ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
全768件中、341~360件目を表示
ラストが意味することとは
まさかこんなミュージカル映画とは思わなかった。
ガガが出演するならいっぱい歌ってもらいたくなる気持ちはわかるけど(笑)
ラストでアーサーが刺されて死ぬのは
刺した男が『ジョーカー』を乗っ取ったってこと?口裂いてたけど。
それともアーサーの『殺されるシリーズ』の妄想オチ?
どっちだろ?どっちでもないのかな?
モヤモヤするー
モンローよりセクシー、ノーマ・ジーンよりさびしがりや
ジョーカーについては、何となくの知識しかなく鑑賞。
ジョーカーのモデルはマリリンモンローかと思いましたね。
アーサーは、ヴィーナスの肢体を持つ悲劇の少女ノーマ・ジーン。
悲惨な少女時代への復讐のように、手段を選ばず国家権力にまで近づく、マリリンモンローというセックスシンボルが巨大になるたび、心優しい少女ノーマ・ジーンは、ボロボロに傷ついていく。
ただ、貴女を救うためだけに現れたのに。
大衆からの愛?そんなもん、彼女が夢に現れて歓迎しない男はいないだけの話し。
モンローが愛した男達は、ノーマ・ジーンの前から去って行く。
涙で化粧がはがれ、素顔の少女に戻るとき、男達の怨情の刃が彼女を貫き続けるのだ。
今さら清らかな乙女に戻らせやしないぜと。
これは...
やってしまっている。
なぜミュージカル、なぜガガ。
終始ガガが邪魔している。
これはハーレイではなく、ガガ。
ジョーカーの変貌ぶりはさすがだと思うけど、ホンマにガガがいらん過ぎた。
ミュージカルへの耐性をクリアすれば良作と思える(?)
恵まれず弱者として虐げられてきたが、富裕層へ報いを受けさせることで時代の寵児と教祖化したジョーカー(アーサー)、彼の逮捕後を描いた作品。
前作がアーサーから「ジョーカー」という人格が生まれたストーリーとすれば、今作は「ジョーカー」の人格がアーサーを見捨てた作品である。
前作のような陰鬱とした作風からトーンを大きく変えることなく、喫煙シーンを多く入れることでヒリついた雰囲気を維持することに成功している。その雰囲気の合間に清涼剤としてガガとフェニックスのミュージカルシーンを挿入しているわけだが、これは人を選ぶだろう。
歌詞や歌唱中の表情等に当人たちの演技や感情の機微を感じ取ることができるのならいいが、曲が多いため耐性が無い人にとっては途中で飽きてしまうと思う。
ストーリーの展開上ラブロマンスや法廷ものの要素が入るため前回より場面の転換が多く要素が盛り込まれているとわかる。
ゆえにラストシーンのひっくり返された感は唖然としてしまうだろう。
監督が最後にアーサーに報いを受けさせるという決断をしたのは前作で熱狂的なファンになてしまった者たちへのアンチテーゼではないか。みんなは富める者たちへ報復を行ったカルト的教祖の「ジョーカー」が好きなのであって一人のかわいそうで惨めなアーサーが好きなわけではないだろう?そういったメッセージが伝わってくる。だからアーサーは「自分がやった」とうなだれながら法廷で悲哀にあふれた表情で言うし、リーはそんな彼に「愛想が尽きた」と言わんばかりに立ち去っていく。
一時は熱狂的な恋をしていた相手はもういない。だからリーは髪を切りあの階段でアーサーに別れを告げた。ジョーカーの人格がアーサーを見捨てたからリーは離れてしまった。
では、ジョーカーは虚像だったのか、という問いが生じるが、それはラストのC・ストーリー演じる名もなき若い受刑者が答えを見せてくれた。
ジョーカーという人格は虚像ではなく、サブタイトル「フォリ・ア・ドゥ」の通り伝染してアーサーから名もなき受刑者に伝染した。そうした経緯でアーサーがめった刺しにして殺されたら前作のファンはどう思うか。
もはや時代の寵児として神格化された「ジョーカー」ではない哀れで惨めな精神異常者が殺されたところで観客は何も思わないだろう?という挑発に近いものを感じた。
という想像、妄想、憶測を繰り広げることができるだけのスケール感で楽しむことができた。
(デント地方検事補は若すぎたか。ダークナイトのレイチェルが大好きだった彼の印象が強かったので、いつトゥーフェイスになるか、コインは出るか?と期待したが結果には大して落胆はしなかった。)
ダウナーすぎて 楽しくないのが残念。
前作は階段でダンスするシーンにテンションあがり、
ジョーカーの狂気にオオッとなりましたが、
それ以外のシーンが
全体的にダウナーな作風だったので
映画館で見てから
2回目は見ないまま、
「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」
字幕版を鑑賞してきました。
以下ネタバレ
「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」の前半は
