのではないのかなと考えている。
JOKERを悪のカリスマとして描かないのは個人的には、悪くないとは思うのだが、ミュージカル調とこの地味エンディングは相性が悪いかなと。
単純に画がpopになるだけでなく、心理描写が楽曲によって直接的になるからだ。
それによってこの作品が重くも、軽くもなく、とっ散らかった印象を与えているのである。
上記の点だけなら、本当なら2.5とかなのだが、この作品の唯一輝いてる点を一つ上げたい。
理想像(偶像)の肥大化への注意喚起をこの作品で感じたところだ。
群衆にしろ、弁護士のスチュワートにしろ、ハーレークインすら、アーサー自身を見ず、自分が思うJOKERとしてしか見てなかった。アーサーとしては、1人の人間として見てほしい、そこは爆破された後の助けてくれたピエロからの逃走からも確認できると思う。あくまで彼らが助けたのはJOKERでありアーサーではないのだ。
また、現実でもこのイメージに大きく縛られてるところが大きいと思う。アイドルや、芸能人と呼ばれるかたがたは常にここに苦しん出るのではないのだろうかと思ったり…
あと、単純にレディ・ガガのthat's my life、ホアキン・フェニックスの色気はたまらなかったです。劇中の小ネタ(バットマンとの繋がり、劇中で流れてた映画 etc…)も含めてのこの点数で。
続編とは認めたくないです。
賛否両論と聞いていたので覚悟してみに行ったけど、私は否のほうでした。以下辛口すみません💦
まるでレディーガガによるレディーガガのための映画。ミュージカルを入れる意味が分かれへんし、内容的にもなんとも中途半端。レディーガガのプロモーションビデオでも作りたかったの?って怒りすらおぼえる。
前作は、アーサーという孤独で優しい人間がなぜジョーカーと呼ばれる怪物に堕ちていったのかその過程が丁寧に描かれていたので、今回の映画ではそこからさらに悪が進化するという感じなのかな?と勝手に思ってたが…まさかの恋愛のほうにいってしまうとは💦衝撃のラストとか宣伝してたけれど、無理やり終わらせたなという印象。唐突にはじまるミュージカルに辟易。
ただ、裁判のシーンで前作で殺されなかった同僚が証言するシーンは印象的。同僚だけはアーサーの味方でいたかったのかな。優しいアーサーを知ってるわけやしね。同僚が傷ついてる様子もみてアーサーは民衆という影に操られていることに気がついたのかななんて思っていた。にしてもなぜそこでまた歌うねん…
ジョーカーの続編と名乗っていなくてこの映画単独で観るとすれば、ここまで評価は低くしなかった。点数はキャストの熱演分でつけます。ほんまに残念でならない。
アーサーとジョーカーの葛藤
前作では、アメコミで描かれてきた『バットマン』の宿敵である『ジョーカー』とは一線を画し、一人の男、コメディアンだったアーサーが、ジョーカーになっていった顛末が描かれていた。ヒューマンタッチなサスペンスで、主役のホアキンの狂気に満ちながらも、悲哀を感じさせる演技は、アカデミー男優賞受賞に相応しいものだった。ストーリーとしても、ちゃんとバットマンとの因縁に繋がるシーンも盛り込まれ、個人的には、あれで『ジョーカー』は完結したはずだった。
その第2弾となった本作。完結したはずのジョーカーを、恋人のリー役にレディー・ガガを迎え、どのように描くのか全世界でも注目の作品となったし、自分も楽しみにしていた。ホアキンの本作への入れ込み具合は、冒頭の肩甲骨が浮き出る減量によるあの体を見れば、半端ない事は一目瞭然。レディー・ガガも『アニー・スター誕生』での演技は素晴らしかったし、本作でも、ジョーカーの謎の恋人役に相応しい立ち回りの演技だったと思う。
社会の格差が広がり、人々に不満が充満したゴッサムシティ―の代弁者であり、カリスマ的な存在として祀り上げられていくジョーカー。一方で、人間らしさがまだ残り。リーを心から愛するアーサー・フレック。どちらが本当の自分なのか?図らずも法廷の中で、最後に本来の自分を曝け出し、ジョーカーとアーサーの存在意義の葛藤を描くシーンは、なかなか見応えもあった。そして、その後の法廷で起こる大事件は、ショッキングなシーンとしてインパクト大。また、一作目でジョーカーに目覚めたあの階段が、再びリーとのラストシーンにも使われたのは意味深く感じた。
しかし、しかしだ…。これを『ジョーカー』映画として視るには、ちょっと違うと感じたのは、レビュー評価の点数を見れば、自分だけではなかった事も覗える。単に、ある狂気に満ちた殺人者を主人公にしたサスペンスとして観れば、評価も★4つ以上はつけたかもしれない。しかし、本作はガガの魅力とエンタメ性を高める為か、ミュージカル仕立てになっており、ホアキンもガガも、究極の演技で魅了できたのに、次々と挿入歌を入れ込んだことで、却って演技や内容が薄まったように感じた。そして、あのラストシーン。あれでは、バットマンに繋がらなくなったしまうのでは…という?が残った。
ただ2か所、挿入歌で気に入ったシーンがある。それは、刑務所でのリーとの面会シーンで、ガラス越しの口紅跡に、ジョーカーの微笑みが重なった時に流れた、カーペンターズの『They Long To Be(Close To You))』。それと、最後に法廷から車で逃げるシーンに流れた、ビリー・ジョエルの『マイ・ライフ』は、丁度、自分の青春時代の思い出の曲でもあり、心をくすぐる2シーンとなった。タイトルの『フォリ・ア・ドゥ』(妄想)から鑑みれば、妄想シーンをミュージカル仕立てにすることで、現実シーンとの対比を狙ったのかもしれない。
全749件中、541~560件目を表示