ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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制作側がエンタメとして作っていない、カタルシスのない物語の終わり
自分は、ジョーカー1が、苦痛の多い人生でもなんとか倫理的境界を越えずにいた社会的弱者が、福祉なども届かないまま社会的にむやみに虐げられることによって境界を越えてしまいジョーカー(現代社会でいう無敵の人)に変化してしまうということ、そして彼を虐げていた層こそが、まさにジョーカーを崇拝するという物凄い皮肉を叩き付けていた故に傑作だと思ってたんですよね。
ただ必死に生きていた人が怪物に変わってしまう、現実にもあり得るような薄ら寒さ。そしてそれを生んだ社会はその自覚がない致命的な現代という風刺。
薄暗い演出と主演の締め付けられて崩壊していく演技。そして守るべき倫理の抑圧から解放された主人公のカタルシス。前作は間違いなく星5でした。
でも今回は、見終わった後に…それで?という感想になってしまいました、残念ながら。
ミュージカルの良し悪しは置くにしても、そもそも主人公が苦しんで苦しんで、そこから何もない。1であったはずのカタルシスがない。ただただ、そりゃ現実ならそうなるでしょうね、というエンタメではないリアルを視聴者に叩き付けただけ。
制作陣はジョーカー1で、ジョーカーを肯定して崇拝したり同じような無敵の人になりそうな層が出てきてしまったので、その人たちに向けて現実をわからせるために作ったらしいとかそのようなことをだれかが書いているのを見て(ソース不明なので本当かどうかわかりません。)確かにそれならこの本作の意味が通じるなと思いました。
制作側は1をあくまで社会的風刺・皮肉の文脈で作ったのに、視聴者の中でそれを理解せず悪役(社会的なテロや殺人の象徴)を肯定する者が出始めてしまったので、ジョーカーを模倣するような者を出す前に目を覚まさせたい、ジョーカーの模倣が出たとしても2の人間に戻ったアーサーは君たちの目指すカリスマではない、という制作側の意思を明確にする、そのために2を作ったというなら納得です。
監督はもうこれ以上の続編意欲は無く、DCから撤退といっているようですし、そういうことなんですかね。
エンタメとしての「楽」を考えられていない、見ている人を楽しませようという意識がないと感じたので、自分は星2評価になりました。ただ、映像としての演出と、ホアキンの演技はとても素晴らしいです。そこだけ抜き出して評価するなら星5でした。
エンタメとして視聴するのはお勧めしません。
裏をかくチャレンジャブルな設定は評価したい
ジョーカーはDCのスーパーヴィランであり無慈悲な悪のカリスマという鑑賞者の強い固定観念を真っ向から否定してみせ、賛否覚悟で誰も思いつかなかった新解釈で表現しようとした意欲的な作品。
タイトル通りハーレクインとは妄想を共有する関係になるのだが、ジョーカーが徐々にズレ?を感じはじめ、最後はリアルな自分を見せようとして彼女や熱狂的な信者達に見限られてしまう。
まさにこれってトッド・フィリップスが我々に仕掛けた罠であり、ハーレクインはじめ殺人鬼ジョーカーの支持者達を我々鑑賞者の目線と同じにする事で、我々もがっかりし裏切られたという感情を共有させられる。
予定調和の安心感も良いが、全く想像できなかった展開も刺激があって良いと思う。
ただ歌と長尺なのは緊張感を持続しにくいため、もう少し何とかならなかったのかとは思った。
スタイリッシュな分、ドラマの書き込みが圧倒的に足らない。
疑問!
