ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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魔法がとけて、本当の自分に戻るやすらぎ。
「ジョーカー」の衝撃は、すごかった。
アーサーの現実と妄想の区別がつかず、その衝動性で次に何が起こるのか分からなくて、ただただ怖かった。
内容が頭に入っている2回目、今年の3回目の鑑賞でも、何回か体がぴょんと跳ねた。
そんなことは夜中にテレビを観れなくなった貞子に出会って以来だ。
今回の「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」は、ジョーカーの仮面を脱いだアーサーの物語。
社会のルールに適応できなくて排除される異物の悲哀に、やるせなさを感じた。
同時に、私は彼と友だちにも、隣人にも、顧問弁護士にもなれないと思った。
今作も、私のダークサイドを根底から揺さぶるという意味で、観た甲斐があった。
母から愛をもらえず、恋をして、ただ一人の人を求め、けれどその人が欲したのはアーサーではなくジョーカーで、振られてしまう。
ジョーカーとして崇拝されるのではなく、アーサーとして愛される経験を持って欲しかった。
「ジョーカー」と同じく、今作もラストのシーンが尾を引く。
最期に、彼は何を想い、何を見ているのだろうか。
魂にひりひりと悲哀を感じさせる音楽は、相変わらずよかったし、全く楽しくなさそうなアーサーの笑顔にも笑い声にも、しびれた。
見納めなのだと思うと、寂しいけれど、これ以上アーサーがしんどい目に遭わなくてよかったとも思う。
「ジョーカー」・「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」は、発火装置な気がする。
本当は、そこここで既に小さな火が燃え始めていて、大きな炎に繋がっていくかもしれない。
怖いと同時にワクワクしている私は、自分の中のジョーカーとうまく付き合っていきたい。
何やっとんねん
心が元気な時に
心が元気な時に見たほうがいい、ととある芸人さんが言っていたので、体調整えてIMAXで鑑賞。
1作目は私にとってその年のthe best of movie だったので期待しすぎたかもしれない…
世界線が複雑になっていて、アーサーとジョーカーとリーの気持ちや立ち位置が交錯していて、見ていて時々混乱しました。
見応えもあるし、長丁場も飽きることなく見れましたが、肝心の話のつながりがやや浅い感じ…
リーのキャラクラーも曖昧な気もする。
最後、アーサーはああ言う結末になってしまったけど、もしかしたらあれはあれで良かったのかもしれない。死刑をただ待つよりも本望というか。
文章に残すのがとても難しい感情ですが、ホアキン・フェニックスの憑依型演技は見る価値あり。
ジョーカーはアーサーを救ったか
「アーサー」に戻りたかった「ジョーカー」。3度殺される。
「社会」から拒絶された人間は、生きていくことはできない。それが「社会的に」であろうと「直接的に」であろうと。
前作の「アーサー」は、その「社会」との関係性を何とか保とうとして、最終的に「暴力」という手段を用いた。そして、「ジョーカー」が誕生し、一部の「社会」はそれを受け入れ、「カリスマ」となった。
この一連のジョーカー誕生の経緯が、私は好きだった。ダークナイト版のそれよりも、とても親近感があったし、真にあり得ないことではないなと感じさせられたからだ。
今回の作品では、主に、裁判を通して話が展開していくが、弁護手法は、この手の裁判でよくありがちな二重人格戦術で、別人格の「ジョーカー」が犯罪を・・・・・みたいな。そして、周囲は、社会も、因人仲間たちでさえも、「ジョーカー」を神格化して、決して「アーサー」であることは許されない雰囲気が蔓延していく。
しかし、実際のところ、アーサー自身はどう受け止めていたのだろうか。
