ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
全737件中、521~540件目を表示
フラットに生きていきたいアーサー。
本国の評価は賛否両論と聞いて、多少身構えて観ましたが、普通に傑作?怪作?
丘や山は要らない。そんなアーサーに山を作りたいと言う、リー。
もう合わない(笑)
アーサーの発作が出ている時は、感情をならす為に出ているような気がしてならなかった。
リーといる時は、ほとんど出ていなかった。そうする必要がなかったのかもしれない。
リーはアーサーの完全な理解者ではなかったのかもしれないが、アーサーは、リーにすがるしかなかった。
だって死刑囚だもん。藁にだってすがるでしょ。たぶん山だって作るぜ?何なのかわからんけど。
自分の正義が、この世の不条理だけでなく、自分(アーサー)をよく思ってくれてる人達を傷つけてしまっていると思って、ジョーカーをやめたアーサー。
きっとリーもそんな人だと思って、そうなる前にやめたとも思えてくる。
でもリーは、『ジョーカー』が、好き?目的?だったみたい。
ラストは、なるほどこれは賛否別れるなと、、、
そして面会に来てた人は誰?
リーだったらまだ救いはあるけど。
エンドロールの曲がまるで、アーサーからの観客へのエールみたいで。。
つまらなくはないが期待とは違ってた
決してつまらなくはなかったが、見たかったジョーカーかと言うとだいぶ異なっていた。
レディガガ扮するハーレイクインとせっかくの共演なわけだから、思いっきり2人でゴッサムシティを暴れまわる様を見たかったのだが、残念ながらそれを堪能する事は出来なかった。
物語のラストにハーレイクインや刑務所内の囚人等がジョーカーに対して失望したように自分も同様にガッカリしたのはいなめない。
製作者サイドが本作のような暴動が現実に起きるのを恐れたのかは不明だが物語の結末は明らかにそうした事を助長する事のないような方向にもっていったのではと勘繰ってしまう。
逆に言えばあまりアメコミ感を出さない本シリーズの方向性としてはエンターテイメント性を出さずに、本作の演出やオチが正解と言えば正解なのだろうとは思うが…
よかった部分としては、レディガガの起用のしかたは最大限に生かされていた事だ。
彼女の演じるハーレイクインがマーゴットロビー版とは異なる独自のスタイルであったのには共感でき、とても良かった。
元々ミュージカル風にするつもりだったのかはさだかではないが、レディガガの歌唱力や表現力を最大限に生かされていた部分は見応えありだった。彼女の歌に関して言えば「アリー/スター誕生」よりも胸にささる程だった。
そんなミュージカル演出と対をなす法廷ドラマもそれなりに見応えはあった。
ただ全体的に重厚なドラマ路線であったがゆえにどんよりとした流れがわりと長めに続くのは若干のテンポの悪さを感じずにはいられなかった。
ゆえに続編というよりは前作を深掘りした番外編という印象が強く、正直これなら前作のみでも良かったかなと思わずにはいられなかった。
改めて前作は非常に良く出来た名作であったと再確認させられた。
この胸糞感こそジョーカー
社会現象を巻き起こした2019年の映画『ジョーカー』の続編。最近の映画の続編は、中々期待に応えてくれるものがないので、「どんなもんかな」くらいの気持ちで観に行ったのですが、個人的には思ったより良かったです。
もちろん前作の衝撃には到底及びません。ですが、コレはこれで、ジョーカーに相応しいラストだったと思います。ハッピーエンドとかは絶対にありえないでしょうし。
そもそも今作の〝ジョーカー〟という人格は、社会的に大きく逸脱していて、多くの人にとっては受け入れられるものではありません。なので〝ジョーカー〟という存在自体が矛盾していると思うのです。〝ジョーカー〟が矛盾しているというのは、アーサーが〝ジョーカー〟について語る時にうまく話せていないのが物語っていると考えています。
つまり〝ジョーカー〟は、いくら共感できるヒーローのような存在だとしても、結局は人にとって悪影響を及ぼすものでしかなく、自分にも周りの人にも不幸を撒き散らす存在でしかないのです。
自分は〝ジョーカー〟に、これでもかという程共感した人間なので、彼がただの犯罪者に過ぎないのは悲しい現実ですが、でもそれは抗いようのない事実なのです。
