ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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個人的には面白い!でも、星4つ
前評判では、賛否両論というネット情報を、うっかり見てしまったうえでの鑑賞。
個人的には「面白かった」です。
否定的な意見で目にしたのは「劇中で歌い出してミュージカル化する」というのですが、その部分は個人的にスムースに受け入れられました。前作でもアーサーは妄想シーンが多かったし、現実シーンで歌う時でも、コメディアンやエンターテイナーショーに憧れていたので、違和感は無し。 特に今年初めに見た日本ドラマ「不適切にも程がある」で耐性がついているのは自覚しています。
それ故にハーレイ役のレディーガガは適役。キャラの良し悪しはおいといて、ミュージカルシーンが引き締まるし、格が上がりますね。
そもそも、前作から逮捕後の刑務所と裁判所が舞台なので、エンターテイメント性を上げるためにミュージカルの手法、古のアメリカエンターテイメントの映画やブロードウェイミュージカルの基本演出を踏襲するのは、許容範囲。
うまく表現できないのだけど、個人的に本作は前作の衝撃を超えていない。その理由は本作では「ジョーカーが活躍しない」のだ。
前作はアーサーが理不尽な不幸の質量に耐えかねて「この世はクソ喰らえ」とジョーカーが誕生し、テレビを視聴していた「政治や格差に不満を抱える」一般市民の不満に火をつけたカタルシスの爆発が、映画視聴者にもリンクさせる程の作品だったのだが、今回ジョーカーは登場するもジョーカー本人は何も犯罪は犯していない(アーサーが脱獄をします。あれはあくまでアーサー。)・・・・むしろ、アーサーがジョーカーの存在に耐えきれず、諦めてしまう、消化不良な展開が、否定的意見の根底にあるような気がします。
ジョーカーは狂人であり、その彼に惹かれたハーレイも「類は友を呼ぶ」を体現した狂人で、息を吐くように嘘をついたり看守を”抱き込んで”独房に入り込んだりと狂っている。ちっとも感情移入(応援)が出来ないキャラなのだが、それ故に孤独だったアーサーが振り回され、浮かれて歌い出すミュージカルシーンは必要性があると解釈しています。恐らくは「彼女いない歴=年齢」のアーサーが、舞い上がりジョーカーではくアーサーとして彼女との恋愛を育もうと渇望するのはどうしたって自然な演出。ハーレイはジョーカーを愛していて、恐らくジョーカーはハーレイのことは信者の一人としか思っていなくて、アーサーがハーレイを好きになってしまうこの掛け違いの悲恋。。。。
ジョーカーの強すぎる影響力が、アーサーにはコントロールできるはずもなく、今回のラストシーンにも繋がるのだと思うので、前作は超えないけれど「ちゃんとした続編」だとは思います。
それ故に個人的に「次はジョーカーが覚醒し活躍する続編」の可能性を大いに期待してしまう。本作が前フリとなって、予想を超えたカタルシスの爆発があるのではないでしょうか? だって、バットマンと対決していないじゃない。
この作品「タバコ」が象徴アイテムとして、とても良く出てきて・・・出過ぎな程あちこちで喫煙シーンがあるのだけど、1回の視聴ではその意味するところがわかりません。法定でジョーカーを誕生させるためのアイテムだったのかな?「タバコを許したなら、これもゆるしてもしょうがないよねという自由さ」を表現してるのかな???
あと不思議に感じたのがアーサーって全く冴えない、うだつの上がらない中年男性なのだけど、冒頭の無言でいるシーンから、妙にカッコよく見えるんですよね。カッコよく見せようと意図的に撮影しているのか??? 一度ジョーカーとなったことで、ジョーカーを内包しつつも潜在的に隠れているような 表情が、ホアキンフェニックスお見事!!!