彼は、精神的に強い人間ではない。むしろ、とても繊細でガラスのようにもろいだろう。だとするならば、永遠に「ジョーカー」を演じ続けることなど、到底、不可能なはずだ。
裁判途中で、「アーサー」は、「ジョーカー」を引き合いに出そうとする自分の弁護人を解任し、自己弁護の方法とるが、その時、私は、「あぁ、彼は、「ジョーカー」でなく、「アーサー」として裁かれたかったのか。」と勝手に思ってしまった。裁判結果はどうであろうが、「アーサー」に戻りたかったのではないかと。
そして、彼は、「ジョーカー」誕生の地である、あの階段に辿り着き、「アーサー」として再生を望むものの、再び「リー」から拒絶される。そして、最終的に用済みなった「アーサー」は、因人仲間では最大の理解者であったはずの若者から実際に死刑を執行される。
思い起こせば、前作も含めて、彼は3度殺されている。1度目は、前作で「社会」から。2度目は本作で、「リー」から。そして、最後に、本当に「因人仲間」から。
「アーサー」が犯した罪を肯定などできるわけないし、映画内容を現実のことの様に語ってはならないが、前作も含めて思うことは、「社会」は「アーサー」を本当に救うことができなかったのかということ。100人全員を救うことはできないかもしれないが、少なくとも、救いのシグナルを拾えるぐらいのアンテナを持っていてほしいしとは思う。
「社会」に翻弄され、「社会」に殺された「アーサー」。彼の冥福を祈ります。
作品自体の内容やホアキンのキャラクターに対する役作り・体作りは、大変に素晴らしいですが、ミュージカル映画を全く鑑賞したことがなくて免疫がないためか、途中、頻繁にスクリーンに流れる「リー」とのダンスや歌唱の場面にどうしてもなじめず、もっと別の表現方法があったのでは思ってしまう。原作のDCコミックもこのような内容なのか。結果、評価ついては、内容は★★★★ですが、全体としては★★にした。
ジョーカーに求めるものの違いが評価の違い
ホアキン・フェニックスがアカデミー主演男優賞に輝いた前作「ジョーカー」の続編。いやが上にも期待は増し、公開2日目にIMAXで鑑賞してきました。
ストーリーは、前作での殺人の罪で収監され、自身の罪と向き合うかのように穏やかに過ごしていたジョーカーことアーサー・フレックが、自身の前に現れた謎めいた女性リーに惹かれ、彼女に煽られるかのように再びジョーカーとしての振る舞いを取り戻し、自身の裁判さえも嘲笑うかのように周囲を翻弄していくというもの。
ホアキン・フェニックスの名を不動のものとした前作同様、本作でも彼の名演に魅了されます。役作りのために極限まで減量したであろう肉体や独特の乾いた笑い声から、アーサーの悲哀がひしひしと伝わります。一方で、リーと出会って赤いスーツに身を包み高らかに歌う姿から、ジョーカーとしての強い自信のようなものを感じます。そして、その両者の間で揺れ動く不安定な心情が、彼の全身からヒリヒリと伝わってきます。
その不安定さの原因となっているのが、謎の女性リーです。ジョーカーの熱狂的な支持者であり、言葉巧みに彼に近づいていきます。リーの境遇に親近感を覚え、惹かれていくアーサーの気持ちはよく理解できます。しかし、それがジョーカーに近づくためのリーの嘘だと知った時、アーサーは再び心に深い傷を負います。リーが求めていたのは弱く惨めなアーサーではなく、強く破壊的なジョーカーなのです。
一方、法廷ではかつての友人がアーサーの善なる一面を振り返りながら、今は恐怖を感じていると吐露します。かつて強者に打ちのめされたアーサー自身が、今や強者ジョーカーとなって恐怖を与えていると知り、己の行為や存在のもたらす影響を省みたことでしょう。そんなアーサーがジョーカーの仮面を捨て、自らの罪を告白する姿が切ないです。自らの手でジョーカーにピリオドを打ったアーサーですが、すでにジョーカーはアーサーだけのものではありません。ジョーカーという偶像を彼に求め、ある者はアーサーの元を去り、ある者はアーサーに失意をぶつけます。