人は誰もが〝二面性〟を持っています。その中でも特に自分は極端な二面性を持っていて、いつか自分に潜む〝ジョーカー〟が開放されてしまうのではないか、と時々不安になります。でも今作を観て、ある意味少し安心出来ました。〝ジョーカー〟を剥き出しにした先に待ち受けるのは、今作のラストのような結末であり、自由や希望なんてものはありはしないのだと。そう捉えました。
そもそも〝ジョーカー〟になりたくて〝ジョーカー〟になるわけではなく、不寛容な社会に無理やり〝ジョーカー〟にさせられるから悩むのでしょうが、結局は自分なりに「優し過ぎず、クズ過ぎず」を見つけていくのが最善策なんだと思います。人生って。
レビューというより、自分の人生観について語るものになってしまいました笑。最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます🙇。
最後に…………〝これが、人生!〟
「ジョーカー」を見に来るには物足りないだろう
今回の映画の一つ根幹となっているのは、「ジョーカー信者」だと思う
いわゆる「無敵の人」であり、上流階級に一矢報いる時代の寵児。(劇中の人々にとって)
ジョーカーはこんな感じだろう。「ジョーカー信者」(我々観客)の人々も(ジョーカーの過去も知っているけど)それを求めているのだと思う。
しかし、今回の主人公は「アーサー」である。弱くて、障害を持っていて、才能も友人もない男が主人公だ。
そしてこの作品を通して感じることは、みんな「ジョーカー」ばかりに目が向いているということである。
ラストに刑務所のアーサーを殺した男も、ハーレーも、民衆も、「ジョーカー」を見にこの映画をみた人々も、みんな「アーサー」なんて見ようとしない。
勝手に祭り上げて、反逆のマスコットにして、自分達を肯定するジョーカーを信じ続けている。
別に貧しくなくても、悲しい過去がなくても、生まれが良くても、前作を見た普通の生まれの観客たちやハーレーは勝手にジョーカーを信仰している。アーサーの気も知らないで。
その挙げ句に「アーサー」=「ジョーカー」じゃないと分かればアーサーを見捨てる。いや、別の人格はまだジョーカーなんだろうとずっと聞いてくる。そりゃあアーサーは嫌になるだろうな。
多分、この映画に低評価をつけ、「こんなのジョーカーじゃない!」と怒っている方々に向けて、監督はこの映画を作ったんじゃないだろうか。まあ、本人たちに届いてないんだけどね。
だから、この映画は「JOKER」の続編ではなく、「JOKER」が受けた社会への補足みたいなものなんじゃないかなと考えております
虚像としての「ジョーカー」
そもそも
人を6人殺してヒーローは無いでしょう?と笑。ジョーカーに狂喜共振した群衆と前作を神格化した我々は同列。こんな東洋の島国までに本物模倣犯まで出てしまった訳で。今作は更に過熱希望の群衆と我々をしっかり現実に揺り戻してくれる。言うたら結局は疾患持ちのマーダー、更に内実は、本当は、弱い自分を受け入れて欲しかった、子供も欲しかった、、。超凡庸。。。どこにでも存在し得る人物。悪のカリスマでも何でもない、、ただの落ちぶれた異常犯罪者。ジョーカーがアーサーに戻るのはどうしたってもう誰にも許されない。ならば、、つまらない。見捨てられる。恋も終わる、、完全に終わる、そして、、取って変わられる。。そんな群像模様を普通に描いていたら何の救いも無い、このクソッタレな世の中そのままの映画になる笑。又は前作の焼き増しになる。だからこそ、この美しい映像と音楽の意表を突いた仕立て。でもむしろ哀しみは余計に際立つ。悲しい歌詞の曲が穏やかな曲調だと余計に響くタイプの私なので、この映画には概ね胸を撃たれました。一緒に観た連れは最低評価でしたが笑
⭐︎3.4 / 5.0
賛否両論もやむなし
本日、見てきました。
率直なところ 「これで終わりなん?」と見終わった直後は
感じましたが、あれだけ大ヒットした前作の続編を
つまらんの一言で終わらせるのもなんだかなあ、と
思い直して、いろいろ考察と言う名のこじつけを
語っていきたいと思います。
まずタイトルのFOLIE A DUEX の意味ですが
Wikipedia によれば
「個人の妄想が別の個人に伝染する」「感応精神病」
との事です。
これは劇中でのアーサーとリーの事でもあり