前作よりはパワーダウンしているけれど、同じベクトルの映画作品ではないので、これはこれで楽しめました。
現実と妄想が行き来することに加えて、アーサーとジョーカーが行ったり来たりする為に、視聴者も翻弄されるのだと思います。
一言で言うなら「懺悔映画」
前作『ジョーカー』の影響でアメリカのみならず、日本でも社会現象を引き起こした凶作の続編。鑑賞前は酷評の多いとは知っていましたが、「個人的に楽しめれば良い」という視点で述べさせていただきます。
脚本は正直イマイチ。ほとんど刑務所のシーンばかりで物語が前に進まない。
そこを補っているのがアーサーの妄想の世界で、華々しいシーンが多く、退屈させないように気を配っている印象でした。
歌が多いのもストレスに感じてしまってもったいない。台詞で気持ちを表現すればいいのに歌で遠回しに伝えようとしていて、正直じれったいと感じました。
前作で社会風刺に振った分、エンタメ性と現実性に特化した作品でした。
この映画を観て良かったと思えたのは、「カメラワーク」と「レディー・ガガ」でした。アーサーの心情をカメラで表現していて、自意識過剰の部分をピントで表現していて被写体の周りをぼかすことで、自分の事しか見えていない人間を演出していてわかりやすかった。
そして今作はレディー・ガガの演技と歌唱力が素晴らしい。力強い歌声と演技力は一見の価値あり。中でも「ジョーカーとハーレイ」というアーサーの妄想の世界では、ホアキンとデュエットするシーンがありますが、ホアキンが緊張しているのか声がこわばっているしているように見えました。
個人的にはトッド・フィリップス監督による前作からの反省文的懺悔映画。もしくはジョーカー0号の物語とも観れる映画でした。
真っ当なアンサーソングだった
え?賛否なんだ?と噂を聞きつけたが故に観ないつもりが観にきてしまったのだから、賛否っていいもんだと思う。ふと振り返って続編やるような話だっけ?と思いつつ観てみれば、なるほど繋がっていてこうなるより他ないアンサーソングになっていた。
だから正直なくたっていい話の続きなので珍しいものを観ている感じはする。他にやりやうもないわけではないだろうが、今度は冒頭のカートゥーンアニメからはじまって、妄想ミュージカルで繋いでトドメまで、って感じなのだけど、そのミュージカルも『ララランド』的なクレバーでアクロバティックなハマり具合ではなく『ワンフロムザハート』的なダラダラと展開と閉塞感を深めていくのでこの辺が悪評なのか? 同じ趣向なら『X』シリーズのタイウエストの『パール』のほうがクレバーなミュージカルオマージュをかましていたと思うが、本作を悪く言えないのはレディガガがいいからである。初っ端からファムファタールでございます、という登場なのだけど、目つきがとても良く、せっかくならもうひと暴れして欲しかったくらい。
にしても、前作で象徴的だったあの階段が出てくると切なくなるな、と思った。そしてあまりにもあってるビリージョエルの「マイライフ」…
トッドヘインズは連続する作品を作家としてまとめきったと思う。でも世間の期待するエンタメはこれじゃない、という感じなのかな。なんか黒沢清監督の『cloud』を思い返した。
鑑賞動機:前作7割、ブレンダン・グリーソン3割
やっぱりワーナーは続編作ったねえ、と思ったら、ブレンダン・グリーソンも出演ということで、一気に鑑賞する方へ気持ちが動く。
「いきなりアニメ?!」とちょっと驚いたが、後からじっくり考えてみると、この2部作のジョーカーの本質を表現している…かもしれない。
自分で建てた家を自分で解体していくイメージ。流石のワーナーも今度は「続編作ろうぜ」、とは言い出さないはず。言い出さないよね。言い出すなよ。
妄想ミュージカルと裁判とか何か色々と『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を連想してしまうのは、私の妄想か。
ホアキンが意外と歌えてるのが発見だったけど、前作のインパクトをもとめてしまうとね。リーとか最後のあの人同様に「裏切られた…」となると…。やっぱり一歩引いて冷めた目で観て良かったのか。