結局、「ジョーカー」とは、本当の自分を認めてくれていた人の存在に気づかず、自ら創り出した偶像に翻弄され続けた、憐れな男の物語だったのだと思います。本作は、前作で誕生したカリスマ・ジョーカーに自らの手で決着をつける、見事なアンサームービーになっているような気がします。
とはいえ、ミュージカル映画ばりに押し寄せる歌の多さと茶番のような裁判のおかげで眠気を誘われ、鑑賞中は何度も意識が飛びかけました。しかも、鑑賞前は、今度はどんな破壊的なジョーカーを見せてくれるのか、そこにハーレイクインが加わりどんな化学反応を見せてくれるのかと期待していたので、観たいものが観られなかったという不満が大きかったです。レディー・ガガを迎えたことでこうなったのなら、このキャスティングは失敗だったと言わざるを得ず、何だか残念な作品だったという印象です。しかし、そう感じてしまうのも、劇中の大衆と同じようにジョーカーを偶像崇拝する心理から生まれる期待感だったのかもしれません。そう思って振り返ってみると、本作も決して悪い作品ではなかったと思えてきます。
主演はホアキン・フェニックスで、もはや何も言うことはありません。共演はレディー・ガガで、その存在感は圧倒的ですが、それが作品にプラスとなっていたかは微妙です。脇を固めるのは、ブレンダン・グリーソン、キャサリン・キーナー、ザジー・ビーツ、リー・ギルら。
ジョーカーの結末。。。
始まりが まさかのアニメーション。。意外でした。捕まって収容されたジョーカーには 全く 魅力は感じず 収容監視員 の やられるがままに。。とても痛々しいジョーカーが 描かれていました。。レディガガが キャストであるから どーしても 歌がメインに。ジョーカーと2人 妄想で歌って踊って殺られたりの 繰り返し。ちょっと 飽きてきました。目が覚めたのは 裁判所での 爆破シーン。IMAXで観ていたので とんでもない 重低音の大音響での地響音が 映画館内にも響き渡って 椅子も揺れた気がして これは結構ヤバかったです。。収容されて裁判所での やり取りの内容の映画と言えば 「夏目アラタの結婚」です。さすがにアメリカの裁判は かなり 緩くて自由で ガチガチの裁判ではないみたいで。。ウソの供述なのかホントなのかの 駆け引きのとこは 「夏目アラタの結婚」に似てる感じがしました。。ジョーカーの結末は。。。まぁ 見始めた時から こんな感じの終わりだろーって 予測はしていました。「夏目アラタの結婚」の 品川ピエロ(真珠)も こんな感じの終わりだったら かなり辛く重く のし掛かって 引きずってしまうだろう。さすがに複数回も 観に行く気には ならなかったと 思います。
ジョーカーは 暴れまくって やりたい放題やってる姿が 面白く 捕まって収容先で暴行されたり 裁判で 裁かれるとかって スゴくイメージダウンで 弱々しくて。。 ハチャメチャして 強いイメージで ラストの結末を 望んでいたのに。。最期だけでも。。。
所詮ネコに恋するスカンク
アーサーかジョーカーか。そして歴代ジョーカーへの敬意が溢れてる気がします。
映画『ジョーカー〜フォリ・ア・ドゥ〜』
評価が賛否両論??そんなバカな!
全米で酷評??どういう事??
気になる、気になる!!
で、観に行っちゃいました。
行ってよかった!確かに賛否分かれそうだ。でも
私個人的には好きです。
前作ジョーカーもダークナイトも、また観たくなりました。
(以下ネタバレとダラダラ感想書いてます)
◆<ネタバレ含みます>◆
前作好評だった『ジョーカー』の続編です。
前作ラストは、「ジョーカー爆誕??」てところで終わってます。
そして今作。なるほどねぇ〜。そうきたか。
酷評の理由は2つかな。
▪️続編にジョーカー誕生を期待していたか、アーサーの物語を期待していたか?
ジョーカー誕生物語を期待していくと期待ハズレかも。
でも私もジョーカー誕生物語を期待していた一人でしたが、観ていくうちにアーサーの物語として納得していきました。この結末しかないように思うし、今までのジョーカーに対しての監督の敬意の表れな気がします。
▪️ミュージカル挿入を受け入れられるか?
