ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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悲劇は喜劇
ジョーカーとなってしまった男アーサーが堕ちる所まで堕ちる姿が面白かった。
ジョーカーの化粧がみるみる剥がれ落ちていくようにアーサーは終盤になるにつれ心身ともにボロボロ、初めての彼女ができて調子に乗るけどボコボコ、さぁ次はどんな転落が待っているのかと身構えると最期にあの結末、逆張り展開大好き捻くれ野郎の私はいい意味で予想を裏切られ笑ってしまいそうになった。
彼の人生は主観では悲劇そのものであるが、観客から客観的に観たこちらからすれば喜劇の様な映画。
アーサーの人生が道化そのものであったのが皮肉が効いてて楽しかった。
ただこれがジョーカーとしての映画でやる意味があると言われればそうでもないし、かといってジョーカーだからこそ笑えると言う複雑な気持ちはある。
ジョーカーなのかアーサーなのか
ジョーカーとして世間から神格化されたアーサー。
レディーガガ演じる女性も急接近して絶好調で裁判をのらりくらりと立ち回るまさに道化師。
今作には前作のような、虐げられたものの覚醒を描いた痛快感も全く無いからとにかく鬱。
それでミュージカルというか、歌唱シーンが多い。がこれが正直面白くない。
終盤、裁判の証人で出てきた同僚。
誰も彼もがアーサーを見捨てたわけでは無いこと、皆んながジョーカーとして見てる中、彼だけアーサーとして見てくれていること。この人の存在があったからこそ、最後は
アーサーとして生きることになったから、あまりのやるせないラストではなく、まあ良かったんじゃないかと思えた。
“It's a show time!” by T.P.
映画史に残るmaster piece “Joker” 第一作を盤石のbaseにして、Todd Phillips が仕掛けたentertainment show。歌姫Lady Gagaを迎えての今作、musical show としては、極めて中途半端、監督も想定内だろう。
だが、やはり圧巻のホアキン・フェニックスの演技、やや暑苦しいLeeの存在感ではあるが、流石の歌唱力で観る者を黙らせるレディ・ガガ。秀作である事に異論は無い。
導入パートのcartoon animeで、Jokerが自身のshadowに呑み込まれてしまう展開は、今作の全ての伏線となっている。
アーサーの骨の浮き出た悲しい背中を見つめ、“Comon Comon”で、でっぷりと中年太りのおじさんだったホアキンは、一体どれだけストイックに減量したんだろう、と目を見張る。
話題になっている、切り取られたアーサーの大笑いのシーン。私は、“この胸にヒリヒリと痛む哀しい笑いを、まとめて大売り出ししないで!” と心で叫んでいた。
裁判で証言台に座るゲイリーが、見て辛い。それまで、アーサーを被害者目線で見ていた我々も、まさにアーサーも、彼もまた、非力な弱者を力で威嚇する加害者であったことにハッとする。
第一作Jokerを10回観て尚、ホアキンの一挙手一投足、貧乏ゆすりにさえ、その度色褪せしない深い感動を覚える私だが、さて、今作では如何なものか?
胸のつっかえが晴れやかに解き放たれたような前作とは異なり、今回は胸にモヤモヤが残るending。
LeeとJokerの幻想的シーンは、確かに美しい。
監督トッド・フィリップスは、今回は、不条理社会へのアンチテーゼなどではなく、観て聴いて、心昂り、心乱され、心奪われるentertainment作品を意図したのだろう。
誰かの期待通りじゃ無くても、とても良い映画です。
細かい箇所は、もう既に他レビューにたくさんあるので割愛させてもらいます。
ジョーカーが悪の権化として数々の悪業を行うさまは、
それぞれがカタルシスを感じるには充分過ぎる対象なのでしょう。
しかしこの映画は、歌の歌詞や監督、俳優の意図として、
そのようなものは存在しない。
愛や平和こそが大切な全てなんだ。
と分かり難いながらも、伝えて来る。
劇場での他映画の予告編を観れば、どの映画も戦いや戦争、
悪の存在や、果ては学校での殺し合いなど、
こんな映画の数々を観て快感を得て、
果たしてこの世界は良くなるんだろうか?
といつも疑問に思ってしまう。
実際にJOKER1を観て、世界で、この日本でも、
様々な模倣した事件が起こった。
もしあなたがその事件の被害者家族、遺族だったとしても、
同じようにこのJOKER2に悪業の限りを求めるだろうか。
その「快感」を、期待するだろうか?