ブレンダン・グリーソンのジャッキーは、アーサーとならそれなりにやっていけると思っていたのに、ジョーカーの言動に対しては、こちらもある意味裏切られた感じで爆発したのか。
素晴らしい。アメリカ現代文学作品の文脈
Tennessee WilliamsとJohn Steinbeckのテーマを現代の文脈に巧みに織り込んだ作品といえる。Williamsの描くキャラクターたちは、しばしば精神的に崩壊し、孤独や人間関係の歪みによって破滅する。アーサーの内面の葛藤や、社会からの疎外によって狂気に陥る姿は、Williamsの『A Streetcar Named Desire』のBlanche DuBoisや『The Glass Menagerie』のAmanda Wingfieldのようなキャラクターたちの精神的脆さを想起させる。特に、前作アーサーの幻想的な人間関係(隣人との妄想的な恋愛)や母親との複雑な関係は、Williamsの作品に登場する家庭内の緊張や壊れた関係性と強くリンクしている。
一方で、Steinbeckが描くアメリカ社会の厳しさと、貧困や不平等が個人の精神に与える圧力も、アーサーの物語に色濃く反映されている。『The Grapes of Wrath』や『Of Mice and Men』では、Steinbeckのキャラクターたちは、社会的な構造や経済的困難に立ち向かう中で、次第に追い詰められ、希望を失っていく。アーサーもまた、経済的困窮や精神的な問題を抱えながら、無関心な都市社会に取り残され、やがて暴力的な形でその怒りと絶望を爆発させる。この点で、Steinbeckが描くような社会的無力感と、アーサーの行動は強く結びついている。
Tennessee Williamsの描く内面的な崩壊とJohn Steinbeckが追求した社会的テーマの双方を取り込み、現代の社会問題や個人の精神的な崩壊を深く掘り下げた前作と今作。アーサー・フレックが狂気に陥っていく過程は、Williamsの繊細な人間描写とSteinbeckの社会批判の融合と言える。孤独、疎外、そして不平等に苦しむ現代の人間像を鮮烈に描き出している。
存在と死
現実への影響も含め前作へのケリ付けに来たぞ。
日本でも有ったよね、電車内でジョーカー事件とか、安倍晋三銃撃とか。ドナルドトランプのQアノンもそれに見えたり。
あまりに話題の問題作になってしまっての事か今作ジョーカーが法で裁かれる映画。
俺も当時、ほとんど話もした事無いような職場の先輩がジョーカー見た。とか聞いて、うわ!「あのジョーカーは俺らですよね?」って社の飲み会で珍しく語っちゃったもん、横席の上司気にせずにw
てまあ、前作のホアキンジョーカーには心重ねたモンですよ。
で、今作そのホアキンジョーカーが裁かれる、責任能力が有るのか?精神異常者なのか?
そして彼は罪をただの犯罪と認め、情け無く振る舞い周囲を夢から醒めさせ大きく落胆させてしまう。
ジョーカーは俺たちのカリスマじゃ無かったのか?
女にも捨てられ全て無くした彼はボロ雑巾のようだった、あの長い階段で。
そして最後にはしょうもないチンピラに刺されてしまう。
優作の探偵物語最終回みたいに。
ジョーカーはあそこで死んだのかも知れない、終わったのかも知れない。
じゃジョーカーは居なくなるの?いやジョーカーは死なないだろう、ホアキンジョーカーが殺されたとしても。
何故ならジョーカーは僕達そのものの意思で有り、僕達がジョーカーの存在を望むから。
そもそもバットマンのライバルにして、そちらに行ってしまっただけのバットマンだぞ、消える訳が無い。
たぶん100年後もジョーカーは語られて居るだろうな、僕達が望む限り存在し続けるんだ。
例えば知ってる?ミッキーマウスがデビューしたのほぼ100年前なんだよね、未だ僕等はミッキーマウスを知って居る、愛している。
キャラクターは死なないんだよ、例え生みの親が死んでも、あのダミ声が聞けなくなっても死なないんだ。
僕達が存在を求める限り、そこに居続けるんだ。
ドラえもんみたいに、優作みたいに。
賛否両論わかる!