この映画を見ている観客のダブルミーニングと思われます。
さらに言えば冒頭のアニメで示された
「実在の人物アーサー・フレック」と
「虚像であるジョーカー」の関係ともとれる様に思います。
あくまで本人の影でしか無いジョーカーという存在に
本人であるアーサーが振り回される(乗っ取られると
いってもいいかもしれません)
劇中でも民衆が望んでいるのは「反体制のヒーローたるジョーカー」
であって「精神疾患を抱えたアーサー・フレック」では
ありませんでした。
改めて考えてみると
前作は
「社会的弱者のアーサー・フレックが予期せぬ形で手に入れた
ジョーカーという虚像」の物語で
今作は
「ジョーカーという虚像に振り回された挙句に
破滅してしまうアーサー・フレック」の物語だと
言えると思います。
あくまでも主役は「アーサー・フレック」であって
けっして「ジョーカー」ではなかったという事なのでしょう。
そして観客もまた「ジョーカーという虚像」に翻弄させる事に
なってしまうが故の賛否両論という事でしょうね。
「ジョーカー」のいう言葉の記号性を考えたら無理もないですよね。
まして今作はレディー・ガガの役どころがハーレイ・クインであれば
なおさらですよね。
ただ前作にしろ間にはさまれた「ザ・バットマン」にしろ
単純なアメコミキャラの映画ではなく
現実と虚構が混沌とした世界観ですので
「ジョーカー」「ハーレイ・クイン」の名前が持つ意味も
自ずと異なってきます。
むしろ「今作のヴィランは?」と考えたら
間違いなくリーの方ですよね。
「放火を起こしてアーサーと一緒に脱獄を企てても
独房に入れられるどころか、看守を買収して
アーサーの独房に忍びこむ」
「電気店のTVを堂々と盗む」
「新聞ざたになっても平然と裁判の傍聴席最前列に鎮座する」
よっぽど悪党やん?!
ラストシーンも自らは刺殺され、刺した奴が新たなるジョーカーに
なるのを示唆する感じで終わり。
哀れ極まりないですやん?
まあ6人を殺めたのは事実ですから
「因果応報」なんですけど
娯楽映画としてのカタルシスは得られませんね。
前作の影響力を反映した
ある意味アンチテーゼともとれる作風ですが
前作と今作もまた
FOILIE A DUEXなのでしょうね。
テーマは悪のカリスマなんて所詮は偶像‼️
タランティーノがジョーカー観てコミックオタクと観客とワーナーの株主にクソ喰らえって言ってると発言してるのね🤡更に監督自体がジョーカー🃏だって名言を言ってて👍
評価が分かれて賛否でカオスになるの含めてジョーカーである監督に混乱させられてるとか最高のジョークですよ🤡
ジョーカーに感化されて実際に日本で(つうか全世界で)犯罪を犯したやつとか居たから監督が実際の事件に対する罪を償う為にワザとにリー(観客の心情はリーと全く一緒になる仕掛け)と同じ気分にさせて超カッコいい悪のカリスマジョーカーなんて居ねえからって失望させるまでが監督の狙いって色々厄介な作品内容ですね!(じゃないと所詮映画のはずなのにバカが影響されてジョーカーの模倣犯が実際に人を殺したりするから抑止の為にもこういう作品にするしかないですからね)
1を観て良かったとかホアキンジョーカーカッコいいと思う人を完膚なきまで叩きのめすのが今作の目的だし🙀💀
恋をして人としてやっと少し前進できそうになり希望をもったタイミングが六人殺して精神病院にいて裁判始まる寸前の時だし(しかもリーが好きな相手がアーサーじゃなくてジョーカーっつうのがまた面倒くさい笑)
自分はそうでも無いのに周りがリアルな等身大の自分以上に周りが勝手に騒ぎ立ててカリスマ性だけが一人歩きしていく様を見せつけてくる演出も中々ですねしかし🤔
賛否両論というよりこんなの悪く言われたくて監督が作ってるんだから(カリスマジョーカーを全否定する為の作品なので低評価こそある意味高評価の証だったりするからややこしい☠️)
結局賛否が分かれないと作品として失敗ですから😆
あとホアキンの演技は相変わらずヤベぇのと(ボーは恐れているで丸々と太ったオッサンからの骨ガラジョーカー🃏ってマジかよ🐽🦴😨)ミュージカルで脳内妄想を見せる演出でカオス過ぎるし延々と裁判だと思って無くて多方向に想定外過ぎました👾
オチも含めてホアキンの続編を作る意志も無いし👋(完璧に終わらせたし🪦)