映画と現実は違う。
だけど私は、だからこそ映画には、
今の現実にはまだ無いような素晴らしい世界や、
暖かい世界が描かれていて、
それに憧れて、いつしか本当に自分のまわりが、
映画みたいに素晴らしい世界になったら良いな、
と思っています。
Joker Folie à Deux、で明かされるのは、
JOKERは存在しない、もうこの世界には必要無い。
というメッセージかも知れない。
だけど、アーサーは今も存在していて、
同じような気持ち、境遇の人もたくさんいる。
だからと言って、
誰かを傷付けて良い訳では無い。
誹謗中傷して快楽を得て良い訳では無い。
この映画は、観る人を、私たちを試しているような、
私たちが観られているような、
そんな不思議な感覚がありました。
最後になりますが、
アメリカでたくさんの否があろうとも、
私には関係ありません。
ホアキンフェニックスの演技も、
レディガガの歌も、
映像も、音楽も、本当に素晴らしい。
また来週もIMAXでもう一度観に行きます。
【追記】
早速、グランドシネマサンシャイン池袋にて、
IMAX レーザーGTの超大画面にて2回目を観覧しました。
まず大画面になった事で、表情が巨大なビルくらい迫って来るので圧が凄かったですが、それに耐え得る主演2人の表情に見応えを感じました。
また1回目はJOKERを期待して観に行ったのですが、
2回目はどちらかというと「アーサー」を観に行った感覚に近く、その感覚で観た時の、後半の知人のくだりなどはより名シーンに感じました。
シーンの動きこそ少ない本作ですが、やはりその狭いシチュエーションの中での細かな演技が随所に光っており、その表情の細かさは大画面で観るに限る!といった所でした。
そして結局2回観ても、
私は本作が好きな事に、なんら変わりはありませんでした。
前評判など気にせず、是非劇場で観る事をオススメします。
美しく儚い名作
ラスト、"後ろの男"を見ろ。
アーサーがジョーカー?こんな気弱な男が?策士でもなければ大してクレイジーでもない。
『こんなジョーカーは認めない』
そんなジョーカーファンは、今作のラストシーンを注意深く見ていれば膝を打ち納得するだろう。手に持った”それ”で彼が何をするのか、気づければ。
フォリ・ア・ドゥ、まさしくこれは共鳴により生まれる真のジョーカーの誕生秘話である。
おそらくこのシリーズは今作で完結だろう。
何故ならば、続編があるとすればそれはもうバットマンであり、完成されたジョーカーが出てくる作品になるであろうから。
最高の評価を受けた前作の世界観や解釈に囚われず、見事にDCバットマン映画のジョーカーに繋げる落とし前をつけたトッドフィリップス監督に最大の賛辞を捧げたい。そしてあえてお膳立て役を引き受けたホアキンフェニックスにも。
ピエロはあくまでもピエロ
あくまで個人的な想像にすぎませんが、ハーレイ・クインと出会い恋に落ち、あれから更に悪のカリスマとして磨きがかかっていくという続きを勝手に想像していましたが、今作はあくまでアーサーという1人の哀しき男の物語で、私たちの知っている、明るく元気に悪いことをするジョーカーは妄想上でしか出てきません。
でもその本当は心優しく、何も言えない、そんなところがアーサーなのです。
でもみんなそんな優しいアーサーを見ようとしない。
そして、みんなのヒーロー、そしてリーのヒーローであろうと、アーサーもジョーカーになりきって過ごそうとしますが、本人も自分自身の影=ジョーカーに翻弄され、最後は自分とは何なのか、そんな哀しい終わりでした。
でも、ここでアーサーは死に、ジョーカーが生き残りました、とかなら個人的にはゾクゾクしたけど、ただ可哀想なだけ……
結論、ただの可哀想な男の話すぎる…………
「ボーは恐れている」でのだらしない裸体を観た後だと一層凄みを感じ...
