ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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夢で逢いましょう
ジョーカー フォリ・ア・ドゥ。社会現象を引き起こし俺はジョーカーだ!と感化されたバカまで生み出した前作。今回はミュージカルサスペンス。監督のジョーカーといかアーサーへのスタンスは変わらず。妄想部分はミュージカルにし現実との違和感は無し。ガガはハーレークイーンと思いきや全く関係なし。病んでる系。
監督自らが、もう続編は無い!と言わんばかりな悲しいラスト。そりゃ冷静に考えたら6人殺し精神疾患がなく自らを省みる能力があれば、ヴィラン誕生や悪のカリスマなんて無理な話。賛否両論だけど自分は夢が覚めた続編でアーサーなホアキン・フェニックスを堪能出来た!
ホアキン・フェニックスいい役者だな
賛否色々あるのは分かりつつの鑑賞
結論、なんでそんな酷評されるか分かんない
見応えありの良き続編でした
妄想なのか現実なのか、精神疾患なのか正常なのか
アーサーは残忍な罪人だけど、それと同じぐらいクレイジーな世の中
最後の最後、結局一番まともなのはアーサー?
みたいな..
束の間の愛を感じられたアーサーは、ほんのわずかでも幸せだったのか
きれいゴトで終わらないのもありだなと
個人の感想です
アーサーのような悲劇をどう捉える?
メッセージ性?そんな陳腐な投げかけでもないのが
現代的かな..
バットマンのいない世界線で・・・・
気弱で恵まれない社会のLoser『アーサー』であった
2019年アカデミー賞を独占した歴史に残る名作『Joker』。
その続編が『レディーガガ』を巻き込んでどんな凶悪カップルの誕生か?の期待とワクワクが公開まで止まらなかった作品。
結論言えば非常に残念。
でもこの残念さこそがこの作品の意味を成していると考えると非常に深い。あのジョーカーの鮮烈デビューは映画内の大衆のみならず映画を観る我々観衆にも衝撃を与え、凶悪への憧れや期待さえも抱かせ、宗教的に取りつかれた。
でもその終焉はレディガガのみではなく大衆も我々観衆も失望させた。
彼は腐った世の中を破滅、恐怖に陥れる凶悪な大衆・観衆をも魅了した『ジョーカー』ではなく、気弱で恵まれない社会のLoser『アーサー』であったということ。あとミュージカルは無駄(邪魔)と思ったのは自分だけではない気がする。
人生はエンターテイメントじゃない
前作の終わり方だと、みんなが知ってるジョーカーの過去はこんな風だったんだ‥と思ってたけど、今回のであのジョーカーとは全く別なんだ、コレはジョーカーになりきれなかったアーサーの物語なんだ…
最初に出てきたホアキン・フェニックスの背中があまりにも骨ばってて小さくてびっくりしたんだけど、あれってCG?違うよね?
ジョーカーになる事で、世の中への怒り、不満を吐き出すことができてヒーローにさえなれたアーサーだけど、それはアーサーが本当になりたかった姿ではなく、虐げられた人々の作り上げた偶像に過ぎないところが悲しかった…
最愛の人と思っていたレディガガ(ごめんなさい役名忘れちゃった💦)さえも…。
あの終わり方は賛否両論あると思うけど、私はとても人間臭くて好きでした
決して駄作じゃないです
拒否反応起こしてる人は、ミュージカル的な演出のせい?
でも、ダンサーインザダークを彷彿とさせるそれらのシーンは、あくまでも
ジョーカー自身の記憶や憧憬や恋心を表現したものであって、決してミュージカルではなく、一個の人間としての彼の心と同期するには最適な手法だと思います。
かつ、監督が敬愛するワンフロムザハートに於ける音楽の使い方や、色合いや照明の変化も見て取れて、ロマンティックでさえありました。ラスト近くの階段のシーンの街灯なんて、もろそれでした。
とても余談ですが、長い間ワンフロムザハートは自分の中でも最高の映画のひとつだと思いながらも、誰も賛同してくれなかったんだけど、ここにきてようやく報われた気がします。
思ったより
期待は裏切らない
悲劇は喜劇
ジョーカーとなってしまった男アーサーが堕ちる所まで堕ちる姿が面白かった。
ジョーカーの化粧がみるみる剥がれ落ちていくようにアーサーは終盤になるにつれ心身ともにボロボロ、初めての彼女ができて調子に乗るけどボコボコ、さぁ次はどんな転落が待っているのかと身構えると最期にあの結末、逆張り展開大好き捻くれ野郎の私はいい意味で予想を裏切られ笑ってしまいそうになった。
彼の人生は主観では悲劇そのものであるが、観客から客観的に観たこちらからすれば喜劇の様な映画。
アーサーの人生が道化そのものであったのが皮肉が効いてて楽しかった。
ただこれがジョーカーとしての映画でやる意味があると言われればそうでもないし、かといってジョーカーだからこそ笑えると言う複雑な気持ちはある。
ジョーカーなのかアーサーなのか
ジョーカーとして世間から神格化されたアーサー。
レディーガガ演じる女性も急接近して絶好調で裁判をのらりくらりと立ち回るまさに道化師。
今作には前作のような、虐げられたものの覚醒を描いた痛快感も全く無いからとにかく鬱。
それでミュージカルというか、歌唱シーンが多い。がこれが正直面白くない。
終盤、裁判の証人で出てきた同僚。
誰も彼もがアーサーを見捨てたわけでは無いこと、皆んながジョーカーとして見てる中、彼だけアーサーとして見てくれていること。この人の存在があったからこそ、最後は
アーサーとして生きることになったから、あまりのやるせないラストではなく、まあ良かったんじゃないかと思えた。
“It's a show time!” by T.P.
