ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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若干退屈だったが、最後の演技には衝撃を受けた
「ダークナイト」と「ジョーカー」、どちらもすごい映画だと思ったが世間ほど絶賛はできなかった。これは完全に好みの問題。でも「ジョーカー」の続編なら観ておきたい。あのジョーカーの物語ではなく、アーサーという男の物語の続編として興味があった。
(後半若干のネタバレがあります)
本作にはレディ・ガガ演じるリーという女性が登場する。アーサーと共感しあい愛しあうことになる女性。彼女とアーサーが歌い踊るシーンが多い。これはもうミュージカルと言っても過言ではない。歌も選曲も文句はないのだが、ジョーカーの映画として観てしまうとどうしても違和感を覚えずにはいられない。アーサーが妄想をこじらせた結果と納得させるしかないのだろうか。
前作同様、アーサーは自分の思いとは別のところでジョーカーとして熱狂的な支持を得てしまう。勝手に心酔して、英雄視し、勝手に幻滅する、現実社会でもあり得る現象だ。結局、ジョーカーという悪のヒーローが誕生する物語ではなく、あくまで6人を殺害したアーサーという男の物語で終わった。
前作でバットマンとなるブルースが登場していたが本作では全く出番なし。DCのバットマンとは違うということらしいが、子どものブルースとアーサーが戦うことに違和感があったのもたしか。ところが、本作でアーサーの子どもがリーのお腹に宿ってしまった。彼の息子がリーによってジョーカーとして育てられ、ブルースと戦うことになるという未来を妄想してしまった。他にもフォロワーが生まれ、ジョーカーという存在が生き残っていくことが示唆された。ジョーカーのフォロワーたちが生まれた物語でもあるということだ。
正直、中盤は退屈してしまった本作。でも、裁判が始まってからはかなり引き込まれたし、最後のホアキン・フェニックスの演技には衝撃を受けた。やはりこの人はすごい。これを観るだけでも意味のある映画だと思う。
ラストシーンが………
収監されていたアーサーが、リーという魅惑的な女性との交流により、再度ジョーカーとして覚醒していく物語
覚醒する過程や覚醒したあと裁判所の中で
まるでショーのように振る舞うジョーカーのあたりはとても面白かったし、最後それでもやっぱりアーサーに戻ってしまうところも良かった
その後リーにも見捨てられるとこも別に良かったのだけど、最後、衝撃のラストにしちゃうよ!って感じで、誰やねんっていう囚人に殺害されてしまったのでラストが「雑」と感じてしまいました
24-108
この人生ではじめて自分を必要としてくれる人に出会った。
評価が難しい作品
好きではあるけど、今ひとつ腑に落ちない作品でした。
アーサーは人生の負け組で凶悪犯罪者でありながらも、一部の熱狂的な信者からはカリスマと崇められて、リーという彼女はどんな悪行も認めてくれる。
ダークナイトのジョーカーは息を吸うように悪事を働き、悪人からも尊敬されている純粋な悪というのが私の認識ですが、このシリーズのジョーカーは人生で負けまくっている人が吹っ切れて、社会の秩序をひっくり返す事で、逆転して勝ち組になるというキャラクターだと思っています。
前作のラストでは悪意が町中に伝播して都市が大混乱に陥るが、それは現実だったのか?妄想だったのか?という内容で、ジョーカーの活躍を描きつつも、現実味のある展開で納得できたのですが、今作はジョーカー側に救いがなさすぎた点が不満でした。
裁判の終盤で、アーサーは過去の過ちを反省して後悔するのですが、そこからは罪は重いわ、彼女には見捨てられるわ、最後には刺されるわでいいとこなしで終わります。
あの終わり方なら、逃げるチャンスがあった場面で、最後までジョーカーに成り切れば良かった。
日本的な考え方ですが、一度決めてジョーカーになったなら戻ろうとして欲しくなかったな。
救いのない終わり方が社会へのメッセージかもしれませんが、せっかくのハーレイクインもいるし、妄想オチでもいいからもっと狂気を魅せて欲しかった。
それでも前作も込みで星4つ。
◇悪の拡散から悪の凝縮、内向化
前回のインパクトが圧倒的だったホアキン=ジョーカーの二作目。<<一作目の流れ>>都市生活者の孤独→無軌道で出鱈目な暴力被害→報復のつもりが過剰防衛殺人→公開殺人→悪そのものの拡散→市民の暴徒化
二作目ということで、一層エスカレートした悪、大衆化して拡散していく悪が描かれることをどこか期待していたかもしれません。勧善懲悪、正義のヒーローものを見ている時に、悪役を応援したくなる気分が立ち上ってくるような捻くれた感覚です。
そんな期待に反して、この作品のストーリーはより個人的で内向的な方角へと舵を切りました。ジョーカー→アーサー(ホアキン)の煙草🚬🚬の本数に比例して、個人的な内面へと潜行していく奥深さ底なしの暗さが増していくようです。舞台の多くは密閉された監獄であることにも息苦しさを感じます。