なぜ、クライマックスで、アーサーがジョーカーを否定する展開としたのか。
心変わり、きっかけが全く描かれていない。
やっぱり…。
「ジョーカー」が、ガガに乗っ取られてしまった。
アーサーが、リーに乗せられてしまった展開と同じ、。
リーに踊らされて舞い上がってしまい、信者も増え社会現象となり、一大ブームに。
アーサーは、それは「ジョーカー」であって、自分じゃないと考えて、ジョーカーをやめた。
映画自体も、現実に真似した犯罪が起きる恐れがあるから、ジョーカー賛美にしなかったのだろうか。
妄想シーンがユージカルなのはイイ。
どのシーンも良かった。
フェニックスもカッコよかった。
見せ場なので、久々にIMAXフルサイズで堪能できた。
ただ、スーパースターのガガ出演ありきでは、必然的に歌とダンスが増えるのはいいが、その分ドラマの時間が圧倒的に足りていない。
最後は、アーサーが夢をあきらめてしまうから、リーにあっさり捨てられる。
半分はリーがメインだから、彼女を尊重しているのに、アーサーにこだわった理由がわからない。
興味本位と変わらなかったのか。
せっかくガガに忖度しているのに、描写が足りないから、リーが何を考えていたのかわからない。
どこまで本気で「二人で山を作りたかった」のか。
アーサーが夢をあきらめた理由は、ジョーカーではなくあくまでもアーサーでありたかったから。
なぜか、突然正気に戻った。
アーサーをリアルな人間に引き戻して終わらせたかったということだろうとは思う。
あのまま二人で突き進んでいくラストで良かったのに。
それだは単純すぎる、普通過ぎるからやめたのか。
前作で昇華したラストを、すべて帳消しにしてしまうカタルシスを狙ったのか?
本作のラストは酷すぎる。
悲しい。
コレじゃない
俺たちが観たいのはこういうのじゃないんだよ、、笑
前作はすごく良かったから、前々から楽しみにしていたのに、見事に期待を裏切られました笑
なぜミュージカルっぽくしたんだ!?
別にレディーガガは良いんだよ!アリーでも演技上手かったし。でも、本作では歌がしつこく、いちいち話がストップしてテンポ悪くなるんだよ!
場面もずっと変わらず飽きるし、さっさと脱獄でもなんでも外に出ろよ!
その後でジョーカーが悪の権化としてどう活躍するかが観たいんだよ!
一応、なんとなく話の意図は分かった気がします。
カリスマなんて周囲が勝手に持ち上げてるけど、実際の姿は普通の人。むしろ弱々しい冴えないおっさん。ジョーカーの華々しい姿が、全て妄想なのも面白いと思います。
期待していた自分もジョーカーという偶像に踊らされていたんだなと複雑な気分。
ハーレイもただのミーハーだったということ。キスする時、ジョーカーのメイクさせるなんてひどいですね笑
しまいには、冷めたら捨てるとは笑
最後のオチも、え?っとなる終わり方ですが、冷静に考えると前作と対比させた終わり方でした。小人症の彼の言葉に揺らいだところを見ると、結局アーサーは、あれ以上ジョーカーになれなかったんだと思いました。
ジョーカーというのはあくまで役で、誰かに引き継がれていくものなんでしょうね。前作でブルースとの年齢が合わないのも、そういうことかと。劇中だけでなく、人の心にあるもの、バットマンシリーズのジョーカーという役、いろいろな意味で。そういう感想でした。
監督の意図することも、役者の演技もよく出来てます。
悪人をヒーローとして観たいと思う観客へのアンチテーゼでしょうか。決して駄作ではないです。
でも、もう一度言う。コレじゃないんだ!
アーサー フォリ・ア・ドゥ
カートゥーンアニメから始まりタイトルロールまで期待が高まる出だしでワクワクしながら勝手に観る側が"ジョーカー"になったアーサー・フレックを想像しながら何も起こらない展開、ジョーカーにはならない、なれない、ならなかった、なれなかった←全部意味同じ?アーサーが何者でも無かった現実を非現実の中で描く残酷性??