映画史に残るmaster piece “Joker” 第一作を盤石のbaseにして、Todd Phillips が仕掛けたentertainment show。歌姫Lady Gagaを迎えての今作、musical show としては、極めて中途半端、監督も想定内だろう。
だが、やはり圧巻のホアキン・フェニックスの演技、やや暑苦しいLeeの存在感ではあるが、流石の歌唱力で観る者を黙らせるレディ・ガガ。秀作である事に異論は無い。
導入パートのcartoon animeで、Jokerが自身のshadowに呑み込まれてしまう展開は、今作の全ての伏線となっている。
アーサーの骨の浮き出た悲しい背中を見つめ、“Comon Comon”で、でっぷりと中年太りのおじさんだったホアキンは、一体どれだけストイックに減量したんだろう、と目を見張る。
話題になっている、切り取られたアーサーの大笑いのシーン。私は、“この胸にヒリヒリと痛む哀しい笑いを、まとめて大売り出ししないで!” と心で叫んでいた。
裁判で証言台に座るゲイリーが、見て辛い。それまで、アーサーを被害者目線で見ていた我々も、まさにアーサーも、彼もまた、非力な弱者を力で威嚇する加害者であったことにハッとする。
第一作Jokerを10回観て尚、ホアキンの一挙手一投足、貧乏ゆすりにさえ、その度色褪せしない深い感動を覚える私だが、さて、今作では如何なものか?
胸のつっかえが晴れやかに解き放たれたような前作とは異なり、今回は胸にモヤモヤが残るending。
LeeとJokerの幻想的シーンは、確かに美しい。
監督トッド・フィリップスは、今回は、不条理社会へのアンチテーゼなどではなく、観て聴いて、心昂り、心乱され、心奪われるentertainment作品を意図したのだろう。
誰かの期待通りじゃ無くても、とても良い映画です。
細かい箇所は、もう既に他レビューにたくさんあるので割愛させてもらいます。
ジョーカーが悪の権化として数々の悪業を行うさまは、
それぞれがカタルシスを感じるには充分過ぎる対象なのでしょう。
しかしこの映画は、歌の歌詞や監督、俳優の意図として、
そのようなものは存在しない。
愛や平和こそが大切な全てなんだ。
と分かり難いながらも、伝えて来る。
劇場での他映画の予告編を観れば、どの映画も戦いや戦争、
悪の存在や、果ては学校での殺し合いなど、
こんな映画の数々を観て快感を得て、
果たしてこの世界は良くなるんだろうか?
といつも疑問に思ってしまう。
実際にJOKER1を観て、世界で、この日本でも、
様々な模倣した事件が起こった。
もしあなたがその事件の被害者家族、遺族だったとしても、
同じようにこのJOKER2に悪業の限りを求めるだろうか。
その「快感」を、期待するだろうか?