レディ・ガガは歌要員でキャスティングされたのか、さすがホアキンの怪演に負けない歌声。アーサーの妄想世界など歌の場面が多かったけど、まあアーサーやハーレーの気持ちの表現として良かったかな。
と思いつつ観ていたら、衝撃のどんでん返し。アーサーはジョーカーじゃないんかい!ホアキンがつくったジョーカーの新たな深掘りイメージがひっくり返ったよ笑。アーサーを殺したサイコパスが偽?ジョーカーになるんだよね(口角をナイフで切ってたし)。まあ、それはそれで、イカれたジョーカーといえばジョーカーである。つまり今シリーズは結局はアーサーのストーリーだったんだな。そう考えるとホアキンは、悲しいアーサーを上手く演じたと思う。
独りぼっちではない「孤独」
5人の殺害容疑のため刑務所で過ごすアーサーに裁判の日が迫る。
刑務所内で出会ったリーとの妄想は、世の中の弱者、反逆者たちへ伝播する。
今回のアーサーは独りぼっちではない。
常に周りに人がいる。
そのため前作のような終始閉塞感で逃げ出したくなるような絶望は薄い。
なぜならアーサーはもう、弱者のヒーローであり、民衆の代弁者であり、憧れの存在だからだ。
社会的弱者視点で共感した前作を、そのまま期待して観ると裏切られる。
世間から「つまはじきにされる孤独」が前回なら、今回は世間から「祀(まつ)られる孤独」。
アーサーの境遇から生まれた「ジョーカー」は世に一人歩きを始め、アーサーは「ジョーカー」であることを求められていく。
「あなたは僕の話を聞いていない」というインタビューでのアーサーの言葉が印象的だ。
みんなが見たがっているのはあのメイクで、素顔のアーサーではないのだ。
ある意味今回の孤独のほうが、救いがないかも知れない。
ミュージカルシーンが多すぎるという声はその通り。
ガガに乗っ取られた感が否めないのでこの点数で。
サブタイトル詐欺
フォリ・ア・ドゥとは、「感応精神病」のこと。このことを知って、私はジョーカーとハーレイが一緒に暴れまわる作品を期待した。ジョーカーの妄想がハーレイに伝染して、ゴッサムを混乱に陥れる的な。だが実際にはそんなことはなかった。期待とは違う結末が描かれたので、あまり評価はできない。海外で酷評なのも頷けるなと思った。
本作の大まかな流れは、①前作で収監されたアーサーの様子→②ハーレイとの出会い→③裁判→④裁判所からの脱出→⑤アーサー死亡である。ジョーカーは暴れません。
①から③で、自分はアーサーかジョーカーか揺れ動きながら妄想が伝染したハーレイのおかげでジョーカーだと認めればよかったものを、最終的に出した答えは「自分はジョーカーではない」という答え。そもそもこの答えに至った理由もよく分からなかった。直前に監獄仲間が看守に殺されてしまう展開があったので、前作と同様に虐げた者への復讐をするんだなと思ったのでそう強く感じた。そうじゃないだろ。今こそジョーカーになるべきだと。
④は実に雑な展開だった。裁判所が突如爆破され、アーサーは脱出できたが、爆破された理由が「どこかの誰かが仕掛けた爆弾のおかげ」。それはないだろうと。ハーレイが適当に爆弾魔を抱きかかえて指示したとかの方がまだマシだった。
で、最後の⑤。監獄でジョーカーに憧れてたらしい自称サイコパスが失望して刺殺する展開。死ぬ直前にアーサーはミュージカルで「自分の思想を子供に継がせたかった」と吐露したが、え?そうなの?としか思えなかった。そのサイコパスが次のジョーカーになるのを匂わせてたらまだ許せたけど、ぽっと出のキャラにいきなり殺されるのは実に残念だった。演技が良かっただけに本当に残念。
アーサーの物語
冒頭の子どもに見せられないアニメ
ジョーカーらしく私は結構好きです
傘とかピエロメイクの配色が綺麗なのとても好きです
アーサーは相変わらず最後まで魅力的ですね
とても悲しくて
凡人は悲惨な結末を迎えるのですね
私はアーサーを愛したかったです
リーの歌は素敵で力強い感じ
不安とか悲しみは感じなかったけど
虐待を受け、自宅に放火した女性はあんなに強いものですか?
気になったのは裁判のシーンがかなり長く感じたこと、妄想のミュージカルシーンももっと短くても良いような気がしました
最後に出てきた彼が2代目?真の?ジョーカーですか?