「ボーは恐れている」でのだらしない裸体を観た後だと一層凄みを感じる、ホアキン・フェニックスの痩躯!ジョーカーのメイクよりも、素顔の方がずっと不吉かつ憂愁を湛えて美しくさえあり、その存在感は前作から些かも衰えていない。…それが続編である本作の問題でもあって、ミュージカル・法廷劇・新ヒロインと新規要素のことごとくが、ホアキン・フェニックスが一人で佇んでいる場面より、色褪せてしまっている。特にレディ・ガガはシナリオ上でも主人公を惑わせる装置でしかなく、題名に反してホアキン・フェニックスとまったく釣り合っていない印象。ジョーカーが妄想の中でしか人を殺さないのも物足りないが、ただそこにいるだけで(本人はジョーカーを否定してさえも)暴力と死を誘発する現象としての「ジョーカー」の描き方は悪くない。特に結末は、黒沢清「CURE」味があってスゴク良い。そしてこの世界のブルース・ウェインはコスプレ自警団とかやる前にゴミを拾え!
たばこ吸って歌って、たばこ吸って歌う…
あーこれは確かに評価が二分するわw
観た。ひとつ言えるのだが、これは娯楽作品ではない。はなからエンターテインメントを求めて観たらハシゴを外されるのは確実。
まぁ社会から阻害され、スピンアウトした人間を描く社会派作品として意識高い系で見れば有り。刑務所と法廷劇要素も多いし。ただしラストが非常に凡庸。意外性もひねりも無く、誰でも思いつくような幕引きがガチで残念。
一方、ジョーカーと言うビランをダークヒーローとし、一種のピカレスクロマンを期待して何らかのカタルシスを求めるなら、確実に期待はずれになる残酷仕様です(笑)終盤の裁判所爆破で一瞬期待しちゃってもホントそれだけだから。特にDC大好きッ子なんかは観ちゃダメだぞ、泣くか怒るぞw
観客がどっちを求めるかで評価が決まる感じなのも納得。…短くまとめるとそんな感じ。てかぶっちゃけ前作の衝撃は上回れず、その程度の作品ってことで了。
あ、レディーガガは残念ながら今回はハマり役というところまでは至ってはおらず。別に演技が悪い訳でもないが、他の女優でも無難にこなしたろうね。歌えるから起用されたってとこもあるんだろう。てーことで、話題作り出演の域を出ておらず。
アイコンの完膚なきまでの抹消
単純につまらない
ダメ芸人の夢と幻想崩壊裁判劇ミュージカル
賛否分かれてたから自分で確かめに来た。
で、私は高評価ですよ。
まあミュージカル部はもう少し短くても良いと思うけど、2人とも歌いい感じだし、歌詞も凄く話にハマってて良いんだ。短く出来なかったんだろうなぁ。
ジョーカーの話じゃなくてアーサーの話です。
だから悪のトリックスターの活躍を期待するとハズレです。これだけ悪さしてると裁判で争点になるのは病気か?正気か?って事で否応なく自分のトラウマと対峙することになります。さらに悪い事に歌のお姉さんと知り合って恋に落ち、どんどんピュアなアーサーになって行き、、、あ、この辺でやめとこ。
私はこの感じ好きよ、一生懸命に生きていた才能のない芸人が社会に虐げられて怪物に変わって行く感じと、大した事ない自分を自分が一番知っているところ。
見るとわかりますがイカれたカッコいいジョーカーを期待する人が最後のハーレイに被ります。
何だろうなぁ、、陰謀論とか政治家に踊らされて議事堂に凸したアメリカの反省なのかな、知らんけど。
非公開のミュージカル
Joker: Folie a Deux
脱獄は成功していない。だから、予告編で盛り上がりを期待したカットのほぼ全ては、ミュージカルのシーンだ。現実には公開されていない。
思えばずっと動いていたのは周りで、開いた閉じていたものが、また戻っていく。アーサー自身、人格は、本当は何も変化していない。
法廷に化粧を連れ出しても、支離滅裂さで狂気を演出するには、まともなことを話すガイドの存在も隣に必要だ。マレーがそうだったように。だからジョーカーを続ける上では、アーサーは弁護士を解雇すべきではなかった。それはそうなのだが、ジョーカーが消え、判決が下った後のいつもの笑いも(それこそが)、十分に狂気的に見える。
化粧が消えかかったアーサーの表情が新たな始まりを示唆しているようで、息子と面会者という言葉を残し、しかし幕は下ろされる
共演して間もなく、笑いのフリとはいえ、ジョーカーは銃で撃たれている。これもタイトル通り伝染した妄想だとするなら、アーサーの心理状態を再考したくなる。
ミュージカルとタバコの映画