そりゃ自分の指を切断して玄関のドアに打つける『イニシェリン島の精霊』でのブレンダン・グリーソンの方がイカれてる、アーサーとレディー・ガガの関係性は普通の男女が恋愛をする関係性と何ら変わりはなく、薄情過ぎる女と空気が読めないウブな男性が傷付いて。
仮にアーサーがジョーカーならやはりバットマンの存在があってこそ生きる意味を保つジョーカーな訳でツッコミのバットマンが何者かではあるがまだ子供だし役不足、どっかにジョーカーはいるんだろうなぁ、アーサーでは無かっただけで、御丁寧にハービー・デントまで登場させるんだから。
盛り上がった前半戦がまるで無かったかのような後半からの終盤戦、でも酷評では無いかな、嫌いにはなれない。
期待と違った
情報は見聞きせず期待を込めて観に行ったが、期待外れだった。
ミュージカル映画は基本苦手で観ないくちなので、その類の映画の進み方と、物語がどうにも納得できないまま時間だけが過ぎていた。
ガガ演じるリーとの絡みで、脱獄してゴッサムシティを混乱させていくような話かと思たら、胸糞悪いと思った奴を殺してくれたと崇めるリーと、好いて貰える事で日和ってしまうジョーカー(アーサー)に冷めてしまって、殺されちゃう・・・なんという流れ。
ピンポイントで見ると「おおっ」って思うシーンはあったけれど、全編を観ると期待外れとしかいいようがない。
裁判所が爆破された先にリーが立っていて、街へ出て・・・と思ったら、逃げてたどり着いたあの階段で三行半を突きつけられ、あえなく逮捕されて・・・
様々な意見、観方があるだろうから他の方の感想に茶々を入れるつもりはないので、私の感想もそんな一つの感想です。
裏目裏目のソシオパス
人生なんてこんなもんなんだなっていう映画
終始ミュージカル調の音楽が彩っていたが
死ぬ時は無音だった
何かのボタンの掛け違いで犯罪になり
失恋をし成功や希望が近くにあるのに全てうまくいかない
笑わせていると思っていたら笑われていただけで自分の意図とはかけ離れる人生
ジョーカー役のホアキン フェニックスはそんな役柄が最近多いような気がする
レディーガガはあまり好きじゃないけど 役柄にはハマってたと思うそれなりに
そこまで魅力的ではないが裏切り方も凡庸で
、すごい二人なように見せて実はただの弱い男と女なのね
見終わって悔しくもなければ悲しくもない 怒りもなければ面白くもない
見てるこっちとしては無表情になってしまう終わり方だった。
でもそれがアーサーの人生らしくて良かったと思う。
できたらバットマンとホアキンジョーカーの絡みも欲しかったな。
この世界線でバットマンと絡むのはアーサーじゃないジョーカーなんだろうけど。
ミュージカル映画
第1作の連続殺人の容疑でアーカム州立病院に収容された「アーサー・フレック」(ホアキン・フェニックス)。向精神薬で凶暴な「ジョーカー」の性格が抑えられ、気の弱いアーサーとして過ごす。弁護士「メアリーアン・スチュアート」(キャサリン・キーナー)は、アーサーが幼少期の悲惨な境遇から多重人格となっており、凶行はあくまで別人格ジョーカーの仕業なのだと主張する弁護方針を立てる。だが、音楽療法サークルで知り合った「ハーレイ・『リー』・クインゼル」(レディー・ガガ)は、何者にも縛られないジョーカーに憧れており、ジョーカーこそが本来のあなたなのだとそそのかす。アーサーのなかで、アーサーとジョーカーが葛藤をはじめて――といったストーリー。
この葛藤のシーンがミュージカル仕立てになっている。アメリカ人には刺さるだろうが、日本人にはいま一つピンとこない演出だ。
最後、アーサーはジョーカー崇拝者に刺される。死んだという確証はないが、死んだのだとしたらバットマンとの対決の可能性がなくなってしまう。これもいささか不評な理由だろう。
期待していたのとは…
最初の方で歌唱シーンが長いなと思っていたら、7〜8割くらいジョーカーかリー、もしくは2人で歌っている映画でした。ミュージカル映画が好きな人は大丈夫かも⁉︎
フラットに生きていきたいアーサー。
本国の評価は賛否両論と聞いて、多少身構えて観ましたが、普通に傑作?怪作?