ジョーカーファンとミュージカル。
相当相性悪そう。でもこれはマーベル作品ではないし、アーサーの物語だからアリだと思う。アーサーの頭の中をリアルと同時に表現するにはこれがベターなんじゃないかと思うなぁ。ミュージカルでなければ辛すぎるし、余計にわけわからなくなっていた気もする。
アーサーはジョーカーではない、という結論がとてもわかりやすいし、一番良い結論だなぁと感じました。トッド・フィリップス監督すごい!レディー・ガガの使い方も上手い!
マーベル映画ではジョーカーの彼女(ハーレー・クイン)を思わせるリー役で登場するレディー・ガガ。実在しているのかアーサーの妄想なのかと思わせる演技と圧巻のパフォーマンス姿が最高でした。
そしてアーサーを演じたホアキン・フェニックス!
色気がすごい!
感情を押し殺した演技がすごい!
ジョーカー演じている豹変ぶりがすごい!
とにかくすごい!大好きです。
「ジョーカー爆誕」を匂わせる前作ラストだったので、かっこいいジョーカーが観れると期待していましたが、監督の「いやいや、アーサーはジョーカーじゃないでしょ」というメッセージに共感してます。ジョーカーを期待する事は劇中登場するジョーカー狂信者となんら変わらないような気もするし。リーやジョーカー狂信者に担がれ利用されようとするアーサーに「君は違うよ!いい奴じゃん!」ってアーサーに肩入れしながら観てました。
アーサーはジョーカーになれなかった。いや、ならなくてよかったと思う。本物のジョーカーは人間の心なんて持ち合わせていないもっと悪い奴なんだと思う。
前作ジョーカー観た時に、「ジョーカー爆誕はかっこよかったけど、トラウマ抱えているアーサーはジョーカーじゃない気がするんだよなぁ」って思っていたのですっきりしました😊
レディー・ガガである理由がよくわかるミュージカル仕立て
基本的に2シチュエーションで、刑務所と法廷を行き来する展開です。
冒頭、刑務所でのアーサーの体を見た時に、その異形さにギョッとしましたが
ホアキン・フェニックスの役づくりに圧倒されました。
割りかし早い段階でレディー・ガガ演じるリーと出会い、相思相愛になっていくのですが
ラストでリーが愛していたのはジョーカーとの2面性を持っているアーサーであり、
アーサーがそれを捨てた時点でリーとの関係性が終わったことは、なんとも切ない感じでした。
アーサーよりもジョーカーへ憧れていたのでしょうね。
それはジョーカーへの憧憬のある囚人にも同じことが言え、結末はなんとも寂しいものがありました。
クレイジーなジョーカーが恐ろしい反面、アーサーは実に純粋な人間だったのではないかと思いますし、
そのアーサーが結局は報われないことに、何とも言えない悲しみを感じましたね。
そこが描きたいがためにつくった本作ではないかと思います。
したがい、1作目とはかなり趣が違うことから、賛否分かれても当然かなと感じますね。
宇野惟政さんのMovie Driverによると、レディー・ガガは、あえて下手な歌い方をしているそうです。
なるほど、聴いてみて納得・・というか、歌い上げる歌唱法はとっていないですね。
ソロで歌うときは本気で歌っているなと感じる場面はありましたけれど。
ただ、この役を演じられるのはレディー・ガガがベストだと思いました。素晴らしかったです。
というわけで、私はこのつくりあがりには満足ですし、面白く鑑賞することができました。
機会があれば1作目と続けて観るとより味わい深いように思います。
想像していた物語ではなかったが・・・
フォリ・ア・ドゥの意味を知ってから鑑賞しても良かったかも。
前作で誕生したジョーカーが人々を恐怖の世界に引きずり込むような内容と思っていた。
実際にはアーサーが生み出した「ジョーカー」という妄想に社会に不満を持つ民衆が感染していく。
もっともジョーカーを崇拝するのがリー(レディー・ガガ)である。
アーサーとジョーカーが対峙し、新たなクラウンのリーがジョーカーを煽る構図。
派手なアクションがあるのかと思っていたけれど、物語は地味に暗く進んでいく。
まぁ、想像していたシナリオではなかったので、落胆し評価が低くなるのもわかる。
地味だし、暗いし・・・
冒頭のアニメーションが全てで、これを丁寧にアーサーの心情とともに描いていく。
ジョーカが登場しての裁判所でのシーンが切ない。
ここにアーサーの心情が全て現れているのではないこと思う。
もうホントに可愛そう。精神を削られた。
ジョーカーは何か?ということを描きたかったのかということでは私は好きな映画。
最後に
前作でアーサーとブルース・ウェインの年齢差が気になっていた。
バットマン登場時にジョーカーはおじいちゃんになってない?