結局低評価をつけた人も含めて監督の思惑通りという事でお互いウィンウィンだったりするんよな🥹
ホアキンジョーカーを作ってしまった監督のケジメを目撃させられましたね🫶👏✊👍👌(自分は嫌いじゃないです❤️🔥) つうかジョーカー監督に惑わされましたね完全に🫣
ジョーカーの勘違いを終わらせる。
悪人は"もしかしたら"を考えない人です。「もしあの時こうしていたら」などという発想なく最初から突っ走れる人間。そういう意味ではアーサーは悪とは対極にいる存在、弱すぎるが故に溜め込んだ鬱憤を爆発させカリスマとして持ち上げられてしまう。それは映画を見た現実世界の人間にまで影響を与えてしまった。日本でも"勘違い"したリアルジョーカーを生むまでに至ってしまった。今の社会状況を鑑みればこのようなストーリーにせざるを得なかったのではないか。アーサー(ジョーカー)よりも刑務所の中、街中に響く嘲笑のような笑い声の方がよっぽど恐ろしい。
「アーサー」
フォリアどう
ボクはこの切ないラブストーリーに酔ったよ
ビージーズの初期のヒット曲 "to love somebody"(爽やかなラブソングなんだけど意外にも Janis Joplin もカバーしている名曲)をジョーカーとリーがstageの上で歌い上げる。さすが Lady Gaga 歌がうまい。ホアキン・フェニックスの歌はうまいとは言えないがいい感じ。そしてLady Gaga演じるリーはカーペンターズの名曲 "close to you"を憧れの恋するジョーカー様に捧げる。"close to you" の歌詩が見事にはまる。リーの乙女心にぴったり。そして"Gonna Build a Mountain" をバックに恋する2人がダンスを踊る。セピア色の画面の中、二人のシルエットが美しい。そして切ない。二人の恋心は完全な妄想のなせる業(恋愛なんて所詮どれもこれも妄想なんだよ)なんだけど分かってるだけに余計に切ない。ジョーカーを主人公にした映画"コレでいいの?"なんて思いながら僕はこの美しくも切ないミュージカルを堪能しました。
擁護してやるよ! 実は「つまらなさ」も狙ってやった演出だ!
この作品の主役はジョーカーという超ヤバイ悪のカリスマを描いているようで、実はアーサーという中年男の生き様を描いている……ようで、本当はそのどちらでもない。
【現実の不条理にうんざりした社会狂気】を描いているのだと思いました。
それはフォリアデュ(フランス語で共狂い)というサブタイトルからも読み取れます。さらにいえば、ドラマ版GOTHAMでもそうだったように、ジョーカーという悪役は別の人間にふつうに代替わりします。そっちもやはり、狂気の感染という方法で。
あとまあ、歴代の映画のジョーカー役でも割とそうですよね。〇代目ジョーカーとか、フィギュアも衣装もきっちり分けられているし、それぞれにコアなファンがいる。
だから『ジョーカー』という概念は、ひとりのキャラクターを示すものではありません。
『ジョーカー』とは『ジョークをこぼす人間』であり、そもそもひとりの人間を指す名詞じゃないんです。だからメイクで変装するキャラなんです。たぶん、ここを納得できるかどうかが、実は解釈の別れるポイントです。
悪のカリスマとして覚醒した「アーサーのクライムアクション」を期待するとガッカリします。
でもですね、よく見ると、冒頭のアニメに出てきたあのヤバいジョーカーの「影」は作品中の画面内の空気中にずっといるんですよ。それは看守に暴力を振るわせて囚人を絞殺させたり、リーに虚妄的な愛を芽生えさせたり、最後の囚人を凶行にはしらせたりしている。まるで悪のウイルスみたいに、この鬱屈した現実世界のなかにずっと漂っている。
つまり、主役は「悪の影」です。冒頭のアニメのあいつです。
それゆえ、映画の最終幕では新しくジョーカーが誕生したのでしょう。それも、アーサーのように人間的な弱さを持たない、ミーハーで純粋な暴力性だけを持つ最悪のヴィランの卵として。あっちがたぶん(繋がるなら)ダークナイトのジョーカーだと思います。
ミュージカル仕立てである点については、正直いうと、とにかくテンポが悪いのでエンタメ映画としてはハッキリと面白くありません。私も見ていて「また音楽かよ」とうんざりしました。それでもこの映画は超傑作だと思います。