丘や山は要らない。そんなアーサーに山を作りたいと言う、リー。
もう合わない(笑)
アーサーの発作が出ている時は、感情をならす為に出ているような気がしてならなかった。
リーといる時は、ほとんど出ていなかった。そうする必要がなかったのかもしれない。
リーはアーサーの完全な理解者ではなかったのかもしれないが、アーサーは、リーにすがるしかなかった。
だって死刑囚だもん。藁にだってすがるでしょ。たぶん山だって作るぜ?何なのかわからんけど。
自分の正義が、この世の不条理だけでなく、自分(アーサー)をよく思ってくれてる人達を傷つけてしまっていると思って、ジョーカーをやめたアーサー。
きっとリーもそんな人だと思って、そうなる前にやめたとも思えてくる。
でもリーは、『ジョーカー』が、好き?目的?だったみたい。
ラストは、なるほどこれは賛否別れるなと、、、
そして面会に来てた人は誰?
リーだったらまだ救いはあるけど。
エンドロールの曲がまるで、アーサーからの観客へのエールみたいで。。
つまらなくはないが期待とは違ってた
決してつまらなくはなかったが、見たかったジョーカーかと言うとだいぶ異なっていた。
レディガガ扮するハーレイクインとせっかくの共演なわけだから、思いっきり2人でゴッサムシティを暴れまわる様を見たかったのだが、残念ながらそれを堪能する事は出来なかった。
物語のラストにハーレイクインや刑務所内の囚人等がジョーカーに対して失望したように自分も同様にガッカリしたのはいなめない。
製作者サイドが本作のような暴動が現実に起きるのを恐れたのかは不明だが物語の結末は明らかにそうした事を助長する事のないような方向にもっていったのではと勘繰ってしまう。
逆に言えばあまりアメコミ感を出さない本シリーズの方向性としてはエンターテイメント性を出さずに、本作の演出やオチが正解と言えば正解なのだろうとは思うが…
よかった部分としては、レディガガの起用のしかたは最大限に生かされていた事だ。
彼女の演じるハーレイクインがマーゴットロビー版とは異なる独自のスタイルであったのには共感でき、とても良かった。
元々ミュージカル風にするつもりだったのかはさだかではないが、レディガガの歌唱力や表現力を最大限に生かされていた部分は見応えありだった。彼女の歌に関して言えば「アリー/スター誕生」よりも胸にささる程だった。
そんなミュージカル演出と対をなす法廷ドラマもそれなりに見応えはあった。
ただ全体的に重厚なドラマ路線であったがゆえにどんよりとした流れがわりと長めに続くのは若干のテンポの悪さを感じずにはいられなかった。
ゆえに続編というよりは前作を深掘りした番外編という印象が強く、正直これなら前作のみでも良かったかなと思わずにはいられなかった。
改めて前作は非常に良く出来た名作であったと再確認させられた。
この胸糞感こそジョーカー
社会現象を巻き起こした2019年の映画『ジョーカー』の続編。最近の映画の続編は、中々期待に応えてくれるものがないので、「どんなもんかな」くらいの気持ちで観に行ったのですが、個人的には思ったより良かったです。
もちろん前作の衝撃には到底及びません。ですが、コレはこれで、ジョーカーに相応しいラストだったと思います。ハッピーエンドとかは絶対にありえないでしょうし。
そもそも今作の〝ジョーカー〟という人格は、社会的に大きく逸脱していて、多くの人にとっては受け入れられるものではありません。なので〝ジョーカー〟という存在自体が矛盾していると思うのです。〝ジョーカー〟が矛盾しているというのは、アーサーが〝ジョーカー〟について語る時にうまく話せていないのが物語っていると考えています。
つまり〝ジョーカー〟は、いくら共感できるヒーローのような存在だとしても、結局は人にとって悪影響を及ぼすものでしかなく、自分にも周りの人にも不幸を撒き散らす存在でしかないのです。
自分は〝ジョーカー〟に、これでもかという程共感した人間なので、彼がただの犯罪者に過ぎないのは悲しい現実ですが、でもそれは抗いようのない事実なのです。