どこまでも暗く閉塞感に陥りがちな場面を盛り上げるのがミュージカル仕立てのステージです。もはや現実と妄想の区別も曖昧なまま唐突に挿入されています。
♪♪往年のハリウッド的ビッグバンドジャズの選曲。あまり馴染みがない分、新鮮かもしれません。
♪Slap That Bass / Get Happy / What the World Needs Now Is Love
♪For Once in My Life
♪ If My Friends Could See Me Now
♪ Folie à Deux
♪ Bewitched
♪ That's Entertainment
♪ When You're Smiling (The Whole World Smiles with You)
♪ To Love Somebody
♪ (They Long to Be) Close to You
♪ The Joker
♪ Gonna Build a Mountain
♪ I've Got the World on a String
♪ If You Go Away
♪ That's Life
♪ True Love Will Find You in the End
内面を語るには最適の名優揃いのキャスティングゆえに、演技の化学反応(CHEMISTRY)のような絡みがあっても良かったのに、それぞれが孤独の中に沈んでいくようでした。歌って踊る刹那的なステージの盛り上がり、それさえも主人公アーサーの妄想として解釈できそうで、まるで、現代の仮想空間(スマホとか)の中で各々個人的な喜びに深く埋没していく群像の象徴のようにも感じられて、恐ろしい気分。"アンチヒーロー"というヒーローの存在も否定されるような個人的趣向の寄せ集め世界。
違和感
大好評で受賞も数々の前作。
その続編を作ると言うことから、
元はバットマンの敵役であるからにして、
行く行くはバットマンと対峙するのでは❓
という妄想を抱きながら、
何故にフライヤーにデカデカと○○様が載ってるんだ❓
と違和感を感じて不安多めで鑑賞。
前作ってそんなに歌ってましたか❓
てくらい終始アーサーとリーが歌いまくる。
ミュージカルなの❓
いやそれにしては周りは全然歌わない。
監督もミュージカルでは無いと言い切っている。
ならばコレは何だろう❓
アニメでは偶に観る事があるな。
ん、アニメ❓
冒頭のアニメがフリだったのか❓
オレはアニメを観ていたのか⁉️
ジョーカーになって裁判やってる時点で、
もうコレはアニメだな‼️
アーサーの時々発作的に出る笑い。
こちらまであの笑いが出てしまうくらい、
脳内バグったまま終わり、
結局バットマンも出て来ず、
(ハービーデントはちょっと嬉しい)
「white room」も流れない、
○○様が高らかに歌い上げるかと言うと
そうでもない。
物議を醸して次作に繋ぐのか❓
でもあのラストは・・・
次作こそ
ダークナイト登場をお願いしたい。
ゴードンレビットあたりで🙏
◆追記
「アリー スター誕生」に
トッドフィリップスがスタッフにいた😱
そーゆーことか😳
前作とは異なる趣き 引き込まれる2人の表現者
前作は本当に圧倒された。筋書・演出、そしてホアキン・フェニックスの演技。
今作も自ずと期待が膨らんでの観賞。
【物語】
5人の殺人容疑で逮捕されたアーサーは裁判を控え拘留されていた。 世間は彼を理不尽な世の中・社会への反逆者、民衆の代弁者ジョーカーとして祭り上げていたが、アーサーの心の内は孤独だった。そんなある日彼の前にリーという謎めいた女性が現れる。アーサーは彼の心の内に寄り添うリーに惹かれ、生きる希望を見出す。
やがて裁判が始まる。弁護士は彼に責任能力が無いことを主張して無罪を勝ち取ろうとするが、そのために境遇の悪さ、低能ぶりを強調する弁論にアーサーは耐えられなくなり、裁判中に弁護士を解任し、自分の弁護は自分で行うと裁判長に申し立てる。次の回の公判からアーサーはジョーカーの出で立ちで裁判に立つ。
【感想】
賛否両論と言われているが、観賞して「なるほどそうか」と思った。
前作は世界的大ヒットとなり、ヴェネチア映画祭、アカデミー賞を初めとして多くの賞を受賞。俺自身も心揺さぶられる作品にレビューでは最大の賛辞を書いた。
つまり、多くの人が前作に感動し、今作に大いに期待していたわけだ。俺もその一人。
でも、期待が大きいがために失望する大ヒット作続編あるあるとは少し違う。作風が前作とかなり違うのだ。監督・主演が同じであるから作品の空気は引き継がれているが、アーサーの妄想がミュージカル調で描かれる。(後述するが)そのシーンはそのシーンで素晴らしい。これが初作であればもっと受け容れられたのではないか。しかし、前作が気に入った人が見に来るわけだから、観客の大多数は前作の作風のまま続編を観たかったはず。戸惑うのも無理は無い。 そういう俺も、「前作の方が良かったな」と思った一人。