映画と現実は違う。
だけど私は、だからこそ映画には、
今の現実にはまだ無いような素晴らしい世界や、
暖かい世界が描かれていて、
それに憧れて、いつしか本当に自分のまわりが、
映画みたいに素晴らしい世界になったら良いな、
と思っています。
Joker Folie à Deux、で明かされるのは、
JOKERは存在しない、もうこの世界には必要無い。
というメッセージかも知れない。
だけど、アーサーは今も存在していて、
同じような気持ち、境遇の人もたくさんいる。
だからと言って、
誰かを傷付けて良い訳では無い。
誹謗中傷して快楽を得て良い訳では無い。
この映画は、観る人を、私たちを試しているような、
私たちが観られているような、
そんな不思議な感覚がありました。
最後になりますが、
アメリカでたくさんの否があろうとも、
私には関係ありません。
ホアキンフェニックスの演技も、
レディガガの歌も、
映像も、音楽も、本当に素晴らしい。
また来週もIMAXでもう一度観に行きます。
【追記】
早速、グランドシネマサンシャイン池袋にて、
IMAX レーザーGTの超大画面にて2回目を観覧しました。
まず大画面になった事で、表情が巨大なビルくらい迫って来るので圧が凄かったですが、それに耐え得る主演2人の表情に見応えを感じました。
また1回目はJOKERを期待して観に行ったのですが、
2回目はどちらかというと「アーサー」を観に行った感覚に近く、その感覚で観た時の、後半の知人のくだりなどはより名シーンに感じました。
シーンの動きこそ少ない本作ですが、やはりその狭いシチュエーションの中での細かな演技が随所に光っており、その表情の細かさは大画面で観るに限る!といった所でした。
そして結局2回観ても、
私は本作が好きな事に、なんら変わりはありませんでした。
前評判など気にせず、是非劇場で観る事をオススメします。
美しく儚い名作
ラスト、"後ろの男"を見ろ。
アーサーがジョーカー?こんな気弱な男が?策士でもなければ大してクレイジーでもない。
『こんなジョーカーは認めない』
そんなジョーカーファンは、今作のラストシーンを注意深く見ていれば膝を打ち納得するだろう。手に持った”それ”で彼が何をするのか、気づければ。
フォリ・ア・ドゥ、まさしくこれは共鳴により生まれる真のジョーカーの誕生秘話である。
おそらくこのシリーズは今作で完結だろう。
何故ならば、続編があるとすればそれはもうバットマンであり、完成されたジョーカーが出てくる作品になるであろうから。
最高の評価を受けた前作の世界観や解釈に囚われず、見事にDCバットマン映画のジョーカーに繋げる落とし前をつけたトッドフィリップス監督に最大の賛辞を捧げたい。そしてあえてお膳立て役を引き受けたホアキンフェニックスにも。
ピエロはあくまでもピエロ
あくまで個人的な想像にすぎませんが、ハーレイ・クインと出会い恋に落ち、あれから更に悪のカリスマとして磨きがかかっていくという続きを勝手に想像していましたが、今作はあくまでアーサーという1人の哀しき男の物語で、私たちの知っている、明るく元気に悪いことをするジョーカーは妄想上でしか出てきません。
でもその本当は心優しく、何も言えない、そんなところがアーサーなのです。
でもみんなそんな優しいアーサーを見ようとしない。
そして、みんなのヒーロー、そしてリーのヒーローであろうと、アーサーもジョーカーになりきって過ごそうとしますが、本人も自分自身の影=ジョーカーに翻弄され、最後は自分とは何なのか、そんな哀しい終わりでした。
でも、ここでアーサーは死に、ジョーカーが生き残りました、とかなら個人的にはゾクゾクしたけど、ただ可哀想なだけ……
結論、ただの可哀想な男の話すぎる…………
「ボーは恐れている」でのだらしない裸体を観た後だと一層凄みを感じ...
「ボーは恐れている」でのだらしない裸体を観た後だと一層凄みを感じる、ホアキン・フェニックスの痩躯!ジョーカーのメイクよりも、素顔の方がずっと不吉かつ憂愁を湛えて美しくさえあり、その存在感は前作から些かも衰えていない。…それが続編である本作の問題でもあって、ミュージカル・法廷劇・新ヒロインと新規要素のことごとくが、ホアキン・フェニックスが一人で佇んでいる場面より、色褪せてしまっている。特にレディ・ガガはシナリオ上でも主人公を惑わせる装置でしかなく、題名に反してホアキン・フェニックスとまったく釣り合っていない印象。ジョーカーが妄想の中でしか人を殺さないのも物足りないが、ただそこにいるだけで(本人はジョーカーを否定してさえも)暴力と死を誘発する現象としての「ジョーカー」の描き方は悪くない。特に結末は、黒沢清「CURE」味があってスゴク良い。そしてこの世界のブルース・ウェインはコスプレ自警団とかやる前にゴミを拾え!
たばこ吸って歌って、たばこ吸って歌う…
あーこれは確かに評価が二分するわw
観た。ひとつ言えるのだが、これは娯楽作品ではない。はなからエンターテインメントを求めて観たらハシゴを外されるのは確実。
まぁ社会から阻害され、スピンアウトした人間を描く社会派作品として意識高い系で見れば有り。刑務所と法廷劇要素も多いし。ただしラストが非常に凡庸。意外性もひねりも無く、誰でも思いつくような幕引きがガチで残念。
一方、ジョーカーと言うビランをダークヒーローとし、一種のピカレスクロマンを期待して何らかのカタルシスを求めるなら、確実に期待はずれになる残酷仕様です(笑)終盤の裁判所爆破で一瞬期待しちゃってもホントそれだけだから。特にDC大好きッ子なんかは観ちゃダメだぞ、泣くか怒るぞw
観客がどっちを求めるかで評価が決まる感じなのも納得。…短くまとめるとそんな感じ。てかぶっちゃけ前作の衝撃は上回れず、その程度の作品ってことで了。
あ、レディーガガは残念ながら今回はハマり役というところまでは至ってはおらず。別に演技が悪い訳でもないが、他の女優でも無難にこなしたろうね。歌えるから起用されたってとこもあるんだろう。てーことで、話題作り出演の域を出ておらず。
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