これが解決されたことにすっきりした。
舞台も主役たちも整っている、あとは緊張感と脇役たち
序盤のアーサーの表情と、背中、所作を観て、「あっ、これは好きな映画かも」と感じ、
さらにリーの目をみて確信めいたものにかわる。
賛否両論と言われていたが、
刑務所と裁判所のシーンだけでも構わない、
ミュージカルであっても気にならない、そこはマイナス要素にならない。
でも...好きな映画かもと思わせておいて少々、裏切られた
なぜかと、帰り道に考えて、なかなか答えが見つからなかったけど、
自分から見て足りなかったものを見つけた。
1つ目は緊張感。
最初にアーサーを観ていたときの緊張感がなくなり、
何が起きても、妄想の範囲。現実世界でもアーサーの行動に特段、ドキドキするようなことは無い。だんだんあくびが出てくる。
2つ目は脇役たち。
検事も、弁護士も、囚人たちも何か記号のよう。キャラクターが立っておらず
いてもいなくてもいい感じ。
思わせぶりのようで、何も起きず。最後の出来事もとってつけたよう。
1~2人の証人が多少は存在感を示していたけど。
んー、舞台もホアキンもガガも音楽も空気感も好きだったんだけどね...
現実はこんなもんだ!(苦笑)
米国で、酷評全開で興行成績も悪いとネットで騒がれ、逆に興味惹かれ鑑賞。
感想・・・全然悪く無いんですが。(笑)寧ろ正統続編の良作では?
まず個人的に1作目と観た感想と評価が、ほぼ一緒です。「バットマンのジョーカー」では無いんですよ。
1作目を観た感想が、「障害持った社会の底辺のオッサンが、ブチギレて馬鹿にしたヤツブッ殺す話です。(笑)」
2作目が、「悪のカリスマ演じてたけど、スンマセンでした、罪認めます。で、信者に殺される話です。(笑)」
米国で、評価悪いのは、「さあ、ジョーカーの活躍が観れるぜ。」と思ってた所に、活躍なく罪認めて、しかもアッサリ殺されたからでは?
この監督は、(トッド・フィリップス監督)は、実にしっかりと「ジョーカー」ではなく、アーサーと言う冴えない男の結末を描いていると思います。周り(囚人達)に崇えられ、カリスマにしようとする民衆やマスコミに振り回される(女も出来たし(笑))しかし、かつての同僚の言葉で、正気に戻り罪を認めたら、周りが勝手に白けて(女も去り)収容所で刺される。
裁判所での言葉「誰も俺を見ていない、見ているのはジョーカーだ!」だったかな?
あの言葉が全てで、社会の歪さ(ハーレー・クインの身勝手さ(笑))をしっかりと描いているかと。
自分で言葉にしているのにジョーカーを演じてしまうアーサーの脆弱さ?とか。
とは言え、「う〜む」と思う所も。
まず話が、進んでないんですよ。1作目の犯罪の裁判がメイン、なので収容所と裁判所を行ったり来たり、そこに妄想ミュージカル挟むから、ややこしくやり、しっかり観ていないと分からなくなります。で、そこにしっかり上映時間全部使うから、少し冗長に感じるかも?