評価が分かれるのも納得の作品だが、私は好みだった。ミュージカル仕立ての構成に最初は戸惑うが、現実と妄想が曖昧で虚構の自家中毒に苦しむジョーカーことアーサーの内面を表現するのに最も適してた表現ではなかったか。
アーサーは裁判の最後に「本当の僕を見て!」と叫ぶが、アーサーの思う僕と他人から見えているジョーカーの僕と、そもそもアーサーが統合失調症の疑いが濃い(弁護人はそれを立証し無罪を勝ち取ろうとしていた)ことを踏まえると、彼にとってはミュージカルや歌が本当の自分なのかもしれない。そう思わせるだけの演出があり、個人的には楽しめた。
次に面白いと思ったのがタバコの描写である。
令和の映画とは思えないほど、みんなタバコを吸っている。作中は1980年代前半がモデルらしいので、電子タバコは当然ない。よって、紙タバコをガンガン吸う。喫煙者は嫌なやつか、何か病んでる人ばかりで、もちろんアーサーもそのひとりだ。屈辱的な扱いを受け、ジョークを言った褒美に看守からタバコを分けてもらい、美味そうに吸う。
レディガガが演じるリーと鉄格子越しでキスをしていると、接触禁止だと注意され、その代わりに吸った相手がタバコの煙を吸い込む。もしかしたら、唾液の交換よりも煙の交換の方が脳に直接響くのかもしれない。僕は筋金入りの喫煙者だが、この演出でめちゃくちゃタバコが吸いたくなってしまった。
喫煙者がぐっと減った現在では、この演出がどこまで理解されるかわからないが、ニコチン中毒者は精神が乱れてる時に深くタバコを吸い込むと脳に直接ニコチンが注入されているような感覚に陥ることがある。その心理が映像を通じてとても伝わってきた。ヤニカスで良かったと思う映画である。
物語は自己演出したアーサーの裁判ショーが不発に終わるところ、突然の爆破テロで裁判が無くなり、リーとの関係も終わり、最後はジョーカーファンの若者に刺されて終わる。
結局はアーサーそのものに誰も関心がなく、唯一、「本当の僕」を理解しようとしてくれた小人症のゲイリーとも決別する。アーサーはゲイリーの訴えを聞いて自己演出を止めたはず。そしてそれを見て、リーは去る。
その後リーの拳銃自殺を仄めかすシーンがあり、まさか…と思ったが、リーは死んでなく、髪を切り、彼女もまたジョーカーファンの自分と決別したのだろう。リーが拳銃で撃ち抜いたのはジョーカーに傾倒していた自分だったんじゃないか、というのが僕の感想だ。
結論は凡庸な映画かもしれないし、人々が求めていたジョーカーの続編ではないのかもしれない。しかし、暗いながら音楽の演出がよい。動画配信されたら案外何回も見たくなるようなタイプの映画かもしれないなと思った。
確かに“ジョーカー”の続編で凄い作品なのですが…
まずこの作品の為に体重を削ぎ落としたホアキンの役者魂に驚かされる。
たとえミュージカルな作品に生まれ変わろうと、前作を彷彿させる映像と音楽は紛れもなく“ジョーカー”の続編。
拘り抜かれたカメラアングルと光を巧みに使った映像は非常に美しい。
またアーサーやジョーカーの心境を表現する重厚な音楽も、もちろんレディー・ガガ演じるハーレィの歌声も素晴らしいです。
もの凄い映画だというのはよく解るし、実際私も「凄い作品だ…」という気持ちで観ていました。
……が、やはり論点となるのは問題のラストシーン。
確かに驚愕です。
驚きのあまりに当日は頭の整理が追いつかず、皆さんのレビューを見てようやく「なるほど、そういう事か!」と理解できました。
ある意味でヒース・レジャーへの敬意ともとれる結末にした事については、尊敬はします。
しかし公開前の宣伝に胸を躍らせて観に行った私としては、期待通りの作品…とはなりませんでした。
画面の隅まで見逃すな!
最後のあいつがピントが合ってない奥で何をやっているのか
それに気付いた人間かそうでないかで大きく評価が変わると思う
もちろん前作から通じてアーサーという人間の悲劇=喜劇をテーマにした物語もなかなかに重厚であると思う
ジョーカーはそこにいてどこにもいない
たしかにちょっとミュージカル要素が多すぎ、ハーレイの割合多すぎで途中少々軸がぶれている様相はあった気はするがそんなに頭ごなしに酷評すべき出来でもなかったと思う。
十分に楽しめました。
とにかく、冒頭に書いたことに尽きると思う。
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