一方、作り手は二番煎じの続編を作りたくなかったのかも知れない。冷静に考えても5人も殺して捕まったジョーカーが出所して、再び世間で暴れ回るというのは現実的ではない。そう考えたとき、妄想という形で描くことでジョーカーの心だけを、檻の中から外に出し、“夢”かのようにミュージカル風に仕立てるというのは起死回生のアイデアと言えるのかも知れない。振り返ると、前作ではアーサーの母親は妄想障害を抱えており、同じく精神障害を抱えるアーサーが妄想癖が有ったとしても何の不自然さも無い。
ミュージカル仕立てを取り入れた経緯はともかく、前述通り、これはこれで良かった。何が良かったかと言えばレディー・ガガだ。予告編には歌唱シーンが無かったので、今作では演技だけなのかと思っていたが、ガガの歌唱シーンはふんだんにある。また、単に歌が上手いというだけでなく、“表現者”としての才能に感服した。ホアキン・フェニックスも歌が上手いとは思わないが、その表現力は素晴らしく、2人の歌とダンスには胸に響くものが有った。
ホアキン・フェニックスについては、今回もまた普通の芝居も素晴らしく、凄い役者だと改めて思う。
前作ファンが観る場合は、“前作とはちょっと違う”を意識して観ればこれはこれで楽しめると思う。
なんとも悲しいアーサーのお話
ジョーカーの続編であるものの、主役はアーサー
続編ということで
その後のジョーカーがどんな殺戮を繰り返すのか少し怖かったのと、ハーレイ・クインはマーゴット・ロビーのイメージが強すぎて、何故レディ・ガガなのだと少々観る気が失せていた
けれどもこれは あのヒース・レジャーのジョーカーだったり、マーゴット・ロビーのハーレイ・クインだったりとは別物であったことには、鑑賞してすぐに気づく
ジョーカーの続編ではあるもののこれはその後のアーサーだ
ホアキン・フェニックスの衝撃の役作り再び
前作より体重落としてるのではないか
アーサーは本来、虐待されて育った過去がありながらも、ひたむきで心優しく、どれだけ虐げられても、ジョークで人を楽しませることを惜しまない
そんなアーサーだ
今回もそんなアーサーだが、リー(ハーレイ・クイン)に出会い、ジョーカーを崇めるリーの影響から、再びジョーカーな面が現れ出す
そこから、アーサーを虐げたり馬鹿にしたり、アーサーの話しを聞こうとしない
者たちへの空想が狂っている
そしてリーもなかなか狂っていてアーサーを助長させジョーカーへと導く
ジョーカーとして自らを弁護するが、証人として呼ばれたゲイリーの悲しくも辛い思いが心に突き刺さる
いつジョーカーとして、殺戮が始まるのかヒヤヒヤしたが、やはりアーサーはアーサーだった
ジョーカーになり切れなかったアーサーの最後が衝撃
あのサイコ野郎は何かしでかすと思っていたが、衝撃のラストだった
今作のラストもなんとも悲し嘆く最後だった
残酷な現実
結末も含めて前作は完璧だった。
それだけに続編が必要なのか疑問だったし、続編をどう作るのか興味もあった。
結果的に、今作は長々と語って元の場所に戻って来たなという感じ。
本作では序盤からアーサーの人物像に違和感を感じた。そして終盤、その違和感は制作者の意図したものであり、そのメッキが剥がされるまでを描いたのが、本作だったことに気づく。
結局アーサーは我々が知ってる前作のアーサーと変わっていなかった。
ある意味それは残酷な現実で、観客にとっても、アーサーに感情移入していればなおのことその現実は受け入れがたいものになった。
バットマンに出てくる"後のジョーカー"の誕生を期待し、そのカタルシスを待ち望んでいたら、突然冴えない現実に放り出されてしまった気分だ。
ジョーカーはいない。本作でも言われたメッセージ。前作ではジョーカーは生まれてしまった(かのように描かれた)。生まれたまま放置されて終わってしまった。
その危険な状態に一区切りをつける必要があったのだろう。それが続編を作った意味なのだと解釈した。
ある意味エヴァンゲリオンの「まごころを、君に」に似たものを感じる。
観客の姿をスクリーンに映して見せ、最後に「気持ち悪い」の一言で熱狂を沈静化させようとしたあの感じだ。
夢で逢いましょう
ジョーカー フォリ・ア・ドゥ。社会現象を引き起こし俺はジョーカーだ!と感化されたバカまで生み出した前作。今回はミュージカルサスペンス。監督のジョーカーといかアーサーへのスタンスは変わらず。妄想部分はミュージカルにし現実との違和感は無し。ガガはハーレークイーンと思いきや全く関係なし。病んでる系。
監督自らが、もう続編は無い!と言わんばかりな悲しいラスト。そりゃ冷静に考えたら6人殺し精神疾患がなく自らを省みる能力があれば、ヴィラン誕生や悪のカリスマなんて無理な話。賛否両論だけど自分は夢が覚めた続編でアーサーなホアキン・フェニックスを堪能出来た!