なぜかというと、たぶんこれ、狙って「退屈する演出」にしているんじゃないかと思うからです。作中で、さんざんエンタメ♪エンタメ♪ってからかってますしね。「エンタメとしてつまらないことなんてわかってるよ」という製作者の皮肉であり、比喩で、ジョークでしょう。
なによりも決定的なのが、作中で、リーがアーサーの「ジョーカーなんていない発言」にガッカリしたこと。それと、いま酷評している視聴者たちの「なにこのジョーカーの続編映画、面白くない」というのが、精密に計算されてシンクロしていると思うからです。
正直、トッド監督なら「ハングオーバー」でやっていたように、構成のテンポを良くすることでエンタメらしい大興奮映画にまとめることなんて、たぶん楽勝でできるはずです。
でもこの作品はそれをやらなかった。ジョーカーという「ふわっとした悪の魂」に焦がれている人間を失望させることで、よりそのふわっとした悪の魂を、浮き彫りにさせている。
だからこそ、この「敢えて退屈させる演出」ってとてつもない表現手法だと思うし、ハリウッド映画で実行した度胸が凄すぎると思うのです。
私はこれ、メチャクチャすごい作品だと思います。大好きです。
書ききれないくらい、色々なサブテーマが隠されてる。
どう見ても恋心を育てる過程が足らなすぎる初めから薄っぺらな恋愛なのに、心酔しちゃう童貞アーサーの弱者男性ぶりだとか。最後の面会は誰だったのか?とか。自動車自爆テロは誰が仕組んだのか?とか、なぜリーはあの階段で都合よくあのタイミングで待っていたのかとかね。
まあ、たぶん、思うに爆破テロはリーの仕業だったのだとわたしは思います。ハーレークインぐらいでしょう、ジョーカーのためにあんな過激なことするの。でもわざわざ作中で描写してしまうとチープになってしまうから、敢えて省いたのかなと。
最後の面会は、「それでもアーサーに会いたいと思ってくれている誰かにさえ、結局会えない悲劇」の演出でしょうかね。
マジで傑作。でも二度と観たくねえ。
けどこの傑作が低評価で終わるのはとても残念です。
タイトルなし(ネタバレ)
'That's Life' と言ってもこれでは悲し過ぎる結末 でもやはり世の中は不条理 ってことか
カンソウ 色々色々あれど
もちろん主演 助演とも素晴らしかったので
ストーリー的には続編だけど展開は別物の様
冒頭のアニメが全て暗示してる様だけど全てでは無いと思いたい
精神心理学的にPTSD コンプレックスなどに目を向けさせながら
都度つど妄想狂喜のミュージカルでほぐれさせ
ナルホドね
世の中ヤッパリ不条理だよねと言う終わりは分からなくもないが
賛否のピはその辺もあるのかな
いや個人的にはそういう終わり方なんだと言う悲しみかな
ちょっと気を持たせつつも
でも世の中は概ね不条理、、、が勝つのか
ところでハーリィ クインは打算的か フォリ ア ドゥってくらいだから妄想教信者か
と今はこのくらい また巡るつもりで
やるせ無ければ That 's Life ♫を口ずさんで
いや 実はアーサーは死んでないんだ とかね
Send in the Clowns♫はハマり過ぎな感じ
アレッ? エンディングで救われてる?
ハッハハハハ
オーマイガー
見たいものは見せてくれないかも。だけど・・・
もしかするとこの映画はあなたの見たいものは見せてくれないかもしれない
だけど、言いたい。観てくれ!!
前作の後、逮捕されていたアーサー
入れられた病院でハーレイ・リー・クインゼルと出会い、二人は急接近する
同時に世間の関心は裁判の行方に向けられていた
争点は「ジョーカーは別人格なのか」になる様子だ
今作は続編であり対をなす存在として作られている
物語は前作を逆行するように進んでいく
コメディアン・アーサーがいかにジョーカーと呼ばれる存在になるかを描いた前作
ジョーカーと呼ばれた男がその後どうなるかを描いたのが今作
物語をストレートに受け取るなら、トリアー監督のあの作品を思い出すようなとんでもない鬱映画だ
ジョーカーが好きな人。前作が好きな人の中には「見たいのはこれじゃなかった」と思う人もいるのかもしれない
だけど、見たいものを見せてくれないから・・・なんてのはまさに・・・
これから観る人に間違いなく言えるのは、想像するよりかなりミュージカル映画ってことくらいですかね
レディーガガ登場…歌は良いんだけど
全737件中、521~540件目を表示