楽しげにザクザク刺してましたね
予想外の展開でしたが、色々メッセージや内容について考えさせられて私は好きでした
山田裕貴の宣伝の時点で嫌な予感はしていた
ザッツ・エンターテインメント🎵
ジョーカーにレディ・ガガが出る。
そしてあの完璧な予告篇。
期待値マックス。
賛否あるレビュー、ミュージカル?
予告を超えることはないか。近場の劇場で大丈夫か。
いやいやせっかくなら、
遠くの劇場で夜の回のみのDolby Atomo上映
少し無理して観に行って良かったと心底思った。
ジョーカー完全となる。
予告篇をはるかに超えてきた。
最初のアニメーションが終わってからラストシーンまで、すべての場面が絵になる。
音楽が、音が、歌声が、光が、バカ笑いが、
脳に、胸に、心に突き刺さる。
歌声が、メロディが、歌詞の一言一句が、こんなにも心に染み込んでくるミュージカルは初めてだった。
ジョーカーとハーレィークインのダンスにうっとりする。
アーサーとリーの歌声に涙が止まらない。
こんなにも哀しいザッツ・エンターテインメントがあったろうか。
心が震える。
ホアキン・フェニックスが苦手だった。
前作も、ナポレオンも、ボーも嫌悪感が先に立ってはまらなかった。
今作は最初の痩せこけて突き出た背骨から、魅了された。
アーサーも、ジョーカーも、歌も、タップダンスも、バカ笑いさえもかっこいい。
すごい映画だ。
無敵の人
狂気は伝染する。
ジョーカーの作り出した狂気は伝染する。
それは、民衆の意思表明に。
それは、一人の女を虜に。
それは、囚人たちを熱狂の渦に。
この時は間違いなく、ジョーカーの絶頂期であった。
だが、精神的重圧に耐えかねたアーサーはジョーカーであることを辞めた。
そこからの転落は早かった。民衆から逃げ出し、女から見放され、狂信者に刺される。
そして、新たなジョーカーが誕生する。
もはや一種の宗教と化したジョーカー。
もう止められるものはいない。
光が強いほど影は濃い
今回ジョーカーを引っ張り出すのは、くそみたいな世間ではなく愛する女性だった。
・ミュージカルシーンは作品の世界観を邪魔するものではなく、むしろ「これがアーサーの心象風景か」と腑に落ちた
・他の方も言うように、リーがそのまんまガガに見えた部分は現実に戻ってしまい少し冷めた
・アーサーとリー。お互いに惹かれ合い(?)影響し合う2人の対比の描かれ方が容赦ない(リーがあの階段をスタスタと登っていく姿など)
・承認欲求の塊であるアーサーが、世の中から認められることよりもリーへの愛を優先したのに、リーを含め皆が好きなのは、アーサーの影であるジョーカーの方だった。やるせない絶望感。
ヒース・レジャーのカリスマ性に抗う後日譚
1. Heath Ledgerの功罪
Jokerは1940年にアメコミのBatmanに登場した悪役(villain)であり、設定等は時代と共に変遷するも、実写化以前から最強の天敵。そこにカリスマ性を与えたのが2008年の "Dark Night"。C. Nolanが監督した2作目のBatman映画。何より話題になったのが、H. Ledgerが体現したJoker。喜々として悪の限りを尽くし、どちらの知人を助けるかBatmanに究極の選択をせまる。滑稽さは微塵もなく99%の狂気に、漂う1%の哀しみ。どんなに悪事を尽くしても満たされない自分。自分が最も自分を諦めれている哀しみ。2008年のJokerは演者の容姿も相まって、得も言われぬ魅力があり、カリスマ的な人気を博した。更にH.Ledgerが急性薬物中毒で公開前に亡くなった事で、遺作は伝説になった。
この伝説は2つの意味で罪深くもある。軽めの罪としては、Jokerを演じるハードルが上がり過ぎた事。2016年の"Suicide Squad"では、2013年にアカデミー助演男優賞を受賞した J. Leto が演じたが、酷評が殺到した。Jokerには奥深い役作りと、シリアスで切実な演技が必須になった。
より重い罪は、Jokerがアンチヒーロー化した事。魅力的過ぎるvillainは一部の人間にとっては、罪を犯すハードルを下げかねない。この問題が2019年の"Joker"で拍車がかかり、2024年の本作につながる。
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2. "Joker" が "The Dark knight" の前日譚じゃなくても