要は人物を描く事に注力しているので、(しかも冴えないオッサンの人物像に(笑))話の展開が無いのです、しかし、そこはハーレー出したりして(若干くどいが。)上手く纏めているので個人的には、問題なかったです。
とまあ、色々書いてますが、個人的には、先に書いた通り、質の高い続編だとは思うんですが、な~んで評判悪いのかな?活躍しないから?
ジョーカーと言うキャラクターからすれば、確かに全否定している作品だとは思いますが、周りが勝手に作り上げた虚像に付き合わされた哀れな男、アーサーと言う人物の物語ならば、見事な着地点かと。(救いは無い話ですが。)
ただただ退屈な二時間半
前作視聴済み。
そもそもあの名作の続編は蛇足にしかならないのでは?
と思ったら蛇足になった、そんななんとも言えない作品。
前作はストレスを受けていつ爆発するか分からないアーサーが
作品に緊張感をもたらしてくれて最初から最後まで飽きずに見られた。
しかし、今回そういうギミックはなくひたすら単調な、
「アーサーが刑務所に入って裁判やるならまあこうなるだろうね」
という予定調和のストーリーが冗長に展開されて時折低クオリティのミュージカルが差し挟まれる。
前作はアーサーが自己の気持ちを表に出さない為
感情を推し量るのが楽しい作品でもあったのだが今回はかなり分かりやすい為そういうのもない。
よくジョーカーを期待するとガッカリかも知れないと言われるが、
ジョーカーなど微塵も期待せずアーサーの物語を期待した自分でも
退屈で仕方ない辛いと思ったのでこれは相当なものだと思う。
退屈なストーリーはわざとしているような節もあるしそこに込められた意図もうっすら読み取れなくもないが
そんなことをやってなんになる。
つまらないものをつまらなく描いたらつまらないものになった。
というだけの駄作ができあがっただけだ。
何よりも二時間半の映画が最初の冒頭アニメ5分でほぼ要約されている徒労感!
不満点は二つ。
・アーサーにジョーカーやらせたらこうなるよねという意外性のない話
(衝撃のラストと言われるが前作公開時に今後の予想でよく言われた定番のひとつである)
・それらをただダラダラと単調かつ冗長に描いている
ジョーカーという神格化された存在に振り回される社会やアーサー、
というテーマは面白そうなだけに非常に残念だった。
とりあえず前作の虚実入り交じってるが故に色々と考察・妄想したくなる作品の
虚実のメッキを全て剥がして丸裸にするというマイナスを越えてまでやるべき話だったかというとはなはだ疑問
名作すぎる前作からの続編という高すぎるハードルを越えられるか? と思ったら無理でした。そんな映画である。
・・口汚いことを言えば、高尚な映画で、意図が、意味が、メッセージがと考えたくなるが
正直そういう「あの前作の監督ならすごいものを作るんじゃ?」という期待感を抜きにして素直に映画だけを見た感覚を思い返して考えると
もうあんまりやる話なんてない中無理やり二作目をでっち上げることになって
少ないやるべき話をミュージカルとかで水増ししたスカスカの作品でしかないんじゃないの?