囚人の生活を見せられ、
囚人の生活は不衛生で嫌だなーという気分と
看守の仕事も大変だなーという気分になり
ダウナーな気分になる序盤だなーと思いました。
ダウナーな演出だったので
ミュージカルシーンによる
ジョーカーの心情説明に
気持ちがついていかず、、
ハーレクインにときめくシーンが
体験でなく、
観察になってしまい、
ジョーカーの歌に共感することもなく
ダウナーな気分のままで鑑賞。
かつて喫煙者だったけれど、
禁煙してからは
タバコの煙が嫌いな立場としては、
「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」
の喫煙シーンは臭そうと思うだけで
かっこよく思えず、
ダウナーな煙の演出の映像を見て
ダウナーな気分のままで鑑賞。
ハーレクインは
マーゴット・ロビーの
テンション高いキャラの印象が強いため、
「ハウス・オブ・グッチ」の中年女性演技に
インパクトがあったレディ・ガガが
ハーレクインを演じる事を知った時点で
キュートな方向でないハーレクイン演技を
予測&覚悟はしてはいたものの、
「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」の
ハーレクインは
ジョーカーの妄想以外では
化粧控えめでポップさはない、
ハーレクインでダウナーだったので、
ダウナーな気分のままで鑑賞。
裁判所から
ジョーカーファンによる脱出シーンは
少しワクワク感があったものの、
ジョーカーがすぐに囚人になってしまい、
「ダークナイト」のジョーカーと
似たような車の窓にもたれかかるシーンは
何狙ってんのかなと思いつつ、
TBSドラマでかつて見たような
チンピラにやられる終幕シーンは、
前作のジョーカーを肯定しないように
フィクションだけど
「おとしまえ」つけましたよアピール感があり、
予想通りダウナーな映画だったなな
映画でした。
ジョーカーは狂気で
社会をびびらせるキャラクターという印象だったため
今回のジョーカーは
妄想シーンだけで狂気を披露して
さらにジョーカーの存在を否定する展開は、
前作のもっていた
ジョーカーの狂気の後日談としては
金かえせとまでは思わないまでも
ダウナーすぎて
楽しくない映画だなと思いました。
ジョーカーはひとりじゃない
北米での不評を横目に鑑賞してきました。
1作目の「ジョーカー」をどのように捉えていたかによって、評価がハッキリ別れる作品だと思います。
アメコミの「ジョーカー」として観たら、こんなにつまらない映画はないでしょう。
一方、ジョーカーではなく「アーサー」の物語として観れば、救いがない内容ではあるものの、満足できる出来だったと感じました。
「ジョーカー」はあくまでも象徴であり、アーサー以外にもジョーカーはいるのだと考えれば、また違った見方が出来ると思います。
最後のコナー・ストーリーに刺されたシーンで、コナーもジョーカーだと匂わす表現もありましたし。
ミュージカルシーンを入れることで、狂気に走るアーサーと、罪の意識に苛まれるアーサーの葛藤がよく表現されていたと思います。
なお、あまり評判のよくないフェニックスの歌声ですが、ガガと共にもっと評価されるべきだと思っています。オペラ歌手並みに上手かったら、逆に違和感があったのではないでしょうか。フェニックスはとても歌の上手い俳優だと思ってはいますが。
「ジョーカー」ではなく「アーサー」として鑑賞すること強くお勧めします。
衝撃のラストに「ええ〜…え?」
ヘールシンキ♪より
バンドワゴン
良くも悪くも熱狂的に支持されすぎた前作。日本でもタバコふかし電車男みたいなもんが現れたりしましたので、その流れで続編なんか作るわけがありません。ハロウィンでキッズが真似しちゃ大変ですから。ジョーカーというキャラクターより、アーサー・フレックという男の物語です。しかも、鍵盤を叩きながら歌うレディー・ガガのショーまで見れる。いい音響の映画館で見ましょう。
エンドロール2曲目、ホアキン自身が歌う「True Love Will Find You in the End」が流れてきた時、涙腺が緩みました。オリジナルは、統合失調症と双極性障害で長く苦しんだシンガーソングライター、ダニエル・ジョンストンの名曲。ホアキンの声にも合っているし、この映画の最後を締めくくるにも持ってこいの美しい曲です。
ブルース・ブラザーズぐらいの気分で見れるかなと思いましたが、悲痛な顔で笑い声を上げるバカ笑いは、何度見ても悲しくなります。
前作からの落差にスカされたと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、フリが効いてていい続編であり完結だと感じました。
ミュージカル映画の駄作
ジョーカーという虚像を打ち砕いた映画!