前作の "Joker" の鑑賞時、自分は何となく "Dark knight" の前日譚だと誤解していた。同様に混乱した人の中には、前作で悪に目覚めたjokerが何故 H. Ledger が遺したカリスマ性を再現しないのか!と不満を抱きそう。しかし調べると、前作のwikiにもDCユニバースとは独立した作品であり、"Dark knight" の前日譚ではないと明記されていた。
とは言え、前作"Joker"が"Dark knight"と無関係と言い張るには無理がある。Jokerを主役とする(事実上の)スピンオフの企画が通ったのも、160億円(世界興収)稼げたのも、H.Ledgerが遺したカリスマ性なしにはは語れない。しかも、虐待された妄想男が”Joker"として目覚める過程を説得力をもって描いた2019年の前作は、Jokerのカリスマ性に必然性(正当性)を与えた。敢えて言えば、模倣犯が出やすい状況形成に加担していた。
そして2021年、日本で模倣犯が出現した。ハロウィンの夜の京王線。Jokerの仮装をした男が特急列車の中で刃渡り30cmのナイフを手に暴れ、17人を負傷させた。数ヶ月前に福岡から上京した男は、供述調書でJokerへの憧れを語っている。
町山智浩さんの取材では、だからこそ T. Phillips監督は本作で主人公Arthurを断罪したようだ。生い立ちがどんなに不幸でも、現状がどんなに惨めでも、人から命を奪っていい理由にはならない。自分の前作に対するレビューでも、一部正当防衛にあたるケースもあるが、他の殺しに正当性は見いだせない。そんな犯行を映画が劇的な演出で正当性を与えるのは危険過ぎる。スーパーマンのマネして、地面に水平に飛び出して怪我した子供もいる。京王線で暴れる阿呆の出現も想定の範囲内。T. Phillips監督が責任を感じても不思議じゃない。
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3. 殺し屋の悲惨な末路は、コンプラ以前からの伝統
1972~1991年までコンスタントにシリーズ化され、それ以後もSPなどで度々制作される時代劇に必殺シリーズがある。普段は正業に勤しむ殺し屋(刺客)が、金で雇われて町民らの恨みを晴らす人気作。殺し屋は無類の強さを誇り、毎回危なげなく目的を達するが、最終回に悲惨な末路を迎えるのが定番。追い詰められた狙撃者は、火縄の為の火薬を大量に撒いて爆死。特にトラウマになのが、素手で人を殺す念仏の鉄の最期。数人に羽交い締めされて、腕をカマドに入れられまっ黒焦げに焼かれる。即死こそしないが翌日遊郭で目覚め無い。
「ファブル」も「ベイビーわるきゅーれ」も「SPY✕Family」も今は楽しいけど、日本の伝統に則れば悲惨な末路を辿るのかもしれない。
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4. 夢落ち?ニュアンスの戸惑い
本作で一番引っかかるのは、終盤で面会にArthurが刺される場面。刺された瞬間、転換する妄想のシーンで彼はLee (Lady Gaga)に撃たれる。あれっ、この妄想は映画の前半と同じ...つまりArthurが刺されたのは法廷が爆破された後ではなく、前半で面会に来たLeeに会う前なの...? と時系列が混乱する。
もし "Sixth sense" や "Vanilla sky" のように、実なあの場面で既に死傷してましたという意味なら、Leeと面会した以降の映画の3分の2くらいは、Arthurが刺されて息絶えるまで見た走馬灯くらい早い妄想になってしまう。合唱部でLeeと話したのは現実でも、映画で火事を起こした逃走騒ぎも、独房に忍びこんだLeeとのsexも妄想って事に。そもそも、Leeが本当に金持ちだとしても、独房に連れて行ってもらえる程、看守を手懐けられるのか? つまり、Arthurは自分が殺した者たち同様、惨めに殺されただけ。しかも死にゆくArthurに、笑いが止まらない無名の若者の手で...
殺人者が受ける酬いに異論はない。ただ夢オチかちゃうか曖昧なラストは不誠実に感じた。
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