という思いがぬぐえない。つまりそれくらい話が何も動かない作品である、ということである。
あとよく前作のヒットでジョーカーに憧れるジョーカー予備軍を産んでしまったので
彼らに対するアンサー作品、ジョーカーになどなっても不幸になるぞと言ってる作品である、
という話がされるがそんなメッセージは込められてないと思う。
それならアーサーを殺したジョーカー予備軍が真のジョーカーになっちゃいけないし、
作中のジョーカー予備軍が裁判所爆破とかやりたい放題で報いを受けるシーンがないのも駄目だし、
何よりジョーカーになれ(るなら)ば幸せになれる、なんてジョーカーを肯定する話は絶対してはいけない。
むしろ不幸な生い立ちでも健気に生きる前作前半のアーサーを肯定したり応援すべきなのにそんな話は一切ない。
「熱狂して偶像を作り上げて実態を無視する無責任な大衆よくない」という
前作のヒットを受けてのことかシンプルな注意は受け取れるのでそういう話ではないかな。
後は前作で虚実入り交じるアーサーを丸裸にすることそのものが目的なのかなとも。
ただし終盤の旧友ゲイリーとの会話、
ジョーカーを捨てたただのアーサーが僕を見て欲しいという切なる吐露、
この辺りはジョーカー映画ではなくアーサー映画として楽しかった。
こういうシーンがもっとあれば……。素直にエンタメして欲しかったなと思わずにいられない。
※2025/12/11 追記※
※上のレビューに共感してくださった方もいたので約1年経って、自分なりに出した結論は追記という形で記します※
前作『ジョーカー』では社会の冷たさと孤独に押しつぶされた末にアーサーは、
テレビ番組内で自殺することを決める。
この理由は今作でも描かれている「僕を見てくれ」という叫びだろう。
だが番組の司会者に馬鹿にされて自殺に使う拳銃は他人を殺す為に使われた。
この「自殺か他殺か」まで追い詰められた男が得た結末は、
『アーサー』ではなく『ジョーカー』という偶像に担ぎ上げられるという
皮肉がたっぷり効いた悲喜劇だった。
ではその次回作である『フォリ・ア・ドゥ』は何を描いたのか。
本作の方向性を一言で言えば、
アーサーから『偶像としてのジョーカー』という肩の荷を下ろし
『ただのアーサー』に戻す物語であるように見える。
ちなみに、ここで世間でよく語られた解釈に寄り道するが、
『ジョーカーへの熱狂に冷や水を浴びせるための映画では?』
というのは結論から言えば完璧に破綻している。
理由は明白で、作中でかなり明確に
『ジョーカーにさえなれれば地位も名誉も愛も手に入る』と描かれているからだ。
しかもご丁寧に『アーサーのままでは幸せにはなれない』とも描かれている。
ただ、アーサーにはジョーカーになれるだけの器がなかっただけだ。
もし前作と今作をアーサーに自己投影する観客――
上記したように「自殺か他殺か」まで追い詰められた人間が、
この映画を見た時に得るメッセージはなにか?
それは「最後のチャンスに懸けてジョーカーを目指すしかないぞ!」
という、危うすぎる激励ではないだろうか?
本当に冷や水を浴びせたいのなら、映画は真逆を描く。
「素朴に健気に生きてきたアーサーのような男こそ真に尊い」
「ジョーカーなどなっても偉くも、幸福にもなれないんだぞ」
「ジョーカーにならず今も耐えている君は素晴らしい人間だ!」
そういう当たり前の『正義や優しさの肯定』をこそ描くべきだ。
全世界にいるアーサー達はそういう優しさこそ求めているのだから。
『ジョーカーを目指しても失敗するだけだぞ』が、
この作品で言いたいことだと仮定しても
やはり『アーサーのままでは幸せになれない』と描いているのが問題だ。
これではアーサーとして苦しんでいる人間は
社会に押し潰されて他人に迷惑かけず自殺でもしててくれ、が結論になる。
ジョーカーに一度なってもそこから下りることが出来たアーサーに、
なんの救いもなく殺される冷酷な結末を用意するというのは、
過去作を見ても、そんな酷薄なメッセージを込める監督とはとても思えない。
では、この映画は何を描こうとしたのか。
私はこの映画が取り扱ったのは、
“大衆がいかに無責任に偶像に熱狂するか”という構造批判だと結論づけた。
社会の熱狂は勝手に燃え上がり、勝手に消費し、勝手に別の「ジョーカー」を見つける。
アーサー本人の気持ちやありようなどお構いなし、本人の存在さえ究極的には必要としない。
この構造がいかに悪辣であるかを描く為なら、
アーサーが徹底して冷酷に扱われていることに納得が出来た。
だが意図をこれだと仮定しても、
私は長年「何故退屈に描く必要があるのだろう?」という疑問の答えが出なかった。
この映画は非常に退屈だ。
(アーサーを冴えない、犯罪の才能もない男として仮定すると)
アーサーが刑務所にいったらどうなるか?