人は誰もが〝二面性〟を持っています。その中でも特に自分は極端な二面性を持っていて、いつか自分に潜む〝ジョーカー〟が開放されてしまうのではないか、と時々不安になります。でも今作を観て、ある意味少し安心出来ました。〝ジョーカー〟を剥き出しにした先に待ち受けるのは、今作のラストのような結末であり、自由や希望なんてものはありはしないのだと。そう捉えました。
そもそも〝ジョーカー〟になりたくて〝ジョーカー〟になるわけではなく、不寛容な社会に無理やり〝ジョーカー〟にさせられるから悩むのでしょうが、結局は自分なりに「優し過ぎず、クズ過ぎず」を見つけていくのが最善策なんだと思います。人生って。
レビューというより、自分の人生観について語るものになってしまいました笑。最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます🙇。
最後に…………〝これが、人生!〟
「ジョーカー」を見に来るには物足りないだろう
今回の映画の一つ根幹となっているのは、「ジョーカー信者」だと思う
いわゆる「無敵の人」であり、上流階級に一矢報いる時代の寵児。(劇中の人々にとって)
ジョーカーはこんな感じだろう。「ジョーカー信者」(我々観客)の人々も(ジョーカーの過去も知っているけど)それを求めているのだと思う。
しかし、今回の主人公は「アーサー」である。弱くて、障害を持っていて、才能も友人もない男が主人公だ。
そしてこの作品を通して感じることは、みんな「ジョーカー」ばかりに目が向いているということである。
ラストに刑務所のアーサーを殺した男も、ハーレーも、民衆も、「ジョーカー」を見にこの映画をみた人々も、みんな「アーサー」なんて見ようとしない。
勝手に祭り上げて、反逆のマスコットにして、自分達を肯定するジョーカーを信じ続けている。
別に貧しくなくても、悲しい過去がなくても、生まれが良くても、前作を見た普通の生まれの観客たちやハーレーは勝手にジョーカーを信仰している。アーサーの気も知らないで。
その挙げ句に「アーサー」=「ジョーカー」じゃないと分かればアーサーを見捨てる。いや、別の人格はまだジョーカーなんだろうとずっと聞いてくる。そりゃあアーサーは嫌になるだろうな。
多分、この映画に低評価をつけ、「こんなのジョーカーじゃない!」と怒っている方々に向けて、監督はこの映画を作ったんじゃないだろうか。まあ、本人たちに届いてないんだけどね。
だから、この映画は「JOKER」の続編ではなく、「JOKER」が受けた社会への補足みたいなものなんじゃないかなと考えております
虚像としての「ジョーカー」
そもそも
人を6人殺してヒーローは無いでしょう?と笑。ジョーカーに狂喜共振した群衆と前作を神格化した我々は同列。こんな東洋の島国までに本物模倣犯まで出てしまった訳で。今作は更に過熱希望の群衆と我々をしっかり現実に揺り戻してくれる。言うたら結局は疾患持ちのマーダー、更に内実は、本当は、弱い自分を受け入れて欲しかった、子供も欲しかった、、。超凡庸。。。どこにでも存在し得る人物。悪のカリスマでも何でもない、、ただの落ちぶれた異常犯罪者。ジョーカーがアーサーに戻るのはどうしたってもう誰にも許されない。ならば、、つまらない。見捨てられる。恋も終わる、、完全に終わる、そして、、取って変わられる。。そんな群像模様を普通に描いていたら何の救いも無い、このクソッタレな世の中そのままの映画になる笑。又は前作の焼き増しになる。だからこそ、この美しい映像と音楽の意表を突いた仕立て。でもむしろ哀しみは余計に際立つ。悲しい歌詞の曲が穏やかな曲調だと余計に響くタイプの私なので、この映画には概ね胸を撃たれました。一緒に観た連れは最低評価でしたが笑
⭐︎3.4 / 5.0
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