ホアキン・フェニックスいい役者だな
賛否色々あるのは分かりつつの鑑賞
結論、なんでそんな酷評されるか分かんない
見応えありの良き続編でした
妄想なのか現実なのか、精神疾患なのか正常なのか
アーサーは残忍な罪人だけど、それと同じぐらいクレイジーな世の中
最後の最後、結局一番まともなのはアーサー?
みたいな..
束の間の愛を感じられたアーサーは、ほんのわずかでも幸せだったのか
きれいゴトで終わらないのもありだなと
個人の感想です
アーサーのような悲劇をどう捉える?
メッセージ性?そんな陳腐な投げかけでもないのが
現代的かな..
バットマンのいない世界線で・・・・
気弱で恵まれない社会のLoser『アーサー』であった
2019年アカデミー賞を独占した歴史に残る名作『Joker』。
その続編が『レディーガガ』を巻き込んでどんな凶悪カップルの誕生か?の期待とワクワクが公開まで止まらなかった作品。
結論言えば非常に残念。
でもこの残念さこそがこの作品の意味を成していると考えると非常に深い。あのジョーカーの鮮烈デビューは映画内の大衆のみならず映画を観る我々観衆にも衝撃を与え、凶悪への憧れや期待さえも抱かせ、宗教的に取りつかれた。
でもその終焉はレディガガのみではなく大衆も我々観衆も失望させた。
彼は腐った世の中を破滅、恐怖に陥れる凶悪な大衆・観衆をも魅了した『ジョーカー』ではなく、気弱で恵まれない社会のLoser『アーサー』であったということ。あとミュージカルは無駄(邪魔)と思ったのは自分だけではない気がする。
人生はエンターテイメントじゃない
前作の終わり方だと、みんなが知ってるジョーカーの過去はこんな風だったんだ‥と思ってたけど、今回のであのジョーカーとは全く別なんだ、コレはジョーカーになりきれなかったアーサーの物語なんだ…
最初に出てきたホアキン・フェニックスの背中があまりにも骨ばってて小さくてびっくりしたんだけど、あれってCG?違うよね?
ジョーカーになる事で、世の中への怒り、不満を吐き出すことができてヒーローにさえなれたアーサーだけど、それはアーサーが本当になりたかった姿ではなく、虐げられた人々の作り上げた偶像に過ぎないところが悲しかった…
最愛の人と思っていたレディガガ(ごめんなさい役名忘れちゃった💦)さえも…。
あの終わり方は賛否両論あると思うけど、私はとても人間臭くて好きでした
決して駄作じゃないです
拒否反応起こしてる人は、ミュージカル的な演出のせい?
でも、ダンサーインザダークを彷彿とさせるそれらのシーンは、あくまでも
ジョーカー自身の記憶や憧憬や恋心を表現したものであって、決してミュージカルではなく、一個の人間としての彼の心と同期するには最適な手法だと思います。
かつ、監督が敬愛するワンフロムザハートに於ける音楽の使い方や、色合いや照明の変化も見て取れて、ロマンティックでさえありました。ラスト近くの階段のシーンの街灯なんて、もろそれでした。
とても余談ですが、長い間ワンフロムザハートは自分の中でも最高の映画のひとつだと思いながらも、誰も賛同してくれなかったんだけど、ここにきてようやく報われた気がします。
思ったより
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