アーサーが裁判に出たらどうなるか?
アーサーに言い寄る女が出来たらどうなるか?
それらの「多分こうなるかな?」がそのまま「その通りになる」だけ。
ドラマも起伏もほとんど存在しない。
何故この映画はここまで分かりきった話を延々と垂れ流すのか。
前作では違った。
観客に不幸なアーサーに感情移入をさせた上で、
いつ彼が爆発するか分からない緊張感を作品全体に持たせたり、
父と思った人が他人だった衝撃的なドラマを描いたりしていた。
その鮮やかさが微塵もない。
ただ本作はモノクロのように空虚で淡泊で淡々としている。
私は何故だろうと首を傾げてきた。
ここでもしアーサーを悲劇の男として仕立て上げるとどうなるか?
当然、観客の怒りは無責任な大衆へ向かう。
本作ではそれを避けた。
彼を魅力もない空虚な存在として扱い、
作中の大衆と観客の気持ちをリンクさせようとしたのだろう。
彼に興味を失う冷淡さは誰しも内に抱える人間性なのだと諫めたかった――
ミュージカルが淡泊で面白みがないのもそれが理由だ。
そういう実験作的な意図があるかも……とは思ってきたが、
やはり肝心のここまで退屈に描く必要が分からなかった。
私はようやく――ただ失敗しただけだ――と結論づけた。
「アーサーはつまらない」と思って欲しかった本作は
その意図を飛び越えて
「この映画つまらない」という感想になってしまった。
アーサーをつまらない男だと描くなら、その対岸に
「でもジョーカーは面白い」を置くべきだったのだ。
本作にはそれが欠けている。
アーサーがジョーカーになったとき、全てをブチ壊す、
悪役への恐怖と共に覚える痛快さなどこの作品にはない。
本来は「ジョーカーはあんなに面白いのにアーサーは……」と
観客が無情に思い、そしてその前提を成立させたとき、
本作の終盤でアーサーが絞り出す「僕を見てくれ」という言葉が、
自分が作中の大衆と同じ冷酷さを持っていたと気づかせ、
彼の言葉に強く胸を打たれる予定だったのではないだろうか。
よく巷で言われる「アーサーはつまらない」と思ってもらう為に、
わざと映画自体をつまらなく作った、という
作品擁護の為の免罪符的な解釈とはこの点が違う。
本来は途中までつまらなくとも、
最後にはなにがしかの感動を与える筈だったのだ。ただ詰めを誤った。
……というかそうしたかったのだとしても二時間退屈なのはやりすぎだ。
作中でジョーカーは描かれない。
つまらないアーサーと、面白いジョーカーの対比構造が成り立たない以上、
ただつまらないアーサーの話は、
ただつまらない映画としてだけ消費されてしまった。
結果として、
『実験作だがその実験に失敗した作品』
という評価が最も妥当だと私は思う。
前作の『男の心からの怒りの叫び』が強烈に響いたのとは対照的に、
今作の『男の絞り出した悲痛な声』が作中同様無視されるというのは、
それこそジョーカーの語るジョークのようである。
映画史に残る作品。
ホアキン・フェニックスとレディ・ガガの演技が圧巻❗️
ジョーカーに続いて今回もアメコミのバッドマンのジョーカーのイメージをなくして観た。
ストーリーはラストに関しては突っ込みを入れたいが、ストーリー以上に上回ったのがホアキン・フェニックスとレディ・ガガの演技だった。圧巻だし素晴らしかった。
ジョーカー役のホアキン・フェニックスの役作りが素晴らしかった。
賛否が日本でも見事に分かれた作品だが、私は賛をとる。
ジョーカーもそうだが、今回の作品もアメコミのバッドマンのジョーカーのイメージを捨てて観るとむしろいいのかもしれない。
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