楽しみにしていた「ジョーカー」の続編。
キャストに新たにハーレイ・“リー”・クインゼル役でレディー・ガガ登場。
はっきり言って、思ってたのと全然違う映画でした。
前作がジョーカーの誕生を描いた映画だとすれば、今作はそれを見事に打ち消した映画となっている。
レディー・ガガを配したからではないだろうが、ミュージカルのようにリーとアーサーが歌う場面が多々あり、その演出には疑問が残る。(ミュージカルは苦手なほうなので^^;)
刑務所で服役するアーサーは毎日精神安定剤を飲まされ落ち着いた模範囚となっている。
ある時合唱の練習でリーに出会い、一瞬にしてお互いに惹かれ合う存在となる。
愛によって希望を見出し、自信を取り戻すアーサー。
リーに薬を飲まないように頼まれ、その影響で気分が高揚し突然笑いだす発作も出てリーが愛するジョーカーに変身してしまうアーサー。
裁判で親身になってくれていた弁護士を首にしてしまい、アーサー自らが弁護することになる。
しかし、ジョーカーメイクでスター気取りのアーサーをテレビで見ていた看守たちはアーサーをボコボコに痛めつけアーサーは意気消沈してしまう。
そして裁判で“ジョーカーなどいない”と証言するアーサー。
その瞬間、傍聴席にいたリーやファンは失望し席を立ち離れていく。
折しも裁判の途中で突然裁判所が爆破され、ファンの助けを借りて逃げるアーサー。
階段でリーに出会うが、もはやリーには愛はなかった。
彼女はジョーカーを愛していたのであって、アーサーには何の魅力もなかったのだ。
愛に希望を見出していたアーサーだが愛に裏切られ、もはや逃げる気力を失い警察に捕まる。
再び模範囚の頃のアーサーに戻ったが、彼を慕っていた若者に刺殺されてしまう。
彼もまたジョーカーの崇拝者だったのだ。
個人的にはこれはこれで面白かったが、前作で誕生した悪のヒーローの活躍(?)を見たかったファンにはがっかりの作品だろう。
逆に前作で悪人であるジョーカーがヒーロー扱いされることに嫌悪感を抱いた人にとって今作は納得できる結末となっているのではないだろうか。
ただし、今作は物語の起伏に乏しく、大半が刑務所と裁判所のシーンなので、それで敢えてミュージカル風にしたりアーサーの空想シーンを挿入したりしているのかもしれないが、裁判所の大爆発シーン以外は人間ドラマがメインとなっている。
北斗の拳のラオウのように愛に敗れても愛などいらぬわ!というくらいの強さがアーサーにあれば不死身のジョーカーが誕生していたことでしょうが、これ以上社会を混乱させてはならないという良心が製作者に働いたのかどうか。
貧しく精神病を患っていた弱い人間だったアーサー・フレックが罪を犯し、ジョーカーとして祭りあげられ、やがてその虚像のせいで愛に裏切られ、殺されてしまうという哀しい物語が今作において見事に完結したのである。
若干退屈だったが、最後の演技には衝撃を受けた
「ダークナイト」と「ジョーカー」、どちらもすごい映画だと思ったが世間ほど絶賛はできなかった。これは完全に好みの問題。でも「ジョーカー」の続編なら観ておきたい。あのジョーカーの物語ではなく、アーサーという男の物語の続編として興味があった。
(後半若干のネタバレがあります)
本作にはレディ・ガガ演じるリーという女性が登場する。アーサーと共感しあい愛しあうことになる女性。彼女とアーサーが歌い踊るシーンが多い。これはもうミュージカルと言っても過言ではない。歌も選曲も文句はないのだが、ジョーカーの映画として観てしまうとどうしても違和感を覚えずにはいられない。アーサーが妄想をこじらせた結果と納得させるしかないのだろうか。
前作同様、アーサーは自分の思いとは別のところでジョーカーとして熱狂的な支持を得てしまう。勝手に心酔して、英雄視し、勝手に幻滅する、現実社会でもあり得る現象だ。結局、ジョーカーという悪のヒーローが誕生する物語ではなく、あくまで6人を殺害したアーサーという男の物語で終わった。
前作でバットマンとなるブルースが登場していたが本作では全く出番なし。DCのバットマンとは違うということらしいが、子どものブルースとアーサーが戦うことに違和感があったのもたしか。ところが、本作でアーサーの子どもがリーのお腹に宿ってしまった。彼の息子がリーによってジョーカーとして育てられ、ブルースと戦うことになるという未来を妄想してしまった。他にもフォロワーが生まれ、ジョーカーという存在が生き残っていくことが示唆された。ジョーカーのフォロワーたちが生まれた物語でもあるということだ。
正直、中盤は退屈してしまった本作。でも、裁判が始まってからはかなり引き込まれたし、最後のホアキン・フェニックスの演技には衝撃を受けた。やはりこの人はすごい。これを観るだけでも意味のある映画だと思う。
全768件中、341~360件目を表示